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ポツダム宣言は日本政府にどのように伝わったか――短波放送・外務省受信・時差(AI作成)

第1 この記事が答える問い

ポツダム宣言は,どの経路で,いつ日本政府に届いたのか。
本記事は,伝達の手段と時刻という事実の問題だけを扱う。

結論を先に述べる。
宣言は,日本政府に宛てて外交経路で手交された文書ではない。
米戦時情報局(Office of War Information,以下「OWI」という。)による短波放送等で公表され,日本側はこれを傍受して内容を知った。
また,「7月26日発表・7月27日受信」という日付の違いは,1日分の伝達の遅れではなく,13時間の時差による日付のまたぎである。

受諾に至る意思決定は「ポツダム宣言受諾は誰が決めたのか」で,発表から降伏文書調印までの経緯全体は「ポツダム宣言の発表から宣言受諾及び降伏文書調印までの経緯」で扱っている。

第2 宣言は日本へ手交されていない

1 伝達の実務を記録した米側の電報

宣言がどのように対外発信されたかは,米国務省の公刊外交文書(Foreign Relations of the United States,以下「FRUS」という。)に収録された1通の電報から確認できる。
ホワイトハウス情報官エイヤーズから大統領秘書ロスに宛てた1945年7月27日付の電報(FRUS 1945 Berlin II, Document 1255)である。

この文書は外交公電ではない。
OWIの国内局長及び海外局長からの報告を伝えるもので,宣言をどのように広報したかという実施報告である。
文書の分類は「secret」であり,ファイル記号は740.00119 Potsdam/7–2745である。

2 「中立国経由の送達を示す証拠がない」という編注

同文書には,FRUSの編者による次の注が付されている。

“No evidence has been found in Department of State files to indicate that the text of the proclamation was transmitted to the Japanese Government through neutral diplomatic channels.”

すなわち,国務省のファイル上,中立国の外交経路を通じて宣言の本文が日本政府へ伝達されたことを示す証拠は見つかっていない,という趣旨である。

当時,日本と米国との間に外交関係はなく,双方の連絡はスイス等の中立国を介して行われていた。
その経路が宣言の伝達には使われた形跡がない,というのがこの編注の内容である。

3 この編注の射程

もっとも,この編注は「証拠が見つかっていない」という消極的な記述である。
正式な送達が一切試みられなかったことまでを積極的に証明するものではない。

本記事の調査は,この編注が付されたDocument 1255を確認したものであり,同じ文書群に含まれる隣接文書(Documents 1236から1261まで)の全部を通覧したものではない。
したがって,「正式な送達は行われなかった」と断定するのではなく,「国務省ファイル上,その証拠は見つかっていない」という限定の付いた形で理解するのが正確である。

第3 米側が採った伝達の手段

1 記者発表から28分後に対日放送が始まっている

Document 1255は,時刻を米東部戦時時間(Eastern War Time,以下「EWT」という。)で記録している。
その内容は次のとおりである。

“Text received at 3:10 p.m. At 3:32 p.m. given to press through OWI Press Room, White House and State Department simultaneously.
At 4:00 p.m. (5 a.m. Tokyo time) our west coast shortwave transmitters began broadcasting text in English. Highlights broadcast in Japanese at 4:05 p.m. Full text in Japanese not broadcast until translation made by OWI’s San Francisco office had been checked by telephone with State Dept language experts in Washington. First broadcast from San Francisco at 6:00 p.m. (7 a.m. Tokyo time).”

テキストの受領が15時10分,記者団への配布が15時32分,対日英語放送の開始が16時00分である。
記者発表から28分後には,既に日本向けの放送が始まっていたことになる。

2 英語放送,日本語要旨,日本語全文の三段階

放送は三段階で行われた。

①16時00分(東京時間27日5時00分) 西海岸の短波送信機が英語で本文の放送を開始した。
②16時05分 日本語で要旨を放送した。
③18時00分(東京時間27日7時00分) サンフランシスコから日本語の全文を放送した。

③が①②より遅れたのは,OWIサンフランシスコ支局が作成した日本語訳を,ワシントンの国務省の言語専門家が電話で照合し終えるまで放送しなかったためであると,同文書に明記されている。
その後は,西海岸の11の短波送信機,ホノルルの短波送信機及びサイパンの中波送信機で日本語全文が反復して放送された。
定時番組は全て休止された。

3 放送とビラで同一の日本語訳を使わせたこと

同文書には,次の記載もある。

“Text transmitted in telegraphic Japanese to Pacific and China outposts so one official Japanese version would be used on outpost radio programs and in leaflets.”

太平洋及び中国方面の前線基地に対し,電信用の日本語で本文を送り,前線のラジオ番組とビラの双方で単一の公式日本語訳を使わせた,という趣旨である。
ここでいうビラは,宣言の内容を日本国民へ伝えるためのものであって,原子爆弾の警告ではない。
警告ビラをめぐる問題は「広島・長崎に原爆投下の事前警告ビラはまかれたのか」で扱う。

なお,この文書には,ビラの現物,散布の日時及び散布地域についての記載はない。

4 論評を加えずに全文を流させたこと

同文書は,ホノルル,マニラ,重慶及び昆明の心理戦担当の前線基地に対し,追って通知があるまで論評や憶測を加えずに全文を用いるよう,緊急電で指示したことも記録している。
日本側に届く内容を,米側の解説抜きの本文そのものに統一する運用であったことが分かる。

第4 日本側の受信と翻訳

1 受信の手段はラジオ放送であった

国立公文書館のデジタル展示「昭和20年」は,次のように解説する。

「日本ではラジオ放送を通じてポツダム宣言を入手し、直ちに日本語訳を作成して、内容の検討が行われました。資料は、外務省が作成した、ポツダム宣言の日本語訳です。」

外交電報や中立国経由の送達には触れられておらず,ラジオ放送によって入手した旨のみが記されている。
これは,前記のFRUSの編注と整合する。

日本側で第一報を受信した施設については,前掲の「ポツダム宣言の発表から宣言受諾及び降伏文書調印までの経緯」が,外務省,同盟通信社,陸軍及び海軍の各受信施設であったとしている。

2 日本語訳をめぐる論点は別記事で扱う

同展示が示す資料は,簿冊標題が「米英支三国宣言」,請求番号が雑03636100,作成・取得者が内閣,年月日が昭和20年7月26日である。
なお,この目録上の日付は宣言そのものの発表日を反映した分類上の日付であるとみられ,翻訳の完成日時を示すものではない。

日本語訳については,①国立公文書館所蔵の当時の訳文,②外務省外交史料館の仮訳(アジア歴史資料センターが公開),③外務省編『日本外交年表竝主要文書』下巻(1966年)所収の後年の公刊本文,という作成時期も目的も異なる複数の日本語文が存在する。
また,翻訳を担当したとされる下田武三条約局第一課長本人の回想も残っている。

これらの異同と,どの日本語文を引用しているのかを区別すべき理由は,「ポツダム宣言の原本はどこにあるのか」で詳しく扱っている。
本記事はこれを再論せず,受信の手段と時刻の確定に範囲を限る。

第5 8月の受諾通告は中立国を介して行われた

1 7月の宣言伝達とは経路が異なる

第2で述べたとおり,1945年7月の宣言の伝達については,中立国の外交経路が用いられたことを示す証拠が国務省ファイル上見つかっていない。

これに対し,同年8月の日本政府による受諾の通告は,中立国を介して行われている。
日本政府は8月10日,在スイス公使及び在スウェーデン公使を通じて受諾の申入れを行い,連合国側の回答も同じ経路で東京へ戻った。
この経路の詳細は「ポツダム宣言受諾はどのように連合国へ伝えられたか」で扱っている。

2 この違いが意味すること

同じ「ポツダム宣言をめぐる伝達」であっても,7月の宣言の伝達と8月の受諾通告の伝達とは,方向も経路も異なる。

前者は連合国側から日本国民一般へ向けた公表であり,宛先を特定した外交上の送達ではなかった。
後者は日本政府から連合国政府へ向けた外交上の意思表示であり,中立国が正式な仲介者として機能した。

「ポツダム宣言は中立国を通じて日本へ伝えられた」という説明を目にすることがあるが,中立国が経路として用いられたのは受諾の通告の場面であって,宣言そのものの伝達の場面ではない。

第6 「7月26日発表・7月27日受信」は伝達の遅れではない

1 13時間の時差による日付のまたぎである

当時のEWTは協定世界時から4時間遅れ,日本時間は協定世界時より9時間進んでいた。
両者の時差は13時間であり,日本が先行する。
1945年当時の日本に夏時間の制度はなかった。

この時差で換算すると,16時00分EWTは翌日5時00分の日本時間,18時00分EWTは翌日7時00分の日本時間となる。
Document 1255が原文に記す換算と一致する。

したがって,「7月26日に発表され,7月27日に日本が受信した」という日付の違いは,1日分の伝達の遅れを意味しない。
記者発表から対日放送の開始まで28分であり,当時の技術水準からみて最も速い部類の伝達である。

2 資料の日付を読むときの注意

この種の資料を読むときは,どの時間帯を基準とした日付かを常に確認する必要がある。
同じ出来事が,米側の資料では7月26日,日本側の資料では7月27日と記されることがあるが,これは矛盾ではない。

本記事も,米側の時刻はEWT,日本側の時刻は日本時間として区別して記載した。

第7 原資料で確認する方法

伝達の実務については,FRUS 1945 Berlin II, Document 1255を参照すれば,時刻と手段を原文で確認できる。
編注も同じページに掲載されている。

日本側の受信・翻訳については,国立公文書館のデジタル展示「昭和20年」及びその目録詳細ページで,外務省訳の資料そのものを閲覧できる。

宣言に回答期限が置かれていたかという問題は「ポツダム宣言に回答期限はあったのか」で扱う。

第8 出典・参考資料

1 公文書・外交文書

①United States Department of State, Foreign Relations of the United States: Diplomatic Papers, The Conference of Berlin (The Potsdam Conference), 1945, Volume II, Document 1255(1945年7月27日,ホワイトハウス情報官から大統領秘書宛て電報及びその編注)
②同Volume II, Document 1382(1945年7月26日,宣言正文)
③国立公文書館デジタル展示「昭和20年」,米英支三国宣言(外務省作成の日本語訳。請求番号雑03636100)
④国立国会図書館「日本国憲法の誕生」電子展示,ポツダム宣言(英文及び日本語文)

2 その他の資料

①アジア歴史資料センター公開,外務省外交史料館所蔵「ポツダム宣言受諾関係一件 第3巻(終戦関係調書)」(Ref.B18090004500)所収の日本語仮訳及び英語文
②外務省編『日本外交年表竝主要文書』下巻(1966年)所収の日本語本文