第1 対象となる答弁書と政府見解の全体像
1 本記事の対象
本記事は,最高裁判所裁判官国民審査に関する平成21年の3件の質問主意書及び内閣答弁書と,令和6年の質問主意書及び内閣答弁書を,衆議院の原文に基づいて整理するものである。
制度全体の条文,投票方法及び各回の資料については,最高裁判所裁判官国民審査も参照されたい。
国民審査制度に関する最高裁判例の全文引用は,最高裁判所裁判官国民審査制度の合憲性に関する最高裁判所の判決にまとめている。
質問主意書は国会議員が政府の見解を求めた文書であり,答弁書はその時点における内閣の公式見解である。
答弁書の内容は法令又は裁判所の判断そのものではないため,現行法及び最高裁判例と区別して読む必要がある。
2 平成21年から令和6年までの政府見解
平成21年の3答弁書は,審査公報と日頃の報道によって国民が適切に判断しているとの認識を示し,経歴放送等による追加の情報提供には慎重又は消極的な立場を示した。
令和6年答弁書も,審査公報と日頃の報道によって十分な判断材料が示されているとして,情報提供の拡充,政見放送に類する放送,投票所での裁判官情報の掲示及び三択式投票を採用しない立場を示している。
他方,平成14年3月19日に閣議決定された政府の司法制度改革推進計画は,審査対象裁判官に関する情報開示の充実に努めるなど,国民審査制度の実効性を高める措置を検討するとしていた。
現在の最高裁判所ウェブサイトでは,各裁判官の略歴,裁判官としての心構え及び最高裁判所において関与した主要な裁判等が公表されており,令和6年答弁書もこの取組に言及している。
第2 平成21年2月17日付答弁書
1 質問主意書
最高裁判所裁判官に対する国民審査に関する質問主意書は,平成21年2月9日に鈴木宗男衆議院議員が提出した第171回国会質問第106号である。
質問事項は,①制度の意義及び目的が国民に浸透しているか,②審査の判断材料としてどのような情報が示されているか,③その情報は十分か,④経歴放送に類する方法で裁判官の経歴及び業績を広報すべきではないかという4点であった。
2 内閣の答弁
平成21年2月17日付答弁書(内閣衆質171第106号)は,次のように答えている。
①総務省は,衆議院議員総選挙に際し,投票方法だけでなく制度の意義及び目的についても,パンフレットやウェブサイト等による啓発を行っている。
②判断材料として,裁判官の氏名,生年月日,経歴,最高裁判所で関与した主要な裁判その他の事項を掲載した審査公報が発行されている。
③審査公報の基本情報と,裁判官や裁判に関する日頃の報道を併せることにより,国民は裁判官が職責にふさわしいかを適切に判断しているものと考えている。
④経歴及び過去の業績等を追加して広報することは,費用対効果と,衆議院議員総選挙の選挙運動と同時期に実施することによる混乱の可能性から,慎重に検討する必要がある。
第3 平成21年2月27日付答弁書
1 再質問主意書
最高裁判所裁判官に対する国民審査に関する再質問主意書は,平成21年2月19日に提出された第171回国会質問第137号である。
質問事項は,①啓発の成果,②審査公報の「その他審査に関し参考となるべき事項」の内容,③国民が適切に判断しているとする根拠及びその把握,④審査公報の発行費,⑤その費用対効果,⑥経歴放送等を具体的に検討したことがあるか,⑦テレビ等で経歴放送を実施すべきではないかという7点であった。
2 内閣の答弁
平成21年2月27日付答弁書(内閣衆質171第137号)は,次のように答えている。
①国民審査は衆議院議員総選挙と併せて啓発されており,国民にも広く認識されているものと考えている。
②第20回国民審査の審査公報には,裁判官の信条,心構え,趣味などが掲載されていた。
③審査公報と日頃の報道によって国民は適切に判断しているものと考えるが,どれだけの国民が適切な判断をしたかを把握することは困難である。
④第20回国民審査における審査公報発行費の決算額は,4億4817万6523円であった。
⑤審査公報は国民の判断材料の一つとして定着し,活用されているものと考えている。
⑥国民は適切に判断しているものと考えているため,総務省は経歴放送等について具体的な検討を行ったことがない。
⑦テレビ等による経歴放送については,先の答弁書が示した費用対効果及び混乱の可能性に関する答弁と同じである。
第4 平成21年3月13日付答弁書
1 第三回質問主意書
最高裁判所裁判官に対する国民審査に関する第三回質問主意書は,平成21年3月4日に提出された第171回国会質問第185号である。
質問事項は,①日頃の報道が判断材料として十分であるか,②罷免された裁判官がいない現行制度は形骸化しているのではないか,③経歴放送等による情報提供を具体的に検討する考えがあるかという3点であった。
2 内閣の答弁
平成21年3月13日付答弁書(内閣衆質171第185号)は,審査公報と日頃の報道によって国民は適切に判断しているものと考えているため,経歴放送等による追加の情報提供を具体的に検討することは考えていないと答えた。
また,制度の意義及び目的は国民にも広く認識されているとして,現行制度が形骸化したものでしかないとの指摘は当たらないと答えた。
第5 令和6年11月22日付答弁書
1 質問主意書
最高裁判所裁判官の国民審査における情報提供の充実と実効性確保に関する質問主意書は,令和6年11月11日に北野裕子衆議院議員が提出した第215回国会質問第7号である。
質問事項は,①判断材料の充実,②政見放送に類する放送及び投票所での情報提供,③裁判官ごとに「罷免可」「罷免不可」「棄権」を区別する投票方式,④最高裁判所ウェブサイトでの情報提供,⑤10年という再審査間隔の短縮という5点であった。
2 内閣の答弁
令和6年11月22日付答弁書(内閣衆質215第7号)は,次のように答えている。
①審査公報と日頃の報道により十分な判断材料が示されているため,情報提供の拡充は考えていない。
②制度の意義及び目的は広く認識され,国民は適切に判断しているものと考えているため,政見放送に類する放送や投票所での裁判官情報の掲示が必要であるとは考えていない。
③昭和24年の第1回審査以来,現行の投票方式は国民の間に定着しており,最高裁昭和27年2月20日大法廷判決も現行方式を合憲としたため,三択式投票は考えていない。
④最高裁判所ウェブサイトでは,各裁判官の略歴,裁判官としての心構え及び最高裁判所において関与した主要な裁判等が公表されており,情報提供の在り方は最高裁判所が引き続き適切に対応するものと承知している。
⑤10年後の再審査は憲法79条2項に定められているため,その規定に基づいて国民審査を行う必要がある。
第6 答弁書を理解するための制度と判例
1 国民審査は解職の制度であること
憲法79条2項及び3項は,最高裁判所裁判官を任命後初めて行われる衆議院議員総選挙の際に審査に付し,罷免を可とする投票の多数があるときは罷免されると定めている。
最高裁判所裁判官国民審査法15条は,罷免を可とする裁判官には「×」を記載し,罷免を可としない裁判官には何も記載しない方式を定め,同法32条は,罷免を可とする投票が罷免を可としない投票より多い場合を罷免の要件としている。
ただし,同法32条ただし書は,投票総数が所定の基準日に選挙人名簿及び在外選挙人名簿に登録されている者の総数の100分の1に達しないときは,罷免されないと定めている。
最高裁昭和27年2月20日大法廷判決は,国民審査を,裁判官の任命を完成させる制度ではなく,既に任命された裁判官を罷免すべきかを決める解職の制度と解した。
同判決は,何も記載しない票を積極的な信任票と位置付けたのではなく,積極的に罷免を可とする意思がない票として扱う現行方式を合憲としたものである。
最高裁昭和47年7月20日第一小法廷判決は,投票用紙に記載された裁判官の一部についてのみ,氏名の抹消等によって棄権することはできないとした。
したがって,現在の投票用紙では,罷免に積極的に反対する意思と,情報不足等によって裁判官別の判断を留保する意思とを別の欄で示すことはできない。
もっとも,同判決は,国民審査全体について投票しないことまで否定したものではない。
2 審査公報と情報提供
最高裁判所裁判官国民審査法53条は,都道府県の選挙管理委員会による審査公報の発行を定めている。
裁判官の氏名,生年月日,経歴,最高裁判所において関与した主要な裁判その他の具体的な掲載事項は,同法53条だけでなく,最高裁判所裁判官国民審査法施行令23条に定められている。
平成21年及び令和6年の答弁書は,審査公報と日頃の報道によって判断材料は足りるとの立場を一貫して示している。
他方,政府の司法制度改革推進計画は,国民審査制度の実効性を高めるための情報開示の充実を課題としており,憲法学の文献でも,情報不足と現行投票方式の下で判断留保の意思を区別できない点が論じられている。
3 国民審査無効訴訟で主張できる無効原因
最高裁平成31年3月12日第三小法廷決定(平成30年(行ツ)第185号,集民261号103頁)は,国民審査法36条の審査無効訴訟を民衆訴訟と位置付け,同法37条1項の無効原因を,審査の管理執行手続に関する明文の規定に違反する場合,又は国民審査制度の基本理念が著しく阻害される場合と解した。
同決定は,18歳及び19歳に選挙権を認める公職選挙法9条1項が違憲であるとの主張は,国民審査の無効原因として主張できないとしたものであり,審査制度一般に対する政策上の批判が直ちに審査無効の理由となるものではない。
4 在外国民審査を認めた法改正
最高裁令和4年5月25日大法廷判決(令和2年(行ツ)第255号,令和2年(行ヒ)第290号ないし第292号,民集76巻4号711頁)は,在外国民に国民審査権の行使を全く認めなかった当時の国民審査法を,憲法15条1項及び79条2項・3項に違反するとした。
同判決は,国民審査権を国民主権の原理に基づく権能と位置付け,技術的な課題があるだけではその行使を一律に認めないことを正当化できないと判断した。
判決を受けて成立した最高裁判所裁判官国民審査法の一部を改正する法律(令和4年法律第86号)は,在外投票,洋上投票等及び番号式の投票用紙を導入し,令和5年2月17日に施行された。
改正後の在外国民審査は,令和6年10月27日の第26回国民審査で初めて実施された。
5 再審査の間隔と最新の実施結果
憲法79条2項は,最初の国民審査から10年を経過した後に初めて行われる衆議院議員総選挙の際に再審査を行うと定める一方,最高裁判所裁判官の定年は70歳である。
実際に再審査が行われたのは昭和38年の第6回国民審査が最後であり,任命時の年齢と衆議院議員総選挙の時期によっては,再審査を受ける前に定年となる。
令和8年2月8日の第27回国民審査では2人が審査を受け,罷免を可とする投票の割合は14.15%及び13.73%であり,いずれについても罷免を可とする投票は罷免を可としない投票を上回らなかった。
第1回から第27回まで,国民審査によって罷免された裁判官はいないが,この事実だけから制度に実効性がない,又は国民が積極的に信任したと断定することはできない。
第7 出典・参考資料
1 法令
①e-Gov法令検索「日本国憲法」15条1項,79条2項及び3項
②e-Gov法令検索「最高裁判所裁判官国民審査法」15条,32条,36条,37条及び53条
③e-Gov法令検索「最高裁判所裁判官国民審査法施行令」23条
④e-Gov法令検索「公職選挙法」9条1項
⑤e-Gov法令検索「裁判所法」50条
2 質問主意書・答弁書
①衆議院「最高裁判所裁判官に対する国民審査に関する質問主意書」(平成21年2月9日提出,第171回国会質問第106号)及び「同質問に対する答弁書」(平成21年2月17日,内閣衆質171第106号)
②衆議院「最高裁判所裁判官に対する国民審査に関する再質問主意書」(平成21年2月19日提出,第171回国会質問第137号)及び「同再質問に対する答弁書」(平成21年2月27日,内閣衆質171第137号)
③衆議院「最高裁判所裁判官に対する国民審査に関する第三回質問主意書」(平成21年3月4日提出,第171回国会質問第185号)及び「同第三回質問に対する答弁書」(平成21年3月13日,内閣衆質171第185号)
④衆議院「最高裁判所裁判官の国民審査における情報提供の充実と実効性確保に関する質問主意書」(令和6年11月11日提出,第215回国会質問第7号)及び「同質問に対する答弁書」(令和6年11月22日,内閣衆質215第7号)
3 裁判例
①最高裁判所大法廷昭和27年2月20日判決(昭和24年(オ)第332号,民集6巻2号122頁,裁判所ウェブサイト)
②最高裁判所第一小法廷昭和47年7月20日判決(昭和45年(行ツ)第118号,集民106号513頁,裁判所ウェブサイト)
③最高裁判所第三小法廷平成31年3月12日決定(平成30年(行ツ)第185号,集民261号103頁,裁判所ウェブサイト)
④最高裁判所大法廷令和4年5月25日判決(令和2年(行ツ)第255号,令和2年(行ヒ)第290号ないし第292号,民集76巻4号711頁,裁判所ウェブサイト)
4 公的資料
①裁判所ウェブサイト「政府の司法制度改革推進計画」(平成14年3月19日閣議決定)
②最高裁判所ウェブサイト「最高裁判所の裁判官」
③衆議院「最高裁判所裁判官国民審査法の一部を改正する法律案の審議経過」(第210回国会閣法第11号)及び「最高裁判所裁判官国民審査法の一部を改正する法律」(令和4年法律第86号)
④皆川健一「最高裁判所裁判官国民審査法の改正―在外邦人にも国民審査が可能に―」立法と調査452号(参議院常任委員会調査室・特別調査室,令和4年)17頁~27頁
⑤第221回国会衆議院政治改革に関する特別委員会議録第2号(令和8年6月11日)
5 文献
①宇賀克也『管見 最高裁判所』(有斐閣,令和8年)80頁~84頁・306頁~311頁
②木下智史・伊藤建『基本憲法Ⅱ 総論・統治』(日本評論社,令和7年)189頁~191頁
③渡辺康行・宍戸常寿・松本和彦・工藤達朗『憲法Ⅰ 基本権〔第2版〕』(日本評論社,令和5年)447頁~449頁
④渡辺康行・宍戸常寿・松本和彦・工藤達朗『憲法Ⅱ 総論・統治〔第2版〕』(日本評論社,令和7年)326頁~327頁