目次
第1 最高裁大法廷昭和27年2月20日判決(全員一致)
第2 最高裁昭和35年4月14日判決(全員一致)
第3 最高裁昭和40年9月10日判決(全員一致。ただし,補足意見あり)
第4 最高裁昭和47年7月20日判決(全員一致)
第5 最高裁昭和47年7月25日判決(全員一致)
第6 最高裁平成31年3月12日判決(全員一致)
* ナンバリング及び改行を行った上で,以下のとおり掲載しています。
第1 最高裁大法廷昭和27年2月20日判決(全員一致)
1(1) 最高裁判所裁判官任命に関する国民審査の制度はその実質において所謂解職の制度と見ることが出来る。
それ故本来ならば罷免を可とする投票が有権者の総数の過半数に達した場合に罷免されるものとしてもよかったのである。
(2) それを憲法は投票数の過半数とした処が他の解職の制度と異るけれどもそのため解職の制度でないものとする趣旨と解することは出来ない。只罷免を可とする投票数との比較の標準を投票の総数に採っただけのことであって、根本の性質はどこ迄も解職の制度である。このことは憲法79条3項の規定にあらわれている。
同条2項の字句だけを見ると一見そうでない様にも見えるけれども、これを3項の字句と照し会せて見ると、国民が罷免すべきか否かを決定する趣旨であって、所論の様に任命そのものを完成させるか否かを審査するものでないこと明瞭である。この趣旨は一回審査投票をした後更に10年を経て再び審査をすることに見ても明であろう。
2(1) 一回の投票によって完成された任命を再び完成させるなどということは考えられない。
論旨では期限満了後の再任であるというけれども、期限がきれた後の再任ならば再び天皇又は内閣の任命行為がなければならない。
国民の投票だけで任命することは出来ない。最高裁判所裁判官は天皇又は内閣が任命すること憲法6条及び79条の明定する処だからである。
なお論旨では憲法78条の規定を云為するけれども、79条の罷免は裁判官弾劾法の規定する事由がなくても、国民が裁判官の人格識見能力等各種の方面について審査し、罷免しなければならないと思うときは罷免の投票をするのであって、78条とは異るものである。
しかのみならず一つ事項を別の人により、又別の方法によって二重に審査することも少しも差支ないことであるから、79条の存するが故に78条は解職の制度でないということは出来ない。
最高裁判所裁判官国民審査法(以下単に法と書く)は右の趣旨に従って出来たものであって、憲法の趣旨に合し、少しも違憲の処はない。
(2) かくの如く解職の制度であるから、積極的に罷免を可とするものと、そうでないものとの2つに分かれるのであって、前者が後者より多数であるか否かを知らんとするものである。
論旨にいう様な罷免する方がいいか悪いかわからない者は、積極的に「罷免を可とするもの」に属しないこと勿論だから、そういう者の投票は前記後者の方に入るのが当然である。
それ故法が連記投票にして、特に罷免すべきものと思う裁判官にだけ×印をつけ、それ以外の裁判官については何も記さずに投票させ、×印のないものを「罷免を可としない投票」(この用語は正確でない、前記の様に「積極的に罷免する意思を有する者でない」という消極的のものであって、「罷免しないことを可とする」という積極的の意味を持つものではない、以下仮りに白票と名づける)の数に算えたのは前記の趣旨に従ったものであり、憲法の規定する国民審査制度の趣旨に合するものである。
罷免する方がいいか悪いかわからない者は、積極的に「罷免を可とする」という意思を持たないこと勿論だから、かかる者の投票に対し「罷免を可とするものではない」との効果を発生せしめることは、何等意思に反する効果を発生せしめるものではない。解職制度の精神からいえば寧ろ意思に合する効果を生ぜしめるものといって差支ないのである。
それ故論旨のいう様に思想の自由や良心の自由を制限するものでないこと勿論である。
3 最高裁判所の長たる裁判官は内閣の指名により天皇が、他の裁判官は内閣が任命するのであって、その任命行為によって任命は完了するのである。このことは憲法6条及び79条の明に規定する処であり、此等の規定は単純明瞭で何等の制限も条件もない。所論の様に、国民の投票ある迄は任命は完了せず、投票によって初めて完了するのだという様な趣旨はこれを窺うべき何等の字句も存在しない。
それ故裁判官は内閣が全責任を以て適当の人物を選任して、指名又は任命すべきものであるが、若し内閣が不適当な人物を選任した場合には、国民がその審査権によって罷免をするのである。この場合においても、飽く迄罷免であって選任行為自体に関係するものではない。国民が裁判官の任命を審査するということは右の如き意味でいうのである。
それ故何等かの理由で罷免をしようと思う者が罷免の投票をするので、特に右の様な理由を持たない者は総て(罷免した方がいいか悪いかわからない者でも)内閣が全責任を以てする選定に信頼して前記白票を投ずればいいのであり、又そうすべきものなのである(若しそうでなく、わからない者が総て棄権する様なことになると、極く少数の者の偏見或は個人的憎悪等による罷免投票によって適当な裁判官が罷免されるに至る虞があり、国家最高機関の一である最高裁判所が極めて少数者の意思によって容易に破壊される危険が多分に存するのである)。これが国民審査制度の本質である。
それ故所論の様に法が連記の制度を採ったため、2、3名の裁判官だけに×印の投票をしようと思う者が、他の裁判官については当然白票を投ずるの止むなきに至ったとしても、それは寧ろ前に書いた様な国民審査の制度の精神に合し、憲法の趣旨に適するものである。決して憲法の保障する自由を不当に侵害するなどというべきものではない。
4 総ての投票制度において、棄権はなるべく避けなければならないものであるが、殊に裁判官国民審査の制度は前記の様な次第で棄権を出来るだけ少なくする必要があるのである。
そして普通の選挙制度においては、投票者が何人を選出すべきかを決するのであるから、誰を選んでいいかわからない者は良心的に棄権せざるを得なくなるということも考えられるのであるが、裁判官国民審査の場合は、投票者が直接裁判官を選ぶのではなく、内閣がこれを選定するのであり、国民は只或る裁判官が罷免されなければならないと思う場合にその裁判官に罷免の投票をするだけで、その他については内閣の選定にまかす建前であるから、通常の選挙の場合における所謂良心的棄権という様なことも考慮しないでいいわけである。
又投票紙に「棄権」という文字を書いてもそれは余事記入にならず、有効の投票と解すべきものであるとの論があるけれども現行法の下では無理と思う。
原判決は措辞において多少異る処があるけれども、結局本判決と同趣旨に出たもので正当であり論旨は理由なきに帰する。
5 裁判官の取扱つた事件に関する裁判上の意見を具体的に表示せず、ただ事件名のみを記載しても、毫も国民審査法施行令第二六条の条件に反するものではない。
原判決は結局右と同旨に出でたものであるから、何等所論の違法はなく、論旨は理由がない。
第2 最高裁昭和35年4月14日判決(全員一致)
所論原判決の判断、すなわち要するに、憲法七九条二項所定の最高裁判所裁判官国民審査は、一種の解職投票制度であつて、裁判官任命の適否を審査決定する制度でない旨、並びに、国民審査における問題は、罷免を可とするとの投票が多数をしめるかどうかであつて、同審査において審査人に対して求められる投票は罷免を可とする投票か可とする投票でない投票かのいずれかであつて、国民審査法二九条、三二条、三三条などに「罷免を可としない投票」とは後者を意味し、後者の投票をしようとする審査人は、なんらの記入をしないで投票することにしたのは、国民審査の憲法上の性質に合致する旨の各判断は、いずれも正当であつて、これと同一趣旨である所論引用の当裁判所大法廷判例(民事判例集六巻二号一二二頁以下)を変更すべきものとは認められない。
第3 最高裁昭和40年9月10日判決(全員一致。ただし,補足意見あり)
1 全員一致の多数意見
最高裁判所裁判官についても、その罷免の事由は憲法七八条所定のものに限定され、従つて同法七九条二項はその解職についての定めではなくして、右裁
判官の任命行為の審査を規定したものでなければならないとし、同条三項にいう罷免を、任命を否とする審査の結果を解除条件の成就とする任命行為の失効とみる所論は首肯しがたく、前示大法廷判決を変更する要は認められない。
2 裁判官奥野健一の補足意見
① 憲法七九条二項は「最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行われる衆議院議院総選挙の際国民の審査に付し……」と規定しているのであるから、国民の審査の対象は、任命自体であると解するのが最も素直な解釈であると思う。
また、その後十年を経過した後行われる国民審査の対象も、当該裁判官の任命後の裁判において示した意見、職務遂行の実績その他の事項を考慮して、更にその任命の適否を審査するものと考える。
かくの如くにして憲法は、司法の最高の地位にある最高裁判所の裁判官の任命について、広く国民の審査に付して、民意を反映せしめ、もつて、司法裁判が国民の信託に由来するものであるとの民主主義の原理に即応せしめんとするものであると解する。
② そして、裁判官の任命を審査するとは、当然その裁判官が果して最高裁判所の裁判官として適任であるか否かを審査することであつて、審査人である国民が審査の結果、その裁判官を不適任と判断したときは、当該裁判官について罷免を可とする投票を行い、投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は罷免されるのである。(同法同条三項。)
すなわち、憲法は罷免を可とする投票が有効投票の多数(過半数)を占めるに至つたときに限り、当該裁判官は罷面されるものとしているのであるから、積極的に罷免を可とする旨の投票以外の投票は、これを罷免投票の数に算入しない趣旨であること明らかであり、従つて、必ずしも罷免投票と積極的な信任投票を要求しているものと解さなければならないものではない。最高裁判所裁判官国民審査法は、右憲法の趣旨に反するものではないから、違憲ではない。
第4 最高裁昭和47年7月20日判決(全員一致)
1 最高裁判所の裁判官は、天皇または内閣によつて任命されるものであつて、その任命行為によつて任命が完了すること、憲法七九条による国民審査の制度は、その実質において、いわゆる解職の制度と見ることのできるものであること(昭和二四年(オ)第三三二号同二七年二月二〇日大法廷判決・民集六巻二号一二二頁)、そして、国民審査において投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、解除条件の成就により当該裁判官の任命が失効すると解すべきでないこと(昭和三九年(行ツ)第一〇七号同四〇年九月一〇日第二小法廷判決・裁判集民事八〇号二七五頁)は、すでに当裁判所の判例とするところである。
論旨は、任命自体の審査と任命後の解職とを峻別したうえ、憲法七九条による国民審査は、任命自体について行なわれなければならない旨を強調するけれども、「最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付」されるのであつて(憲法七九条二項)、この任命後最初に行なわれる国民審査においては、任命後の解職の可否いかんという形式のもとで、任命についての審査が行なわれるという実質をもつものということもでき、右の審査の制度を解職制度と解したからといつて、なんら、所論のように、最高裁判所の裁判官の任命に国民の意思を反映せしめるという趣旨が失われることにはならない。
2 原判決は、本件において、衆議院議員選挙の投票所と国民審査の投票所との入口および出口が同一で、しかも一カ所ずつしか設けられていなかつたとはいえ、選挙の投票をした者が、(一)審査の投票をしないで場外に出ることを妨げられるような強制措置が講ぜられた事実、(二)審査の投票用紙の受領を強制された事実、(三)審査の投票用紙を投票函に投入することを強制された事実は、なんら認められないとするのである。
しかる以上、本件審査において、身体の自由、表現の自由の侵犯はないとした原判決は相当である。
3 原判決は、投票用紙に連記された裁判官の一部につき審査人が棄権しようとするときは、投票用紙の当該裁判官に対する記載欄に棄権の意思を表示し、あるいはその氏名を抹消する等して投票することにより、棄権することが認められる旨を判示するが、かかる解釈をとることは、最高裁判所裁判官国民審査法二二条一項の規定に照らして困難であり、原判決の判断は、この点において違法たるを免れない。
しかしながら、投票用紙に連記された裁判官数名のうち、その一部についてのみ×印の投票をしようとする者が、その他の裁判官については当然白票(積極的に罷免を可とするものでない投票)を投ずるの止むなきに至つたとしても、なんら憲法の保障する自由を侵害するものでないことは、当裁判所の判例とするところ(前記大法廷判決参照)であつて、原判決は、その結論において相当である。
4 罷免を可とする積極的な意思を有する×印の投票以外のものを、すべて「罷免を可としない投票」として取り扱うことが、なんら所論憲法一九条、二一条に反するものでないことは、当裁判所の判例とするところである(前記大法廷判決参照)。
また、本件審査が身体の自由を侵害した旨の論旨の理由のないことは、第二点につき説示したとおりである。
第5 最高裁昭和47年7月25日判決(全員一致)
1 最高裁判所の裁判官は、天皇または内閣によつて任命されるものであつて、その任命行為によつて任命が完了すること、憲法七九条による国民審査の制度は、その実質において、いわゆる解職の制度であること、そして、国民審査において投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、解除条件の成就により当該裁判官の任命が失効する旨の所論の採用し難いことは、すでに当裁判所の判例とするところである(昭和二四年(オ)第三三二号同二七年二月二〇日大法廷判決・民集六巻二号一二二頁、昭和三九年(行ツ)第一〇七号同四〇年九月一〇日第二小法廷判決・裁判集民事八〇号二七五頁)。
論旨は、任命自体の審査と任命後の解職とを峻別したうえ、憲法七九条による国民審査は、任命自体について行なわれなければならない旨を強調するけれども、「最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行われる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付」されるのであつて(憲法七九条二項)、この任命後最初に行なわれる国民審査においては、任命後の解職の可否いかんという形式のもとで、任命についての審査が行なわれるという実質をもつものということもでき、右の審査の制度を解職制度と解したからといつて、なんら、所論のように、最高裁判所の裁判官の任命に国民の意思を反映させるという趣旨が失われることにはならない。
2 所論のような投票所の施設は、むしろ投票人の便宜のためのものにすぎない。そして、具体的に本件において、衆議院議員選挙の投票をした者が、(一)国民審査の投票をしないで場外に出ることを妨げるような強制措置が講ぜられたとか、(二)審査の投票用紙の受領を強制されたとか、(三)審査の投票用紙を投票箱に投入することを強制されたとかの事実は、なんら上告人らの原審において主張せず、したがつてまた原審の確定しないところであり、選挙の投票をした者が審査の投票所を通過することになつていたからといつて、出頭を強制されたことにならないことは、いうまでもないところである。
3 審査の投票用紙に連記された裁判官数名のうち、その一部についてのみ×印の投票をしようとする者が、その他の裁判官については当然白票(積極的に罷免を可とするものでない投票)を投ずるの止むなきに至つたとしても、なんら憲法の保障する自由を侵害するものでないことは、当裁判所の判例とするところであつて(前記大法廷判決参照)、原判決理由二の(三)の判示は相当である。
4 罷免を可とする積極的な意思を有する×印の投票以外のものを、すべて「罷免を可としない投票」として取り扱うことが、なんら所論憲法一九条、二一条に違反するものでないことは、当裁判所の判例とするところであり(前記大法廷判決参照)、本件審査が同法一三条に違反する旨の論旨がその前提を欠くことは、第二点につき説示したところからしても明らかである。
第6 最高裁平成31年3月12日判決(全員一致)
1 国民審査法36条の審査無効訴訟は,行政事件訴訟法5条に定める民衆訴訟として,法律に定める場合において法律に定める者に限り提起することができるものであるところ(同法42条),国民審査法37条1項は上記の審査無効訴訟において主張し得る審査無効の原因を「この法律又はこれに基いて発する命令に違反することがあるとき」と規定している。
これは,主として審査に関する事務の任にある機関が審査の管理執行の手続に関する明文の規定に違反することがあるとき又は直接そのような明文の規定は存在しないが憲法において定められた最高裁判所裁判官の解職の制度である国民審査制度の基本理念が著しく阻害されるときを指すものと解されるところ,年齢満18歳及び満19歳の日本国民につき衆議院議員の選挙権を有するとしている本件規定が違憲である旨の主張が,上記のような無効原因に当たることをいうものとはいえない。
2 以上によれば,国民審査法36条の審査無効訴訟において,審査人が,同法37条1項所定の審査無効の原因として,年齢満18歳及び満19歳の日本国民につき衆議院議員の選挙権を有するとしている本件規定の違憲を主張し得るものとはいえない。
論旨は採用することができず,所論はその前提を欠くものといわざるを得ない。