第1 結論
一票の格差について最高裁判所が違憲又は違憲状態と判断した後,選挙区割りが是正される前であっても,衆議院を解散することは法律上可能であるというのが,昭和59年から令和4年まで一貫して示されてきた政府見解である。
もっとも,この政府見解は,是正前の解散をいつでも政治的に相当とするものではない。昭和59年の政府答弁は,法律上は可能であるとしつつ,仮に最高裁判所が選挙区割りを違憲と判断した場合には,その選挙制度による選挙となることを踏まえ,解散権の行使は慎重に行われなければならないと説明していた。
また,解散の有効性を裁判所が実体的に審査できるかは別の問題である。最高裁昭和35年6月8日大法廷判決(苫米地事件)は,高度に政治性のある国家統治の基本に関する行為について,法律上の争訟として有効又は無効を判断できないとした。東京地裁平成24年12月12日判決も,是正前の平成24年11月16日解散に対する内閣の助言と承認の無効確認請求を,実体判断に入らず却下した。
したがって,本記事の結論は,①政府は是正前の解散を法的に可能と解していること,②それは政治的相当性を当然に意味しないこと,③裁判所が解散の有効性を実体審査することには苫米地判決上の大きな制約があること,④実際に平成24年には選挙区割りの是正が完成する前に解散と総選挙が行われたこと,という四つの層に分けて理解する必要があるというものである。
第2 政府見解の法的構造
1 憲法上の位置付けと決定主体
日本国憲法7条3号は,天皇が内閣の助言と承認により「衆議院を解散すること」を国事行為として行うと定めている。実質的な解散の決定は内閣が行い,天皇は内閣の助言と承認に基づいて解散の国事行為を行うというのが,政府見解及び判例を前提とする制度上の整理である。
憲法69条は,衆議院で内閣不信任決議案が可決され,又は信任決議案が否決された場合,10日以内に衆議院が解散されない限り,内閣は総辞職しなければならないと定める。他方,政府は,解散が69条の場合だけに限定されるとは解していない。
憲法54条1項は,衆議院が解散されたときは,解散の日から40日以内に衆議院議員の総選挙を行い,選挙の日から30日以内に国会を召集しなければならないと定める。したがって,解散後の選挙は,その時点で施行されている公職選挙法及び選挙区割りにより実施されることになる。
2 「法律上可能」と「政治的に適切」の区別
政府答弁は,選挙区割りの違憲又は違憲状態が問題となっている場合でも,憲法上,解散権の行使を直接禁止する明文の規定はなく,現に施行されている公職選挙法を前提に選挙を行うほかないという法律論を示している。
しかし,政府答弁は,法律上の可否と政治的判断を同一視していない。とりわけ昭和59年及び昭和61年の答弁では,解散が法律上可能であるとしても,国民に信を問う必要性,一票の格差の程度,是正作業の進捗その他の政治状況を踏まえて慎重に判断すべきことが明示されている。
第3 昭和59年から昭和61年までの政府答弁
1 昭和59年12月20日答弁―法律上可能だが慎重に対処
昭和59年12月20日の参議院選挙制度に関する特別委員会で,味村治内閣法制局長官は,選挙区割りの違憲訴訟が係属中である状況でも,憲法には解散を制限する明文の規定がないため,「ぎりぎりの法律論」としては解散が法律上できないとはいえないと答弁した(参議院会議録第102回国会・第2号70発言)。
他方,味村長官は,仮に最高裁判所が選挙区割りを違憲と判断した場合,解散すればその違憲とされた選挙法による選挙となることを認め,そのような場合の解散権の行使は政治的に慎重でなければならないと答弁した(同78発言)。この答弁は,法律上の可能性と政治的相当性を明確に分けている。
2 最高裁昭和60年7月17日大法廷判決
最高裁昭和60年7月17日大法廷判決(昭和59年(行ツ)第339号,民集39巻5号1100頁)は,昭和58年12月18日施行の衆議院議員総選挙について,議員1人当たりの選挙人数の最大較差が1対4.40に達していた選挙区割りを,憲法の選挙権の平等の要求に反する状態にあったとし,合理的期間内に是正がされなかったため違憲であると判断した。
もっとも,同判決は,行政事件訴訟法31条1項の基礎にある一般的な法の基本原則を適用し,選挙自体は無効としなかった。いわゆる事情判決の法理による処理である。
3 昭和60年12月11日答弁
昭和60年12月11日の衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員会で,味村治内閣法制局長官は,最高裁昭和60年7月17日大法廷判決後の解散の可否について,次のとおり答弁した(衆議院会議録第103回国会・第4号42発言)。引用部分は,読みやすさのため,段落,番号及び読点の表記を整えている。
1 法律的な見地から申し上げますれば,最高裁判所の判決は,現在の議員定数配分規定が違憲状態になっており,しかも,その違憲状態の存続期間が合理的期間を超えたために違憲である,ただし,選挙そのものは有効である,こういう判断でございます。
2 そこで,判決は,この議員定数配分規定が無効であるとは申していないわけでございますので,仮に解散が行われることとなりました場合には,この現在の,違憲ではあるけれども有効な議員定数配分規定に基づいて選挙を行うということになるわけでございます。そういうことを最高裁判所も想定しておりまして,判決の中にも,選挙を無効とすることによる不都合な結果というものを挙げております。そういう意味から申しまして,解散につきましては,法律上の制約はないというふうに考えている次第でございます。
この答弁は,最高裁判決が定数配分規定を「無効」とせず,選挙も無効としなかったことを前提に,現行法による選挙が可能である以上,解散にも法律上の制約はないと説明したものである。
4 昭和61年4月23日答弁
昭和61年4月23日の衆議院法務委員会で,味村治内閣法制局長官は,是正前の解散をめぐる問題を,解散の許否と,解散後にいかなる選挙法で選挙を行うかという二つの問題に分けて,次のとおり答弁した(衆議院会議録第104回国会・第10号157発言)。引用部分は,読みやすさのため,段落及び読点の表記を整えている。
1 まず第一に,解散をしていいかどうかということと,それから,解散した場合にどういう選挙法によって選挙をすべきかという二つの問題があろうかと思うのでございます。
2 解散をしていいかどうかという問題につきましては,これはいろいろと政治的な状況等を判断いたしまして,どうしても国民に信を問う必要があるということでありますれば,解散をしてはならないということはないわけでございます。その場合に,実は選挙法がまだ改正になっておらないから,そういう場合でも解散ができないかという御質問になろうかと思うのでございますが,これはまさに政治的な判断として,そういう場合に,選挙法が改正になる前に解散をすべきかどうかということは御判断を願わなければならないことであろうと思います。
3 法律的に考えますと,さっきも申し上げましたように,あの判決自体から見ましても,もし選挙を無効といたしますと,現在の選挙法によって行われることとなる選挙そのものができなくなってしまう,そうすれば,現在の衆議院議員が存在しなくなった後,あるいは解散後には衆議院議員を選出することができなくなる,つまり,衆議院というものが存在しないということになってしまうから,選挙自体は無効にしないのだという趣旨のことも判決が言っているわけでございます。
4 そういうことから考えますれば,もし解散になった場合に,その解散後に行われる選挙は,現在の公職選挙法が唯一の法律でございますから,それに基づいて選挙せざるを得ないということになるわけでございまして,法律論としては,これが憲法に反して無効であるということは言えないだろうと考えております。
さらに,同日の答弁では,国民主権の下で国民に信を問う必要が生じたとき,定数是正前であることだけを理由に解散できないとすることが,かえって憲法の趣旨に沿わない場合もあり得るという説明がされた(同163発言)。
5 実際には8増7減後に解散
昭和61年の政治過程では,衆議院議員の定数配分を8増7減する公職選挙法改正が同年5月23日に昭和61年法律第67号として公布され,その後の同年6月2日に衆議院が解散され,同年7月6日に総選挙が行われた(国立国会図書館・日本法令索引,衆議院・総選挙一覧)。
したがって,昭和60年判決後には,是正前の解散を法律上可能とする政府答弁が存在したものの,実際の解散は定数是正法の公布後であった。
第4 平成23年大法廷判決と政府答弁書
1 最高裁平成23年3月23日大法廷判決
最高裁平成23年3月23日大法廷判決(平成22年(行ツ)第129号,集民236号249頁)は,平成21年8月30日施行の衆議院議員総選挙について,1人別枠方式及びこれを含む選挙区割りが,投票価値の平等の要求に反する状態に至っていたと判断した。
ただし,同判決は,憲法上要求される合理的期間内に是正されなかったとはいえないとして,選挙区割りを憲法に違反するとまでは判断しなかった。「平等の要求に反する状態」と「合理的期間を経過したことによる違憲」を二段階で審査した点が重要である。
2 平成23年5月17日答弁書
政府は,平成23年5月17日付け答弁書で,憲法上,内閣の衆議院解散権の行使について明文の制限はなく,どのような場合に解散を行うかは,内閣が政治的責任において決すべきものであるとした。
同答弁書は,前記大法廷判決が選挙区割りを憲法に違反するとは判断していないことから,選挙区割りが改定されるまで衆議院を解散することについて,憲法上の問題が生ずるとは考えていないとも述べた。これは,判決の二段階判断を踏まえた回答であり,「違憲状態」と「違憲」を区別しない説明は正確でない。
3 同年6月7日及び17日答弁書
政府は,平成23年6月7日付け答弁書及び同月17日付け答弁書でも,憲法上,解散権の行使について明文の制限はなく,解散を行うかは内閣が政治的責任において決すべきであるという見解を繰り返した。
6月17日付け答弁書は,選挙区割りが改定されるまで解散を行うことについて,憲法上の問題が生ずるとは考えていないと明記した。これらの答弁書により,平成23年大法廷判決後も,是正前の解散を法律上可能とする政府見解が維持されたことを確認できる。
第5 平成24年の是正前解散と裁判
1 0増5減法の成立日と同日の解散
平成24年11月16日,衆議院小選挙区選出議員の定数を0増5減する公職選挙法改正案が参議院で可決され,法律として成立した。同日,衆議院は解散された。改正法は同月26日に平成24年法律第95号として公布されたが,新しい区割りを定める別の法改正は解散時にも総選挙時にも完成していなかった。
このため,同年12月16日の総選挙は,平成23年大法廷判決が投票価値の平等の要求に反する状態にあるとした従前の選挙区割りにより実施された。この経過は,最高裁平成25年11月20日大法廷判決が認定している。
2 東京地裁平成24年12月12日判決
東京地裁平成24年12月12日判決(平成24年(行ウ)第831号)は,平成24年11月16日の解散について,天皇が行う衆議院解散に関する内閣の助言と承認が違法かつ無効であるなどとして,その無効確認が求められた事件である。
東京地裁は,苫米地事件の最高裁判決を引用し,解散が有効か無効かを審査することは,裁判所の権限の外にあり,内閣の助言と承認の有効性も同様に裁判所の審査権の外にあるとした。また,総選挙施行の公示に関する内閣の助言と承認については,公職選挙法が選挙後の選挙無効訴訟を特別の争訟手段として設けており,別個の無効確認訴訟は許されないとした。
重要なのは,同判決が「是正前の解散は憲法に適合する」と実体判断したものではないことである。訴えは,解散の有効性を裁判所が審査できないことなどを理由に却下された。
3 最高裁平成25年11月20日大法廷判決
最高裁平成25年11月20日大法廷判決(平成25年(行ツ)第209号ほか,民集67巻8号1503頁)は,平成24年12月16日総選挙時の選挙区割りが,平成23年大法廷判決時と同様に投票価値の平等の要求に反する状態にあったと判断した。
もっとも,同判決は,平成23年判決から選挙まで約1年9か月であり,その間に0増5減法が成立したことなどを考慮し,憲法上要求される合理的期間内に是正されなかったとはいえないとして,選挙区割りを違憲とはしなかった。
平成24年の経過は,是正前の解散を法律上可能とする政府見解が,現実の政治過程で問題となった例である。ただし,解散そのものの実体的な合憲性について最高裁判所が判断した例ではない。
第6 平成28年以降の政府答弁
1 平成28年1月及び10月の答弁
安倍晋三内閣総理大臣は,平成28年1月28日の衆議院予算委員会で,選挙制度改革の議論中であっても,現行公職選挙法が内閣による衆議院解散権の行使を否定するものではないと答弁した(衆議院会議録第190回国会・第7号12発言)。
また,高市早苗総務大臣は,同年10月26日の衆議院政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会で,憲法上,解散権の行使について明文の制限はなく,解散が行われた場合には,憲法54条に従い,その時点の選挙区割りによって40日以内に総選挙を行うことになると答弁した(衆議院会議録第192回国会・第2号87発言)。
2 令和4年3月10日答弁
木村陽一内閣法制局第一部長は,令和4年3月10日の衆議院政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会で,衆議院の解散は,内閣が政治的責任において決すべきものであり,憲法上,解散権の行使について明文の制限はないという従来の政府見解を説明した(衆議院会議録第208回国会・第3号5発言)。
昭和59年から令和4年までの答弁を通覧すると,政府は,是正前の解散の法律上の可能性を一貫して肯定しつつ,具体的な解散の是非は内閣が政治的責任において判断するという立場を維持している。
第7 解散に対する司法審査と制限論
1 苫米地事件最高裁判決
最高裁昭和35年6月8日大法廷判決(昭和30年(オ)第96号,民集14巻7号1206頁)は,衆議院解散のような,高度に政治性のある国家統治の基本に関する行為について,法律上の争訟として裁判所が有効又は無効の判断をすることはできないとした。
同判決は,解散が全く法的統制を受けないと述べたものではなく,その当否は,国民の政治的批判に委ねられるとした。東京地裁平成24年12月12日判決は,この判断を内閣の助言と承認の有効性にも及ぼしたものである。
2 政府見解と学説上の制限論
政府が解散権について明文の制限はないと答弁していることは,解散権に法的又は憲法的な限界を認める学説が存在しないことを意味しない。衆議院憲法審査会事務局「『衆議院の解散』に関する資料」は,解散権の非限定説を採る場合でも無制限説と同義ではないとの議論,解散理由の明示,解散予告期間その他の手続的統制に関する議論を紹介している。
一票の格差との関係で,是正前の解散を憲法上許されない類型の一つとする見解も公表されている。他方,具体的な解散の必要性と選挙制度是正の必要性をどの基準で比較するか,その基準を裁判所が審査できるかという困難がある。したがって,政府答弁の紹介と学説上の評価は区別して記載すべきである。
3 解散権を制限する法律案の状況
第217回国会には,憲法69条の場合を除き,解散の10日前までに解散の理由と時期を国会に通知することなどを内容とする衆議院解散手続法案が提出された。また,第221回国会には,解散から総選挙までの期間を原則として26日以上確保することなどを内容とする公職選挙法改正案が提出された。
これらはいずれも,令和8年8月11日現在,成立した法律ではない(衆議院解散手続法案の経過情報,公職選挙法改正案の経過情報)。したがって,現行法上の制限として記載することはできない。
第8 直近の一票の格差訴訟との関係
令和6年10月27日施行の衆議院議員総選挙について,最高裁令和7年9月26日第二小法廷判決(令和7年(行ツ)第155号)は,選挙区間の最大較差が1対2.059であったことなどを踏まえ,選挙区割りは投票価値の平等の要求に反する状態にあったとはいえないとした。反対意見は,投票価値の較差が違憲状態にあったとした。
令和8年2月8日施行の衆議院議員総選挙については,仙台高裁秋田支部令和8年6月5日判決(令和8年(行ケ)第1号)が,最大較差1対2.097の選挙区割りを投票価値の平等の要求に反する状態にあったとはいえないとして,選挙無効請求を棄却した。令和8年8月11日現在,この総選挙に関する最高裁判決は裁判所ウェブサイトで確認できない。
これらの直近の判決は,是正前の解散の可否を直接判断したものではない。解散時点又は総選挙時点の選挙区割りが憲法上どの状態にあるかという前提事情を判断する資料として位置付けられる。
第9 関連記事
① 衆議院の解散
⑥ 選挙無効訴訟とは|第1号法定受託事務との関係・公職選挙法204条(AIリライト)
第10 出典・参考資料
1 法令
① 日本国憲法7条3号,43条2項,44条,47条,54条1項及び69条
② 昭和61年法律第67号(国立国会図書館・日本法令索引)
③ 衆議院小選挙区選出議員の選挙区間における人口較差を緊急に是正するための公職選挙法及び衆議院議員選挙区画定審議会設置法の一部を改正する法律(平成24年法律第95号)
2 裁判例
① 最高裁昭和35年6月8日大法廷判決,昭和30年(オ)第96号,民集14巻7号1206頁
② 最高裁昭和60年7月17日大法廷判決,昭和59年(行ツ)第339号,民集39巻5号1100頁
③ 最高裁平成23年3月23日大法廷判決,平成22年(行ツ)第129号,集民236号249頁
④ 東京地裁平成24年12月12日判決,平成24年(行ウ)第831号
⑤ 最高裁平成25年11月20日大法廷判決,平成25年(行ツ)第209号ほか,民集67巻8号1503頁
⑥ 最高裁令和7年9月26日第二小法廷判決,令和7年(行ツ)第155号
⑦ 仙台高裁秋田支部令和8年6月5日判決,令和8年(行ケ)第1号
3 国会答弁・公的資料
① 第102回国会参議院選挙制度に関する特別委員会第2号(昭和59年12月20日)70発言及び78発言
② 第103回国会衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員会第4号(昭和60年12月11日)42発言
③ 第104回国会衆議院法務委員会第10号(昭和61年4月23日)157発言及び163発言
⑦ 第190回国会衆議院予算委員会第7号(平成28年1月28日)12発言
⑧ 第192回国会衆議院政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会第2号(平成28年10月26日)87発言
⑨ 第208回国会衆議院政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会第3号(令和4年3月10日)5発言
⑩ 衆議院憲法審査会事務局「『衆議院の解散』に関する資料」(衆憲資第104号,令和7年5月),25頁,35頁~37頁,44頁及び48頁
4 文献
① 樋口雄人「衆議院解散権の限界」憲法研究53号75頁(令和3年),86頁及び88頁~89頁