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ポツダム宣言第9項と復員――武装解除・帰還・経済的再統合(AI作成)

第1 この記事が答える問い

ポツダム宣言第9項は,武装解除された日本軍の将兵が家庭に復帰し,平和的かつ生産的な生活を営む機会を与えられるべきことを定めた。
本記事は,この約束が実施の場面でどう扱われたのかを扱う。

結論を先に述べる。
第9項は宣言の中で最も早く確定し,最後まで一切修正されなかった条項であり,独伊の降伏文書にも先例のない,敗戦国の将兵個人に向けた異例の条項であった。
他方,帰還後の生活の保障という面では,復員者は失業保険の対象から外され,農地改革の対象にもならず,代わりに用意された緊急開拓事業も計画から大幅に縮小された。

第2 第9項は何を約束した条項か

1 条文

第9項の英語正文と外務省仮訳は次のとおりである。

“(9) The Japanese military forces, after being completely disarmed, shall be permitted to return to their homes with the opportunity to lead peaceful and productive lives.”

「九 日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルベシ」

2 宣言中で最も早く固まり,最後まで動かなかった

米国務省の公刊外交文書により,第9項の起草過程を確認すると,次のことがいえる。

1945年7月2日の最初の正式草案では,やや曖昧な構文であった。
しかし,同月6日から9日ころの次の草案で既に最終稿と一字一句同一の形に到達し,以後,7月24日の対英提示案,同月25日のチャーチル書簡添付文書,同月26日の最終確定稿まで,24日間にわたり一切変更されていない。
英国代表団の修正提案一覧にも第9項は現れず,チャーチルの書簡も第9項に触れていない。

これは,実物賠償の挿入を受けた第11項,第2文が全面的に書き換えられた第10項,皇室条項が削除された第12項とは対照的である。

3 独伊の降伏文書に先例がない条項である

ドイツ(1945年5月)及びイタリア(1943年9月)の各降伏文書を確認すると,武装解除と復員はいずれも戦勝国側が課す義務・権利としてのみ規定されている。
敗戦国の将兵個人について「帰郷」や「平和的な生活の機会」を保障する条項は存在しない。

大西洋憲章(1941年8月)にも,「平和的かつ生産的な生活」に逐語で対応する文言はない。

第3 復員と引揚げは別のものである

復員は軍人・軍属の帰還と部隊の解体を指し,引揚げは民間人の帰還を指す。
資料により両者が混用されることがあるため,人数や時期を読むときは,どちらの数字かを確認する必要がある。

戦域ごとの降伏の完了時期は「日本軍の降伏完了はいつか」で扱っている。

第4 復員兵は失業保険の対象から外された

1 国会での答弁

1947年11月18日の参議院労働委員会で,失業保険法・失業手当法の審議に際し,復員者・引揚者の扱いが正面から取り上げられた。

米窪滿亮労働大臣は,一般の引揚者はともかく復員軍人については「関係筋」すなわちGHQの考え方があり,法律の対象に含められなかったと答弁している。
旧軍人を対象とする給付制度の創設について,占領軍が特有の慎重な姿勢を持っていたことを示す一次資料である。

2 除外されたまま可決された

委員から,復員者及び引揚者も対象とすべきであるという要望が述べられたが,結局,両者は対象から除外されたまま可決された。
救済のための附帯決議が実際にどう採択されたかは,確認した会議録の範囲では確定できていない。

第5 受け皿は農地改革ではなく緊急開拓事業であった

1 農地改革の対象は「耕作者」であった

「農地改革が復員兵の帰農先になった」という説明は,厳密には正確でない。

自作農創設特別措置法第1条は,対象を「耕作者」,すなわち既存の小作人に限定している。
同法の法源となった占領軍の指令(SCAPIN-411)の英文にも,復員軍人・引揚者への言及はない。

2 緊急開拓事業とその縮小

復員者・引揚者を明示的な対象としたのは,農地改革とは別建ての緊急開拓事業実施要領(1945年11月9日閣議決定)であった。
5年間で100万戸の入植を計画するものである。

しかし,1947年10月の要領改定で新規入植計画は34万6千戸に縮小され,目的規定からも復員者等の帰農対策という文言が削られた。
累計の入植戸数は21万1千戸,入植を継続した戸数は当初の半分以下の9万3千戸にとどまる。

第6 「平和的且生産的ノ生活」という文言は当時ほとんど使われていない

国会会議録を全期間にわたり検索したところ,この文言が実質的に用いられた最初の例は1951年であり,引揚げの促進を求める文脈であった。
1945年から1948年にかけての再就職支援策や農地改革の政策形成の過程で,この文言そのものが引用された例は,確認した範囲では見当たらない。

ヒットの大半は1990年代から2000年代のものであり,「シベリア抑留は第9項に違反したか」という歴史的評価の文脈で用いられている。

すなわち,第9項の文言は,政策形成期にはほとんど参照されず,後年になって違反の有無を論じる場面で使われるようになった。

第7 各論を扱う記事

第9項をめぐる個別の問題は,次の記事で扱う。

①軍人恩給がなぜ停止され,いつ復活したか → 「軍人恩給はなぜ停止され,いつ復活したのか
②シベリア抑留が第9項違反といえるか → 「シベリア抑留はポツダム宣言第9項違反か

第8 出典・参考資料

1 条約・法令

①ポツダム宣言第9項(1945年7月26日)
②自作農創設特別措置法
③失業保険法,失業手当法(いずれも1947年)

2 公文書・国会会議録

①United States Department of State, Foreign Relations of the United States, The Conference of Berlin, 1945, Volume I, Document 592・594,同Volume II, Document 1244・1249・1382
②第1回国会参議院労働委員会会議録(1947年11月18日)
③緊急開拓事業実施要領(1945年11月9日閣議決定)
④SCAPIN-411