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人権指令(SCAPIN-93)とは何か――政治犯釈放・特高警察廃止と東久邇宮内閣総辞職(AI作成)

第1 この記事が答える問い

人権指令は何を命じ,日本側はどう実施し,その結果として何が起きたのか。
本記事は,指令の内容と,それが日本の統治機構に与えた直接の影響を扱う。

治安維持法が廃止された法形式と,有罪判決を受けた者のその後は「治安維持法はいつ・どのように廃止されたのか」で扱う。
本記事は指令そのものに範囲を限る。

第2 指令の書誌

1 名称・番号・交付の日時

人権指令は,正式には「政治的,公民的及び宗教的自由に対する制限の除去の件」と題する覚書であり,SCAPIN-93の番号が付されている。
1945年10月4日18時,中央連絡事務所を経由して日本政府へ交付された。

2 前日まで内務大臣は取締りの継続を明言していた

指令の前日である1945年10月3日,山崎巌内務大臣は外国人記者に対し,治安維持法による取締りを継続する旨を明言していた。
この発言との対比で,指令の即応性が際立つ。

第3 指令が命じた内容

1 思想取締法令15件の廃止

指令は,治安維持法,思想犯保護観察法等15件の法令の廃止を命じた。

2 被拘禁者の即時釈放

「保護又は観察」の下にある一切の者の即時釈放を命じ,実施の期限を1945年10月10日と定めた。

3 特別高等警察の廃止と警察幹部の罷免

特別高等警察を含む秘密警察機関の廃止と,内務大臣以下の警察幹部の罷免を命じた。
指令が一国の閣僚の罷免にまで及んでいる点は,占領下の指令の性質を示している。

4 実施状況の報告義務

1945年10月15日までに,実施状況を包括的に報告することを求めた。

第4 東久邇宮内閣の総辞職

1 指令の翌日に総辞職を決めた

東久邇宮内閣は指令の履行を躊躇し,1945年10月5日に総辞職を決断した。
1945年10月9日,幣原喜重郎内閣が成立した。

2 総辞職の理由の説明は一様ではない

公式に示された理由は「終戦事務の一段落」であった。
これに対し,後年の回顧には,占領軍の強権に接して内閣の継続が不可能と考えたとする説明もある。

同時代の公式説明と後年の回顧のいずれを採るかで評価が変わるため,本記事では双方を併記し,一方に断定しない。

第5 幣原内閣による実施

1 政治犯の釈放

1945年10月10日午前10時,府中刑務所から徳田球一,志賀義雄らが釈放された。
同日午後には「自由戦士出獄歓迎人民大会」が開催され,参加者は約3,000人と伝えられる。

2 勅令による法令の廃止

幣原内閣は1945年10月15日,昭和20年勅令第575号により,治安維持法及び思想犯保護観察法等を廃止した。
この勅令は,いわゆるポツダム緊急勅令(昭和20年勅令第542号)を根拠とする命令である。

法律を勅令で廃止するというこの構造については「日本国憲法外で法的効力を有していたポツダム命令」及び「治安維持法はいつ・どのように廃止されたのか」で扱う。

第6 ポツダム宣言第10項との関係

第10項は,日本国政府が民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去すべきこと,及び言論・宗教・思想の自由並びに基本的人権の尊重が確立されるべきことを求めていた。

人権指令は,このうち「障害の除去」を,法令の廃止と警察機構の解体という形で具体化したものと位置付けられる。
第10項の文言と起草過程は親記事で扱っている。

第7 確認できなかったこと

①全国での政治犯釈放者の総数。「約3,000人」という数字が流布しているが,これは前記の人民大会の参加者数との混同の疑いがある。
②GHQ内部で指令を実質的に起草した部局。
③廃止の勅令の番号と日付について,資料により昭和20年勅令第575号・10月15日とするものと,勅令第542号・10月13日とするものがある。本記事は,独立した3系統の資料が一致する前者を採った。

第8 出典・参考資料

1 占領指令・法令

①SCAPIN-93「政治的,公民的及ビ宗教的自由ニ対スル制限ノ撤廃ニ関スル件」(1945年10月4日)
②昭和20年勅令第575号(1945年10月15日公布・施行)
③昭和20年勅令第542号(ポツダム緊急勅令)

2 公文書・歴史資料

①国立国会図書館所蔵の日本占領関係資料
②官報