第1 この記事の対象と全体像
本記事が扱うのは,遺言者が遺言執行者を指定した遺言を残して死亡した場合に,相続人が民法上どのような制約を受け,どのような請求ができ,遺言執行者に問題があるときにどのような手続を取れるかという点である。
遺言執行者の選び方や報酬体系そのものは対象としない。
相続人が直面する主な場面を整理すると,次のとおりである。
| 場面 | 相続人が単独でできるか | 根拠 |
|---|---|---|
| 遺言と異なる内容で相続財産を処分する | できない(違反行為は無効) | 民法1013条1項・2項 |
| 特定財産承継遺言の対象不動産を自己名義に相続登記する | できる | 民法899条の2,1014条2項 |
| 遺贈の対象財産を受遺者名義に移転登記する | できない(遺言執行者だけができる) | 民法1012条2項 |
| 遺産分割前に預貯金の一部を仮払いで受け取る | 制度上は可能だが,対象財産が遺言執行の対象になっていないかの確認を要する | 民法909条の2 |
| 遺留分侵害額請求をする | できる(相手方は遺言執行者ではなく受遺者・受贈者) | 民法1046条 |
| 遺言執行者を解任してもらう | 家庭裁判所に請求できる | 民法1019条1項 |
以下,これらの根拠と限界を条文及び裁判例に即して説明する。
第2 処分禁止の内容と違反行為の効力
1 遺言執行者の就任と任務開始
遺言者は,遺言で1人又は数人の遺言執行者を指定するか,その指定を第三者に委託することができる(民法1006条1項)。
遺言執行者がないとき,又はいなくなったときは,家庭裁判所が利害関係人の請求によって選任することもできる(同法1010条)。
指定又は選任された者が就職を承諾すると,直ちにその任務を行わなければならない(同法1007条1項)。
未成年者及び破産者は遺言執行者になることができない(同法1009条)。
2 相続人による処分等の禁止
遺言執行者がある場合,相続人は,相続財産の処分その他遺言の執行を妨げるべき行為をすることができない(民法1013条1項)。
「相続財産の処分」には,遺言の対象となった特定の財産を第三者に売却する行為だけでなく,これに抵当権を設定する行為も含まれる。
禁止されるのは遺言の内容に反する処分等であり,遺言の内容に沿った行為や,遺言執行者の職務を妨げない行為まで一律に禁止されるわけではない。
3 違反行為の無効と善意の第三者保護
前記の禁止に違反してした行為は無効であるが,この無効は善意の第三者に対抗することができない(同条2項)。
最高裁判所第一小法廷昭和62年4月23日判決は,遺言により不動産の遺贈を受けた者が,遺言執行者に指定された者の就職承諾前に相続人がその不動産へ設定した抵当権の実行としての競売手続について,第三者異議の訴えによってその排除を求めた事案である。
同判決は,民法1012条及び1013条は「遺言者の意思を尊重すべきものとし,遺言執行者をして遺言の公正な実現を図らせる目的に出たもの」であるとした上で,相続人が同法1013条に違反してした処分行為は無効であり,受遺者は登記なくして目的不動産の所有権取得を処分行為の相手方に対抗できるとした。
同判決はさらに,遺言執行者として指定された者が就職を承諾する前であっても,同条にいう「遺言執行者がある場合」に当たるとした。
したがって,指定された遺言執行者がまだ現実に動いていない段階であっても,相続人が遺言に反する処分をすれば無効となり得る。
4 相続人の債権者による権利行使への影響
前記の処分禁止及び無効の規定は,相続人の債権者が相続財産についてその権利を行使することまでは妨げない(同条3項)。
相続債権者,すなわち被相続人に対する債権者もこれに含まれる。
もっとも,この規定が及ぶのは相続人の債権者による権利行使であって,相続人自身が遺言に反して行う処分行為が有効になるわけではない。
第3 相続人が遺言執行者から受けられる通知と説明
1 任務開始の通知
遺言執行者は,その任務を開始したときは,遅滞なく,遺言の内容を相続人に通知しなければならない(民法1007条2項)。
通知すべき事項は遺言の内容であり,就職した事実だけを知らせれば足りるものではない。
この通知の有無は,遺言執行の効力そのものとは関係しない。
2 相続財産目録の作成及び交付
遺言執行者は,遅滞なく相続財産の目録を作成して,相続人に交付しなければならない(民法1011条1項)。
相続人から請求があったときは,相続人の立会いの下で目録を作成するか,公証人に作成させなければならない(同条2項)。
3 通知が来ないときの催告
遺言執行者に指定された者から連絡がないまま時間が経過している場合,相続人その他の利害関係人は,相当の期間を定めて,その期間内に就職を承諾するかどうかを確答すべき旨を催告することができる(民法1008条)。
この期間内に相続人に対して確答がなければ,就職を承諾したものとみなされる。
就職を承諾した後の遺言執行者が任務を怠っている場合の対処は,後記第5の解任手続による。
第4 遺言執行者がいても相続人ができること
1 特定財産承継遺言の対抗要件具備
特定の遺産を特定の相続人に承継させる旨の遺言(特定財産承継遺言)があったときは,当該相続人は,法定相続分を超える部分について,登記その他の対抗要件を備えなければ第三者に対抗できない(民法899条の21項)。
遺言執行者があるときは,遺言執行者もまた,当該相続人がこの対抗要件を備えるために必要な行為をすることができる(同法1014条2項)。
対象財産が預貯金債権であるときは,遺言執行者は,その払戻しの請求をすることができ,預貯金債権の全部が特定財産承継遺言の目的であるときは解約の申入れもできる(同条3項)。
最高裁判所第三小法廷平成7年1月24日判決は,平成30年改正前の「相続させる旨の遺言」の事案について,最高裁判所第二小法廷平成3年4月19日判決(特定の遺産を特定の相続人に相続させる旨の遺言により,当該相続人が被相続人の死亡と同時にその遺産を承継するとした判決)を引用しつつ,対象相続人は被相続人の死亡と同時に当該不動産の所有権を取得し,単独でその旨の所有権移転登記手続をすることができ,遺言執行者はその登記手続をする義務を負わないと判示した。
現行民法が遺言執行者にも対抗要件具備行為の権限を認めたのは,この判例法理を前提として,対象相続人本人による単独登記と遺言執行者による対抗要件具備行為とを併存させる趣旨によるものである。
したがって,遺言執行者がいるからといって,対象相続人が自分名義への相続登記をすることまで妨げられるわけではない。
2 遺産分割前の預貯金の払戻し制度との関係
各共同相続人は,遺産に属する預貯金債権について,相続開始時の債権額の3分の1に自己の法定相続分を乗じた額(金融機関ごとに法務省令で定める上限あり)まで,単独でその権利を行使することができる(民法909条の2)。
この制度は遺言執行者の有無にかかわらず利用できるものであるが,対象の預貯金が特定財産承継遺言又は遺贈の目的財産となっている場合には,遺言執行者による対抗要件具備行為や払戻し(前記1)と競合し得る。
このような競合が生じ得る場面では,先に遺言執行者に連絡を取り,対象財産の範囲を確認しておくことが実務上の対応として考えられる。
3 遺留分侵害額請求は遺言執行者に対してする請求ではない
遺留分権利者及びその承継人は,受遺者(特定財産承継遺言により財産を承継した相続人を含む。)又は受贈者に対し,遺留分侵害額に相当する金銭の支払を請求することができる(民法1046条1項)。
この請求の相手方は受遺者又は受贈者であって,遺言執行者ではない。
遺言執行者がいることは,遺留分侵害額請求権の行使自体を妨げるものではないが,この請求権は,遺留分権利者が相続の開始及び遺留分を侵害する贈与又は遺贈があったことを知った時から1年間行使しないときは時効によって消滅し,相続開始の時から10年を経過したときも消滅する(民法1048条)。
遺言執行者からの通知(前記第3の1)を受けて遺言の内容を知った時点が,この1年の期間の起算点として問題になり得る。
第5 遺言執行者に問題があるときの手続
1 処分制限は放置によって当然には外れない
遺言執行者からの連絡が長期間なく,又は遺言執行者が実際に何もしていないように見える場合であっても,そのことだけを理由に,前記第2の2の処分禁止が当然に消滅するわけではない。
民法1013条の文言上,遺言執行者の不作為の継続によって相続人の処分権限が回復する旨を定めた規定は存在しない。
相続人が処分制限から解放されるための法定の手段は,次に述べる解任の手続である。
2 解任請求の要件と管轄
遺言執行者がその任務を怠ったとき,その他正当な事由があるときは,利害関係人は,その解任を家庭裁判所に請求することができる(民法1019条1項)。
相続人は,遺言の履行について利害関係を有する者として,この解任請求をすることができる。
遺言執行者の選任,報酬の付与,解任及び辞任の許可に関する審判事件は,相続を開始した地,すなわち被相続人の最後の住所地を管轄する家庭裁判所の管轄に属する(家事事件手続法209条1項)。
3 解任手続の進み方と保全処分
家庭裁判所は,遺言執行者の解任の審判をするときは,遺言執行者本人の陳述を聴かなければならない(家事事件手続法210条1項)。
解任の審判がされたときは,相続人にもその旨が告知される(同法213条)。
解任の申立てを却下する審判に対しては利害関係人が,解任の審判そのものに対しては遺言執行者が,それぞれ即時抗告をすることができる(同法214条)。
さらに,解任の申立てがあった場合において,遺言の内容の実現のため必要があるときは,申立人の申立てにより,解任の審判が効力を生ずるまでの間,家庭裁判所が遺言執行者の職務の執行を停止し,又はその職務代行者を選任する保全処分を発することができる(同法215条1項)。
任務懈怠が疑われる場合,相続人としては,解任の申立てとあわせてこの保全処分の申立てを検討することになる。
4 辞任にも家庭裁判所の許可が必要
遺言執行者の側から任務を辞める場合も,正当な事由があるときに家庭裁判所の許可を得て初めて辞任することができる(民法1019条2項)。
遺言執行者が一方的に辞める旨を相続人に伝えただけでは,法的に任務が終了したことにはならない。
第6 遺言執行者の報酬と費用が相続人に与える影響
1 報酬の定め方
遺言執行者の報酬は,遺言者が遺言でこれを定めているときはその定めによる(民法1018条1項ただし書)。
遺言に定めがないときは,家庭裁判所が,相続財産の状況その他の事情を考慮して報酬を定めることができる(同項本文)。
2 執行費用の負担と遺留分との関係
遺言の執行に関する費用は,相続財産の負担とされる(民法1021条)。
ただし,この費用負担によって遺留分を減ずることはできない(同条ただし書)。
遺言執行者の報酬及び費用は遺産全体から支出されるため,遺贈を受けない相続人にとっても無関係な費目ではない。
第7 相続人自身が遺言執行者を兼ねる場合
現行民法上,遺言執行者になることができない者は未成年者及び破産者に限られており,相続人や受遺者はこれに含まれない(民法1009条)。
法務省の法制審議会民法(相続関係)部会の部会資料「遺言執行者の権限の明確化等」では,受益相続人や受遺者を遺言執行者の欠格事由とすべきであるとの検討がされたことがあるが,この検討は現行の欠格事由の規定には反映されていない。
したがって,相続人の1人が遺言執行者に指定されること自体は,現行法上妨げられない。
もっとも,遺言執行者を兼ねる相続人の代理人として弁護士が就いている場合,その弁護士が遺言執行者としての中立的な立場と,特定の相続人の代理人としての立場とを両立できるかは別の問題である。
この点は,日本弁護士連合会の懲戒先例を含めて当ブログの別記事〔遺言執行者が特定の相続人の代理人をしたことに関する,弁護士会の懲戒例〕で整理しているため,本記事では,相続人自身が遺言執行者に指定される場面自体は現行法上適法であるという点にとどめる。
出典・参考資料
1 法令
①民法(明治29年法律第89号)1006条~1021条,899条の2,909条の2,1046条,1048条(e-Gov法令検索)
②家事事件手続法(平成23年法律第52号)209条,210条,213条,214条,215条,別表第一の104の項から107の項まで(e-Gov法令検索)
2 裁判例
①最高裁判所第一小法廷昭和62年4月23日判決(昭和61年(オ)第264号,民集41巻3号474頁,裁判所ウェブサイト)
②最高裁判所第三小法廷平成7年1月24日判決(平成3年(オ)第1057号,裁判集民事174号67頁,裁判所ウェブサイト)
③最高裁判所第二小法廷平成3年4月19日判決(平成元年(オ)第174号,民集45巻4号477頁,裁判所ウェブサイト)
3 公的資料
①法務省法制審議会民法(相続関係)部会「遺言執行者の権限の明確化等」
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