第1 この記事が答える問い
広島と長崎には,原子爆弾の投下前に警告のビラがまかれていた,という説明を目にすることがある。
本記事は,この説明が資料によって裏付けられるかを検討する。
結論を先に述べる。
広島又は長崎を名指しして原子爆弾の投下を事前に警告したビラは,本記事の調査で確認した資料の範囲では存在しない。
実在したのは,①原子爆弾に言及したビラ(ただし広島への投下後に作られたもの),②通常爆撃を予告したビラ(原子爆弾とは無関係のもの),③降伏交渉の内容を伝えたビラ(投下後のもの)であり,これらが混同されている。
第2 4種類のビラを区別する
この問題を検討するには,性質の異なるビラを区別しなければならない。
本記事では次の4種類に分ける。
①通常爆撃の予告ビラ 数日以内に通常爆撃を行う都市名を挙げて退避を促すもの。原子爆弾とは無関係である。
②宣言の内容を伝えるビラ ポツダム宣言の本文を日本国民へ伝えるもの。
③原子爆弾に言及したビラ 新型爆弾の存在と威力を告げるもの。都市名の名指しはない。
④降伏交渉を伝えるビラ 日本政府の降伏申入れと連合国側の回答を伝えるもの。
このうち②については,米側が放送用の日本語訳とビラ用の日本語訳を統一する運用を採っていたことが,米国務省の公刊外交文書から確認できる。
その経過は「ポツダム宣言は日本政府にどのように伝わったか」で扱う。
第3 原爆に言及したビラ
1 ビラの本文
ハリー・S・トルーマン大統領図書館は,「AB-11」という番号の付いた文書を所蔵している。
同館の「Miscellaneous Historical Documents Collection」no.258として,日本人向けに投下されたビラの英訳が収録されている。
日付は1945年8月6日付とされている。
その本文は次のとおりである。
“TO THE JAPANESE PEOPLE:
“America asks that you take immediate heed of what we say on this leaflet.
“We are in possession of the most destructive explosive ever devised by man. A single one of our newly developed atomic bombs is actually the equivalent in explosive power to what 2000 of our giant B-29’s can carry on a single mission. This awful fact is one for you to ponder and we solemnly assure you it is grimly accurate.
“We have just begun to use this weapon against your homeland. If you still have any doubt, make inquiry as to what happened to Hiroshima when just one atomic bomb fell on that city.
“Before using this bomb to destroy every resource of the military by which they are prolonging this useless war, we ask that you now petition the Emperor to end the war. […]
“You should take steps now to cease military resistance. Otherwise, we shall resolutely employ this bomb and all our other superior weapons to promptly and forcefully end the war.”
EVACUATE YOUR CITIES
2 本文が広島を既に起きたこととして語っていること
注目すべきは,第4段落である。
「我々はこの兵器を貴国本土に対して使用し始めたばかりである。なお疑うのであれば,たった1発の原子爆弾が広島に落ちたときに何が起きたかを問い合わせてみるがよい」という趣旨の文言が置かれている。
これは,広島への投下を既に起きた事実として引き合いに出すものである。
広島に対する事前の警告ではあり得ない。
宛先も「TO THE JAPANESE PEOPLE」(日本国民一般)であり,特定の都市を名指ししていない。
文面の構造は,①広島への投下という既成事実を示し,②これを根拠に他の都市への使用の可能性を告げ,③天皇への降伏請願と都市からの退避を促す,というものである。
3 所蔵機関自身の説明
トルーマン大統領図書館は,教員向けの設問集の中で,このビラについて「This leaflet was dropped after the first atomic bomb was delivered」(このビラは最初の原子爆弾が投下された後にまかれた)と明記している。
所蔵機関自身が,事前の警告ではないことを前提として教材を作っている。
4 起草は広島への投下の翌日に命じられた
核兵器史を専門とする研究者アレックス・ウェラースタインは,米国立公文書館所蔵の一次資料(1946年5月23日付,モイナハン中佐からグローブス将軍宛ての「History Psychological Warfare, Manhattan Project」,Record Group 77所在)に基づき,この種のビラの作成経過を再構成している。
それによれば,原子爆弾に関する宣伝ビラの準備が命じられたのは1945年8月7日,すなわち広島への投下の翌日である。
サイパンで起草作業が行われ,翌8日朝に完成案がテニアン島で承認された。
さらに8月9日のソ連の参戦を受けて内容の追加が必要となり,作業は遅れた。
同氏の結論は次のとおりである。
“leaflets specifically warning about atomic bombs were created […] but they weren’t dropped on either Hiroshima or Nagasaki before they were atomic bombed.”
原子爆弾について明示的に警告するビラは作られたが,広島にも長崎にも,原子爆弾が投下される前にはまかれなかった,という趣旨である。
長崎については,投下の翌日にこの種のビラを受け取ったとされている。
5 日本側の資料が記す投下都市
日本語版ウィキペディア「広島市への原子爆弾投下」は,日本側の編纂資料(広島市『広島原爆戦災誌』第5巻資料編,及び防衛庁防衛研修所戦史室編『戦史叢書』第93巻)を典拠として,AB-11が1945年8月9日から10日朝にかけて大阪,長崎,福岡及び東京に投下され,ソ連の参戦を記したAB-12が10日に熊本,八幡,大牟田及び横浜に投下されたと記している(2026年8月22日確認時点)。
このうち長崎については,投下(8月9日11時2分)の前か後かを,この記述だけでは一意に確定できない。
「8月9日から10日朝にかけて」という幅のある表現であるためである。
もっとも,前記のとおり,このビラの本文自体が広島への投下を既成事実として語っている以上,これを広島への事前警告として扱うことはできない。
長崎について投下の前後いずれであったかは,なお確認を要する事項として残る。
第4 通常爆撃を予告したビラ
1 ビラの内容
原子爆弾とは無関係に,通常爆撃を予告するビラが多数まかれていたことは,複数の資料から確認できる。
米中央情報局の機関誌Studies in Intelligence(2002年)に掲載された論文は,1945年7月28日正午までに,OWIのサイパンの印刷所が,数日以内に爆撃予定の日本の35都市に退避を促す通知を刷り上げていたと記す。
約100万枚が対象都市にまかれ,5機のB29が爆弾を投下する図の下に,対象都市名が日本語で記載されていたという。
ビラの本文は,これを読めば自分又は家族・友人の命を救うかもしれないこと,数日以内に裏面に記載した都市の一部又は全部が爆撃で破壊されること,攻撃されるのがこれらの都市だけとは約束できないこと,直ちに退避すべきことを述べるものであった。
2 広島が対象都市に含まれていたかは資料が対立する
この種のビラの対象都市に広島・長崎が含まれていたかについては,信頼できる資料の間で見解が分かれている。
前記のCIA機関誌の論文は,OWI通知第2106号(通称ルメイ爆撃ビラ)が1945年8月1日に広島,長崎及び他の33都市へ配布されたと明記する。
これに対し,2026年5月号のAmerican Political Science Review誌に掲載された査読論文は,次のように述べて明確に否定する。
“The leaflets dropped in late July and early August listed various Japanese cities that would be firebombed, but Hiroshima was not one of them. Moreover, no leaflet ever mentioned the atomic bomb.”
7月末から8月初めにまかれたビラは焼夷弾攻撃の対象となる各都市を列挙していたが,広島はその中に含まれておらず,しかもいかなるビラも原子爆弾に言及したことはない,という趣旨である。
英語版ウィキペディア「Atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki」も,米陸軍航空軍の公式戦史等を引用しつつ,33都市を列挙したビラに広島は載っていなかったとする。
同時に同項目は,最後にビラがまかれた日について複数の研究文献が異なる日付を挙げていることを併記しており,この点を解消していない。
前記のウェラースタインも,2013年の段階で,原子爆弾の投下目標であった都市は通常爆撃の対象から温存されていたはずであるとして,CIA機関誌の記述に疑義を呈していた。
実際,候補都市が通常爆撃から外されていたことは,「京都はなぜ原爆投下目標から外されたのか」で述べるとおり,1945年5月17日の最高機密の指示によって確認できる。
本記事の調査では,ビラの現物に印刷された都市名の一覧まで遡ってこの対立を解消することができなかった。
したがって,一方に断定せず,対立する資料が併存する状態として記載する。
3 いずれにせよ原爆の警告ではない
もっとも,この対立は,本記事の問いに対する答えを左右しない。
仮に広島・長崎が対象都市に含まれていたとしても,それは通常爆撃の予告であって,原子爆弾の投下を告げるものではないからである。
第5 降伏交渉を伝えたビラ
奈良県立図書情報館は,「日本の皆様」と題するビラを所蔵している。
同館の解説によれば,寄贈者が昭和20年8月13日に大阪市内で拾ったもので,内容はポツダム宣言の伝達と連合国の駐屯について記されたものである。
採取地は大阪であり,採取日は広島(8月6日)及び長崎(8月9日)への投下より後である。
内容も,日本政府の降伏申入れ(8月10日)と連合国側の回答(8月11日)を国民へ伝えるものとみられる。
これは原子爆弾の事前警告でも一般的な告知でもない。
日本各地にまかれたビラの多くが,原子爆弾とは無関係の情報伝達であったことを示す例である。
第6 結論――何が確認でき,何が確認できないか
以上を整理すると,次のようになる。
①広島又は長崎を名指しして原子爆弾の投下を事前に警告したビラは,確認できない。
②原子爆弾に言及したビラは実在するが,起草が命じられたのが広島への投下の翌日であり,広島への事前警告たり得ない。長崎についても,投下前にまかれたことを示す資料は確認できない。
③通常爆撃の予告ビラは広範に実在したが,これは原子爆弾の警告ではない。その対象都市に広島が含まれていたかは資料が対立している。
④英語版ウィキペディアも「広島は,新型のより破壊的な爆弾が投下されることについて警告を受けなかった」と明記している。
なお,事前の警告を行うという案は,米側で実際に検討され,退けられている。
暫定委員会は1945年6月1日,事前警告なしでの使用を勧告した。
その経過は「原爆投下命令は誰がいつ出したのか」で扱う。
第7 画像だけから投下時期を判断してはならない
この主題では,ビラの写真や画像だけが文脈を欠いたまま流通し,誤解の原因となってきた。
前記のウェラースタインは,トルーマン大統領図書館が1945年8月6日付としている2点の文書のうち,1点が広島の破壊を過去の出来事として語り,もう1点が8月9日のソ連の参戦に言及していることを指摘し,同館の日付表示自体が誤りであると論じている。
そして,孤立した文脈のない文書はそれ自体では解釈できず,いつ作られたか,なぜ作られたか,そしていつ使われたかという文脈が不可欠であると述べている。
ビラの画像から分かるのは,多くの場合,いつ書かれたかであって,いつまかれたかではない。
本記事も,作成の時期と散布の時期を区別して記載した。
第8 原資料で確認する方法
原子爆弾に言及したビラの英訳は,トルーマン大統領図書館が公開している教育資料のPDFに収録されている。
通常爆撃の予告ビラについては,CIA機関誌Studies in Intelligenceの該当論文が公開されている。
散布の経過を示す米側の記録は,米国立公文書館のRecord Group 77に所在する。
第9 出典・参考資料
1 公文書・機関資料
①ハリー・S・トルーマン大統領図書館「Miscellaneous Historical Documents Collection」no.258,日本人向け投下ビラ英訳(AB-11),1945年8月6日付
②同館「Decision to Drop the Atomic Bomb」教育資料
③米中央情報局機関誌Studies in Intelligence Vol.46 No.3(2002年),Josette H. Williams, “The Information War in the Pacific, 1945: Paths to Peace”
④Lt. Col. J.F. Moynahan to Gen. Leslie R. Groves, “History Psychological Warfare, Manhattan Project,” 1946年5月23日付,米国立公文書館Record Group 77所蔵
⑤奈良県立図書情報館「「日本の皆様」B29米軍投下ビラ」解説
2 研究文献・ウェブ資料
①Alex Wellerstein, “A Day Too Late,” Restricted Data: A Nuclear History Blog, 2013年4月26日付
②Joshua Byun and Austin Carson, “Performative Violence and the Spectacular Debut of the Atomic Bomb,” American Political Science Review, Vol.120 No.2(2026年5月号)759頁~778頁
③英語版ウィキペディア「Atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki」,日本語版ウィキペディア「広島市への原子爆弾投下」(いずれも2026年8月22日確認時点の記述)
④広島市『広島原爆戦災誌』第5巻資料編(1971年),防衛庁防衛研修所戦史室編『戦史叢書』第93巻464頁(いずれも日本語版ウィキペディアが引用する典拠)