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ポツダム宣言の原本はどこにあるのか|英語公表文・日本政府訳・署名資料の違い(AI作成)

第1 「ポツダム宣言の原本」に対する結論

1 三首脳が同じ紙に自筆署名した文書ではない

ポツダム宣言は,昭和20年7月26日,米国大統領,英国首相及び中華民国国民政府主席の名で発表された共同宣言である。
しかし,現在公開されている資料からは,ハリー・S・トルーマン,ウィンストン・チャーチル及び蒋介石が同じ紙に自筆署名した一通の原本は確認できない。

米国国立公文書記録管理局(NARA)が公開する3頁の文書には,トルーマンの署名のほか,チャーチルについて授権によること,中国主席について電信によることを示す文字がある。
最後の二つもトルーマンの筆跡であり,チャーチル又は蒋介石の自筆署名ではない。

しかも,このNARA資料には「Potsdam, July 26, 1945」という場所・日付がなく,第1段落の首脳名の順序を変更する指示が残っている。
米国国務省編『Foreign Relations of the United States』(以下「FRUS」と表記する)の編集注と照合すると,最終公表文より前の先行写しとみるのが適切である。

2 「原本」を資料の役割ごとに分ける

ポツダム宣言について「原本」と呼ばれやすい資料は,実際には次のように役割が異なる。

確認したいこと対応する資料所蔵・公開元資料の性質
トルーマンの署名と代筆NARA ID 134406599トルーマン大統領図書館・NARA日付のない先行写し
最終的な英語本文FRUS第1382文書の底本米国国務省ファイル740.00119 Potsdam/7–2645最終公表文の底本。紙面画像は未確認
英国の同意チャーチルの昭和20年7月25日付け書簡FRUS第1249文書チャーチル本人が署名した別紙授権書
中国の同意ハーレー駐華米大使の電報FRUS第1251・1252文書蒋介石の承認を伝えた電報
日本側の受信・翻訳「米英支三国宣言」等国立公文書館・外務省外交史料館日本語訳・仮訳であり,英語の署名資料ではない

3 この記事が扱う範囲

この記事は,ポツダム宣言の稿本,署名・授権資料,英語公表文及び日本側の翻訳資料がどのような関係にあるかを扱う。
宣言の全13項を読み比べる場合は,ポツダム宣言全文――原文・書き下し文・現代語訳を全13項で対照を参照されたい。

宣言受諾を決めた国内過程は,ポツダム宣言受諾は誰が決めたのか|閣議・最高戦争指導会議・御前会議と二度の聖断で扱っている。
本記事では,8月9日から14日までの閣議・御前会議の経過を繰り返さない。

第2 NARAが公開する署名入り資料

1 NARA ID 134406599の3頁

NARA ID 134406599は,トルーマン大統領図書館が所蔵するNaval AideのBerlin Conference Filesに含まれる3頁の文書である。
NARAの教育用サイトDocsTeachでは,3頁の高解像度画像を閲覧できる。

第1頁では,当初記載されていた蒋介石の個人名が抹消され,「中華民国国民政府主席」という役職表示へ変更されている。
第3頁には,トルーマンの自筆署名に続き,チャーチルについては授権によること,中国主席については電信によることを示す記載がある。

さらに,第3頁下部には,第1段落の順序を米国大統領,中国主席,英国首相の順へ変更する指示がある。
この修正は,蒋介石が電報で同意した首脳の列挙順と対応する。

2 最終公表稿ではなく先行写しとみる理由

NARAの資料名には「Draft」と表示されていないが,紙面には最終公表稿と異なる三つの特徴がある。
すなわち,①場所・日付がないこと,②第1段落の名称と順序に訂正があること,③末尾に「Winston Churchill by authorization H.S.T.」に相当する授権の表示があることである。

FRUS第1382文書の注2及び注5は,これらの特徴を持つ「apparently earlier copy」が存在したと説明する。
そのため,本記事ではNARA ID 134406599を,当時作成された真正な資料ではあるが,最終日付入り公表文より前の先行写しと位置付ける。

NARAの表示題名だけを根拠として,「三首脳が署名した世界で唯一の最終原本」と呼ぶことはできない。
他方,トルーマンが三者の表示をどのように書いたかを直接確認できる点では,極めて重要な一次資料である。

3 その前段階の草稿も残っている

NARA ID 134406603は,表題に「DRAFT」と記された別の3頁資料である。
第1頁には中国を加える手書き修正と,中国へ参加を求めるべきかを検討した書込みがあり,第13項の後に署名はない。

この草稿と署名入り先行写しを並べると,ポツダム宣言が一度に完成したのではなく,中国の参加,首脳の表示及び列挙順を調整しながら確定したことが分かる。
草稿,先行写し及び最終公表文を同じ「原本」として一括りにすべきではない。

第3 最終的な英語公表文

1 FRUS第1382文書の底本

FRUS第1382文書は,最終的な英語本文を掲載し,その底本を米国国務省ファイル「740.00119 Potsdam/7–2645」と明記する。
本文末尾には「Potsdam, July 26, 1945」という場所・日付と,トルーマン,チャーチル及び中国主席の表示がある。

同文書の注5は,チャーチル及び中国主席に関する最後の二つの「signatures」がトルーマンの筆跡であることを明記する。
したがって,英語公表文が米中英三国の共同宣言であることと,三首脳が同じ紙へ自筆署名したことは別問題である。

本記事の作成時点では,国務省ファイル740.00119 Potsdam/7–2645の最終紙面画像,現在の箱・フォルダ番号及び物理的な保管単位を公開ウェブ上で確認できなかった。
FRUSの翻刻と編集注は確認できるが,最終原紙の紙質,筆跡及び訂正痕まで直接確認したわけではない。

2 米国国務省公報に掲載された本文

米国国務省の『Department of State Bulletin』第13巻318号は,昭和20年7月29日,137頁~138頁に「Proclamation Defining Terms for Japanese Surrender」として宣言全文を掲載した。
同号は,7月26日に戦時情報局から報道発表されたことも記載する。

公報137頁の注は,宣言がトルーマンとチャーチルによってポツダムで署名され,蒋介石が電報で同意したと簡略に説明する。
しかし,紙面上の自筆筆跡を問題にする場合,チャーチル名はトルーマンの代筆であり,チャーチル本人の署名は別紙授権書にあるというFRUSの詳細な説明を併せて読む必要がある。

3 日本政府への伝達方法

FRUS第1255文書によれば,ワシントンでは昭和20年7月26日午後,戦時情報局,ホワイトハウス及び国務省から宣言が同時に発表された。
英語短波放送,日本語による要旨及び日本語全文の放送が順次行われ,公式の日本語放送用訳はサンフランシスコで作成されて国務省の言語専門家が確認した。

同文書の編集注は,国務省記録上,宣言本文が中立国の外交経路で日本政府へ直接送付された証拠はないとする。
日本政府はラジオ放送等から宣言を知り,自ら日本語訳を作成して内容を検討したのであり,連合国側から署名原本を手交されたわけではない。

第4 英国と中国の同意資料

1 チャーチルは別紙で発出を授権した

FRUS第1249文書は,チャーチルからトルーマンへの昭和20年7月25日付け書簡を掲載する。
チャーチルは宣言案を返し,英国政府を代表して現在の文面に同意するとともに,トルーマンが可能な限り速やかに発表することを授権した。

チャーチル本人の署名が確認できるのは,この別紙授権書である。
したがって,「チャーチルがポツダム宣言の同じ原紙へ自筆署名した」と説明するのではなく,「チャーチルが別紙で授権し,トルーマンが宣言紙面にその旨を記した」と説明するのが正確である。

2 蒋介石は訳文を確認して電報で同意した

FRUS第1251文書によれば,蒋介石は昭和20年7月26日,首脳の表示と列挙順を含む修正に同意した。
ハーレー駐華米大使は,重慶時間午前9時30分に同意を得て,通信上の遅れを経て午前11時5分に電報を送信した。

FRUS第1252文書は,中国語訳が真夜中過ぎに完成し,蒋介石が訳文を注意深く読んで承認したことを記録する。
電話線の障害があったため,回答は陸海軍の通信系統を利用して送られた。

「President of China by wire」というトルーマンの記載は,蒋介石の署名画像が電送されたことを意味しない。
中国の国家意思としての同意が電報で伝えられたことを示すものである。

3 ソ連は後から署名したのではない

ソ連は昭和20年7月26日の発出主体ではなかった。
FRUS第1382文書注1に収録されたモロトフ声明によれば,ソ連政府は同年8月8日,米中英三国の提案を受け入れ,7月26日の声明に加わる旨を表明した。

確認できる英語は「adhere」であり,スターリンが宣言紙面へ自筆で追署又は補署したことを示す資料ではない。
ソ連については,「後から署名した」ではなく,「8月8日の声明で宣言に加わった」とするのが適切である。
ソ連の宣言加入と日ソ中立条約上の参戦評価は,ソ連の対日参戦は日ソ中立条約違反だったのかで区別して検討している。

第5 日本政府訳と外務省仮訳

1 国立公文書館の「米英支三国宣言」

国立公文書館「ポツダム宣言」は,日本がラジオ放送で宣言を知り,直ちに日本語訳を作成して内容を検討したと説明する。
同館が公開する「米英支三国宣言」は5頁から成り,第1項から第13項までの日本語訳を収録する。

デジタルアーカイブのメタデータは,請求番号を「雑03636100」,作成年月日を昭和20年7月26日,作成・取得者を「内閣」,移管元を「内閣・総理府」とする。
他方,デジタル展示は外務省が作成した日本語訳と説明しており,翻訳作業を行った機関と,後に当該文書を取得・管理した機関を区別して読む必要がある。

この日本語訳は,日本政府が宣言を理解し検討するための重要な当時資料である。
しかし,米中英三国が発表した英語本文の署名原本でも,日本語が認証正文であることを示す文書でもない。

2 外交史料館・JACARの仮訳と英語文

アジア歴史資料センター(JACAR)は,外務省外交史料館所蔵「ポツダム宣言受諾関係一件 第3巻(終戦関係調書)」(Ref.B18090004500)のうち,日本語訳と英語文を公開している。
JACARの資料解説は,日本語部分を外務省による「仮訳」と位置付ける。

JACARの書き下し資料は,旧字体,濁点及び句読点等を現代の読者向けに補ったものであり,当時の紙面画像そのものではない。
また,日本語仮訳の第13項後には英語本文に対応しない付記があるが,英語に「第14項」があることを意味しない。

「外務省訳」「仮訳」「書き下し文」及び後年の現代語訳は,作成時期と目的が異なる。
どの日本語文を引用したかを明示せずに,すべてを「公定訳」と呼ぶべきではない。

3 下田武三の回想とその限界

下田武三は,昭和59年刊行の『戦後日本外交の証言 日本はこうして再生した』上巻11頁で,当時,政府から正確な日本語訳を作るよう外務省が依頼され,条約局第一課長であった自分が翻訳を引き受けたと回想している。
この記述は,下田が翻訳作業を担当したことを示す本人の後年の証言である。

もっとも,本記事作成に当たり,同書の原本本文は閲覧できず,野口忠彦「訳語『民主主義』使用の一般化」が引用する該当箇所を確認した。
また,昭和20年から約39年後の回想であり,翻訳の補助者,起案・決裁過程及び国立公文書館資料との同一性を同時代の公文書と同じ強さで確定するものではない。
したがって,「下田が翻訳を引き受けた」とする本人回想は紹介できるが,「下田一人が特定の日に現存する全ての日本語資料を作成した」とまでは断定できない。

4 国立国会図書館掲載本文は後年の公刊本文である

国立国会図書館「ポツダム宣言」が掲載する日本語本文は,外務省編『日本外交年表並主要文書』下巻(昭和41年)を出典とする。
全文の検索・引用に適しているが,昭和20年7月26日に受信現場で作成された紙面画像そのものではない。
国立公文書館の当時資料,外交史料館の仮訳及び昭和41年の公刊本文を使い分けることで,翻訳が一種類しかないとの誤解を避けることができる。

第6 昭和20年9月2日の降伏文書との違い

1 ポツダム宣言とは別の文書である

昭和20年9月2日の降伏文書は,冒頭で,日本が7月26日の米中英三国宣言で,その後ソ連が加わった宣言の条項を受諾したと記載する。
東京湾の米艦ミズーリ号上で,日本側全権,連合国最高司令官及び各連合国代表が署名した。

この降伏文書には各代表者の実際の署名があるが,7月26日のポツダム宣言そのものではない。
宣言は降伏条件を公表した文書であり,降伏文書はその受諾と履行を署名によって確認した別文書である。
宣言,受諾通告及び降伏文書の法的な違いは,ポツダム宣言で日本は無条件降伏したのか――日本国・日本軍・降伏文書の違いで扱っている。

2 降伏文書は米国側と日本側の2通が残る

NARA「Surrender of Japan」は,米国側の降伏文書をNARA ID 1752336として公開する。
米国側原本はNARAのRecord Group 218に保管されている。

外務省「外交史料 Q&A 昭和戦後期」によれば,降伏文書は2通作成され,連合国側の1通をNARA,日本側の1通を外務省外交史料館が所蔵する。
日本側原本には,カナダ代表の署名位置の誤りに伴って国名を訂正した跡も残る。
この明確な2通の署名原本の所在を,7月26日の宣言原本の所在と混同してはならない。

第7 資料を読むときの用語

1 同じ「原本」でも意味が違う

公文書を調べる場合,次の用語を区別すると資料の位置付けを誤りにくい。

①草稿は,内容が確定する前の案であり,手書き訂正又は未確定事項を含む。
②先行写しは,最終公表前の文面や署名方法を示すが,日付入り最終稿と一致するとは限らない。
③最終公表文は,公表された文言を確定する資料であるが,三首脳の自筆署名を持つとは限らない。
④授権書・同意電報は,各国首脳の同意を示す別紙資料である。
⑤日本語訳・仮訳は,日本側の受信・検討又は後年の公刊のために作成された資料であり,英語本文の原紙とは異なる。
ポツダム宣言では,国家として共同発出したこと,紙面に誰が筆記したか,最終英語本文が何か,日本側がどの訳文を使用したかを別々に確認する必要がある。

2 現時点で確認できないこと

本記事の作成時点で,FRUS第1382文書の底本である国務省ファイル740.00119 Potsdam/7–2645の最終紙面画像及び現在の詳細な保管単位は確認できなかった。
また,NARA ID 134406599とFRUSのいう先行写しが同一物であることを明示したアーキビストの記述も確認できていない。

日本側については,外務省仮訳の起案・決裁原紙,翻訳の補助者及び第13項後の付記の由来が未確認である。
これらは,資料間の特徴から推測して確定せず,追加の公文書調査を要する事項として残る。

第8 出典・参考資料

1 米国の公文書・政府公刊資料

NARA ID 134406599「Proclamation by the Heads of Governments of the United States, the United Kingdom and China Regarding the Surrender of Japan」(Harry S. Truman Library,3頁)
DocsTeach「Proclamation by the Heads of Governments of the United States, the United Kingdom and China Regarding the Surrender of Japan」(NARA,NARA ID 134406599の画像)
NARA ID 134406603「Draft Proclamation by the Heads of Governments」(Harry S. Truman Library,3頁)
FRUS, The Conference of Berlin, Volume II, Document 1249(昭和20年7月25日付けチャーチル書簡)
同Document 1251Document 1252(同月26日付けハーレー電報)
同Document 1255(宣言の報道発表・放送経過)
同Document 1382(ポツダム宣言最終本文・編集注)
⑧Department of State Bulletin, vol.13, no.318, July 29, 1945, 137頁~138頁(Internet Archive収録PDF
NARA「Surrender of Japan」NARA ID 1752336(昭和20年9月2日付け降伏文書)

2 日本の公文書・公刊資料

国立公文書館「ポツダム宣言」「米英支三国宣言」(雑03636100)
②外務省外交史料館「ポツダム宣言受諾関係一件 第3巻(終戦関係調書)」(JACAR Ref.B18090004500。JACAR「資料解説」・「書き下し文と仮訳」)
国立国会図書館「ポツダム宣言」(外務省編『日本外交年表並主要文書』下巻,昭和41年)
外務省「外交史料 Q&A 昭和戦後期」(降伏文書2通の所蔵)

3 文献

①加藤聖文『「大日本帝国」崩壊 東アジアの1945年』(中央公論新社,平成21年)10頁~11頁
②下田武三『戦後日本外交の証言 日本はこうして再生した』上(行政問題研究所出版局,昭和59年)11頁・213頁(本記事では原著本文を直接確認できず,次掲論文による引用を確認)
野口忠彦「訳語『民主主義』使用の一般化」『拓殖大学国際開発研究』16巻1号(平成25年)58頁