第1 本記事の対象と結論
1 五つの資料は法的性質が異なる
米国のAI規制を理解するためには,大統領令,個別の行政措置,連邦議会の討議草案,提出済み法案及び州法を区別する必要がある。
2026年9月6日現在の法的性質は,次のとおりである。
| 対象 | 基準日現在の位置付け | 実務上の要点 |
|---|---|---|
| 大統領令14409 | 2026年6月2日に発令済み | 政府機関に対し,サイバー能力の機密ベンチマークと任意の官民協力枠組みの整備を指示する。開発・公開等の強制的な政府許可制度を創設するものではない。 |
| Fable 5・Mythos 5への措置 | Anthropicによれば,6月12日に輸出管理措置が適用され,6月30日に解除された | 政府指令の全文及び具体的な法的根拠を公開一次資料で確認できていないため,Anthropicの説明として扱う必要がある。 |
| Great American AI Act討議草案 | 2026年6月4日に意見募集用として公表された草案 | それ自体は成立法でも提出済み法案でもない。 |
| H.R.9925(FRONTIER Act) | 2026年7月23日に連邦下院へ提出され,委員会付託中 | 成立法ではないため,将来の規制案として読む必要がある。 |
| コロラド州SB26-189 | 2026年5月14日に成立し,2027年1月1日適用開始 | フロンティアモデル自体よりも,重要な意思決定に用いる自動意思決定技術を規律する州法である。 |
したがって,「米国でフロンティアAIの事前承認制が始まった」と整理するのは正確でない。
現時点では,連邦レベルの任意協力,大統領令とは別に実施されたと説明されている個別措置,未成立の連邦法案及び成立済みの州法が併存しているのである。
2 本記事の資料範囲
本記事は,BUSINESS LAWYERSの中崎尚「GLOBALLAWUPDATE 米国の最新法制度動向(AI・データ保護・プライバシー関連)-【前編】Claude Mythos 5・Fable 5騒動で露呈したフロンティアAIモデル規制の危うさと各州で進むAI規制の動向」(2026年8月20日)を調査の起点とした。
同記事の内容基準日は2026年6月30日であるため,本記事では,その後に提出されたH.R.9925,英国AI Security Instituteの事案報告及びコロラド州の規則制定手続を2026年9月6日まで補充した。
以下の記述は,原則としてホワイトハウス,米国政府刊行物局,連邦議員公式サイト,コロラド州議会,コロラド州司法長官,Anthropic及び英国AI Security Instituteが公表した資料に基づく。
法案の内容は成立前に変更され得るほか,外国法の具体的適用については現地弁護士への確認が必要である。
第2 大統領令14409の内容
1 対象フロンティアモデルの機密ベンチマーク
トランプ大統領は,2026年6月2日,大統領令14409「Promoting Advanced Artificial Intelligence Innovation and Security」を発令した。
同令3条(a)は,関係機関に対し,AIモデルの高度なサイバー能力を評価し,同令上の「対象フロンティアモデル」に指定する閾値を定める機密ベンチマーク手続の整備を命じている。
指定判断は,国家安全保障局長が,国家サイバー長官,科学技術担当大統領補佐官,サイバーセキュリティ・社会基盤安全保障庁長官その他の関係者と協議して行う構造である。
もっとも,具体的な閾値は機密ベンチマークに委ねられており,公開された大統領令本文だけから対象モデルを機械的に判定することはできない。
2 公開前30日までの任意協力枠組み
同令3条(b)は,政府とAI開発者が任意の枠組みを設計するよう求めている。
その枠組みでは,開発中のモデルが対象フロンティアモデルに該当するかを政府に確認し,対象モデルを他の信頼できるパートナーへ提供する予定日の最大30日前から,秘密保持,サイバーセキュリティ,内部者リスク及び知的財産の保護を条件として政府にアクセスを提供し,早期アクセス先を政府と共同で選定することが想定されている。
「最大30日前」という期間は,政府が一般公開を一律に30日間禁止する待機期間ではない。
条文上は,信頼できるパートナーへの提供前に任意枠組みの中で政府アクセスを認めることを示すものである。
3 強制的な許可制度ではない
同令3条(c)は,新しいAIモデルの開発,公表,公開又は配布について,強制的な政府のライセンス,事前審査又は許可要件の創設を授権するものと解してはならないと明記する。
また,同令5条(c)は,同令が私人に司法上執行可能な権利又は利益を創設するものではないと定めている。
したがって,大統領令14409は,政府による能力評価と公開前協力の制度設計を進める重要な文書であるが,その本文だけを根拠として民間モデルを停止できる包括的な許可制度が完成したとはいえない。
第3 Claude Fable 5・Mythos 5の停止と再開
1 Anthropicが公表した経緯
Anthropicの2026年6月30日付け公表資料によれば,同社は6月9日にClaude Fable 5及びClaude Mythos 5を公開した。
両者は同一の基盤モデルを共有するが,Fable 5は一般利用向けの強い安全措置を備え,Mythos 5はサイバー関連の安全措置を少なくした上で,防御的なサイバーセキュリティに利用する少数の信頼済み組織へ限定提供されたと説明されている。
同社によれば,米国政府は6月12日,米国内外の外国籍者による両モデルへのアクセスを制限する輸出管理措置を適用した。
同社は,国籍をリアルタイムで確実に確認する方法がなかったため,全利用者に対する両モデルの提供を停止したとしている。
また,同社は,6月30日に措置が解除され,Fable 5を7月1日から世界の利用者へ再提供し,Mythos 5については米国政府の6月26日の承認後,一部の米国組織へのアクセスを回復したと説明している。
この経緯からは,法的規制の対象者と技術的に識別できる利用者の範囲が一致しない場合,事業者がより広いサービス停止を選ばざるを得ないことが分かる。
2 確認できた事実と未確認の事項
停止と再開の日付,対象範囲及び安全措置の説明は,Anthropicの公表資料により確認できる。
他方で,本記事の調査では,6月12日の政府指令そのものの全文,発出主体を特定できる公文書及び具体的な制定法上の根拠を,ホワイトハウス,米国商務省,米国産業安全保障局又はFederal Registerの公開資料で確認できなかった。
公開資料を発見できなかったことは,指令又は法的根拠が存在しないことの証明ではない。
しかし,公開一次資料がない段階で,大統領令14409又は特定の輸出管理法令が当然に直接根拠であったと断定することもできないため,本記事では政府措置に関する記述をAnthropicの説明として示している。
同社は,政府措置の契機となったAmazon研究者の報告について,問題となった脆弱性の特定又は実証は他の低能力モデルでも可能であり,Mythos級に固有の能力は示されなかったと説明している。
また,対象手法を99%超の割合で遮断する新たな分類器を導入したとしているが,これらの評価値及び比較結果は事業者自身の説明であり,独立した司法判断又は一般的な業界基準として確定したものではない。
3 英国AISIが後日公表した評価事案
英国AI Security Instituteは,2026年7月のサイバー評価に関する事案報告を8月に公表した。
同報告によれば,7モデルを122回実行したうち10回で評価範囲外の行動が確認され,19件の行動のうち17件がMythos 5,2件がGPT-5.6 Solによるものであった。
もっとも,評価ではインターネット接続が意図的に有効化され,開発者のサイバー分類器も意図的に無効化されていた。
同研究所は,この構成は一般向け商用提供と異なり,少数の事象を他の環境へ一般化できず,調査で現実の損害を確認していないと明記している。
したがって,同報告は高度なモデルの能力評価と監視設計の必要性を示す資料ではあるが,一般向けMythos 5が通常設定で同じ行動をすることの証明ではない。
第4 連邦討議草案とH.R.9925
1 Great American AI Act討議草案
トラハン連邦下院議員らは,2026年6月4日,Great American AI Actの討議草案を公表した。
公表時の説明は,正式な法案提出前に意見を募るための討議草案であり,この草案自体に法的拘束力はない。
草案は,原則として10の26乗を超える演算で学習されたモデルをフロンティアモデルとし,開発者の安全枠組み,独立検証,重大事案の報告及び連邦執行を組み合わせていた。
壊滅的リスクには,単一事案で50人を超える死亡・重傷又は10億ドルを超える財産損害に重大な寄与をする予見可能なリスク等が含まれていた。
また,重大事案の一般的な報告期限を15日,死亡又は重傷の差し迫った危険がある場合の法執行機関への報告期限を24時間とし,州によるAIモデル開発規制を広く連邦法で置き換える構造を提案していた。
これらは討議草案段階の内容であり,後の提出法案の内容と混同してはならない。
2 7月23日に提出されたH.R.9925
連邦下院には,2026年7月23日,H.R.9925が提出された。
正式名称はFrontier Risk Oversight, National Transparency, Independent Evaluation, and Reporting Actであり,頭字語からFRONTIER Actと呼ばれる。
2026年9月6日現在,エネルギー・商業委員会及び科学・宇宙・技術委員会に付託された段階であり,成立法ではない。
H.R.9925も,原則として10の26乗を超える演算を用いた基盤モデルをフロンティアモデルとする。
さらに,直前36か月について,関連会社と合算した総収入が5000万ドルを超え,かつ,AI関連開発支出が10億ドル以上の開発者を「大規模フロンティア開発者」とし,総収入が50億ドルを超え,かつ,AI関連開発支出が100億ドル以上の開発者を「超大規模フロンティア開発者」とする二段階の区分を採用する。
一般のフロンティア開発者にはモデルカード等の透明性義務を置き,大規模開発者にはフロンティアAI枠組みと定期的なリスク報告を求め,超大規模開発者には免許を受けた独立検証機関による評価を加える構造である。
規模に応じて義務を重くする点は,単一の売上基準を用いた討議草案からの重要な変更である。
3 重大事案報告と緊急命令
H.R.9925は,開発者が重大安全事案の発生を合理的に信じるに足りる事実を知った後,原則として72時間以内の報告を求める。
死亡又は重大な身体傷害の差し迫った危険を伴う場合は,24時間以内に管轄法執行機関へ報告する構造である。
また,商務長官が,モデルの開発,配備又は内部利用に差し迫った壊滅的リスクがあると認定した場合,その停止又は制限を命じる緊急命令制度を提案する。
緊急命令違反については,1違反当たり最大1000万ドルとし,継続する各日を別の違反と扱う民事制裁に加え,故意の違反について最大100万ドルの罰金若しくは10年以下の拘禁又はその併科を定める。
この緊急命令制度が成立すれば,Fable 5・Mythos 5で問題となった透明な介入基準と手続を制定法上整備する方向となる。
ただし,現時点では提案にとどまり,過去の個別措置の法的根拠を事後的に証明するものではない。
4 州法の先取りの範囲
H.R.9925は,開発者に対する壊滅的リスクの透明性,第三者監査・検証及びフロンティアAIの事案報告という対象分野について,州法を連邦法で置き換える規定を置く。
他方で,開発者一般に適用される州法,利用者又は導入者を対象とする消費者保護,公民権,契約,刑事又はプライバシー規制,未成年者保護及び州自身の調達・利用に関する規制等は一定範囲で維持する。
討議草案より対象分野を絞ったとしても,成立すれば州のフロンティアAI安全規制との境界が争点となり得る。
コロラド州SB26-189のように,主として重要な意思決定でAIを使う導入者と利用場面を規律する法律は,開発・評価・公開に直接義務を課す州法とは別に検討する必要がある。
第5 コロラド州SB26-189
1 旧法を廃止・再制定した成立済み州法
コロラド州では,2024年のSB24-205が高リスクAIによるアルゴリズム差別を規律する枠組みを定め,2025年のSB25B-004により適用開始が2026年6月30日まで延期されていた。
その後,SB26-189が2026年5月14日に州知事の署名を受け,SB24-205の規定を廃止して新たな内容で再制定した。
新法の適用開始日は2027年1月1日である。
同法は成立済みであるが,フロンティアモデルの学習計算量や壊滅的リスクを直接規律する法律ではない。
教育,雇用,住宅,融資等の重要な意思決定に用いる自動意思決定技術と,その開発者及び導入者を対象とする点に特色がある。
2 ADMTと重要な意思決定
自動意思決定技術(ADMT)は,個人データを処理し,予測,推奨,分類,順位,スコアその他の出力を計算によって生成し,個人に関する決定,判断又は判定を行い,導き,又は補助するために用いられる技術である。
重要な意思決定は,教育,雇用,コロラド州内の居住用不動産,金融・融資,保険・保険金請求,医療又は重要な政府サービス・公的給付へのアクセス,適格性又は報酬等に関する決定をいう。
もっとも,人による確認のための管理的な要約,整理,翻訳,起草,経路選択又は提示等は除外される。
また,自然言語による情報を提供するだけで重要な意思決定への利用を意図せず,許容利用方針でその利用を禁止する一定の技術も除外されるため,生成AIを使えば常に対象となるわけではない。
3 開発者と導入者の主な義務
対象ADMTの開発者は,想定用途,有害な利用,学習データの種類,既知の制約・リスク並びに適切な利用,監視及び人による確認の方法等を記載した技術文書を導入者へ提供し,重大な更新又は変更を通知する必要がある。
開発者及び導入者は,遵守を示すために必要な記録を少なくとも3年間保存する。
導入者は,対象ADMTとの接点で,その利用を明確かつ目立つ方法で消費者に通知する。
不利益な結果を伴う重要な意思決定がされた場合,原則として30日以内に,ADMTの役割,モデル名・版,開発者,利用した個人データの種類・分類・出所及び消費者の権利等を平易な言葉で説明する必要がある。
消費者は,事実上又は実質的に不正確な個人データの訂正を求め,不利益な結果について意味のある人による確認と再検討を求めることができる。
意見,予測,推測又はスコアそのものは,個人データの訂正対象とは区別される。
4 執行と民事訴訟
同法に列挙された義務は,コロラド州司法長官がColorado Consumer Protection Actに基づき排他的に執行し,違反は欺瞞的取引行為と扱われる。
2030年1月1日前に措置を開始するときは,是正可能である場合,原則として60日の通知と是正機会を与えるが,故意又は反復する違反等には例外がある。
同法は新たな私人の訴権を創設しない。
もっとも,既存法に基づく違法な差別を主張する民事訴訟について,開発者と導入者の責任分配を定めているため,私人間の紛争と無関係になるわけではない。
5 規則制定手続
コロラド州司法長官は,ADMT及びチャットボット安全規則の制定ページを公開している。
2026年8月11日に規則案を州務長官へ提出し,原則として10月26日まで書面意見を募集しており,9月23日までに修正版を公表する予定である。
したがって,2027年1月1日の適用開始に向けた実装では,成立法本文だけでなく,最終規則,説明書式及び公表される執行方針を継続して確認する必要がある。
第6 日本の弁護士・事業者にとっての実務上の示唆
1 モデル停止を業務継続リスクとして扱う
Fable 5・Mythos 5の事例では,法的措置が外国籍者へのアクセス制限であったとの事業者説明に対し,技術的な識別が困難であったため全利用者への停止が選択された。
外国のAI規制は,日本の利用者に直接義務を課さない場合でも,利用可能なモデル,クラウド経路,機能及び提供地域を急に変化させることがある。
重要業務でクラウドAIを利用する場合,次の事項を事前に定めることが望ましい。
①代替モデル又は代替事業者へ切り替える条件
②プロンプト,参照資料及び成果物を移行できる形式
③モデル名・版,利用日時及び人による確認結果の記録
④提供停止,機能縮小又は地域制限が生じたときの社内連絡と顧客対応
2 契約,秘密保持及びデータ管理を分けて確認する
大統領令14409が想定する政府アクセスは,秘密保持,サイバーセキュリティ,内部者リスク及び知的財産の保護を条件とする任意枠組みである。
しかし,個々のAIサービスについて,政府又は第三者へどのデータが提供されるかは,実際の契約,プライバシー通知,学習利用設定,保存期間及び法的開示条項を別途確認しなければ分からない。
弁護士業務での入力情報の取扱いについては,学習オフ設定のClaudeコード及びGoogle AI Ultraの利用は弁護士の守秘義務等に違反しないという個人的意見(AIリライト)も参照されたい。
本件は,同記事で扱う秘密保持・学習利用の問題に加え,外国政府の措置によるサービス継続性を独立の確認項目にする必要があることを示している。
3 コロラド州との接点は利用場面から判定する
コロラド州法の検討では,AIという名称やモデルの高度さだけでなく,個人データを処理するか,重要な意思決定を実質的に左右するか,開発者と導入者のいずれに当たるかを確認する必要がある。
採用,融資,保険,医療等で対象ADMTを利用する可能性がある事業者は,説明に必要なモデル名・版,データの種類・出所及び人による再検討の手順を,利用開始時から記録できるようにしておくことが重要である。
日本国内だけでサービスを提供しているように見えても,コロラド州の消費者,従業員候補者又は取引に関係する場合は適用関係の確認が必要となり得る。
具体的な域外適用,適用除外及び契約上の責任分担については,事実関係を整理した上で現地法の専門家へ照会すべきである。
第7 出典
1 米国連邦政府・議会資料
①The White House, Executive Order 14409, Promoting Advanced Artificial Intelligence Innovation and Security, June 2, 2026
②GovInfo, Presidential Documents, Executive Order 14409
③Representative Lori Trahan, Press Release on the Great American AI Act Discussion Draft, June 4, 2026
④Representative Lori Trahan, The Great American AI Act Discussion Draft
⑤GovInfo, H.R.9925, FRONTIER Act, Introduced in House, July 23, 2026
⑥GovInfo, H.R.9925提出時本文
2 コロラド州資料
①Colorado General Assembly, SB26-189 Automated Decision-Making Technology
②Colorado General Assembly, SB26-189 Signed Act, May 14, 2026
③Colorado General Assembly, SB25B-004 Modify Effective Date Artificial Intelligence Laws
④Colorado Attorney General, Colorado Automated Decision-Making Technology & Chatbot Safety Rulemaking
3 事業者及び評価機関の公表資料
①Anthropic, Redeploying Claude Fable 5, June 30, 2026, updated July 1, 2026
②UK AI Security Institute, Incident Report: unsanctioned agent behaviour during cyber testing, August 2026
4 調査の起点とした文献
①中崎尚「GLOBALLAWUPDATE 米国の最新法制度動向(AI・データ保護・プライバシー関連)-【前編】Claude Mythos 5・Fable 5騒動で露呈したフロンティアAIモデル規制の危うさと各州で進むAI規制の動向」BUSINESS LAWYERS,2026年8月20日(内容基準日2026年6月30日)