第1 本決定の結論と記事の対象
本記事は,最高裁令和8年6月17日第三小法廷決定(令和6年(許)第30号・受託者解任申立て却下決定に対する抗告棄却決定に対する許可抗告事件)を対象とし,信託法164条1項の適用排除条項と受託者解任との関係を整理するものである。
調査の基準日は令和8年9月6日であり,同日までに確認できた公開資料及び同日現在の信託法に基づき,AIを利用して作成した。
対象は本決定の事案,判示事項,射程及び民事信託契約の作成・運用上の留意点であり,個別の信託契約の有効性を判断するものではない。
本決定は,信託法164条1項の適用を排除する条項が,同条3項の「別段の定め」として常に有効になるとはしなかった。
条項自体が効力を有するには,信託目的の達成のために合理的に必要と認められることを要するとしたのである。
さらに,条項が有効であっても,終了申入れの時点で受託者が申入れを拒絶して任務を続けることについて,別に合理的必要性を要するとした。
もっとも,最高裁は,本件条項を無効とし,信託が終了したと判断し,又は受託者を解任したものではない。
原決定を破棄し,二つの合理的必要性について審理を尽くさせるため,事件を東京高等裁判所へ差し戻した。
第2 信託の終了,受託者の解任及び清算の区別
1 信託法164条の原則と別段の定め
信託法164条1項は,委託者及び受益者が,いつでも,その合意により信託を終了できると定めている。
委託者と受益者が同一人である自益信託では,双方の地位を兼ねる者の意思により終了の合意を成立させられることになる。
他方,同条3項は,信託行為に別段の定めがあるときは,その定めによるとしている。
本件の中心的な問題は,終了権を排除する文言があれば常に別段の定めとして効力を有するのか,それとも信託の本質から効力を制限されるのかという点であった。
2 信託法58条4項による受託者解任
信託法58条1項は,委託者及び受益者の合意による受託者の解任を認め,同条3項は信託行為による別段の定めを認めている。
これとは別に,同条4項は,受託者が任務違反により信託財産に著しい損害を与えた場合その他重要な事由があるときに,裁判所が委託者又は受益者の申立てによって受託者を解任できると定めている。
信託の終了は信託関係を清算段階へ移行させる制度であるのに対し,受託者の解任は特定の受託者の任務を終了させる制度である。
両者は別の制度であるが,本件では,終了申入れを拒絶して任務を続けたことが58条4項の重要な事由に当たるかという形で接続した。
3 信託終了後の清算
信託法176条は,信託が終了しても,清算が結了するまでは信託が存続するものとみなしている。
終了後の受託者は清算受託者となり,現務の結了,債権の取立て,債務の弁済及び残余財産の給付等を行う(同法177条以下)。
そのため,信託を終了できるかという問題と,終了後に誰がどのように清算するかという問題も区別する必要がある。
第3 本件の事実関係と原審の判断
1 30年間の信託と終了制限条項
最高裁決定全文によれば,抗告人は,平成29年5月23日,保有する外国会社の株式を兄である相手方へ信託し,自らを委託者兼受益者,相手方を受託者とする信託契約を締結した。
信託目的は,会社価値の毀損を防止し,会社全体の利益の最大化を図ることとされ,信託期間は30年間とされた。
契約には,委託者兼受益者が信託期間中に契約を解除できない旨の条項があった。
抗告人は令和2年8月及び9月,信託法164条1項に基づいて信託を終了する旨を通知したが,相手方は同条3項の別段の定めがあるとして終了を認めず,その後も受託者の任務を続けた。
2 原審の判断
抗告人は,信託法58条4項に基づく受託者の解任を申し立てた。
原審の東京高等裁判所令和6年9月10日決定(令和5年(ラ)第639号)は,終了制限条項が164条3項の別段の定めに当たり,終了通知によって信託は終了しないと判断した。
その上で,相手方が終了を認めず任務を続けても,58条4項の重要な事由はないとして,申立てを却下すべきものとした。
第4 最高裁が示した二段階の合理的必要性
1 第1段階-条項自体の効力
最高裁は,信託法164条3項が,信託の種類,目的等に応じて終了事由を柔軟に定められるようにする趣旨であるとした。
もっとも,信託の本質に反する定めまで許されるものではないとした。
信託では,財産権の名義を受託者へ移す一方,受託者は受益者のために管理・処分を行い,受託者自身が利益を享受する立場にはない。
最高裁は,専ら受託者の利益を図る目的の信託を定義から除く信託法2条1項と,受託者の利益享受を禁ずる同法8条を,この本質を示す規定として挙げた。
終了制限条項は,委託者兼受益者が通常は自由に信託を終了できる地位を制限し,その意思に反して受託者が任務を続けることを可能にするため,類型的かつ抽象的に利益相反のおそれがある。
そこで最高裁は,利益相反行為を扱う信託法31条1項及び2項を参照し,同条2項4号と同様に,信託目的の達成のために合理的に必要であることを終了制限条項にも要求した。
2 第2段階-終了申入れ時の任務継続
条項が契約締結時に有効であったとしても,その後の事情が変われば,受託者が終了申入れを拒絶して任務を続ける必要性は失われ得る。
最高裁は,終了申入れがされた時点で任務を続けることが信託目的の達成のために合理的に必要である場合に限り,受託者が申入れを拒絶して任務を続けることが許されるとした。
したがって,条項自体の効力と,終了申入れ後にその条項を根拠として任務を続けることの許容性とは,別々に審査される。
この二段階の判断枠組みは,契約締結時と終了申入れ時の事情を分けて確認することを求めるものである。
3 補足意見が挙げた検討要素
補足意見は,本件の「会社価値の毀損防止・利益最大化」という信託目的は抽象的であり,合理的必要性を判断する直接の指針になりにくいと指摘した。
その上で,信託契約締結の経緯,契約内容及び当事者が意図した実質的効果を踏まえ,信託目的の内容を理解する必要があると述べた。
本件では,契約締結当時,受託者が自己保有株式と信託株式を合わせて議決権の過半数を行使し,当時の会社代表者を解任することが予定されていたが,終了申入れ時には既にその解任が実現していたとされた。
他方,信託期間は30年間と長く,受託者は議決権行使について広い裁量を有し,委託者兼受益者は指図権を持たないものとされていた。
補足意見は,このような契約の実質を踏まえ,信託の本質に反しないよう終了制限条項を制限的に解釈する必要があると述べている。
これは法廷意見を補足する一裁判官の意見であり,本件条項の効力又は任務継続の可否について最終結論を示したものではない。
もっとも,差戻審で合理的必要性を検討する際の具体的な視点を示すものとして重要である。
第5 本決定が判断していない事項と射程
1 本件条項の効力を最終判断していない
最高裁は,終了制限条項が効力を有するための基準を示したが,本件条項がその基準を満たすかを最終判断していない。
原決定が合理的必要性を検討しなかったことを理由として,審理を差し戻したのである。
2 信託終了又は受託者解任を命じていない
最高裁の主文は,原決定を破棄し,本件を東京高等裁判所に差し戻すというものである。
したがって,本決定について「30年間の終了禁止条項が無効になった」「終了通知によって信託が終了した」又は「受託者が解任された」と説明することはできない。
3 直接の射程と未確定の事項
本決定が直接扱ったのは,委託者と受益者が同一人であり,その者と受託者との間の信託契約に164条1項の適用排除条項が置かれた事案である。
委託者が現に存在しない場合,委託者と受益者が異なる場合,受益者が複数いる場合又は遺言信託の場合に,同じ判断枠組みがどの範囲で及ぶかは,各事案と条文構造に即して別途検討することになる。
また,最高裁は,合理的必要性の主張立証責任を明示していない。
差戻審の判断も,令和8年9月6日現在,確認した公開情報の範囲では把握できていないため,その後の係属状況又は判断が存在しないと断定することはできない。
第6 民事信託契約の作成及び運用に与える影響
1 信託目的と終了制限との対応を明らかにする
「資産を守る」「家族の利益を図る」又は「会社価値を高める」といった抽象的な文言だけでは,終了権を制限する合理的必要性を説明しにくいと考えられる。
本記事では,誰のどの利益を,どの危険から,どの期間,どの仕組みによって保護するのかを検討し,契約締結の経緯と終了制限との対応が分かる資料を残すことを提案する。
2 期間及び制限手段を検討する
本決定からは,長期間にわたって全面的に終了を制限する場合ほど,その期間と手段が信託目的の達成に合理的に必要であることを説明する重要性が増すと考えられる。
目的達成時の制限失効,一定期間後の見直し又は独立した者の同意など,終了権への制約を抑える代替手段を個別に検討することが考えられる。
ただし,本決定は,特定の代替条項を有効と判示したものではない。
具体的な目的,当事者関係及び信託財産の性質を離れて,判例対応をうたう標準条項の有効性を一律に評価することはできない。
3 終了申入れ時に必要性を再評価する
適用排除条項が存在するというだけでは,受託者が終了申入れを拒絶して任務を続けることは許されない。
受託者は,申入れ時に,契約締結時に想定した危険が残っているか,目的が既に達成されていないか,任務継続が受益者の利益と整合するかを検討することになる。
再評価の記録は最高裁が示した法定要件ではないが,本記事では,判断の根拠となる事情と通知の経過を記録することを実務上の対応として提案する。
契約作成時にも,終了申入れがされた場合の判断主体,確認資料,期限及び通知方法をあらかじめ検討しておくことが考えられる。
4 受託者の固有利益及び終了後の手続を分けて確認する
本決定前の先行研究にも,受託者の固有利益のために解任を制限する条項について,信託法8条及び31条2項4号を参照し,信託目的達成のための合理的必要性を検討する見解がある。
木村敦子「家族間の信託における信託条項の効力について」は,別事件を素材としてこの問題を検討したものであり,本決定に対する評釈ではない(『信託の法的基盤の理解に資する総合研究』117頁~140頁)。
契約を点検する際には,報酬の確保,支配権の維持又は清算後の残余利益など,受託者の固有利益が終了制限の実質的な理由になっていないかを確認することが考えられる。
併せて,本記事では,終了制限条項の効力,受託者交代の条件及び終了後の清算手続を別々の論点として確認することを提案する。
本決定は,家族信託(民事信託)が難しい4つの理由で説明した設計上の問題のうち,終了制限条項の効力と運用について具体的な判断枠組みを示したものである。
既存の信託契約についても,契約締結時の目的だけでなく,現在の事情の下で任務を続ける合理的必要性を説明できるかという観点から点検することが考えられる。
出典・参考資料
1 法令・条約・告示
①信託法(e-Gov法令検索)2条1項,8条,31条,58条,164条及び176条~184条(令和8年9月6日確認)。
2 裁判例・行政処分・弁護士懲戒
①最高裁令和8年6月17日第三小法廷決定,令和6年(許)第30号,決定全文PDF,原審・東京高等裁判所令和6年9月10日決定,令和5年(ラ)第639号。
3 その他の文献
①木村敦子「家族間の信託における信託条項の効力について-東京地判令和5年3月17日(LEX/DB25609105)を検討素材として」第11期関西信託研究会『信託の法的基盤の理解に資する総合研究』(トラスト未来フォーラム,令和7年6月)117頁~140頁(PDF121頁~144頁)。