第1 この記事の対象と結論
本記事は,昭和48年1月23日に日米安全保障協議委員会が了承した「関東平野地域における施設・区域の整理・統合計画」と,その対象となった立川飛行場及び府中空軍施設の返還後の土地利用を扱うものである。
同計画は「関東計画」又は「関東空軍施設整理統合計画」と呼ばれ,英語名の頭文字からKPCPとも表記される。
関東計画の中心は,関東平野に所在する米空軍施設を削減し,その大部分を横田飛行場へ統合するとともに,6施設を日本側へ返還することにあった。
したがって,立川基地及び府中基地だけを個別に見るのではなく,横田飛行場における代替施設の整備を含む一体的な再編として理解する必要がある。
また,米軍から施設・区域が返還された日と,返還国有地の用途が決まり,公園,防災拠点その他の施設として利用できるようになった日は同じではない。
本記事では,①日米間の計画,②米軍施設・区域の返還,③返還国有地の処理方針,④具体的な土地利用という四つの段階を分けて整理する。
以下は,令和8年8月29日までに確認できた外務省,防衛省,財務省,立川市及び府中市等の公表資料に基づく。
第2 関東空軍施設整理統合計画
1 昭和48年1月23日の合意
外務省「日米安全保障協議委員会第14回会合について」によれば,同委員会は,昭和48年1月23日,関東平野地域における施設・区域の整理・統合計画を了承した。
日本側は急速な都市化に伴う社会,経済及び環境の変化を指摘し,米側は人口稠密地域の土地問題及び不要となった施設・区域の返還に関する日本政府の要望を考慮していると説明した。
同会合の公表文は,関東平野地域の空軍施設を削減し,その大部分を横田飛行場へ統合すること,必要な移転及び建設について日本政府が協力・援助すること並びに日米合同委員会の手続を経て向こう3年間に計画を実施することを示した。
2 返還対象となった6施設
外務省の公表文が列挙した返還対象と,防衛研究所の小山高司「『関東計画』の成り立ちについて」2頁が整理した最終返還日は,次のとおりである。
| 返還対象 | 防衛研究所資料が示す最終返還日 |
|---|---|
| 府中空軍施設の大部分 | 昭和50年6月30日 |
| キャンプ朝霞南地区の大部分 | 昭和53年7月10日 |
| 立川飛行場(大和航空施設を含む。) | 昭和52年11月30日 |
| 関東村住宅地区 | 昭和49年12月10日 |
| ジョンソン飛行場住宅地区の大部分 | 昭和48年6月29日 |
| 水戸空対地射爆撃場 | 昭和48年3月15日 |
公表時の計画は向こう3年間の実施を予定していたが,防衛研究所資料3頁によれば,代替施設の完成を待つ必要があったことなどから,キャンプ朝霞の最終返還は昭和53年7月まで延びた。
このため,計画の了承日,個別施設の一部返還日及び最終返還日を区別する必要がある。
3 横田飛行場の代替施設と日本側の費用負担
関東計画は,返還対象施設の機能を単に廃止するのではなく,必要な機能を横田飛行場へ移し,そのための住宅,司令部事務所,病院,倉庫その他の代替施設を日本側の負担で整備する計画であった。
防衛研究所資料3頁によれば,昭和48年6月時点では約17万平方メートルの建物を約220億円で建設する計画であったが,実際の工事は昭和48年12月から昭和53年7月まで続き,支出額は約425億円となった。
同資料は,事務費等を含めると総額約450億円としている。
これらの金額は防衛研究所の研究が国会会議録等から整理した数値であり,昭和48年1月の外務省公表文自体が示した予算額ではない。
第3 返還から跡地利用までの制度上の段階
1 日米地位協定上の返還
外務省が公表する日米地位協定2条3項は,米軍が使用する施設及び区域について,協定の目的のため必要でなくなったときは日本国へ返還しなければならないと定める。
関東計画による返還は,この施設・区域の提供関係を終了させる段階である。
もっとも,返還によって土地が直ちに公園,道路又は公共施設となるわけではない。
返還された土地が国有地である場合には,その後に国有財産としての用途区分,処分,都市計画及び整備事業が必要となる。
2 返還国有地の三分割
昭和51年6月の国有財産中央審議会答申は,大規模な米軍返還財産について,地元地方公共団体等利用,国・政府関係機関等利用及び当分の間の留保という区分を示した。
立川及び府中の跡地利用計画は,この枠組みを前提としている。
この区分は,返還地を誰がどの用途で使うかを決める国有財産上の枠組みである。
米軍から日本へ返還されたという事実と,地方公共団体が土地を取得し,又は公園等を整備したという事実は,同じものではない。
3 留保地に関する平成15年の方針転換
財務省「大口返還財産の留保地の今後の取扱いについて」は,平成15年,従来の「原則留保,例外公用・公共用利用」から「原則利用,計画的有効活用」へ基本方針を転換した。
同通知は,関係地方公共団体に対し,合理的な期間を設定して利用計画を策定するよう要請する枠組みを示した。
立川及び府中の留保地で平成20年以降に利用計画が策定された背景には,この国の方針転換がある。
第4 立川基地跡地
1 返還の経過と約460ヘクタールの跡地
立川市「立川飛行場跡地(留保地)等に係る土地利用計画」によれば,立川飛行場跡地約460ヘクタールは,昭和51年から昭和52年にかけて在日米軍から返還された国有財産である。
昭和52年11月30日に全面返還となった。
防衛研究所資料2頁は,関東計画の対象である「立川飛行場(大和航空施設を含む。)」の土地を約602万平方メートルとする一方,立川市の土地利用計画は立川飛行場跡地を約460ヘクタールとする。
前者には大和航空施設が含まれるなど資料の対象範囲が異なるため,二つの面積を同一の敷地面積として単純に比較すべきではない。
2 昭和54年の処理大綱
立川市によれば,昭和54年11月の国有財産中央審議会答申は,大規模公園及び広域防災基地を二本の柱とし,その周囲に業務地区を配置する処理の大綱を示した。
約460ヘクタールの内訳は,地元地方公共団体等利用の地区約219ヘクタール,国・政府関係機関等利用の地区約130ヘクタール及び留保地約111ヘクタールであった。
この区分が,公園,防災,行政及び市街地整備を組み合わせる後の土地利用の基礎となった。
3 国営昭和記念公園と立川広域防災基地
国営昭和記念公園の公式サイトによれば,同公園は立川飛行場跡地に設けられた総面積約180ヘクタールの国営公園であり,昭和58年10月26日に第1期区域約70ヘクタールが開園した。
立川市「立川広域防災基地」によれば,同基地は南関東地域で広域災害が発生した場合の人員・物資の緊急輸送及び集積の拠点である。
区域には,政府災害対策本部予備施設,警視庁,東京消防庁,災害医療センター,陸上自衛隊立川駐屯地その他の防災関係施設が配置されている。
したがって,立川基地跡地では,一つの旧飛行場用地が,広域公園,災害対応,国の機関,地方公共団体の施設及び都市機能へ段階的に転換されたと整理できる。
4 留保地の利用は長期に及んだこと
立川市は,財務省の平成15年方針を受け,平成20年6月に立川飛行場留保地の利用計画を策定し,その後も計画を改定している。
全面返還が昭和52年であっても,留保地の具体的利用は数十年後まで続く政策課題であった。
第5 府中基地跡地
1 旧陸軍燃料廠から府中空軍施設へ
航空自衛隊府中基地「基地の沿革」によれば,府中の施設は昭和15年に陸軍燃料廠として開設され,終戦後の昭和20年9月から米軍の管理下に置かれた。
昭和32年8月には航空自衛隊が一部使用を開始し,米軍府中基地との共同使用となった。
昭和50年6月に米軍の主要機能が横田飛行場へ移転し,防衛研究所資料2頁によれば,同月30日に府中空軍施設の大部分が返還された。
2 返還後の主要な土地利用
府中市「府中基地跡地の土地利用について」が令和7年7月1日現在で示す主な土地利用は,次のとおりである。
面積はいずれも概数である。
| 用途・施設 | 面積 | 主体又は所管 |
|---|---|---|
| 平和の森公園 | 約1.0ヘクタール | 府中市 |
| 府中の森公園 | 約17.2ヘクタール | 東京都 |
| 浅間中学校・府中の森芸術劇場 | 約3.6ヘクタール | 府中市 |
| 生涯学習センター | 約1.0ヘクタール | 府中市 |
| 府中の森市民聖苑 | 約1.2ヘクタール | 府中市 |
| 平和通り・美術館通り | 約1.9ヘクタール | 府中市 |
| 航空自衛隊府中基地 | 約17.8ヘクタール | 防衛省 |
| 留保地 | 約14.9ヘクタール | 財務省 |
| 米軍通信施設跡地 | 約0.8ヘクタール | 防衛省 |
府中基地跡地では,公園,文教・文化施設,斎場,道路及び航空自衛隊基地として利用された区域がある一方,留保地及び旧米軍通信施設跡地には未利用の区域が残る。
3 府中通信施設の全部返還
防衛省「FAC3016府中通信施設の全部返還について」によれば,令和3年9月30日,府中通信施設の土地及び建物等の全部が米側から返還された。
防衛省公表は返還土地を約1万7000平方メートルとし,イーズメントを含むとしている。
他方,府中市の土地利用状況表は,土地利用計画上の米軍通信施設跡地を約0.8ヘクタールとしている。
両数値は対象範囲及び算定方法が同一であることを確認できないため,どちらか一方を他方へ置き換えるべきではない。
4 令和7年改定の土地利用計画
府中市「府中基地跡地留保地及び米軍通信施設跡地利用計画」5頁は,留保地及び米軍通信施設跡地を合わせた計画対象を約15.6ヘクタールとしている。
府中市は,令和7年5月に計画を改定し,同年6月25日に国へ提出した。
同計画6頁~7頁は,留保地,米軍通信施設跡地,平和の森公園及び生涯学習センターの敷地を一体的な公園として利用し,総合体育館及び多目的グラウンド等を整備する方向を示している。
また,同計画7頁は,オオタカの営巣等が確認されたことを受け,留保地南西部の約7.2ヘクタールを保全区域とする方針を記載している。
この計画は,今後の土地処分及び整備の方向を示すものであり,記載された公園又は体育館が既に完成したことを意味しない。
土地取得,都市計画上の手続,整備手法の検討その他の過程が残されている。
第6 立川・府中基地跡地の比較
| 比較項目 | 立川基地跡地 | 府中基地跡地 |
|---|---|---|
| 関東計画上の位置付け | 立川飛行場(大和航空施設を含む。)の返還 | 府中空軍施設の大部分の返還 |
| 主な返還時期 | 昭和51年から昭和52年まで・全面返還は昭和52年11月30日 | 大部分は昭和50年6月30日・府中通信施設は令和3年9月30日 |
| 自治体資料上の跡地規模 | 約460ヘクタール | 旧府中空軍施設は約56ヘクタールとされ,現在の留保地等の計画対象は約15.6ヘクタール |
| 返還後の基本的な土地利用 | 国営公園,広域防災基地,国等施設,業務・都市機能及び留保地 | 公園,文教・文化施設,道路,航空自衛隊基地及び留保地 |
| 現在の主な論点 | 留保地を含む国有地の段階的な有効活用 | 留保地・通信施設跡地の一体利用と約7.2ヘクタールの保全区域 |
両地区は,同じ関東計画を契機として返還された大規模国有地であるが,返還後の用途及び整備の速度は同じではない。
立川では国営公園と広域防災基地が土地利用の二本柱となった一方,府中では公園・文化施設と航空自衛隊基地への利用が進み,残る留保地等について現在も利用計画が具体化されている。
第7 主要な経過
| 年月日 | 出来事 |
|---|---|
| 昭和48年1月23日 | 第14回日米安全保障協議委員会が関東計画を了承した。 |
| 昭和48年3月15日 | 水戸空対地射爆撃場が返還された。 |
| 昭和48年6月29日 | ジョンソン飛行場住宅地区の大部分が返還された。 |
| 昭和49年12月10日 | 関東村住宅地区が返還された。 |
| 昭和50年6月30日 | 府中空軍施設の大部分が返還された。 |
| 昭和51年から昭和52年 | 立川飛行場跡地約460ヘクタールが段階的に返還された。 |
| 昭和52年11月30日 | 立川飛行場が全面返還となった。 |
| 昭和53年7月10日 | キャンプ朝霞南地区の大部分が最終返還となった。 |
| 昭和54年11月 | 立川飛行場返還国有地の処理の大綱が決定された。 |
| 平成15年6月・7月 | 留保地について「原則利用,計画的有効活用」へ方針が転換された。 |
| 令和3年9月30日 | 府中通信施設が全部返還された。 |
| 令和7年5月・6月 | 府中市が留保地等の土地利用計画を改定し,国へ提出した。 |
第8 資料を読む際の留意点
1 公表文,研究及び土地利用計画を区別すること
昭和48年の日米安全保障協議委員会公表文は,当時両政府が了承した計画の内容を示す一次資料である。
これに対し,防衛研究所の論文は,当時の公表資料,国会会議録及び米国側文書等を後から分析した研究であり,実際の返還日又は費用を確認するための重要な二次資料である。
また,自治体の土地利用計画は,返還後の土地を将来どのように利用するかを示す行政計画である。
計画の策定又は国への提出と,土地の取得,工事の完了及び施設の供用開始は区別しなければならない。
2 同じ名称でも面積の範囲が異なること
関東計画の対象施設面積,米軍から返還された土地の面積,国有財産として処理された跡地面積及び現在の土地利用計画の対象面積は,同じ範囲を示すとは限らない。
特に,立川飛行場と大和航空施設を合算した数値及び府中通信施設のイーズメントを含む返還面積については,自治体の計画面積と機械的に一致させないことが重要である。
3 「返還」は土地利用の完了を意味しないこと
返還後には,国有財産の区分,既存建物の処理,都市計画,取得又は貸付け,財源確保及び工事が続く。
したがって,跡地利用の進捗を確認するときは,返還日だけでなく,処理大綱,利用計画,土地処分,着工及び供用開始の各時点を確認すべきである。
第9 関連記事
在日米軍基地の法的根拠,施設・区域の数及び日米地位協定の全体像については,「在日米軍基地の法的根拠,施設数,日米地位協定及び主要裁判例(AIリライト)」参照。
返還合意と代替施設の完成を区別する別の例については,「普天間飛行場の成立・返還合意と辺野古代替施設の経緯」参照。
米軍基地の運用と周辺住民の損害に関する裁判例については,「米軍基地騒音訴訟の判例―飛行差止め,過去の損害及び将来の損害」参照。
第10 出典・参考資料
1 日米間の合意及び制度
① 外務省「日米安全保障協議委員会第14回会合について」
② 外務省「日米地位協定2条」
③ 財務省「大口返還財産の留保地の今後の取扱いについて」
2 立川・府中基地跡地の公的資料
① 立川市「立川飛行場跡地(留保地)等に係る土地利用計画」
② 立川市「立川広域防災基地」
③ 国営昭和記念公園「昭和記念公園について」
④ 府中市「府中基地跡地の土地利用について」
⑤ 府中市「府中基地跡地留保地及び米軍通信施設跡地利用計画」
⑥ 防衛省「FAC3016府中通信施設の全部返還について」
⑦ 航空自衛隊府中基地「基地の沿革」
3 研究資料
① 小山高司「『関東計画』の成り立ちについて」戦史研究年報11号1頁~20頁(平成20年)