第1 地方裁判所の自庁処理の意味
1 民事訴訟法16条2項の仕組み
地方裁判所の自庁処理とは,その地方裁判所の管轄区域内にある簡易裁判所の管轄に属する訴訟について,地方裁判所が簡易裁判所へ移送せず,自ら審理及び裁判をする取扱いである。
民事訴訟法16条2項は,地方裁判所が相当と認めるときに,申立て又は職権で訴訟の全部又は一部を自ら審理及び裁判できると定めている。
自庁処理は,地方裁判所が管轄のない事件を当然に受理できる制度ではなく,同項が定める範囲で地方裁判所に事件を留める制度である。
したがって,どの簡易裁判所の管轄に属するか,自庁処理を妨げる専属管轄がないか,地方裁判所での審理が相当といえる具体的事情があるかを順に確認する必要がある。
2 この記事の対象と基準時
本記事は,令和8年8月25日現在の法令及び公表資料に基づき,地方裁判所が簡易裁判所の管轄事件を自庁処理する場面を対象とする。
家庭裁判所が家事事件を自ら処理する制度及び簡易裁判所が事件を地方裁判所へ移送する制度は,根拠条文と要件が異なるため,後記第6で区別する。
自庁処理の可否は個別事件の内容に即した裁量判断であり,特定の事情があれば必ず認められるという制度ではない。
以下では,法定の要件,最高裁判例が示した判断枠組み,書面に具体化すべき事項及び即時抗告の対象を分けて説明する。
第2 自庁処理の対象となる訴訟
1 簡易裁判所の事物管轄
裁判所法33条1項1号により,簡易裁判所は,原則として訴訟の目的の価額が140万円を超えない請求に関する第一審の民事訴訟を管轄するが,行政事件訴訟は除かれる。
金銭請求では請求額が主要な判断材料となるものの,訴訟の目的の価額は民事訴訟法8条及び9条によって算定するため,単に紛争全体の経済的規模だけで決めるものではない。
裁判所法24条1号は,訴訟の目的の価額が140万円以下であっても,不動産に関する訴訟を地方裁判所の管轄から除外していない。
このため,請求額が140万円以下であるという一事だけで,常に地方裁判所での審理に民事訴訟法16条2項の自庁処理が必要になるとは限らない。
2 管轄区域と専属管轄
民事訴訟法16条2項が対象とするのは,受訴地方裁判所の管轄区域内にある簡易裁判所の管轄に属する訴訟である。
管轄簡易裁判所が別の地方裁判所の管轄区域内にある場合は,同項による自庁処理ではなく,管轄違いその他の移送規定を検討することになる。
法令に専属管轄の定めがある場合は,自庁処理をすることができない。
もっとも,民事訴訟法11条の管轄合意はこの除外の対象ではなく,最高裁平成20年7月18日第二小法廷決定は,専属的管轄合意によって簡易裁判所の管轄に属する場合にも,民事訴訟法16条2項の判断枠組みが適用されることを示している。
第3 自庁処理の判断基準
1 事件内容に即した合理的な裁量判断
民事訴訟法16条2項は,自庁処理の要件を「相当と認めるとき」と定めるだけで,考慮要素を限定列挙していない。
自庁処理の可否は,請求額又は「事案が複雑である」という抽象的な評価だけで決まるのではなく,当該事件の内容に照らして地方裁判所で審理及び裁判をすることが相当かという観点から判断される。
この判断では,訴訟物及び請求額,当事者数,予想される争点,主張及び証拠の内容,関連する請求又は事件の有無等が事件ごとに問題となり得る。
これらは法定の独立要件ではないため,項目の該当数を足し合わせるのではなく,各事情が地方裁判所での審理の相当性にどのように結び付くかを説明する必要がある。
2 最高裁平成20年7月18日決定
最高裁平成20年7月18日第二小法廷決定(平成20年(許)第21号,民集62巻7号2013頁)は,借主側が貸金業者に対して大阪地方裁判所で約664万円の過払金返還を求め,貸金業者側が専属的管轄合意を理由として大阪簡易裁判所への移送を申し立てた事案である。
大阪高等裁判所は,民事訴訟法17条の著しい遅滞又は当事者間の衡平という観点から移送の可否を判断して大阪簡易裁判所への移送を命じたが,最高裁はこの判断を破棄した。
最高裁は,地方裁判所が簡易裁判所への移送申立てを却下するかどうかについて,民事訴訟法17条所定の事情だけでなく,民事訴訟法16条2項の趣旨に照らし,事件内容を広く見て地方裁判所での審理及び裁判が相当かという観点から判断すべきであるとした。
その判断は地方裁判所の合理的な裁量に委ねられ,裁量権の範囲を逸脱し,又は濫用したと認められる特段の事情がない限り違法とはならない,というのが同決定の基準である。
同決定は,自庁処理を必ず認める具体的要素を列挙したものではない。
また,過払金返還請求及び専属的管轄合意が問題となった事案であるから,結論だけを他の事件へ当てはめるのではなく,判断枠組みと個別事件の事情を区別して用いる必要がある。
3 書面に具体化すべき事情
東京弁護士会の「東京地裁書記官に訊く―交通部編―」は,平成25年当時の東京地方裁判所交通部について,自庁処理を求める書面には,事前交渉を踏まえた予想される相手方の主張及び争点並びに地方裁判所での審理を相当とする事情を具体的に記載し,単に「事案困難」と書くだけでは足りないと説明している。
これは特定の裁判所及び部における平成25年当時の説明であって,現行法上の全国一律の要件又は現在の運用を示すものではないが,事件内容を具体化するという点では最高裁決定の判断枠組みと整合する。
自庁処理を求める書面では,少なくとも次の事項を,手元にある訴状,契約書,交渉記録その他の資料に即して検討することになる。
① 本来の管轄簡易裁判所,その管轄の根拠及び訴訟の目的の価額。
② 提訴前の交渉又は既に提出された書面から具体的に予想される主張及び争点。
③ 争点と主要な証拠との関係,関連請求又は関連事件の有無その他の事件内容。
④ これらの事情から地方裁判所での審理及び裁判を相当とする理由。
相手方の主張を確実に予測できない段階では,推測を事実として記載すべきではない。
確認済みの交渉経過,相手方が既に示した見解及び客観的資料から合理的に見込まれる争点を区別し,不明な事項は不明なまま示す方が,裁判所が事件内容を把握しやすい。
第4 自庁処理を求める方法
1 申立てと職権発動を促す上申
民事訴訟法16条2項は,当事者の申立てと裁判所の職権の双方を定めている。
原告が地方裁判所での審理を求める場合は自庁処理の申立書を提出する方法があり,裁判所の職権発動を促す趣旨で上申書を提出する取扱いも,前記の平成25年の東京地方裁判所交通部の説明に示されている。
上申は,裁判所に職権の発動を求めるものであり,民事訴訟法16条2項が定める当事者の申立てと同一ではない。
書面の表題だけでなく,申立てとして裁判を求めるのか,職権発動を促すのかを本文で明確にする必要がある。
2 書式と提出時期
民事訴訟規則7条は,移送の申立てを期日以外でする場合について,書面で申立ての理由を明らかにすることを求めている。
これは移送申立ての方式を定める規定であり,自庁処理申立書の全国共通様式を定めるものではない。
裁判所の民事訴訟・少額訴訟で使う書式の案内には,令和8年8月25日現在,移送申立書の全国共通書式が掲載されているが,自庁処理申立書の全国共通書式は掲載を確認できない。
自庁処理を求めるときは,提出先の裁判所に書式及び提出方法を確認した上で,事件番号,当事者,求める裁判及び具体的な理由を特定した事件別の書面を作成することになる。
原告が簡易裁判所の管轄事件を地方裁判所に提起し,自庁処理を求める方針である場合は,訴状と同時又は提訴後速やかに理由を示すことが考えられる。
地方裁判所は職権で移送できるため,被告が管轄違いを主張するまで判断されないことを前提にすべきではない。
3 応訴管轄との関係
民事訴訟法12条は,被告が第一審裁判所で管轄違いの抗弁を提出せず,本案について弁論又は弁論準備手続で申述したときに,その裁判所に管轄が生じる応訴管轄を定めている。
しかし,平成25年当時の東京地方裁判所交通部は,自庁処理を相当と認めない事件について,応訴管轄の成立を待たず原則として移送等の措置を採ると説明していた。
この説明も当時の同部の取扱いに限られるが,民事訴訟法16条1項及び2項が職権による移送又は自庁処理を認めている以上,応訴管轄が成立するまで事件が必ず地方裁判所に留まるとはいえない。
原告は,自庁処理を求める理由があるなら,被告の対応を待つのではなく,その理由を早期に提出する必要がある。
第5 自庁処理と即時抗告
1 自庁処理の判断自体は独立の抗告対象ではないこと
民事訴訟法21条が即時抗告を認めているのは,移送の決定及び移送の申立てを却下した決定である。
自庁処理をする,又はしないという判断だけを切り離した裁判は,同条が定める独立の即時抗告の対象ではない。
したがって,不服申立てでは,「自庁処理の申立てが認められなかった」という理由だけで抗告対象を表示するのではなく,その判断に伴ってされた移送決定又は移送申立却下決定を特定する必要がある。
民事訴訟法16条2項の相当性は,これらの決定に対する即時抗告の理由として審査されることになる。
2 即時抗告の対象となる二つの場面
第一に,原告が自庁処理を申し立てたものの,地方裁判所が自庁処理を相当と認めず,職権で管轄簡易裁判所への移送を決定した場合は,移送決定が即時抗告の対象となる。
この場合は,民事訴訟法16条2項により地方裁判所が自ら審理及び裁判をすべきであったことを抗告理由として主張することになる。
第二に,被告が簡易裁判所への移送を申し立てたものの,地方裁判所が自庁処理を相当として移送申立てを却下した場合は,移送申立却下決定が即時抗告の対象となる。
最高裁平成20年7月18日決定は,この第二の場面で,地方裁判所による自庁処理の相当性を審査した裁判例である。
3 1週間の不変期間
民事訴訟法332条により,決定又は命令に対する即時抗告は,その裁判の告知を受けた日から1週間の不変期間内にしなければならない。
期間を徒過した場合に当然の回復が認められるものではないため,裁判の告知を受けたら,対象となる決定,告知日及び抗告裁判所を直ちに確認する必要がある。
移送決定が確定すると,移送を受けた裁判所はその決定に拘束され,事件を更に他の裁判所へ移送することができず,訴訟は最初の裁判所に提起した時に移送先裁判所へ提起されたものとみなされる(民事訴訟法22条)。
この効果があるため,自庁処理の相当性を争う場合は,移送後の審理を待つのではなく,即時抗告の期間内に対応する必要がある。
第6 類似する制度との違い
1 民事訴訟法17条及び18条の移送
民事訴訟法17条は,訴訟が管轄に属する場合でも,訴訟の著しい遅滞を避け,又は当事者間の衡平を図るために必要があるときに,他の管轄裁判所へ移送できる制度である。
これに対し,民事訴訟法16条2項は,本来は管轄区域内の簡易裁判所の管轄に属する訴訟を地方裁判所に留める制度であり,最高裁平成20年7月18日決定は,その判断を民事訴訟法17条の事情だけに限定しなかった。
民事訴訟法18条は,簡易裁判所が,その管轄に属する訴訟を,所在地を管轄する地方裁判所へ移送する制度である。
これは簡易裁判所から地方裁判所への裁量移送であり,地方裁判所が事件を留める自庁処理とは,判断する裁判所及び手続の方向が逆である。
2 家庭裁判所の自庁処理
家庭裁判所が管轄外の家事事件を自ら処理する制度は,家事事件手続法9条等に基づく別の制度であり,民事訴訟法16条2項の地方裁判所による自庁処理と要件及び不服申立ての規律が同一ではない。
遺産分割調停が不成立となった後の審判の管轄については,「遺産分割調停・審判の管轄,移送と自庁処理(AI作成)」で説明している。
名称が同じ「自庁処理」であっても,地方裁判所の民事訴訟と家庭裁判所の家事事件とでは,根拠条文を先に確認する必要がある。
特に,即時抗告の対象,意見聴取及び判断要件について,一方の制度の説明を他方へそのまま移すべきではない。
第7 出典・参考資料
1 法令・規則
① 民事訴訟法8条,9条,11条,12条,16条~18条,21条,22条及び332条(e-Gov法令検索,令和8年8月25日現在)。
② 裁判所法24条及び33条(e-Gov法令検索,令和8年8月25日現在)。
③ 最高裁判所「民事訴訟規則」7条(令和8年5月21日施行版)。
2 裁判例
① 最高裁平成20年7月18日第二小法廷決定(平成20年(許)第21号,移送申立て却下決定に対する抗告審の取消決定等に対する許可抗告事件,民集62巻7号2013頁)。
3 公的・実務資料
① 裁判所「民事訴訟・少額訴訟で使う書式」(令和8年8月25日確認)。
② 東京弁護士会「東京地裁書記官に訊く―交通部編―」LIBRA Vol.13 No.8(2013年8月)5頁(PDF4頁)。
4 文献
① 田中敦編・民事裁判実務研究会編著『民事裁判実務論点大系―裁判官からみた手続運用と実践知』(ぎょうせい,2025年)48頁~49頁,52頁。