第1 この記事の対象と結論
本記事は,令和8年9月4日現在の法令及び公開資料に基づき,被相続人名義の株式,投資信託,債券その他の有価証券を遺言執行者が換価し,その代金を相続人に分配する遺言の執行を扱う。
相続人が現物のまま有価証券を取得する場合や,遺言がなく遺産分割協議によって換価する場合は,直接の対象ではない。
有価証券の換価分配では,遺言執行者に民法上の処分権限があることと,証券会社が被相続人名義の口座で直ちに売却注文を受け付けることとは別問題である。
実際には,①遺言の対象と権限,②口座及び保有商品の全体像,③証券会社所定の換価経路,④売却時期及び注文方法,⑤譲渡所得の帰属及び分配可能額を順に確定する必要がある。
本記事では,換価方針を相場予測で決めるのではなく,遺言の文言,証券会社の手続,銘柄の流動性,税務上の取扱い及び相続人間の公平を確認した上で,判断時点の資料と理由を記録して執行することを基本形とする。
遺言執行者に関する一般的な相続人側の注意点は,「遺言執行者が指定されている場合の相続人の注意点」で説明している。
第2 遺言の対象と遺言執行者の権限
1 遺言全文から換価対象を確定すること
民法1012条1項は,遺言執行者が遺言の内容を実現するため,相続財産の管理その他遺言の執行に必要な一切の行為をする権利義務を有すると定めている。
一方,遺言が特定の財産に関する場合,遺言執行者の権限はその財産についてのみ及ぶ(同法1014条1項)ため,「有価証券を売却する」という一節だけでなく,遺言全文から対象と目的を確定する必要がある。
確認する事項は,①すべての有価証券を対象とするのか,特定の証券会社,口座又は銘柄に限るのか,②株式分割,合併,償還,再投資等によって形を変えた資産を含むのか,③外貨預り金,未収配当金,分配金及び株主優待を含むのか,④換価費用,遺言執行者報酬,債務及び税金をどこまで控除するのか,⑤誰にどの割合で分配するのかである。
受取人の先死亡,相続放棄又は受遺放棄が生じた場合の代替的な分配条項も確認する。
『履行困難な遺言執行の実務』136頁~138頁が紹介する事例では,遺言が対象とした上場株式を遺言者本人が生前に売却して預金へ変えた結果,遺言執行者がその預金について当然には換価・分配権限を行使できないことが問題となった。
有価証券を特定した遺言が,売却後の代金又は別口座の預金にまで当然に及ぶとは限らない。
2 通知,財産目録及び相続人による妨害の防止
遺言執行者は,就職を承諾したときは直ちに任務を行い,任務を開始したときは遅滞なく遺言の内容を相続人に通知しなければならない(民法1007条)。
また,遅滞なく相続財産目録を作成して相続人に交付し,相続人から請求があったときは,相続人の立会いの下で目録を作成し,又は公証人に作成させなければならない(同法1011条)。
遺言執行者がある場合,相続人は,相続財産の処分その他遺言の執行を妨げる行為をすることができず,これに違反する行為は原則として無効である。
ただし,その無効は善意の第三者に対抗できず,相続人の債権者による権利行使も妨げられない(民法1013条)。
遺言執行者がその権限内で遺言執行者であることを示してした行為は,相続人に対して直接に効力を生ずる(民法1015条)。
この規定は遺言執行者の行為の私法上の効果を定めるものであり,証券会社がどの名義の口座へ移管し,誰から売却注文を受けるかという事務手続まで全国一律に定めるものではない。
第3 証券口座及び保有商品の調査
1 口座開設先と保有残高を分けて調べること
証券保管振替機構の登録済加入者情報の開示請求により,被相続人が口座を開設している証券会社,信託銀行その他の口座管理機関を調べることができる。
しかし,開示結果から銘柄,数量,残高又は取引履歴が判明するわけではなく,これらは開示された各口座管理機関へ別途照会する必要がある。
遺言執行者による開示請求では,遺言書,死亡を確認できる戸籍,住所を確認できる資料及び本人確認書類等が必要となる。
自筆証書遺言については,法務局の遺言書保管制度を利用した遺言書情報証明書がある場合等を除き,検認済証明書等も必要となるほか,遺言執行者に有価証券を処分する権限がない場合には請求できないことがある(証券保管振替機構の必要書類案内)。
令和8年9月4日現在,証券保管振替機構は,書類に不備がない場合でも受付から開示結果の送付まで約2か月を要していると案内している。
口座の心当たりがないことだけを理由に調査を打ち切らず,取引報告書,電子交付の通知,銀行口座の入出金,配当通知,確定申告書及び郵便物を先に確認し,必要に応じて開示請求を利用するのが合理的である。
2 証券会社から取得する資料
発見した証券会社には,まず死亡日現在の残高証明書と現在残高を照合し,死亡後に生じた償還,株式分割,合併,公開買付け,分配金又は配当金を確認する。
取得費の確認に必要な取引履歴,顧客勘定元帳,取引報告書その他の資料について,発行可能な期間と手数料も照会する。
調査対象は,①上場株式,②投資信託,③国債・社債その他の債券,④NISA預り,⑤外国証券及び外貨預り金,⑥信用取引その他の未決済取引,⑦特別口座,⑧非上場株式である。
『非典型財産の相続実務』61頁~68頁は,上場株式について証券会社の資料,非上場株式について株主名簿や税務資料を確認し,古い株券については特別口座の管理機関へ照会する方法を説明している。
第4 証券会社における換価経路
1 相続人名義口座へ移管してから売却する取扱い
野村證券のFAQは,通常の相続手続後,有価証券を引き継ぐ相続人の同社口座へ振り替えた後に売却可能となると案内している。
SMBC日興証券の必要書類案内も,遺言書による手続に必要な書類を示すとともに,資産を引き継ぐ者が同社口座を持たない場合には新規口座開設が必要になるとしている。
これらは各社の一般的な相続手続の案内であり,換価分配型遺言について遺言執行者から直接注文を受けるかを一律に示すものではない。
遺言執行者は,遺言書の写しを提示した上で,①被相続人口座で売却できるか,②遺言執行用又は相続人名義の口座への移管が必要か,③換価代金を遺言執行者の管理口座へ送金できるかを個別に確認することになる。
2 遺言執行者による換金分割用の取扱い
安藤証券の相続手続案内は,被相続人名義口座では引出しや売却ができないとする一方,遺言執行者又は遺産整理受任者が相続財産を換金分割する場合の専用移管依頼書を案内している。
同社では,相続移管が完了するまで売却できないのが原則であるが,信用取引の未決済建玉については,所定の手続によって相続移管前に決済できる場合があるとしている。
このように,遺言執行者が用いる口座,特定口座又は一般口座の別,売却可能時点及び必要書類は証券会社ごとに異なる。
民法上の権限だけから,「必ず遺言執行者の一般口座で売却する」,又は「必ず相続人の特定口座へ移して売却する」と一般化することはできない。
第5 換価時期及び注文方法
1 善管注意義務と相場変動
民法644条及び1012条3項により,遺言執行者は善良な管理者の注意をもって委任事務を処理する義務を負う。
もっとも,事後的に最も高かった日又は価格で売却できなかったという結果だけから,直ちに善管注意義務違反となるわけではない。
遺言に具体的な売却時期又は価格条件がない場合,判断の対象となるのは,将来の相場を的中させたかではなく,当時入手できた情報に基づき合理的な手順で判断したかであると考えられる。
銘柄の流動性,保有数量と市場出来高との関係,売買停止又は公開買付けの有無,証券会社の手続完了時期,税務上の期限及び相続人間の公平を確認する必要がある。
2 売却方針を先に記録すること
本記事では,売却可能な状態となる前に,①売却開始の条件,②一括売却又は分割売却の基準,③成行注文又は指値注文を選択する基準,④受渡日と分配日の関係,⑤取引停止等が生じた場合の再検討条件を記録することを基本形とする。
遺言執行者自身も分配を受ける場合や,相続人の一部だけが売却時期について要望している場合には,判断理由をさらに具体的に残すことが考えられる。
記録に当たっては,約定日,受渡日及び売却代金が預金口座へ入金された日を区別する。後日,換価の時期が問題とされたときに,入金日から売却の判断時期を推定することはできないためである。
外国証券では,第7の1のとおり為替交換の工程が加わるため,この三つの日付の差はさらに大きくなり得る。第3の2で挙げた資料のうち,約定日を示すものを併せて保管する。
流動性の高い上場株式を長期間保有すれば,値上がりの可能性だけでなく値下がりの危険も相続人に負わせることになる。
他方,市場出来高に比べて大量の株式を一括して売却すると価格に影響する可能性があるため,一括売却と分割売却のどちらが適切かは,具体的な数量と市場状況によって異なる。
遺言執行者による上場株式の換価時期又は注文方法を直接の争点とする裁判例について,今回の裁判所ウェブサイトの検索では,本文を確認して本記事に採用できるものを確認できなかった。
裁判所ウェブサイトにはすべての裁判例が掲載されているわけではないため,これは該当する裁判例が存在しないという意味ではない。
第6 相続税評価額,取得費及び譲渡所得
1 四つの金額を区別すること
有価証券の換価分配では,死亡日現在の口座残高,相続税評価額,実際の売却代金及び譲渡所得計算上の取得費を区別する必要がある。
同じ銘柄についても,これらの金額が一致するとは限らない。
| 用途 | 基準となる金額又は資料 |
|---|---|
| 死亡日現在の保有状況 | 証券会社の残高証明書 |
| 上場株式の相続税評価 | 死亡日の最終価格と,当月・前月・前々月の月平均額との比較 |
| 換価代金 | 実際の約定単価及び数量による売却代金 |
| 譲渡所得の取得費 | 原則として被相続人から引き継いだ取得費 |
国税庁のタックスアンサーNo.4632によれば,上場株式は原則として死亡日の最終価格で評価するが,その価額が,死亡日の属する月,前月又は前々月の各月平均額のうち最も低い価額を超える場合には,その最も低い価額で評価する。
売却時の譲渡所得は相続税評価額との差額で計算するものではない。
国税庁のタックスアンサーNo.1464によれば,相続又は遺贈により取得した株式等の取得費は,原則として被相続人又は遺贈者の取得費を引き継ぐ。
取得費が分からない場合には,同一銘柄ごとに売却代金の5%相当額を取得費とすることも認められるが,実際の取得費の方が高ければ課税上不利になるため,取引履歴等の調査を先行させることが合理的である。
2 換価による譲渡所得を誰が申告するか
国税庁の質疑応答事例「遺言に基づき遺産の換価代金で特定公益信託を設定した場合の相続税及び譲渡所得の課税関係」は,遺言執行者が遺産を換価する特定の事例について,民法1015条により換価処分の効力が相続人に直接生ずることを理由に,各相続人が法定相続分に応じて譲渡所得を申告する必要があるとしている。
同ページは,照会された事実関係を前提とする一般的な回答であり,具体的な取引では異なる課税関係が生じることがあると明記している。
税務大学校論叢85号の小柳誠「換価遺言が行われた場合の課税関係について」は,換価遺言を不特定物である金銭の遺贈,包括遺贈又は相続分・遺産分割方法の指定のいずれと解するかによって法律関係が異なると検討した上で,不特定物である金銭の遺贈では収益を享受する受遺者に譲渡所得が帰属するとの見解を示している。
これは税務大学校の研究論文であって,国税庁の統一的な公式見解そのものではない。
したがって,遺言執行者が売却するという外形だけから,分配割合又は法定相続分をそのまま譲渡所得の帰属割合と決めることはできない。
遺言の法的性質,換価時の権利帰属,受取人及び分配割合を確認し,売却前に税理士又は所轄税務署へ照会した上で,誰がどの割合で申告するかを記録することが考えられる。
3 NISAと取得費加算の特例
NISA又はジュニアNISAに受け入れられていた上場株式等が相続又は遺贈によって払い出された場合,相続人又は受遺者の取得価額は,原則として相続開始日の終値に相当する金額となる(国税庁タックスアンサーNo.1464)。
通常の課税口座にある株式等について被相続人の取得費を引き継ぐ取扱いとは異なる。
NISA口座を開設していた者が死亡した場合,相続人は,死亡を知った日以後,遅滞なく,口座が開設されている各金融機関へ非課税口座開設者死亡届出書を提出する必要がある(国税庁「NISA口座の新規開設又は変更に関する手続等について」)。
NISAに固有の取扱いは,「相続発生時のNISA口座の取扱い」で説明している。
相続税を負担した者が一定期間内に相続財産を譲渡した場合,相続税額の一部を譲渡資産の取得費に加算できることがある。
国税庁のタックスアンサーNo.3267によれば,対象期間は相続開始日の翌日から相続税の申告期限の翌日以後3年を経過する日までであり,適用には所定の書類を添付した確定申告が必要である。
第7 商品別の例外と分配・報告
1 非上場株式,外国証券及び信用取引
譲渡制限株式については,会社の定款に定めがあるとき,会社が相続その他の一般承継によって株式を取得した者に対して,その株式を会社へ売り渡すよう請求できる(会社法174条)。
会社が相続その他の一般承継を知った日から1年以内に請求しなければならないため(同法176条),非上場株式では定款,株主名簿,会社からの通知及び評価方法を早期に確認する必要がある。
非上場株式の評価方法については,「相続した非上場株式の評価方法」でも説明している。
外国証券では,外国での相続手続,移管制限,為替交換,現地源泉税及び外国の遺産税が問題となり得る。
国内証券会社の口座にあるという理由だけで国内上場株式と同じ処理ができるとは限らず,米国株式に固有の税務については,「日本の証券会社で米国株式を保有する人の相続と米国連邦遺産税」も参照されたい。
信用取引その他の未決済取引には,証拠金を超える損失又は強制決済が生じる可能性がある。
現物株式の調査と同じ順番で待つのではなく,証券会社へ直ちに死亡を連絡し,建玉,保証金,決済期限及び遺言執行者による処理の可否を確認する場面である。
2 配当金等と換価代金の範囲
『非典型財産の相続実務』63頁は,既に発生した配当金請求権及び発行済みの株主優待が,株式とは独立した相続財産として扱われる場合を説明している。
換価分配条項が「株式の売却代金」だけを対象としている場合,これらを当然に同じ割合で分配できるとは限らない。
配当等については,権利確定日,支払日,売却約定日及び受渡日を記録し,遺言のどの条項に基づいて処理するかを明らかにする。
相続開始後に合併,株式分割,償還その他のコーポレートアクションが生じた場合も,同じ台帳で数量と現金の変化を追跡することが考えられる。
3 換価代金の管理と相続人への報告
遺言執行者は,換価代金を自己の固有財産と混同せず,遺言執行用の管理口座で管理することが考えられる。
銘柄ごとに,売却数量,約定日,受渡日,単価,売却代金,手数料,外貨交換額及び入金額を記録する。
民法1021条は,遺言の執行に関する費用を相続財産の負担とする一方,これによって遺留分を減ずることはできないと定めている。
証券会社の手数料等と,被相続人の債務,相続税,各相続人の所得税及び遺言執行者報酬とは性質が異なるため,遺言の文言を確認せずにすべてを売却代金から控除することはできない。
最終分配前には,未収配当,未払費用,譲渡所得の帰属,税務申告に必要な資料及び追加照会の有無を確認する。
各相続人には,総売却代金,銘柄別の取得費資料,控除費用,留保額,分配割合及び実際の送金額を記載した計算書を交付し,任務終了時には事務処理の経過及び結果を報告する(民法645条,646条,1012条3項)。
相続人全員が現物分配を希望しても,換価分配を命じた遺言の効力が当然に消えるわけではない。
すでに生じた権利関係,受遺者その他の利害関係人,遺留分及び課税関係を確認せずに執行方法を変更しないことが相当である。
出典・参考資料
1 法令
①e-Gov法令検索「民法」(1007条,1011条~1016条,1019条,1021条,644条~647条)
②e-Gov法令検索「会社法」(174条,176条)
2 所管行政機関の解説・質疑応答及び研究資料
①国税庁「No.1464 譲渡した株式等の取得費」(令和8年4月1日現在法令等)
②国税庁「No.4632 上場株式の評価」(令和8年4月1日現在法令等)
③国税庁「No.3267 相続財産を譲渡した場合の取得費の特例」(令和7年4月1日現在法令等)
④国税庁「NISA口座の新規開設又は変更に関する手続等について」
⑤国税庁「遺言に基づき遺産の換価代金で特定公益信託を設定した場合の相続税及び譲渡所得の課税関係」(令和7年8月1日現在法令・通達等)
⑥小柳誠「換価遺言が行われた場合の課税関係について」税務大学校論叢85号(2016年)11頁~101頁
3 証券関係機関及び金融商品取引業者の手続資料
①証券保管振替機構「ご本人又は亡くなった方の株式等に係る口座の開設先を確認したい場合」及び「必要書類」
②SMBC日興証券「相続手続き時に必要な書類」
③野村證券「亡くなった父の有価証券を売却したいのですが,どのような手続きをすればよいですか」
④安藤証券「相続手続きのご案内」
4 文献
①遺言・相続実務問題研究会編集,野口大・藤井伸介編集代表『事案から学ぶ 履行困難な遺言執行の実務―遺言作成後の事情変更,解釈の難しい遺言への対応』日本加除出版,2023年,126頁~140頁
②中村規代実・井崎淳二・横山宗祐共編『非典型財産の相続実務―金融商品,デジタル財産,知的財産,地位・権利,特殊な不動産・動産等―』新日本法規出版,2024年,61頁~68頁