第1 親任官,勅任官及び奏任官の意味
1 親任官
親任官とは,天皇の親任式をもって任ぜられた官であり,明治憲法下の高等官の最上位に置かれた。
親任官,勅任官及び奏任官は,官の任命形式及び官等に関する歴史上の区分である。
国立国会図書館リサーチ・ナビ「官吏制度」は,高等官のうち親任式をもって任ぜられる者を親任官とし,その下に勅任官及び奏任官が置かれた制度を説明している。
2 勅任官及び奏任官
一般の高等官制度では,高等官1等及び2等が勅任官,高等官3等から9等までが奏任官とされた。
もっとも,「勅任官」が親任官を含む高位官吏の総称として広く使われる場合もあるため,史料を読む際は狭義か広義かを確認する必要がある。
さらに,判事及び検事には時期によって独自の官等・俸給制度が設けられていた。
一般官制の説明だけから,特定時点の大審院判事,控訴院部長又は検事正の官等を決めることはできない。
3 現在の認証官・指定職との違い
現在の認証官は,日本国憲法7条5号等に基づき天皇の認証を受ける職である。
戦前の親任官と現在の認証官には,任免に天皇が関与するという形式上の類似はあるが,憲法上の地位及び任命制度は異なり,両者が1対1で対応するわけではない。
現在の指定職は,一般職の職員の給与に関する法律別表第11の指定職俸給表が適用される給与上の区分である。
任命形式及び官等に関する勅任官を,現在の指定職と同じ制度であるかのように説明するのも正確でない。
第2 司法部の親任官
1 大審院長
制定時の裁判所構成法67条は判事を勅任又は奏任とし,同法68条は大審院長を勅任判事の中から天皇が補すると定めていた。
この条文だけを根拠に,制定時から大審院長が親任官であったとすることはできない。
大正3年法律第39号は,同法67条を「判事ハ終身官トシ親任勅任又ハ奏任トス」と改め,同法68条を「大審院長ハ親任判事ヲ以テ之ヲ親補ス」と改めた。
大審院長が親任官となったのは,この改正が施行された大正3年である。
大審院長は,大審院の一般の事務を指揮し,その行政事務を監督した(裁判所構成法44条2項)。
ただし,同法143条は,司法行政上の監督が,裁判上の職務を行う判事の裁判権に影響を及ぼし,又はこれを制限しないと定めていた。
2 検事総長
制定時の裁判所構成法79条は,検事総長を司法大臣の上奏により勅任検事の中から補すると定めていた。
大正3年法律第39号は,検事総長について「勅任検事ヲ以テ之ヲ親補ス」と改めた。
この段階では,検事総長に補せられる者の官はなお勅任検事である一方,検事総長への補職が親補とされたのであり,官と補職を区別して読む必要がある。
大正10年法律第101号は,検事総長について「親任検事ヲ以テ之ヲ親補ス」と改めた。
大正10年勅令第227号により同年6月1日に改正が施行され,検事総長は親任官となった。
3 行政裁判所長官
制定時の行政裁判法3条は,行政裁判所長官を勅任と定めていた。
大正5年法律第37号は同条を「長官ハ親任トス」と改め,大正5年勅令第102号により同年4月13日に施行された。
以上によれば,大審院長,検事総長及び行政裁判所長官の親任官化は同時ではない。
大審院長は大正3年,行政裁判所長官は大正5年,検事総長は大正10年である。
第3 判事・検事の官等と補職
1 官,補職,官等及び俸給を区別する必要
戦前の司法官制度を理解するには,判事又は検事という「官」,大審院長,控訴院長,検事長又は検事正という「補職」,高等官何等という「官等」,勅任何級俸又は奏任何級俸という「俸給」を区別しなければならない。
同じ補職でも,法令改正によって任用できる官の範囲又は俸給が変わることがある。
また,同じ「級」という語でも,官等の等級と俸給の級は別である。
2 明治32年の判事検事官等俸給令
判事検事官等俸給令(明治32年勅令第153号)1条は,判事及び検事の官等を高等官1等から8等までとした。
したがって,大審院判事の官等を明治憲法時代全体について一律に「高等官1等から7等まで」とする説明は正確でない。
同令3条は,例えば大審院判事の俸給を「奏任2級俸乃至勅任4級俸」と定めた。
これは俸給の範囲を示す規定であり,1条の「高等官1等乃至8等」という官等と同じ数字の体系ではない。
3 大正9年以後の勅任の司法官職
大正9年勅令第565号は,判事検事官等俸給令を廃止し,高等官官等俸給令8条の勅任官年俸の区分に司法官職を組み入れた。
同令が掲げた判事側の職は,大審院部長,控訴院長,大審院判事,控訴院部長及び地方裁判所長である。
検事側の職は,検事総長,大審院検事,検事長,控訴院検事及び検事正であり,大審院検事については上位の2人を別に掲げていた。
したがって,勅任に関係する司法官職を,控訴院長,大審院部長及び検事長だけに限定することはできない。
個々の司法官が勅任か奏任かは,対象時点の法令,辞令及び補職を突き合わせて判断する必要がある。
4 地方裁判所長及び検事正
明治32年勅令第153号の時点では,地方裁判所長及び検事正の俸給範囲は裁判所の別によって異なり,すべてが勅任であったわけではない。
昭和2年勅令第87号は,裁判所職員定員令の「地方裁判所長 勅任又ハ奏任」及び「検事正 勅任又ハ奏任」を,いずれも「勅任」に改めた。
ただし,同令附則は,施行時に地方裁判所長であった一定の奏任判事が,当分の間,奏任官のまま在職する経過措置を設けていたため,施行日に在職者全員が例外なく勅任へ切り替わったという意味ではない。
法曹会編『司法沿革誌』407頁も,昭和2年4月18日の改正により地方裁判所長及び検事正を勅任とする制度になったことを記録している。
◯戦前の判事・検事の身分制度については,「戦前の判事及び検事の定年(AIリライト)」も参照されたい。
第4 控訴院
1 控訴院の権限
裁判所構成法34条は,控訴院を第2審の合議裁判所とした。
同法37条によれば,控訴院は,①地方裁判所の第1審判決に対する控訴,②区裁判所の判決に対する控訴について地方裁判所がした判決に対する上告,③地方裁判所の決定及び命令に対する法律所定の抗告を取り扱った。
控訴院は,地理的・審級的には現在の高等裁判所のおおむね前身に当たる。
もっとも,控訴院が一部の上告事件も取り扱ったこと,裁判所構成法と現在の裁判所法とで審級制度が異なることから,控訴院と高等裁判所を同一の機関又は単なる改称関係とみることはできない。
2 控訴院長及び部長
裁判所構成法35条2項は,控訴院長が「控訴院ノ一般ノ事務ヲ指揮シ其ノ行政事務ヲ監督ス」と定めていた。
「一般事務を監督する」と要約すると,事務の指揮と行政事務の監督という条文上の区別が失われるため,正確でない。
各部には部長が置かれ,部長は部の事務を監督し,その分配を定めた(同条3項)。
判事に差し支えがあり,院内に代理者がいない緊急の場合には,控訴院所在地の地方裁判所判事に代理させる制度もあった(同法36条2号)。
3 控訴院の移転,設置及び廃止
函館控訴院ノ移転ニ関スル法律(大正10年法律第51号)及び大正10年勅令第453号により,函館控訴院は大正10年12月15日に札幌へ移転し,札幌控訴院となった。
昭和20年勅令第443号により,昭和20年8月15日,長崎控訴院は福岡へ移転して福岡控訴院となり,高松控訴院が設置された。
高松控訴院は,昭和21年勅令第3号により昭和21年1月10日に廃止され,存続期間は約5か月であった。
◯詳しくは,「昭和20年8月15日,長崎控訴院が福岡に移転して福岡控訴院となり,高松控訴院が設置されたこと等(AI作成)」を参照されたい。
第5 検事局
1 各裁判所への附置
裁判所構成法6条は,「各裁判所ニ検事局ヲ附置ス」と定めていた。
これにより,大審院検事局,控訴院検事局,地方裁判所検事局及び区裁判所検事局が,それぞれ対応する裁判所に附置され,検事局の管轄区域は附置先の裁判所と同じであった。
「附置」は,現在の検察庁のように裁判所から明確に分離した組織ではなかったことを示す。
しかし,検事局が裁判所の一部局として裁判官の指揮を受けたという意味でもない。
2 裁判所からの職務上の独立
裁判所構成法6条2項は,「検事ハ裁判所ニ対シ独立シテ其ノ事務ヲ行フ」と定めていた。
同法81条は,検事がいかなる方法でも判事の裁判事務に干渉し,又は裁判事務を取り扱うことを禁止していた。
同法135条は,大審院長,控訴院長及び地方裁判所長による裁判所側の監督系統と,検事総長,検事長及び検事正による検事局側の監督系統を分けていた。
したがって,「明治憲法時代には裁判所と検事局が分化していなかった」とだけ説明するのは不正確であり,組織上の附置と職務上の独立を併せて示す必要がある。
3 現在の裁判所・検察庁との違い
裁判所「司法制度改革の歴史的経緯」は,戦前には検事局が裁判所に置かれ,判事及び検事はいずれも司法官として司法大臣の監督下で養成・人事運用されたことを説明している。
仙台高等検察庁の沿革及び広島高等検察庁の沿革は,昭和22年の検察庁法施行により,検察庁が裁判所に対応して置かれる独立の官署となり,裁判所との組織上の分離が明確になった経緯を示している。
司法省民事局『裁判所法案質疑応答及び裁判所法案の要点』97頁は,裁判所構成法を廃止して裁判所法を制定する際,裁判所と検察庁を分離し,検察に関する事項を裁判所法に規定しなかったと説明している。
最高検察庁中央広報部「新検察制度十年の回顧」は,旧検事局も裁判所とは別個の独立機関と理解されていた一方,予算・施設等の権限を裁判所側が持つことへの不満や,裁判所と検事局が附置関係にあることへの疑念があり,その存続をめぐる議論は戦前から存在したと回顧している(『法曹時報』10巻1号36頁~37頁)。
戦前の制度は,裁判所と検事局が全く同一であったとも,現在と同じように完全に組織分離されていたともいえない。
裁判所への附置,検事の職務上の独立,別個の指揮監督系統及び司法省による司法行政という4点を分けて理解する必要がある。
4 判事による検事代理
裁判所構成法6条末項は,検事に差し支えがあり,事件を猶予できない場合,裁判所長又は区裁判所の判事・監督判事が,判事に検事代理を命じることを認めていた。
これは緊急時に限った法定の例外である。
判事が一般に検事の職務を兼ねたこと,又は裁判所と検事局の職務が区別されていなかったことを意味しない。
第6 判事・検事の共通資格と旧刑事公判
1 司法官試補と判検交流
判事と検事は職権及び監督系統を異にしたが,任官資格及び養成制度を共通にしていた。
明治41年改正後の裁判所構成法57条は,判事又は検事となるため,原則として司法官試補として1年6か月以上,裁判所及び検事局で実務修習をすることを求めた。
最高裁判所事務総局『司法官試補制度沿革』299頁~301頁によれば,司法官試補は地方裁判所又はその検事局に配置され,判事及び検事の指導監督を受けて修習した。
この共通資格,裁判所・検事局双方での修習及び司法省による人事運用が,判事と検事との転官を制度上容易にした。
もっとも,人事・養成面の近接性と,裁判権及び検察権の法的区別は別の問題である。
判検交流の存在から,直ちに裁判所と検事局が同一組織であったと結論付けることはできない。
2 旧刑事訴訟法下の公判立会
桂正昭「刑事訴訟法が軌道に乗るまで―第一審の公判を中心として―」は,旧刑事訴訟法下では,検察官が作成した捜査記録が公訴提起とともに裁判所へ引き継がれ,裁判所が記録を検討した上で被告人質問等を行う運用であったと回顧している。
同論文によれば,多くの事件で検察官の活動の重点は捜査に置かれ,公判立会が定型的になりがちであったという(『ジュリスト』551号80頁~81頁)。
ただし,これは昭和49年に公表された実務家の回顧であり,明治憲法時代の全期間・全裁判所を直接調査した統計資料ではないため,旧法下の公判実務を示す一資料として限定して読むべきである。
第7 関連裁判例
官等,親任又は勅任それ自体を判示事項とする裁判例は,今回の裁判所ウェブサイト,大審院判決録及び既存資料の検索では確認できなかった。
ただし,裁判所ウェブサイトに掲載されていない裁判例もあるため,これは該当裁判例が存在しないことを意味しない。
以下では,検事代理,控訴院の裁判体及び旧新裁判所の制度的関係を直接判示した裁判例を掲げる。
単に控訴院が原審であった事件又は判決理由中に「検事局」の語が現れるだけの事件は,制度を判示した裁判例ではないため除外した。
1 司法官試補及び判事による検事代理
①大審院明治29年3月9日判決(明治29年第217号,詐欺取財,刑録2輯3巻54頁)は,司法官試補には地方裁判所以上の検事を代理する権限がないとした。
無権限の司法官試補が検事代理として地方裁判所の公判に立ち会った場合,正当な検事の関与がなく,裁判所の構成に瑕疵があると判示した。
②大審院大正3年3月3日判決(大正2年(れ)第2795号,文書偽造行使殺人未遂,刑録20輯231頁)は,裁判所構成法6条に基づき判事に検事代理を命じる命令を行政命令とし,反証がない限り適法な命令に基づくものと扱った。
また,当時の明文規定上,検事代理として起訴手続をした判事が同一事件の裁判職務から当然に除斥されるものではないとした。
2 控訴院判事及び予審判事の代理
①大審院明治34年11月25日判決(明治34年(れ)第1557号,約束手形偽造行使詐欺取財,刑録7輯10巻62頁)は,裁判所構成法36条2号により地方裁判所判事が控訴院判事を代理した場合,公判始末書等に代理の肩書が記載されていなくても違法ではないとした。
②大審院明治29年1月17日判決(明治28年第1458号,放火,刑録2輯1巻32頁)は,予審判事に差し支えがある場合,地方裁判所長が裁判所及検事局事務章程に基づき,その裁判所又は支部所在地の区裁判所判事に臨時代理を命じることができるとした。
本判決は検事代理の事案ではないが,裁判所構成法下の司法行政命令による代理制度を示す。
3 大審院と最高裁判所の非同一性
①最高裁昭和23年7月7日大法廷判決(昭和22年(れ)第188号,窃盗,刑集2巻8号801頁)は,大審院と最高裁判所について,いずれも最上級の裁判所であるという類似性はあるものの,組織,構成,権限,職務,使命及び性格が著しく異なり,最高裁判所は大審院の後身又は承継者ではないとした。
また,大審院に係属していた事件を東京高等裁判所が取り扱うとした裁判所法施行令1条を合憲とした。
②最高裁昭和23年7月19日大法廷判決(昭和22年(れ)第126号,物価統制令違反)及び同日大法廷判決(昭和22年(れ)第194号,住居侵入)も,大審院と最高裁判所の非同一性及び東京高等裁判所への事件承継について同旨を判示した。
③最高裁昭和23年7月19日大法廷判決(昭和23年(れ)第167号,食糧管理法違反,刑集2巻8号952頁)は,裁判所構成法下の地方裁判所に第2審事件として係属中に裁判所法が施行された場合の事件処理及び上告審を定めた経過規定を合憲とした。
これらの判決からも,控訴院と高等裁判所を単なる改称関係と説明することはできない。
4 大審院判決に対する再審の管轄
①最高裁昭和24年2月25日大法廷決定(昭和23年(ね)第2号,殺人・放火・死体損壊被告事件に対する再審請求)は,大審院がした刑事判決に対する再審請求の管轄は東京高等裁判所にあり,最高裁判所にはないとして事件を移送した。
②最高裁昭和24年7月6日第二小法廷決定(昭和24年(ヤ)第1号,契約金請求事件の確定判決に対する再審)は,大審院がした民事判決に対する再審についても,東京高等裁判所が専属管轄を有するとした。
③最高裁昭和25年6月12日第三小法廷決定(昭和25年(ヤ)第2号,麻加工製作禁止並損害賠償請求,裁判集民事3号385頁),最高裁昭和26年9月12日第一小法廷決定(所有権移転登記手続請求事件の確定判決に対する再審)及び最高裁昭和27年2月1日第二小法廷決定(昭和26年(ヤ)第5号,約束手形金請求事件に対する再審)も,同じ理由により東京高等裁判所へ移送した。
この一連の判例は,大審院の経過法上の承継先が,最上級裁判所という外形から最高裁判所となったのではなく,裁判所法施行令により東京高等裁判所とされたことを具体的に示している。
第8 関連記事
◯昭和20年8月15日,長崎控訴院が福岡に移転して福岡控訴院となり,高松控訴院が設置されたこと等(AI作成)
第9 出典・参考資料
1 法令・公的資料
①裁判所構成法(明治23年法律第6号)及び国立公文書館デジタルアーカイブの御署名原本
②裁判所構成法中改正法律(大正3年法律第39号),裁判所構成法中改正法律(大正10年法律第101号)及び同法の施行期日を定める大正10年勅令第227号
③行政裁判法中改正法律(大正5年法律第37号)及び同法の施行期日を定める大正5年勅令第102号
④判事検事官等俸給令(明治32年勅令第153号),高等官官等俸給令中改正ノ件(大正9年勅令第565号)及び裁判所職員定員令中改正ノ件(昭和2年勅令第87号)
⑤国立国会図書館リサーチ・ナビ「官吏制度」,裁判所「司法制度改革の歴史的経緯」,仙台高等検察庁の沿革及び広島高等検察庁の沿革
2 裁判例
①第7で掲げた大審院判決4件は,名古屋大学「裁判例データベース(明治・大正編)」収録の大審院刑事判決録原文で全文を確認した。
いずれも裁判所ウェブサイトには未掲載である。
②第7で掲げた最高裁判決・決定9件は,裁判所ウェブサイトの判例詳細及び判決書PDFで全文を確認した。
3 書籍・雑誌
①法曹会編『司法沿革誌』(法曹会,昭和14年)128頁,407頁
②最高裁判所事務総局『司法官試補制度沿革』(法曹会,昭和57年)299頁~301頁
③伊藤栄樹『新版 検察庁法逐条解説』(良書普及会,昭和61年)2頁~3頁,246頁~249頁
④家永三郎『司法権独立の歴史的考察』(有斐閣,昭和37年)9頁~13頁
⑤桂正昭「刑事訴訟法が軌道に乗るまで―第一審の公判を中心として―」『ジュリスト』551号(有斐閣,昭和49年)80頁~81頁
⑥司法省民事局『裁判所法案質疑応答及び裁判所法案の要点』(昭和23年)97頁
⑦最高検察庁中央広報部「新検察制度十年の回顧」『法曹時報』10巻1号(昭和33年)36頁~37頁