第1 第9条が定めたことと本記事の対象
サンフランシスコ平和条約第9条は,交渉を希望する連合国と,日本が速やかに漁業交渉を開始することを定めた条項である。
同条だけで漁獲量,操業区域又は外国漁船の取締権限が決まったわけではなく,具体的な規制は別の漁業条約・協定で定められた。
マッカーサーラインを廃止した指令の日付は1952年4月25日であり,平和条約が発効した同月28日より3日前である。
本記事では,第9条,占領下の漁業制限の撤回,日米加漁業条約及び1965年の日韓漁業協定を,それぞれの原文と日付に沿って説明する。
平和条約全体の構成については,サンフランシスコ平和条約の署名・発効,主権回復及び全27条の法的構造を参照されたい。
第2 交渉義務と,条約とは別の自発的措置
1 第9条の義務と第21条による朝鮮の利益
平和条約第9条の交渉対象は,公海における漁業の規制又は制限並びに漁業の保存及び発展に関する二国間・多数国間の協定である。
日本に課されたのは,希望する連合国との交渉を速やかに開始する義務であり,相手国が提示した操業禁止区域や漁獲制限をそのまま受け入れる義務までは,同条に書かれていない。
同条約第21条は,第25条の規定にかかわらず,朝鮮が第2条,第4条,第9条及び第12条の利益を受けると定めている。
したがって,第9条と朝鮮との関係は,第21条の特則も踏まえて読むことになる。
この特則から,韓国が別途宣言した海上の境界線まで平和条約で承認されたとはいえない。
2 吉田・ダレス書簡と起草段階の議論
第9条とは別に,講和前の日本政府が表明した漁業措置もある。
1951年2月7日の吉田・ダレス往復書簡で,吉田茂首相は,主権回復後の漁業交渉に応じる用意を示すとともに,それまでの間の自発的な禁漁措置を表明した。
吉田書簡が対象としたのは,国際的又は国内的な取決めによって乱獲から保護され,かつ,日本の国民・漁船が1940年に操業していなかった漁業である。
同書簡は,日本居住の国民及び漁船による漁獲を自発的に禁止すると述べる一方,この措置が日本の国際的権利の放棄を意味しないことも留保している。
これは書簡に表明された方針であり,第9条の条文そのものに書き込まれた禁止ではない。
起草段階にも,保存措置が実施されている漁場での暫定的な操業制限が議論された。
米国の外交史料に収録された1951年6月1日の条約草案検討文書では,英国案の漁業条項と,地域による排除より魚種の保存を重視する米国側の考え方が対比されている。
この文書にある草案上の制限と,成立した平和条約第9条の交渉義務は区別して読む必要がある。
第3 マッカーサーラインの廃止は1952年4月25日
占領期には,連合国最高司令官の指令によって,日本の漁船等が活動できる区域が制限された。
例えば,1946年6月22日のSCAPIN-1033は漁業等の許可区域を定めたが,第5項で,日本の管轄権,国際境界又は漁業権に関する連合国の最終的な政策を示すものではないとしていた。
この指令の区域が,その後も変更されずに続いたという意味ではない。
1952年4月25日の撤回覚書は,SCAPIN-2046,2050,2050/1及び2097を掲げ,これらを同日付で撤回している。
したがって,ラインの廃止日と,平和条約の発効日である同月28日は分けて記すのが正確である。
撤回覚書自体は番号のない文書であり,データベース上の識別番号を指令番号として引用しないよう注意したい。
占領当局による活動区域の指定・撤回は,そのまま領土の最終的な帰属を決める文書とはならない。
行政権の範囲を扱う別の指令との関係は,SCAPIN-677と竹島――行政権の一時停止で説明している。
第4 日米加漁業条約と自発的抑止
1 交渉・署名・発効と対象魚種
日米加の漁業会議は1951年11月5日に東京で始まり,同年12月14日には条約案を各政府の承認に付す段階へ進んだ。
この経過は,米国外交史料の会議経過に関する編集注に記録されている。
正式な条約である「北太平洋の公海漁業に関する国際条約」は,1952年5月9日に署名され,1953年6月12日に発効した。
日米加漁業条約第1条は,領水を除く北太平洋とこれに接続する水域を対象としている。
一方,領水の範囲や沿岸国の漁業管轄権に関する各締約国の主張を害しないとの留保も置かれており,この条約が各国の海洋管轄権の主張を全面的に統一したわけではない。
原条約の附属書では,日本が漁獲を自発的に抑止する魚種として,所定の水域・起源に対応するおひょう,にしん及びさけが掲げられた。
条約のいう「魚種」は,単に魚の名前だけで対象を決めるものではなく,附属書の地理的な指定と併せて読むことになる。
また,附属書第2項には,ベーリング海の所定区域における米国起源のさけについて,カナダ側の抑止も規定されていた。
2 抑止の条件,例外及び当初5年間の扱い
自発的抑止の勧告に関する第4条1(b)は,対象魚種について次の3条件をすべて合理的に満たすと委員会が決定することを前提としていた。
いずれか1条件だけで抑止の対象になるという規定ではない。
①科学的調査に基づく証拠から,漁獲を更に強めても,毎年持続できる漁獲高の実質的な増加が見込めないこと。
②実質的に漁獲している各締約国が,科学的調査に基づく保存計画に沿って,最大の持続的生産性を維持・増加させるための法的な制限・規制を行っていること。
③完全利用の状況や,最大の持続的生産性を維持する条件を明らかにするため,広範な科学的研究の対象となっていること。
同項ただし書が定める抑止勧告の例外は,次のとおりである。
①当該締約国が,条約発効直前の25年間のいずれかの時期に実質的な漁獲を行った魚種。
②条約の締約国以外の国が大部分を漁獲している魚種。
③関係締約国の操業と対象魚種が歴史的に交錯し,長年の共同保存・規制の歴史もあるため,操業と取締りを分離することが実行困難となっている水域。
第4条2は,戦争,ストライキその他の例外的な経済的・生物学的条件による一時的な減少・停止の影響を考慮するよう定めていた。
そのため,25年間の例外を「発効直前の時点で操業していなければ一律に対象外」と読むことはできない。
もっとも,原附属書に最初から記載された魚種については,第5条2で条件を満たすことを締約国が承認していた。
さらに,第3条1(a)ただし書により,発効後5年間は,抑止条件を引き続き満たすかについての決定・勧告をしない仕組みが置かれた。
一般的な条件の列挙だけでなく,この当初の取扱いも規制の内容であった。
3 合意後の義務と,他の締約国による臨検
「自発的」という名称でも,合意後に各漁船が守るかどうかを自由に選べたわけではない。
第9条1は,抑止に同意した魚種について,指定水域での漁獲等を禁止し,同条2は,各締約国が自国の国民・漁船について罰則を伴う法令を制定・施行することを定めていた。
取締りについて,第10条1(a)は,ある締約国が抑止に同意した水域でその国の漁船が発見された場合,他の締約国の権限ある公務員による乗船・検査・質問を認めていた。
同項(b)は,違反行為が行われている場合や,乗船直前の違反を信じる合理的理由がある場合の逮捕・拿捕等と,所属国への引渡しを定めている。
他方,同項(c)は,裁判及び刑罰をその漁船の属する国の管轄に限っており,臨検の権限と最終的な処罰の権限は分かれていた。
この制度は,その後の交渉でも争点となった。
1964年の外交青書は,1963年の交渉で,日本側が抑止原則の撤廃と科学的根拠に基づく保存への移行を求め,米加側が当初その維持を主張したと説明している。
ここで確認できるのは,日本政府による当時の交渉経過の説明である。
第5 李承晩ラインと日韓漁業交渉
1 宣言はマッカーサーライン廃止より前
韓国の李承晩大統領が隣接海洋に関する主権宣言を発したのは,1952年1月18日である。
いわゆる李承晩ラインの宣言は,マッカーサーラインの廃止にも,平和条約の発効にも先行していた。
国連刊行物に収録された宣言の英語文を要約すると,韓国は,大陸棚や周辺海域の資源に関する主権を主張し,保護する海域を線で示した。
一方,第4項には,公海の自由航行権を妨げないとの留保が置かれている。
この収録文は韓国側の主張を示すものであって,国連がその主張の適法性を認定した文書ではない。
2 米国の抗議と,ライン維持を求める韓国の主張
1952年2月11日付けの米国公文第167号は,韓国の宣言による公海への主権主張に反対した。
米国は,航行の自由を害しないとの留保があっても,公海上の自由を韓国の許可による利益へ置き換える危険があると論じている。
これは米国政府の抗議と法的見解であり,裁判所の判断ではない。
マッカーサーラインの維持を求める韓国側の働きかけは,宣言前の記録にも現れる。
1951年12月12日の米韓会談記録には,韓国大使が漁業協定成立までラインを維持するよう求めたことが記載されている。
また,1952年4月28日の米国務省覚書は,ラインを平和条約へ書き込むという韓国側の要請に米国は同意しなかったと説明している。
この経緯から分かるのは,韓国側の要請,韓国の宣言及び平和条約の条文が,それぞれ別の文書・行為であったことである。
第9条による交渉と,韓国側が主張した海域からの排除は,同じ内容として扱うことはできない。
第6 1965年日韓漁業協定による規制と取締り
1 署名・発効と漁業水域の設定
日韓漁業交渉は,1965年4月3日の大綱合意を経て,同年6月22日の「日本国と大韓民国との間の漁業に関する協定」の署名に至った。
協定は同年12月18日の批准書交換によって発効しており,大綱合意,署名及び発効は別の日付である。
これらの経過は,外務省「わが外交の近況」第10号の日韓交渉の項に記載されている。
1965年日韓漁業協定の主要な規制は,次のとおりである。
漁業について排他的な管轄権を行使する水域を認める規定と,それ以外の所定水域で共同の資源管理を行う規定が組み合わされていた。
| 規定 | 協定の内容 | 読み取る際の限界 |
|---|---|---|
| 第1条 | 基線から12海里までの範囲で,各国が漁業に関する排他的管轄権を行使する水域を設定する権利を相互に承認 | 領海を一律に12海里と定めた条文ではない。直線基線の使用は相手国との協議の対象である。 |
| 第2条 | 座標等で共同規制水域を指定 | 各国の領海と韓国の漁業水域は,共同規制水域から除かれる。 |
| 第3条・附属書 | 所定の底びき網,まき網及びさばつり漁業について暫定的規制を設ける | すべての漁法・漁船に同じ規制を課したわけではない。 |
| 第6条 | 日韓漁業共同委員会を設ける | 勧告その他の決定は,両国の国別委員部間の合意による。 |
2 漁業水域外の取締りを旗国に限った意味
第4条1は,漁業水域の外側では,相手国の漁船に対する取締りと裁判管轄権を,その漁船の属する締約国だけが行使すると定めていた。
ここでいう取締りには,停船や臨検も含まれている。
旗国とは船舶が属する国をいい,この協定では,漁業水域外での漁業に関する取締り自体を旗国に限った点に意味がある。
| 比較する事項 | 1952年日米加漁業条約 | 1965年日韓漁業協定 |
|---|---|---|
| 場面 | 自発的抑止に同意した国の漁船が,その対象水域にいる場合 | 協定の漁業水域の外側で,相手国の漁船を取り締まる場合 |
| 乗船・検査等 | 第10条の条件に従い,他の締約国の公務員も行うことができた | 第4条により,停船・臨検を含め,漁船の属する国に限られた |
| 裁判・処罰 | 漁船の属する国に限られた | 漁船の属する国に限られた |
3 李承晩ラインの実質的撤廃という政府説明
1966年の外交青書は,漁業水域外の取締りを旗国だけに認める規定によって,李承晩ラインが実質的に撤廃されたと説明している。
これは協定の効果についての日本政府の説明であり,韓国が宣言そのものを正式に廃止した別文書の存在まで示すものではない。
また,漁業規制と取締りについての合意から,竹島の領有権問題まで解決されたと読むこともできない。
1965年には,漁業とは別に財産・請求権の処理についても協定が結ばれた。
その内容は,日韓請求権協定と個人請求権・仲裁手続を参照されたい。
第7 年表と後年の制度移行
1 交渉開始から協定発効まで
| 日付 | 出来事 | 日付の種類・根拠文書 |
|---|---|---|
| 1951年2月7日 | 吉田・ダレス往復書簡 | 漁業交渉の用意と,それまでの自発的措置の表明 |
| 1951年11月5日 | 日米加漁業会議が東京で開始 | 会議開始日・米国外交史料 |
| 1951年12月14日 | 日米加の条約案を各政府の承認に付す段階へ | 会議の最終文書に関する米国外交史料。条約の正式署名日ではない。 |
| 1952年1月18日 | 韓国が隣接海洋に関する主権を宣言 | 李承晩ラインの宣言日 |
| 1952年4月25日 | マッカーサーラインの廃止 | 占領当局の撤回覚書が同日付で実施 |
| 1952年4月28日 | サンフランシスコ平和条約が発効 | 平和条約の発効日 |
| 1952年5月9日 | 日米加漁業条約に署名 | 条約の署名日 |
| 1953年6月12日 | 日米加漁業条約が発効 | 条約の発効日 |
| 1965年4月3日 | 日韓漁業交渉で大綱合意 | 政治的な大綱合意の日 |
| 1965年6月22日 | 日韓漁業協定に署名 | 協定の署名日 |
| 1965年12月18日 | 日韓漁業協定が発効 | 批准書交換による発効日 |
2 原条約を現在の操業条件へ転用しない
本記事で扱った日米加漁業条約は,1952年に署名された原条約の仕組みである。
北太平洋溯河性魚類委員会の沿革説明によれば,旧条約の委員会である北太平洋漁業国際委員会は,新たな条約が発効した1993年2月16日に解散した。
日韓間でも,1998年署名の新たな漁業協定が,排他的経済水域を対象とする制度を定めた。
同協定は1999年1月22日に発効し,第17条により,1965年協定は効力を失った。
したがって,ここで説明した原条約・旧協定の規定を,現在の個別の操業条件や取締権限の判断へそのまま用いることはできない。
第8 出典
1 条約・協定
①日本国との平和条約(1951年9月8日署名,外務省掲載)。
第9条,第21条。
国連条約集の登録情報で1952年4月28日の発効を確認できる。
②北太平洋の公海漁業に関する国際条約(日本・カナダ・米国,1952年5月9日署名)。
第1条,第3条~第5条,第9条,第10条,附属書。
国連条約集第205巻の英文は資料80頁~100頁,PDF92頁~112頁の偶数頁。
発効日は資料80頁の注記。
③日本国と大韓民国との間の漁業に関する協定(1965年6月22日署名)。
第1条~第4条,第6条,第10条,附属書。
④日本国と大韓民国との間の漁業に関する協定(1998年11月28日署名)。
第1条,第16条,第17条。
発効日は外務省条約データ検索の当該協定欄参照。
2 占領指令・宣言・外交史料
①SCAPIN-1033「AREA AUTHORIZED FOR JAPANESE FISHING AND WHALING」(連合国最高司令官総司令部,1946年6月22日)。
全2コマ,特に第5項。
②「Rescission of Memoranda」(同総司令部,1952年4月25日)。
文書記号AG 800.217 (25 Apr 52) DS,番号なし,全1コマ,第1項・第2項。
③漁業問題に関する吉田・ダレス往復書簡(1951年2月7日,外務省掲載)。
吉田書簡の交渉と暫定措置に関する段落及びダレス返信。
④米国外交史料1951年第6巻第1部,文書585(米国務省編,1951年6月1日の草案検討文書)。
漁業条項の検討部分,資料1069頁~1072頁。
同文書768は日米加漁業会議の編集注,資料1390頁~1391頁。
⑤米国外交史料1951年第7巻第1部,文書821(米国務省編,1951年12月12日の会談記録)。
漁業部分,資料1313頁~1314頁。
同1952~1954年第14巻第2部,文書564は1952年4月28日の覚書,漁業部分は資料1257頁。
⑥国連法制資料集第6巻「Laws and Regulations on the Regime of the Territorial Sea」(国連,1957年)。
韓国の1952年1月18日宣言の英語収録文,資料30頁~31頁,PDF82頁~83頁。
韓国国連常駐オブザーバーから提供された文書である。
⑦米国公文第167号(米国大使館,1952年2月11日,内閣官房掲載)。
掲載ページの英文公文本文を参照。
3 政府の経過説明・関係機関の沿革
①外務省「わが外交の近況」第8号(1964年)。
「北太平洋漁業条約問題」。
②外務省「わが外交の近況」第10号(1966年)。
「日韓交渉」(1)及び(2)(ロ)。
交渉経過と協定の効果に関する日本政府の説明。
③北太平洋溯河性魚類委員会「International North Pacific Fisheries Commission(INPFC)」。
旧委員会の沿革と1993年2月16日の解散に関する説明。