第1 この記事が扱う問いと結論
1 「降伏ニュースへの反応」と「玉音放送を聞いた反応」は違う
昭和20年8月15日正午の玉音放送をめぐる連合国側の反応は,①昭和天皇の録音音声を実際に聞いた人の反応,②放送本文の英訳又は要旨を読んだ政府・軍・報道機関の反応,③日本の降伏が決まったというニュースへの反応,④玉音放送を聞いた日本人捕虜を連合国側が観察した記録に分ける必要がある。
本記事は,公開されている公文書,同時代の放送・写真及び本人のオーラルヒストリーを生成AIで検索・照合し,この4種類を混同しないように整理するものである。
2 確認できた反応の全体像
米軍人については,クェゼリン環礁の日本人捕虜収容所にいたドン・オクボと,マニラにいた二世語学兵Tetsushi Marvin Uratsuが,天皇の放送を聞いたことを本人のインタビューで明示している。
米国生まれで日本にいたRose Ito Tsunekawa及び米国内の抑留施設にいた日系人にも聴取証言があり,喜び又は安堵の一方で,難解な日本語のため内容を十分理解できなかったことが共通して現れる。
グアムでは,日本人捕虜が放送を聞き,うなだれ,泣いた場面を豪州及び米国の公式写真が記録している。
また,豪州及び英国には,放送を率直な敗北表明ではなく,天皇と日本の統治機構を残す余地のある警戒すべき言葉と読む反応があり,ソ連軍は放送と全軍への具体的な停戦命令を区別した。
他方,トルーマン,チャーチル,アトリー,スターリン,蔣介石及びマッカーサー本人が,日本語の録音音声を実際に聞いたことを示す一次資料は,確認できた範囲では見当たらない。
これは聞かなかったことを意味するのではなく,本人の実聴取を裏付ける日記,側近記録又は放送監視記録を確認できないという意味である。
第2 玉音放送より前に連合国は降伏を知っていた
1 録音は8月14日,放送は15日正午であった
宮内庁の「終戦の詔書の玉音原盤」によれば,終戦の詔書は昭和20年8月14日に昭和天皇が2回朗読して録音し,2回目の録音盤5枚が正式盤となった。
この録音がラジオで放送されたのは,翌15日正午である。
録音盤の保全と宮城事件については,関連記事「ポツダム宣言受諾に軍はどう抵抗したか|宮城事件・玉音盤奪取未遂・厚木航空隊事件と鎮圧まで」で扱っている。
本記事では録音・放送に至る国内過程を繰り返さず,放送が連合国側へどう届いたかに対象を絞る。
2 トルーマンの発表は放送の4時間前であった
米国国務省の『Foreign Relations of the United States, 1945, Volume VI』文書440によれば,日本政府の最終回答は,スイス時間8月14日午後8時10分に連合国側へ届けられた。
この外交経路により,連合国政府は玉音放送を待たずに,日本がポツダム宣言を受諾したことを知ることができた。
トルーマン大統領の記者会見記録によれば,大統領が日本の回答をポツダム宣言の完全な受諾であると発表したのは,米東部戦時時間8月14日午後7時である。
これは日本時間8月15日午前8時に当たり,正午の玉音放送より4時間早い。
| 出来事 | 現地時刻 | 日本時間 |
|---|---|---|
| トルーマン大統領の受諾発表 | 8月14日午後7時(米東部戦時時間) | 8月15日午前8時 |
| 玉音放送 | 8月15日正午(日本標準時) | 同左 |
時差の計算は,日本標準時をUTC+9,当時の米東部戦時時間をUTC-4として行ったものである。
3 アトリーの発表とタイムズ・スクエアの祝賀も別の反応である
CBSのV-J Day放送記録は,アトリー英首相がすでに日本の降伏を発表したこと,昭和天皇が後に日本国民へ放送する予定であること,ニューヨークのタイムズ・スクエアで約30万人が祝っていたことを伝えている。
天皇の放送を将来の予定として報じながら同時に祝賀を伝えているため,この群衆の反応は玉音放送を聞いた反応ではない。
ポツダム宣言受諾の意思決定については「ポツダム宣言受諾は誰が決めたのか|閣議・最高戦争指導会議・御前会議と二度の聖断」,受諾までの原因については「日本はなぜポツダム宣言を受諾したのか|原爆・ソ連参戦・国体護持・二度の聖断」参照。
外交回答,国民向け放送及び降伏文書調印までの全体時系列は,「ポツダム宣言の発表から宣言受諾及び降伏文書調印までの経緯」で整理している。
第3 玉音放送を聞いた米軍人の反応
1 ドン・オクボ――自分は喜び,捕虜は泣いた
日系二世のドン・オクボは米陸軍に所属し,Joint Intelligence Center, Pacific Ocean Areasで日本語関係の任務に従事した。
平成13年1月8日のDenshoインタビューによれば,オクボはクェゼリン環礁の日本人捕虜収容所にいたとき,天皇のラジオ発表を聞いた。
オクボは,自分たちは喜び,幸福だったのに対し,日本人捕虜は悲しみ,頭を垂れ,泣いている者もいたと回想している。
連合国軍人本人の感情と,その場にいた日本人捕虜の外形的反応が同じ証言に収められている点で,連合国側の反応を調べる上で特に重要な記録である。
もっとも,このインタビューは出来事から約55年後に行われた。
本人の直接証言ではあるが,発言の細部を昭和20年8月15日に作成された同時代記録と同じ精度の資料として扱うことはできない。
2 Tetsushi Marvin Uratsu――声は聞いたが意味は十分に分からなかった
Tetsushi Marvin Uratsuは米陸軍の二世語学兵としてフィリピンに派遣されていた。
Denshoインタビューの第27区間によれば,Uratsuはマニラのサンタアナ競馬場で,仲間が持っていたラジオを囲み,昭和天皇の声を聞いた。
Uratsuは,声を柔らかいものと受け止めた一方,文語的で複雑な日本語を理解できず,軍に武器を置くよう告げているのだろうと推測した。
この証言が直接示すのは,音声を聞いたことと理解の困難であり,明確な喜怒哀楽までを述べたものではない。
第4 日系米国人の民間人・抑留者の反応
1 Rose Ito Tsunekawa――空襲と食糧難が終わる安堵
Rose Ito Tsunekawaは米国で生まれ,昭和16年に日本へ移った日系米国人である。
平成23年1月26日のDenshoインタビューによれば,昭和20年8月15日,工場の広場で他の者とともに放送を聞いた。
Tsunekawaも放送の難解な日本語を理解できなかったが,その場にいた陸軍将校が泣き崩れたことから,戦争が終わったと判断した。
本人は,空襲と食糧不足が終わることに安堵し,非常に嬉しかったと回想している。
この事例は連合国政府職員の反応ではないが,米国民である民間人が日本国内で玉音放送を聞いた反応である。
国籍,軍務上の所属及び聴取場所を分けて示さなければ,日系人の経験を一括して「日本側」又は「連合国側」と呼ぶことはできない。
2 米国内の抑留施設では放送後まで終戦を信じない者もいた
Satoru IchikawaのDenshoインタビューによれば,テキサス州Crystal Cityの抑留施設で戦争終結が伝わると,両親は喜んだが,一部の一世は天皇の放送を聞くまで信じなかった。
放送後には,収容されていた人々に大きな安堵が生じたと回想している。
Tokio YamaneのDenshoインタビューには,ニューメキシコ州Santa Feの抑留施設の食堂で天皇の声を聞いたものの,難解な日本語のため内容を理解できず,当初は米国側の宣伝ではないかと疑う者もいたとの証言がある。
米国の新聞・ラジオ報道と施設責任者の説明が加わって,ようやく終戦を確信したという。
これらの証言は,天皇の声に独自の信用力があったことを示す一方,米国内で聞かれたものが日本からの原放送,米国放送局による同時中継又は録音再放送のいずれであったかを確定していない。
したがって,実聴取の証言と電波の受信経路は別の問題として残る。
第5 グアムの日本人捕虜を連合国側が記録した写真
1 聞く,頭を垂れる,泣くという連続した記録
オーストラリア戦争記念館の写真P00444.098は,昭和20年8月15日,グアムで昭和天皇の放送を聞いた後,日本人捕虜が泣いている場面として登録されている。
同館の写真collection 306737は,捕虜が帽子を取り,頭を垂れて放送を聞く場面を記録する。
米海軍写真部門の記録にも,①放送を聞く日本人捕虜(80-G-490313),②放送後に頭を垂れる捕虜(80-G-490320),③泣き崩れる捕虜(80-G-490317)がある。
これらは現在NARAが所蔵する写真番号を伴っており,米海軍歴史写真の一覧から各写真の説明を確認できる。
2 写真から内心の理由までは確定できない
写真から確認できるのは,捕虜が頭を垂れ,又は泣いたという外形的事実である。
その涙が,天皇への忠誠,敗北感,故国や家族への不安,戦友の死,捕虜としての将来又は戦闘終結への安堵のいずれによるものかは,写真だけでは分からない。
オクボの証言は捕虜を悲しんでいたと表現するが,個々の捕虜の内心を聴取した記録ではない。
写真と観察者の証言が一致していても,泣いた理由まで一致した証拠があることにはならない。
第6 公的記録に残る英豪・ソ連・中華民国の反応
1 豪州と英国には日本の再起を警戒する評価があった
豪州軍第20歩兵旅団の戦時日誌に収録された部隊ニュース『THE PLATYPUS』昭和20年8月18日号には,WORLD REACTIONS TO HIROHITO'S SPEECHという欄がある。
同欄は,豪州放送が,敗北した者よりも挑戦的な者の演説であり,天皇と軍国主義者が支配装置を維持すると評したこと,London Timesが,日本は一時的に敗れただけだという含意を読み,連合国に警戒を求めたことを伝えている。
また,昭和20年9月18日の米国連邦議会議事録8675頁では,Richard B. Russell上院議員が,Yorkshire Postは放送に二重の意味と将来の復活への地ならしを読み,豪州情報省の放送は真の敗北を認めない巧妙な宣伝と評した旨を紹介している。
これらの資料は,天皇の言葉を和解的な終戦宣言としてのみ受け止めず,日本の統治機構が残ることを安全保障上の問題として読んだ反応が存在したことを示す。
もっとも,豪州軍日誌は他の放送・新聞評を要約したものであり,米議会議事録も議員が新聞・放送評を紹介した記録である。
豪州放送,London Times及びYorkshire Postの原稿・原紙面と逐語的に一致するかは,それぞれの原本を取得して確認する必要がある。
2 英国議会では「完全な敗北」を明白にすべきとの発言があった
昭和20年8月16日の英国貴族院議事録によれば,Lord Lathamは,天皇による受諾の形式と態様が不安を生じさせたと述べ,日本の完全な敗北を明白にする必要を強調した。
これは放送又はその内容を受けた同時代の議会反応であるが,Latham本人が日本語音声を聞いたのか,英訳又は報道要旨を読んだのかは議事録から分からない。
3 ソ連軍は放送と停戦命令を区別した
ソ連赤軍参謀総長アントノフ上級大将は8月15日,天皇の放送は降伏についての一般的宣言にすぎず,軍隊への停戦命令はまだ出ておらず,日本軍の抵抗が続いているため,極東の作戦を継続すると表明したとされる。
この声明は毛沢東の“The Last Round with the Japanese Invaders”に付された注記に英訳で再録されているが,ソ連側のロシア語公報原本は確認できていない。
国立国会図書館の「日本国憲法の誕生」年表は,8月16日に即時停戦命令,8月19日に全軍への降伏通知が出されたとしている。
したがって,国民向けの玉音放送と,各戦場の部隊に向けた停戦・降伏命令を区別したソ連側の作戦判断には,制度上の根拠があった。
4 蔣介石は降伏発表後に報復を戒めた
中華民国総統府の公式掲載資料によれば,日本の降伏発表の翌日,蔣介石は全国軍民及び世界向けに放送し,日本の軍国主義者と日本国民を区別して,報復や侮辱を避ける方針を示した。
これは降伏発表に対する重要な政策反応であるが,蔣介石本人が玉音放送の日本語音声を聞いたことを示す資料ではない。
また,同ページは後年に総統府が掲載した解説であり,昭和20年当時の放送原音及び原稿そのものではない。
本記事では,政策反応の内容と本人の実聴取を分けて扱う。
第7 史料から確認できることと確認できないこと
1 聞いたことと理解したことは同じではない
Uratsu,Tsunekawa及びYamaneの証言は,天皇の声を聞いても,文語と漢語の多い表現を十分理解できなかった点で一致する。
聞き手は,周囲の泣く姿,事前に得た情報,米国の新聞・ラジオ又は施設責任者の説明から,敗戦と戦争終結の意味を補っていた。
このため,玉音放送の反応を調べるときは,①音声が届いたか,②日本語を聞き取れたか,③詔書の意味を理解できたか,④終戦を信じたか,⑤どのような感情を持ったかを分ける必要がある。
肉声を聞いた事実だけから,内容を直ちに理解し,同じ感情を持ったと推測することはできない。
2 主要首脳が実際に聞いたかは確認できない
米国のForeign Broadcast Intelligence Serviceが外国放送を録音・翻訳・分析していたことは,米国国立公文書記録管理局のRecord Group 262の所蔵群解説から確認できる。
しかし,米国政府が放送を受信できたことと,トルーマン又は他の首脳がその日本語音声を本人として聞いたことは別である。
今回確認した公開資料には,トルーマン,チャーチル,アトリー,スターリン,蔣介石又はマッカーサーが,日本語音声を聞いた日時・場所を示す本人の日記,予定表,側近記録又は再生記録はなかった。
したがって,これらの首脳については,降伏又は放送内容への反応は確認できても,玉音放送の実聴取は不明とするほかない。
3 後年の証言と同時代記録は性質が異なる
Denshoのインタビューは,その場にいた本人が経験を語る直接証言である一方,出来事から数十年後に収録された回想である。
これに対し,写真,議会議事録及び軍部隊日誌は昭和20年に作成された同時代記録であるが,写真は内心を語らず,議事録・部隊紙は別の新聞や放送を引用又は要約する場合がある。
本記事では,後年の本人証言,同時代の視覚記録,政府・議会の公文書及び他媒体を要約した同時代記事を同じ証拠価値のものとして扱っていない。
「複数の資料に同じ話がある」だけで結論を強めず,各資料が誰のどの行為・感情を直接示すのかを基準としている。
第8 出典・参考資料
1 公文書・外交文書・放送記録
①宮内庁「終戦の詔書の玉音原盤」及び「終戦の詔書」音声・本文
②国立国会図書館「終戦の詔書」
③U.S. Department of State, Foreign Relations of the United States, 1945, Volume VI, Document 440
④Harry S. Truman Library, “The President’s News Conference,” 14 August 1945, 7 p.m.
⑤Harry S. Truman Library, “CBS World News and V-J Day Coverage,” 14 August 1945
⑥U.S. National Archives, Records of the Foreign Broadcast Intelligence Service, Record Group 262
2 本人のオーラルヒストリー
①Densho Digital Repository, Don Okubo Interview, 8 January 2001
②Densho Digital Repository, Tetsushi Marvin Uratsu Interview, segment 27
③Densho Digital Repository, Rose Ito Tsunekawa Interview, 26 January 2011, segment 18
④Densho Digital Repository, Satoru Ichikawa Interview, segment 19
⑤Densho Digital Repository, Tokio Yamane Interview
3 写真・軍記録・議会記録
①Australian War Memorial, P00444.098, Japanese prisoner of war crying after listening to the Emperor’s broadcast, Guam, 15 August 1945
②Australian War Memorial, collection 306737, Japanese prisoners of war listening to the broadcast
③U.S. Naval Historical Center, Japanese Surrender—Preparations(米海軍写真80-G-490313,80-G-490320及び80-G-490317)
④Australian War Memorial, AWM52, Item 82/20, 20 Infantry Brigade, July–September 1945, PDF22頁(『THE PLATYPUS』Vol.2 No.15, 18 August 1945)
⑤Congressional Record, 79th Congress, Senate, 18 September 1945, 8675頁
⑥UK Parliament, Historic Hansard, House of Lords, 16 August 1945
⑦国立国会図書館「日本国憲法の誕生」年表
⑧中華民国総統府公式掲載資料
⑨Mao Tse-tung, “The Last Round with the Japanese Invaders”(注記にアントノフの昭和20年8月15日声明の英訳を再録)