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選択的夫婦別氏制度を戸籍情報システムに実装する場合について,現行法,最高裁判例,法務省・デジタル庁の第5.0版標準仕様,自治体標準化の進捗を確認した。公表仕様上,戸籍は市区町村コードと戸籍番号で特定され,筆頭者氏名は主キーではなく,各個人の氏・名を保持する項目も既にある。このため,同一戸籍内の別氏を論理データとして表現する基礎は確認できる。
他方,公表仕様は個別製品の物理データベースやソースコードを示さない。戸籍編製,子の氏,経過措置,証明書,附票・住民記録等との連携が未確定であり,改修が画面変更だけで済むとも,全国一律に大規模再構築が必要とも断定できない。費用や令和9年施行工程にも公的根拠は確認できず,法律成立後に仕様改定,製品分析,連携・移行試験の順で確定する必要がある。
第1 現行制度と本記事の検討範囲
1 現行法では婚姻時に夫又は妻の氏を選ぶ
民法750条は,夫婦が婚姻の際に定めた夫又は妻の氏を称すると定めている。
戸籍法6条は,夫婦とこれと氏を同じくする子を一つの戸籍に編製することを原則とし,同法9条は,戸籍を本籍及び筆頭者の氏名によって表示すると定めている。
令和6年の婚姻48万5092組のうち,夫の氏を選んだ婚姻は45万6453組(94.1%),妻の氏を選んだ婚姻は2万8639組(5.9%)であった。
この数値は現行制度の下で実際に選ばれた氏を示すものであり,各夫婦が改氏を希望したかどうかを直接示す統計ではない。
第217回国会には選択的夫婦別氏制度に関する複数の議員提出法案が提出されたが,いずれも成立していない。
法務省の説明によれば,平成8年及び平成22年にも法案要綱又は法案案が準備されたものの,政府提出には至らず,令和8年3月に閣議決定された第6次男女共同参画基本計画の下でも検討が続いている。
2 最高裁判例と立法政策の区別
最高裁平成27年12月16日大法廷判決は,民法750条を憲法13条,14条1項及び24条に違反しないと判断した。
最高裁令和3年6月23日大法廷決定もこの判断を変更せず,選択的夫婦別氏制度の採否は国会で論ぜられ,判断されるべき事柄であるとした。
これらの裁判例は,特定の制度案に必要なシステム改修の範囲や費用を認定したものではない。
選択的夫婦別氏制度の政策的な当否と,成立した制度を戸籍情報システムへ実装できるかという技術的問題は,区別して検討する必要がある。
3 技術的実現可能性と改修規模は別の問題である
現在公表されている標準仕様には,戸籍を特定する番号と,各個人について氏及び名を保持する項目が既に存在する。
したがって,夫婦が異なる氏を称する状態をデータとして表現すること自体が不可能であり,戸籍情報システムが必然的に崩壊するという説明を裏付ける公表資料は確認できない。
他方,公表仕様だけから,改修が画面表示の変更だけで済むこと,データベースの物理構造を変更しないこと,短期間かつ低コストで完了することまでは確認できない。
戸籍の編製原理,筆頭者の扱い,子の氏,経過措置,証明書の表示及び他システムとの連携を法律と仕様で確定して初めて,改修対象と工程を積算できる。
制度導入を求める公的意見として,日本弁護士連合会の令和6年決議及び日本経済団体連合会の提言がある。
本記事は制度の賛否を論じるものではなく,公表された法令,法案,裁判例及び技術仕様から確認できる実装上の事実と未確定事項を整理するものである。
第2 公表仕様から確認できる戸籍データの構造
1 戸籍の主キーは筆頭者氏名ではない
デジタル庁が令和7年9月30日に公開した戸籍のデータ要件・連携要件標準仕様第5.0版では,「市区町村コード」と「戸籍番号」が戸籍特定グループの主キーとされている。
「戸籍番号」は戸籍を一意に識別する番号と定義されている一方,「筆頭者」は必須項目であるものの,主キーとはされていない。
法務省の戸籍情報システム標準仕様書第5.0版も,戸籍番号と,検索に用いる本籍及び筆頭者に関する情報を区別している。
したがって,本籍及び筆頭者の氏名が戸籍の検索・表示に重要であることと,筆頭者氏名がデータベース上の識別子であることは同じではない。
この区別は,制度改正に伴って戸籍の表示方法や筆頭者の意味を見直す場合でも,既存の戸籍番号を直ちに捨てる必要があるとは限らないことを示す。
もっとも,識別子を維持できる可能性は,画面,帳票,検索条件及び業務処理の改修が不要であることを意味しない。
2 各個人の氏を保持する項目がある
法務省の標準仕様書は,氏名ファイルについて,各個人の氏及び名を記録する構造を示している。
デジタル庁の基本データリストでも,氏名グループは市区町村コード,個人番号及び行番号によって識別され,「氏」「名」及び「氏名」に対応する項目が設けられている。
この構造によれば,同じ戸籍内の各個人に異なる氏を記録するための論理的なデータ項目は既に存在する。
選択的夫婦別氏制度のために,個人の氏を保存する欄を全く新しく作らなければならないという説明は,公表された基本データリストとは整合しない。
3 公表仕様では分からない事項
標準仕様書と基本データリストは,標準準拠システムが備えるべき機能,帳票,データ及び連携条件を示す資料である。
各事業者の製品のソースコード,物理データベースのテーブル定義,自治体ごとの移行データ及び運用上の例外処理をすべて開示する資料ではない。
そのため,「氏の項目がある」という事実から,「全製品で物理スキーマの変更はない」「条件分岐を一つ外すだけでよい」と結論することはできない。
反対に,個別製品の古い実装や固定長項目の存在が確認されていない段階で,全国一律に基幹データベースを再構築しなければならないと断定することもできない。
第3 制度設計が確定しなければ仕様を確定できない事項
1 戸籍の編製と表示
選択的夫婦別氏制度を導入する法律には,同氏夫婦と別氏夫婦を同一の戸籍編製原理で扱うのか,別氏夫婦の戸籍をどのように表示するのかを定める必要がある。
平成8年の法制審議会答申を前提とする法務省の説明は,同氏夫婦と別氏夫婦のいずれも同一の戸籍に在籍させる案を示している。
しかし,実際に成立する法律が同じ設計を採用するとは限らない。
筆頭者の呼称及び役割,戸籍の記載順序,全部事項証明書及び個人事項証明書の表示,検索画面の入力条件を法令と省令で確定した上で,標準仕様へ反映する必要がある。
2 子の氏と身分変動
第217回国会の衆法第29号及び衆法第35号は,細部に違いがあるものの,別氏夫婦について婚姻時に子が称する氏を定め,兄弟姉妹の氏を同一にする仕組みを採っていた。
これらの法案は,出生届の都度,父母が制約なく氏を選び,決まらない場合には氏を空欄にするという設計ではない。
成立する法律では,出生だけでなく,認知,養子縁組,離婚,復氏,氏の変更,外国人との婚姻及び国籍取得に伴う処理も整合させる必要がある。
どの場面で誰が選択し,届出が競合又は欠落したときにどの氏を記録するかは,データ項目だけでなく業務ルールとして仕様化されるべき事項である。
3 経過措置と履歴の保存
制度施行前から婚姻している夫婦に選択を認めるか,認める場合に申出期間を設けるかによって,施行直後の届出件数と改修機能は変わる。
改氏前後の氏,婚姻前の戸籍,戸籍訂正の履歴及び身分事項の記載をどのように残すかも,証明書の可読性と本人確認に直接関係する。
既存データを一括して書き換えるのか,届出があった戸籍だけを順次更新するのかによって,移行手順,照合方法及び復旧手順は異なる。
この経過措置が未確定のままでは,対象件数,処理量及び移行費用を合理的に算定できない。
第4 戸籍以外のシステムと社会生活上の氏名
1 関連システムは自動的に一体改修されるわけではない
デジタル庁の標準仕様一覧では,戸籍,戸籍の附票,住民記録及び選挙人名簿管理は別の標準化対象事務として整理されている。
法務省の戸籍情報システム標準仕様書も,戸籍の附票の管理を戸籍情報システム本体の対象外としている。
戸籍側に氏の変更を記録すれば,住民票,個人番号カード,旅券又は選挙人名簿の表示が当然に同じ時点で更新されるわけではない。
関係システムごとに,連携項目,更新の契機,エラー時の再送,履歴管理及び証明書表示を確認する必要がある。
2 識別子を維持しながら連携試験を行う
戸籍番号及び個人を識別する番号を維持できれば,氏名文字列だけに依存して対象者を照合する場合より,連携先への影響を限定しやすい。
もっとも,氏名を検索キー又は突合条件の一部に用いる既存処理が残っていれば,別氏夫婦,同氏夫婦,過去の改氏及び旧字体を含む試験データで確認する必要がある。
必要な試験には,届出入力,戸籍編製,証明書発行,広域交付,戸籍情報連携,附票連携,住民記録連携,アクセス権限及び監査ログが含まれると考えられる。
令和6年3月1日に始まった戸籍証明書の広域交付は,自治体を越える連携基盤が稼働していることを示すが,選択的夫婦別氏に対応済みであることを示すものではない。
戸籍公開制度の沿革と広域交付・情報連携については,別記事で整理している。
3 銀行口座と旅券では別名使用に限界がある
金融庁の令和4年調査と全国銀行協会の令和7年12月の説明によれば,旧姓による口座の取扱いは金融機関ごとに異なり,システム対応,本人確認,マネー・ローンダリング対策及び法定調書との関係が課題となる。
法的な氏と日常使用する氏が一致すれば一部の手続負担は減り得るが,制度施行後も金融機関の規程及び関連法令に応じた対応が必要である。
外務省は,旅券の別名併記について,戸籍上の氏名とは別に括弧書きで表示できる一方,別名はICチップ及び機械読取領域には記録されず,査証又は航空券の取得で支障が生じ得ると説明している。
選択的夫婦別氏の導入は戸籍上の氏を選べるようにする制度であり,外国当局及び民間事業者の氏名取扱いを自動的に統一するものではない。
旅券事務に関する法務省民事局の文書も,戸籍情報と旅券事務の関係を確認する資料となる。
第5 標準化の進捗,費用及び実施工程
1 標準化は共通改修を容易にするが,単一システム化ではない
地方公共団体情報システムの標準化に関する法律は,国が標準化基準を定め,自治体の対象システムをその基準へ適合させる仕組みを設けている。
全国約1800の地方公共団体に共通する仕様を定めることは,自治体ごとに制度改正を設計する重複を減らし,共通製品の改修を展開しやすくする効果が期待できる。
ただし,標準化は全自治体を一つの製品又は一つのデータベースへ統合する制度ではない。
事業者の製品,移行時期,既存データ及び運用環境には差があり,ガバメントクラウドの利用も法律上は努力義務である。
デジタル庁によれば,令和8年3月31日時点で標準化対象3万4366システムのうち1万13システム(29.1%)が特定移行支援システムであった。
移行の遅れには,事業者のリソース不足,現行システムの技術的事情及び移行先の調整など複数の理由があり,標準化が完了済みであることを前提に工程を組むことはできない。
2 戸籍のフリガナ対応から直ちに工期は導けない
戸籍への氏名のフリガナ記載は令和7年5月26日に始まり,届出期間は令和8年5月25日に終了した。
同月26日以降は,届出がなかった場合のフリガナを市区町村長が順次記載する運用へ移っている。
この改修で得られた通知,届出受付,データ更新及び証明書表示の経験は,別の制度改正でも参考になり得る。
しかし,フリガナ追加と選択的夫婦別氏では法的要件,対象データ及び関連システムが異なるため,前者の実績だけから後者の工期又は費用を算定することはできない。
3 公的な費用見積りと固定された施行工程はない
政府は令和7年3月4日の衆議院答弁書で,選択的夫婦別氏制度の具体的内容,戸籍の記載事項及び証明書の様式が定まっていないため,システム改修費用を見積もることは困難であると答弁した。
公表資料から,全国一律の総費用,既存システムを維持した場合との総保有費用の差又は令和9年中の施行を裏付ける確定工程は確認できない。
費用を見積もるには,少なくとも対象機能,改修する標準仕様の範囲,製品数,移行対象件数,帳票数,外部インターフェース数,試験範囲,研修及び施行後の保守を確定する必要がある。
これらを示さずに,費用が必ず僅少である又は必ず巨額になると断定することはできない。
4 実施工程は法成立後のゲートで管理する
実施工程は,暦年を先に固定するのではなく,次の条件を順に満たす形で組むのが合理的である。
各段階で未確定事項を残したまま次へ進むと,後工程で帳票,連携又は移行設計の手戻りが生じる。
①法律及び経過措置を成立させ,施行日と委任範囲を確定する。
②法務省が戸籍の編製,届出,帳票及び業務機能を定め,デジタル庁がデータ要件と連携要件を改定する。
③各事業者が製品別の影響分析と見積りを行い,自治体が移行時期及び調達方法を確定する。
④同氏と別氏の双方について,単体試験,外部連携試験,移行リハーサル及び権限・監査試験を行う。
⑤職員研修,届出案内,障害時の切戻し手順及び施行後の監視体制を整えて運用を開始する。
第6 公表資料から導ける結論
1 データ上の表現可能性は確認できる
第5.0版の公表仕様には,戸籍番号による戸籍の識別と,各個人の氏及び名を保持する項目が存在する。
このため,同一戸籍内の夫婦が異なる氏を称する状態を論理データとして表現する基礎は既にあると評価できる。
また,筆頭者氏名が主キーではない以上,別氏制度の導入が直ちに戸籍の識別体系の全面廃止を意味するものでもない。
この点では,制度が技術的に実装不能であるとか,既存データベースが必然的に崩壊するとする説明には根拠が不足している。
2 改修範囲,費用及び時期は未確定である
他方,既存の氏の項目と識別子だけでは,法律上の制度設計,帳票表示,例外処理,経過措置及び外部連携を実現できない。
公表された論理仕様から個別製品の改修量を逆算することもできず,改修が画面だけで済むとか,全国の対応を短期間で終えられるとする根拠も確認できない。
したがって,公表資料に即した結論は,「実装可能性を支える既存データ構造はあるが,実装規模を決める制度要件は確定していない」というものである。
制度の賛否を論じる場合にも,未確認の技術的破綻又は未確認の容易さを前提とせず,確定した法律案と仕様に基づいて費用,期間及びリスクを比較すべきである。
第7 出典・参考資料
1 法令・国会資料
①e-Gov法令検索「民法(明治29年法律第89号)」750条。
②e-Gov法令検索「戸籍法(昭和22年法律第224号)」6条及び9条。
③e-Gov法令検索「地方公共団体情報システムの標準化に関する法律(令和3年法律第40号)」6条,8条及び10条。
④法務省「選択的夫婦別氏制度(いわゆる選択的夫婦別姓制度)について」。
⑤衆議院「内閣衆質二一七第六三号・令和7年3月4日答弁書」四及び五の1。
⑥衆議院「第217回国会衆法第29号・民法の一部を改正する法律案」。
⑦衆議院「第217回国会衆法第35号・民法の一部を改正する法律案概要」。
2 裁判例
①最高裁平成27年12月16日大法廷判決・平成26年(オ)第1023号,民集69巻8号2586頁,原審・東京高裁平成25年(ネ)第3821号。
②最高裁令和3年6月23日大法廷決定・令和2年(ク)第102号,集民266号1頁,原審・東京高裁令和元年(ラ)第884号。
3 技術標準・行政資料
①法務省「戸籍情報システム及び戸籍情報オンラインシステムの標準仕様書」第5.0版,資料2-1-1頁~2-1-5頁(PDF24頁~28頁)。
②デジタル庁「データ要件・連携要件の標準仕様」,戸籍第5.0版基本データリスト及び機能別連携仕様,令和7年9月30日公表。
③デジタル庁「地方公共団体の基幹業務システムの統一・標準化」,移行進捗,特定移行支援システム及びガバメントクラウドに関する説明。
④法務省「法務大臣が定める戸籍情報システムの標準化基準について」。
⑤法務省「戸籍法の一部を改正する法律について(令和6年3月1日施行)」,戸籍証明書等の広域交付に関する説明。
⑥法務省「フリガナが記載されるまで」。
4 統計・金融・旅券・政策資料
①内閣府男女共同参画局「夫婦の姓(名字・氏)に関するデータ」,令和6年人口動態統計に基づく婚姻件数及び夫婦の氏の選択割合。
②金融庁「旧姓による預金口座開設等に係るアンケート調査の結果について」,令和4年9月6日。
③全国銀行協会「半沢会長記者会見」,令和7年12月18日,旧姓による口座の取扱いに関する質疑。
④外務省「旅券(パスポート)の別名併記制度について」。
⑤日本経済団体連合会「選択肢のある社会の実現を目指して」,令和6年6月18日公表,令和7年5月7日改訂。
⑥日本弁護士連合会「誰もが改姓するかどうかを自ら決定して婚姻できるよう,選択的夫婦別姓制度の導入を求める決議」,令和6年6月14日。