第1 この記事の対象と結論
本記事は,令和8年9月1日現在の公開資料に基づき,サンフランシスコ平和条約第2条(b),日華平和条約,日中共同声明及び現在の日本政府見解の関係を整理するものである。
扱うのは,日本が台湾に対して有していた権利の処理,中国を代表する政府の承認,中華人民共和国政府による台湾の領有主張への日本政府の対応及び日本政府による台湾の法的地位の認定であり,台湾の法的地位に関する全ての国際法学説及び国家実行を網羅するものではない。
①サンフランシスコ平和条約第2条(b)は,日本が台湾及び澎湖諸島に対する全ての権利,権原及び請求権を放棄することを定めたが,その帰属先を記載していない。
②日華平和条約第2条は,サンフランシスコ平和条約による日本の放棄を承認したものであり,台湾及び澎湖諸島を中華民国へ移転するとの文言を置いていない。
③日中共同声明第2項は,中華人民共和国政府を中国の唯一の合法政府として「承認」し,第3項は,台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であるとの同政府の立場を「十分理解し,尊重」すると定めた。
④現在の日本政府は,日本が台湾の法的地位について独自の認定を行う立場にないと説明し,台湾に関する基本的立場は日中共同声明にあるとおりであり,その意味は同声明の文言どおりであるとしている。
したがって,日本が台湾への旧来の権利を保持しているとの説明,日中共同声明第2項だけで日本が中華人民共和国による台湾領有を承認したとの説明,及び日本政府の「独自の認定を行う立場にない」という答弁を国際法上の最終的な帰属判定と同一視する説明は,いずれも文書又は見解ごとの対象を混同している。
第2 三つの文書と現在の日本政府見解の関係
| 年月日 | 文書又は政府見解 | 直接確認できる内容 | その文言だけでは決まらない事項 |
|---|---|---|---|
| 昭和27年4月28日発効 | サンフランシスコ平和条約第2条(b) | 日本による台湾・澎湖諸島への全ての権利,権原及び請求権の放棄 | 放棄後の帰属先 |
| 昭和27年8月5日発効 | 日華平和条約第1条・第2条 | 戦争状態の終了と,サンフランシスコ平和条約による日本の放棄の承認 | 台湾・澎湖諸島を中華民国へ移転する明文の処理 |
| 昭和47年9月29日 | 日中共同声明第2項・第3項 | 中華人民共和国政府を中国の唯一の合法政府として承認し,同政府の台湾に関する立場を十分理解し,尊重すること | 日本による台湾の法的地位の独自認定 |
| 令和8年9月1日現在 | 日本政府答弁 | 台湾の法的地位を独自に認定する立場にないこと,基本的立場は日中共同声明の文言どおりであること | 他国の主張を含む台湾の法的地位の最終的・一般的な判定 |
この表では,「日本の権利を消滅させる処理」と「放棄後の帰属先を決める処理」を分けるとともに,「中国を代表する政府の承認」と「台湾に対する領域主権の承認」も分けている。
第3 サンフランシスコ平和条約第2条(b)
1 条文は日本の放棄を定めた
日本国との平和条約は昭和26年9月8日に署名され,昭和27年4月28日に発効した。
同条約第2条(b)は,次のとおり定める。
日本国は,台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利,権原及び請求権を放棄する。
条文が直接定めたのは,日本が台湾及び澎湖諸島に対して有していた権利,権原及び請求権の放棄である。
条文には,台湾及び澎湖諸島を特定の国へ「譲渡する」,「返還する」又はその国の主権を「承認する」との文言はない。
2 放棄と帰属先の決定は同じではない
第2条(b)の最終条文は,帰属先を記載しない放棄方式となっている。
そこに至る起草過程と中国代表問題は,「サンフランシスコ平和条約第2条はなぜ領土の帰属先を書かなかったのか」で整理している。
もっとも,帰属先が書かれていないことから,日本が放棄した権利を保持し続けたとの結論は導けない。
また,第2条(b)の文言だけで,他国が台湾に対して有すると主張する権原の有無まで確定したと説明することもできない。
第4 日華平和条約が定めたこと
1 戦争状態の終了と日本の放棄の承認
日本国と中華民国との間の平和条約は昭和27年4月28日に台北で署名され,同年8月5日に発効した。
第1条は,日本国と中華民国との間の戦争状態が同条約の発効日に終了することを定め,第2条は,日本国がサンフランシスコ平和条約第2条に基づいて台湾及び澎湖諸島等に対する全ての権利,権原及び請求権を放棄したことを承認した。
第2条は,既にサンフランシスコ平和条約で行われた日本の放棄を確認する構造である。
日華平和条約にも,台湾及び澎湖諸島を中華民国へ譲渡又は返還するとの条項はない。
2 条約の適用領域と第10条
日華平和条約の署名時の交換公文には,同条約が中華民国政府の支配下に現にあり,又は今後入る全ての領域に適用されるとの了解が記載された。
日本政府は,この交換公文により,条約の実際の適用範囲が中華民国政府の支配する範囲に限定されたと説明してきた。
第10条は,「この条約の適用上」,台湾及び澎湖諸島の住民及び以前の住民並びにその子孫で,中華民国が同地で施行する法令によって中国の国籍を有するものを,中華民国国民に含むものとみなす旨を定めた。
これは条約上の国民の範囲を定める規定であり,第10条自体に領域主権を移転するとの文言はない。
3 昭和47年の日中国交正常化後の取扱い
昭和47年9月29日,大平正芳外務大臣は,日中国交正常化の結果,日華平和条約は「存続の意義を失い,終了したものと認められる」とする日本政府の見解を示した。
同条約が当初から無効であったと説明したものではなく,日中国交正常化によって終了したとの整理である。
第5 日中共同声明における「承認」と「理解し,尊重」
1 中国を代表する政府についての承認
昭和47年9月29日の日中共同声明第1項は,日本国と中華人民共和国との間の不正常な状態が同声明の発出日に終了するとした。
第2項は,「日本国政府は,中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する」と定めた。
第2項が直接扱うのは,どの政府を中国の政府として承認するかという問題である。
この規定と,特定の領域がどの国に帰属するかという問題は,同じではない。
2 台湾に関する第3項の文言
日中共同声明第3項は,次のとおり定める。
中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。
第2項が中華人民共和国政府を中国の唯一の合法政府として「承認する」と記載したのに対し,第3項は,中華人民共和国政府による台湾の領有主張を「十分理解し,尊重」すると記載している。
昭和49年4月26日の国会答弁も,日本は台湾の法的地位について認定を行う立場になく,中華人民共和国政府の主張を積極的に承認する立場にはないと説明した。
もっとも,「十分理解し,尊重」という文言を法的・外交的意味のない表現として扱うことも正確ではない。
同答弁は,日本が中華人民共和国政府の立場に異議を唱えたり,台湾を新しい国家として承認したりしないことが,第3項の解釈から導かれると説明している。
3 台湾との関係
日本政府は,日中共同声明を踏まえ,台湾との関係を非政府間の実務関係として維持している。
令和8年5月12日の参議院外交防衛委員会でも,この立場に変更はなく,日台間の協力と交流の更なる深化を図ると答弁した。
第6 現在の日本政府見解
1 台湾の法的地位を独自に認定する立場にない
日本政府は,サンフランシスコ平和条約第2条により台湾に対する全ての権利,権原及び請求権を放棄したため,台湾の法的地位について独自の認定を行う立場にないとの説明を繰り返している。
令和8年5月12日の参議院外交防衛委員会では,第二次世界大戦後の日本の領土を法的に確定したのはサンフランシスコ平和条約であり,日本は第2条により台湾への権利等を放棄したため,台湾の法的地位を独自に認定する立場にないと答弁した。
また,台湾に関する日本政府の基本的立場は日中共同声明第3項の記載のとおりであり,それ以上でもそれ以下でもないと説明した。
令和7年11月28日の外務大臣記者会見でも,日本政府は,サンフランシスコ平和条約による放棄の結果,台湾の法的地位を独自に認定する立場にないとした上で,台湾に関する基本的立場は日中共同声明のとおりであり,それ以上でも以下でもないと説明した。
2 日本政府見解の射程
「独自の認定を行う立場にない」という答弁は,日本政府が台湾の法的地位について自ら確定的な判断を示さないという立場を表す。
これを,台湾の法的地位が国際法上一切決まっていないとの一般的な判断,又は中華人民共和国,中華民国その他の当事者の主張の当否を裁定した結論へ置き換えることはできない。
日本政府は,台湾をめぐる問題が対話により平和的に解決されることを期待するとの立場も示している。
これは帰属の法的認定とは別に,台湾海峡の平和と安定に関する外交政策上の立場を述べたものである。
第7 関係政府の公表見解
中華人民共和国外交部は,令和7年3月7日及び同年12月1日の公表資料において,カイロ宣言,ポツダム宣言及び日本の降伏文書により台湾の中国への返還が確定したと主張し,サンフランシスコ平和条約によってその結果を変更できないとの立場を示した。
これは中華人民共和国政府の公式見解として確認できるが,前記の日本政府見解とは出発点が異なる。
中華民国外交部は,平成24年8月7日の公表資料において,カイロ宣言,ポツダム宣言,降伏文書及び日華平和条約等によって台湾の中華民国への回復が確認されたとの見解を示した。
また,令和8年5月12日の公表資料では,サンフランシスコ平和条約は台湾を中華人民共和国へ移転しておらず,中華人民共和国が台湾を統治したことはないと主張している。
これらは各政府の公式な主張として確認できるが,主張が公表されていることと,その内容が国際法上確定していることは区別する必要がある。
本記事は,各政府の主張を一つの確定事実へ統合するのではなく,日本が当事者となった条約及び日本政府の公表見解から確認できる範囲を示すものである。
第8 関連記事
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第9 出典
1 条約及び外交文書
①日本国との平和条約,昭和26年9月8日署名,昭和27年4月28日発効,外務省。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/B-S38-P2-795_1.pdf
②日本国と中華民国との間の平和条約,昭和27年4月28日署名,同年8月5日発効,外務省。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/A-S38(1)-052_1.pdf
③日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明,昭和47年9月29日,外務省。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/nc_seimei.html
④大平外務大臣記者会見詳録,昭和47年9月29日,外務省。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1973/s48-shiryou-4-3.htm
2 日本政府の答弁及び会見
①第72回国会衆議院内閣委員会第25号,昭和49年4月26日,国立国会図書館国会会議録検索システム。
https://kokkai.ndl.go.jp/simple/detail?minId=107204889X02519740426
②日華平和条約に関する質問に対する答弁書,平成18年4月11日,衆議院。
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b164197.htm
③日中間の文書に関する質問に対する答弁書,令和7年8月15日,衆議院。
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b218007.htm
④外務大臣会見記録,令和7年11月28日,外務省。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/kaikenw_000001_00190.html
⑤第221回国会参議院外交防衛委員会第7号,令和8年5月12日,国立国会図書館国会会議録検索システム。
https://kokkai.ndl.go.jp/simple/detail?current=20&minId=122113950X00720260512
3 関係政府の公表見解
①中華人民共和国外交部,外相発言及び記者会見,令和7年3月7日及び同年12月1日(中華人民共和国政府の見解)。
https://www.fmprc.gov.cn/eng/wjb/wjbz/hd/202503/t20250307_11570237.html
https://www.fmprc.gov.cn/eng/xw/fyrbt/202512/t20251201_11764222.html
②中華民国外交部「外交部澄清媒體以『外交部畫蛇添足』為題之相關報導」,2012年8月7日(中華民国政府の見解)。
https://www.mofa.gov.tw/News_Content.aspx?n=96&s=71047
③中華民国外交部「MOFA solemnly refutes China’s false claims regarding Taiwan’s international participation」,2026年5月12日(中華民国政府の見解)。
https://en.mofa.gov.tw/News_Content.aspx?n=1328&s=122270&sms=273