第1 この記事が扱う範囲と結論
1 受諾決定と国内での実施は別の過程である
昭和20年8月14日にポツダム宣言受諾の最終決定がされても,その内容が直ちに全国の軍人と国民へ伝わったわけではない。
天皇による終戦の詔書の録音,録音盤の保全,8月15日正午の放送及び陸海軍への命令伝達が続いて初めて,受諾決定は国内で実施に移されたのである。
宮城事件は,この実施過程のうち録音盤と放送を阻止しようとした陸軍将校らの武装行動であり,厚木航空隊事件は,海軍航空部隊の一部が終戦後も抗戦継続を訴えた別事件である。
いずれも軍全体の統一行動ではなく,受諾決定を覆すことにも成功しなかったが,抵抗の対象,終息の仕方及び戦後の法的処理は異なっていた。
| 日付 | 主な出来事 | 結果 |
|---|---|---|
| 昭和20年8月14日 | ポツダム宣言受諾を最終決定し,終戦の詔書を録音 | 2組合計5枚の録音盤が作成された |
| 8月14日夜から15日朝 | 宮城事件が発生し,近衛師団の一部が宮城を占拠して録音盤を捜索 | 録音盤の奪取と放送阻止には失敗した |
| 8月15日朝 | 東部軍司令官田中静壱らが近衛師団の行動を収拾 | 宮城の占拠は解かれた |
| 8月15日正午 | 終戦の詔書を放送 | 受諾決定が国民へ公表された |
| 8月15日以後 | 厚木の第三〇二海軍航空隊の一部が抗戦継続を訴えた | 海軍側の指揮回復と部隊の分散により終息した |
| 10月から11月 | 厚木事件関係者を横須賀鎮守府臨時軍法会議が裁判 | 小園安名らに党与抗命罪等の有罪判決が言い渡された |
2 軍の抵抗を一つの「反乱」としてまとめることはできない
宮城事件では,近衛第1師団長森赳中将及び第二総軍参謀白石通教中佐の殺害,近衛師団命令の偽造,宮城の占拠及び録音盤の捜索が行われた。
他方,厚木航空隊事件では,小園安名海軍大佐を中心とする部隊の一部が抗戦継続を訴え,終戦に伴う命令への服従を拒んだことが中心となる。
したがって,「軍部が一体となって降伏に反対した」と理解するのは正確でない。
本記事では,陸軍中央の一部にあった終戦阻止計画,宮城での実力行使,海軍厚木部隊の抗命を区別し,公開された一次史料と公的機関の史料解説で確認できる範囲を示す。
第2 8月14日の受諾決定と玉音録音
1 終戦の詔書は同日夜に録音された
国立公文書館「終戦の詔書」によれば,昭和20年8月14日にポツダム宣言受諾が最終決定され,終戦の詔書が作成された。
同日夜,昭和天皇が詔書を読み上げ,その音声が宮内省内で録音された。
この録音は,翌日正午の放送に用いるためのものであった。
宮城事件の実行者にとっては,録音盤を確保することが,天皇の声による終戦公表を阻止する直接の手段となったのである。
2 「玉音盤」は1枚ではなく2組合計5枚であった
宮内庁「昭和天皇の玉音放送」によれば,詔書の朗読は2回録音された。
2回目の録音から2枚組と3枚組の2組,合計5枚の録音盤が作られ,これが正本とされた。
一般に「玉音盤」と呼ばれるが,事件当時に守られた対象を1枚の円盤と考えると実態を誤る。
また,反乱側は録音盤を捜したものの奪取できなかったため,本記事の「玉音盤奪取」は成功した行為ではなく,奪取未遂を指す。
第3 宮城事件はどのように起きたか
1 陸軍中央の一部にも終戦阻止の計画があった
竹下正彦「昭和20年8月14日 水曜 機密戦争日誌」は,同日早朝,陸軍大臣が参謀総長に対し,御前会議の際に兵を宮城へ入れ,天皇の出御を求める計画への同意を求めたと記録する。
参謀総長が全面的に同意せず,この計画は実行に移らなかった。
この同時代史料からは,終戦阻止の発想が少数の現場将校だけに突然生じたのではなく,陸軍中央の一部にも軍事力を背景とする計画があったことが分かる。
もっとも,同日早朝に立ち消えた計画は,その後の森・白石殺害,命令偽造及び録音盤捜索を陸軍大臣又は陸軍中央が正式に命じたことまで証明するものではない。
2 師団長らの殺害と命令の偽造によって部隊が動かされた
防衛研究所「東部軍復員史資料」史料紹介は,徹底抗戦を唱える青年将校らが森赳近衛第1師団長と白石通教第二総軍参謀を殺害し,偽の師団命令を出して宮城を占拠したと説明する。
正規の命令権者を排除し,真正な命令であるかのように部隊を動かした点が,宮城事件の実力行使を支えた仕組みであった。
事件は一般に畑中健二少佐,椎崎二郎中佐らの行動として説明される。
しかし,公開一次史料だけでは参加者ごとの謀議,命令及び実行行為を十分に確定できないため,本記事は偽命令の番号や全文,個々の将兵の認識を断定しない。
偽命令に従った兵士全員を,直ちに終戦阻止の共謀者とみることもできない。
命令が偽造された以上,指揮命令系統の下で真正な命令と信じた者と,偽造を知って行動した者を分けて考える必要がある。
3 宮城占拠の目的は録音盤と放送の確保にあった
近衛師団の一部は宮城を占拠し,終戦の詔書を収めた録音盤を捜索した。
受諾決定そのものは既に終わっていたため,実行者が現実に妨げようとしたのは,天皇の声を放送して決定を全国へ伝える過程であった。
録音盤は発見されず,放送設備も反乱側の継続的な支配下に置かれなかった。
録音盤が隠された場所,捜索時刻及び関係者の個別行動については回顧録間に細部の相違があるため,原陳述書を確認しないまま一つの物語へ固定することは避けるべきである。
第4 玉音放送はなぜ阻止されなかったか
1 録音盤の保全と正規指揮系統の維持が重なった
録音盤の奪取が失敗しただけで玉音放送が当然に実現したわけではない。
録音盤が発見されなかったこと,反乱側が放送経路を掌握できなかったこと,東部軍が偽命令を正規命令として追認しなかったことが重なり,放送阻止の前提が崩れたと考えられる。
「一人の機転だけが玉音放送を救った」とする説明は,複数の機関と関係者が関与した経過を単純化する。
宮内省側による録音盤の保全,放送関係者の対応,東部軍による指揮回復及び反乱側の指揮崩壊は,それぞれ独立した条件として扱う必要がある。
2 田中静壱が近衛師団の行動を収拾した
防衛研究所の史料紹介によれば,東部軍司令官田中静壱大将は,不破博及び塚本清を伴って近衛師団司令部へ入り,師団の行動をやめさせた。
東部軍司令官が正規の指揮命令系統から反乱側の命令を否定したことにより,偽命令を基礎とする占拠は維持できなくなった。
同資料は,田中がその後に川口放送所をめぐる事件も収拾し,8月24日に自決したと説明する。
ただし,その自決の動機を宮城事件の責任だけに帰することは,公表資料の記載を超える。
3 8月15日正午に玉音放送が実施された
宮内庁資料によれば,保全された録音盤を用いて昭和20年8月15日正午に終戦の詔書が放送された。
宮城事件は放送前に収拾され,録音盤の奪取にも放送の中止にも至らなかった。
もっとも,玉音放送は国民への公表であり,国内外の全部隊が同時に戦闘を止めた時点そのものではない。
8月15日以後も停戦及び武装解除の命令伝達が必要であり,厚木航空隊事件はその実施過程で生じた抵抗の一つである。
第5 海軍の厚木航空隊事件
1 第三〇二海軍航空隊の一部が抗戦継続を訴えた
厚木航空隊事件は,小園安名海軍大佐を司令とする第三〇二海軍航空隊の一部が,8月15日後も抗戦継続を訴え,終戦に伴う命令への服従を拒んだ事件である。
JACAR終戦80周年特別展第4章も,国体が護持されないと考えた一部軍人の反対行動として,宮城事件と厚木航空隊事件を挙げている。
厚木での抵抗は,宮城を占拠して録音盤を捜した行動とは目的の現れ方も指揮系統も異なる。
宮城事件との共謀を前提にせず,海軍航空部隊内での抗命として区別する必要がある。
2 厚木の「鎮圧」は指揮権の回復と抵抗の分散で進んだ
厚木では,宮城事件のように一人の上級司令官が現場で偽命令を直ちに否定して終わらせたのではない。
海軍側が小園を指揮から外し,他の航空部隊が抗戦継続に同調しない中で,抵抗する将兵が分散し,飛行場の指揮と進駐受入れの準備が回復していった。
したがって,厚木航空隊事件についての「鎮圧」は,大規模な交戦による一斉制圧を意味しない。
本記事では,正規指揮系統が部隊と飛行場の統制を取り戻し,組織的抵抗が続けられなくなった過程を指すものとして用いる。
3 小園安名らは臨時軍法会議で有罪となった
昭和48年4月5日の国会会議録には,政府が判決原本の写し等に基づいて説明した厚木事件関係者の軍法会議処分が残る。
公開された政府答弁で確認できる判決は,次の3群である。
| 被告人 | 判決日 | 罪名と主な刑 |
|---|---|---|
| 小園安名 | 昭和20年10月16日 | 党与抗命罪,無期禁錮 |
| 岩戸良治以下61名 | 昭和20年10月12日 | 党与抗命罪・党与逃亡罪により処罰 |
| 古川倫夫以下8名 | 昭和20年11月8日 | 党与抗命罪,全員禁錮4年 |
小園の無期禁錮は,昭和21年の勅令第512号により禁錮20年,昭和25年9月4日に禁錮10年へ減軽され,同年12月5日に仮釈放となった。
さらに,昭和27年4月28日,政令第117号による大赦で赦免された。
政府は,横須賀鎮守府臨時軍法会議が小柳冨次,由布喜久雄及び小野良二郎の3名で裁判し,小田垣常夫が検察官として関与したことも答弁している。
また,臨時軍法会議は,当時の法令上,弁護人がいなくても裁判できる制度であったと説明している。
これらは国会会議録で確認できる政府説明であり,判決本文そのものを逐語確認した結果ではない。
防衛研究所の公開目録には「厚木事件資料(海軍大佐 小園安名 軍法会議 判決文)」が掲載されているが,本記事作成時点ではその本文を閲覧できていない。
第6 宮城事件と厚木航空隊事件の共通点及び相違点
1 共通するのは受諾決定の実施に抵抗した点である
| 比較項目 | 宮城事件 | 厚木航空隊事件 |
|---|---|---|
| 主体 | 陸軍中央・近衛師団の一部将校ら | 第三〇二海軍航空隊の一部 |
| 主な抵抗対象 | 終戦の詔書の録音盤,放送及び正規命令 | 終戦・停戦に伴う上級命令への服従 |
| 主な手段 | 殺害,命令偽造,宮城占拠及び録音盤捜索 | 抗戦継続の主張と集団的抗命 |
| 終息の形 | 東部軍が偽命令を否定して近衛師団を収拾 | 海軍側が指揮を回復し,抵抗が分散して終息 |
| 確認できた法的処理 | 中核行為を審理した判決は未確認 | 臨時軍法会議の有罪判決を政府答弁で確認 |
両事件に共通するのは,8月14日の最終決定より後に,その実施を妨げようとしたことである。
異なるのは,宮城事件が録音・放送を短時間で遮断しようとしたのに対し,厚木航空隊事件は部隊の抗命が数日にわたって解消されていく形をとった点である。
2 当時の軍刑法による評価は個人別の事実認定を要する
陸軍刑法第25条は,党を結び兵器又は弾薬を用いて反乱した場合について,首魁,謀議参加者,指揮者及び附和随行者を区分して刑を定めていた。
宮城事件の武装行動は同条の検討対象となり得るが,判決と参加者別の捜査記録を確認できない以上,個々人について同罪の成立を断定することはできない。
海軍刑法第55条及び第56条は,上官命令への反抗・不服従と,多数が共同して行う場合を定めていた。
厚木事件について政府答弁がいう「党与抗命罪」は,これらの規定による処罰を指す。
政府答弁によれば,陸海軍の軍法会議は終戦と同時に消滅したのではなく,昭和22年5月2日まで一定の範囲で存置された。
したがって,旧軍の解体だけを理由として「終戦後は軍人を裁けなかった」と説明することはできない。
3 宮城事件関係者が処罰されなかった理由は確定できない
宮城事件の中核参加者には事件終息時又はその後に死亡した者がいる一方,生存者もいた。
しかし,本記事の調査では,森・白石殺害,偽命令,宮城占拠及び録音盤捜索を被告事実として審理した軍法会議又は通常裁判所の判決を確認できなかった。
同じ時期の抗戦行動が全て不処罰であったわけではない。
国民神風隊による首相官邸等への襲撃・放火については,大審院第一刑事部昭和21年3月25日判決(昭和20年(れ)第375号,刑集25巻3頁)があり,厚木事件についても前記3群の軍法会議判決がある。
この比較から分かるのは,「陸軍が解体されたため,宮城事件では誰も訴追されなかった」という一因だけの説明が成り立たないことである。
宮城事件の生存関係者について,捜査の有無,不起訴の理由又は軍法会議へ付されなかった理由を確定するには,憲兵・警察・検察及び軍法会議の個別記録を確認する必要がある。
第7 史料から確定できる範囲と残る問題
1 偽命令と人物別の行動には未確認部分が残る
宮城事件については,偽造された近衛師団命令の真正な原本又は写しを確認できていない。
そのため,命令番号,全文,作成者,発令者,配布先及び受領時刻を,二次資料の一致だけで確定事項として掲げることはしない。
また,防衛研究所が所蔵する不破博「東部軍終戦史」,高嶋辰彦「終戦直前の東部軍及宮城事件の回想」,塚本清「八・一五事件に於ける田中静壱大将」及び井田正孝「宮城事件の本質」は,所在又は史料紹介を確認した段階にとどまる。
宮内省関係者や放送関係者の陳述書も含め,人物別の行動と分単位の時系列は,これらの本文を突き合わせた後に確定すべきである。
2 厚木事件の判決理由は原判決の確認を要する
厚木事件については,国会会議録により被告群,判決日,罪名及び主な刑を確認できる。
一方,軍法会議が認定した具体的な抗命行為,採用証拠,法令適用及び被告人別の量刑理由は,判決本文を確認しなければ確定できない。
また,厚木で抵抗が終息するまでの個々の飛行,宣伝物,部隊移動及び将兵の人数は,後年の聞き取りや回顧に依存する部分が大きい。
本記事は,公的資料と国会答弁で裏付けられる事件骨格を優先し,細部を過度に再現しない。
3 受諾の意思決定と外交文書は関連記事で扱う
ポツダム宣言の発表から宣言受諾及び降伏文書調印までの経緯は,宣言発表から受諾決定,停戦命令及び降伏文書調印までの全体の流れを扱っている。
本記事は,そのうち受諾決定後に国内で生じた軍の抵抗へ範囲を絞ったものである。
ポツダム宣言受諾はどのように連合国へ伝えられたかは,スイス及びスウェーデンを介した日本と連合国の往復文書を扱う。
日本がポツダム宣言を受諾した理由は,原子爆弾投下,ソ連参戦,国体護持及び国内意思決定の関係を扱う。
昭和天皇の玉音放送を聞いた連合国関係者の反応は,玉音放送を実際に聞いた米軍人・日系人等の反応と,降伏ニュースへの反応との違いを扱う。
第8 出典・参考資料
1 公文書・歴史資料
① アジア歴史資料センター 竹下正彦「昭和20年8月14日 水曜 機密戦争日誌」JACAR Ref.C12120362700(原本画像20枚を確認)
② 防衛研究所戦史研究センター史料室「史料紹介 東部軍復員史資料」平成30年4月,1頁~2頁
③ 宮内庁「昭和天皇の玉音放送」
④ 国立公文書館「昭和20年 終戦の詔書」
⑤ 国立公文書館「終戦の詔書」資料画像
⑥ アジア歴史資料センター「終戦80周年特別展 終戦と外務省―外交史料が語る対日降伏への道―」第4章
⑦ 防衛研究所『史料公開目録 海軍1』113頁(「厚木事件資料(海軍大佐 小園安名 軍法会議 判決文)」の所在を確認)
2 歴史法令・国会会議録
① 陸軍刑法(明治41年法律第46号)
② 海軍刑法(明治41年法律第48号)
③ 第71回国会参議院予算委員会第一分科会第1号 昭和48年4月5日会議録(発言175,発言177,発言179,発言181及び発言191)
④ 第71回国会参議院予算委員会第四分科会第1号 昭和48年4月5日会議録発言172(岩戸良治以下61名及び古川倫夫以下8名の判決)
3 裁判例・文献・ウェブ資料
① 大審院第一刑事部昭和21年3月25日判決,昭和20年(れ)第375号,刑集25巻3頁(有斐閣判例百選データベース公開ページで書誌及び判示項目を確認し,判決全文は未確認)
② 神立尚紀「終戦のご聖断もあわや水の泡!? 日本海軍最強部隊叛乱事件の真相」現代ビジネス,令和2年8月14日(厚木航空隊事件の経過に関する二次資料)
③ 煙洲会『煙洲会四百回記念』昭和53年8月,22頁~30頁(国民神風隊の行動に関する佐々木武雄の回顧)