目次
第1 最高裁判所発足時の裁判官任命諮問委員会
1 設立時の経緯
2 裁判官任命諮問委員会の廃止
第2 昭和22年6月5日の片山内閣談話
第3 最高裁判所裁判官任命諮問委員会設置法案等
1 昭和30年代の動き
2 昭和50年代の動き
3 日弁連作成の法律案
4 最高裁判所裁判官任命諮問委員会設置法案に関する参考人の発言
5 宮川光治弁護士(平成20年9月3日から平成24年2月27日までの最高裁判所判事)の,自由と正義2013年6月号23頁における記載
第4 関連記事その他
第1 最高裁判所発足時の裁判官任命諮問委員会
1 設立時の経緯
(1) 裁判官任命諮問委員会(制定時の裁判所法39条4項及び5項のほか,裁判官任命諮問委員会規程(昭和22年6月17日政令第83号))は,昭和22年7月28日,最高裁判所の裁判官候補者として30名を答申し,昭和22年8月4日,その中の15人が最高裁判所裁判官に任命されました。
(2) 裁判官任命諮問委員会の構成は,衆議院議長1人,参議院議長1人,全国の裁判官から互選された者4人,全国の検察官等から互選された検察官1人,全国の弁護士から互選された弁護士4人,法律学教授2人,学識経験者2人の合計15人でした(裁判官任命諮問委員会規程3条)。
(3)ア 裁判官からの立候補者は6人であったところ,全国の裁判官から互選された者4人は昭和22年7月10日の投票及び同月18日の開票に基づくものです。
イ 投票直前の同月7日,坂野千里 東京高裁長官代行(元東京控訴院長)が諮問委員を辞退するというニセ電報が東京高裁管内の全地裁及び7高裁に打たれたため,坂野千里が落選するという,ニセ電報事件が発生しました。
その結果,細野長良 最高裁判所長官代行(最後の大審院長)を支持する細野派は裁判官任命諮問委員会に入ることができなくなり,細野長良は,最高裁判所が発足した昭和22年8月4日に辞職しました。
(4)ア 昭和22年5月3日から同年8月4日に最高裁判所裁判官が任命されるまでの間,大審院長及び大審院判事が最高裁判所裁判官の職務を代行していました(憲法103条,裁判所法施行法7条・裁判所法施行令12条1項)。
イ 裁判所法施行前から大審院に係属していた事件は東京高裁に係属することとなりました(裁判所法施行令1条1項)。
(5) 「最高裁判決の内側」(昭和40年8月30日発行)188頁ないし205頁に詳しい経緯が書いてありますところ,鈴木義男司法大臣の回想文を引用した204頁及び205頁には以下の記載があります。
(山中注:15人の最高裁判所裁判官の出身者の色分け)は別にそういう方針で選定したものではなく、人物本位に選んだ結果偶然こういう比率になったに過ぎない。私共の意思としては、将来一人二人の欠員ができた場合、時の内閣は、常に、国家的に見て最適任者を選択任命するように有りたいと念願するものである。
2 裁判官任命諮問委員会の廃止
(1) 裁判官任命諮問委員会は,昭和23年1月1日,裁判所法の一部を改正する法律(昭和23年1月1日法律第1号)により廃止されました。
(2) 昭和46年2月9日の衆議院予算委員会において準備された法務省の想定問答には以下の記載があったみたいです(内閣法施局の執務参考資料集8・942頁及び943頁)。
内閣としては、民主国家における裁判官の地位を十分に尊重し、最高裁判所の裁判官の氏名又は任命については、つねに公正な人選を行うよう努力してきたが、今後ともいっそうの努力を傾けたい所存である。
お尋ねの最高裁判所の裁判官についての裁判官任命諮問委員会の制度は、最高裁判所発足当時一度設けられたが、間もなく廃止された。その理由は、裁判官任命諮問委員会の運用の実績に徴すると、この制度の運用は、形式的に流れ、しかも最高裁判所裁判官の氏名又は任命についての責任の所在を不明確にするおそれがあるという点にあり、その後は、これらの指名及び任命をいっさい内閣の責任において行なうとの建前が明確にされた。したがって、かような制度を再び設ける必要はないと考える。