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日本の戦後賠償はなぜ少ないといわれるのか―サンフランシスコ平和条約,冷戦及び各国の賠償放棄(AI作成)

第1 「少ない」の中心は完全賠償を採らなかった制度設計にある

1 結論

日本の戦後賠償が少ないといわれる最大の理由は,戦争被害が小さかったからではなく,昭和26年9月8日に署名されたサンフランシスコ平和条約が,損害の全額を金銭で償う方式を採らなかったことにある。同条約は,日本に賠償義務があることを承認する一方,日本の資源だけでは,存立可能な経済を維持しながら完全な賠償を行うことはできないと明記した。その上で,賠償を一定の連合国に対する日本人の役務等に限定し,条約に別段の定めがある場合を除いて連合国の賠償請求を放棄させたのである。

この制度設計には,①日本の支払能力を超える賠償を避けるという経済上の判断,②日本の復興と西側陣営への組込みを重視する冷戦下の安全保障判断,③個々の国との条約,協定又は共同文書による賠償放棄及び個別処理が重なっていた。ただし,冷戦だけを原因とするのは正確でない。日本の貿易収支,食料・原料の輸入必要性,米国援助への依存及び第一次世界大戦後の賠償問題の経験も,完全賠償を回避する判断に結び付いていた。

2 本記事の対象と「少ない」の意味

本記事は,公開された条約本文,外交文書及び政府資料を生成AIで横断的に照合し,「日本の戦後賠償はなぜ少ないのか」という問いを,国家間の賠償制度と集計範囲の問題として整理するものである。個々の被害者が受けた損害の大きさや,国家間の請求権放棄が個人の請求権に与える法的効果は別の問題であり,後者については平和条約の請求権放棄とは何かで扱っている。

「少ない」という評価には,比較の分子と分母を決める必要がある。狭義の賠償額だけを分子にするのか,在外財産,捕虜補償,経済協力,借款及び戦前債務まで加えるのかによって数字は大きく変わる。また,戦争被害の推計額,各国が交渉時に主張した請求額,条約で確定した支払額及び実際の履行額は同じ数字ではない。

第2 狭義の賠償は4か国合計10億1208万ドルである

1 4か国への狭義の賠償

外務省の「賠償並びに戦後処理の一環としてなされた経済協力及び支払い等」によれば,賠償協定に基づく狭義の賠償は,フィリピン,南ベトナム,ビルマ及びインドネシアの4か国に対する合計10億1208万ドル,3643億4880万円である。これは,日本が戦後に外国へ移転したすべての財産的価値の合計ではなく,条約又は賠償協定上「賠償」とされた給付の合計である。

相手国ドル額円換算額
フィリピン5億5000万ドル1980億円
南ベトナム3900万ドル140億4000万円
ビルマ2億ドル720億円
インドネシア2億2308万ドル803億880万円
合計10億1208万ドル3643億4880万円

2 広義の戦後処理額とは対象が異なる

同じ外務省資料は,在外財産,経済協力,捕虜に対する支払,連合国財産の補償,戦前債務の返済及び借款等を含む累計として,264億2864万8268ドル,1兆3525億2789万8145円を掲げている。狭義の賠償額との差が大きいのは,後者が約237億ドルとされた在外財産を含むなど,法的性質の異なる項目を合算しているからである。

集計ドル額含まれる主な項目
狭義の賠償10億1208万ドル4か国との賠償協定による給付
広義の戦後処理264億2864万8268ドル在外財産,経済協力,捕虜関係の支払,財産補償,戦前債務,借款等

したがって,「日本の賠償は約10億ドルにすぎない」という表現は,狭義の賠償協定額を説明する限りでは正しいが,日本が戦後処理として負担した財産的価値の総額を示す表現ではない。反対に,広義の累計額をそのまま「賠償額」と呼ぶと,無償賠償,資産処分,有償借款及び債務返済の違いが失われる。詳しい項目別の金額は,日本の戦後賠償はいくらかで整理している。

第3 サンフランシスコ平和条約が完全賠償を採らなかった理由

1 存立可能な経済と支払能力

サンフランシスコ平和条約14条は,日本が戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して連合国に賠償を支払うべきことを承認した。他方で,同条は,日本の資源が,存立可能な経済を維持しながら,すべての損害及び苦痛に完全な賠償を行い,同時に他の債務も履行するには十分でないことも承認した。条約は,賠償責任の存在と完全賠償能力の不存在を同じ条文に置いたのである。

この支払能力基準は,条約締結後の日本政府の方針にも現れた。外務省の外交文書概要によれば,昭和26年11月7日に定められた賠償交渉方針は,存立可能な経済を維持し,国民に合理的な生活水準を保障し,国際収支の均衡を維持できる範囲を賠償能力の限度とした。相手国が求めた額を被害額どおりに確定する仕組みではなく,日本の供給能力と相手国の要求を交渉で具体化する仕組みであった。

2 役務賠償と原材料負担

条約14条(a)(1)の賠償は,日本軍が占領して損害を与えた連合国のうち,希望する国との交渉により,日本人の役務を生産,沈船引揚げその他の作業に利用させることを中心とした。生産に必要な原材料は相手国が供給し,日本側に外貨上の負担を課さないことも定められた。のちの賠償協定では,機械,設備,生産物及び役務の供与が中心となり,単純な現金送金とは異なる形を採った。

この方式には,日本から受領国への資本財供与と,日本企業の輸出・海外進出を結び付ける面もあった。そのため,戦後賠償は経済協力の出発点とも評価されるが,賠償協定上の無償給付と,後年の有償借款又は一般の政府開発援助を同一視することはできない。

3 在外財産の処分と一般的な賠償放棄

条約14条(a)(2)は,各連合国がその管轄下にある日本国及び日本国民等の財産を差し押さえ,留置し,清算し,又は処分する権利を認めた。外務省資料が在外財産を約237億ドルとするのは,この種の財産処分を広義の戦後処理へ含めているためである。在外財産は,日本政府が同額の現金を各国へ送金したものではないが,条約による財産的負担から除外することもできない。

他方,条約14条(b)は,条約に別段の定めがある場合を除き,連合国がすべての賠償請求,戦争遂行中の日本国及び日本国民の行動から生じた連合国及びその国民の請求並びに占領の直接軍事費に関する請求を放棄すると定めた。完全賠償を原則にして減額する構造ではなく,限定された給付と財産処分を残し,その他の請求を包括的に終結させる構造であったことが,狭義の賠償額を小さくした直接の法的理由である。

第4 冷戦が賠償抑制を後押しした

1 日本の経済復興を優先する政策への転換

外務省外交史料館のサンフランシスコ平和条約の解説は,米ソ冷戦の激化により,東側諸国を除く多数国との講和へ方針が収れんし,昭和25年6月に始まった朝鮮戦争が講和の動きを加速させたと説明している。占領初期の非軍事化と経済力解体を重視する政策から,日本の経済的自立と西側陣営への参加を重視する政策へ重点が移る中で,過大な賠償は安全保障上の目的と衝突するようになった。

サンフランシスコ平和条約は,日本と48か国との間で昭和26年9月8日に署名され,昭和27年4月28日に発効した。ソ連は会議に参加したが署名せず,中華人民共和国及び中華民国は招請されず,インド及びビルマは参加しなかった。したがって,条約による賠償処理は,アジアのすべての交戦国を一度に包摂したものではなく,冷戦下の多数国講和を基礎とし,非参加国等との処理を後の二国間交渉へ残した。

2 昭和26年の米国外交文書が示す判断

昭和26年2月12日のダレス・キリノ会談記録によれば,フィリピン側は約80億ドルの賠償を主張した。これに対し,米国側は,日本が当時貿易赤字であり,食料と原料を輸入しなければならず,完全雇用を維持するため米国援助を必要としていることを説明した。多額の賠償を日本から取り立てれば,米国援助によって穴埋めするか,日本の生活水準を失業と共産主義的扇動が拡大する水準まで下げることになるという判断であった。

昭和26年3月2日の米比共同声明案に関する会談記録でも,米国側は,巨額の賠償を抽出すれば米国納税者が実質的に負担するか,日本の生活水準を共産主義を招くほど低下させることになると説明した。これは,冷戦が賠償額へ影響したことを示す同時代の一次資料である。ただし,文書に記録された約80億ドルはフィリピン側の交渉上の主張であり,裁判又は国際機関が確定した損害額ではない。最終的な対フィリピン賠償額は5億5000万ドルとなった。

3 冷戦だけでは説明できない

米国の政策は賠償抑制を強く後押ししたが,日本側の支払能力という問題は安全保障上の標語だけではなかった。賠償のために日本の輸出力を削れば,原料と食料を輸入する外貨が不足し,占領国側の援助負担が増えるという循環が現実に問題とされた。また,昭和26年3月12日の英国政府見解も,安定した政府と存立可能な経済を備えた日本を講和の目標とし,工業設備からの追加賠償には否定的である一方,日本の金及び在外財産による処理を残そうとしていた。賠償抑制は米国だけの秘密の免除ではなく,西側講和の経済設計として形成されたのである。

第5 各国の賠償放棄と個別処理

1 平和条約当事国の原則

フィリピン及び南ベトナムは,条約14条(a)(1)を基礎に日本と賠償協定を締結した。これに対し,外務省の戦後処理の具体的施策によれば,その他の平和条約当事国は同条(b)により賠償請求を放棄した。すべての戦勝国へ被害割合に応じて一律に支払う制度ではなく,条約上の資格,請求の有無及び二国間交渉によって支払先が限定されたのである。

もっとも,条約当事国が賠償請求を放棄したことは,当該国に関係する財産的処理が一切なかったことを意味しない。条約14条(a)(2)による在外財産の処分,16条による元捕虜のための赤十字国際委員会への資産移転,連合国財産の返還・補償及び戦前債務の処理は,狭義の賠償とは別に残された。

2 平和条約の外で行われた主要な処理

次の表は,狭義の賠償総額が形成された理由を理解するため,平和条約に参加しなかった国又は署名しなかった国等との主要な処理を整理したものである。すべての戦後合意を列挙するものではなく,「放棄」と「支払」の法的根拠が国ごとに異なることを示すものである。

国・地域主な文書と処理狭義の賠償額との関係
ビルマ昭和29年の平和条約及び賠償・経済協力協定により2億ドルの賠償4か国合計に含まれる
インドネシア昭和33年の平和条約及び賠償協定により2億2308万ドルの賠償4か国合計に含まれる
インド昭和27年の日印平和条約6条により日本に対するすべての賠償請求を放棄狭義の賠償支払なし
中華民国昭和27年の日華平和条約議定書1項(b)により平和条約14条(a)(1)の役務利益を自発的に放棄役務賠償の支払なし。ただし,すべての請求の放棄と一般化しない
ソ連昭和31年の日ソ共同宣言6項により日本国に対するすべての賠償請求を放棄狭義の賠償支払なし
中華人民共和国昭和47年の日中共同声明5項により日本国に対する戦争賠償の請求を放棄狭義の賠償支払なし
大韓民国昭和40年の請求権・経済協力協定により無償3億ドル,有償2億ドルの経済協力狭義の賠償ではなく経済協力として集計

日韓請求権・経済協力協定による給付を「韓国への賠償」に含める説明も見られるが,公文書上の法的形式は無償及び有償の経済協力であり,外務省の集計でも4か国への狭義の賠償とは別項目である。日韓間の処理は日韓請求権協定の法的構造,日中間の処理は日中共同声明と戦争賠償請求の放棄で詳しく扱っている。

3 放棄は被害又は責任がなかったという意味ではない

賠償放棄は,国家間の平和処理において請求を法的に終結させる仕組みであり,戦争被害が存在しなかったとの認定ではない。サンフランシスコ平和条約14条自体が,日本が損害及び苦痛を生じさせ,賠償を支払うべきことを前提としている。放棄に至った政治的理由,受領国の国内事情及び後の経済協力は国ごとに異なるため,「各国が自発的に許した」又は「日本が何も支払わなかった」という一つの説明にまとめることはできない。

第6 数字が小さく見える三つの集計上の理由

1 現金だけでなく役務・生産物で履行された

狭義の賠償はドル建ての限度額で表示されるが,実際の履行は日本人の役務,機械・設備及び生産物の供与を中心とした。ドル額だけを見ると現金賠償のように見える一方,履行の経済的効果は,日本国内での調達,日本企業による供給及び受領国の開発事業という形で現れた。名目額の比較だけでは,給付の形式と受領国での利用を捉えられない。

2 経済協力・借款・捕虜関係の支払は別科目である

韓国への無償・有償の経済協力,ビルマ等への追加的な経済協力,借款,赤十字国際委員会を通じた元捕虜関係の支払及び連合国財産の補償は,狭義の賠償額に含まれない。そのため,狭義の賠償額だけを抽出すれば小さく見えるが,別科目を無条件に足して「真の賠償額」とすることも適切でない。無償給付と返済を伴う借款,国有財産と民間在外資産,国家間賠償と被害者向け給付は,それぞれ区別して示す必要がある。

3 被害額・要求額・合意額は一致しない

戦争被害額は,人的損害,財産損害,逸失利益,通貨換算及び評価時点によって変わる。交渉時の要求額は相手国の主張であり,条約上の合意額は日本の供給能力,支払期間及び外交関係を反映した政治的・法的決着である。フィリピン側の約80億ドルという主張と,5億5000万ドルという最終合意額の差は,この違いを典型的に示しているが,その差だけから被害額の正否又は交渉の公正さを確定することはできない。

第7 「日本の賠償は少ない」という評価の限界

1 国家間決済と個人被害の評価は別である

狭義の賠償額が抑制されたことは,個々の被害者の損害が填補されたことを意味しない。国家間の条約が請求を放棄し,又は処理済みとした場合でも,個人の請求権が実体法上消滅したのか,裁判上行使できなくなったのか,国家が外交保護権だけを放棄したのかは別の法的論点である。被害者への給付制度の有無及び内容も国ごとに異なるため,国家間の支払総額から個人の救済水準を直接推計することはできない。

2 他国との比較には同じ範囲と時点が必要である

日本とドイツその他の国を比較する場合,日本の4か国向け狭義賠償だけを用いながら,相手国について補償,財産返還,債務処理及び長期間の基金をすべて加えると,比較の範囲が一致しない。比較には,①国家間賠償か個人補償か,②無償給付か借款か,③在外財産を含むか,④名目額か現在価値か,⑤どの時点までの支払を含むかをそろえる必要がある。

したがって,原典から確認できる到達点は,「日本の狭義の国家間賠償額は,支払能力を上限とする平和条約の設計,冷戦下の復興優先,各国の賠償放棄及び二国間処理により限定された」ということである。「少ない」という評価は,何と比較し,どの項目を数えるかを示した場合に限って意味を持つ。

第8 出典・参考資料

1 条約・共同文書

① 外務省「日本国との平和条約」(昭和26年9月8日署名,昭和27年4月28日発効),特に14条及び16条。

② United Nations Treaty Series, Vol. 136, Treaty of Peace with Japan,45頁~164頁。

③ 外務省「日本国とインドとの間の平和条約」(昭和27年6月9日署名),6条。

④ 外務省「日本国と中華民国との間の平和条約議定書」(昭和27年4月28日署名),1項(b)。

⑤ 外務省『わが外交の近況』「日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言」(昭和31年10月19日署名),6項。

⑥ 外務省「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」(昭和47年9月29日),5項。

⑦ 外務省「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」(昭和40年6月22日署名),1条及び2条。

⑧ 外務省条約データ検索「日本国とフィリピン共和国との間の賠償協定」(昭和31年5月9日署名)。

⑨ 外務省『わが外交の近況』「日本国とビルマ連邦との間の平和条約及び賠償・経済協力協定」(昭和29年11月5日署名)。

⑩ 外務省『わが外交の近況』「日本国とインドネシア共和国との間の平和条約及び賠償協定」(昭和33年1月20日署名)。

⑪ 外務省『わが外交の近況』「日本国とヴィエトナム共和国との間の賠償協定」(昭和34年5月13日署名)。

2 外交文書・公文書

① 外務省「賠償並びに戦後処理の一環としてなされた経済協力及び支払い等」(平成27年5月22日),資料1頁~4頁(PDF1頁~4頁)。

② 外務省「戦後処理の具体的施策」。

③ 外務省外交史料館「サンフランシスコ平和条約の調印と発効」。

④ 外務省『日本外交文書 サンフランシスコ平和条約 準備対策』「概要」,特に第3章及び第4章。

⑤ U.S. Department of State, Foreign Relations of the United States, 1951, Asia and the Pacific, Volume VI, Part 1, Document 508,876頁~884頁。

⑥ U.S. Department of State, Foreign Relations of the United States, 1951, Asia and the Pacific, Volume VI, Part 1, Document 517,900頁~903頁。

⑦ U.S. Department of State, Foreign Relations of the United States, 1951, Asia and the Pacific, Volume VI, Part 1, Document 524,912頁~916頁。

3 文献

① 永野慎一郎・近藤正臣編『日本の戦後賠償―アジア経済協力の出発』勁草書房,1999年,1頁~14頁。