第1 この記事の対象と結論
本記事は,米国の関税措置(いわゆるトランプ関税)によって取引コストが変動した場合に,日本企業が既存の契約関係の中でどのような法的対応を取り得るかを,日本法(民法及び製造委託等に係る中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等の防止に関する法律,以下「取適法」という。旧称・下請代金支払遅延等防止法)の観点から整理するものである。米国の関税制度自体の仕組みや現行税率については,別稿「トランプ関税の現在――最高裁判決後の301条・232条・338条と日本への影響」で扱っており,本記事ではこれを前提として,コスト変動が生じた後の契約上・取引法上の対応に絞って検討する。
トランプ関税が日本企業の契約関係に及ぶ経路は,主として二つある。一つは,米国向けに輸出する日本企業が,米国側の買主から,関税負担分を吸収するための値下げを求められる経路である。もう一つは,米国向け輸出比率の高い企業が採算悪化を理由に,国内の下請事業者に対して代金を据え置き又は減額しようとする経路である。前者は主として国際的な取引交渉と契約条項の解釈の問題であり,後者は取適法の規律に直接関わる。
結論を先取りすると,次のとおりである。①契約書に不可抗力条項があっても,関税による採算悪化は履行不能ではなく履行が不利益になるだけであることが多く,免責事由として機能しないことが多い。②民法上の「事情変更の原則」は,最高裁が要件の存在自体は認めながら,実際に適用を認めた例がほとんどなく,特にトランプ関税のように2018年以降繰り返し発動され,予見可能性を否定しにくい事情については,主張のハードルが一段と高い。③他方で,中小の下請事業者がコスト上昇を理由に価格協議を求めたのに,発注者が協議に応じず又は必要な説明をしないまま一方的に代金を決定することは,2026年1月1日施行の改正取適法により明文で禁止されており,この経路の方が現実的な対応手段となり得る。④取適法の対象とならない大企業間取引や国際取引では,契約書の価格改定条項・不可抗力条項の解釈と,通常の商取引上の交渉力に委ねられる部分が大きい。
第2 トランプ関税が日本企業の契約関係に及ぶ二つの経路
米国の関税は,米国内へ物品を持ち込む輸入者が米国税関へ納付する税であり,日本企業が米国へ関税を直接納付するわけではない。しかし,経済的な負担は取引の力関係に応じて分配される。米国側の買主が,増加した関税負担を輸入価格の引下げによって相殺しようとすれば,日本の輸出企業は,既存の契約における代金の減額要求という形でこれに直面する。逆に,米国向け輸出で採算が悪化した日本企業(完成品メーカー等)が,自社の調達コストを圧縮しようとすれば,国内の部品・原材料の下請事業者に対する代金の据置き又は減額という形で影響が波及する。
このほか,鉄鋼・アルミニウム等,通商拡大法232条の対象となった品目については,米国向け輸出の減少や,米国内での代替生産の拡大を通じて,国際商品市況そのものが変動し,米国と直接取引のない日本企業の調達コストにも間接的に影響し得る。以下では,これらの経路によって生じた代金・原価の変動について,契約当事者がとり得る法的手段を検討する。
第3 不可抗力条項による免責の可否
契約書に不可抗力(フォース・マジュール)条項が置かれている場合,天災地変,戦争,法令の制定改廃等と並んで,「関税その他の輸入規制の変更」を不可抗力事由として明示的に列挙している例もある。この場合は,条項の文言に該当する限り,債務不履行責任を免れる根拠となり得る。
もっとも,多くの不可抗力条項は,債務の履行そのものが不可能又は著しく困難になった場合を対象としており,関税によって採算が悪化したにとどまり履行自体は可能な場合には適用されないのが通常である。民法上も,当事者双方の責めに帰することができない事由によって履行できなくなったときに反対給付の履行を拒むことができるとする危険負担の規定(民法536条1項)は,履行不能を前提とするものであり,履行が可能だが不利益になったという場合には及ばない。したがって,不可抗力条項に関税変動が明示されていない限り,これによる免責は難しいことが多く,次に述べる事情変更の原則又は価格改定条項による対応を検討することになる。
第4 事情変更の原則による契約改定・解除の限界
1 判例上の要件
事情変更の原則とは,契約締結時に前提とされた事情がその後著しく変化し,当初の契約内容に当事者を拘束することが信義則上著しく不当と認められる場合に,契約の解除又は改訂を認める法理である。民法に明文の規定はないが,判例上その存在自体は認められている。要件の定式化として広く参照されるのは,大阪高判昭和27年7月14日下民集3巻7号962頁が示した,①契約成立時の基礎とされた事情に著しい変更が生じたこと,②その変更を当事者双方が予見せず,かつ予見し得なかったこと,③変更が当事者の責めに帰すべからざる事由によって生じたこと,④当初の契約内容に拘束することが著しく信義衡平に反することという4要件である。
2 適用を否定してきた最高裁判例
最高裁は,事情変更の原則の法理自体を否定してはいないが,実際にこれを適用して契約の解除又は改訂を認めた例は見当たらない。最判昭和29年1月28日民集8巻1号234頁は,家屋の売買契約後に売主の自宅が戦災で焼失し,売却済みの家屋が必要になったという事情について,これは売主の個人的な事情の変化にすぎず,契約の客観的な基礎となった事情の変更とはいえないとして,事情変更による解除を認めなかった。最判昭和29年2月12日民集8巻2号448頁も,同様に事情変更の主張を排斥している。比較的新しい最判平成9年7月1日民集51巻6号2452頁(平成8年(オ)第255号)は,ゴルフクラブの入会契約が締結された後にのり面が崩壊した事案について,予見可能性及び帰責事由の不存在という要件へのあてはめを検討したが,結論としては事情変更の主張を認めなかった。
3 下級審で適用が認められた例外的な事例
他方,下級審では,不動産価格の急激な変動等を理由に事情変更の原則の適用を認めた例も存在する。東京高判昭和30年8月26日下民集6巻8号1698頁(家屋の売買予約後の価格急騰),仙台高判昭和33年4月14日下民集9巻4号666頁(土地の再売買予約における代金改定),札幌地判昭和51年7月30日下民集27巻5~8号457頁(土地売買残代金の増額),大阪高判昭和53年11月29日下民集29巻9~12号335頁(賃貸借契約の解約)などである。これらはいずれも,不動産という個別性の強い財産について,契約締結から履行までの間に生じた大幅な価格変動が問題となった事案であり,量産品の売買や継続的な取引一般に当然に及ぶものではない。
4 トランプ関税への当てはめと予見可能性の壁
トランプ関税を理由に事情変更の原則を主張する場合,最大の障壁となるのは②の予見可能性の要件である。2018年の第一次政権期に既に鉄鋼・アルミニウムへの通商拡大法232条関税や対中301条関税が発動されており,2024年の大統領選挙後は関税政策の拡大が広く報じられ,2025年には現に相互関税等が発動された。このような経過に照らすと,少なくとも2024年後半以降に締結された契約については,関税措置の発動自体を「当事者双方が予見し得なかった事情」と評価することは相当に困難である。これに対し,2018年より前に締結され,その後長期間にわたって同一条件で継続してきた契約について,2025年以降の急激な関税拡大が予見可能であったかは,契約締結時期,業界慣行及び当事者の認識によって個別に評価される余地がある。
いずれにせよ,④の要件(信義則上著しく不当)を満たすには,関税による原価上昇が契約の対価に占める割合,契約全体における損益の変動幅等を具体的な数値で示す必要があり,一般的な「コストが上がった」という主張だけでは足りない。以上の判例動向に照らすと,事情変更の原則は,主張自体は可能であるものの,実際に契約の解除又は改訂を勝ち取る手段としては期待しにくく,次に述べる取適法上の権利行使や,契約書上の価格改定条項の方が現実的な対応となることが多い。
第5 下請取引における価格転嫁――改正取適法による保護
1 適用対象
取適法は,資本金の額又は出資の総額が一定額を超える法人(委託事業者)が,これを下回る個人又は法人(中小受託事業者)に対して製造委託等をする場合に適用される(同法2条8項・9項)。資本金基準に加え,2026年1月1日施行の改正により,常時使用する従業員の数を基準とする適用類型が新設された(同項5号・6号)。これにより,資本金基準だけでは対象とならなかった取引についても,従業員数の観点から適用範囲が拡大されている。自社又は取引先が対象に当たるかどうかは,資本金額と従業員数の両方を確認する必要がある。
2 買いたたきの禁止
取適法5条1項5号は,委託事業者が,「中小受託事業者の給付の内容と同種又は類似の内容の給付に対し通常支払われる対価に比し著しく低い製造委託等代金の額を不当に定めること」を禁止している(いわゆる買いたたき)。これは改正前から存在する規律であり,発注者が一方的に低い代金を提示すること自体を禁じるものである。
3 価格協議拒否・一方的代金決定の禁止(2026年改正)
2026年1月1日に施行された改正取適法は,これに加えて,取適法5条2項4号として,「中小受託事業者の給付に関する費用の変動その他の事情が生じた場合において,中小受託事業者が製造委託等代金の額に関する協議を求めたにもかかわらず,当該協議に応じず,又は当該協議において中小受託事業者の求めた事項について必要な説明若しくは情報の提供をせず,一方的に製造委託等代金の額を決定すること」を,中小受託事業者の利益を不当に害する行為として新たに禁止した。この規定は,原材料費・エネルギーコスト・労務費等の上昇を念頭に置いたものであるが,条文上「費用の変動その他の事情」という文言が用いられており,対象となる費用の種類を限定していない。したがって,米国の関税措置に起因して調達価格が上昇した中小受託事業者が,発注者に価格協議を申し入れたにもかかわらず,発注者がこれに応じない,又は形式的な協議に応じるのみで必要な説明・資料提供をしないまま従来どおりの代金を押し付けた場合には,この規定への該当が問題となり得る。
なお,この規定が禁止するのは「協議に応じないこと」及び「一方的な決定」であって,発注者に価格引上げそのものを法的に義務付けるものではない。中小受託事業者の側でも,費用の変動を裏付ける資料(仕入先からの値上げ通知,通関書類,市況資料等)を示して具体的に協議を申し入れることが,この規定を活用する前提となる。
4 違反時の効果
公正取引委員会は,取適法5条の規定に違反する行為があると認めるときは,違反した委託事業者に対し,代金の額を引き上げるべきこと等を勧告することができる(同法10条1項)。公正取引委員会の発表によれば,勧告件数は令和6年度21件,令和7年度39件(平成以降で最多)となっており,改善指導も年間1,454件に上るなど,執行は近年活発化している。委託事業者が勧告に従った場合には,独占禁止法上の関連規定(同法20条・20条の6)は,その勧告に係る行為については適用されない(取適法11条)。取適法は独占禁止法の特別法的な位置づけにあり,取適法の対象とならない取引(後記第6)では,独占禁止法上の優越的地位の濫用規制が受け皿となる。
第6 取適法の対象外となる取引・国際取引における価格交渉
取適法は,資本金基準・従業員基準を満たす日本国内の委託・受託関係を前提とした規律であり,資本金基準を満たさない大企業間の取引や,米国の買主との直接の輸出取引には,そのままでは適用されない。これらの取引において関税負担分の価格調整を求める場合は,主として次の二つの枠組みによることになる。
第一に,契約書上の価格改定条項・再協議条項(プライスレビュー条項)の解釈である。継続的な供給契約では,原材料費・為替・関税等の変動があった場合に一定の手続で価格を見直す旨の条項が置かれることがあり,このような条項があれば,事情変更の原則によらずとも,契約上の権利として価格改定を求めることができる。条項がない場合には,前記第4のとおり事情変更の原則の主張は容易でないため,実際には交渉力に基づく協議に委ねられる部分が大きい。
第二に,独占禁止法上の優越的地位の濫用規制である。取引上優越した地位にある事業者が,取引の相手方に対し,正常な商慣習に照らして不当に不利益な取引条件を設定する行為は,独占禁止法上問題となり得る。もっとも,優越的地位の認定及び「正常な商慣習に照らして不当」であることの立証は,取適法の形式的な要件該当性の判断に比べて負担が大きく,個別の事案ごとに公正取引委員会への相談又は弁護士への相談を要する。
第7 契約書における不可抗力条項・価格改定条項の設計
これから締結する契約については,将来の関税変動に備えた条項をあらかじめ設けておくことが,事後的な事情変更の主張よりもはるかに確実な対応となる。具体的には,①関税その他の輸入規制の新設・変更を不可抗力事由又は価格改定事由として明記すること,②一定の閾値(例えば,対象品目の実効関税率が一定幅を超えて変動した場合等)を超えたときに,当事者が価格の再協議を求めることができる旨を定めること,③再協議が調わない場合の取扱い(一定期間経過後の契約解除権等)をあらかじめ定めておくことが考えられる。Incoterms等の貿易条件によって関税の負担者が形式的に決まっている場合であっても,実際の価格交渉においては,形式的な負担者と経済的な負担の分配とは別の問題であることに留意する必要がある。
第8 実務上の初期対応順序
コスト変動に直面した場合,いきなり訴訟や公正取引委員会への申告を検討するのではなく,まず低負担な確認から始めるのが合理的である。第一に,自社の契約書に価格改定条項・不可抗力条項があるかどうか,及びその要件を確認する。第二に,コスト上昇の原因と金額を裏付ける資料(仕入先の値上げ通知,輸入関税の賦課状況,市況資料等)を整理する。第三に,取引先が取適法上の委託事業者に当たる場合は,同法5条2項4号に基づき,資料を示した上で正式に価格協議を申し入れる。この申入れに対して発注者が協議に応じない,又は必要な説明をしないまま一方的に代金を据え置いた場合には,公正取引委員会又は中小企業庁への相談を検討する。第四に,取適法の対象外の取引で,かつ契約書に価格改定条項がない場合には,事情変更の原則の主張は前記のとおりハードルが高いことを踏まえた上で,あくまで交渉のカードの一つとして位置づけ,本格的な紛争化は,具体的な数値による損益への影響が大きく,交渉による解決が見込めない場合に限って検討するのが相当である。
第9 出典・参考資料
1 法令
① 民法(明治二十九年法律第八十九号)第536条(債務者の危険負担等)
2 裁判例
① 大阪高判昭和27年7月14日下民集3巻7号962頁(事情変更の原則の要件を定式化した原審判決。裁判所HP未掲載)
② 最高裁判所第一小法廷判決・昭和29年1月28日,昭和25年(オ)第106号,民集8巻1号234頁(事情変更の原則の適用を否定した事例。裁判所HPで確認済み)
③ 最判昭和29年2月12日民集8巻2号448頁(同上。裁判所HP未掲載)
④ 最高裁判所第三小法廷判決・平成9年7月1日,平成8年(オ)第255号,民集51巻6号2452頁(ゴルフクラブ入会契約に関する事情変更の主張について判断した事例。裁判所HPで確認済み)
⑤ 東京高判昭和30年8月26日下民集6巻8号1698頁,仙台高判昭和33年4月14日下民集9巻4号666頁,札幌地判昭和51年7月30日下民集27巻5~8号457頁及び大阪高判昭和53年11月29日下民集29巻9~12号335頁(下級審で事情変更の原則の適用を認めた例。いずれも裁判所HP未掲載)
(①,③及び⑤の各裁判例は,法務省法制審議会民法(債権関係)部会分科会資料及び複数の法律専門解説記事において判例集の巻号頁が一致して引用されているものであり,裁判所ウェブサイトの裁判例検索では特定日を指定した照会でも個別ページを確認できなかったため,「裁判所HP未掲載」として扱う。)
3 公的資料
① 公正取引委員会,下請代金支払遅延等防止法(現・製造委託等に係る中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等の防止に関する法律)の条文
② 公正取引委員会,「下請代金支払遅延等防止法及び下請中小企業振興法の一部を改正する法律」の成立について,令和7年5月16日
③ 公正取引委員会,製造委託等に係る中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等の防止に関する法律の概要
④ 内閣官房・公正取引委員会,労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針,令和5年11月29日
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① 下請法に関するメモ書き(2023年1月1日,改正前の取適法(旧下請法)の全体像)
② トランプ関税の現在――最高裁判決後の301条・232条・338条と日本への影響(米国側の関税制度・現行税率)