第1 この記事が扱う対象
1 対象と時点
上場株式の配当や株式の譲渡益について確定申告をするかどうかは,源泉徴収ありの特定口座を使っている限り納税者が選択できる。この選択は所得税額を変えるだけでなく,75歳以上の人が加入する後期高齢者医療制度の保険料と,病院の窓口で支払う一部負担金の割合をも変える。令和8年法律第31号(健康保険法等の一部を改正する法律)は,この選択によって負担が変わる状態を解消するため,金融機関等が税務署長に提出する法定調書と同じ情報を後期高齢者医療広域連合へも報告させる仕組みを新設した。本記事は,令和8年8月21日現在で公表されている法律本文,政令,厚生労働省の資料及び国会会議録により,現行制度で確定申告の有無が負担を分ける法的な理由,改正で何が変わるか,改正後も反映されない金融所得は何か,そして施行がいつになるかを整理する。作成にはAIを用い,条文はe-Gov法令検索で,裁判例は裁判所ウェブサイトで,国会答弁は国立国会図書館の国会会議録検索システムで,それぞれ本文を確認した。
2 先に結論
結論を先に述べると,第一に,確定申告の有無で負担が変わるのは後期高齢者医療制度の側に特別な規定があるからではなく,保険料と窓口負担の算定基礎が市町村民税の課税所得に接続されており,その市町村民税の側で「申告があったときだけ算入する」という組立てになっているためである。第二に,改正法は既に成立・公布されており,「検討中」の段階ではない。第三に,施行は公布の日から5年を超えない範囲内で政令が定める日とされ,厚生労働省が示した工程では実際に保険料へ反映されるのは公布後4年から5年程度先である。第四に,NISA口座内の所得と預貯金の利子は,改正後も保険料に反映されない。
第2 現行制度で確定申告の有無が負担を分ける仕組み
1 保険料と窓口負担の根拠規定
後期高齢者医療制度の被保険者は,区域内に住所を有する75歳以上の者と,65歳以上75歳未満で政令で定める程度の障害の状態にある旨の認定を受けた者である(高齢者の医療の確保に関する法律50条)。保険料は,後期高齢者医療広域連合が,全区域にわたって均一の保険料率であることその他の政令で定める基準に従い,広域連合の条例で定めるところにより算定した保険料率によって課する(同法104条2項)。窓口で支払う一部負担金の割合は原則10分の1であるが,政令で定めるところにより算定した所得の額が政令で定める額以上である場合は10分の2,これを超える額以上である場合は10分の3となる(同法67条1項各号)。すなわち,保険料率も窓口負担割合の所得基準も,法律自体は具体的な内容を定めておらず,政令へ委任している。
2 政令が所得を市町村民税に接続している
委任を受けた政令は,所得を独自に定義せず,市町村民税の課税所得へ接続している。保険料の所得割額は,地方税法314条の2第1項に規定する総所得金額及び山林所得金額並びに他の所得と区分して計算される所得の金額の合計額から,同条2項の規定による控除をした後の金額(基礎控除後の総所得金額等)に所得割率を乗じて得た額とされる(高齢者の医療の確保に関する法律施行令18条1項3号)。窓口負担割合の判定に用いる所得の額も,同じく地方税法314条の2第1項の総所得金額等から所定の控除をした後の金額である(同施行令7条1項1号)。この両条は,括弧書きで「地方税法附則33条の2第5項に規定する上場株式等に係る配当所得等の金額」及び「同法附則35条の2の2第5項に規定する上場株式等に係る譲渡所得等の金額」を明示的に含めており,均等割額の軽減の判定所得についても同じ定義が用いられている(同施行令18条5項1号,4号)。したがって,上場株式等の配当や譲渡益が市町村民税の課税所得に入るかどうかが,そのまま保険料と窓口負担割合を左右する。
3 地方税法313条12項から15項までの構造
市町村民税の側の組立ては,原則と例外が反転している。地方税法313条12項は,特定配当等に係る所得を有する者の総所得金額は「当該特定配当等に係る所得の金額を除外して算定する」と定め,同条13項は「前年分の所得税に係る第317条の3第1項に規定する確定申告書に特定配当等に係る所得の明細に関する事項……の記載があるとき」は12項を適用しないと定める。源泉徴収選択口座内の譲渡益に相当する特定株式等譲渡所得金額についても,同条14項及び15項が同じ構造を置いている。ここでいう特定配当等とは租税特別措置法8条の4第1項に規定する上場株式等の配当等などを指し(地方税法23条1項15号),特定株式等譲渡所得金額とは同法37条の11の4第2項に規定する源泉徴収選択口座内調整所得金額を指す(同項17号)。そして所得税の確定申告書を提出すれば市町村民税の申告書が提出されたものとみなされるから(同法317条の3第1項),所得税で申告不要制度(租税特別措置法8条の5)を選ぶことは,そのまま市町村民税の課税所得から除外されることを意味する。本記事が扱う問題の法的な正体は,医療保険法令ではなくこの地方税法の条文構造にある。
なお,令和4年度税制改正により,令和6年度分の個人住民税(令和5年分の所得)からは,所得税と個人住民税で異なる課税方式を選択することができなくなった。それ以前は,所得税では総合課税を選んで配当控除を受けつつ,住民税では申告不要を選んで保険料への影響を避けるという組合せが可能であった。現行の地方税法313条13項が「前年分の所得税に係る確定申告書」の記載を基準としているのは,この改正の結果である。上場株式等の配当に係る課税方式の選択そのものについては,米国株の配当金にかかる二重課税を解消し,税金の還付を受ける方法及び所得税の確定申告に関するメモ書きでも扱っている。
4 NISA口座と預貯金の利子が入らない理由
NISA口座内の所得と預貯金の利子が保険料に反映されないのは,申告不要制度とは別の理由による。租税特別措置法37条の14第1項は,非課税口座内の上場株式等の譲渡による所得について「所得税を課さない」と定めており,そもそも所得税法上の所得を構成しない。預貯金の利子等については,同法3条1項が所得税法22条及び89条の規定にかかわらず「他の所得と区分し」15パーセントの税率で課税すると定めており,源泉分離課税で完結して総所得金額に入らない。市町村民税の総所得金額は所得税の計算の例により算定されるから(地方税法313条2項),いずれも保険料の算定基礎に入りようがない。この点は後述する国会答弁とも一致しており,改正法が特に除外したのではなく,制度の構造上もともと入らないものである。NISA口座の取扱いについては相続発生時のNISA口座の取扱いも参照されたい。
第3 金額でみた差
1 厚生労働省が示した設例
厚生労働省は,制度見直しの説明資料「後期高齢者医療制度における金融所得の公平な反映」において,夫婦とも後期高齢者で,被保険者本人の収入が年金230万円と上場株式の配当等の金融所得50万円,配偶者の収入が基礎年金83万円という設例を示している。同資料によれば,この金融所得を確定申告した場合の窓口負担は2割,保険料は年169,978円(月14,165円)であるのに対し,確定申告しない場合の窓口負担は1割,保険料は年118,928円(月9,911円)となる。同資料は,この金額を導いた保険料率も軽減措置の適用関係も示していない。
2 設例の数値の内訳
本記事では,公表されている全国平均の保険料率と政令の規定から,この2つの金額の内訳を次のとおり算定した。前提として用いたのは,厚生労働省が公表した令和6・7年度の全国平均である被保険者均等割額50,389円及び所得割率10.21パーセント,65歳以上で公的年金等の収入金額が330万円未満の場合の公的年金等控除額110万円,市町村民税の基礎控除額43万円(地方税法314条の2第2項1号)である。本人の年金230万円から公的年金等控除110万円を差し引くと雑所得は120万円となり,配偶者の基礎年金83万円は控除額に満たないので所得は生じない。
確定申告しない場合,基礎控除後の総所得金額等は120万円から43万円を差し引いた77万円であるから,所得割額は770,000円に10.21パーセントを乗じた78,617円となる。均等割額については,高齢者の医療の確保に関する法律施行令附則3条が,65歳以上で公的年金等控除を受けた者の公的年金等に係る所得から15万円を控除して軽減の判定を行うと定めているため,判定所得は105万円となる。同施行令18条5項4号及び6号は,判定所得が基礎控除額に被保険者数に応じた額を加算した額以下であるときに均等割額の10分の2を減額すると定めており,令和7年度の加算額は被保険者1人につき56万円であるから(後期高齢者医療広域連合の公表資料による。),被保険者2人の本件では基準額が155万円となる。判定所得105万円はこれを下回るので,均等割額は50,389円の8割にあたる40,311円となる。両者を合計すると118,928円となり,厚生労働省の資料の金額と一致する。
確定申告する場合は,基礎控除後の総所得金額等が127万円となるので所得割額は129,667円となり,判定所得は155万円で基準額と同額であるから2割軽減の適用が残り,均等割額は40,311円のままである。合計すると169,978円となり,これも資料の金額と一致する。差額の51,050円は,金融所得50万円に所得割率10.21パーセントを乗じた額そのものである。
3 均等割額の軽減がもたらす段差
この検算から,資料の説明だけでは見えにくい効果が浮かび上がる。均等割額の軽減は世帯の所得を基準に判定されるところ,前記のとおり同施行令18条5項1号及び4号は判定所得に上場株式等に係る配当所得等の金額を明示的に含めている。したがって,金融所得が保険料算定に反映されるようになると,所得割額が増えるだけでなく,軽減の段階が下がる場合がある。厚生労働省の設例は,判定所得が2割軽減の基準額とちょうど同額に収まる値になっているため均等割額が動かず,増加額が金融所得に所得割率を乗じた額と一致している。仮に配当が51万円であれば判定所得が156万円となって基準額155万円を超え,2割軽減の適用を受けられなくなるから,均等割額が40,311円から50,389円へ増え,増加額はおよそ61,000円となる計算である。軽減の境界付近にいる被保険者では,増加額が金融所得に所得割率を乗じた額を大きく上回りうるということである。
なお,保険料には上限があり,基礎賦課額は85万円を超えることができない(同施行令18条1項7号)。既に上限に達している被保険者には,金融所得が加わっても保険料の増加は生じない。令和8年度からは,これとは別に子ども・子育て支援納付金賦課額(上限21,000円)が加わっている(同項1号ロ,13号)。
4 窓口負担割合が1割から2割に変わる仕組み
窓口負担割合の判定は,保険料とは別の基準による。2割負担となるのは課税所得が28万円以上の場合であるが(同施行令7条2項),公的年金等の収入金額と,合計所得金額から公的年金等に係る雑所得を差し引いた額との合計が,世帯で320万円(世帯に他の被保険者がいない場合は200万円)に満たない者には,この基準は適用されない(同条3項1号)。前記の設例で確定申告しない場合の世帯の合計額は,本人の230万円と配偶者の83万円を合わせた313万円であるから320万円に達せず,1割負担にとどまる。確定申告する場合は本人の額が230万円に配当50万円を加えた280万円となり,世帯では363万円となって基準を超えるため,2割負担となる。報道では「世帯年収280万円」という数字が用いられることがあるが,これは本人の年金と配当を合わせた額であって,同条3項1号が定める世帯の合計額とは別の数字である。なお3割負担の基準は課税所得145万円以上であり,収入額が520万円(世帯に他の被保険者がいない場合は383万円)に満たない者には適用されない(同条4項,5項1号)。
保険料の増加が金融所得の額に比例して連続的に生じるのに対し,窓口負担割合は閾値を超えた瞬間に1割から2割へ跳ね上がる。医療費が多い被保険者ほど,この不連続な変化の影響が大きい。
第4 令和8年法律第31号による改正
1 法律の特定と経過
改正法は,第221回国会に内閣提出法律案第25号として提出された健康保険法等の一部を改正する法律であり,令和8年法律第31号として公布されている。内閣法制局の国会提出法案の情報によれば,閣議決定日及び国会提出日はいずれも令和8年3月13日で,先議院は衆議院である。厚生労働省の公表によれば,令和8年5月29日に成立し,同年6月5日に公布された。この法律には,後期高齢者医療における金融所得の勘案のほか,OTC医薬品との代替性が特に高い薬剤を用いた療養についての一部保険外療養の創設,出産に係る給付体系の見直し,国民健康保険における子どもに係る均等割保険料等の軽減の拡充なども含まれている。
2 新設される138条の2から138条の6まで
改正法9条は,高齢者の医療の確保に関する法律の第4章第9節に138条の2から138条の6までの5か条を新設する。中心となるのは138条の2で,同条1項に掲げる者は,同項の表の中欄に掲げる規定に基づき下欄の書類を税務署長に提出するときは,その書類に記載すべきものとされる事項のうち被保険者その他の厚生労働省令で定める者に係る厚生労働省令で定める事項を,同じ期日までに,厚生労働省令で定める電子情報処理組織を使用する方法その他厚生労働省令で定める方法により,厚生労働省令で定める後期高齢者医療広域連合に報告しなければならないとされる。同条2項は,提出すべき書類の枚数が少ないと見込まれる者として厚生労働省令で定める者が税務署長へ電子的方法で提出したときは,税務署長が広域連合へ情報を提供し,その提出の日に報告がされたものとみなすと定めており,事務の一本化が図られている。
138条の3は,広域連合が報告の受理及び情報の収集・整理に関する事務を指定法人へ委託することができるとし,指定法人の役員又は職員及びこれらの者であった者に秘密保持義務を課す。ここでいう指定法人は,同法70条5項が定義する法人,すなわち国民健康保険法45条6項により厚生労働大臣が指定する一般社団法人又は一般財団法人である。138条の4は広域連合,指定法人及び税務署長の相互の連携協力を,138条の5は厚生労働大臣又は都道府県知事による報告の徴収,立入検査及び是正命令を,138条の6は厚生労働省令への委任を,それぞれ定める。
3 報告の対象となる書類
138条の2第1項の表が掲げる報告義務者と書類は,次の4つである。①租税特別措置法37条の11の3第3項1号に規定する金融商品取引業者等が同条7項により提出する報告書,すなわち特定口座年間取引報告書,②所得税法225条1項1号及び2号に規定する者が同項により提出する調書のうち上場株式等の配当等に係るもの,③同法227条に規定する信託の受託者が提出する計算書のうち上場株式等の配当等に係るもの,④同法228条1項により名義人が提出する調書のうち上場株式等の配当等に係るものである。①の特定口座年間取引報告書には,特定口座を開設した居住者の氏名及び住所のほか,その年中に当該特定口座において処理された上場株式等の譲渡の対価の額,取得費の額,譲渡に要した費用の額,譲渡に係る所得の金額又は差益の金額,当該特定口座に受け入れた上場株式等の配当等の額その他財務省令で定める事項が記載され,翌年1月31日までに税務署長へ提出されることになっている(租税特別措置法37条の11の3第7項)。改正法は,この既存の書類の情報を保険者へも流すという設計を採っている。
4 罰則及び住民基本台帳法の改正
改正法は罰則も整備している。改正後の高齢者の医療の確保に関する法律167条の3は,138条の2第1項の規定による報告をせず又は虚偽の報告をしたときは,その違反行為をした者を1年以下の拘禁刑又は50万円以下の罰金に処すると定める。指定法人の役員等が秘密保持義務に違反した場合も罰則の対象とされ(同法167条1項),指定法人が報告の徴収に応じず,検査を拒み,又は是正命令に違反したときは,その役員が20万円以下の過料に処せられる(同法170条2項)。
あわせて改正法附則41条が住民基本台帳法の別表第一に「七十三の七」を加え,高齢者の医療の確保に関する法律70条5項に規定する指定法人が,138条の2第1項の報告,同条2項の提供又は138条の3第1項の情報の収集若しくは整理に関する事務であって総務省令で定めるものについて,本人確認情報の提供を受けられるようにしている。金融機関から届く大量の法定調書の情報を被保険者ごとに突き合わせるには氏名と住所だけでは足りないため,住民基本台帳ネットワークシステムを用いる仕組みを設けたものと理解される。
5 施行期日
金融所得の勘案に関する部分の施行期日は,一般の施行期日である令和9年4月1日ではない。改正法附則1条7号は,改正法9条の規定並びに附則27条,39条及び41条の関係規定について,「公布の日から起算して五年を超えない範囲内において政令で定める日」から施行すると定めている。公布日が令和8年6月5日であるから,遅くとも令和13年6月4日までには施行されることになるが,具体的な期日は政令に委ねられており,現時点では定まっていない。附則27条は,138条の2の規定は施行日以後に同条1項の表の中欄に掲げる規定により下欄の書類を提出すべき場合に該当することとなる場合について適用すると定めている。
厚生労働省が第212回社会保障審議会医療保険部会に提出した資料には,想定スケジュールの図が示されている。それによれば,国が要件定義と法定調書データベース(仮称)の構築に2年程度を要し,そのうえで金融機関等のオンライン提出義務化が施行され,金融機関等が1月から12月にかけて法定調書をオンライン提出し,自治体が6月に所得を確定させ,8月以降に保険料及び窓口負担区分へ反映するという流れで,公布後4年から5年程度を見込むとされている。同資料は,これがシステム改修等に2年程度かかることを前提に機械的に組んだものであり,他の要因でスケジュールが後ろ倒しになる可能性があることに留意すべき旨を明記している。
第5 改正後も反映されない金融所得
改正法が捕捉するのは,前記のとおり特定口座年間取引報告書と,上場株式等の配当等に係る所得税法上の調書及び計算書に限られる。そのため,改正後もなお保険者が把握できない金融所得が残る。第一に,一般口座で行った上場株式等の譲渡による所得は,特定口座年間取引報告書が作成されないため報告の対象とならない。もっとも一般口座の譲渡益には確定申告の義務があるから,申告されている限り従前どおり課税所得を通じて保険料に反映される。第二に,非上場株式などの一般株式等に係る配当や譲渡益は,表が「上場株式等の配当等に係るものに限る」と限定しているため対象外である。第三に,先物取引やFX,暗号資産に係る所得も表には掲げられていない。これらも申告義務があるので,申告されている限りは反映される。第四に,預貯金等の利子とNISA口座内の所得は,前記のとおり課税所得を構成しないため対象外である。
結局のところ,改正によって解消されるのは「申告するかしないかを選べる所得について,選択によって負担が変わる」という不公平であって,「申告義務があるのに申告しない場合に負担が軽くなる」という状態は残る。参議院厚生労働委員会の附帯決議が,後述するとおり「把握されていない所得を正確に捕捉する方策についても検討すること」を求めているのは,この点を指すものと考えられる。
第6 立法過程と国会での説明
1 政策文書の系譜
この改正の出発点は,令和5年12月22日に閣議決定された全世代型社会保障構築を目指す改革の道筋(改革工程)である。同文書は,国民健康保険制度,後期高齢者医療制度及び介護保険制度における負担への金融所得の反映の在り方について,確定申告の有無による保険料負担の不公平な取扱いを是正するため検討を行うとし,これを2028年度までに実施について検討する取組として位置付けていた。次に,令和7年6月13日に閣議決定された経済財政運営と改革の基本方針2025がある。ここで注意を要するのは,同方針の本文には「金融所得」の語がなく,本文は「現役世代に負担が偏りがちな構造の見直しによる応能負担の徹底」と述べるにとどまり,金融所得の反映に言及しているのは脚注211だという点である。同脚注は「医療・介護保険における負担への金融所得の反映に向けて,税制における金融所得に係る法定調書の現状も踏まえつつ,マイナンバーの記載や情報提出のオンライン化等の課題,負担の公平性,関係者の事務負担等に留意しながら,具体的な制度設計を進める」としている。脚注は医療保険と介護保険の双方を挙げているが,成立した法律が対象としたのは後期高齢者医療制度だけである。
その後,令和7年11月21日に閣議決定された総合経済対策が,高齢者の窓口負担割合等に金融所得を反映するため具体的な法制上の措置を令和7年度中に講じるとし,これを受けて社会保障審議会医療保険部会が令和7年12月25日に議論の整理をまとめた。議論の整理は,金融所得の把握方法として,本人の確定申告の有無にかかわらず金融機関等に提出が義務付けられている法定調書を活用し,社会保険法令で法定調書の提出義務を課したうえで税制上の法定調書の提出とのワンストップ化を図るという方針を示している。対象制度については,市町村の税情報を活用している後期高齢者医療制度と国民健康保険が候補となるが,国民健康保険は被用者保険とのバランスや地方公共団体の基幹業務システムの統一・標準化のスケジュールに留意する必要があるとして,まずは後期高齢者医療制度から勘案するとされた。
2 後期高齢者医療制度に限定した理由
部会の議論では方向性への賛成意見のほか,事務負担への影響など実務面の課題や短期間での導入の困難,自治体のシステム改修費用への財政支援の必要を指摘する意見が出された。他方で,世代間の公平性を考えるなら現役世代の金融所得も勘案すべきではないかという意見,証券口座を通じた所得だけでなく他の所得を含むトータルの所得や資産を把握する方策を検討すべきだという意見もあり,被用者保険においては保険者が金融所得を把握することが実態上極めて難しいという指摘も記録されている。
国会では,政府はより明確な理由を述べている。衆議院厚生労働委員会において厚生労働大臣は,後期高齢者医療制度が75歳以上の高齢者を一律に対象とし,負担能力に応じて窓口負担割合が1割,2割,3割と分かれていることを踏まえ,負担割合が原則3割である現役世代と比較して公平性を図る必要性がより高いためであると説明し,ほかの制度への導入については今回の見直しの対応状況なども踏まえて議論を行うことが適当だと述べた。参議院厚生労働委員会では,介護保険制度その他への拡大の歯止めを問われた厚生労働大臣が,今回の改正は後期高齢者医療制度のみを対象としており,ほかの制度への導入については後期高齢者医療制度における施行状況を踏まえて議論を進めなければならないと考えている旨を答弁している。
NISA口座内の所得と預貯金の利子を対象外とした理由についても,保険局長が,預貯金利子は源泉分離課税の対象であり,NISA口座内の金融所得は非課税であるから,現行でもいわゆる課税所得には含まれておらず保険料や窓口負担割合等にも反映されていないので,その意味での不公平がないためであると答弁している。前記第2の4で述べた条文上の構造と同じ説明である。
3 示されなかった数値
この改正について,政府は影響の大きさを示す数値をほとんど明らかにしていない。参議院厚生労働委員会で保険料の増収額を問われた保険局長は,75歳以上の者について対象となる金融所得が総額2兆円ぐらいあるのではないかという指摘があることに触れつつ,確定申告されていない上場株式の配当等の金融所得が後期高齢者の中でどのように分布しているかの詳細が不明であるため,現時点で確たる保険料増収額の見込みを直ちに答えることは難しいと述べた。法定調書データベースの構築,市町村及び広域連合のシステム改修並びに金融機関のオンライン提出のためのシステム改修を含めた総事業費についても,保険局長は,金融機関等に対してシステム改修の要否を含めた実態把握を行っているところであり現時点では答えることが困難であると答弁している。同じ法律の他の改正項目については,厚生労働大臣が,OTC類似薬を含む薬剤自己負担の見直しで約1000億円,高額療養費制度の見直しで約1640億円,合わせて1年当たり約2600億円の保険料への影響額の減少を見込むと具体的な金額を述べているのと対照的である。
効果が誰に帰属するかについても,注意を要する説明がされている。参議院本会議において内閣総理大臣は,金融所得が公平に反映されれば保険料の賦課ベースが拡大し,窓口負担割合の増加により給付費が減少することになるが,現行制度上,その効果は必ずしも現役世代が負担する後期高齢者支援金の減少につながるものではないと答弁した。保険局長も,現行制度を前提とすれば高齢者が負担する保険料の総額そのものは変化せず,金融所得のある高齢者の保険料負担が増え金融所得のない高齢者の保険料負担が減るという高齢者間の所得再分配の効果が想定されると説明している。この改正を現役世代の負担軽減策として説明する報道もあるが,制度上そのようになるとは限らないということである。
なお,金融所得ではなく金融資産の保有状況を負担に反映させることは,改革工程では2028年度までに実施について検討する取組とされているものの,今回の改正には含まれていない。厚生労働副大臣は,全ての預貯金口座へのマイナンバー付番がされていないため網羅的に金融資産を把握する方法がないこと,介護保険の補足給付と同様に自己申告を基本として資産を勘案することについては,補足給付の対象者が約90万人であるのに対し後期高齢者医療制度は加入者約2000万人のうち約9割が1割又は2割負担であって保険者等の事務負担が大きいことなどの課題があると答弁している。
4 附帯決議
衆議院厚生労働委員会は令和8年4月24日に附帯決議を行い,その十三で,後期高齢者医療制度における金融所得の勘案に当たっては公平な負担及び支払能力に応じた負担の実現という観点から持続可能な医療保険制度の在り方を検討すること,制度導入後の後期高齢者の受診などへの影響について実態を把握・検証し必要な見直しを行うこと,現役並み所得の被保険者の給付費が公費負担の対象とならないことも踏まえ高齢者の窓口負担割合の検討の中で現役世代の保険料負担への配慮も含めた制度の在り方を検討することを求めた。十四では,自治体の事務負担の軽減のため,デジタル技術の活用や都道府県国民健康保険団体連合会の活用を推進することを求めている。
参議院厚生労働委員会は令和8年5月28日に附帯決議を行い,その十六は衆議院の十三とほぼ同じ内容であるが,「把握されていない所得を正確に捕捉する方策についても検討すること」という一文が加えられている。他方で,衆議院の十四に相当する項目は参議院の決議には見当たらない。
第7 保険料の賦課をめぐる裁判例
1 保険料に憲法84条が直接適用されるか
保険料の賦課要件をどこまで法律で定めるべきかについては,最高裁判所大法廷平成18年3月1日判決(平成12年(行ツ)第62号,民集60巻2号587頁)が枠組みを示している。同判決は,国又は地方公共団体が課税権に基づき,その経費に充てるための資金を調達する目的をもって,特別の給付に対する反対給付としてでなく,一定の要件に該当するすべての者に対して課する金銭給付は,その形式のいかんにかかわらず憲法84条に規定する租税に当たるとしたうえで,市町村が行う国民健康保険の保険料は被保険者において保険給付を受け得ることに対する反対給付として徴収されるものであるから,憲法84条の規定が直接に適用されることはないと判示した。もっとも同判決は,租税以外の公課であっても,賦課徴収の強制の度合い等の点において租税に類似する性質を有するものについては憲法84条の趣旨が及ぶとし,条例において賦課要件がどの程度明確に定められるべきかは,賦課徴収の強制の度合いのほか,社会保険としての国民健康保険の目的,特質等をも総合考慮して判断する必要があるとした。同判決は,国民健康保険税については形式が税である以上憲法84条の規定が適用されることを前提としており,賦課総額の算定基準を条例で明確に定めずに市長の裁量に委ねた保険税条例を憲法92条及び84条に違反するとした仙台高等裁判所秋田支部昭和57年7月23日判決(昭和54年(行コ)第1号)のような例もある。
保険料の算定基礎や保険料率の多くが政令及び広域連合の条例に委ねられている後期高齢者医療制度の仕組みも,この枠組みの上に立っている。もっとも,令和8年法律第31号が新設する138条の2が課しているのは金融機関等の報告義務であって,保険料の賦課要件そのものを改めるものではない。賦課の基礎となる所得の範囲は従前どおり地方税法314条の2の総所得金額等であり,改正によって変わるのは保険者がそれを把握できるようになるという点である。
2 所得割が課税所得に依存することの合理性
保険料の所得割額が税の課税ベースに依存する仕組みそのものを正面から扱った裁判例として,神戸地方裁判所平成13年10月17日判決(平成11年(行ウ)第27号)がある。同判決は,国民健康保険法施行令が定める複数の算定方式について,いずれも前年中の所得を対象として算定した総所得金額等を基にして保険料の所得割額を算定するもので,被保険者の負担能力に応じて保険料が支払われるべきであるという応能主義の考え方に基づくものであり,このような考え方自体には合理性が認められるとし,さらに個々の被保険者の所得割額の算定を簡便に行うことによって保険料の賦課及び徴収を効率的に行うという観点からも合理的であると判示した。
この判示は,本記事の主題を裏側から照らしている。確定申告しない金融所得が保険料に乗らないという現行の状態は,保険者が独自に所得を調査するのではなく市町村民税の課税所得をそのまま用いるという簡便な仕組みの帰結である。改正法が法定調書を用いて所得を直接捕捉する道を開いたことは,この簡便性による正当化から一歩踏み出すものといえる。なお,介護保険料の所得段階の設定について,大阪地方裁判所平成17年6月28日判決(平成14年(行ウ)第136号)は,保険料の定めは被保険者の所得状況等の複雑多様な諸事情を専門技術的な観点から考慮して政策的判断によって定められるものであり広く立法機関の裁量に委ねられているとして,応益負担を原則としつつ応能負担の理念も取り入れた保険料の段階設定は憲法14条に違反しないと判断しており,控訴審の大阪高等裁判所平成18年7月20日判決(平成17年(行コ)第65号)もこれを維持している。
3 金融所得を申告から切り離す制度の合憲性
そもそも上場株式等の譲渡益について申告と切り離した課税方式が採られていることの合憲性も争われている。神戸地方裁判所平成19年2月9日判決(平成16年(行ウ)第55号)は,租税特別措置法の株式等の譲渡益課税の制度について,本来的には他の所得と合算して累進課税により確定申告を通じて課税する総合課税方式が最も望ましい制度であることを前提としたうえで,市場において転々流通する上場株式等に関して特に懸念された租税の確実かつ的確な徴収,納税者各々の租税負担の公平,市場経済へ与える影響などの問題の発生を可及的に防止するという目的で,総合課税方式への経過措置として採用されたものであるとし,証券会社等を通じて源泉で捕捉できることの実効性を認めて憲法14条1項,29条1項及び84条に反しないと判断した。控訴審の大阪高等裁判所平成19年9月21日判決(平成19年(行コ)第27号)もこれを維持している。これらの判決は保険料への影響を判示したものではないが,なぜ申告不要という選択肢が存在するのかを理解するうえで参照に値する。
4 裁判所ウェブサイトに掲載されていない領域
もっとも,本記事の主題に直接関わる裁判例は乏しい。裁判所ウェブサイトの裁判例検索で,後期高齢者医療制度そのものの憲法適合性を争った裁判例,高齢者の医療の確保に関する法律67条又は104条の解釈を争った裁判例,及び上場株式等の配当・譲渡益の課税方式の選択が保険料に及ぼす影響を争点とした裁判例を検索したが,いずれも掲載を確認できなかった。掲載がないことは存在しないことを意味しないので,これらについては裁判所HP未掲載として扱うほかない。最後の点について裁判例が見当たらないのは,申告しないほうが保険料が下がる以上,被保険者の側に争訟を提起する動機が生じにくいという事情によるものと考えられる。改正法の施行後は,法定調書に基づく所得の認定や被保険者への突合せの誤りを理由とする賦課処分の取消しという,これまで存在しなかった類型が生じうる。
第8 施行後に問題となり得る手続
改正法が施行されると,被保険者本人が申告していない情報に基づいて保険料額や窓口負担割合が決まることになる。金融機関から報告される情報の誤りや,同姓同名などによる突合せの誤りが生じた場合,被保険者はまず賦課処分の内容を確認する必要がある。保険料その他の徴収金に関する処分に不服がある者は,後期高齢者医療審査会に審査請求をすることができ(高齢者の医療の確保に関する法律128条1項),同法130条が国民健康保険法93条から103条までの規定を準用している。準用される国民健康保険法99条により,審査請求は処分があったことを知った日の翌日から起算して3月以内にしなければならず,同法103条により,処分の取消しの訴えは審査請求に対する裁決を経た後でなければ提起することができない。保険料の徴収及び還付を受ける権利は,行使することができる時から2年で時効消滅する(同法160条1項)。
賦課は年度ごとに行われるものであるから,ある年度の処分について争わないまま期間が経過すると,その年度分については是正の手段が限られる。金融所得の反映が始まった最初の年度には,従来と異なる仕組みで所得が把握されることになるため,通知された保険料額や負担区分の根拠を確認しておく実益がある。なお,社会保険制度全般における保険料の仕組みについては社会保険の加入・保険料・資格取得喪失と士業の適用でも整理している。
第9 出典・参考資料
1 法令
①高齢者の医療の確保に関する法律(昭和57年法律第80号)50条・67条・70条・104条・128条・130条・160条(e-Gov法令検索)
②高齢者の医療の確保に関する法律施行令(平成19年政令第318号)7条・18条・附則3条(e-Gov法令検索)
③地方税法(昭和25年法律第226号)23条1項15号・17号,313条2項・12項から15項まで,314条の2,317条の3(e-Gov法令検索)
④所得税法(昭和40年法律第33号)225条・227条・228条(e-Gov法令検索)
⑤租税特別措置法(昭和32年法律第26号)3条・8条の4・8条の5・37条の11の3・37条の11の4・37条の14(e-Gov法令検索)
⑥国民健康保険法(昭和33年法律第192号)45条6項・99条・103条(e-Gov法令検索)
⑦健康保険法等の一部を改正する法律案(第221回国会閣法第25号。令和8年法律第31号として成立。衆議院)
⑧健康保険法等の一部を改正する法律案(閣議決定日・国会提出日・先議院。内閣法制局)
2 裁判例
①最高裁判所大法廷平成18年3月1日判決(平成12年(行ツ)第62号,民集60巻2号587頁,裁判所ウェブサイト)
②仙台高等裁判所秋田支部昭和57年7月23日判決(昭和54年(行コ)第1号,裁判所ウェブサイト)
③神戸地方裁判所平成13年10月17日判決(平成11年(行ウ)第27号,裁判所ウェブサイト)
④大阪地方裁判所平成17年6月28日判決(平成14年(行ウ)第136号,裁判所ウェブサイト)
⑤大阪高等裁判所平成18年7月20日判決(平成17年(行コ)第65号,裁判所ウェブサイト)
⑥神戸地方裁判所平成19年2月9日判決(平成16年(行ウ)第55号,裁判所ウェブサイト)
⑦大阪高等裁判所平成19年9月21日判決(平成19年(行コ)第27号,裁判所ウェブサイト)
3 公的資料
①厚生労働省保険局「健康保険法等の一部を改正する法律(令和8年法律第31号)の概要」(令和8年6月18日第212回社会保障審議会医療保険部会資料1。改正の概要,施行期日及び想定スケジュール。厚生労働省)
②厚生労働省「後期高齢者医療制度における金融所得の公平な反映」(設例による保険料及び窓口負担割合の比較。厚生労働省)
③厚生労働省「医療保険制度改正法が成立しました」(令和8年5月29日成立。厚生労働省)
④厚生労働省「後期高齢者医療制度の令和6・7年度の保険料率について」(全国平均の被保険者均等割額及び所得割率。厚生労働省)
⑤神奈川県後期高齢者医療広域連合「保険料の軽減(令和7年度保険料について)」及び埼玉県後期高齢者医療広域連合「令和7年度における保険料の軽減」(令和7年度の均等割額の軽減判定基準)
⑥社会保障審議会医療保険部会「議論の整理」(令和7年12月。金融所得の把握方法及び対象制度に関する部会の議論。厚生労働省)
⑦内閣官房「経済財政運営と改革の基本方針2025(令和7年6月13日閣議決定)(抜粋)」(脚注211。全世代型社会保障構築会議参考資料1。内閣官房)
4 国会会議録
①第221回国会衆議院本会議議録第11号(令和8年4月9日。法律案の趣旨説明。国立国会図書館国会会議録検索システム)
②第221回国会衆議院厚生労働委員会議録第3号(令和8年4月15日。薬剤自己負担及び高額療養費の見直しによる保険料への影響額。国立国会図書館国会会議録検索システム)
③第221回国会衆議院厚生労働委員会議録第6号(令和8年4月22日。NISA及び預貯金利子を対象外とした理由。国立国会図書館国会会議録検索システム)
④第221回国会衆議院厚生労働委員会議録第6号(令和8年4月22日。金融資産の勘案に関する課題。国立国会図書館国会会議録検索システム)
⑤第221回国会衆議院厚生労働委員会議録第6号(令和8年4月22日。後期高齢者医療制度に限定した理由。国立国会図書館国会会議録検索システム)
⑥第221回国会衆議院厚生労働委員会議録第7号(令和8年4月24日。衆議院厚生労働委員会附帯決議。国立国会図書館国会会議録検索システム)
⑦第221回国会参議院本会議議録第12号(令和8年5月13日。効果と後期高齢者支援金との関係。国立国会図書館国会会議録検索システム)
⑧第221回国会参議院厚生労働委員会議録第5号(令和8年5月14日。総事業費に関する答弁。国立国会図書館国会会議録検索システム)
⑨第221回国会参議院厚生労働委員会議録第5号(令和8年5月14日。保険料増収額の見込み。国立国会図書館国会会議録検索システム)
⑩第221回国会参議院厚生労働委員会議録第5号(令和8年5月14日。ほかの制度への導入に関する答弁。国立国会図書館国会会議録検索システム)
⑪第221回国会参議院厚生労働委員会議録第9号(令和8年5月28日。参議院厚生労働委員会附帯決議。国立国会図書館国会会議録検索システム)