幹部裁判官の定年予定日


目次
1 幹部裁判官の定年予定日
2 幹部裁判官の名簿
3 裁判官及び検察官の定年等
4 定年に達した日の意義
5 定年制の趣旨
6 判検事の場合,地方のポストの格が高いこと
7 昭和時代の法曹に関する問題意識
8 関連記事その他

1 幹部裁判官の定年予定日
(1) 幹部裁判官の定年予定日のバックナンバーは以下のとおりです。
(令和時代)
令和 元年10月2日令和 2年 8月 5日
令和 3年 8月2日

(平成時代)
平成29年 1月 1日平成29年 7月14日
平成30年 1月29日平成31年 1月 1日
(2) 高裁長官の定年については「高裁長官人事のスケジュール」にも載せていますし,定年退官が発令された時点で,「裁判官の退官情報」に反映させています。


2 幹部裁判官の名簿
(1) PDFファイルのバックナンバーは以下のとおりです。
(令和時代)
令和 元年10月 2日令和 4年 3月 3日
(平成時代)
平成28年 8月 2日平成29年 7月14日
平成30年 1月29日
(2) 歴代の幹部裁判官の一覧表は以下のとおりです。
① 歴代の幹部裁判官の一覧表(平成14年度から平成28年度まで)
② 歴代の幹部裁判官の一覧表(平成 4年度から平成13年度まで)
③ 歴代の幹部裁判官の一覧表(昭和56年度から平成 3年度まで)


3 裁判官及び検察官の定年等
(1) 最高裁判所裁判官の定年は70歳であり(憲法79条5項,裁判所法50条),高等裁判所,地方裁判所及び家庭裁判所の裁判官の定年は65歳であり,簡易裁判所判事の定年は70歳です(憲法80条1項ただし書,裁判所法50条)。
(2) 検事総長の定年は65歳であり,その他の検察官の定年は63歳です(検察庁法22条)。
(3) 昭和30年代後半までは,民間企業の多くで導入されていたのは55歳定年制でした(「国家公務員の定年引上げをめぐる議論」3頁参照)。
(4) 国家公務員法81条の2以下に基づき,検察官及び国立大学の教員を除く一般職の国家公務員について60歳定年制が導入されたのは昭和60年3月31日です(「国家公務員の定年引上げをめぐる議論」4頁参照)。
(5) 定年退官に伴う玉突き人事については,発令日から約4週間前の水曜日の最高裁判所裁判官会議で決定されていることが多いですが,約2週間前の水曜日に決定されていることもあります。


4 定年に達した日の意義
(1) 国家公務員法81条の2第1項の「定年に達したとき」とは,それぞれの職員が定年の満年齢に達する誕生日の前日の午後12時をいい(年齢計算ニ関スル法律2条,民法143条2項,最高裁昭和54年4月19日判決(定型文の判決ですから,裁判所HPには載っていません。)によって支持された東京高裁昭和53年1月30日判決),「定年に達した日」とは当該前日をいいます(逐条国家公務員法<全訂版>691頁)。
(2) 東京高裁昭和53年1月30日判決(判例秘書に掲載)は以下の判示をしています。
     控訴人は、明治四五年四月一日出生の同人が満六〇才に達するのは、昭和四七年三月三一日の満了によるものであるから、出生日の前日である同年三月三一日でなく、同年四月一日であり、同人が昭和四八年三月三一日に退職するに際しては勧奨退職の取扱いがなされるべきであつたと主張する。しかしながら、明治四五年四月一日生れの者が満六〇才に達するのは、右の出生日を起算日とし、六〇年目のこれに応当する日の前日の終了時点である昭和四七年三月三一日午後一二時であるところ(年令計算に関する法律・民法第一四三条第二項)、日を単位とする計算の場合には、右単位の始点から終了点までを一日と数えるべきであるから、右終了時点を含む昭和四七年三月三一日が右の者の満六〇才に達する日と解することができる。したがつて、静岡県教育委員会が控訴人は昭和四七年三月三一日に満六〇才に達するものと解し、昭和四六年度教職員の優遇退職実施要綱により昭和四六年度末(昭和四七年三月三一日)に退職しなければ昭和四七年度以降勧奨退職による優遇措置を行なわない旨昭和四七年三月一八日に控訴人に通知し、控訴人において同年度末に右勧奨に応じて退職せず、昭和四七年度末である昭和四八年三月三一日に至り依願退職するに際しては、退職勧奨ないしこれによる優遇措置をとらなかつたとしても、それは何ら違法、不当ではない。


5 定年制の趣旨
(1) 国家公務員について定年制を導入した国家公務員法の一部を改正する法律(昭和56年6月11日法律第77号)(昭和60年3月31日施行)(当時,「定年法」といわれていました。)の解説が載ってある法令解説資料総覧26号(昭和57年2月発行)12頁には,「定年法の有する意義」として以下の記載があります。
    現在、国家公務員の退職管理は、省庁ごとに一定の退職基準年齢を設けて、個々の職員に対しその退職を勧奨するという方法によって行われている。この退職勧奨は職員の新陳代謝を図る上でそれなりの機能を果たしてきていることは事実であるが、元来勧奨は法令に基づくものでなく、それを受けた職員に対し法的拘束力を有しないため、人口構造の急激な高齢化、高齢者の労働市場の狭隘性等から、将来的には勧奨が十分に機能しにくくなり、職員の高齢化傾向が一層強まるものと考えられる。その結果、組織の老朽化、昇進の停滞による職員の士気の低下等をもたらし、行政の能率的運営に支障を来すおそれがある。このような情勢に対処するため、職員が一定年令に達した場合には自動的に退職することとなる定年制度を導入することは大いに意義のあるところであり、次のようなメリットが期待される。
   ①職員の新陳代謝を促進することにより、組織に活力を与えることができる、②人事の停滞が防止され円滑な昇進管理が図られることにより、職員の士気の高揚が期待される、③毎年度退職する職員数をあらかじめ的確に予測しうるので長期的視野に立った人事管理の計画が立て易い、④退職管理が客観的かつ画一的に行われるので従来の退職勧奨から生じる無用の摩擦、職員間の不公平等が避けられ、退職管理を円満に行いうる、⑤職員にとっても退職の時期があらかじめ明らかになっているので生活設計の目処が立て易い、⑥定年に達するまでは身分が保障されるので安んじでその職務に専念しうる、等である。
(2) 最高裁平成30年6月1日判決は以下の判示をしています。
    定年制は,使用者が,その雇用する労働者の長期雇用や年功的処遇を前提としながら,人事の刷新等により組織運営の適正化を図るとともに,賃金コストを一定限度に抑制するための制度ということができるところ,定年制の下における無期契約労働者の賃金体系は,当該労働者を定年退職するまで長期間雇用することを前提に定められたものであることが少なくないと解される。


6 判検事の場合,地方のポストの格が高いこと
・ 平成22年度3年目フォローアップ研修「事務次官講話」「問題意識、丈夫な頭、健康」と題する講演(平成22年10月4日実施)において,大野恒太郎法務事務次官は以下の発言をしています(リンク先のPDF3頁)。
    (山中注:検事の場合,)地方のポストの格が高いというのも大きな特徴です。例えば、高等検察庁の検事長は認証官とされておりますので、次官よりも格上です。また、本省の局長が検察庁に戻ると、地方検察庁の検事正クラスということになります。こうした地方のポストが高いという特徴も裁判官と同様です。

7 昭和時代の法曹に関する問題意識
(1) 昭和57年出版の書籍に書いてある問題意識
・ 早稲田大学HPに載ってある「河合健司元仙台高裁長官講演会講演録 裁判官の実像」には,横川敏雄の「新しい法律家の条件」(昭和57年)からの引用として以下の記載があります(リンク先のPDF20頁ないし21頁)。
    「私の脳裏には,近ごろの若い法曹の間にしばしばみられる傾向,つまり,自らの眼で見,自らの頭で考えようとしない状況が浮かんだ。ところが,皮肉なことに,かような情況は,研修制度の整備・充実に伴い,研修方法の合理化が進んだ結果現れたように思われる。まさにマス・プロ教育の避けがたい弊で,修習生の数が500人前後という現状では,ある程度やむを得ないであろう。しかし,ジャスティスの実現に奉仕すべき人たちが論理至上主義的・人間疎外的になることは,何とかして避けなければならない。」─を言っておられます。
    この「今どきの若い者は」というのは,私たちの世代(山中注:32期の河合健司裁判官の世代)のことなのですが,物事を考えなくなっていると。「ああ,そうか,横川先生はそう思われていたんだな」と思った次第です。当時は司法修習500人時代でした。この500人でも,先生は,マス・プロ教育の弊害が出ていると言うのですから,今はどうなのだと。今の司法修習を見て,先生はどんな意見をおっしゃるか聞いてみたいと思います。
(2) 昭和63年3月当時の法曹に関する問題意識
・ 40期の裁判官が任官したのは昭和63年4月でありますところ,法曹基本問題懇談会における意見(昭和63年3月)には,「2 現在及び将来における法曹の役割」として以下の記載があります。
    今日,我が国社会は,先進国として高度に発展し,かつ,急速に国際化しているが,それに伴って,個人の生活や活動に関しても,また,国家,企業等の諸組織の活動に関しても,対立する種々の利害の衝突が多発し,複雑多様なものとなっている。民主主義を基盤とする法治国家である我が国において,このような各種の利害の衝突を方によって合理的に,かつ,早期に解決する必要性は,極めて高いものがある。
    我が国の法曹は,このような社会的要請に応えるべく,それぞれの分野において,社会正義の実現と人権の擁護を目的として努力を積み重ねてきている。しかしながら,国民の間からは,法曹界の現状に対して,法曹が国民からなお縁遠い存在であり,また,裁判に時間がかかり過ぎること等から国民の権利を擁護する上で問題が少なくないこと,社会の急速な進展に伴って生じる種々の社会的要請に対する法曹の対応が全体としては立ち後れていること,そして,それらの結果,本来法曹の手で速やかに解決されるべき問題が,しばしば解決されないままに長期間放置され,あるいは,法に拠らない不合理な方法で処理されていること等の指摘や批判が聞かれるところである。また,検察が必ずしも十分な後継者を確保できていない実情にあることについて,国民の期待する検察体制の維持という観点から,危ぐが表明されている。
    我が国社会が今後更に高度化し,また,国際化するにつれ,法的解決を必要とする社会事象はいよいよ増加するとともに,複雑多様なものとなっていくことが予想される。法曹は,当然のことながら,そのような社会の進歩変容に適応して,国民の期待に応えなければならないのである。そして,そのためには,豊かな人間性と人権感覚を備え,柔軟な思考力と旺盛な意欲を持ち,国民の法曹に対する付託に十分応えることのできる能力を有する裁判官,検察官,あるいは,弁護士が国民の身近に存在し,その需要を満たしていくことが,従来にも増して要請されるのである。


8 関連記事その他
(1) 幹部裁判官の定年退官発令日の午前5時に,日経新聞HPの「速報」の「人事」欄に,地家裁所長クラス以上の最高裁人事が掲載されます。
(2) 現代新書HPの「『絶望の裁判所』著:瀬木比呂志—『絶望の裁判所』の裏側」(2014年3月9日付)には以下の記載があります。
    そういう人物(山中注:最高裁判所事務総局系の司法行政エリートと呼ばれる人々のこと。)が裁判長を務める裁判部における日常的な話題の最たるものは人事であり、「自分の人事ならいざ知らず、明けても暮れても、よくも飽きないで、裁判所トップを始めとする他人の人事について、うわさ話や予想ばかりしていられるものだ」と、そうした空気になじめない陪席裁判官から愚痴を聞いた経験は何回もある。『司法大観』という名称の、七、八年に一度くらい出る、裁判官や検察官の写真に添えて正確かつ詳細なその職歴を記した書物が彼らのバイブルであり、私は、それを眺めるのが何よりの趣味だという裁判官にさえ会ったことがある。
(3)ア  町長が町条例に基づき,過員整理の目的で行なつた町職員に対する待命処分は,55歳以上の高齢者であることを一応の基準としたうえ,その該当者につきさらに勤務成績等を考慮してなされたものであるときは,憲法14条1項及び地方公務員法13条に違反しません(最高裁大法廷昭和39年5月27日判決)。
イ 最高裁昭和56年3月24日判決は,定年年齢を男子60歳女子55歳と定めた就業規則中女子の定年年齢を男子より低く定めた部分が性別のみによる不合理な差別を定めたものとして民法90条により無効とされた事例です。
(4) 労務事情2022年10月15日号に「〈Q&A〉70歳までの就業確保措置と労務管理上の留意点」が載っています。
(5)ア 人事院HPの「定年がもたらすもの」には,「生活環境の変化」として,①収入が減る,②自由に使える時間が増える,③家族と接する時間が増える,④主な活動領域が居住地域になる,⑤公務での価値観や肩書きが通用しなくなる,⑥公務での人間関係が徐々になくなっていく,⑦副次的な避難場所がなくなると書いてあります。
イ ココファンHPに「【一覧で紹介】老人ホームの種類と特徴|違いや費用・施設の選び方まで解説」が載っています。
(6)ア 以下の資料を掲載しています。
・ 裁判官の定年制について(昭和46年9月10日決裁の,内閣法制局の口頭照会回答要旨)
イ 以下の記事も参照してください。
・ 最高裁判所裁判官会議の議事録
・ 高裁の部総括判事の位置付け
・ 部の事務を総括する裁判官の名簿(昭和37年度以降)
・ 戦前の判事及び検事の定年
・ 法務・検察幹部名簿(平成24年4月以降)
・ 裁判官及び検察官の定年が定められた経緯
・ 裁判官の定年が70歳又は65歳とされた根拠






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