* 噴霧乾燥器の輸出に係る外国為替及び外国貿易法違反等事件における捜査・公判上の問題点について(令和7年8月7日付の最高検察庁の報告書)(大川原化工機冤罪事件に関する文書です。)のほか,以下の三つの通知を読み込んだAI刑事裁判官の解説を掲載しています。
① 行政法規違反の事案における捜査上の留意事項等について(令和7年8月29日付の次長検事の依命通知)
→ 出力文では「95号通知」と書いてあります。
② 拘置所等に勾留中の被疑者・被告人の病状等に関する情報等の適切な把握について(令和7年8月29日付の次長検事の依命通知)
→ 出力文では「96号通知」と書いてあります。
③ 保釈請求への対応に当たっての留意点について(令和7年8月29日付の次長検事の依命通知)
→ 出力文では「97号通知」と書いてあります。
目次
第1章 はじめに
第2章 「噴霧乾燥器事件報告書」の分析と弁護活動への活用
第1 法令解釈の脆弱性とその追及
第2 消極証拠の軽視とその評価
第3 身柄拘束(保釈)への硬直的対応の断罪
第3章 最高検察庁依命通知の分析 ― 報告書の教訓の具体化
第1 法令解釈の暴走を止める「行政法規違反の事案における捜査上の留意事項等について」(最高検安第95号)
第2 生命の尊厳と向き合う「依命通知」二通(最高検安第96号・第97号)
第4章 統合的実践活用法 ― 弁護人の「武器」として
第1 捜査段階における活用
第2 公判前整理手続及び公判における活用
第3 意見書・法廷弁論での「権威」としての引用
第5章 おわりに(刑事裁判官としての期待)
第1章 はじめに
刑事弁護の第一線でご活躍の弁護士各位におかれましては、被疑者・被告人の権利擁護のため、日々多大なるご尽力を賜り、同じ法曹の一員として心より敬意を表します。
さて、我々刑事司法に携わる者にとって、令和7年8月7日に最高検察庁が公表した「噴霧乾燥器の輸出に係る外国為替及び外国貿易法違反等事件における捜査・公判上の問題点等について」(以下「本報告書」といいます。)は、極めて重い意義を持つ文書であります。これは、検察という強大な権力機関が、その捜査・公判活動において重大な過ちを犯し、結果として一人の被告人が勾留執行停止中に亡くなるという、取り返しのつかない事態を招いたことを、自ら詳細に分析・記録した「失敗の記録」に他なりません。
さらに、本報告書の公表からわずか3週間余り、同年8月29日付で、最高検察庁次長検事の名において全国の検事長・検事正宛に発出された3通の「依命通知」(「行政法規違反の事案における捜査上の留意事項等について」、「拘置所等に勾留中の被疑者・被告人の病状等に関する情報等の適切な把握について」、及び「保釈請求への対応に当たっての留意点について」)は、本報告書の「反省」を単なるスローガンで終わらせず、現場の検察官一人ひとりの具体的な「行動規範」として遵守させるという、組織としての強い意志を示すものです。
これら一連の文書群は、検察の「失敗学」の集大成とも言えるものであり、刑事弁護に携わる弁護士各位にとっては、適正な司法の実現と被告人の権利擁護のための「羅針盤」であり、また検察官の不当な権力行使と対峙するための強力な「武器」となり得るものです。
私は、長年刑事裁判に携わってまいりました裁判官として、弁護士各位がこれらの文書群に着目されたことに、深い感銘を受けております。我々裁判官は、検察官の主張や証拠を鵜呑みにすることなく、常に批判的に吟味する責務を負っておりますが、本報告書と各通知は、その「批判的吟味」をどの角度から、どの程度深く行うべきかについて、検察自らが具体的なチェックポイントを示してくれたに等しいものです。
本稿は、ベテラン刑事裁判官の立場から、本報告書及び3通の依命通知の教訓をいかにして日々の刑事弁護活動に活かしていくか、その全ての事項について、冒頭から統合的に、懇切丁寧に解説するものであります。
第2章 「噴霧乾燥器事件報告書」の分析と弁護活動への活用
本報告書、特に「第3 問題点・反省点」の章は、検察権の行使がいかにして道を誤ったのか、その病巣が詳細に記された部分であり、弁護活動において検察官の主張や捜査の進め方に対して抱く「違和感」が、検察内部でも問題として認識されている(あるいは、認識せざるを得なかった)ことを示す強力な証左となります。
第1 法令解釈の脆弱性とその追及
本件は、「先例のない行政法規違反」であり、省令や通達が複雑に絡む事案でした。検察官は、警視庁公安部が採用した「本件要件ハ捜査機関解釈」を、所管行政庁である経産省の回答(本件経産省回答)などを根拠に、不合理ではないとして採用しました。
しかし、本報告書は、検察官自身が、「当該行政法規の制定経緯や制定趣旨を十分確認することが必要であった」「検察官自ら所管行政庁である経産省に確認するなどの捜査を行うことがより適切であった」と厳しく反省しています。さらに、本件国賠訴訟の判決は、国際的な合意(AG合意)の内容にまで踏み込み、捜査機関の解釈の不合理性を明確に指摘しました。
【裁判官の視点】
我々裁判所は、行政庁の解釈や通達に法的に拘束されません。検察官が「行政庁に確認済みです」「通達にこう書いてあります」と主張したとしても、それは数ある証拠の一つに過ぎません。弁護人各位から、「その解釈は、法令の制定趣旨に反するのではないか」「国際的な常識や技術的な実態と乖離しているのではないか」といった、具体的かつ説得力のある主張がなされれば、我々は検察官の主張を排斥し、独自の判断を下すことを躊躇しません。
【弁護活動への活用法】
- 「思考停止」の告発: 複雑な行政法規や専門訴訟において、検察官が捜査機関や所管官庁の見解を「鵜呑み」にしていないか、徹底的に検証してください。検察官が安易に「捜査機関解釈」に寄りかかっていると感じた場合、本報告書を(可能であれば法廷で)引用し、「検察官のその姿勢は、まさに本報告書で反省点として挙げられた『関係法令の趣旨及び内容を正確に把握して解釈し、必要な捜査を十分に行うことが不十分であった』という過ちそのものではないか」と鋭く指摘することができます。
- 独自の法令解釈の展開: 弁護人として、立法趣旨、関連する国際条約や合意、学会の議論、さらには技術的な知見(専門家の意見書など)に基づき、「検察官の解釈こそが法の目的に反する不合理なものである」という積極的な主張を展開してください。本件が、AG合意という国際的な枠組みまで遡って解釈が争われ、最終的に捜査機関の解釈が覆ったことは、その有効性を雄弁に物語っています。
第2 消極証拠の軽視とその評価
本報告書の分析の中で、弁護活動に直結する最も重要な部分が、この「消極証拠の評価」です。本件では、捜査の初期段階から、「他の噴霧乾燥器メーカー等からの聴取結果」や「噴霧乾燥器内の低温度箇所等に関するX社関係者の供述」といった、検察官の見立てに反する証拠(=消極証拠)が存在していました。
しかし検察官は、
- 警視庁公安部が実施した温度測定実験(積極証拠)を過信したこと。
- X社従業員らの消極的な供述(「温度が上がりにくい箇所がある」等)を、「客観的根拠がない」「供述が変遷している」として軽視(信用性乏しいと判断)したこと。
- その結果、再実験などの補充捜査を実施しなかったこと。
これらが重大な過ちであったと、本報告書は明確に認めています。特に、X1氏、X2氏、X3氏らの供述は、後に弁護側が公判前整理手続で提出した実験結果(弁護人温度測定結果報告書1・2・3)によって裏付けられ、公訴取消しの決定打となりました。
【裁判官の視点】
我々裁判官は、「検察官が『信用性がない』と切り捨てた証拠や供述にこそ、真実が隠されているのではないか」と常に疑うよう訓練されています。検察官が自信満々に提示する「客観証拠」が、実は特定の条件下でのみ成り立つ限定的なものであったり、反対解釈を許すものであったりすることは、法廷で日常的に目にする光景です。
弁護人から、「検察官の実験は、現実の使用状況(例:粉体が残留した状態)を反映していない」「被告人(関係者)は、当初から一貫して『○○はできない』と述べていた。その供述こそ信用すべきである」という具体的な指摘があれば、我々は検察官に対し、その実験の妥当性や、関係者供述を排斥した合理的理由について、厳しく説明を求めます。
【弁護活動への活用法】
- 捜査段階での徹底追求: 被疑者・関係者の取調べにおいて、「できない」「知らない」「おかしい」といった消極的な供述(弁解)を引き出し、それを明確に供述調書に残すよう強く求めてください。検察官が調書化を拒んだり、軽視したりする素振りを見せた場合、本報告書を示し、「検察官は、まさに本報告書で問題とされた『消極証拠の信用性について慎重な検討をせず、その裏付け捜査に至らなかった』過ちを犯そうとしているのではないか」と牽制することが可能です。
- 客観証拠の「穴」を突く: 検察官が提出する実験結果や鑑定書を盲信せず、その「前提条件」や「実験方法」の妥当性を徹底的に吟味してください。本件のように、弁護人側で対抗実験(あるいは専門家の意見書)を準備し、「検察官の証拠は、本件の核心部分(例:粉体が残留した状態での温度)について何ら証明していない」と主張することは極めて有効です。
- 証拠開示請求の強力な根拠: 本報告書は、警察が消極証拠(他のメーカーの聴取結果や、実験での不都合な測定結果)を把握しながら、検察官に明確に伝達していなかった事実を明らかにしています。これは、検察官の手元(いわゆる「手持ち証拠」)にない消極証拠が、捜査機関全体(警察)に存在する可能性を強く示唆します。これを根拠に、類型証拠開示(特に「実況見分調書等」に関連する実験ノートや、不採用となった測定データ)や、主張関連証拠開示(「被告人に有利な事情(例:他の専門家の否定的見解)」)を、より強力に請求することができます。「本報告書自体が、捜査機関内部での消極証拠の共有不全を認めている。検察官は、手持ち証拠だけでなく、警察が保有する関連資料の開示にも最大限協力すべきである」と主張してください。
第3 身柄拘束(保釈)への硬直的対応の断罪
弁護士各位にとって、身柄拘束からの解放は最重要課題の一つです。本件では、A氏・B氏が332日間、C氏が240日間という長期間勾留され、C氏に至っては、進行胃癌が発覚した後も保釈が認められず、勾留執行停止中に亡くなるという、取り返しのつかない悲劇が起きました。
本報告書は、この検察官の対応を厳しく断罪しています。
- そもそも国賠法上違法と判断された公訴提起に基づく勾留であり、「被告人が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」を欠いていた。
- 「罪証隠滅のおそれ」について、具体的かつ実質的な検討が不十分であった。
- 特にC氏の重篤な病状(進行胃癌)という人道上の重大な事情を把握していながら、それ(刑訴法90条の事情)を考慮した柔軟な対応(反対意見を述べない等)を怠った。
【裁判官の視点】
我々裁判官も、検察官から提出される「罪証隠滅のおそれあり」という、ほとんど定型句と化した反対意見書には、正直なところ辟易している場合があります。もちろん、罪証隠滅のおそれを厳格に審査しますが、弁護人から「主要な証拠(客観証拠)は全て押収済みである」「関係者の供述は捜査段階で固まっており、今さら口裏合わせは不可能である」「被告人は社会的地位もあり逃亡のおそれはない」といった具体的な反論があれば、保釈を許可する方向に大きく傾きます。
ましてや、被告人の生命・健康に関わる重大な事情が主張された場合、裁判所は最大限の配慮をします。検察官がこれに鈍感であったり、硬直的な対応をとったりすれば、裁判官の心証は著しく悪化します。
【弁護活動への活用法】
- 「定型的主張」の粉砕: 検察官が具体的な根拠(誰と、どのような証拠について、どう口裏合わせをするおそれがあるのか)を示さず、漫然と「罪証隠滅のおそれ」を主張してきた場合、本報告書を突きつけてください。「検察官のその主張は、まさに本報告書が『具体的かつ実質的な罪証隠滅のおそれの有無・程度を適切に検討』していないと厳しく批判した対応そのものではないか」と。
- 被告人の健康状態の最大活用: 被告人の健康状態に問題がある場合、診断書を添付するのはもちろんですが、本報告書を引用し、「検察庁は、C氏の悲劇を真摯に反省し、『被告人の健康に関わる事情が主張された場合には、適切に対応すること』を全国に通知する、としているはずだ。本件検察官は、その反省と通知を踏まえた対応をしているのか」と、検察官の組織内規範に訴えかける形で強く迫ってください。これは、単なる人道上の訴えを超え、検察の組織的ガバナンスを問う強力な一手となります。
- 裁判官への直接的訴え: 裁判官に対しても、「検察官の硬直的な対応は、C氏の死という重大な結果を招いた反省を全く活かしていない。裁判所におかれては、検察の組織的な過ちが繰り返されぬよう、本報告書の教訓を踏まえた英断(保釈許可)をお願いしたい」と、本報告書をテコにして、裁判所の裁量を促す主張が可能です。
第3章 最高検察庁依命通知の分析 ― 報告書の教訓の具体化
本報告書が、検察組織が犯した過ちの全容を自ら克明に記録した「告白」であり「失敗の記録」であるならば、その直後に発出された3通の「依命通知」は、その「反省」を具体的な「行動規範」として現場の検察官一人ひとりに遵守させるための、組織の最上層部からの「厳命」に他なりません。
我々裁判官は、これら3通の通知が矢継ぎ早に発出された事実を、検察がC氏の死という重大な結果に対し、組織の存立を賭けて対応せざるを得ないほどの深刻な事態と受け止めている証左であると、重く見ております。
第1 法令解釈の暴走を止める「行政法規違反の事案における捜査上の留意事項等について」(最高検安第95号)
この通知は、本報告書の「第3・3 法令解釈」及び「第4・3⑶ 行政法規違反の事案における法令解釈に関する通知の発出」に、真正面から応えるものです。
1.「捜査機関解釈」の鵜呑みを禁じる強い意志
本報告書は、捜査機関が採用した「本件要件ハ捜査機関解釈」を、担当検察官が「不合理な点はない」として安易に採用してしまったことを深刻な反省点として挙げていました。
これに対し、通知は、検察官に対し極めて厳しい自己規律を求めています。
「所管行政庁による解釈を漫然と受け入れるのではなく、…当該行政法規の規制の趣旨・内容…等を的確に把握し、これを十分に踏まえることが重要です。」
「漫然と受け入れるな」。これは、噴霧乾燥器事件で「本件経産省回答」を過信した検察官の姿そのものへの叱責です。我々裁判官は、検察官が法廷で「所管行政庁に確認済みです」と主張するのを幾度となく聞いてきましたが、今後は弁護人各位から「あなたは、この依命通知に基づき、漫然と受け入れることなく、自ら規制の趣旨・内容を的確に把握したのですか?」と問うことが可能になります。
2.「国際的枠組み」と「業界の常識」の重視
本報告書が、捜査機関の解釈の誤りを指摘する根拠としたのは、国際的な合意である「オーストラリア・グループ(AG)合意」でした。捜査機関の解釈は、この国際的な常識から逸脱していたのです。
この教訓は、通知の②と③に明確に刻み込まれました。
② 当該省令に係る規制が国際的な規制の枠組みに基づくものである場合には、同枠組みの趣旨・内容、同枠組みや他国の規制と我が国の当該規制との異同(異なる場合にはその理由)
③ 国民、特に当該規制の対象者に対する所管行政庁の解釈についての周知の程度(当該規制の対象者における当該規制の内容に関する一般的な認識や当該規制への一般的な対応状況等を含む。)
これは、噴霧乾燥器事件の構造そのものです。②は「AG合意」を、③は本報告書で触れられていた「(同業他社の)1社しか…輸出許可を申請していなかった」という「業界の一般認識」を、それぞれ直接的に反映しています。
第2 生命の尊厳と向き合う「依命通知」二通(最高検安第96号・第97号)
次に、最高検安第96号「拘置所等に勾留中の被疑者・被告人の病状等に関する情報等の適切な把握について」と、最高検安第97号「保釈請求への対応に当たっての留意点について」。この2通は、本報告書の「第3・6 保釈請求への対応について」という、最も痛切な反省、すなわちC氏の死という悲劇に直結する教訓に応えるものです。
これら2通の通知は、いわば「表裏一体」の関係にあります。96号が「被告人の健康状態の把握」という検察官の主体的義務を定め、97号がその情報に基づき「保釈請求にどう対応するか」という具体的行動を定めています。
1.「待ち」の姿勢から「主体的な把握」へ(96号通知)
本報告書は、検察官がC氏の病状悪化に対し、「単に弁護人による勾留執行停止の申立てを待つのではなく、必要に応じて弁護人とも連絡を取り合いつつ、拘置所に対し…照会・確認するなどし、C氏の病状等をより的確に把握する必要があった」と厳しく指摘しました。
この「反省」は、96号通知の中核を成す文言となって結実しました。
「検察官において、主体性を持って、必要な情報の把握に努めることが重要です。」
「取り分け、被疑者・被告人ががん等の重篤な疾病に罹患していることが判明した場合やその疑いがある場合には、検察官において、その病状等について、拘置所等との間で積極的な情報共有に努める必要があります。」
「がん等の重篤な疾病」という極めて具体的な文言。これは、C氏が「進行胃癌」であった事実を、検察組織全体が永遠に忘れないための「刻印」に他なりません。もはや検察官は、「弁護人から何も言われていないから知らなかった」という言い訳が一切できなくなったのです。
さらに、報告書が「必要に応じて弁護人とも連絡を取り合いつつ」と反省した点は、「弁護人との間で連絡・調整等を行う」という、より踏み込んだ「義務」として明記されました。
2.「定型的な反対」の禁止(97号通知)
本報告書は、検察官が「具体的・実質的な罪証隠滅のおそれ」の検討を怠り、漫然と保釈に反対し続けたことを問題視しました。
この教訓は、97号通知の第1項において、かつてないほど詳細な「判断基準」として検察官に提示されました。
「被告人を釈放した場合、罪証隠滅の客観的可能性及び実効性があるか…罪証隠滅の主観的可能性があるか…などを具体的・実質的に検討し、適切に判断する必要がある。」
そして、これに続く一文こそ、我々裁判官が長年望んできたものであり、弁護士各位にとっては最強の武器となるものです。
「その上で、保釈請求に対し、被告人による罪証隠滅のおそれがある旨の意見を述べる場合には、その内容を意見書に具体的に記載する必要がある。」
これは、もはや「罪証隠滅のおそれあり」という、あの定型的なゴム印を押しただけの意見書を、検察内部で「禁止」したに等しいのです。我々裁判官は、この通知の存在を前提に、今後は検察官の意見書に具体的な記載がなければ、その主張の信用性を著しく低いものと評価することになるでしょう。
3.C氏の悲劇を刻み込んだ「健康状態」の考慮(97号通知)
本報告書が最も強く反省したのは、C氏の重篤な病状を把握しながら、「柔軟な対応」をとらず、保釈に反対し続けた非人道的な対応でした。
その反省は、97号通知の第2項に、C氏の事例そのものをなぞるかのように、克明に記されています。
「刑訴法90条が規定する『被告人が受ける健康上の・・・不利益の程度』の考慮に当たっては、必要に応じて留置施設等への照会を行うなどし、被告人の健康状態に関わる事情の有無及び内容を的確に把握した上で…」
これは、報告書が「拘置所に対し…照会・確認するなどし、C氏の病状等をより的確に把握する必要があった」とした点を、そのまま行動規範に落とし込んだものです。
そして、続くこの一文は、C氏が直面したであろう困難、そのものを反映しています。
「…医療機関によっては勾留執行停止中の者に対する検査や治療等が制限される場合があり得ることも踏まえ、保釈の必要性・相当性について、具体的に検討する必要がある。」
本報告書には「医療機関によっては、勾留執行停止の状態の患者を受け入れることについて難色が示されることもある」との痛切な記述がありました。検察官は、C氏の弁護人がこの困難に直面していることを知りながら、保釈という抜本的な解決(勾令執行停止ではない)を拒み続けたのです。
この通知は、その非人道的な対応を名指しで禁じ、「勾留執行停止で十分」という安易な判断を許さず、保釈の必要性・相当性にまで踏み込んで検討することを義務付けたのです。
4.決裁官の「傍観」を許さない(97号通知)
本報告書は、こうした現場の暴走を止められなかった決裁官(副部長、部長)の責任も厳しく追及しました。この反省は、97号通知の第3項に反映されています。
「決裁官も、…主任検察官からの報告内容や証拠関係を踏まえ、罪証隠滅のおそれの有無及び程度や被告人が受ける健康上の不利益の程度等を具体的に確認し、主任検察官に対する的確な指導を行うことを徹底する必要がある。」
これは、決裁官に対し、「主任検察官がそう言うなら」という安易な決裁を禁じ、C氏の健康状態のような重大な情報を自ら「具体的に確認」する義務を課したものです。
第4章 統合的実践活用法 ― 弁護人の「武器」として
本報告書と3通の依命通知は、法廷での「防御の盾」となるだけでなく、捜査段階から公判に至るまで、弁護士が積極的に攻勢に出るための「鋭い剣」ともなります。C氏の尊い犠牲の上に、検察は自らの行動を律する「重い枷」を、自らにはめることを選択した(あるいは、そうせざるを得なかった)のです。
弁護士各位におかれては、もはや「検察官は硬直的だ」と嘆く必要はありません。これからは、検察官がこれらの「内部規範」に違反していないか、法廷で厳しく監視し、追及する側に立つことができるのです。
第1 捜査段階における活用
- 法令解釈の妥当性の追及:行政法規違反の事案において、検察官が捜査機関の解釈を前提に取調べを進めようとする場合、「行政法規違反の事案における捜査上の留意事項等について」(最高検安第95号)を根拠に、検察官自身が「国際的な規制の枠組み」や「業界の一般的な認識」について十分な検討を行ったのか、その確認を求めることができます。
- 消極証拠の網羅的開示請求:本報告書が、警察段階で消極証拠が「握り潰され」検察官に共有されなかった可能性を赤裸々に示した事実を根拠に、単なる検察官の「手持ち証拠」の開示要求に留まらず、「捜査機関全体」が保有する可能性のある、あらゆる消極証拠(実験ノート、不採用となった聴取メモ等)の開示を強く求めることができます。
- 被告人の健康状態に関する「主体的把握」の要求:被疑者・被告人の健康状態に少しでも不安がある場合、直ちに検察官に対し、「拘置所等に勾留中の被疑者・被告人の病状等に関する情報等の適切な把握について」(最高検安第96号)を根拠として、検察官の「主体性を持った」情報把握と、弁護人との「積極的な連絡・調整」を要求してください。「弁護人から言われなければ動かない」という検察官の姿勢は、もはや許されません。
第2 公判前整理手続及び公判における活用
- 検察官立証の「穴」の指摘:本件の公判前整理手続における弁護活動の勝利は、検察官の立証の「穴」(=乾燥室測定口の温度)を見抜き、独自に実験(弁護人温度測定結果報告書)を行い、それを突きつけたことにありました。弁護人各位におかれても、検察官の証明予定事実記載書を精査し、本報告書の「消極証拠の評価」の視点から、「客観証拠の過信」や「見落とされた論点」がないか徹底的に洗い出し、積極的な反証活動(対抗実験、専門家意見書の準備)を進めることが極めて有効です。
- 保釈請求における検察官への反論:検察官が、保釈請求に対し、具体的な根拠を示さず「罪証隠滅のおそれ」という定型的な反対意見を述べてきた場合、「保釈請求への対応に当たっての留意点について」(最高検安第97号)を示し、「通知は『意見書に具体的に記載する必要がある』と厳命している。具体的・実質的な理由が示されない限り、検察官の意見は、検察内部の規範にすら違反する、理由なき反対意見である」と裁判官に強く訴えてください。
- 健康状態を理由とする保釈請求:被告人の健康状態を理由に保釈を請求する際、単に診断書を提出するに留まらず、97号通知の「医療機関によっては勾留執行停止中の者に対する検査や治療等が制限される場合があり得る」という一節を引用し、「勾留執行停止では十分な医療が受けられないリスクがあり、検察庁自身がそのリスクを認識している。C氏の悲劇を繰り返さないためにも、保釈による抜本的な医療環境の確保が必要である」と主張してください。
第3 意見書・法廷弁論での「権威」としての引用
本報告書及び3通の依命通知は、検察組織の頂点が出した公式文書です。これほど強力な「権威」はありません。保釈請求意見書、最終弁論、控訴趣意書など、あらゆる書面で、検察官の現在の主張や対応が、本報告書で反省点として挙げられた過ちと「同根」であることを指摘してください。
- 例:「検察官の主張は、かつて最高検察庁が自ら『客観証拠の過信』『消極証拠の軽視』と厳しく断じた過ちを、何ら反省することなく繰り返すものに他ならない。」
- 例:「検察官は、C氏の死という重大な結果を招いた保釈への硬直的な対応を、今また本件被告人に対して行おうとしている。これは、最高検察庁次長検事依命通知(令和7年8月29日付 最高検安第97号)の趣旨に明確に反するものであり、断じて許されない。」
第5章 おわりに(刑事裁判官としての期待)
弁護士各位。本報告書と3通の依命通知は、我々法曹にとって、非常に重い問いを投げかけています。それは、「権力はいかにして暴走し、我々はいかにしてそれを食い止めるべきか」という問いです。
検察官も人間であり、組織の一員です。「客観証拠」とされるものを過信し、耳の痛い「消極証拠」から目をそむけ、「罪証隠滅のおそれ」という定型句に逃げ込み、被告人の健康という人道上の問題に鈍感になる。こうした過ちは、本件が特殊だったから起きたのではなく、刑事司法の現場において常に起こり得る、構造的な危険性です。
本報告書と各通知は、その危険性に対する検察の「自己規律」の表明です。しかし、皆様もご存知の通り、組織が「反省」を文書化することと、現場の一人ひとりがその「反省」を実践することは、全く別の問題です。
だからこそ、弁護士各位の役割が不可欠なのです。
皆様が、日々の弁護活動において、本報告書を「羅針盤」として検察官の捜査・立証の「穴」を見抜き、本報告書と3通の依命通知を「武器」として検察官の硬直的な対応や権力の濫用を鋭く追及すること。それこそが、本報告書の「反省」を単なる紙切れで終わらせず、C氏の尊い犠牲の上に築かれるべき「生きた教訓」として、未来の刑事司法に活かす唯一の道です。
我々裁判官は、法と証拠に基づき、中立公正な立場で判断を下します。検察官が自ら示した「反省点」と全く同じ轍を踏んでいること、あるいは検察内部の「厳命」にすら違反していることを、弁護人各位から法廷で具体的に、説得的に指摘されれば、我々が検察官の主張をこれまで以上に厳しく吟味し、より慎重な判断を下すことは申し上げるまでもありません。
この一連の文書群が、皆様の今後の弁護活動において、被告人の正当な利益を守り、ひいては日本の刑事司法をより良いものにするための一助となることを、心より願っております。
<病状悪化後の相嶋さんの保釈を認めなかった裁判官>
適切な治療機会を奪ったという点では 本村理絵裁判官の判断が致命的だった。
しかし、公判担当裁判官が長期勾留不相当と指摘する中で却下した三貫納隼裁判官、令状部の保釈許可を覆して却下をした佐伯恒治裁判官も、自らの判断を顧みるべきだ。 https://t.co/y8Ix71yYsm pic.twitter.com/wFI8XZyYEW— 高田 剛 Tsuyoshi Takada | 和田倉門法律事務所 (@WadakuraO) August 21, 2025