裁判所書記官の事務(記録の作成保管,送達,保管金や収入印紙の取扱い等)が適正かつ能率的に処理されているかは,司法行政監督権を背景とする内部の点検によって担保されている。本記事は,この「書記官事務の査察」の法的根拠と実施構造を,法令,最高裁判所規則,事務総長依命通達,情報公開により開示された査察結果報告書及び国会答弁に基づいて整理し,弁護士が書記官事務の取扱いに疑義を持ったときにどの手続を選び得るかを検討する。個別の事務処理の当否は,具体的な経過及び資料によって異なる。
第1 本記事の対象と射程
1 書記官事務とその適正確保の必要
裁判所書記官の職務は,裁判所法(昭和22年法律第59号)第60条が定めている。
同条第2項は,裁判所書記官が「裁判所の事件に関する記録その他の書類又は電磁的記録の作成及び保管その他他の法律において定める事務を掌る」と規定し,第3項は裁判官の行う法令及び判例の調査の補助を,第4項は「その職務を行うについては,裁判官の命令に従う」ことを定める。
これらの事務には,訴訟記録の編成,送達及び通知,保管金や押収物の管理,予納郵便切手や収入印紙の取扱いといった,金銭的価値や当事者の権利に直結する処理が含まれる。
書記官事務が法令や取扱いに従って適正かつ能率的に処理されているかを組織的に点検する仕組みが,本記事にいう「書記官事務の査察」であり,その根拠は司法行政監督権にある。
2 「監督」「査閲」「査察」「監査」「巡閲」の区別
書記官事務の点検をめぐっては,類似する複数の語が用いられており,混同すると根拠規定を取り違える。本記事では,法令,最高裁判所規則,事務総長依命通達及び開示文書の記載に即して,次のように区別して用いる。
| 用語 | 主体 | 性格 | 主な根拠 |
|---|---|---|---|
| 監督 | 組織体としての裁判所 | 司法行政監督権の総称(上位概念) | 裁判所法80条 |
| 査閲 | 首席書記官 | 日常的・恒常的な指導監督の一態様 | 大法廷首席書記官等に関する規則及びその運用についての依命通達 |
| 査察 | 各裁判所(高等裁判所が管内の地方裁判所・家庭裁判所を含む) | 組織的・定期的な点検(結果報告書を作成) | 司法行政監督権に基づく運用 |
| 監査 | 会計機関等 | 会計事務の監査(会計法規に基づく) | 会計事務査察と様式を共有 |
| 巡閲 | 裁判官 | 庁の視察・巡回 | 本記事の対象外の別概念 |
「査閲」と「査察」は,いずれも書記官事務の適正・能率を点検する点で共通するが,前者が首席書記官の日常的な職務として恒常的に行われるのに対し,後者は時期を定めて庁を単位に実施され,結果が報告書にまとめられる点で区別される。
「監査」は会計事務を対象とする会計法規上の点検であり,後記のとおり書記官事務に関連する会計事務の査察は,監査と様式を共有して運用されている。
第2 査察の法的根拠
1 司法行政監督権とその限界(裁判所法80条・81条・82条)
査察の最も上位の根拠は,司法行政監督権である。
裁判所法第80条は,最高裁判所が「最高裁判所の職員並びに下級裁判所及びその職員」を監督し(同条第1号),各高等裁判所が「その高等裁判所の職員並びに管轄区域内の下級裁判所及びその職員」を監督し(同条第2号),各地方裁判所が管轄区域内の簡易裁判所及びその職員を監督する(同条第3号)と定める。
高等裁判所が管内の地方裁判所・家庭裁判所の書記官事務を査察するのは,この第80条第2号の監督権を具体化したものと位置付けられる。
この監督権には,条文上2つの重要な枠がある。
第1に,裁判所法第81条は「前条の監督権は,裁判官の裁判権に影響を及ぼし,又はこれを制限することはない」と定め,監督権が裁判官の判断そのものに及ばないことを明示する。
第2に,裁判所法第82条は「裁判所の事務の取扱方法に対して申し立てられた不服は,第80条の監督権によりこれを処分する」と定め,事務取扱方法に対する不服が,訴訟上の不服申立てとは別に,監督権のルートで処理されることを示している。
監督権を行使する主体は,長官又は所長個人ではなく,組織体としての裁判所である。
下級裁判所の司法行政事務は,下級裁判所事務処理規則(昭和23年最高裁判所規則第16号)の下で,各裁判所の裁判官会議の議によることを原則とする。査察も,この司法行政の仕組みの内部で行われる作用である。
2 首席書記官による査閲と査察の授権
(1) 査閲の内容と重点事項
書記官事務の点検を日常的に担うのは,首席書記官である。
大法廷首席書記官等に関する規則(昭和29年最高裁判所規則第9号)第3条第4項は,高等裁判所及び地方裁判所の民事・刑事の首席書記官が,当該裁判所の事務を取り扱う「裁判所書記官及び裁判所速記官の一般執務について指導監督し,かつ,訟廷事務をつかさどる」と定める。
この規則の運用を定める「大法廷首席書記官等に関する規則の運用について」(平成6年7月18日付最高裁判所事務総長依命通達)は,首席書記官が行う指導監督の中身を具体化し,裁判所書記官等の事務が「法律,規則,規程,通達等に従い適正かつ能率的に処理されているかどうかについて査閲する」ものとする。
査閲に当たって重点を置く事項として,同通達は次の各事項を掲げている。
- 事件に関する記録その他の書類の作成,整理及び保管
- 事件に関する法令,判例等の調査の補助
- 事件に関する帳簿諸票の備付け
- 事件に関する送達及び通知
- 保管金,押収物等の取扱い
- 予納郵便切手及び収入印紙の取扱い
- 録音反訳の利用
- 事件に関する速記及びこれに関する事務
これらの重点事項は,弁護士から見ると,記録の編成・保管,送達,保管金・押収物,収入印紙といった,裁判手続の外形的な適正に関わる領域と重なる。
書記官事務の取扱いに疑義を持ったとき,その事務が首席書記官の日常的な査閲の対象領域に含まれるかどうかを見極めることが,後記の手続選択の出発点になる。
(2) 高等裁判所首席書記官による管内査察
上記依命通達は,首席書記官の権限を当該庁内にとどめず,高等裁判所の首席書記官については,管轄区域内の下級裁判所の書記官事務に及ぶことを認めている。
すなわち,同通達は,首席書記官が「当該裁判所の所長の命により,管轄区域内の下級裁判所の裁判所書記官等の一般執務及び訟廷事務について指導監督することができる」とする。これが,高等裁判所が管内の地方裁判所・家庭裁判所の書記官事務を査察する内部的な授権の根拠である。
第3 査察の実施構造
1 高等裁判所による管内庁への会計事務査察
査察が実際にどのような様式で行われるかは,情報公開請求により開示された査察結果報告書から具体的に把握できる。
一例として,令和元年度に大阪高等裁判所が作成した「会計事務査察結果報告書」(表題上は「書記官事務及び訟廷事務に関連する会計事務査察」)は,同高裁が管内の京都家庭裁判所,奈良地方・家庭裁判所,京都地方裁判所,和歌山地方・家庭裁判所及び大阪家庭裁判所を対象に,令和元年10月から12月にかけて査察を実施したことを示している。査察を担ったのは高等裁判所会計課の専門官,企画官及び課長補佐であり,被査察庁ごとに1日単位で行われている。
報告書は,被査察庁ごとに「総評」と「指摘事項」を記載する構成である。
指摘事項の詳細は別紙の「監査(査察)結果表」にまとめられ,同表は,検出事項,関係法令等,「指摘の分類(監査・査察)」,「不備の観点(正確性・合規性,経済性・効率性,有効性)」,「監査(査察)結果(指示事項・注意事項・改善事項・検討事項)」,被査察庁が記載する是正措置(発生原因・対応策・対応期日)及びフォローアップ(是正結果・残余課題)という欄で構成されている。
指摘事項の実例としては,会計事務名を「契約」とする項目で,検査職員が休暇取得中であったにもかかわらず利用事件一覧表の完成通知日に検査職員確認印が押印されていた事例(不備の観点は正確性・合規性,結果は注意事項)や,会計事務名を「押収物等」とする項目で,手提金庫の区分保管が不十分で担当者以外の職員が使用できる状態となっていた事例が記載され,いずれも是正の対応期日と是正結果が併記されている。
このように,査察は書記官事務・訟廷事務のうち会計に関わる部分を対象とし,発見された不備について是正措置とフォローアップまでを一連の手続として記録する運用となっている。なお,開示文書には一部に不開示(黒塗り)部分がある。
2 最高裁判所事務総局による重点事項の指導
査察は各下級裁判所が実施するが,その重点は最高裁判所事務総局の指導によって全国的に方向付けられる。
この点は,収入印紙の偽造・窃取事件を契機とする国会答弁からうかがえる。最高裁判所事務総局総務局長は,平成4年4月24日の衆議院法務委員会において,各下級裁判所が行う「書記官事務等に関します査察」に関し,平成3年度の重点事項に収入印紙の取扱いに関する事項を追加し,収入印紙の管理体制等について重点的に査察を行うよう指導していると答弁している(同旨の答弁が同年5月28日の参議院法務委員会にもある)。
この答弁からは,書記官事務の査察が年度を単位として行われること,最高裁判所事務総局が重点事項を各庁に示す立場にあること,及び不祥事の発生が翌年度以降の重点事項に反映されることが読み取れる。
もっとも,答弁が触れているのは重点事項の設定という枠組みであって,個々の庁における査察の具体的な実施内容まで公表されているわけではない。
第4 弁護士実務との接点
1 事務取扱方法への不服(裁判所法82条)と査察の関係
書記官事務の査察は,あくまで裁判所内部の点検である。
これに対し,当事者や代理人の側から書記官事務の取扱いに不服を述べる手掛かりとなるのが,裁判所法第82条である。同条は,裁判所の事務の取扱方法に対して申し立てられた不服を第80条の監督権により処分すると定めており,事務取扱方法への不服は,裁判に対する不服申立て(上訴等)とは別に,司法行政監督権のルートで処理されることになる。
したがって,査察が裁判所の側からの内部発動であるのに対し,第82条の不服は当事者側からの発動契機という関係に立つ。
第82条による処分は司法行政上の措置であって,判決や決定のように上訴で争う対象ではない。書記官事務の取扱いに問題があると考える場合には,この措置を求めるという選択肢があることを踏まえ,何が問題なのかを事務処理の経過に即して特定しておくことが,依頼者からの事情聴取の際の着眼点となる。
2 監督・査察が及ばない領域と裁判内容との切り分け
実務上とりわけ重要なのは,監督権及び査察が及ぶ範囲と,及ばない範囲との切り分けである。
裁判所法第81条が明示するとおり,監督権は裁判官の裁判権に影響を及ぼさない。したがって,裁判官の心証や判断そのものに対する不満は,監督権や査察によって是正される対象ではなく,本来は上訴等の手続によって争うべき事柄である。
他方で,送達の懈怠,記録の編成・保管の誤り,保管金や予納金の処理といった事務の取扱いは,裁判内容の当否とは区別され,監督権及び査察の対象となり得る。
依頼者から「裁判所の対応がおかしい」という相談を受けた場合には,その不満が裁判の内容に向けられたものか,事務の取扱いに向けられたものかを切り分けることが,選ぶべき手続(上訴等か,第82条の不服か,情報公開か)を見極める前提となる。
3 情報公開による査察関係文書の入手
査察結果報告書は,庁内の管理文書であり,作成時点では対外的な公表を予定していない文書である。
もっとも,前記の令和元年度の会計事務査察結果報告書のように,行政機関情報公開法に準じた最高裁判所の司法行政文書開示の手続を通じて,一部が黒塗りとされた上で開示された例が現に存在する。書記官事務の査察の実際の様式や指摘内容を確認しようとする場合,こうした開示文書が有力な資料となる。
ただし,開示の範囲は文書ごとに判断され,個人情報や事務の詳細に関わる部分が不開示とされることがある。
入手を検討する際には,対象文書を年度・庁・文書名によってできる限り特定した上で開示請求を行うこと,及び不開示部分が残り得ることを前提に資料としての限界を見込んでおくことが実務上の留意点となる。
第5 留意点と不確実な要素
1 裁判所ウェブサイト掲載裁判例の不存在と本記事の論拠
書記官事務の査察それ自体の適法性や範囲を正面から判断した裁判例は,裁判所ウェブサイトの裁判例検索では確認できなかった。
そのため本記事は,裁判例ではなく,裁判所法の条文,最高裁判所規則,事務総長依命通達,情報公開により開示された査察結果報告書及び国会答弁という一次資料に基づいて構成している。裁判所法第81条・第82条の解釈をめぐる個別の紛争に当たっては,別途,司法行政上の措置の法的性質に関する裁判例・文献を確認する必要がある。
2 事務のデジタル化に伴う点検対象の変化
首席書記官の査閲の重点事項は,紙の記録や帳簿,収入印紙といった有体物を中心に組み立てられている。
民事裁判手続のデジタル化により,記録の作成・保管が電磁的記録へ移行するのに伴い,査閲・査察の点検対象も,電子記録の作成・保管の適正やアクセス管理へと重心を移していくことが考えられる。もっとも,デジタル化が査察の重点事項や運用にどのように反映されているかを直接示す公表資料は,本記事の作成時点では確認できていない。この点は,今後の規程改正や公表資料により追加確認を要する事項である。
第6 出典
1 法令
- 裁判所法(昭和22年法律第59号)――第60条(裁判所書記官の職務),第80条(司法行政の監督),第81条(監督権と裁判権との関係),第82条(事務の取扱方法に対する不服)。条文はe-Gov法令検索で確認した。
2 最高裁判所規則・事務総長依命通達
- 大法廷首席書記官等に関する規則(昭和29年最高裁判所規則第9号)――第3条(首席書記官の職務)。首席書記官が裁判所書記官等の一般執務について指導監督する旨の根拠。
- 大法廷首席書記官等に関する規則の運用について(平成6年7月18日付最高裁判所事務総長依命通達)――首席書記官による「査閲」の内容及び重点事項,並びに高等裁判所首席書記官による管内下級裁判所の指導監督の授権。首席書記官の職務内容を整理した最高裁判所の開示文書「幹部職員の設置根拠・職務内容の定め等」により条文及び通達の内容を確認した。
- 下級裁判所事務処理規則(昭和23年最高裁判所規則第16号)――下級裁判所の司法行政事務が裁判官会議の議によることの根拠。
3 開示文書・公的資料
- 令和元年度「書記官事務及び訟廷事務に関連する会計事務査察結果報告書」(大阪高等裁判所)――情報公開により部分開示された査察結果報告書。査察の実施時期,被査察庁,実施体制,結果報告書及び別紙「監査(査察)結果表」の様式,並びに指摘事項の実例。
4 国会会議録
- 第123回国会衆議院法務委員会第9号(平成4年4月24日)――最高裁判所事務総局総務局長答弁。各下級裁判所が行う書記官事務等の査察と,平成3年度重点事項への収入印紙取扱いの追加。
- 第123回国会参議院法務委員会第11号(平成4年5月28日)――同旨の答弁。