歴代の女性高裁長官一覧


目次第1 歴代の女性高裁長官一覧

10 矢尾和子裁判官(39期・慶応大)
9 近藤宏子裁判官(38期・慶応大)
8 森純子裁判官(40期・東大)
7 秋吉仁美裁判官(35期・上智大)
6 白石史子裁判官(36期・東大)
5 高部眞規子裁判官(33期・東大)
4 綿引万里子裁判官(32期・中央大)
3 安藤裕子裁判官(29期・中央大)
2  一宮なほみ裁判官(26期・中央大)
1 野田愛子裁判官(2期・明治大)
第2 関連記事その他

第1 歴代の女性高裁長官一覧
10 矢尾和子裁判官(39期・慶応大)
・ 令和6年9月10日以降に福岡高裁長官に就任する予定です。
・ 東京家裁家事第2部部総括→東京地裁35民部総括(医事部)→東京簡裁司掌裁判官→千葉家裁所長→東京高裁7民部総括→司法研修所長を経て,福岡高裁長官に就任しました。

9 近藤宏子裁判官(38期・慶応大)
・ 令和5年8月24日に札幌高裁長官に就任しました。
・ 名古屋地裁6刑部総括→東京地裁16刑部総括→東京高裁3刑判事→横浜地裁5刑部総括→横浜家裁所長→東京高裁8刑部総括を経て,札幌高裁長官に就任しました。

8 森純子裁判官(40期・東大)
・ 令和4年9月2日から令和5年5月22日までの間,仙台高裁長官をしていました。
・ 大阪地裁16民部総括→大阪地裁6民部総括(破産再生部)→大阪地裁民事上席判事→大阪地裁所長代行者→奈良地家裁所長→大阪家裁所長を経て,仙台高裁長官に就任しました。

7 秋吉仁美裁判官(35期・上智大)
・ 令和3年9月3日から令和5年1月4日までの間,高松高裁長官をしていました。
・ 東京地裁民事部部総括→横浜地裁2民部総括→東京家裁家事部所長代行者→裁判所職員総合研修所長→さいたま家裁所長→東京高裁5民部総括を経て,高松高裁長官に就任しました。

6 白石史子裁判官(36期・東大)
・ 令和3年8月2日から令和5年8月16日までの間,札幌高裁長官をしていました。
・ 内閣官房司法制度改革推進室長→東京高裁9民判事→千葉地裁2民部総括→東京地裁27民部総括(交通部)→京都家裁所長→東京高裁2民部総括を経て,札幌高裁長官に就任しました。

5 高部眞規子裁判官(33期・東大)

・ 令和2年10月19日から令和3年9月1日までの間,高松高裁長官をしていました。
・ 最高裁調査官→東京地裁部総括(民事)→知財高裁第4部判事→横浜地家裁川崎支部長→福井地家裁所長→知財高裁第4部部総括→知財高裁所長を経て,高松高裁長官に就任しました。

4 綿引万里子裁判官(32期・中央大)
・ 平成30年9月7日から令和2年5月1日までの間,名古屋高裁長官をしていました。
・ 東京地裁25民部総括→司法研修所民事裁判教官→東京高裁5民判事→最高裁民事上席調査官→宇都宮地裁所長→横浜家裁所長→東京高裁4民部総括→札幌高裁長官を経て,名古屋高裁長官に就任しました。
・ 横浜家裁所長当時のインタビュー記事(平成26年12月のもの)が,公益社団法人横浜中法人会HPに載っています。
・ My News Japanの「オリコンうがや訴訟4 小池社長を裁く綿引穣裁判長、「噂眞」「2ちゃん」に賠償命じた過去」によれば,夫は同期の綿引穣 元裁判官(平成26年3月30日依願退官)でありますところ,同人は綿引穣 元東京高裁10民判事であり,平成26年7月1日から令和4年7月11日までの間,立川公証役場の公証人をしていました(法務省HPの「指定公証人一覧」参照)。
・ 外部HPの「第10回 姪が札幌高裁長官にの報」には,「司法試験は最難関の試験の一つと言われている。だが、万里子さんは熱心に勉強をつづけたらしい。そしてまだ学部4年生で司法試験に合格した。wakohは詳しいことは知らない。だが、何かの記事を観ると、筆記試験では8位であったのに、面接で1位に躍り出たように記されているのを目にしたことがある。まだ21歳の才媛だった。」と書いてあります。
・ 女性初の職業裁判官出身の最高裁判所判事になる可能性があった人です(岡部喜代子最高裁判所判事は裁判官出身とは取り扱われていません。)。
・ 5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)の「昔の合格体験記を語ろうず」の52番の書き込みによれば,綿引(伊藤)万里子裁判官の昭和52年度司法試験合格者体験記には,「当然のようにして東大受験。この時初めて私は挫折というものを味わった。解答欄の取り違え!諦めようにも諦めきれぬ気持ちで夜中にベッドの上に起き上がり悶悶とする日が続いた。それでも浪人生活を送る気持ちにもなれず、私は中央大学に入学した。 」と書いてあるみたいです。
・ 高輪1期以降の,裁判官出身の最高裁判所判事のうち,中央大学出身者,ひいては私立大学出身者は1人だけです(「高輪1期以降の,裁判官出身の最高裁判所判事」参照)から,このときに東大に入学できていれば,最高裁判所判事になれたかもしれません。

3 安藤裕子裁判官(29期・中央大)

・ 平成26年10月2日から平成27年3月17日までの間,高松高裁長官をしていました。
・ 前橋地家裁高崎支部長→松山家裁所長→岐阜地家裁所長→千葉家裁所長を経て,高松高裁長官に就任しました。
・ 千葉家裁所長から高裁長官に就任した前例はありませんし,高輪1期以降,定年まで5ヶ月余りの時点で高裁長官に就任した前例はありませんでした。
・ 平成29年3月13日から国家公安委員会委員をしています(国家公安委員会HPの「国家公安委員会委員長・委員のプロフィール」参照)。
・ 東弁リブラ2018年1月号の「忘れることのできない私の修習生時代」には,「司法研修所30期では女子司法修習生に複数の裁判教官が「司法界は男性の職場。女性は家庭に入るのが良い。」などと発言して修習生達から痛烈に批判されたこともあった。」と書いてあります。

2  一宮なほみ裁判官(26期・中央大)
・ 平成23年1月11日から平成25年6月14日までの間,仙台高裁長官をしていました。
・  東京地裁10民部総括→千葉地裁2民部総括→家庭裁判所調査官研修所長→裁判所職員総合研修所長→水戸地裁所長→東京高裁1民部総括を経て,仙台高裁長官に就任しました。
・ 平成25年6月から人事官を,平成26年4月12日から人事院総裁をしています(人事院HPの「人事院の組織」参照)。
・ 読売オンラインに「女性発の人事院総裁 中大OGの一宮なほみ氏」が載っています。

1 野田愛子裁判官(2期・明治大)
・  昭和62年1月28日から同年12月1日までの間,札幌高裁長官をしていました。
・  札幌家裁所長→前橋家裁所長→静岡家裁所長→千葉家裁所長→東京家裁所長を経て,札幌高裁長官に就任しました。
・ 日本女性法律家協会(旧 日本婦人法律家協会)の設立メンバーであり,第6代会長でした(外部HPの「野田愛子先生(1924-2010)を偲んで~家庭裁判所制度・家族法の分野から~」参照)。
・ 平成23年7月8日,日弁連で,「野田愛子 メモリアルシンポジウム~~アジアと日本の家族法 ローエイシアソウル大会に向けて~」が開催されました。

第2 関連記事その他
1 31期の瀬木比呂志裁判官が著した「絶望の裁判所」210頁には以下の記載があります。
    特定の裁判官(たち)が特定の後輩(たち)をえこひいきしてよいポストに就かせ続けるといった、はっきりした情実人事も目立つようになっており、たとえば、裁判所トップとの間に強力なパイプをもった特定の女性裁判官が、自分の息のかかった後輩女性裁判官たちをあからさまに引っ張り上げる人事を行わせ続けた例などが思い出される。
2 裁判所構成法107条は「裁判長ハ婦女児童及相當ナル衣服ヲ着セサル者ヲ法廷ヨリ退カシムルコトヲ得其ノ理由ハ之ヲ訴訟ノ記録ニ記入ス」と定めていました。
3(1) 内閣府男女共同参画局HP「女性の政策決定参画状況調べ」が載っています。
(2) 滋賀の弁護士のひとりごと|弁護士中井陽一のブログ「女性裁判官の結婚事情」が載っています。
(3) 心理学の時間ですよ!HP「女の嫉妬をかわして女性ばかりの職場で上手くやる7つの方法」が載っています。
4 30期の金井康雄最高裁人事局任用課長は,最高裁総務局・人事局各課長,参事官を囲む座談会(平成8年5月31日開催)において以下の発言をしています(全国裁判所書記官協議会会報第135号15頁)。
    ともすれば職務遂行の上で責任感等に問題なしとしない女性職員の存在、女性特有の横ならび意識の強さから来る適正な選抜の困難性、出産・育児や老親等の看護に専念する期間における適切な対応案をとることの困難性などの問題から、女性職員に対する管理職員の意識は、その積極的な登用には少なからず躊躇があるというのが現状のように思われます。
5 以下の記事も参照してください。
・ 歴代の女性最高裁判所判事一覧
 高等裁判所長官任命の閣議書


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