生年月日 T9.7.29
出身大学 東大
退官時の年齢 58 歳
叙勲 H2年秋・勲二等瑞宝章
S53.12.31 依願退官
S52.11.7 ~ S53.12.30 東京高裁12刑部総括
S50.7.15 ~ S52.11.6 東京高裁判事
S48.11.1 ~ S50.7.14 新潟家裁所長
S47.5.15 ~ S48.10.31 福岡高裁那覇支部長
S44.4.10 ~ S47.5.14 東京高裁判事
S42.5.17 ~ S44.4.9 東京地裁17刑部総括
S41.4.16 ~ S42.5.16 東京地裁判事
S36.4.10 ~ S41.4.15 最高裁調査官
S33.11.1 ~ S36.4.9 浦和地家裁判事
S33.1.28 ~ S33.10.31 東京地家裁判事
S31.10.10 ~ S33.1.27 東京地家裁判事補
S29.8.16 ~ S31.10.9 秋田地家裁判事補
S26.6.9 ~ S29.8.15 最高裁刑事局付
S23.1.28 ~ S26.6.8 東京地裁判事補
* 最高裁判所とともに(著者は高輪1期の矢口洪一 元最高裁判所長官)73頁には以下の記載があります。
(山中注:昭和47年5月15日の沖縄の本土復帰に際して,)本土からは最優秀の人材を沖繩に送ることとした。東京高裁判事から高裁支部長へ転じた藤井一雄氏、最高裁民事局第一課長から地裁部総括判事に転じた川嵜義徳氏らである。大きな冒険であったが、今日の沖繩を見ればこの選択は誤っていなかったと思う。その後沖繩の裁判官は続々と本土に転入して、立派にその職責を果たしている。
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