川嵜義徳裁判官(8期)の経歴

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生年月日 S6.11.29
出身大学 京大
退官時の年齢 65 歳
叙勲 H16年春・瑞宝大綬章
H8.11.29   定年退官
H6.3.3 ~ H8.11.28 東京高裁長官
H4.2.14 ~ H6.3.2 大阪高裁長官
H1.11.27 ~ H4.2.13 最高裁事務総長
S63.1.11 ~ H1.11.26 千葉地裁所長
S61.9.22 ~ S63.1.10 最高裁事務次長
S58.7.15 ~ S61.9.21 最高裁経理局長
S56.3.1 ~ S58.7.14 最高裁民事局長
S54.10.16 ~ S56.2.28 東京地裁14民部総括
S50.4.11 ~ S54.10.15 司研事務局長
S50.3.1 ~ S50.4.10 東京地裁部総括
S48.12.20 ~ S50.2.28 東京地裁判事
S47.5.15 ~ S48.12.19 那覇地裁1民部総括
S44.4.14 ~ S47.5.14 最高裁民事局第一課長
S42.4.17 ~ S44.4.13 最高裁民事局第二課長
S40.4.16 ~ S42.4.16 最高裁調査官
S37.4.1 ~ S40.4.15 釧路地裁判事補
S34.5.1 ~ S37.3.31 東京家裁判事補
S31.4.7 ~ S34.4.30 岐阜地家裁判事補

*1 最高裁判所とともに(著者は高輪1期の矢口洪一 元最高裁判所長官)73頁には以下の記載があります。
   (山中注:昭和47年5月15日の沖縄の本土復帰に際して,)本土からは最優秀の人材を沖繩に送ることとした。東京高裁判事から高裁支部長へ転じた藤井一雄氏、最高裁民事局第一課長から地裁部総括判事に転じた川嵜義徳氏らである。大きな冒険であったが、今日の沖繩を見ればこの選択は誤っていなかったと思う。その後沖繩の裁判官は続々と本土に転入して、立派にその職責を果たしている。

*2 司法研修所事務局長をしていた昭和51年4月,司法修習生心得を作成して問題となりました。
*3 「昭和51年の30期前期修習で発生した,女性司法修習生に対する司法研修所裁判教官等の差別発言問題(教官等の弁明が正しいことを前提として厳重注意で終了した事件)」も参照してください。
*4 平成9年7月1日から平成14年6月30日までの間,公害等調整委員会委員長をしていました。

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