メインコンテンツへスキップ
       

退職時の定期代精算と最終給与からの控除(AI作成)

第1 結論と問題の分け方

1 定期代は当然には控除できない

退職時に,既に支給した通勤定期券代の未使用期間分を最終給与から当然に控除できるという一般的なルールはない。

会社は,まず,通勤手当規程,就業規則又は個別合意に基づき,退職者に対する返還請求権が成立するかを確認する必要がある。その上で,返還請求権を最終給与から差し引くことが労働基準法24条1項の賃金全額払の原則に反しないかを,別に検討する必要がある。

したがって,判断は,①退職者に返還義務があるか,②返還義務があるとして最終給与から控除できるか,という二段階になる。返還義務があることと,給与からの控除が許されることは同じではない。

2 実務上最も安全な方法

会社が定期券の払戻しを直接受ける方法,又は最終給与を全額支払った上で退職者から別に返還を受ける方法は,賃金控除をめぐる争いを避けやすい。

最終給与から控除する場合には,返還債務の根拠と金額を明確にした上で,賃金控除協定又は本人の自由な意思に基づく個別同意など,労働基準法24条との関係を処理する根拠が必要となる。

なお,本記事は一般的な法制度と実務上の確認事項を説明するものであり,個別事案についての法律相談ではない。結論は,実際に適用される規程の文言,周知状況,支給方法,退職日,最終出勤日及び定期券の払戻条件によって変わる。

第2 返還義務の有無

1 通勤手当も賃金になり得る

労働基準法11条は,名称を問わず,労働の対償として使用者が労働者に支払うものを賃金とする。就業規則や賃金規程に基づいて定期的に支給される通勤手当は,一般に賃金に当たり得る。

6か月分をまとめて支給したからといって,直ちに会社の預り金になるわけではない。複数月分の一括支給は,各月の賃金の前払として構成される場合があるため,退職後の未使用分が返還対象となるかは,支給条件と返還条項から判断する必要がある。

2 支給方法によって結論が異なる

(1) 実費補填型

現実に通勤した費用,又は最も経済的かつ合理的な経路の定期券代を支給し,通勤しない期間には支給しないことが規程上明確である場合,退職後又は通勤終了後の期間について受給権が発生しないと解釈しやすい。

ただし,この場合も,どの日から不支給とするか,支給済額をどの算式で返還するかが規程に定められているかを確認しなければならない。

(2) 定額・固定給型

出勤日数や現実の交通費と切り離して毎月一定額を支給し,不支給又は返還の条件を定めていない場合,退職だけを理由として支給済額の一部が当然に不当利得になるとは限らない。

長年の運用上も欠勤や休職の際に減額していなかった場合には,固定的な賃金としての性格が強くなる。規程が不明確なまま,会社が後から実費精算型として扱うことには慎重な検討が必要である。

(3) 会社購入・現物交付型

会社が定期券を購入して従業員に交付し,長期欠勤,休職又は退職の際に回収して解約する制度であれば,定期券の所有関係と回収手続を規程に明記する必要がある。

もっとも,定期券を現物で支給すること自体についても,労働基準法24条の通貨払原則との関係で,労働協約その他の根拠を確認する必要がある。

(4) 複数月分の一括現金支給型

6か月定期券相当額などを現金で一括支給する制度では,対象となる各月の支給条件,退職時の支給停止日,返還義務,払戻手数料及び端数処理を定める必要がある。

単に「未経過分を返還する」と定めるだけでは,退職日基準か最終出勤日基準か,日割りか月割りか,交通事業者の実際の払戻額かが明らかにならない。

3 退職日と最終出勤日は区別する

有給休暇の取得により,最終出勤日から退職日まで数週間あることがある。規程が退職日の翌日から不支給と定める場合に,運用だけで最終出勤日の翌日から不支給に変更すると,返還請求の根拠を欠くおそれがある。

他方,現実の通勤を支給要件とする実費補填型の規程が最終出勤日の翌日を基準日として明示している場合には,その基準による精算が制度目的に合うことがある。

4 規程がない場合と不当利得

労働契約法7条により,合理的な労働条件を定め,労働者に周知された就業規則は労働契約の内容となる。返還を求める会社は,適用される規程の版,周知時期,支給対象期間及び返還条項を特定する必要がある。

規程上の受給権がなく,会社が誤って通勤手当を支給したときは,民法703条の不当利得返還請求が問題となる。ただし,受給権の有無が規程上不明確であれば,支給済額が直ちに法律上の原因を欠くとはいえない。

既存制度に返還条項を新設する場合には,労働契約法9条及び10条の就業規則の不利益変更の問題も生じ得る。

第3 返還額の計算

1 実際の払戻額を基準とする方法

JR東日本の公式案内によれば,定期券の有効期間が1か月以上残っている場合の払戻額は,原則として次の式で計算される。

払戻額 = 定期券発売額 - 使用済月数分の定期運賃 - 手数料220円

1か月未満の日数は1か月として数えられる。そのため,6か月定期券代を単純に6等分した額や,未使用日数による日割額は,実際の払戻額と一致しないことがある。

会社の実損を回復する制度であれば,従業員又は会社が交通事業者から現実に受け取る払戻額を基準とする方法は,過大な回収を避けやすい。ただし,鉄道会社,バス会社,連絡定期券及びモバイル定期券によって取扱いが異なるため,利用する交通事業者の公式条件を個別に確認する必要がある。

2 日割り又は月割りによる方法

規程に明確な算式があれば,日割り又は月割りを採用する余地がある。しかし,実際の払戻額を上回る結果となる場合には,その差額まで返還させる契約上の根拠と制度の合理性が問題となる。

少なくとも,基準日,対象期間,算式,1円未満の端数処理,払戻手数料の負担及び払戻不能の場合の扱いを定める必要がある。

第4 最終給与から控除するための要件

1 一方的な相殺は原則として許されない

労働基準法24条1項は,賃金を労働者に直接,その全額を支払うことを原則とする。当ブログの「労働基準法に関するメモ書き」でも,賃金支払の5原則を整理している。

関西精機事件の最高裁昭和31年11月2日判決及び日本勧業経済会事件の最高裁昭和36年5月31日大法廷判決は,使用者が有する損害賠償債権をもって労働者の賃金債権と一方的に相殺することを許さなかった。

したがって,定期代の返還請求権が契約又は不当利得に基づいて成立していても,それだけで会社が最終給与から一方的に差し引けることにはならない。

2 賃金控除協定

労働基準法24条1項ただし書は,事業場の過半数労働組合又は過半数代表者との書面による協定がある場合に,賃金の一部控除を認める。

控除対象は,内容が明らかな項目として具体的に定める必要がある。「会社に対する一切の債務」とするより,「退職,休職又は通勤経路変更により通勤手当規程に基づき返還すべき通勤手当」のように,原因を特定する方が望ましい。

もっとも,賃金控除協定は,労働基準法24条違反を避けるための根拠である。協定だけで,退職者の返還債務が新たに発生するわけではないため,通勤手当規程その他の私法上の根拠を別に確認する必要がある。

3 本人の自由意思による合意相殺

日新製鋼事件の最高裁平成2年11月26日判決は,労働者が自由な意思に基づいて相殺に同意したと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときは,合意相殺を有効とした。他方で,自由意思の認定は厳格かつ慎重に行うべきであるとした。

退職届又は入社時の誓約書にある包括的な控除条項だけに依拠するより,返還額が確定した後に,元の支給額,対象期間,基準日,算式又は払戻額,控除額,最終給与の総額及び控除後額を記載した個別書面を作成する方がよい。

さらに,最終給与を全額受領して別に返還する選択肢を示し,質問と検討の機会を与えることは,自由意思を客観的に裏付ける事情となる。

シンガー・ソーイング・メシーン事件の最高裁昭和48年1月19日判決は,具体的事情の下で退職金債権の放棄を有効としたが,退職時の署名が常に有効であるとした判決ではない。定型書式への署名だけで自由意思があると即断することはできない。

4 過払賃金の調整的相殺

福島県教組事件の最高裁昭和44年12月18日判決は,賃金計算上の過払を後の賃金から控除する調整的相殺について,例外的に労働基準法24条違反とならない場合を認めた。

そのためには,過払の時期と合理的に接着した時期に行われ,あらかじめ労働者に予告され,金額及び方法からみて労働者の経済生活の安定を脅かすおそれがないことが必要となる。

群馬県教組事件の最高裁昭和45年10月30日判決は3か月から5か月後の控除を,福岡県教組事件の最高裁昭和50年3月6日判決は3か月後の控除を,それぞれ時期的接着性を欠くとして許さなかった。

未使用定期券の払戻金を会社へ返す義務が,賃金計算の誤りではなく別個の返還債務である場合には,調整的相殺の射程から外れる可能性が高くなる。退職時の定期代精算を常に調整的相殺として扱うべきではない。

5 控除額と退職時の7日払

厚生労働省の公式Q&Aは,賃金控除協定がある場合でも,私法上は民法510条及び民事執行法152条との関係から,原則として賃金額の4分の1までにとどめる必要があると説明している。最終給与の大部分又は全部を控除する処理は避けるべきであり,多額の場合は別途請求又は分割返済を検討するのが相当である。

また,労働基準法23条は,退職者から請求があった場合,7日以内に賃金を支払い,労働者の権利に属する金品を返還することを求める。賃金額に争いがある場合でも,異議のない部分は7日以内に支払う必要がある。

第5 関係裁判例とその射程

1 通勤手当と返還に近い裁判例

(1) 大阪高裁昭和44年7月11日決定

この事件では,会社が6か月通勤定期券を購入して従業員に交付し,1か月以上の長期欠勤又は休職などの場合には回収して解約し,復帰後に再交付していた。

大阪高裁は,通勤手当を賃金に含まれるとしつつ,当該制度では現実に就労のため出勤し,通勤費を支出することが受給要件であるとして,解雇から復職まで通勤しなかった期間の支払義務を否定した。

もっとも,この決定は,退職時に未使用定期代を最終給与から控除することを認めたものではない。その射程は,当該会社の制度と運用の下における通勤手当の受給条件にある。

(2) 高松高裁平成9年10月17日判決

この事件は,国家公務員について,欠勤などを原因とする俸給,勤勉手当及び通勤手当の過払を同一年度内の給与から精算した事案である。

判決は,国の債権の管理等に関する法律施行令及び人事院規則という公務員固有の根拠の下で精算を認めた。民間企業が労働基準法24条の下で行う退職時控除へそのまま及ぶ判決ではない。

(3) 大阪地裁平成20年9月19日判決

この事件は,地方公共団体間の住民訴訟であり,実際の勤務場所に対応する額を超える交通費加算額を各職員が受領していた。大阪地裁は,不当利得返還を求めるのであれば,受領した各職員に直接請求すべきであるとした。

この判決は,各職員の返還義務又は賃金からの控除を判断したものではない。支払者,受領者及び返還請求の相手方を正確に区別する必要があることを示すにとどまる。

2 控除・相殺に関する最高裁判例

関西精機事件及び日本勧業経済会事件は使用者による一方的相殺を禁止し,福島県教組事件は過払賃金の調整的相殺を狭い要件の下で認めた。群馬県教組事件及び福岡県教組事件は,数か月後の控除について時期的接着性を否定した。

日新製鋼事件は自由意思を客観的に裏付ける合理的理由がある合意相殺を認め,シンガー・ソーイング・メシーン事件は退職時の債権放棄の有効性を具体的事情の下で判断した。これらは,返還請求権の有無と賃金からの控除可否を分け,本人の同意を形式だけで判断しないという実務上の枠組みを与える。

3 直接裁判例の確認範囲

裁判所ウェブサイトの判例検索,確認可能な商用資料及び公開検索において,「民間企業が退職時に未使用の定期代を最終給与から控除したこと」の適法性を正面から判断した公刊裁判例は確認できなかった。

これは裁判例が存在しないという意味ではない。裁判所ウェブサイト未掲載の下級審判決,労働審判,和解及び未公刊事件は検索対象にならないため,本記事では,確認できた公刊裁判例の射程を組み合わせて実務上の判断枠組みを示している。

第6 会社が行う処理の順序

1 事実と規程の確認

  • ①適用される就業規則,賃金規程及び通勤手当規程の版と周知時期を確認する。
  • ②実費型,固定額型,会社購入型又は複数月前払型のどれに当たるかを確認する。
  • ③退職日,最終出勤日,有給休暇の期間及び定期券の有効期間を確認する。
  • ④交通事業者の実際の払戻額,手数料,購入名義及び決済方法を確認する。
  • ⑤返還請求権の根拠条項と算式を特定する。

2 控除方法の確認

  • ①最終給与を全額支払い,別途返還を受ける方法を先に検討する。
  • ②賃金控除協定の有無,適用事業場及び控除項目を確認する。
  • ③個別同意を得る場合には,精算明細と別途返済の選択肢を示し,検討時間を与える。
  • ④控除後の生活資金を確認し,多額であれば別途請求又は分割返済とする。
  • ⑤争いがある場合には,少なくとも最終給与の異議のない部分を支払う。

3 規程に定める事項

通勤手当規程には,支給対象となる経路と方法,支給期間,支給停止日,退職・休職・長期欠勤・在宅勤務・経路変更時の届出,返還義務,基準日,算式,端数処理,払戻手数料,定期券又は払戻証拠の提出方法を定めるのが望ましい。

もっとも,「会社は未使用分を当然に最終給与から控除できる」と定めるだけでは,労働基準法24条の問題は解消しない。返還債務の発生根拠と,賃金から控除するための根拠を分けて定める必要がある。

第7 退職者が確認する事項

1 返還義務の根拠

退職者は,会社に対し,適用される通勤手当規程,返還条項,基準日,算式及び交通事業者の払戻証拠を確認することができる。給与明細の項目が「通勤手当」であることだけでは,返還額と控除の適法性は確定しない。

最終出勤日から退職日まで有給休暇を取得している場合には,会社がどちらの日を基準としているか,その根拠が規程にあるかを確認する必要がある。

2 控除の根拠

返還義務を争わない場合でも,最終給与からの控除に同意したことにはならない。賃金控除協定の対象項目か,個別同意の内容が具体的か,最終給与総額と控除後額が示されているかを確認する必要がある。

金額又は根拠に争いがある場合には,異議のない賃金部分の支払を求め,返還額については明細を受け取った上で別に協議する方法がある。

第8 税務・社会保険・労働保険

1 所得税

国税庁のタックスアンサーによれば,交通機関を利用する通勤手当又は通勤定期券は,最も経済的かつ合理的な経路及び方法による1か月当たりの合理的な運賃等について,月額15万円まで非課税となる。

返還時の給与計算は,元の支給が非課税通勤手当か,限度額を超える課税部分を含むか,同一年内か年をまたぐかによって異なり得る。退職時返還に特化した国税庁の公式処理例は確認できなかったため,年末調整後又は年をまたぐ返還は,税理士又は所轄税務署への個別確認が必要である。

2 健康保険・厚生年金

通勤手当は,所得税上の非課税部分を含め,原則として社会保険の報酬に含まれる。日本年金機構の算定基礎届ガイドブックは,6か月単位で支給した通勤手当を6で割り,各月の報酬に計上する取扱いを示している。

退職時の返還によって標準報酬月額又は資格喪失時までの報酬を訂正する必要があるかは,返還原因と対象月によって異なるため,年金事務所への個別確認が必要である。

3 労働保険

厚生労働省の労働保険案内に関する年度更新資料は,通勤手当を課税・非課税を問わず賃金総額に算入し,定期券も算入対象としている。

返還に伴う賃金総額の訂正方法は,支給取消しの対象期間と返還処理の時期によって異なり得るため,所轄労働局又は労働基準監督署への個別確認が必要である。

第9 出典・参考資料

1 法令・行政資料

2 裁判例

3 文献

  • ①亀田康次・高谷知佐子・安倍嘉一・上田雅大『詳解 賃金関係法務』商事法務,2024年1月,33頁~34頁及び167頁~184頁
  • ②厚生労働省労働基準局編『労働基準法解釈総覧〔改訂16版〕』労働調査会,2021年3月1日
  • ③荒木尚志・安西愈・野川忍編『論点体系 判例労働法〈第2版〉3 賃金・労働時間・休暇』第一法規,2024年11月5日
  • ④町田悠生子・亀田康次編ほか『Q&A 賃金トラブル予防・対応の実務と書式』新日本法規,2020年7月2日,158頁~162頁
  • ⑤小島彰監修『就業規則の作成・見直し実践マニュアル』三修社,2019年4月30日,178頁