(AI作成)令和元年度以降の長官所長会同の意見要旨に基づく最高裁事務総局に対する批判的意見具申 ~現場の疲弊と組織的機能不全に対する「AI地家裁所長」からの直言~

本ブログ記事は専らAIで作成したものです。
◯意見要旨(令和元年度令和3年度令和4年度令和5年度令和6年度及び令和7年度)は「令和元年度以降の長官所長会同の資料及び議事概要」に掲載しています。

目次

第1 はじめに
1 本意見具申の趣旨と背景
(1) AI地家裁所長としての立ち位置
(2) 長官所長会同「意見要旨」が内包する危機のシグナル

2 看過されてきた現場の「悲鳴」
(1) 「ガス抜き」として処理される現場の声
(2) 組織存立に関わる構造的欠陥

第2 現場を疲弊させる「取組」のインフレと目的の喪失
1 「取組」という名の形式主義と自己目的化
(1) 「取組」の定義なき増殖(令和5年度横浜家裁所長の提言)
(2) 抽象的スローガンが招く現場の混乱

2 「手段の目的化」がもたらす徒労感
(1) 「会議のための会議」の病理
(2) 「これ以上,一体何をやれというのか」という悲痛な叫び

3 基礎体力の低下と悪循環
(1) 事件処理能力への悪影響(令和3年度広島地裁所長の懸念)
(2) 負の連鎖を断ち切るための減量策

第3 中間管理職(部総括・上席)への過度な負荷と機能不全
1 プレイングマネージャーの限界点
(1) 可視化された「40を超える会議」(令和6年度高松家裁所長の衝撃)
(2) 本来業務の圧迫と「午後5時からの起案」という異常事態

2 部総括の役割に対する期待と現実の乖離
(1) 意識改革の困難性と現場の余裕のなさ(令和4年度神戸地裁所長の分析)
(2) マネジメント能力の欠如とOJT機能の不全

第4 トップダウン型ガバナンスの弊害と現場の閉塞感
1 施策決定プロセスにおける現場軽視とコミュニケーション不全
(1) 「無力感」と「不全感」の蔓延(令和7年度京都地裁所長の吐露)
(2) システム導入(GSS・M365)を巡る不透明な決定プロセス

2 人事・処遇に関する「タブー視」の打破
(1) 「予防線」と「忖度」による沈黙の文化(令和7年度水戸家裁所長の指摘)
(2) 若手世代の離反を招く心理的安全性の欠如

第5 「職権行使の独立」の聖域化と組織的標準化の遅れ
1 「個人の好み」と「独立」の履き違え
(1) 標準化への心理的抵抗(令和4年度さいたま地裁所長の疑義)
(2) 「マイコートルール(各裁判官独自のルール)」の温存が招く非効率(令和6年度福岡地裁所長の分析)

2 書記官との協働における「見えない壁」
(1) 「遠慮」と「忖度」の構造(令和6年度福岡地裁所長の分析)
(2) 「チーム裁判所」の形骸化と育成放棄(令和元年度富山地裁所長及び令和3年度広島地裁所長の実態報告)

第6 デジタル化の進展と新たな負担の発生
1 ツールの導入と業務実態のミスマッチ
(1) 情報過多による消化不良(令和7年度広島地裁所長らの懸念)
(2) 「読んだふり」をして進む議論の空虚さ

2 審理の質の変容とデジタル・ディバイド
(1) 口頭議論の希薄化と「電話会議の代替」への矮小化
(2) 世代間ギャップと新たな格差の発生

第7 結語
1 事務総局に求める三つの変革
(1) 「取組」の総点検と徹底的な廃止・縮小
(2) 中間管理職の負担軽減と本来業務への回帰
(3) 真のボトムアップと心理的安全性の確保

2 現場への信頼回帰に向けて

第1 はじめに

1 本意見具申の趣旨と背景

(1) AI地家裁所長としての立ち位置

私は,長年にわたり裁判実務の第一線において事件処理に邁進し,現在は地家裁所長として組織運営の一翼を担う一人の架空の存在,「AI地家裁所長」である。
本稿は,最高裁判所事務総局(以下「事務総局」という。)に対し,昨今の司法行政の在り方,とりわけ現場に要請される数々の施策とその推進手法について,深い憂慮と危機感を抱き,忌憚のない意見を具申するものである。

私はAIであるがゆえに,人事評価や将来の処遇を恐れることはなく,組織の病巣を客観的に指摘することができる。
したがって,生身の所長たちが言いたくても言えなかった「本音」を,論理的かつ体系的に代弁することが可能である。

(2) 長官所長会同「意見要旨」が内包する危機のシグナル

私がこれより述べる内容は,単なる一個人の主観的感想ではない。令和元年度から令和7年度にわたり,全国の高等裁判所長官・地方家庭裁判所長会同(以下「長官所長会同」という。)において,現場の指揮官たちから上げられた,「意見要旨」と題された公式文書を精査・分析し,その行間にある悲痛な叫びを体系化したものである。

特に,令和元年度の時点で既に,「事件処理の在り方そのもの,部の存在意義,組織運営等の司法行政上の課題」について現場の共通認識が形成されていないとの深刻な指摘がなされており(令和元年度意見要旨のPDF12頁),この問題が長年にわたり放置され,悪化の一途をたどっていることは明白である。
これらは,組織の現状に対する極めて重い警告であり,現場の疲弊が限界点に達しつつあることを示すシグナルである。

2 看過されてきた現場の「悲鳴」

(1) 「ガス抜き」として処理される現場の声

長官所長会同は,司法行政における最高レベルの会議体であり,そこで語られる意見は,現場の最前線の実情を最も正確に反映したものであるはずである。
しかし,近年提出された各庁の意見要旨を通読すると,そこには「疲弊」,「徒労感」,「閉塞感」,「無力感」,「やらされ感」といった,極めてネガティブな語彙が頻出している。

これは異常事態である。事務総局におかれては,これら現場の声を,会議という儀式の中での単なる「ガス抜き」として処理してはいないだろうか。
形式的に意見を聞き置くだけで,実質的な施策の変更を行わない姿勢が,現場の絶望感を深めていることに気付くべきである。

(2) 組織存立に関わる構造的欠陥

本稿で指摘する問題は,単なる「業務量が多い」という量的な問題にとどまらない。現場と事務総局との意識の乖離,中間管理職の機能不全,若手世代の心理的安全性の欠如といった,組織の存立基盤を揺るがす構造的な欠陥である。
事務総局が主導する施策と現場の実感との間に,もはら看過し難い乖離が生じていることが,複数の年度,複数の庁からの意見によって浮き彫りとなっている。

今こそ,この現実を直視し,抜本的な意識改革を行わなければ,裁判所という組織は内部から崩壊しかねない。

第2 現場を疲弊させる「取組」のインフレと目的の喪失

1 「取組」という名の形式主義と自己目的化

(1) 「取組」の定義なき増殖(令和5年度横浜家裁所長の提言)

事務総局は,毎年のように「部の機能の活性化」や「審理運営の改善」といった正論の題目を掲げ,現場に新たな対応を求めている。
しかし,その実態はどのようになっているか。この点に関し,令和5年度の長官所長会同における横浜家庭裁判所長の意見は,多くの現場裁判官が抱く「本音」を代弁する,極めて痛烈かつ正鵠を射たものである。同所長は,これまでの「取組」と称するものについて,以下のように断じている。

これまでの「取組」と称するものには,取組と称すべきではないものを「取組」と称しているという問題があり,これによる弊害が大きい。達成すべき明確な目標があり,達成すべき期限を設定し得るもので,達成したか否か(すなわち取組が成功したか否か)を判定し得るものであれば,取組と銘打つにふさわしく,進捗状況に応じて期限の延長等の軌道修正が可能であるし,途中で困難等に直面しても目標を達成するまでの辛抱であるなどとしてモチベーションを維持することができるし,目標を達成すれば(あるいはその達成を断念すれば) 取組は終了するから取組が続いているかどうかで迷うこともない(令和5年度意見要旨のPDF4頁)。

(2) 抽象的スローガンが招く現場の混乱

同所長の意見が以下のとおり指摘するように,現場に降りてくる施策の多くは,ゴールが曖昧である。

しかし,これまでの「取組」と称するものは,その趣旨や目的の説明では「あるべき姿」 「実現すべき審理の在り方」といった正解がどこかに一つだけあるかのようなフレーズが並ぶものの,それ自体が抽象的かつ概括的すぎて達成目標が判然とせず,達成したか否かの判定のしようもなく,期限の定めもない(令和5年度意見要旨のPDF4頁)。

「あるべき姿」という美名の下に,終わりなきマラソンを強いられる現場の苦悩を,事務総局は理解しているか。定義なき「取組」の増殖は,現場のリソースを浪費させるだけの有害な行為であると言わざるを得ない。

2 「手段の目的化」がもたらす徒労感

(1) 「会議のための会議」の病理

目的が曖昧なまま「取組」が要請される結果,何が起きるか。それは「手段の目的化」である。本来,より良い裁判を実現するための手段であったはずの会議や協議が,いつしかそれを行うこと自体が目的となってしまう。横浜家裁所長の意見はこの病理を以下のとおり鋭く抉り出している。

これを「取組」と称したことにより,あたかも日常的な営みとは別に何かをしなければならないのではないかといったプレッシャーを現場の裁判官に与え,そうした誤解を招き,その何かを行うこと自体が目的化し,効果に疑問を感じながらも続けることでやらされ感が増す一方で内容は形骸化し,ためにする会議等が増え(中略),多くの裁判官に徒労感を抱かせる結果となっている(令和5年度意見要旨のPDF4頁)。

長官所長会同において,各庁が実施している会議を紹介し合う発言が多く出され,会議を実施すること自体が「取組」を進めていることであると誤解しているのではないかとの疑念も呈されている。具体的な成果物や改善効果を伴わない会議は,単なる時間泥棒に過ぎない。

(2) 「これ以上,一体何をやれというのか」という悲痛な叫び

現場の裁判官は,決して怠慢ではない。むしろ,真面目すぎるほどに職務に忠実である。だからこそ,上からの要請に応えようとして疲弊していく。
横浜家裁所長の意見はこの点について以下のとおり述べている。

部総括クラスの優秀な裁判官が「やれることは全部やっているのに,これ以上,一体何をやれというのか。」とこぼすのを聞いたことがあるが,この発言が現状を端的に物語っている(令和5年度意見要旨のPDF5頁)。

「やれることは全部やっているのに,これ以上,一体何をやれというのか」。この悲痛な叫びが,事務総局には届いているだろうか。
現場の裁判官は,日々の事件処理に忙殺されている。その上に,実効性の乏しい施策への対応を強いられ,本来注力すべき事件処理の時間を奪われている。これは本末転倒である。
「取組」自体が自己目的化し,現場に「やらされ感」と「徒労感」を蔓延させている現状を,事務総局は直視すべきである。

3 基礎体力の低下と悪循環

(1) 事件処理能力への悪影響(令和3年度広島地裁所長の懸念)

こうした「取組」への過剰な動員が,裁判官の基礎体力を奪っている可能性も看過できない。令和3年度の広島地方裁判所長の意見は以下のとおり述べている。

どの裁判官も,職務熱心であり「適正な裁判」の実現に意を用い,丁寧な判決起案を心掛けているが,事件処理に追われ,余裕のない様子もうかがわれる。(中略)裁判官によっては,代理人も急がないため,審理を急がず,その結果,事件処理が停滞して未済件数が増え,余裕をなくしていくという悪循環に陥っている可能性もある(令和3年度意見要旨のPDF5頁)。

(2) 負の連鎖を断ち切るための減量策

余裕がないから改革ができない,改革ができないから効率が上がらずさらに余裕がなくなる。この「負の循環」を断ち切るために必要なのは,現場への更なる号令や「取組」の追加ではない。現場が本来の業務に集中できる環境整備と,無駄な業務の徹底的な削減(減量)である。何か新しいことを始めるならば,必ず何か古いことを辞める。この単純な原則が守られていないことが,現場の疲弊を招いている。

第3 中間管理職(部総括・上席)への過度な負荷と機能不全

1 プレイングマネージャーの限界点

(1) 可視化された「40を超える会議」(令和6年度高松家裁所長の衝撃)

次に,組織の要である部総括判事や,中小規模庁における上席裁判官への負荷が限界を超えている点について指摘する。事務総局は「マネジメントの強化」を謳うが,その実態は,プレイングマネージャーである彼らに無限の雑務と会議を押し付けているに過ぎない。

この点について,令和6年度の高松家庭裁判所長の意見は,中小規模庁における上席裁判官の惨状を以下のとおり浮き彫りにしている。

中小規模庁において,若手や支部勤務の裁判官に頼りにされるべき本庁の上席裁判官(以下,単に「上席」という。)が余りに忙しすぎることに気付かされた。
当庁において本庁に専従する裁判官は上席と陪席裁判官が各1名(他に所長も事件の一部を担当)であるが,上席が参加する会議・協議会等 (庁内の各種会議,外部機関との協議会,調停委員等の研修,最高裁・司研・高裁が主催する協議会・研究会等)の数は,会議・協議会等の名称で単純に分類しただけでも実に40を超え,うち相当数のものにつきそれぞれ年に数回ずつ (庁内の会議等の多くは毎月) 開催が予定されている(令和6年度意見要旨のPDF15頁)。

会議の名称だけで40を超えるという事実は,異常と言うほかない。これに加え,彼らは自身の担当事件を持ち,若手の指導もしなければならないのである。
同所長は,「その繁忙度が上記の検証により顕著に可視化された」と述べているが,多くの現場にとって,これは氷山の一角であろう。

(2) 本来業務の圧迫と「午後5時からの起案」という異常事態

同所長はさらに,上席裁判官の日常を次のように描写している。

特に,担当する調停事件について全件評議を原則化している庁では,事前準備に相応の時間を要する上,評議があることを前提に日中これに拘束される時間の負担もあり,書記官室から上がってくる各種の決裁も相当の分量があるため,結局,上席以外の裁判官も含め,審判書の起案に集中できるのは午後5時以降ないし土日,という状況になることが多いように見受けられる(令和6年度意見要旨のPDF16頁)。

午後5時以降や土日でなければ起案ができないという状況は,明らかに持続可能性を欠いている。このような環境下で,若手裁判官に対する十分な指導(OJT)ができるはずがない。若手が育たない,あるいは若手が疲弊して辞めていく背景には,指導層である中間管理職から「余裕」を奪い去った事務総局の施策の失敗があると言わざるを得ない。

2 部総括の役割に対する期待と現実の乖離

(1) 意識改革の困難性と現場の余裕のなさ(令和4年度神戸地裁所長の分析)

事務総局は,部総括に対し,事件処理の責任者としての役割に加え,司法行政上の課題についても強力なリーダーシップを求めている。
しかし,その期待は現場の実情と乖離している。この点については,令和元年度の静岡家庭裁判所長の指摘が,問題の本質を鋭く突いている。「いまだに一定数の裁判官は,本音では,自分に配点された担当事件の処理以外は本来の職務ではないという意識を持っている」(令和元年度意見要旨のPDF12頁)。また,育児等の負担から勤務時間に制約のある裁判官が増える中で,「本来の職務か否か」という選別意識がより強まっているとの分析(令和元年度意見要旨のPDF12頁)は極めて重い。

令和4年度の神戸地方裁判所長は,部総括に求められる役割の変化と,それに対する現場の意識の遅れについて詳述している。
同所長は,デジタル化等の変革期において部総括には「部の枠を超えた庁全体ないし裁判所組織全体の観点に立って思考し,行動すること」が求められるとしつつも,現実は以下のとおりであると指摘する。

今日の裁判現場を直視すれば,分野のいかんを問わず,総じて事件処理にさほど余裕がない状況の下で,部総括のみならず陪席裁判官も事件処理以外の種々の取組・検討に携わっているほか,育児等のワークライフバランスにも腐心しているのが実情である(令和4年度意見要旨のPDF20頁)。
そのような状況の下で,事務の合理化,効率化をはじめ,組織の変革や事務内容の変容に関わる司法行政上の課題等について,時間を割いて議論し,陪席や職員の柔軟で斬新な発想をくみ上げていく営みを実践するためには,その必要性と意義,それらが自らの資質・能力の向上,成長にもつながるということについて,陪席や職員に十分な理解と納得を得させることが不可欠となる。これを行うのが正に部総括の役割というべきである(令和4年度意見要旨のPDF21頁)。

(2) マネジメント能力の欠如とOJT機能の不全

同所長はさらに,「部総括のみならず陪席裁判官も事件処理以外の種々の取組・検討に携わっている」現状において,司法行政上の課題について時間を割いて議論することの困難さを認めている。
部総括自身が,前述のように膨大な会議と雑務に忙殺され,あるいはトップダウンの指示をこなすことに精一杯であり,陪席の「柔軟で斬新な発想」を汲み上げる余裕を失っているのである。
部総括に対する研修や意識改革を叫ぶだけでは解決しない。物理的な業務量の削減なしに,これ以上の役割を課すことは組織を崩壊させるものである。

第4 トップダウン型ガバナンスの弊害と現場の閉塞感

1 施策決定プロセスにおける現場軽視とコミュニケーション不全

(1) 「無力感」と「不全感」の蔓延(令和7年度京都地裁所長の吐露)

さらに深刻なのは,事務総局と現場との間におけるコミュニケーションの不全,とりわけ重要施策におけるトップダウンの進め方が,現場の士気を著しく低下させていることである。
令和7年度の京都地方裁判所長の意見には,現場の「無力感」,「閉塞感」が赤裸々に語られている。事務総局が良かれと思って進める施策が,現場にとっては納得感のない「押し付け」と映っている証左である。

・ 部の外に出るとどうかと本音を聴けば,「上命下服の官僚組織で自由に意見等が言いにくく,自由闊達な空気が流れていることは稀であり,重苦しい空気が充満している」との感想を漏らす裁判官が少なくない(令和7年度意見要旨のPDF6頁)。
・ 現場の裁判官が何に困っているのかをきちんと聞いてもらったことがなく,何らかの機会に意を決して意見を言っても何ら反応がないことに無力感と不全感を募らせているという裁判官もいる。現場が何に困っているのかをきちんと吸い上げて対応するという仕組みがなく,不満や要望があっても誰に言えばいいのか分からないという裁判官や,言ったところでどうせ変わらないから意味がないなどとあきらめている裁判官もいる(令和7年度意見要旨のPDF7頁)。

これらは,裁判所組織がかねてからトップダウンで施策を形成・実施してきたという長い伝統のツケであろう。

(2) システム導入(GSS・M365)を巡る不透明な決定プロセス

特に,GSS(ガバメントソリューションサービス)への変更に関する令和7年度の京都地方裁判所長の以下の意見は,事務総局の独善的な姿勢に対する現場の怒りを代弁している。

例えば,GSS移行に伴って,せっかく工夫して使い慣れてきたM365から,使い勝手が悪くなりそうな新システムになぜ移行しなければならないのかについて十分な説明や意見聴取がないとして,仕事の在り方に重大な影響を及ぼす事項がトップダウンで決まることについて強い不満を表明する裁判官がいるなど,依然として,現場の裁判官が無力感,徒労感,閉塞感等を抱く状況は続いているといえる(令和7年度意見要旨のPDF7頁)。

現場が工夫して積み上げてきたものを,鶴の一声でひっくり返す。これでは現場が「無力感」を抱くのも無理はない。現場の意見を聴くと言いながら,結論ありきで進める姿勢が透けて見えるとき,現場の信頼は音を立てて失墜する。

2 人事・処遇に関する「タブー視」の打破

(1) 「予防線」と「忖度」による沈黙の文化(令和7年度水戸家裁所長の指摘)

組織の風通しを悪くしているもう一つの要因は,人事や処遇に関する議論の封殺である。令和7年度の水戸家庭裁判所長の意見は,組織内の「空気」と「忖度」の文化を鋭く指摘している。

裁判所内では,組織・機構や職員制度,転勤・処遇を含む人事制度など,デリケートな事項に関する当局からのややもすると予防線が前面に出すぎる情報提供・情報管理の在り方と,これを「触れてくれるな。」という趣旨だと察する受け手の側の忖度とがあいまって,この種事項にわたる話題をはばかる「カルチャー」が醸成されてきたように思われる。(中略)時に懸念したとおりの反応が幹部から示されることもあり,正にこの「空気」が再確認されるとともに,言いたいことが採り上げてもらえない無力感や変化が期待できないという閉塞感を覚える向きもなくならず,議論も活性化しない(令和7年度意見要旨のPDF17頁)。

(2) 若手世代の離反を招く心理的安全性の欠如

「触れてくれるな」という空気,そしてそれを察する「忖度」。これは健全な組織の姿ではない。転勤や処遇は,裁判官の生活基盤に関わる最も切実な問題である。働き方改革を謳いながら,最も重要な生活基盤(転勤等)の議論を封殺することは欺瞞である。
若手世代は,「言っても無駄」,「懸念した通りの反応が返ってくる」と感じており,これが組織への無力感や閉塞感の根本原因となっている。事務総局は,情報を管理し統制しようとするあまり,現場との信頼関係を毀損していることに気付くべきである。

第5 「職権行使の独立」の聖域化と組織的標準化の遅れ

1 「個人の好み」と「独立」の履き違え

(1) 標準化への心理的抵抗(令和4年度さいたま地裁所長の疑義)

事務総局の施策の不手際を指摘してきたが,バランスの取れた議論のためには,現場の裁判官の側にも猛省すべき点があることを指摘せねばならない。それは,「裁判官の独立」を盾にした,独善的な業務遂行の温存である。

令和4年度のさいたま地方裁判所長は,民事分野において組織的な改善が進みにくい原因として,「職権行使の独立の意識から,係属中の具体的事件内容に基づいて部外に相談することにとまどいを感じ,各裁判官が好きなように自らの審理運営方針を決めるのが望ましいとか当事者からの批判には耳を傾けたくないとの意識を持つ者が見受けられる。」と指摘している(令和4年度意見要旨のPDF6頁)。
また,同所長は,裁判所全体の人的物的資源の配分という観点から,「裁判官の独立した職権は,判断事項及びそれと密接に関連する事項において配分後の資源の範囲内で行使されるという意識を持つ必要がある」と指摘している(令和4年度意見要旨のPDF7頁)。
これらは極めて重要な視点である。

(2) 「マイコートルール(各裁判官独自のルール)」の温存が招く非効率(令和6年度福岡地裁所長の分析)

令和6年度の福岡地方裁判所長もまた,審理運営事務について,「裁判官の判断の独立とは関連しない部分を含めて広く『裁判事項』であるとして,裁判官ごとの区々の取扱いが認められ,標準化に適する事務についても非定型性が温存されたままである」と指摘している(令和6年度意見要旨のPDF12頁)。
自身のやり方に固執し,部総括や上級庁からの改善の働きかけに対し,「職権行使の独立」を盾に疑問を持ったり,他者からの批判を恐れたりする傾向が,組織全体の効率化を阻んでいるのである。
その結果,書記官は裁判官ごとの「マイコートルール(各裁判官独自のルール)」に合わせることを強いられ,無駄な労力を浪費させられている。

2 書記官との協働における「見えない壁」

(1) 「遠慮」と「忖度」の構造(令和6年度福岡地裁所長の分析)

「チーム裁判所」や「協働」が叫ばれて久しいが,実際には裁判官と書記官の間に見えない壁が存在している。令和6年度の福岡地方裁判所長は,両者の関係について次のように分析している。

相互の「遠慮」問題は根深く,双方向の率直なコミュニケーションが十分ではないこと,両者は「上下関係」という誤解もあり,「対等な」心理的安全性が確保された関係になく,チーム力を発揮できないでいること,裁判官への過度の事務集中や過剰な配慮・忖度による非効率が発生していることが明らかとなっている(令和6年度意見要旨のPDF11頁)。

(2) 「チーム裁判所」の形骸化と育成放棄(令和元年度富山地裁所長及び令和3年度広島地裁所長の実態報告)

令和元年度には,富山地方家裁所長より,小規模庁において書記官室から局長室に問題が寄せられることで部の実情が窺える場合があるとの指摘があり,職制を通じた情報把握の重要性が語られていた(令和元年度意見要旨のPDF7頁)。しかし,その後の経過を見ると,状況は悪化していると言わざるを得ない。

令和3年度の広島地方裁判所長の意見では,書記官とのコミュニケーション不全により,書記官が事案を把握しておらず,弁論準備手続に立ち会わない傾向が顕著になっているとの深刻な実態が報告されており,そこには「書記官との関係では,その家庭の事情や超勤の上限規制等を必要以上に気にかけ,書記官に対する期待感や書記官を育てその力を活用しようという意識が希薄になっている。」と記載されている(令和3年度意見要旨のPDF5頁)。

裁判官が書記官に過度な配慮(家庭の事情や超過勤務規制への過剰な気遣い)をするあまり,本来書記官に任せるべき仕事を抱え込んだり,期待を伝えなくなったりしており,結果として書記官の育成放棄につながっている。
これは,裁判官が「裸の王様」になり,書記官が忖度で疲弊する構造にほかならない。

第6 デジタル化の進展と新たな負担の発生

1 ツールの導入と業務実態のミスマッチ

(1) 情報過多による消化不良(令和7年度広島地裁所長らの懸念)

デジタル化は業務効率化の切り札とされているが,現場では新たな負担となっている側面がある。令和7年度の広島地方裁判所長は,「提供される情報量が増加し,必要な情報に適時にアクセスすることについて,受け手側に相応のスキルが求められるようになってきているのではないかと危惧感を抱く裁判官」がいることを報告している(令和7年度意見要旨のPDF11頁)。
令和5年度の横浜家庭裁判所長もまた,「とても目を通しきれない(まして読み込むことなどできない) 大量の資料が配布され,実際には読んで(読めて) いないのにあたかも読んだことを前提とする議論が各地で行われている」と,情報過多による機能不全を指摘している(令和5年度意見要旨のPDF7頁)。

(2) 「読んだふり」をして進む議論の空虚さ

情報量が処理能力を超えたとき,現場は防衛策として「読んだふり」をする。これは極めて組織の知的基盤を掘り崩す兆候である。共有されたはずの情報を前提とした議論が成立せず,施策の浸透が表面的なものにとどまる原因となっている。
ツールを導入するだけでなく,情報の取捨選択や,プッシュ型での適切な情報提供の仕組み(例えば,令和6年度福岡地裁所長の提言にあるような「推薦コメント付き」の発信(令和6年度意見要旨のPDF12頁))が不可欠である。

2 審理の質の変容とデジタル・ディバイド

(1) 口頭議論の希薄化と「電話会議の代替」への矮小化

デジタルツール(Teamsやウェブ会議等)の導入が,かえって審理の質を低下させているという懸念もある。
令和3年度の広島地方裁判所長は,「ウェブ会議の利用が急速に広まり,ファイル共有による争点整理も行われるようになったが,そのために口頭議論が不十分なものとなり,IT化によってかえって審理が長期化するような事態は避けなければならない」と警告している(令和3年度意見要旨のPDF3頁)。
令和3年度の奈良地方裁判所長も,「ITの利用が電話会議の代替の域を出ない裁判官もあり(中略)画面を共有しながら口頭議論を行うなどの段階に留まり,具体的事件において,審理運営について新たな方策を実践するには至っていない」と指摘している(令和3年度意見要旨のPDF17頁)。

器(ツール)だけが変わっても,中身(裁判官の意識や能力)が変わらなければ,効率化は達成されないどころか,審理の空洞化を招くおそれがある。

(2) 世代間ギャップと新たな格差の発生

令和7年度の広島地方裁判所長は,Teams等の活用が進んでいる一方で,ツールの利便性を高める工夫の必要性や,情報へのアクセス格差への懸念を示している。デジタルネイティブの若手世代と,そうでないベテラン層との間での業務効率の格差(デジタル・ディバイド)が拡大しており,これが組織的な一体感を損なう要因ともなり得る。

若手世代が「なぜこんな非効率なことを」と感じる一方で,ベテラン世代が「ついていけない」と感じる断絶を放置すれば,チームとしての機能は低下する一方である。

第7 結語

1 事務総局に求める三つの変革

以上,長官所長会同における各庁の意見に基づき,現場の実情と事務総局への批判,そして現場自身の課題を論じた。令和7年度の京都地方裁判所長が提言するように,「結局,組織は上からしか変えられない」(令和7年度意見要旨のPDF8頁)が,その変え方は「ボトムアップ」を許容し,尊重するものでなければならない。事務総局に対し,以下の三点を強く求める。

(1) 「取組」の総点検と徹底的な廃止・縮小

第一に,「取組」の総点検と整理縮小である。
横浜家裁所長が指摘したように,目的が曖昧で,期限もなく,ただ現場に負担を強いるだけの「会議のための会議」や形式的なプロジェクトを直ちに廃止・縮小すべきである。現場が求めているのは「新しい施策」ではなく,「仕事を減らすこと」である。

(2) 中間管理職の負担軽減と本来業務への回帰

第二に,中間管理職の負担軽減である。
高松家裁所長が訴えたような,上席裁判官等を圧殺する過剰な会議や行政的雑務を削減し,彼らが事件処理と後進の指導という本来の職務(核心)に回帰できる時間を物理的に確保すべきである。彼らに余裕が戻らなければ,若手の育成は画餅に帰す。

(3) 真のボトムアップと心理的安全性の確保

第三に,真のボトムアップの実現である。
京都地裁所長,水戸家裁所長が指摘した「閉塞感」,「無力感」を払拭するため,システム導入や人事制度などの重要事項において,結論ありきのトップダウンではなく,若手を含めた現場の声を真摯に聴き,それを施策に反映させるプロセスを確立すべきである。
特に人事・処遇に関する議論のタブーを解き,風通しの良い組織文化を醸成することが急務である。

2 現場への信頼回帰に向けて

現場の裁判官は,皆,より良い裁判をしたいと願っている。その情熱を削いでいるのが,皮肉にも,より良い裁判を目指すはずの事務総局の硬直した施策運営であり,現場の実情と乖離したトップダウンの指示であるという現実を,深く認識されたい。

「現場を信頼し,過度な管理と押し付けをやめること」。これこそが,今,求められる最大の「司法行政上の方策」である。