◯本ブログ記事は専らAIで作成したものです。
◯東京高裁令和7年6月6日判決及びその原審である東京地裁令和4年7月13日判決は,東電株主代表訴訟HPに載っています。
◯令和7年10月10日付の上告受理申立理由書は,東電株主代表訴訟HPの「原告提出書面」に載っています。
目次
第1 はじめに
1 本記事の目的と視座
2 事案の概要と司法判断の変遷
(1) 未曽有の原子力事故と株主代表訴訟
(2) 一審・地裁判決の衝撃
(3) 二審・高裁判決による逆転判断
第2 科学的知見の不確実性と工学的判断の乖離
1 「長期評価」の信頼性を巡る科学論争
(1) 地震本部による長期評価の位置付け
(2) 地裁判決における「科学的信頼性」の評価
(3) 高裁判決における「科学的仮説」としての評価
2 専門家間の見解不一致とAI技術士の視点
(1) 地震学的アプローチと工学的アプローチの決定的差異
(2) 土木学会における「重み付け」の意味
(3) 「信頼度C」情報の設計入力への適用可否
第3 巨大インフラにおける安全対策の工学的リアリティ
1 「ドライサイトコンセプト」の原則と誤解
(1) 原子力発電所の立地審査指針と敷地高さ
(2) 地裁判決が想定した「水密化」の技術的限界
(3) 高裁が認定した「防潮堤建設か運転停止か」の二択
2 対策工事の実務的プロセスと所要時間
(1) 防潮堤建設に関わる地質調査と設計の現実
(2) 許認可・合意形成プロセスの不可避性
(3) 「結果回避可能性」に対するAI技術士(建設部門)の見解
第4 システム防護の観点から見る事故のメカニズム
1 全交流電源喪失(SBO)と最終ヒートシンクの喪失
(1) 非常用海水ポンプの脆弱性と配置
(2) 建屋水密化と除熱機能維持の連関性
2 深層防護の欠落と過酷事故への進展
(1) 電源盤防護の限界と減災効果の可能性
(2) 高裁が指摘した4メートル盤のクリフエッジ
第5 総合技術監理の視点による意思決定プロセスの評価
1 不確実性下における経営判断とリスク管理
(1) 「武藤決定」の合理性とプロセス責任
(2) リスク情報の精査と「先送り」の境界線
2 トレードオフの最適化と社会的責任
(1) 電力供給義務と安全確保の相克
(2) 全基停止判断に求められる「合理的根拠」の閾値
第6 結論と今後の展望
1 総括
2 判決が示唆する「自律的安全性」の追求
第1 はじめに
1 本記事の目的と視座
(1) 対象判決と分析のアプローチ
本記事は,東京電力福島第一原子力発電所(以下「福島第一原発」という。)の事故(以下「本件事故」という。)を巡り,東京電力の旧経営陣に対して株主らが計22兆円(控訴審で約23兆4000億円に拡張)の損害賠償を求めた株主代表訴訟について,株主らの請求をすべて棄却した東京高裁令和7年6月6日判決(以下「高裁判決」という。),及びその原審である東京地裁令和4年7月13日判決(以下「地裁判決」という。)を対象とし,AI技術士(総合技術監理部門,応用理学部門,建設部門,原子力・放射線部門等)の視点から論評を加えるものである。
本記事では,特に巨大プロジェクトにおけるリスク管理や意思決定プロセスを扱う総合技術監理の視座から,本件訴訟における最大の争点である「予見可能性」と「結果回避義務」について,「科学的知見(可能性)」と「工学的知見(設計基準)」の境界線という観点を中心に考察を行う。
法律家による判決の解説は既に多く存在するが,本記事では,裁判所が認定した事実関係を前提としつつ,当時の科学的知見がどのように工学的設計へと変換されるべきだったのか,巨大インフラの現場において対策工事がいかなるプロセスを経て実施されるのか,といった「現場の実相」と「技術の論理」に焦点を当てて分析を行うこととする。
(2) 現在進行形の技術論争への配慮
なお,株主側からは,高裁判決に対し,令和7年10月10日付の上告受理申立理由書(以下「本件理由書」という。)において,「水密化措置による減災効果」及び「情報隠蔽のコンプライアンス問題」について,技術的・倫理的観点から強力な反論がなされている。
そこで,本記事では,高裁判決が採用した「当時の法的・技術的基準」に基づくロジックを解説の主軸としつつも,現在の視点から見た場合の「対立する技術論(減災の可能性)」についても適宜言及し,法的判断と技術的理想の狭間にある課題についても論評を試みる。
2 事案の概要と司法判断の変遷
(1) 未曽有の原子力事故と株主代表訴訟
平成23年3月11日,東北地方太平洋沖地震に伴う巨大津波が福島第一原発を襲い,全電源喪失により炉心溶融等の過酷事故が発生した。本件は,この事故により東京電力が被った巨額の損害について,当時の取締役らが,津波対策を怠った善管注意義務違反があるとして,会社法に基づき責任を追及された事案である。
争点の中心は,平成14年に政府の地震調査研究推進本部(以下「地震本部」という。)が公表した長期評価(以下「長期評価」という。)に基づき,巨大津波の襲来を予見できたか,そして防潮堤建設等の対策をとれば事故を防げたか否かであった。
(2) 一審・地裁判決の衝撃
東京地裁は,旧経営陣4名に対し,総額13兆3210億円という国内司法史上類を見ない巨額の賠償を命じた。
地裁判決のロジックは,長期評価には「相応の科学的信頼性」があり,これに基づき試算された15.7メートルの津波高を予見できたと認定した上で,防潮堤の建設が間に合わなくとも,建屋の開口部を塞ぐ「水密化」等の対策であれば速やかに実施可能であり,それによって事故は回避できたとするものであった。
これは,事故が発生したという「結果の重大性」から遡って対策の可能性を論じる,いわゆる「後知恵バイアス(Hindsight Bias)」の影響を強く受けた判断として,産業界に大きな衝撃を与えた。
(3) 二審・高裁判決による逆転判断
これに対し,東京高裁は地裁判決を取り消し,株主らの請求を棄却した。
高裁判決は,当時の地震学界における知見の不確実性や,巨大インフラにおける意思決定の実務的プロセスを詳細に検討した結果,長期評価は直ちに原発の運転停止や大規模工事を義務付けるほどの「具体的予見可能性」を与えるものではなかったと判断した。また,地裁が認めた「水密化」による結果回避可能性についても,当時の安全思想や技術的整合性の観点から否定的な判断を示した。
この逆転判決は,科学的知見の限界と工学的判断の合理性を重視したものであり,AI技術士の視点からは極めて示唆に富む内容となっている。
第2 科学的知見の不確実性と工学的判断の乖離
【技術論のポイント】
地震学は「可能性」を探求しますが、工学(Engineering)は「設計基準」を決定する必要があります。
「信頼度が低い情報(Cランク)」を即座に設計に取り込むべきか否かが、本件の核心的な争点となりました。
1 「長期評価」の信頼性を巡る科学論争
(1) 地震本部による長期評価の位置付け
ア 争点の核心:長期評価の数値とその意味
本件における最大の争点は,地震本部が平成14年7月31日に公表した「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価」をどう評価するかにある。
この長期評価は,日本海溝沿いのどこでもM8クラスの津波地震が発生する可能性があるとし,福島県沖を含む領域での発生確率を30年以内に20%程度とした。
イ 科学的「警告」と工学的「設計基準」の決定的な差異
AI技術士(応用理学部門)の視点から見れば,地震本部は阪神・淡路大震災の教訓から設立された機関であり,その見解は「防災上の警告」として最大限尊重されるべきものである。
しかし,それは直ちに「構造物の設計条件」として確定する性質のものではない。
地震学が「可能性の指摘」として仮説を提示する役割を担うのに対し,工学は社会基盤を構築するために数値を固定し,「設計基準(Design Basis)」として設計に落とし込まなければならないという,明確なプロセスの違いが存在するからである。
否定できないレベルの仮説を全て安全側に取り込めば,設計条件は無限に発散し,エンジニアリング自体が成立しなくなる。
ウ 「信頼度C」が示す情報の限界
実際,地震本部自身も当該長期評価の前文において,「データとして用いる過去地震に関する資料が十分にないこと等による限界があることから,評価結果である地震発生確率や予想される次の地震の規模の数値には誤差を含んでおり,防災対策の検討など評価結果の利用にあたってはこの点に十分留意する必要がある」と明記している(「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」1頁)。
さらに,地震本部が平成15年に公表した「プレートの沈み込みに伴う大地震に関する長期評価の信頼度について」において,当該長期評価の信頼度は「C(やや低い)」と評価されている。
ここでいう「信頼度C」とは,単に信頼性が低いというだけでなく,「データ不足により不確定要素が強い」ことを意味しており(高裁判決52頁),科学的な確度が限定的であることを地震本部自身が認めていたことの証左である。高裁がこれを「防災のための警告としての側面を含んだもの」と評価したことは,当該長期評価の記載内容と完全に整合している。
エ 司法判断として確定した情報の性質
しかも,この長期評価の情報の性質については,最高裁令和7年3月5日決定(刑事訴訟)においても,「10m盤を超える津波が襲来するという現実的な可能性を認識させるような性質を備えた情報であったとまでは認められない」と明示されており,司法判断として既に確定した事実認識であったといえる。
(2) 地裁判決における「科学的信頼性」の評価
地裁判決は,地震本部が国の専門機関であり,多数の専門家による議論を経てとりまとめられたものであることを重視し,長期評価の見解には「相応の科学的信頼性」があると認定した。そして,この見解に基づき試算された15.7メートルという数値は,取締役にとって無視できない情報であり,直ちに対策に着手すべき義務を発生させると判断した。
これは,科学的知見を行政的な権威付けとセットで捉え,その内容の不確実性を捨象した判断と言わざるを得ない側面があった。
(3) 高裁判決における「科学的仮説」としての評価
一方,高裁判決は,当時の地震学界の状況をより精緻に分析した。具体的には,日本海溝の北部(三陸沖)と南部(福島沖)では,プレート境界の地質構造や付加体の有無といった地球科学的特徴が異なり,南部で明治三陸地震級の津波地震が発生するという知見には,有力な異論(松澤・内田論文等)が存在した事実に着目した。
高裁判決は,長期評価の信頼度が地震本部自身によって「C(やや低い)」と評価されていた事実や,土木学会における専門家アンケートで意見が割れていた事実を指摘し,長期評価はあくまで「仮説」の域を出ないものであったと認定した。
この判断は,科学における「コンセンサス」の形成過程を正しく捉えたものであり,応用理学の専門家として首肯できるものである。
不確実な仮説に基づいて,国家レベルのインフラを即座に停止させる判断を義務付けることは,技術的合理性を欠くし,信頼度が低い仮説段階の数値を即座に設計入力とすることは,リソースの分散を招き,かえってトータルリスク管理を阻害する恐れすらあるといえる。
もっとも,本件理由書において株主側が主張するように,数百年に一度といった低頻度の自然現象に対して「切迫性」を対策の要件とすることには,科学的な矛盾が含まれている。
応用理学の視点から見れば,再現期間の長い事象に「切迫性」がないのは統計的に当然であり,それを理由に対策を先送りすることは,「万が一にも事故を起こさない」という原子力安全の目的と矛盾しかねない。
AI技術士(応用理学部門)の視点から補足すれば,環境基本法や原子力安全の基本原則である「事前警戒・予防」の観点からは,「信頼度が低い(不確実である)」ことは対策を講じなくてよい理由にはならず,巨大リスク施設においてはむしろ不確実であるからこそ「安全側に振った判断」を促すシグナルであるという解釈もまた,技術倫理上は成立し得るものである。
2 専門家間の見解不一致とAI技術士の視点
(1) 地震学的アプローチと工学的アプローチの決定的差異
ここで重要となるのは,地震学者と工学者(土木・原子力技術者)の思考様式の違いである。
地震学者: 現象のあらゆる可能性を探求し,過去に例のない事象についても「否定できない限り可能性あり」と考える。
工学者: 限られたリソースの中で社会基盤を構築するため,数値を決定し,設計に落とし込まなければならない。そのためには,「否定できない」レベルではなく,「設計に採用すべき合理的根拠」が必要となる。
高裁判決が,地震学的な「可能性」と,取締役が法的義務として対策を講ずべき「予見可能性」を峻別したことは,この地震学と工学のギャップを法的に解釈したものと評価できる。AI技術士としても,研究段階の知見を即座に設計基準(Design Basis)に採用することの危険性は認識すべきところであり,実証されていない仮説に基づく過剰設計は,かえってシステム全体のバランスを崩す恐れすらある。
特に本件では,日本海溝の北部と南部で地質構造(付加体の有無等)が異なるといった専門家間の異論が存在した状況下において,信頼度が確立していない情報を根拠に数千億円規模の対策工事や運転停止を判断することは,当時の技術基準や社会通念上,極めて困難であったといえる。
(2) 土木学会における「重み付け」の意味
高裁判決では,土木学会津波評価部会における「重み付けアンケート」の結果が詳細に検討された。このアンケートは,津波想定の不確実性を定量化するためのロジックツリー解析に用いられたものであり,専門家の間でも「福島沖で津波地震が起きる」とする見解と「起きない(三陸沖とは異なる)」とする見解が拮抗していたことを示している。
地裁判決は,このアンケート結果を,長期評価の見解を支持する専門家も一定数いた証左として用いたが,高裁判決は逆に,専門家の間でも見解が定まっていなかったことの証左として評価した。
AI技術士(総合技術監理)の視点からは,専門家の意見が割れている状況下において,特定の悲観的なシナリオのみを採用しなかったことをもって,経営判断の誤り(善管注意義務違反)と断ずることは,結果論に過ぎると考えられる。
(3) 「信頼度C」情報の設計入力への適用可否
地震本部が付した「信頼度C」という評価は,データの質・量ともに不足しており,評価結果の確からしさが低いことを示している。技術的観点からは,信頼度が低い情報は,感度解析やパラメータスタディの対象とはなり得る。
しかし,そのような机上のシミュレーションを行うことと,その結果に基づいて直ちに数千億円規模の投資や,社会生活に甚大な影響を与えるプラント停止という「極端な実効措置」を決断することの間には,越えるべき高いハードルが存在する。当時の技術的知見においては,信頼度Cの情報は,そのような重い経営判断の根拠とするには脆弱であったといえる。
ただし,応用理学や技術者倫理の視点から補足すれば,環境基本法や原子力安全の基本原則である「事前警戒・予防」の観点からは,「信頼度が低い(不確実性が高い)」ことはリスクを無視してよい理由にはならず,巨大リスク施設においてはむしろ「安全側に振った判断」を促すシグナルであるという解釈もまた,技術的には成立し得るものである。
実際,本件理由書においても,環境基本法4条の「科学的知見の充実の下に」との文言に関し,「深刻な,あるいは,不可逆的な環境の保全上の支障が生じるおそれがある場合には,科学的確実性が不完全であることが,環境の保全上の支障の防止のための措置を延期するための理由とされるべきでない」との解釈が示されており,不確実性下において技術者が取るべき安全側のマージン(ゆとり)をどう設定すべきだったかという点は,本件の核心的論点の一つである。
貞観津波に関する知見(佐竹論文等)についても,当時は波源モデルが研究途上であり,直ちに15.7メートルの津波を確度高く予見させるものではなかったという高裁の認定は,科学史的な事実関係と整合しているものの,不確実性を理由に対策を完全に保留し,最低限の断層モデル(モデル10)に基づく対策すら講じなかった判断の是非については,なお重い議論の余地が残る。
第3 巨大インフラにおける安全対策の工学的リアリティ
【技術論のポイント】
原発設計の基本は「ドライサイトコンセプト(敷地を濡らさない)」です。
地裁が提案した「水密化(濡れても建屋を塞げば良い)」は、当時の安全思想からは外れており、工学的にも多くの困難がありました。
1 「ドライサイトコンセプト」の原則と誤解
(1) 原子力発電所の立地審査指針と敷地高さ
一審と二審で大きく判断が分かれた点の一つに,津波対策の具体的な方法論がある。日本の原子力発電所の設計において,長らく基本原則とされてきたのが「ドライサイトコンセプト」である。これは,重要施設が設置された敷地の高さは,想定される津波の高さよりも高く設定し,敷地内への浸水自体を許容しないという設計思想である。
AI技術士(建設部門)の視点から見れば,このコンセプトは,施設の健全性を維持するための最も確実かつ基本的なアプローチである。敷地が浸水(ウェットサイト化)すれば,建屋だけでなく,屋外のトレンチ,タンク,車両,アクセス道路などが全て機能不全に陥るリスクがあり,プラントの安全性担保が極めて困難になるからである。
十分な検証もなく基本設計思想を根本から覆す対策を採用することは,作業員の避難困難や予期せぬ浸水経路の発生など,新たなリスクを生む可能性があり,安全設計の原則に反する。
(2) 地裁判決が想定した「水密化」の技術的限界
地裁判決は,防潮堤の建設には長期間を要することを認めつつも,建屋の扉や開口部を水密扉等に交換する「水密化」対策であれば,比較的短期間かつ低コストで実施可能であり,それによって事故は回避できたと認定した。
しかし,この判断は巨大プラントにおける当時の安全設計思想(ドライサイトコンセプト)との整合性を欠いていたと言わざるを得ない。
稼働中のプラントにおいて,多数の配管やケーブルが貫通する建屋の止水性を完全なものにすることは,極めて難易度の高い工事である。何より,10メートル盤を5メートル以上も上回る15.7メートルの津波に対し,敷地への浸水を許容しつつ,建屋単体の水密化だけで凌ぐという対策は,当時の一般的な技術基準や安全審査設計において,すべての事業者に一律に求められる標準的な設計とまではいえなかったからである。
水圧は水深に比例して増大するため,5メートルを超える浸水深に耐えうる水密扉には潜水艦のハッチのような堅牢な構造が必要となる。既存建屋の開口部に後付けで施工することは,配管やケーブルの干渉を考慮すれば極めて困難であり,少なくとも当時の東電に対し,そこまでの特異な対策を法的義務として課すことには無理があったといえる。
(3) 高裁が認定した「防潮堤建設か運転停止か」の二択
ア ドライサイトコンセプトと「後知恵」の排除
これに対し,高裁判決は,当時の安全思想であるドライサイトコンセプトに照らせば,15.7メートルの津波予見時にとるべき本来の対策は「巨大防潮堤の建設」による敷地遡上の防止であり,完成までは危険回避のため「運転停止」しか選択肢はないと認定した。 すなわち,防潮堤建設を行わずに水密化だけで回避可能とする一審の判断は,当時の主流な安全思想から外れた「後知恵」であり,高裁の判断は当時の技術水準に照らして実務的かつ論理的である。
イ 他社事例の評価と法的義務の限界
もっとも,株主側が本件理由書で指摘しているように,当時,日本原電(東海第二原発)や中部電力(浜岡原発)においては,ドライサイトコンセプトを基本としつつも,万一の敷地内への浸水を想定した水密化対策や防潮壁設置が進められていた事例も存在する。
特に日本原電は,東電土木グループの示唆を受け,地震本部の長期評価に対応するために東海第二原発で防潮壁の設置や水密化工事を実施し,東日本大震災時にも辛うじて過酷事故を回避している。
この事実は,現場レベルでの多重防護の萌芽を示しているが,高裁判決は,東電が直ちに同様の「自主的な上乗せ措置(自主保安)」を取らなかったとしても,当時の支配的な安全思想や規制基準に照らせば,法的責任を問うほどの著しい不合理性はなかったと判断した。
AI技術士としては,他社事例の存在は「技術的な可能性」を示すものではあるが,それが直ちに当時の全事業者に一律に課せられた「法的な義務(ミニマム・スタンダード)」とまで言えるかについては,高裁の判断通り慎重にならざるを得ないと考える。
ウ 最高裁令和4年判決との整合性
なお,高裁判決が「長期評価に基づく対策を講じても事故は回避できなかった」とした工学的判断自体は,国の規制権限不行使に関する最高裁令和4年6月17日判決とも完全に整合するものである。
同最高裁判決もまた,想定される防潮堤を設置したとしても,「本件津波の到来に伴って大量の海水が本件敷地に浸入することは防ぐことができるものにはならなかった可能性が高い」と判示し,結果回避可能性(因果関係)を明確に否定しているからである。
エ 「暫定措置」としての水密化の意義
もっとも,株主側は本件理由書において,防潮堤完成までの「緊急避難的な水密化」であれば発想可能であり,実施すべきであったと主張している。 これは,防潮堤完成までの「暫定的なリスク低減措置」としての水密化の意義を問うものであり,前述した他社事例と併せて考えれば,工学的には一考に値する重要な視点であるといえる。
総合技術監理の視点からは,完璧な対策(巨大防潮堤)ができるまで何もしない(All or Nothing)ではなく,不完全でもリスクを低減する措置を取らなかったことの是非について,より掘り下げた考察が求められる。
2 対策工事の実務的プロセスと所要時間
(1) 防潮堤建設に関わる地質調査と設計の現実
巨大な防潮堤を建設するためには,単にコンクリートを打設すればよいわけではない。
まず,海底や地盤の地質調査を行い,支持層の深さや強度を確認する必要がある。福島第一原発の沖合は地盤条件が複雑である可能性があり,詳細なボーリング調査だけでも数ヶ月から年単位の時間を要する。
その上で,耐震設計,波力に対する安定計算,洗掘対策などの詳細設計を行う必要がある。特に原子力発電所においては,基準地震動Ssに対する耐震性が求められるため,一般の土木構造物よりもはるかに厳しい設計条件をクリアしなければならない。AI技術士(建設部門)の経験則から言えば,構想から着工までだけでも数年を要するプロジェクトである。
(2) 許認可・合意形成プロセスの不可避性
さらに,工事を実施するためには,規制当局(当時は原子力安全・保安院)への設置変更許可申請,工事計画認可申請といった許認可手続が不可欠である。また,海域での工事を伴う場合,漁業権者や地元自治体との調整,環境影響評価(アセスメント)なども必要となる。
地裁判決は,こうした行政手続や社会的合意形成にかかる時間を過小評価していたきらいがあるが,高裁判決は,これらのプロセスが不可避であることを前提に,対策の完了までには相当の長期間を要すると正当に評価した。法令遵守(コンプライアンス)を重視する総合技術監理の視点からも,必要な手続きを省略して工事を強行することは許されず,高裁判決の事実認定は現場の実態に即している。
(3) 「結果回避可能性」に対するAI技術士(建設部門)の見解
以上のことから,仮に長期評価公表直後の平成14年や,明治三陸試算結果が出た平成20年の時点で対策に着手していたとしても,本件事故が発生した平成23年3月までに,15.7メートルの津波に耐えうる防潮堤が完成していた可能性は極めて低いと考えられる。
この点については,本件事故を巡り国の規制権限不行使の違法性が争われた最高裁令和4年6月17日判決も同様の判断を示している。
同判決は,仮に当時想定し得る防潮堤を建設していたとしても,「本件試算津波と同じ規模の津波による本件敷地の浸水を防ぐことができるものとして設計される防潮堤等は,本件敷地の南東側からの海水の浸入を防ぐことに主眼を置いたものとなる可能性が高く(中略)本件津波の到来に伴って大量の海水が本件敷地に浸入することを防ぐことができるものにはならなかった可能性が高い」と判示し,単純な防潮堤建設では回り込み波等により事故は回避できなかった可能性が高いと認定した(同判決9-10頁)。
高裁判決は,当時の技術水準や防潮堤の限界に関して国の責任を否定した最高裁令和4年6月17日判決のロジックとも整合しており,司法判断としての一貫性が保たれているといえる。
今回の高裁判決が,地裁が認めた「建屋の水密化」では事故を防げなかったと判断したことは,最高裁が示した「想定に基づき防潮堤を作っても防げなかった」という法的判断の枠組みと技術的・論理的に整合するものである。
したがって,事故を回避する唯一の方法は「原発の運転停止」であったことになるが,後述するように,不確実な長期評価のみを根拠として全基停止を決断することは,当時の状況下では困難であった。つまり,工学的な時間軸と意思決定のプロセスを考慮すれば,高裁が結果回避可能性(あるいは結果回避義務違反)を否定したことは,論理的な帰結である。
第4 システム防護の観点から見る事故のメカニズム
【技術論のポイント】
水密化で建屋の電源盤を守っても、海沿いの低い位置(4m盤)にある海水ポンプ(除熱源)が津波で全滅します。
高裁はこの「クリフエッジ(急激な機能喪失)」を指摘し、水密化だけでは炉心損傷を防げなかったと判断しました。
1 全交流電源喪失(SBO)と最終ヒートシンクの喪失
(1) 非常用海水ポンプの脆弱性と配置
本件事故の物理的な本質は,津波によって「最終ヒートシンク(除熱源)」を喪失したことにある。原子力発電所は,停止後も崩壊熱を出し続けるため,これを冷却し続けなければならない。そのための冷却水(海水)を汲み上げる非常用海水ポンプは,海面に近い4メートル盤(敷地高さO.P.+4m)に設置されていた。
高裁判決は,この海水ポンプの配置に着目し,極めて重要な指摘を行っている。すなわち,仮に地裁の言う通り建屋(10メートル盤)の水密化を行い,建屋内の非常用ディーゼル発電機や電源盤を守れたとしても,より低い4メートル盤にある「非常用海水ポンプ(最終ヒートシンク)」は防護できず,津波によって全滅していた可能性が高いという点である(高裁判決38頁及び41頁)。これは,海水系(除熱源)の喪失が事故の収束を極めて困難にするという,工学的に重い事実認定である。
確かに,電源が生きていれば高圧注水等による一時的な冷却維持は可能であったかもしれない。
しかし,最終ヒートシンクである海水系が喪失すれば,長期的には炉心を冷却できずメルトダウンに至る(熱的な破綻)リスクが高いことは物理的な事実である。
すなわち,高裁判決は,以下の「二段構え」のロジックで株主側の主張を退けている点に特徴がある。
当時の技術基準に照らせば水密化措置まで講ずる法的義務はなかったこと(規範的判断)。
仮に水密化を行っていたとしても,海水ポンプ喪失により最終的には「炉心損傷」を防げなかったこと(事実的判断)。
高裁判決は,株主側が主張する「注水継続による時間稼ぎ」の可能性を認めつつも,最終的な除熱機能(海水系)が失われている以上,法的な因果関係における「事故(炉心損傷)の回避」ができたとまでは認定できないと判断した。
これは,結果回避可能性のハードルを,「水素爆発などの最悪事態の防止(減災)」ではなく,「炉心損傷そのものの完全な防止」という厳格な基準に置いたことによる帰結であるといえる。
(2) 建屋水密化と除熱機能維持の連関性
ア 最終ヒートシンク喪失による熱的破綻のメカニズム
AI技術士(機械部門・原子力部門)の視点から解説すれば,建屋内にある非常用ディーゼル発電機(D/G)や配電盤を守り,電源を確保できたとしても,その電気で動かすべき海水ポンプが機能喪失していれば,原子炉の熱を海へ捨てることができない。冷却水は循環せず,最終ヒートシンク(除熱源)を失ったシステムは熱的な破綻を迎え,サプレッションプールの水温上昇を経て,やがて格納容器の過圧破損や炉心損傷に至るリスクは排除できない。
イ 電気・制御系統の同時被災リスク
また,電気電子部門の視点で見れば,地下や1階に設置された配電盤(メタルクラッドスイッチギア:M/C,パワーセンタ:P/C)や,制御の要である直流電源(DC)が被水すれば,電気を送る「血管」と制御する「頭脳」が同時に断たれることになり,計測制御系を含めた全ての機能が喪失し,たとえ発電機が生きていても制御不能に陥るという脆弱性があった。
ウ 減災可能性の主張と司法判断の論理
もちろん,電源が生きていれば,代替注水等のアクシデントマネジメント(AM)策によって事故進展を遅らせ,住民避難のための貴重な時間を稼げた可能性は技術的に否定できない(この点は現在も上告審で強く主張されている)。
しかし,法的な因果関係の判断として,高裁判決はあくまで「炉心損傷そのものを回避できたか」という点に重きを置き,海水ポンプ喪失という事態がプラントを極めて危険な状態に追い込む決定的な要因であることを重視した。高裁判決が,建屋の水密化だけでは事故を「完全に」回避できたとは限らないと判断したことは,当時の安全思想(ドライサイトコンセプト)を前提とすれば,司法判断として一定の合理性は認められる。
もっとも,これは「法的責任」の限界を示したに過ぎず,「法的な回避義務」と「技術的な減災可能性」の乖離をどう埋めるかという点において,なお重い課題が残されている。
エ 最高裁判決との整合性
この点,国の責任に関する最高裁令和4年6月17日判決は,「大量の海水が主要建屋の中に浸入し(中略)本件非常用電源設備が浸水によりその機能を失うなどして本件各原子炉施設が電源喪失の事態に陥り,本件事故と同様の事故が発生するに至っていた可能性が相当にある」と指摘している。部分的な水密化ではシステム崩壊を防げない可能性が高いという技術的見解は,既に最高裁レベルで示された事実認識といえる。
2 深層防護の欠落と過酷事故への進展
(1) 電源盤防護の限界と減災効果の可能性
ア 電源盤防護の有効性と技術的視点
福島第一原発の事故において,電源盤(M/C,P/C)及び直流電源の被水・機能喪失が対応を困難にした最大の要因であったことは論を俟たない。
地裁判決は電源盤さえ守れば回避可能であったと考えたようであるが,前述の通り,高裁判決は海水系ポンプの喪失との複合事象を考慮すれば,その有効性は限定的であると認定した。
しかし,AI技術士(原子力・放射線部門)の視点からは,別の可能性も看過できない。
イ 直流電源維持による「時間的猶予」と減災シナリオ
本件理由書の主張によれば,もし建屋の水密化によって電源(特に直流電源)が生きていれば,隔離時冷却系(RCIC)や高圧注水系(HPCI)の制御・稼働が可能となり,サプレッションプールのヒートシンク能力が限界に達するまでの数時間から十数時間,炉心損傷を遅らせることが可能であった。
仮に海水系が全滅し最終的な除熱が困難であったとしても,この時間的猶予があれば,「管理されたベント」や「注水継続」が可能であり,あのような破局的な水素爆発や大量放出といった最悪の事態は防げた(あるいは軽減できた)可能性は技術的に否定できない。
ウ 深層防護の階層性と法解釈の乖離
深層防護の考え方に基づけば,津波対策は第1層(異常の発生防止)としての防潮堤が基本であるが,それが突破された場合に備え,第2層,第3層としての建屋水密化や高所配置で「事故の進展を遅らせる(減災)」こともまた,システム防護の重要な機能である。
AI技術士の視点としては,高裁判決が採用した「炉心損傷を完全に回避できなければ責任は問えない」という法解釈と,工学的な「被害を最小限に抑える(減災)」というアプローチの間には,埋めがたい溝が残ったままであるといえる。
エ 技術的・人道的な残された課題
もっとも,本件訴訟はあくまで「炉心損傷による全損害」の賠償を求めるものであり,裁判所としては「炉心損傷そのもの」を回避できたかが判断の分水嶺とならざるを得ない。その意味で,法的には「ゼロ回答(請求棄却)」が妥当だとしても,技術的かつ人道的には,「減災の可能性」を追求しきれなかった点について,重い課題が残されている。
(2) 高裁が指摘した4メートル盤のクリフエッジ
ア 閾値を超えた急激な機能喪失
高裁判決が海水ポンプの設置高さ(4メートル盤)に言及したことは,いわゆる「クリフエッジ(崖っぷち)」効果への理解を示している。
これは,ある閾値(この場合は津波高さ4メートル超)を超えた瞬間に,システムの機能が急激に失われる現象である。
イ システム全体の弱点解析としての妥当性
10メートル盤への浸水を防ぐ議論だけでなく,より低い位置にある重要機器の脆弱性を見抜いた高裁判決の判断は,システム全体の弱点解析として的確であった。
4メートル盤の機能喪失というクリフエッジを無視して,10メートル盤の対策のみを論じることは工学的に不整合であり,「部分的な対策(水密化)では,システム全体の崩壊(全交流電源喪失+海水系喪失)というクリフエッジ(急激な機能喪失)を回避できなかった」という高裁の技術的認定は,極めて説得力が高い。
第5 総合技術監理の視点による意思決定プロセスの評価
【技術論のポイント】
不確実な情報に対し、専門機関(土木学会)に検討を委託したプロセスは「合理的」と判断されました。
しかし、15.7mというリスク情報を規制当局にも隠蔽したこと(コミュニケーションの欠如)は、技術者倫理として重い汚点を残しました。
1 不確実性下における経営判断とリスク管理
(1) 「武藤決定」の合理性とプロセス責任
ア 不確実性と意思決定の正当性
本件訴訟では,平成20年7月に当時の原子力・立地本部副本部長であった武藤氏が,即時の津波対策着手ではなく,土木学会への検討委託を決定したこと(いわゆる「武藤決定」)の是非が問われた。一審はこれを「対策の先送り」であり,任務懈怠であると断罪した。
しかし,総合技術監理の視点から見れば,不確実な情報(長期評価)に基づいて巨額の投資やプラント停止を判断することには大きなリスクが伴う。
当時の技術水準において「防潮堤等の設置により敷地の浸水を防ぐこと」が基本とされていたことを踏まえれば,より確実な科学的根拠を得るために専門機関(土木学会)へ検討を委託し,その結果に基づいて手戻りのない対策を行うというプロセス自体は,当時の法的予見可能性の限界を前提とすれば,組織的な意思決定として著しく不合理とは言えない。
高裁もこの点を認め,15.7メートルという数値はあくまで特定のパラメータ設定による「試算」に過ぎず,これを設計入力として確定させるためには,専門家集団による査読と合意形成(コンセンサス)が不可欠であるとして,検討委託を「合理的な対策を行うためのプロセス」の許容範囲内と判断した。
イ 結果責任とプロセス責任の峻別
これは「結果責任」と「プロセス責任」の峻別である。結果として事故は起きたが,当時の状況下で踏むべき合理的かつ標準的な手順を踏んでいたかどうかが法的な責任の分水嶺となる。
高裁判決は,不確実な情報に基づいて確実な損失(原発停止による電力供給支障等)を生じさせる決定の困難さを理解し,結果責任ではなく,安全性と経済性・供給安定性というトレードオフを最適化しようとしたプロセスとして,法的な善管注意義務の範囲内においては合理的なものであったと評価したのである。
(2) リスク情報の精査と「先送り」の境界線
ア アクションとコミュニケーションの分離
リスク管理において,情報の精査と対策の実行は常にトレードオフの関係にある。時間をかけて情報を精査すれば対策の精度は上がるが,その間にリスクが顕在化する可能性がある。逆に,拙速に対策を行えば,無駄な投資や新たなリスクを生む可能性がある。
もっとも,総合技術監理の視点からは,もう一つの重要な教訓が浮かび上がる。それは,情報の確実性が低いために「対策工事を見送る判断(アクション)」と,その情報を「社会や規制当局に共有しない判断(コミュニケーション)」は,全く別の問題として評価されるべきということだ。
「先送り」と批判されるか,「慎重な検討」と評価されるかは,紙一重である。企業が対策工事等のアクションを起こすにあたり,情報の正確性を確認することは必須の責務であり,高裁判決もその点での「工事判断に関わる検討期間」には一定の合理性を認めた。
しかし,仮に工事判断としての土木学会への委託が合理的であったとしても,15.7メートルという試算値が出た時点で,その不確実性も含めて国や自治体に報告し,情報を共有していれば,社会の受け止め方は大きく異なっていた可能性がある。
イ 情報の成熟度と組織防衛の弊害
15.7メートルという数値は,単なる思い付きではなく,地震本部の長期評価に基づき,専門業者(東電設計)が具体的なパラメータを設定して算出したエンジニアリングデータである。不確実な情報を「確定するまで出さない(情報の成熟度管理)」という判断は,組織防衛としては機能しても,有事の際の信頼を損なう諸刃の剣であった。
特に本件において重大なのは,この15.7メートルという試算結果を,規制当局である原子力安全・保安院にすら報告せず,事故発生の4日前まで隠し通したという点である。本件理由書が詳細に指摘するように,東京電力の土木調査グループは対策の必要性を認識していたにもかかわらず,経営判断として情報の非開示が徹底された形跡がある。
安全規制は,事業者からの誠実な情報提供を前提に成り立っており,情報の非対称性を悪用してリスク情報を秘匿することは,規制当局の判断機会を奪い,安全確保のシステムそのものを無力化する行為に他ならない。
ウ 法的因果関係と倫理的責任
もっとも,高裁判決は,「情報を報告しなかったこと」と「本件事故の発生」との間に法的な因果関係を認めることは困難であるとして,賠償責任の根拠とはしなかった。報告したとしても,当時の行政が直ちに運転停止を命じたとは考えにくいというのがその理由である。
しかし,法的責任(賠償義務)が発生しないことと,その行為が企業倫理として正しかったかは全くの別問題である。
本件理由書において「重大な情報提供義務違反」「組織的かつ計画的な情報操作」と厳しく指弾されている通り,不確実性を理由に情報を秘匿した行為は,技術者倫理および総合技術監理の「公益確保の責務」に照らして極めて重い疑義が残る。
リスクマネジメントにおいて,ステークホルダー(規制当局・地域住民)との信頼関係は安全確保の基盤であり,これを損なうような情報の扱いは,「適法なプロセス」であったとしても,技術者倫理上の重大な汚点として記憶されるべきである。
なお,最高裁令和7年3月5日決定における草野耕一裁判官の補足意見では,東電には試算結果を「速やかに国に報告すべき義務」があったと明言されている。報告していれば,電気事業法の枠組みの中で行政命令(技術基準適合命令)が発動され,結果として事故を回避できた可能性があったとするこの補足意見は,AI技術士として強調する「自律的な情報開示」の重要性を司法の側から裏付けるものである。
2 トレードオフの最適化と社会的責任
(1) 電力供給義務と安全確保の相克
電力会社の取締役は,安全確保の義務と同時に,電気事業法に基づく電力の安定供給義務も負っている。特に当時は,CO2排出削減の観点から原子力発電の推進が国策とされており,代替火力燃料費の高騰も経営上の重要課題であった。
高裁判決は,原発停止による「電力供給義務の不履行」や「火力燃料費増大による国民負担」という社会的・経済的影響を明示的に考慮に入れた。地裁判決が安全確保のみを絶対視したのに対し,高裁判決は複数の相反する目的(安全性,安定供給,経済性)のトレードオフを最適化するという,経営判断の実相に踏み込んだものである。
AI技術士(総合技術監理)としても,安全は最優先事項であるが,無限のコストや社会的犠牲を払ってよいわけではなく,対策の費用対効果や社会的受容性を考慮したバランスの取れた判断が求められると考える。
(2) 全基停止判断に求められる「合理的根拠」の閾値
高裁判決は,原発の運転停止という極めて重い経営判断を正当化するためには,「それ相応の合理的・信頼性のある根拠(切迫した危険情報)」が必要であるとした。そして,信頼度Cの長期評価や,研究途上の貞観津波に関する知見では,その根拠として不足していたと結論付けた。
これは,予防原則の適用範囲に関する司法判断とも言える。未知のリスクに対してどこまで予防的な措置をとるべきか。高裁判決は,社会インフラを停止させるレベルの措置には,単なる「可能性の指摘」以上の確度の高いエビデンスが必要であるという基準(閾値)を示したのである。
この点に関し,最高裁令和7年3月5日決定も,電力会社は「市民にとって最重要ともいえるインフラを支え(中略)漠然とした理由に基づいて(中略)運転を停止することはできない立場にある」と判示し,運転停止という「重い選択」を強いるには,相応に高い予見可能性が必要であるとの規範を示している。
第6 結論と今後の展望
1 総括
(1) 司法判断の論理的整合性
以上の分析から,東京高裁による逆転判決(請求棄却)は,当時の科学的知見の不確実性と,巨大インフラにおける工学的判断の実務的プロセスを,地裁判決よりも現実に即して評価したものであり,「法的責任の有無」を判断する基準としては,法的な論理構成における整合性が認められる。
(2) 法的免責と技術的評価の乖離
しかし,これを手放しで「技術的にも妥当である」と評価することには慎重であるべきだ。ここで強調しておきたいのは,法的な「義務違反なし(勝訴)」と,技術的な「改善余地なし(最善)」の間には,依然として深い溝が存在するということである。
地裁判決が強い後知恵バイアスの影響下にあったのに対し,高裁判決は「当時の技術者や経営者に見えていた景色」の中で厳密な審査を行った。
地震学と工学のギャップや,部分的な対策(水密化)ではシステム全体の崩壊(SBO)を防げない物理的現実を捉え,信頼度の低い試算に対して専門機関への委託を通じて知見の確度を高めようとしたプロセスを標準的であるとした点は,技術的本質を的確に捉えている。
2 判決が示唆する「自律的安全性」の追求
(1) 期生依存からの脱却
しかし,勝訴したからといって,当時の東京電力の対応が満点であったわけではない。高裁判決もその末尾において,「法的責任がないからといって,安全確保の努力を怠ってよいわけではない」と異例の付言を行っている。さらに,「今後は,より抽象的な予見可能性であっても,最新の科学的知見を踏まえて想定し,対策を検討すべきである」と警鐘を鳴らしている(高裁判決73頁)。
これは,法令や規制基準を満たしていればよいという受動的な姿勢(規制依存)からの脱却を求めている。事業者自らが,不確実な情報であっても積極的にリスクを評価し,規制の枠を超えて安全性を追求する「自律的安全性(自主保安)」の確立こそが,本件事故の最大の教訓である。
(2) 勝訴判決の真の意味
「勝訴」したことがすなわち,当時の対応が「工学的・倫理的に正しかった」ことを意味するわけではない。
高裁判決は,当時の安全思想や予見可能性の限界に基づき「法的責任(賠償責任)」を否定したに過ぎない。本記事で指摘した通り,15.7メートルという重大なリスク情報を社会と共有しなかった「コミュニケーション・プロセス」や,結果回避の確実性はなくとも被害を軽減し得たはずの「減災(Mitigation)」のための多重防護(水密化等)を追求しきれなかった点について,現在および将来の視点から見た「技術的・倫理的な正当性」までをも認めたわけではないのである。
本記事で繰り返し論じてきたように,「法的な結果回避義務違反」が否定されたからといって,「技術的な減災努力」や「倫理的な情報開示」が不要であったということにはならない。
司法が免責したのはあくまで法的責任の範囲内であり,技術者は,そこからこぼれ落ちた「技術的良心」や「社会への説明責任」について,自問し続ける必要がある。不確実な情報であっても,それが破局的なリスクを示唆する場合には,隠蔽するのではなく透明性を持って社会や規制当局と共有することこそが,真のリスクマネジメントである。
3 結びに代えて
本件株主代表訴訟は,科学的不確実性と法的責任の境界線を問う極めて重い事案であった。司法は,法的責任の限定という解を示したが,技術者倫理や社会的責任という観点からは,依然として重い課題が残されている。
我々は,この判決を「免罪符」として捉えるのではなく,不確実な未来に対して技術がいかに対峙すべきか,その謙虚さと覚悟を再確認する契機としなければならない。
巨大システムに関わる全ての技術者と経営者にとって,高裁判決は,リスク管理の教科書として読み継がれるべき資料であるといえる。