生年月日 S12.9.26
出身大学 東大
退官時の年齢 65 歳
叙勲 H20年春・瑞宝重光章
H14.9.26 定年退官
H9.1.16 ~ H14.9.25 東京高裁17民部総括
H7.11.1 ~ H9.1.15 函館地家裁所長
H4.4.1 ~ H7.10.31 東京高裁判事
S61.4.1 ~ H4.3.31 東京地裁13民部総括
S60.4.9 ~ S61.3.31 東京高裁判事
S54.4.1 ~ S60.4.8 最高裁調査官
S52.4.1 ~ S54.3.31 福島地家裁白河支部長
S50.4.9 ~ S52.3.31 東京地裁判事
S49.4.1 ~ S50.4.8 東京地裁判事補
S46.4.10 ~ S49.3.31 名古屋地裁判事補
S43.4.16 ~ S46.4.9 最高裁行政局付
S43.4.9 ~ S43.4.15 札幌地家裁判事補
S40.4.9 ~ S43.4.8 札幌地裁判事補
*1 以下の記事も参照してください。
(裁判所関係)
・ 高裁の部総括判事の位置付け
・ 毎年6月開催の長官所長会同
・ 新任の地家裁所長等を対象とした実務協議会の資料
・ 部の事務を総括する裁判官の名簿(昭和37年度以降)
・ 最高裁判所調査官
・ 最高裁判所判例解説
・ 地方裁判所支部及び家庭裁判所支部
(戦後補償関係)
・ 日本の戦後賠償の金額等
・ ドイツの戦後補償
・ 類型ごとの戦後補償裁判に関する最高裁判例
・ 在外財産補償問題
・ 平和条約における請求権放棄条項に関する3つの説及び最高裁判例
・ 最高裁平成19年4月27日判決が判示するところの,サンフランシスコ平和条約の枠組みにおける請求権放棄の趣旨等
・ 日韓請求権協定
・ 在日韓国・朝鮮人及び台湾住民の国籍及び在留資格
・ 日中共同声明,日中平和友好条約,光華寮訴訟,中国人の強制連行・強制労働の訴訟等
(花岡事件等)
*2の1 Wikipediaの花岡事件には以下の記載があります。
花岡事件(はなおかじけん)は、1945年6月30日、国策により中国から秋田県北秋田郡花岡町(現・大館市)へ強制連行され鹿島組 (現鹿島建設) の花岡出張所に収容されていた 986人の中国人労働者が、過酷な労働や虐待による死者の続出に耐えかね、一斉蜂起、逃亡した事件。警察や憲兵隊により鎮圧・逮捕され、中国人指導者は有罪判決、鹿島組現場責任者らも終戦後、戦犯容疑で重刑を宣告 (のち減刑) された。事件後の拷問も含め、中国人労働者のうち、45年12月までに400人以上が死亡した。
*2の2 Wikipediaの花岡事件によれば,花岡事件に関しては,平成13年11月19日,東京高裁で以下の内容により和解が成立しました(担当裁判官は17期の新村正人裁判官)。
① 当事者双方は、1990年7月5日の「共同発表」を再確認する。ただし、被控訴人(被告。鹿島のこと)は、右「共同発表」は被控訴人の法的責任を認める趣旨のものではない旨主張し、控訴人らはこれを了解した。
② 鹿島は問題解決のため、利害関係人中国紅十字会に5億円を信託し、中国紅十字会は利害関係人として和解に参加する。
③ 信託金は、日中友好の観点に立ち、花岡鉱山現場受難者の慰霊及び追悼、受難者及び遺族らの生活支援、日中の歴史研究その他の活動経費に充てる。
④ 和解は、花岡事件について全ての未解決問題の解決を図るものである。受難者や遺族らは、今後国内外において一切の請求権を放棄する。原告以外の第三者より、鹿島へ花岡事件に関して賠償請求が行われた場合、中国紅十字会と原告は、責任を持って解決し、鹿島に何らの負担をさせないことを約束する。
*2の3 アジアニュースの「【新村正人元判事】人権尊重に比重を移し、大局的な視野に立って戦後補償の問題に取り組むべき」には「個人的感情」として以下の記載があります。
韓国の裁判所の判決(山中注:韓国人の元徴用工が韓国の裁判所に提起した日本企業に対する損害賠償請求訴訟に関する2018年10月30日の韓国大法院判決)により混迷を来したかのようにも思われるが、これを機に前記自明の理か否かの議論を深めると共に、「個人の人権尊重に比重」を移し、例えばドイツの解決例を教材とし、また身近な日本企業との和解例にならい、官民が一体となってあらためて戦後補償の問題に取り組むのが望ましいように思われる。
そのためには、企業の側としては花岡の和解における鹿島の経営者が取った責任ある態度と大所高所に立った「大胆な決断」を見習うべきであろうし、国としては冷静に「大局的な視野」に立ってこの問題の解決のため積極的に乗り出す、そういう環境作りが求められると考えられる。そのような見地から官民協力して解決への努力をするのが好ましいとする論調が、韓国の側からも提起されていることに注目すべきであろう。
(ドイツの戦後補償等)
*3の1 最高裁判所判例解説 民事篇(平成19年度)(上)416頁ないし418頁には以下の記載があります(ア,イ,ウ及びエを①,②,③及び④に変えています。)。
日本の戦争賠償は,ドイツと比較して不十分であるといわれることがあるので,参考までに,ドイツの戦後補償の概要を以下にみておく。
① ドイツは,第二次世界大戦後東西に分裂したため,連合国との間の平和条約を締結することができず,戦争賠償の解決については長い間留保されてきた(1953年のロンドン債務協定)ところ,実質的な平和条約の機能を果たすことになった1990年のいわゆる「2プラス4協定」(東西ドイツと英・米・仏・ソの間のモスコー協定)(山中注:1991年3月15日発効の,1990年9月12日調印のドイツ最終規定条約)において,戦争賠償に関する条項は盛られず,結局,狭義の戦争賠償は行われないまま事実上放棄されている。
② 他方,「ナチスの不法に対する補償(Wiedergutmachung)」は戦争賠償とは別の概念であるとの整理の下に,連邦補償法(1956年)の下でホロコースト被害等に対する補償が行われることとなった。当初は西独内に住所を有していた者に対象者を限定していたが,その後,外国居住者にも拡大されている(補償金を一括して各国政府に渡し,各国政府が各被害者に支給するというもの)。また,これより前,1952年にはイスラエルとの間の補償協定(ルクセンブルク協定)も締結された。これらの補償総額は,約1040億マルク(現在のレートで5兆5000億円以上)になるといわれている(総額7兆円を超えるという試算もある。)。
③ このほか,大戦中に東欧地域(特にポーランド)から連行されドイツ企業で強制労働に従事させられた者に対する補償問題について,西独政府は, こうした問題はナチスの迫害ではなく一般的な戦争被害であると主張し,ロンドン債務協定を盾に請求を拒んできた。しかし,2000年7月,ドイツ政府と企業が50億マルクずつ(計100億マルク,約5300億円)を拠出して,「記憶・責任・未来財団」という基金を設立することが,ドイツ,旧東欧諸国及びイスラエル政府並びにドイツ企業等の間で合意され,その後,ドイツの国内関連法が成立した。この動きの直接のきっかけとなったのは,米国の弁護士らにより米国裁判所でドイツ企業を被告とする大規模なクラスアクションが提起され,企業が譲歩を余儀なくされたことにあったといわれている。なお,この事業は,人道的な見地から行われるものであって,法的責任に基づくものではないと説明されており,「記憶・責任・未来基金の創設に関する法律」の前文にも,政府の関与は政治的道義的責任に基づくものであるとの趣旨が明記されている。
このほか,戦争中の強制労働に関与した企業の中には,独自の救済措置を設けて元労働者に対する補償措置を行っているものもいくつか存在するようである。これも,法的義務に基づくものではなく,あくまでも人道的な措置であるとの位置付けが強調されている。
④ 以上のとおり,ドイツの戦後補償は金額の上では我が国の賠償額を大きく上回っているが,それはナチスの不法に対する補償(Wiedergutmachung)という特殊な概念に基づくものであって,狭義の戦後賠償は行われていないことに留意する必要があろう。一方,強制労働に対する補償問題に関しては,法的責任を前提としないとしつつも,官民を挙げて救済措置が講じられていることは,特筆に値すると思われる。
*3の2 Wikipediaの「第二次世界大戦後におけるドイツの戦後補償」には,「ドイツ連邦共和国が行った補償総額は、2009年時点で671億1800万ユーロに達する。」と書いてあります。
七十七銀行HPに「ユーロ対円相場(仲値)一覧表 (2009年)」が載っていますところ,1ユーロ130円とした場合,ドイツの補償総額は8兆7253億4000万円となります。
*3の3 ヤフーニュースに載ってある「[寄稿]徴用工問題の解決に向けて」(寄稿者は宇都宮健児 元日弁連会長)には以下の記載がありますところ,これによれば,ナチス・ドイツによる166万人以上の強制労働被害者の場合,1人当たりの補償額は43万3735円以下であったことになります。
ナチス・ドイツによる強制労働被害に関しては、2000年8月、ドイツ政府と約6400社のドイツ企業が「記憶・責任・未来」基金を創設し、これまでに約100カ国の166万人以上に対し約44億ユーロ(約7200億円)の賠償金を支払ってきている。このようなドイツ政府とドイツ企業の取り組みこそ、日本政府や日本企業は見習うべきである。
*3の4 韓国の日刊新聞社であるハンギョレHPの「ドイツが日本より善良だから強制動員の賠償をしたのではない」には,強制労働被害者に対するドイツ「記憶・責任・未来」財団の補償に関して,「金額も最大で7500ユーロ(10日為替レート基準で956万ウォン、約100万円)程度で充分ではなかった。1200万人を越える被害者のうち僅か160万人ほどが賠償を受けた。 」と書いてあります。
(日本とドイツの戦後補償の比較)
*4 NAVERまとめの「日本はドイツのように戦後補償をしていないと主張する人がいますが、本当はどうなんでしょう 」には以下の趣旨の記載があります(②及び③の現在換算の計算方法はよく分かりません。)。
(ドイツの戦後補償)
① ドイツの連邦補償法制定以来,同法に基づく給付申請約450万件中220万件が認定され、これまでにおよそ710.5億万マルク(3兆5951.3億円)を給付、現在は約14万人に年間15億マルク(759億円 1人平均月額900マルク(1マルク50.6円換算で45540円))を支払っている。
(日本の戦後補償)
② 例えばフィリピンには賠償約1980億円、借款約900億円、インドネシアには賠償約803億円、借款約1440億円を支払っています。この他、別表にあるように、賠償、補償の総額は約3565億5千万円、借款約2687億8千万円で併せて6253億円(現在換算20兆971.42億円)にのぼります。
③ これ以外にも事実上の賠償として、当時日本が海外に保有していた財産はすべて没収されました。
それは日本政府が海外にもっていた預金のほか鉄道、工場、建築物、はては国民個人の預金、住宅までを含み、当時の計算で約1兆1千億円(現在換算35兆3540億円)に達しています。
④ 現在の経済大国、日本ではなく、戦後のまだ貧しい時代に、時には国家予算の3割近くの賠償金を約束し、きちんと実行してきていたのです。
(両者の比較)
⑤ ドイツは個人補償が中心で、国に対する賠償金は支払っていません。
一方、日本は国に対する賠償、および経済協力という形で、ドイツの数倍の金額を支払っています。
(個人の請求権の消滅)
*5 大韓民国等の財産権に対する措置法の内容は極めて複雑多岐にわたり,かつ,その権利関係は,我が国の経済的・社会的な実生活の中に入り込んでいるため,法律案の作成に際しては,総理府,法務省,外務省,大蔵省,文部省,厚生省,通産省,農林省,運輸省,郵政省,労働省の関係部局が参画しました(日韓条約と国内法の解説(昭和41年3月3日発行の「時の法令」別冊)108頁及び109頁参照)。
日韓請求権協定2条の直接の効果として個人の請求権を消滅させなかったのは,具体的に消滅させる大韓民国及びその国民の実体的権利を慎重に定めるためであったと思います。
そして,サンフランシスコ平和条約の枠組みにおける請求権放棄の趣旨が,請求権の問題を事後的個別的な民事裁判上の権利行使による解決にゆだねるのを避けるという点にあるため,請求権の放棄とは,請求権に基づいて裁判上訴求する権能を失わせることを意味しますから,その内容を具体化するための国内法上の措置は必要としない(最高裁平成19年4月27日判決)ものの,日韓請求権協定の場合,「大韓民国等の財産権に対する措置法」という国内法上の措置まで採られています。
そのため,中国人等の戦争賠償請求権以上に,個人の請求権が消滅しているといえることになります。