木谷明裁判官(15期)の経歴


生年月日 S12.12.15
出身大学 東大
退官時の年齢 62 歳
叙勲 H20年秋・瑞宝重光章
H12.5.23 依願退官
H11.2.15 ~ H12.5.22 東京高裁13刑部総括
H9.6.30 ~ H11.2.14 水戸地裁所長
H8.4.1 ~ H9.6.29 水戸家裁所長
H6.12.12 ~ H8.3.31 東京家裁少年第3部部総括
H4.3.23 ~ H6.12.11 東京高裁判事
S63.4.1 ~ H4.3.22 浦和地裁3刑部総括
S59.4.1 ~ S63.3.31 大阪高裁判事
S54.4.1 ~ S59.3.31 最高裁調査官
S50.4.1 ~ S54.3.31 名古屋地裁判事
S48.4.9 ~ S50.3.31 東京地裁判事
S47.4.1 ~ S48.4.8 東京地裁判事補
S44.4.1 ~ S47.3.31 札幌地家裁判事補
S41.4.30 ~ S44.3.31 最高裁刑事局付
S38.4.9 ~ S41.4.29 東京地裁判事補

*0 判例時報2535号(2022年12月21日号)に「再審における「明白性」の考え方 ──大崎事件第4次再審請求棄却決定に接して」を寄稿しています。
*1 ヤフーニュースの「『イチケイのカラス』モデルの元裁判官が語る"絶望の司法"「弁護士出身判事、現実でも増員を」」(2021年5月5日付)(木谷明裁判官を取材したもの)には以下の記載があります。
――ご自身で、人事的に不利な扱いを受けたと感じたことはありますか。
「私は、実力以上に任地に恵まれたと基本的には感謝しています。ただ、最高裁調査官の後、通常は東京の地裁か高裁に行くことが当然とされていたのに、大阪高裁の陪席判事に異動になった時は、学齢期の子どもがいたので4年間単身赴任で苦労しました。
また、大阪高裁から戻る時も、4年も単身赴任したのですから当然自宅から通勤が容易な東京に戻してもらえると思っていたのに、遠い浦和地裁に行けと言われ、自宅から1時間40分もかけて通勤することになりました。
この2つの人事の時は、薄々ながら『意地悪されたのかな』と感じました。ただ、次々に地方回りさせられて苦労した方に比べれば、ぜいたくな悩みでしたけど」
*2 「最高裁の暗闘 少数意見が次代を切り開く」78頁及び79頁には以下の記載があります。
    80年代には、自白の信用性に疑問を挟み、有罪の原判決を破棄した判決が続いた。その多くを手がけた最高裁調査官が木谷明(現・法政大学教授)だった。
    しかし90年代以降、そのような事例はほとんど途絶えていた。


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