大阪修習の情報


目次
1 総論
2 大阪弁護士会
3 大阪の裁判所の庁舎平面図
4 大阪の裁判所等の沿革
5 飲食店
6 大阪市のメモ書き
7 堺市のメモ書き
8 大阪弁護士会の設立時期等
9 関連記事その他

1 総論
(1) 配属人数の推移
183人(新63期)→179人(新64期)→210人(新65期)→218人(66期)→223人(67期)→191人(68期)→197人(69期)→135人(70期)→147人(71期)→126人(72期)→123人(73期)
(2) 第1希望の倍率の推移
   1.11倍(新63期)→1.20倍(新64期)→1.05倍(新65期)→0.84倍(66期)→0.73倍(67期)→0.70倍(68期)→0.71倍(69期)
(3) 第2希望までの倍率の推移
   1.80倍(新63期)→2.03倍(新64期)→1.67倍(新65期)→1.42倍(66期)→1.27倍(67期)→1.18倍(68期)→1.25倍(69期)
(4) 69期の第2希望の選択
   リスクある選択は京都修習,神戸修習若しくは奈良修習(いずれもAランク)又は大津修習(Bランク)であり,安全な選択は和歌山修習又は岡山修習(いずれもCランク)でした。
(5) 司法修習生向けの情報
ア   大阪弁護士会HPの「修習生・弁護士向け就職支援情報」に掲載されています。
イ 花沢不動産株式会社HP「第73期司法修習生の皆様へ(大阪修習希望の皆様)」が載っています。



2 大阪弁護士会

(1) 大阪弁護士会HPの「弁護士検索」には,「会員検索サービス」(氏名,住所から検索するもの)及び「重点取扱分野検索」(重点取扱分野等の情報から検索するもの)の2種類があります。
(2) 大阪弁護士会には,一水会友新会,法友倶楽部,春秋会五月会,法曹同志会及び法曹公正会という7つの会派があります。
   私は五月会に所属しています。
(3)ア ①中坊公平日弁連会長(平成2年度及び平成3年度),②鬼追(きおい)明夫日弁連会長(平成8年度及び平成9年度),③久保井一匡(かずまさ)日弁連会長(平成12年度及び平成13年度)及び④宮崎誠日弁連会長(平成20年度及び平成21年度)は春秋会出身です(夢を追い続ける車椅子の弁護士吉峯康博ブログ「東京・大阪の『派閥連合』と『無派閥・著名人』 宇都宮のチャレンジはどうなるのか?宇都宮の42勝9敗1引き分け!!」(平成22年2月9日初稿)参照)。
イ ⑤中本和洋日弁連会長(平成28年度及び平成29年度)は一水会出身です。
(4) 「会内活動・広報の電子化の現状と課題」という特集を載せている近弁連115号5頁には,大阪弁護士会の会報誌である月刊大阪弁護士会に関して以下の記載があります。
当会では月報が会内広報の中心的位置付けにあり、毎月月末に発行しています。発行部数は5300部で、全会員へ原則としてレターケースに入れて配付するとともに、全国の各弁護士会、日弁連理事、府内自治体、法科大学院、管内裁判所・検察庁・刑務所、鑑別所、関連団体・士業等に690部を配付しています。



3 大阪の裁判所の庁舎平面図

① 大阪高等・地方・簡易裁判所の庁舎平面図(本館)
② 大阪高等・地方・簡易裁判所の庁舎平面図(別館)
③ 大阪高等・地方・簡易裁判所の庁舎平面図(新館)
④ 大阪家庭裁判所の庁舎平面図
⑤ 大阪地方裁判所堺支部・堺簡易裁判所の庁舎平面図
⑥ 大阪地方裁判所岸和田支部・岸和田簡易裁判所の庁舎平面図

4 大阪の裁判所等の沿革
(詳細につき「大阪地裁及び大阪家裁の沿革史」参照)。
(1)ア 昭和43年3月,大阪法務合同庁舎のうちの別館が,昭和44年3月,同本館が竣工したことから,大阪地検等が裁判所庁舎(3代目の庁舎です。)から大阪法務合同庁舎に移転しました(大阪地検HPの「大阪地検の沿革について」参照)。
   大正5年5月完成の3代目庁舎は,赤レンガという愛称で呼ばれていました(「双松会報HP 自由投稿”赤レンガと私” 佐和田丸(高10)」参照)。
イ 大阪地検HPの「大阪地検の沿革について」には初代から3代目までの庁舎の写真が載っています。
(2) 現在の大阪地裁庁舎は,昭和48年9月30日にほぼ完成した4代目の庁舎です
(3)   大阪地裁及び大阪弁護士会が所在する大阪市北区西天満は,昭和53年2月1日に住居表示が実施される以前は,15の町からなっていました(ふらっと、ぶらっと西天満HP「西天満 今昔」参照)。
   つまり,西天満という地名は昭和53年2月1日に誕生した新しい地名です。
(4) 平成5年4月1日,大阪市内の3簡裁(生野簡裁,西淀川簡裁及び阿倍野簡裁)が大阪簡裁に集約されました。
(5)ア 平成13年11月,大阪地検等が大阪中之島合同庁舎に移転しました。
イ 大阪中之島合同庁舎の西隣には,「ほたるまち」という複合施設(平成20年5月開業)がありますところ,いずれも,平成5年に大阪府吹田市に移転した旧・大阪大学医学部附属病院跡地です(外部HPの「巨大病院が動いた!阪大病院移転」参照)。
(6) 平成18年9月,大阪法務合同庁舎の跡地に大阪弁護士会館が竣工しました。
(7) 平成25年12月16日,大阪高等地方簡易裁判所新館が完成しました(大阪高等地方簡易裁判所新館パンフレット参照)。
(8) 大阪地検等が入居している大阪中ノ島合同庁舎には,法務省法務総合研究所国際協力部も入居していました(法務省HPの「法務総合研究所国際協力部」参照)。
   しかし,平成29年10月に東京都昭島市に移転しました(平成29年5月18日付の大阪弁護士会の意見書「法務総合研究所国際協力部移転後の施設の有効活用に関する意見書」参照)。
(9) 大阪弁護士会館の西隣にある天満警察署は,平成29年8月31日に建替工事が完了し,同年9月25日に業務を開始しました。



5 飲食店
(1) 食べログHPの「大阪市北区西天満のランチ」を見れば,大阪地裁周辺のお昼のお店を探せます。
(2) 平成29年12月時点で,食べログHPの「大阪市北区西天満のお店,レストラン」は425件出てきます。
   また,夕食2万円以上で絞り込み検索をした場合,①C.D.TAKOH,②ピ・グレコ,③松弥(まつや),④四季食彩祇園及び⑤芝苑(しえん)が出てきます(①及び②は完全予約制です。)ところ,⑤芝苑を除き,普通に西天満を歩いていても気づかないと思います(私はいずれのお店にも行ったことはありません。)。
(3)   大阪地裁北門を出て右側にある「高崎」というお店(株式会社F・P管財が1階に入居している堂島野村ビルの東隣であり,ヴェール中之島北の西隣です。)は,ぐるなび・食べログ等に掲載しておらず,一見さんお断りの店であり,部屋数も少なく1日に3組か4組しか客を取らないらしいです(Poohのひとりごとブログ「前の週末(2)」参照。なお,写真につき「高崎 大阪府大阪市北区西天満4-6-4」参照)。


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大阪市のメモ書き(大阪市HPに「大阪市の市域」が載っています。)
(1)   市制が施行された明治22年当時,大阪市(4区制でした。)は全国2位の都市でした(Wikipediaの「1889年(明治22年)の都市人口」参照)。また,当時の大阪市は,現在の中央区及び西区の大部分,並びに北区の南側のごく一部でした。
(2)ア 大阪地裁の近くにある大阪市中央公会堂は,豊国神社があった場所に,大正7年11月17日にオープンしました。
イ 豊臣秀吉を祀る豊国神社(京都市東山区)の大阪別社として明治13年11月,現在の大阪市中央公会堂がある場所に創建された豊国神社は大正元年,大阪府立図書館(現在の大阪府立中之島図書館)の西隣に移転したものの,大阪市庁舎増築のため,昭和36年1月,大阪城内の現在地に移転しました。
(3)ア 大正14年4月1日の大阪市の市域拡張から昭和7年10月1日の東京市の市域拡張(近隣の5郡82町村を編入した結果,15区から35区となりました。)までの間,大阪市が日本一の大都市でした(Wikipediaの「大大阪(だいおおさか)時代」参照)。
イ 大阪市の行政区の数は,4区(市制施行時)→13区(大正14年4月1日の第2次市域拡張)→15区(昭和7年10月1日)→22区(昭和18年4月1日)→26区(昭和49年7月22日)→24区(平成元年2月13日)というふうに推移してきました(大阪府HPの「大阪市 行政区の変遷(イメージ図)」,及び大阪市史編纂所HP「各区のあらまし」参照)。
(4) 昭和31年9月1日,大阪市は政令指定都市となりました。
(5) 昭和53年,横浜市の人口が大阪市の人口を超えました。
(6) 外部HPの「大阪市の気温」に,大阪市の月別最高最低気温推移グラフ(過去4年分)等が載っています。
(7) 大阪市HPに「平成22年国勢調査<大阪市の昼間人口>」(平成29年9月15日の記事)が載っています。
(8) 昭和20年8月14日の空襲(「京橋空襲」ともいいます。)では,大阪城の東隣にあった大阪陸軍造兵廠(跡地の一部が大阪ビジネスパーク(OBP)になっています。)が対象となったため,大阪城も被害を受けました(大阪市全体の空襲被害につき,面白きこともなき世を面白くブログ「戦争の記録:大阪大空襲(1945.3.13)」参照)。
(9) 大阪駅・梅田駅と大阪地裁の間にある国道1号及び国道2号(大阪府内に限る。)については,近畿地方整備局大阪国道事務所が管理しています(大阪国道事務所HP「管内図・管理道路一覧」参照)。
(10) 大阪駅まで乗車区間が有効な定期券を持っている場合,北新地駅で下車することができます(JRおでかけネット「大阪駅まで乗車区間が有効な定期券を使って北新地駅で下車できますか。」参照)。


7 堺市のメモ書き
(堺市HPに「堺市の合併の歴史」が載っています。)
(1)ア  明治6年当時,堺は全国19位の都市であり(Wikipediaの「五大都市の人口推移」参照),市制が施行された明治22年当時,堺市は全国19位の都市でした(Wikipediaの「1889年(明治22年)の都市人口」参照)。
イ 明治元年6月22日に設置された堺県はかつての河内国,和泉国及び大和国(現在の奈良県)から構成されていたものの,明治14年2月7日に大阪府に併合されて消滅しました(堺県は最後に廃止された県となりました。)。
    ただし,明治20年11月4日に奈良県が大阪府から分離しました。
(2) 南海高野線の堺東駅のほか,大阪地裁堺支部がある堺市堺区南瓦町は,大正9年3月31日までは泉北郡向井町(むかいちょう)でした。
(3) 大正9年6月,大阪監獄が扇町公園から現在の場所(堺市堺区田出井町。JR阪和線堺市駅の西近く)に移転し,大正11年10月,大阪刑務所(大阪少年鑑別所及び大阪医療刑務所が北隣にあります。)に名称変更しました。
(4) 昭和19年,堺市役所が現在の堺市堺区南瓦町に移転しました。
(5) 平成17年2月1日,堺市は美原町を吸収合併しました(堺市HPの「堺市・美原町合併協議会」参照)。
(6) 平成18年4月1日,堺市は政令指定都市となりました。
(7)ア 大阪地家裁堺支部は大小路通(吾妻橋(堺駅前)交差点(南海本線堺駅の近く)から堺東駅南口交差点(南海高野線堺東駅の近く)までの1.5km)沿いにあります。
   そして,大小路通は,明治4年9月に摂津国と和泉国の国境が大和川に変更されるまでの間,両国の国境でした。
イ 西高野街道は,大阪地家裁堺支部の近くにある大小路交差点を起点として,高野山まで続いていました(街道歩き旅.com「西高野街道を歩く(堺~河内長野)」参照)。
ウ 堺東駅は明治31年の開業当初,大小路駅という名前でした。
(8) 理由をはっきり示す資料はありませんが,一説では,美原区域を除いた堺の町名に丁目の「目」がつかないのは,江戸時代の「元和の町割り」にそのルーツがあると考えられています。また,元和(げんな)の町割りでは,南北の大道筋,東西の大小路通を基軸として,碁盤の形に町割りされ,整然とした町に生まれ変わりました(堺市HPの「なぜ、堺市では美原区域以外は「丁目」じゃなくて「丁」なの?」参照)。

8 大阪弁護士会の設立時期等
(1)ア 改正代言人規則は明治13年5月13日に公布され,直ちに施行されました(東京弁護士会百年史55頁)。
イ 大阪弁護士会HPの「大阪弁護士会の概要」には「明治13年5月大阪組合代言人という名称で組合を結成。同6月初代会長等選出。」と書いてあります。
ウ 大阪弁護士会百年史48頁及び49頁には,「大阪組合代言人」として以下の記載があります(改行及び字下げを追加しています。)。
大阪組合代言人の発足
   明治一三年(一八八〇)五月の代言人規則の改正により、代言人は、各地方裁判所本支庁毎にの組合を立て、議会を設け、規則を定め、組合毎に会長一名、副会長一名または二名を投票によって選ぶこととなった。大阪の代言人は、同年五月二三日、二五日の二日間にわたって、東区備後町一丁目の備一亭において相談会を開き、大阪組合代言人を設け(東京、仙台は代言人組合と称し、大阪は組合代言人と称した)、会長一名、副会長二名をおき、立案委員五名を選んで、組合規則を起草することを決めた。
   ついで、六月一七日、備一亭において、役員の選挙をおこない、元北洲舎の寺村富栄が初代会長に、元便宜商社の佐久間俊明、山下重威が副会長に選ばれた。
   また、同時に立案委員の選挙がおこなわれ、元北洲舎の大藤高敏、三宅徳馨、菊池侃二、小島忠里、岡崎高厚が当選した。立案委員五名は、早速、規則起草作業に着手し、七月二二日より二〇回の会議を亜ね、ようやく八月三一日、大阪組合代言人規則全六三条の審議を議了し、九月三日、検事に認可願を提出、同月三〇日、検事橋口兼三の認可をうけた。
大阪弁護士会のはじまり
    大阪弁護士会の前身である大阪組合代言人の発足の時期を、初代の会長、副会長および規則立案委員の選任された明治一三年(一八八〇)六月一七日とみるか、組合規則の審議を了した同年八月三一日あるいは組合員の連署捺印をもって認可願を提出した九月三日とゑるか、はたまた、右規則について検事の認可のあった九月三〇日とふるかについて議論のあるところではあるが、大阪弁護士会の見解としては、初代会長、副会長および規則立案委員の選任された明治一三年六月一七日を大阪弁護士会創立の日と定めた(「大阪弁護士会会報」一五七号大阪弁護士会創立一○○周年記念特集号五九頁)。
(2)ア 明治13年5月13日公布の改正代言人規則14条2項は,代言人組合の規則は必ず検事の「照閲」(認可と同じぐらいの意味と思います。)を経る必要があるとしていました。
イ 東京弁護士会百年史61頁によれば,東京代言人組合の設立日は明治13年7月31日(検事の認可日),横浜代言人組合の設立日は明治13年6月27日(設立総会の開催日),大阪組合代言人会の設立日は明治13年9月30日となっています(検事の認可日)。
ウ 神奈川県弁護士会の創立年月日は明治13年6月27日とされています(神奈川県弁護士会HPの「神奈川県弁護士会の沿革」参照)ところ,横浜弁護士会史(上巻)33頁ないし36頁によれば,明治13年6月27日は横浜代言人組合が創立議会(設立総会)を開いた日です(参加した代言人は5人だけです)。
    そして,横浜弁護士会史(上巻)を見ても,検事の規則認可日が分かりませんから,神奈川県弁護士会の設立日を東京弁護士会及び大阪弁護士会と同じように比べることはできないと思います。


9 関連記事その他
(1) 住友不動産販売HPの「通勤時間から考える物件探し(関西圏版)」を見れば,大阪駅又は梅田駅等を起点とした,通勤15分圏内及び通勤30分圏内が分かります。
(2) アットホームHPの「「通勤」の実態調査2014 関西版」によれば,大阪府内勤務の子持ち男性サラリーマンの通勤時間は平均で52分となっています。
   また,理想の通勤路線1位は阪急神戸本線となっています。
(3) 大阪地裁周辺の賃貸情報については,株式会社エムスタイル北浜HP「司法修習生向け大阪地方裁判所周辺特集 分譲賃貸」が参考になります。
(4)ア 大阪高裁管内の下級裁判所の裁判官及び裁判所職員については,深夜に及ぶ飲酒をせず,遅くとも午後10時頃までには帰路につくことを徹底し,節度ある行動をとることを求められています(「服務規律の遵守について」(平成27年11月18日付の大阪高裁事務局長のお知らせ)参照)。
イ 一般財団法人航空医学研究センターHP「飲酒に関する基礎教育資料」(令和元年10月改正)が載っています。
(5) 平成30年の場合,7月25日午後3時30分頃から午後7時頃までの間,天神祭(毎年7月24日及び同月25日開催)に伴い,大阪地裁がある西天満の周辺で交通規制が実施されました。
(6)ア 以下の資料を掲載しています。
・ 研さんカリキュラムについて(令和3年1月25日付の,大阪地裁の新任判事補研さん指導官一同の文書)
・ 新任判事補(3年次-第71期)研さん予定表(令和4年1月31日現在)
・ 新任判事補(2年次-第72期)研さん予定表(令和4年1月31日現在)
・ 新任判事補(1年次-第73期)研さん予定表(令和4年1月31日現在)
イ 以下の記事も参照してください。
・ 大阪府及びその周辺の鉄道の沿革
・ 第2希望の実務修習地の選び方
・ 実務修習地の決定方法等に関する国会答弁
 東京修習の情報
・ 立川修習の情報
・ 横浜修習の情報
・ 弁護士会の会派


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