本村理絵裁判官(68期)の経歴


生年月日 H1.7.16
出身大学 一橋大院
定年退官発令予定日 R36.7.16
R6.4.1 ~ 福島地家裁会津若松支部判事補
R4.4.1 ~ R6.3.31 公取委審判官
R4.3.1 ~ R4.3.31 最高裁行政局付
R3.4.1 ~ R4.2.28 東京地裁判事補
H29.4.1 ~ R3.3.31 松江地家裁判事補
H28.1.16 ~ H29.3.31 松江地裁判事補

*0の1 令和6年1月9日現在の肩書は「デジタル市場企画調査室補佐」です(公正取引委員会事務総局デジタル市場企画調査室住所録(2024年1月9日現在)(住所は黒塗りです。)参照)。
*0の2 以下の資料を掲載しています。
・ 公正取引委員会事務総局事務分掌規程(平成8年6月14日事務総長通達第1号)
・ 公正取引委員会事務総局及び地方事務所の職員名簿
*1 68期の本村理絵裁判官は,大川原化工機事件(令和2年3月11日に逮捕があったものの,令和3年7月30日に検察官が公訴取消しの申立てをしたため,同年8月2日に公訴棄却決定により終了した冤罪事件)において,令和2年10月2日付で大川原社長ら3人の保釈請求を却下しました。
*2の1 捏造された事件を見破れない裁判官(大川原化工機冤罪事件から)と題するnoteに令和2年10月2日付の保釈請求却下決定の全文(担当裁判官は68期の本村理絵)が載っています。
*2の2 ヤフーニュースの「命を削る「人質司法」~がん診断されても保釈は認めず・大川原化工機事件」(令和5年9月6日付)には以下の記載があります。
    その同社(山中注:大川原化工機株式会社)に大きな災難が降ってきたのは、2018年10月3日朝だった。
    「令状が出てます」
    大川原正明社長が出勤しようと自宅を出たところで、スーツ姿の男数人が現れた。男たちは家に入って、中を見て回り、大川原社長のかばん内の書類、古い文献、妻のパソコンなどを押収した。同じころ、本社や研究所、事業所、さらには6人の役員・社員の自宅にも、同様の家宅捜索が行われた。
     捜索を行ったのは、警視庁公安部外事課の捜査員らである。以後、大川原社長らは何度も都内の警察署や警視庁本部などに呼ばれ、事情聴取を受けた。その回数は、逮捕までの間に大川原社長が40回、島田順司取締役が35回、相嶋静夫顧問が18回。従業員ら関係者を含めると、計264回に及んだ。
(中略)
     9月25日、相嶋さんは声を出すことも辛い状態となり、拘置所内の病院で診察を受けた。かなりの貧血が認められ、400ccの輸血治療が行われた。医師は、黒色便の状況などから、消化管出血が疑われる、と診断した。
     当時、相嶋さんは71歳。高血圧や糖尿病の既往症もあった。弁護団は、緊急に入院・治療の必要性があるとして、保釈申請を行った。
     しかし、刑事第14部の本村理絵裁判官は、「罪証隠滅のおそれ」があるとする、わずか4行余りの定型文で、請求を却下。「裁量で保釈することも適当でない」と述べるだけで、検査や治療の必要性に関しては、まったく言及しなかった。
    もはや、一刻の猶予もない。弁護団は保釈を断念し、勾留執行停止を申し立てた。期限を区切る勾留執行停止の方が、通りやすいからだ。相嶋さんの家族が、つてを頼って、横浜市内の病院に入院できるよう手はずを整えた。4度目の保釈申請を却下した本村裁判官(山中注:68期の本村理絵裁判官)が、勾留執行停止を認めた。その期間は、16日間である。
(中略)
 ただ、病院の予約は翌朝なので、本当は病院近くのホテルに泊まりたかった。しかし、裁判所に許された住所は自宅と病院だけだったため、制限に違反したと受け取られて執行停止を取り消されてしまうことを恐れ、無理をして自宅に戻った。妻が車椅子を押し、新幹線とタクシーで移動した。
 自宅では、妻がお粥を炊いたが、夫はまったく食べられず、ぐったりと寝ているだけ。翌日も、やはり何も口にしないまま、車で横浜に向かい、そのまま入院した。病院のベッドに横たわった相嶋さんは、安堵した様子で、声を絞り出した。
「(拘置所で)殺されるところだった。ありがとう

*3 東北大学HPの「裁判官の学びと職務」(令和5年11月22日に東北大学法科大学院で行われた、法科大学院学生を対象とした47期の井上泰士の講演原稿に大幅に加筆したもの)には以下の記載があります。
裁判官は、自分で決断をしなければいけないので、その決断について誰も護ってくれませんし、かばってもくれません。先ほど述べたとおり賠償とか懲戒という問題にはなりませんが、少なくとも当事者を含む世間の批判を一身に受けなければなりません。そうなりたくなければ、証拠と法律に基づく決断の質を高めるほかありません。


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