68期の裁判官

川越裕季子裁判官(68期)の経歴

生年月日 S63.4.17
出身大学 不明
定年退官発令予定日 R35.4.17
R6.4.1 ~ 総務省行政不服審査会事務局総務課課長補佐
R3.4.1 ~ R6.3.31 東京地裁判事補
H30.4.1 ~ R3.3.31 仙台地家裁判事補
H28.1.16 ~ H30.3.31 仙台地裁判事補

* 判事補任官時点の氏名は「宮崎裕季子」でした。

末廣祐輔裁判官(68期)の経歴

生年月日 H1.7.12
出身大学 不明
定年退官発令予定日 R36.7.12
R6.4.1 ~ 最高裁家庭局付
R3.9.27 ~ R6.3.31 静岡家地裁判事補
H30.4.1 ~ R3.9.26 千葉地家裁判事補
H28.1.16 ~ H30.3.31 千葉地裁判事補

初谷湧紀裁判官(68期)の経歴

生年月日 H2.4.18
出身大学 不明
定年退官発令予定日 R37.4.18
R6.4.1 ~ 最高裁刑事局付
R4.4.1 ~ R6.3.31 大分地家裁判事補
H30.4.1 ~ R4.3.31 大阪地家裁判事補
H28.1.16 ~ H30.3.31 大阪地裁判事補

伊藤嘉恵裁判官(68期)の経歴

生年月日 S56.6.29
出身大学 不明
退官時の年齢 42歳
R6.3.31 依願退官
R4.4.1 ~ R6.3.30 長野家地裁上田支部判事補
R3.4.1 ~ R4.3.31 東京地裁判事補
H30.4.1 ~ R3.3.31 さいたま地家裁判事補
H28.1.16 ~ H30.3.31 さいたま地裁判事補

* 判事補任官時の氏名は「片田嘉恵」でした。

石川舞子裁判官(68期)の経歴

生年月日 S62.4.3
出身大学 慶応大院
定年退官発令予定日 R34.4.3
R5.8.2 ~ 法務省民事局付
R3.4.1 ~ R5.8.1 横浜地家裁判事補
H30.4.1 ~ R3.3.31 大阪地家裁判事補
H28.1.16 ~ H30.3.31 大阪地裁判事補

*1 平成22年に慶応大学法学部法律学科を卒業しています(慶應義塾大学法科大学院の2014年度パンフレット6頁参照)。
*2 令和3年4月1日に横浜地家裁判事補になった時点の氏名は「湯川舞子」でした。
*3 68期の石川舞子裁判官が委員として参加した成年後見制度の在り方に関する研究会令和5年9月27日現在の委員名簿参照)は,令和6年3月7日,成年後見制度の在り方に関する研究会報告書(令和6年2月)を公表しました(成年後見制度の在り方に関する研究会報告書について(令和6年3月7日付の日本司法書士会連合会の会長談話)参照))。

道垣内正大裁判官(68期)の経歴

生年月日 H2.2.9
出身大学 東大院
定年退官発令予定日 R37.2.9
R5.4.1 ~ 京都家地裁判事補
R3.4.1 ~ R5.3.31 外務省国際法局課長補佐
R3.3.1 ~ R3.3.31 最高裁家庭局付
H30.4.1 ~ R3.2.28 大阪地家裁判事補
H28.1.16 ~ H30.3.31 大阪地裁判事補

*1 68期の道垣内正大裁判官は,大川原化工機事件(令和2年3月11日に逮捕があったものの,令和3年7月30日に検察官が公訴取消しの申立てをしたため,同年8月2日に公訴棄却決定により終了した冤罪事件)において,令和3年2月4日付で保釈許可決定を出し,同日付の東京地裁決定(担当裁判官は45期の吉崎佳弥55期の村田千香子及び72期の池田翔平)によって保釈許可決定は維持され,翌日に2人の被告人が保釈されました(残り1人は執行停止中であり,同月7日にがんで死亡しました。)。
*2 ヤフーニュースの「命を削る「人質司法」~がん診断されても保釈は認めず・大川原化工機事件」(令和5年9月6日付)には以下の記載があります。
    そもそも本件(山中注:大川原化工機事件)では、主な争点は、供述証拠に頼る共謀や故意などではなく、機械の構造に関わる客観的な事実。被告人が保釈されたからといって、「罪証隠滅」の懸念はない。
    裁判を担当する刑事第13部の平出喜一裁判長もそれを理解し、公判前整理手続のための打ち合わせの早い段階から、「長期間勾留したままで審理するのが相当な事案とはいえない」という認識を示していた。打ち合わせ内容を丁寧に書面化し、令状部の裁判官の理解を助ける配慮もしてくれた、という。

牧野賢裁判官(68期)の経歴

生年月日 H1.9.1
出身大学 中央大院(推測)
→ 「牧野賢」facebook参照
定年退官発令予定日 R36.9.1
R6.2.1 ~ 在中華人民共和国日本国大使館二等書記官
R5.12.1 ~ R6.1.31 最高裁家庭局付
R5.4.1 ~ R5.11.30 東京地裁判事補
R3.4.1 ~ R5.3.31 函館地家裁判事補
H30.4.1 ~ R3.3.31 大阪地家裁判事補
H28.1.16 ~ H30.3.31 大阪地裁判事補

*1 68期の牧野賢裁判官は,大川原化工機事件(令和2年3月11日に逮捕があったものの,令和3年7月30日に検察官が公訴取消しの申立てをしたため,同年8月2日に公訴棄却決定により終了した冤罪事件)において,令和2年10月21日付で,大川原社長ら3人(うち1人は身柄拘束中にがんが悪化したために令和3年2月7日に死亡しました。)の保釈請求を却下しました。
*2 ヤフーニュースの「命を削る「人質司法」~がん診断されても保釈は認めず・大川原化工機事件」(令和5年9月6日付)には以下の記載があります。
    10月21日、刑事第14部の牧野賢裁判官が出した決定は、またも「却下」だった。理由はこれまでと同じで、「罪証隠滅のおそれ」があるとされた。
    この日、弁護人が面会した相嶋さんは、地力で立って接見室を出ることができず、拘置所の職員を呼んで車椅子で自室に戻されるほど弱っていた。
    もはや、一刻の猶予もない。弁護団は保釈を断念し、勾留執行停止を申し立てた。期限を区切る勾留執行停止の方が、通りやすいからだ。相嶋さんの家族が、つてを頼って、横浜市内の病院に入院できるよう手はずを整えた。4度目の保釈申請を却下した本村裁判官(山中注:68期の本村理絵裁判官)が、勾留執行停止を認めた。その期間は、16日間である。


*3 東北大学HPの「裁判官の学びと職務」(令和5年11月22日に東北大学法科大学院で行われた、法科大学院学生を対象とした47期の井上泰士の講演原稿に大幅に加筆したもの)には以下の記載があります。
裁判官は、自分で決断をしなければいけないので、その決断について誰も護ってくれませんし、かばってもくれません。先ほど述べたとおり賠償とか懲戒という問題にはなりませんが、少なくとも当事者を含む世間の批判を一身に受けなければなりません。そうなりたくなければ、証拠と法律に基づく決断の質を高めるほかありません。

本村理絵裁判官(68期)の経歴

生年月日 H1.7.16
出身大学 一橋大院
定年退官発令予定日 R36.7.16
R6.4.1 ~ 福島地家裁会津若松支部判事補
R4.4.1 ~ R6.3.31 公取委審判官
R4.3.1 ~ R4.3.31 最高裁行政局付
R3.4.1 ~ R4.2.28 東京地裁判事補
H29.4.1 ~ R3.3.31 松江地家裁判事補
H28.1.16 ~ H29.3.31 松江地裁判事補

*0の1 令和6年1月9日現在の肩書は「デジタル市場企画調査室補佐」です(公正取引委員会事務総局デジタル市場企画調査室住所録(2024年1月9日現在)(住所は黒塗りです。)参照)。
*0の2 以下の資料を掲載しています。
・ 公正取引委員会事務総局事務分掌規程(平成8年6月14日事務総長通達第1号)
・ 公正取引委員会事務総局及び地方事務所の職員名簿
*1 68期の本村理絵裁判官は,大川原化工機事件(令和2年3月11日に逮捕があったものの,令和3年7月30日に検察官が公訴取消しの申立てをしたため,同年8月2日に公訴棄却決定により終了した冤罪事件)において,令和2年10月2日付で大川原社長ら3人の保釈請求を却下しました。
*2の1 捏造された事件を見破れない裁判官(大川原化工機冤罪事件から)と題するnoteに令和2年10月2日付の保釈請求却下決定の全文(担当裁判官は68期の本村理絵)が載っています。
*2の2 ヤフーニュースの「命を削る「人質司法」~がん診断されても保釈は認めず・大川原化工機事件」(令和5年9月6日付)には以下の記載があります。
    その同社(山中注:大川原化工機株式会社)に大きな災難が降ってきたのは、2018年10月3日朝だった。
    「令状が出てます」
    大川原正明社長が出勤しようと自宅を出たところで、スーツ姿の男数人が現れた。男たちは家に入って、中を見て回り、大川原社長のかばん内の書類、古い文献、妻のパソコンなどを押収した。同じころ、本社や研究所、事業所、さらには6人の役員・社員の自宅にも、同様の家宅捜索が行われた。
     捜索を行ったのは、警視庁公安部外事課の捜査員らである。以後、大川原社長らは何度も都内の警察署や警視庁本部などに呼ばれ、事情聴取を受けた。その回数は、逮捕までの間に大川原社長が40回、島田順司取締役が35回、相嶋静夫顧問が18回。従業員ら関係者を含めると、計264回に及んだ。
(中略)
     9月25日、相嶋さんは声を出すことも辛い状態となり、拘置所内の病院で診察を受けた。かなりの貧血が認められ、400ccの輸血治療が行われた。医師は、黒色便の状況などから、消化管出血が疑われる、と診断した。
     当時、相嶋さんは71歳。高血圧や糖尿病の既往症もあった。弁護団は、緊急に入院・治療の必要性があるとして、保釈申請を行った。
     しかし、刑事第14部の本村理絵裁判官は、「罪証隠滅のおそれ」があるとする、わずか4行余りの定型文で、請求を却下。「裁量で保釈することも適当でない」と述べるだけで、検査や治療の必要性に関しては、まったく言及しなかった。
    もはや、一刻の猶予もない。弁護団は保釈を断念し、勾留執行停止を申し立てた。期限を区切る勾留執行停止の方が、通りやすいからだ。相嶋さんの家族が、つてを頼って、横浜市内の病院に入院できるよう手はずを整えた。4度目の保釈申請を却下した本村裁判官(山中注:68期の本村理絵裁判官)が、勾留執行停止を認めた。その期間は、16日間である。
(中略)
 ただ、病院の予約は翌朝なので、本当は病院近くのホテルに泊まりたかった。しかし、裁判所に許された住所は自宅と病院だけだったため、制限に違反したと受け取られて執行停止を取り消されてしまうことを恐れ、無理をして自宅に戻った。妻が車椅子を押し、新幹線とタクシーで移動した。
 自宅では、妻がお粥を炊いたが、夫はまったく食べられず、ぐったりと寝ているだけ。翌日も、やはり何も口にしないまま、車で横浜に向かい、そのまま入院した。病院のベッドに横たわった相嶋さんは、安堵した様子で、声を絞り出した。
「(拘置所で)殺されるところだった。ありがとう


*3 東北大学HPの「裁判官の学びと職務」(令和5年11月22日に東北大学法科大学院で行われた、法科大学院学生を対象とした47期の井上泰士の講演原稿に大幅に加筆したもの)には以下の記載があります。
裁判官は、自分で決断をしなければいけないので、その決断について誰も護ってくれませんし、かばってもくれません。先ほど述べたとおり賠償とか懲戒という問題にはなりませんが、少なくとも当事者を含む世間の批判を一身に受けなければなりません。そうなりたくなければ、証拠と法律に基づく決断の質を高めるほかありません。

長谷川稔洋裁判官(68期)の経歴

生年月日 H1.11.24
出身大学 東大院
退官時の年齢 33歳
R5.6.30 依願退官
R3.4.1 ~ R5.6.29 東京地裁判事補
H31.4.1 ~ R3.3.31 大阪地家裁堺支部判事補
H30.4.1 ~ H31.3.31 水戸地家裁判事補
H28.1.16 ~ H30.3.31 水戸地裁判事補

*1 以下の記事も参照してください。
・ 判事補時代に退官した元裁判官の名簿(令和時代)
・ 地方裁判所支部及び家庭裁判所支部
*2 令和5年9月1日に弁護士登録をして,アンダーソン・毛利・友常法律事務所に入所しました(同事務所HPの「 長谷川 稔洋 TOSHIHIRO HASEGAWA 」参照)。

種村仁志裁判官(68期)の経歴

生年月日 S62.12.2
出身大学 不明
退官時の年齢 35歳
R5.9.30 依願退官
R3.12.1 ~ R5.9.29 名古屋家地裁岡崎支部判事補
R2.4.1 ~ R3.11.30 東京家裁判事補
H31.4.1 ~ R2.3.31 三菱地所(研修)
H31.3.25 ~ H31.3.31 東京家裁判事補
H30.4.1 ~ H31.3.24 甲府地家裁判事補
H28.1.16 ~ H30.3.31 甲府地裁判事補

* 68期の種村仁志裁判官と68期の柏戸夏子裁判官(令和4年7月6日の最高裁判所裁判官会議議事録記載の氏名は「種村夏子(68)」)の勤務場所は,68期の柏戸夏子裁判官が令和5年3月31日に依願退官するまでは似ていました。

柏戸夏子裁判官(68期)の経歴

生年月日 S63.7.19
出身大学 慶応大院
退官時の年齢 34歳
R5.3.31 依願退官
R4.8.7 ~ R5.3.30 名古屋地裁判事補
H30.4.1 ~ R4.8.6 東京地家裁判事補
H28.1.16 ~ H30.3.31 東京地裁判事補

*0 68期の種村仁志裁判官と68期の柏戸夏子裁判官の勤務場所は,68期の柏戸夏子裁判官が令和5年3月31日に依願退官するまでは似ていました。
*1 判事補任官時の氏名は「柏戸夏子」であり,令和4年7月6日の最高裁判所裁判官会議議事録には「種村夏子(68)」と書いてあるものの,新日本法規HPには「柏戸夏子」として載っています。
*2 令和5年4月,第一芙蓉法律事務所(東京都千代田区霞が関)に入所しました(同事務所HPの「弁護士紹介」参照)。
*3 以下の記事も参照してください。
・ 判事補時代に退官した元裁判官の名簿(令和時代)

加藤伸明裁判官(68期)の経歴

生年月日 S63.9.2
出身大学 愛知大院
退官時の年齢 33歳
R4.3.31 依願退官
R2.4.1 ~ R4.3.30 鹿児島地家裁判事補
H31.4.1 ~ R2.3.31 経団連21世紀政策研究所(研修)
H30.4.1 ~ H31.3.31 横浜地家裁判事補
H28.1.16 ~ H30.3.31 横浜地裁判事補

*1 令和4年6月に第一東京弁護士会で弁護士登録をして,横木増井法律事務所(東京都港区虎ノ門)に入所しました(同事務所HPの「加藤 伸明 Nobuaki Kato」参照)。
*2 以下の記事も参照してください。
・ 判事補時代に退官した元裁判官の名簿(令和時代)
 裁判官の民間企業長期研修等の名簿
・ 判事補の外部経験の概要

築山健一裁判官(68期)の経歴

生年月日 H1.8.24
出身大学 大阪大院
退官時の年齢 32 歳
R4.1.31 依願退官
R3.4.1 ~ R4.1.30 名古屋地裁判事補
H31.4.1 ~ R3.3.31 石原総合法律事務所(愛知弁)
H31.3.25 ~ H31.3.31 名古屋地裁判事補
H30.4.1 ~ H31.3.24 京都地家裁判事補
H28.1.16 ~ H30.3.31 京都地裁判事補

*1 令和4年4月1日,愛知県弁護士会で弁護士登録をして,石原総合法律事務所に入所しました(同事務所HPの「弁護士 築山健一 Kenichi Tsukiyama」参照)。
*2 以下の記事も参照してください。
・ 判事補時代に退官した元裁判官の名簿(令和時代)
・ 判事補及び検事の弁護士職務経験制度
・ 判事補の外部経験の概要

日巻功一朗裁判官(68期)の経歴

生年月日 S63.7.18
出身大学 京大院
退官時の年齢  33歳
R3.12.31 依願退官
R3.4.1 ~ R3.12.30 福井家地裁判事補
H31.4.1 ~ R3.3.31 鹿児島地家裁判事補
H30.4.1 ~ H31.3.31 神戸地家裁判事補
H28.1.16 ~ H30.3.31 神戸地裁判事補

*1 令和4年4月に第二東京弁護士会で弁護士登録をして,ヤフー株式会社に入社しました。
*2 以下の記事も参照してください。
・ 判事補時代に退官した元裁判官の名簿(令和時代)

西愛礼裁判官(68期)の経歴

生年月日 H3.11.1
出身大学 一橋大
退官時の年齢 29歳
R3.4.2 依願退官
R3.4.1 東京地裁判事補
H31.4.1 ~ R3.3.31 アンダーソン・毛利・友常法律事務所(二弁)
H31.3.25 ~ H31.3.31 東京地裁判事補
H30.4.1 ~ H31.3.24 千葉地家裁判事補
H28.1.16 ~ H30.3.31 千葉地裁判事補

*1 二弁フロンティア2020年12月号の「この一冊」において,「HUNTER× HUNTER」という作品を紹介していました。
*2 以下の記事も参照してください。
・ 判事補時代に退官した元裁判官の名簿(令和時代)
・ 判事補及び検事の弁護士職務経験制度
・ 取調べのための呼び出しに応じないことと,逮捕の必要性に関する最高裁刑事局作成の資料の記載
・ 司法修習生による取調べ修習の合法性

*3 令和3年3月26日の閣議で依願退官が決定し,同年4月2日付で裁判官を依願退官し,同月3日付でしんゆう法律事務所(大阪市北区西天満)に入所しました(同事務所HPの「お知らせ」,及び大阪弁護士会会員検索サービスの「西愛礼」参照)。
*4 しんゆう法律事務所HPの「西愛礼」には,「しんゆう法律事務所にて刑事事件重点事務所修習」とか,「家庭の事情により東京地方裁判所判事補依願退官」などと書いてあります。


*5 31期の小泉博嗣 元裁判官は,情報公開・個人情報保護審査会の第1部会の委員として,以下の文書の存否自体が行政機関情報公開法5条4号(公共の安全等に関する情報)に該当すると判断しました。
① 保釈中の被告人が保釈保証金を没取されることなく罪証隠滅に成功した事例に関して法務省が作成し,又は取得した文書(直近の事例に関するもの)(令和元年11月12日答申(令和元年度(行情)答申第296号))
② 保釈中の被告人が事件関係人に接触した結果,事件関係人の供述を自己に有利に変更して無罪判決を獲得した事例に関して法務省が作成し,又は取得した文書(直近の事例に関するもの)(令和元年11月12日答申(令和元年度(行情)答申第297号))


*6の1 ジュリスト551号(1974年1月1日付)は「刑事訴訟法25年の軌跡と展望」を掲載したものであり,刑事訴訟法の①制定の過程,②定着の過程,③展開の過程及び④将来の展望に関する記事が載っています。


*6の2 「供述拒否権」(投稿者は本田正義福岡高検検事長)には以下の記載があります(ジュリスト551号(1974年1月1日付)94頁)。
    現行刑訴法が施行になった当初、検察官が頭をかかえこんだ問題のひとつは、被疑者に供述拒否権が認められ、取調に当たってこれを告知しなければならないと改められたことであった。というのは、従来の裁判では被疑者に対する取調によってその自供を求めるか、否認の場合にはその弁解をくわしく聞き出して、これらの供述が果たして真実かどうかを他の供述証拠と対比して決めるというやり方をとってきたからである。従って、もしも供述拒否権を告知したため、被疑者から「供述を拒否する」といわれて、弁解のひとことも聞き出すことができないとしたら、検察官は真相を究明することができず、全くお手あげになると危惧されたからである。
(中略)
    ところが施行以来二五年をむかえたわけだが、供述拒否権を行使して沈黙を守る被疑者は、特別の事件は別として、一般の事件では危惧されたほど多くないことがわかったのである。情況証拠だけで有罪無罪をきめなければならないケースも旧法当時より多くなったというものの、予想された数より遥かに少ないことがわかった。最も心配された贈収賄などの検挙摘発は、旧法当時のはなやかさはなかったとしても、どうにか曲がりなりにも行われてきて、検挙困難と推測したのはき憂であることがわかった。これは警察の捜査技術が長じたためでも、検察官の尋問技術が進歩したためでもない。日本人は供述拒否権の下においても供述してくれる国民だったためである。このため裁判は昔通り供述中心の審理が行われ、供述の証拠価値に関する攻防が裁判のやまとなっていることは、今日でも旧法当時と本質的に変わりがないといえるのである。


*6の3 季刊刑事弁護79号(2014年7月20日付)41頁ないし73頁の「座談会 黙秘をどのように活用するか 具体的設例から考える」には,否認事件及び自白事件における個別のケースごとに,黙秘権を行使すべきかどうかに関する議論が載っています。


*7 以下の資料を掲載しています。
・ 令和4年11月2日付の総務省情報公開・個人情報保護審査会の答申書(令和4年(行情)第308号)
→ 「大阪地検の検察官としては,弁護人請求予定証拠の中身が信用できない場合,同意した上で信用性を争うのではなく,まずは全部不同意の意見を述べることになっていることが分かる文書」については,存否応答拒否の対象となります。
・ 令和4年11月24日付の総務省情報公開・個人情報保護審査会の答申書(令和4年(行情)第348号)
→ 「裁判の公開は,裁判の公正と司法権に対する国民の信頼を確保することなどの基本的な理念に基づき,特定の受訴裁判所の具体的判断の下に実施されているもので,その手続及び目的の限度において訴訟関係者に関する情報が開披されることがあるとしても,このことをもって直ちに,同情報を一般的に公表することが許されていると解する根拠となるものではない」と書いてあります。