江見弘武裁判官(21期)の経歴


生年月日 S18.8.24
出身大学 東大
退官時の年齢 65 歳
叙勲 H25年秋・瑞宝重光章
H20.8.24   定年退官
H19.5.7 ~ H20.8.23 高松高裁長官
H11.9.1 ~ H19.5.6 東京高裁1民部総括
H10.5.20 ~ H11.8.31 新潟家裁所長
H7.4.1 ~ H10.5.19 東京地裁1民部総括
H3.11.11 ~ H7.3.31 横浜地裁8民部総括
H2.4.1 ~ H3.11.10 東京地裁14民部総括
S62.6.1 ~ H2.3.31 東京地裁判事
S59.4.1 ~ S62.5.31 国鉄総裁室法務課調査役
S54.7.24 ~ S59.3.31 最高裁調査官
S54.7.1 ~ S54.7.23 最高裁行政局参事官
S54.4.8 ~ S54.6.30 東京地裁判事
S53.4.1 ~ S54.4.7 東京地裁判事補
S51.3.1 ~ S53.3.31 那覇地裁判事補
S48.8.1 ~ S51.2.29 最高裁民事局付
S44.4.8 ~ S48.7.31 東京地裁判事補

* 立命館大学HPの「最高裁の黒い霧を晴らす必要性と必然性――浮上・再浮上したわが国司法の4事例――」134頁には以下の記載があります。
    江見は、国鉄から裁判官に復帰したのち、ある裁判官関係の本で、訴訟関係人に対しては威丈高かつ強権的で、一般常識が欠けた裁判官と評価され、裁判官室内には JR のカレンダーを掲げ、高校の同窓会では国鉄の分割民営化に貢献したと自慢話をするなど、いわゆる傍若無人な振る舞いを続けたが、上記のように最高裁の方針に従った人であったから、裁
判組織上、高い地位についた。江見は、JR が勝訴し、国労が敗訴した上記の最高裁判決を、東京高裁の総括判事として聞いている。
    退官後、JR 東海の常勤監査役として天下りし、大江橋法律事務所という大法律事務所に籍を置いた。


広告
スポンサーリンク