司法省司法研究所の沿革


目次

1 戦前の沿革
2 戦後の沿革
3 関連記事その他

1 戦前の沿革
(1)   昭和14年7月6日,判事,検事及び司法官試補の研究・研修機関として司法省司法研究所(所長は司法次官の充て職)が刑務協会(現在の公益財団法人矯正協会)の建物に設置されました。
   しかし,昭和19年始め頃,太平洋戦争のために事実上,その活動を停止しました。
(2)ア 戦前の高等試験司法科試験(試験科目につき外部HPの「文官高等試験合格者一覧」参照)の実施は,昭和18年度が最後となりました。
イ 高等試験司法科試験の合格者は,司法試験合格者とみなされます(司法試験法付則2項参照)。
(3)ア 学徒動員のための学生の変更に対応するため,昭和17年度は二回,司法官試補の採用がありましたから,27期及び28期の司法官試補が誕生しました(司法官試補制度の沿革290頁参照)。
イ 戦前の司法官試補の任命(裁判所構成法58条1項参照)は,昭和18年10月1日付の56人及び同年12月付の1人が最後となりました(司法官試補29期)。
(4)ア 昭和13年以降,高等試験司法科試験に合格する女性が出てきましたが,司法官試補の採用は男性に限られていましたから,弁護士試補にしかなれませんでした。
イ 戦前の民法では,女性は結婚すると無能力となり,重要な法律行為をするには常に夫の同意が必要でした。
(5)「二回試験」の語源となった戦前の司法官採用制度については「司法官採用に関する戦前の制度」を参照してください。

2  戦後の沿革

(1)ア 戦後の司法官試補の任命は,①昭和20年12月付が1人,②昭和21年2月25日付が68人,③昭和21年9月30日付が28人です。
   そして,戦前に司法官試補に任命されたが兵役等の事情により修習未了であった者も含めて,①1人が昭和21年8月に修習を終了し,②29人が昭和22年3月に修習を終了し(①及び②につき司法官試補30期と称されることがあります(司法官試補制度の沿革294頁及び295頁のほか,法曹期別名簿の「司法省司法研究所」欄参照)),③52人が昭和22年12月18日に修習を終了し(高輪1期),④51人が昭和23年4月22日に修習を終了しました(高輪2期)。
イ 昭和22年5月3日の裁判所法施行の際に司法官試補であった者は,司法修習生を命ぜられたものとされ,修習期間は1年6月とされました(裁判所法施行令18条1項)。
   なお,司法官試補の実務修習も1年6月でした。
ウ 司法官試補30期からは寺田治郎裁判官(終戦時は陸軍の法務大尉)が第10代最高裁判所長官となり,高輪1期からは矢口洪一裁判官(終戦時は海軍の法務大尉)が第11代最高裁判所長官となりました。
   なお,寺田治郎裁判官は,平成26年4月1日に第18代最高裁判所長官に就任した26期の寺田逸郎裁判官の父親です。
(2)   司法省司法研究所は,昭和21年5月15日に司法省司法研修所と改称し,昭和21年7月15日に東京都芝区(昭和22年3月15日以後は港区)高輪南町の旧毛利公爵邸跡地に移転しました。

3 関連記事その他
(1) 本ページの記載は,司法官試補制度沿革(平成19年12月出版)(著者は,東京高裁6民部総括を最後に依願退官した2期の蕪山厳(かぶやまげん)裁判官を参照しました。
(2) 自由と正義2021年8月号に「司法の源流を訪ねて 司法省司法研修所と松尾實友(東京都港区)」が載っています。
(3) 以下の記事も参照してください。
・ 司法研修所五十年史(平成10年2月発行)
・ 司法研修所の沿革
・ 司法修習生の給費制,貸与制及び修習給付金


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