昭和24年7月16日発生の最高裁判所誤判事件に関する最高裁大法廷昭和25年6月24日決定

○昭和24年7月16日発生の最高裁判所誤判事件に関する最高裁大法廷昭和25年6月24日決定を,官報から抜粋して以下のとおり貼り付けています(大法廷決定であるにもかかわらず,裁判所HPの「裁判例情報」には掲載されていません。)
三淵忠彦最高裁判所長官が,同年10月17日,誤判に関与した4人の最高裁判所判事に対して辞職勧告をしたものの,4人とも辞職しませんでしたから,最高裁大法廷昭和25年6月24日決定により過料1万円の懲戒処分を受けました。
○この事件に関連して,日弁連は,昭和24年10月20日,「最高裁判所の規則無視判決について」と題する会長声明を出しました。
○事件の内容自体は,Wikipediaの「最高裁判所誤判事件」が分かりやすいです。
昭和24年10月17日の最高裁判所裁判官会議議事録(資料は省略)を掲載しています。ただし,黒塗りが多いです。

○最高裁判所

[●]過料 最高裁判所判事霜山精一外三名に対する最高裁判所昭和二十五年(分)第一号分限事件について次のとおり決定があつた。

昭和二五年(分)第一号

   決 定

最高裁判所判事 霜山 精一

最高裁判所判事 栗山  茂

最高裁判所判事 小谷 勝重

最高裁判所判事 藤田 八郎

 右各裁判官に対し、最高裁判所から懲戒の申立があつたので、当裁判所は次のように決定する。

   主 文

 被申立裁判官を各過料一万円に処する。

   理 由

 被申立裁判官は何れも最高裁判所判事であつて同裁判所第二小法廷を構成しているものであるが、昭和二十四年三月一日東京高等裁判所が片桐光晴に対する強盜致死、強盜傷人、住居侵入、銃砲等所持禁止令違反被告事件について言渡した判決に対し、被告人片桐光晴から上告の申立があり、同事件は昭和二十四年(れ)第一〇八七号として右第二小法廷に係属するに至つたところ、右被告事件について、原審東京高等裁判所が開廷した昭和二十四年二月十五日の第三回公判期日は、前回の公判開廷から引き続き十五日以上開廷しなかつた後に開かれたものであるから、同裁判所は旧刑事訴訟法第三百五十三條後段により公判手続を更新すべきにかかわらずこれを更新することなく審理した違法があるとの上告論旨に対し、刑事訴訟規則施行規則第三條第三号は、開廷後引き続き十五日以上開廷しなかつた場合においても、必要と認める場合に限り公判手続を更新すれば足りると規定しているのに右規定を看過し、原審が右更新をしなかつたのは違法であつて上告理由あるものとして、昭和二十四年七月十六日原判決を破毀し事件を原審裁判所に差戻す判決を言渡したものである。

 以上の事実は、

一、昭和二十四年(れ)第一〇八七号片桐光晴に対する強盜致死、強盜傷人、住居侵入、銃砲等所持禁止令違反被告事件記録中差戻前の第二審における各公判調書、その判決原本

一、右被告事件の上告申立書、上告趣意書、および最高裁判所第二小法廷がした判決原本

一、昭和二十五年六月九日附各被申立裁判官の陳述書(および本件懲戒申立書)

の各記載を綜合してこれを認める。

 被申立裁判官四名が昭和二十三年十二月二十三日最高裁判所の自ら制定公布した前記規則を看過してなした所為は、最高裁判所判事としての職務の遂行に必要な注意を欠いたことによるものであつて、裁判所法第四十九條にいわゆる職務上の義務に違反したものにあたる。

 よつて裁判官分限法第二條を適用し過料を選択して主文のとおり決定する。

 この決定は、裁判官田中耕太郎、同塚崎直義、同沢田竹治郎、同真野毅を除くその余の裁判官の一致した意見である。

 裁判官田中耕太郎、同塚崎直義、同沢田竹治郎は被申立裁判官に対しては戒告に処するものを相当とするとの意見である。

 裁判官真野毅の意見は次のとおりである。

 結論をまつさきに言う。本件の裁判官分限事件は、昭和二十二年法律一二七号裁判官分限法(分限法と略称する。)に基いてなされた懲戒の申立である。しかるに、この分限法は明らかに違憲無効のものであるから、これに基いてなされた本件申立は不適法として却下さるべきものであると信ずる。

 以下その理由の極めて概略を述べる。憲法七十七條は、「最高裁判所は、……裁判所の内部規律……に関する事項について、規則を定める権限を有する。」と定めている。この裁判所の内部規律(インターナル・デイスシプリン)に関する事項の中には、裁判所機構の内部における規律保持のための懲戒を含むことは勿論であるばかりでなく、実に懲戒がその内部規律の中核をなすものと言わなければならない。そして、この懲戒手続は、裁判所内部の職員に関するものであつて、一般国民の権利義務に直接の関連を有する事柄ではないのである。だから、懲戒に関する事項は最高裁判所がルールをもつて制定することのできる事項すなわちルール事項である。かゝるルール事項は、憲法上司法部の立法(最高裁判所規則)すべき領域に属し、立法部の立法(法律)をもつてしても、行政部の立法(政令)をもつてしても侵犯することを許されない領域である。従つて、ルール事項を侵犯している法律(例えば分限法)は憲法違反であり法律上の効力を有しない。

 およそ立憲国における憲法は、一人又は一群の少数者が国家権力を掌握する專制政治を排除し、権力の不当な集中を阻止し国民の自由を擁護するために、平面的に国家統治権を分割すると共に立体的にこれを各独立の国家機関に帰属せしめ、この分立した機関をしてそれぞれ統治権を行使せしめる機構を定めている。これが憲法統治の基本原理である。そして、通常統治権を立法、司法、行政の三作用に分ち、立法権は立法府に、司法権は裁判所に、行政権は行政府に属するものとして権力の分配を行つている(セパレーシヨン・オブ・パワーズ)。わが国では従来一般にこれを三権分立と呼んでいる。ここに「分」とは平面的な権力の分配を意味し、「立」とは独立した機関がこれを行う立体観を表現したものである。さて、しかしながら、三権分立を單に統治作用の本質によつてのみ理論的に分割実行するのでは、到底国政の円満な運営は期待できないという実際的考慮の下に、権力の分配に当りアメリカ憲法の制定者等は、各国家機関の間に権力の均衡を保ち、各機関をして相互に他を抑制せしめる一種特別の制度すなわち抑制均衡の制度(チエツク・エンド・バランス・システム)を採り入れた。わが新憲法もまたこの抑制均衡と三権分立の二大原則の交錯から成立つている。本質的には司法に属する彈劾裁判が国会の権限に分配され、本質的には立法に属する法律の違憲審査権が裁判所の権限に分配されているのは、抑制均衡の顯著な適例である。

 三権分立の原則上一つの国家機関に分配された権限は、その機関の活動し得る領域の範囲を画するものであつて、従つてこれはその機関の活動の積極的限界である。そして、この一つの機関の活動の積極的限界は、同時に他の機関が恣にこれを侵犯することのできない領域であつて、従つて、これは他の機関の活動の消極的限界である。立憲制度の下においては、憲法上分配された各機関の権限は、互に独立であつて、従つて互に相侵すことができないのが根本的の原理である。若し一つの機関に分配された統治権が他の機関によつて随意に侵され得るものとすれば、異る権力が同一機関の下に不当に集中したやすく專制化し、権力の分配は全く無意昧となり、專制政治を排除し国民の自由を擁護せんとする憲法の最大目的は跡方もなく踏みにじられてしまうからである。

 この道理は、抑制均衡の原則上或る機関に権力が分配された場合についても同樣である。すなわち、その分配された権力は、何れも各機関に專属し、従つて他の機関は、たとい三権分立の原則上は本質的な権限をもつているにしても、これを侵犯することを得ないのである。

 そこで、本件裁判所の内部規律に関する事項が、ジヨン・ヘンリ・ウイグモア教授のごとく本質的に司法権に属すると考えるならば、問題は頗る簡明であつてこれに関するルール制定に関したとい憲法が沈默を守つている場合においても、司法部のみがその権限を有し、立法部はこの司法部の権力を侵犯することは許されないわけである。ましてや、わが憲法七七條は、上述のように明文をもつて裁判所の内部規律に関する事項については最高裁判所がルールを制定する権限を與えている。それが、憲法三権分立の原則から認められたか、又は抑制均衡の原則から認められたかは、今は直接の関係がないから何れでもよいとして、その権限が憲法上與えられている以上立法府はこれを侵犯することができないのは当然である。

 前述のごとく憲法上の権限の分配は、或る機関の活動し得る積極的限界を定めると同時に他の機関の活動し得ざる消極的限界を定めるものであるが故に、権限の分配に当つては必ずしも特に專属的又は排他的の表現を特に用いる必要はないのである。憲法上の権限は、憲法自体が特に明示せざる限り、何れも当然に專属的・排他的の性質を有することは、わが憲法の各規定についても一々実証することが可能である。

一 まず天皇の権限を他の機関が行使し得ざることは明白である。

二 両議院の各々が、その議員の選挙又は資格に関する争訟を裁判する権限(五五條)は、他の議院、内閣又は裁判所で侵すことはできない。

三 両議院が各々、その会議その他の手続及び内部の規律に関する規則を定め、又院内の秩序をみだした議員を懲罰する権限(五八條)は、他の議院、内閣又は裁判所で侵すことはできない(米国憲法にも類似な規定があり、前同樣に解され法律をもつても侵すことができないとされている。)

四 国会が両議院の議員で組織する彈劾裁判所を設け、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判する権限(六四條)は、内閣又は裁判所で侵すことはできない。

五 内閣総理大臣の権限(七二條)は、国会、内閣又は裁判所で侵すことはできない。

六 内閣の條約締結の権限(七三條三号)は、国会又は裁判所で侵すことはできない。

七 内閣の大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定する権限(七三條七号)は、国会又は裁判所で侵すことはできない。

八 内閣が裁判官を任命する権限(七九條、八〇條)は、国会又は裁判所で侵すことはできない。

九 明治憲法の下においてさえも、貴族院の組織は貴族院令の定めるところによるから(三四條)、議会又は衆議院でこれを定めることはできないと一般に解されていた。

 前述の各事例の悉くが示すように、一機関に分配された権限は、特に專属的又は排他的の明文を要せずして、他の機関において侵犯すべからざることは十分理解することができる。しからばこれらと全く同樣に、最高裁判所に分配された裁判所の内部規律に関する事項についてのルール制定権もまた專属的又は排他的の明文がなくとも上述した憲法の基本原理に従つて法律をもつて侵犯するを得ざることは最早極めて明白である。

 憲法が裁判所の内部規律に関する事項についてのルール制定を最高裁判所の権限に委ねたのは、司法権の運営を現実に即して円滑適切に能率的に遂行するに必要適切であり且つ国会がこれを制定するよりも実際的に妥当であるとされたことは言うまでもない。一般に裁判所のルール制定権は英米法系の諸国においては主として法律の委任により行われ、すでにその妥当性、適応性が実証されたことは歴史の示すところである。わが憲法は明文をもつてこの実績を受け容れ司法的立法に完全な自治を認めた極めて進歩的な規定を設けたのである。しかし、裁判所の規則制定権が確立されるために、例えばアメリカの法曹が数十年に亘り、いかにはげしく伝統的な法律万能・立法権至上の思想と戰つて獲得した尊い歴史的努力を忘れてはならない。そこで、さらに一歩を進め、最高裁判所のルール制定権がかくも憲法自体において認められている実質的な根本理由について、歴史的背景を省察しつゝ一層深く堀り下げた探求をすることが必要となつてくる。端的に言つて憲法において最高裁判所は極めて高い地位を與えられた。それは、国民主権、戰争放棄、基本的人権の保障、違憲審査権等を通じて、最高裁判所に人類永遠の理想である平和国家、民主国家建設の歴史的な世紀の使命と重責が嚴然として負荷されているからである。そしてルール制定権は、單に裁判権行使に便益が多いという巧利主義的見地からばかりではなく、違憲審査権の裏付たるその行使の利器として、また司法権の完全自治・完全独立のための武器として、国会又は行政部の干渉を受けざらしむると共に司法部自らの内部において自律的に司法権運営に必要適切な立法をなさしめるために最高裁判所の権限に授與分配されたものである。元来司法部は、多くの国におけると同樣にわが国においても弱い部門である。だからこそ、一層この利器と武器とは、最高裁判所が負つている重責を果たす上において飽くまでも十分に活用しなければならぬところのものであるのだ。それ故に、本件分限法のごとき裁判所の内部規律に関する事項を法律をもつて侵犯している事態に対しては、敢然として違憲無効を主張すべきであるから、分限法に基く本件申立は不適法として却下するを当然とする。

 最後に私は、分限法が国会に提案されようとしていた頃から、今日と同樣の見解の下に最高裁判所において内部規律に関するルールを事前に制定する必要の存することを幾度か主張したのであつたが、その運びに至らなかつたことは、衷心から甚だ遺憾とするところである。分限法はその内容もよろしくないから、懲戒に関しては新しき司法部の運営に最も適合妥当するルールが一日も早く制定されることを期待してやまない。ローマ時代のユスチニアヌスのダイジエストの中には、「管轄権を與えられたものは、それを他の者に與えてはならない。」という格言がある。憲法上の権限を與えられたものは、それを他の機関によつて侵されてはならない。(なお分限法を違憲でないとする立場に立てば、制裁の量定は多数意見の方が正しいと私は思う。)

 昭和二十五年六月二十四日

   最高裁判所大法廷

裁判長裁判官 田中耕太郎

裁判官 塚崎 直義

裁判官 長谷川太一郎

裁判官 沢田竹治郎

裁判官 井上  登

裁判官 真野  毅

裁判官 島   保

裁判官 斎藤 悠輔

裁判官 岩松 三郎

裁判官 河村 又介

裁判官 穗積 重遠