第1 最高裁判所判事の任命と日弁連推薦の位置付け
1 最高裁判所判事を任命するのは内閣であること
日本国憲法79条1項及び裁判所法39条2項によれば,最高裁判所長官以外の最高裁判所裁判官は内閣が任命する。裁判所法41条は,最高裁判所裁判官の年齢,識見及び法律素養のほか,15人中少なくとも10人に必要な法律専門職等の経験を定めているが,弁護士出身者の定数又は日弁連の推薦権を定めてはいない。
したがって,日弁連の推薦候補者以外を内閣が任命したこと自体は,法令違反ではない。本記事でいう「弁護士出身枠」は法定の枠ではなく,最高裁判所裁判官の出身分野別構成に関する人事慣行を指す。
2 最高裁長官の意見と日弁連の候補者推薦
矢口洪一『最高裁判所とともに』97頁~98頁は,最高裁判所裁判官の人事は内閣の権限である一方,最高裁長官が首相に意見を述べることが慣例であると説明している。昭和53年9月14日の参議院決算委員会でも,内閣官房長官は,日弁連又は最高裁長官の意見を聴くことはあり得るが,最終的な任命の責任と権限は内閣にある旨を答弁した。
日弁連は,弁護士出身者が就くものと想定される欠員について,最高裁判所裁判官推薦諮問委員会で複数の候補者を選考し,日弁連会長から最高裁長官へ推薦する手続を運用してきた。これは日弁連内部の候補者選考及び意見表明の手続であり,内閣を法的に拘束するものではない。
3 本記事で取り上げる3事例
本記事では,最高裁判所判事への任命時に弁護士登録があり,その任命に先立つ日弁連の推薦候補者に含まれていなかった人物として,大塚喜一郎,本山亨及び山口厚の3人を取り上げる。
| 人物 | 最高裁判所判事就任日 | 日弁連推薦との関係 | 職業的経歴の特徴 |
|---|---|---|---|
| 大塚喜一郎 | 昭和48年2月2日 | 当時の日弁連推薦9人に含まれていなかった | 長年弁護士実務に従事し,日弁連事務総長及び第一東京弁護士会会長を経験 |
| 本山亨 | 昭和52年8月26日 | 当該欠員について日弁連が推薦した第1候補及び第2候補のいずれでもなかった | 長年名古屋で弁護士実務に従事し,別の欠員時には推薦歴があった |
| 山口厚 | 平成29年2月6日 | 日弁連が選考した7人に含まれていなかった | 就任時は弁護士登録者であったが,職業的経歴の中心は刑法学者 |
昭和24年から令和6年までの最高裁判所裁判官の任命事例を横断した令和7年公表の実証研究も,日弁連の推薦が退けられた事例を整理した表に,大塚,本山及び山口の任命を掲げている。ただし,同表が扱う範囲は本記事より広い。例えば,元原利文の任命では日弁連の上位候補者が退けられたが,元原自身も日弁連の推薦名簿に入っていたとされるため,本記事の3事例には含めない。
第2 大塚喜一郎の事例
1 日弁連推薦9人以外からの任命
裁判所の歴代裁判官一覧によれば,大塚喜一郎は昭和48年2月2日に最高裁判所判事へ就任した。山本祐司『最高裁物語(下巻)』129頁~130頁及び野村二郎『最高裁全裁判官―人と判決』185頁~186頁によれば,日弁連は9人を推薦したが,大塚はその中に含まれていなかった。
大塚は,当初,日弁連推薦名簿との関係から就任に難色を示したとされる。しかし,他に候補者がなく,辞退すれば弁護士出身者がさらに減るおそれがあるとの説明を受け,日弁連幹部とも相談して就任を受諾したと記録されている。日弁連幹部は任命当日の昭和48年2月2日,内閣官房副長官に対し,日弁連推薦候補者の尊重と,推薦外の候補者を検討する場合の事前協議を求めた。
大塚には,日弁連事務総長及び第一東京弁護士会会長の経歴があった。したがって,大塚個人の弁護士経験又は適格性と,日弁連の推薦手続が採用されなかったことに対する会内の異論とは,分けて理解する必要がある。
2 昭和48年5月26日の日弁連決議
日弁連は昭和48年5月26日,最高裁判所裁判官の任命に関する決議を採択した。決議は,当時,最高裁判所裁判官を裁判官,弁護士及び学識経験者の3分野から各5人とする慣行が守られていないと指摘し,最高裁判所裁判官任命諮問委員会を設けるなどして任命の公正を確保するよう内閣へ求めた。
同決議の理由は,日弁連の推薦を無視した任命にも言及している。ただし,決議の中心は特定の候補者の任命取消しを求めることではなく,選任基準,候補者の適格性及び具体的な選任理由をできる限り国民に明らかにする制度への改革要求であった。
なお,昭和46年には弁護士出身者の退官後に検察官出身者が任命されたため,弁護士出身者が5人から4人へ減っていた。これは,弁護士が日弁連推薦外から任命された本記事の3事例とは異なり,弁護士出身者の欠員自体が弁護士によって補充されなかった事例である。
第3 本山亨の事例
1 昭和52年8月の推薦外任命
本山亨は,藤林益三が昭和52年8月25日に退官した翌日の同月26日,最高裁判所判事へ就任した。野村二郎『最高裁全裁判官―人と判決』218頁~220頁及び東京弁護士会『東京弁護士会百年史』960頁~961頁によれば,日弁連は塚本重頼を第1候補とし,別の人物を第2候補として推薦したが,本山は当該推薦候補者に含まれていなかった。
文献は,塚本について裁判官在職時の同期が高等裁判所又は最高裁判所事務総局に在職していたため時期尚早とされたこと,本山には財界及び金融界の支持があったこと,東京以外の弁護士会からの起用という地域的要素があったことを説明している。もっとも,これらは公表された任命理由ではなく,文献が伝える人選の背景である。
2 別の欠員時の推薦歴との区別
本山は,別の最高裁判所判事の欠員については,日弁連推薦候補者の1人となったことがあった。しかし,昭和52年8月の藤林退官時には日弁連推薦候補者ではなく,所属していた名古屋弁護士会も本山を推薦しなかったと『東京弁護士会百年史』960頁~961頁は記録している。
したがって,「過去に日弁連から推薦されたことがある人物」と「今回の欠員について日弁連が推薦した人物」は区別しなければならない。本山の事例は,この区別を示す典型例である。
3 塚本重頼の正確な就任日
裁判所の歴代裁判官一覧によれば,塚本重頼が最高裁判所判事へ就任した日は昭和54年4月2日である。昭和56年10月17日は就任日ではなく退官日である。
第4 山口厚の事例
1 2人の退官と2人の任命を一体として見る必要
平成29年1月13日の閣議は,山口厚及び林景一を最高裁判所判事に任命することを同時に決定した。日弁連の平成28年度会務報告書92頁(PDF実頁98頁)は,櫻井龍子及び大橋正春の定年退官に伴い,山口及び林を任命する人事が決定されたと記載している。
時系列では,櫻井が平成29年1月15日に退官し,山口が同年2月6日に就任した後,大橋が同年3月30日に退官し,林が同年4月10日に就任した。しかし,公表資料は2人の退官と2人の任命を一体として扱っているため,「櫻井の後任が山口であり,大橋の後任が林である」という一対一の公式な対応関係を日付順だけから導くことはできない。
出身分野別構成と次に述べる日弁連の選考経過を合わせれば,山口が弁護士出身枠,外交官であった林が行政官出身枠を占めたと理解するのが自然である。ただし,これは公表資料全体からの整理であり,法令上の後任関係を示すものではない。
2 10人の推薦から7人を選考した日弁連
日弁連の平成28年度会務報告書92頁(PDF実頁98頁)によれば,日弁連は,大橋が平成29年3月30日に退官する予定であったため,平成28年2月26日,全国の弁護士会及び弁護士会連合会へ候補者の推薦を依頼した。10人が推薦され,推薦諮問委員会は10人全員と面接し,7人を候補者として選考した上で,平成28年11月,日弁連会長から最高裁長官へ推薦した。
山口は,この7人に含まれていなかった。令和7年公表の実証研究は,当時の新聞報道に基づき,内閣がより広い範囲からの人選を求め,これを受けて最高裁判所が複数の候補者を追加した名簿を提出したとする。他方,内閣又は最高裁判所が公表した資料からは,追加された候補者の氏名,追加の時期又は具体的な選考経過を確認できない。確認できる事実,報道に基づく研究上の整理及び公表されていない事項を区別する必要がある。
3 弁護士登録と職業的経歴を分ける必要
山口は平成28年8月1日に第一東京弁護士会へ登録し,約6か月後の平成29年2月6日に最高裁判所判事へ就任した。裁判所の歴代裁判官一覧及び閣議議事録は,山口を弁護士及び大学院教授として扱っているため,「弁護士ではなかった」とするのは正確でない。
他方,山口の職業的経歴の中心は刑法学者であり,大塚及び本山のように長期間の弁護士実務を経た人物とは異なる。本記事では,任命時の形式的資格としては弁護士登録者であり,出身分野別構成上は弁護士出身枠として扱われた一方,実質的な職業経歴は法学者であったと整理する。
4 平成29年7月4日付け報告書画像
原記事に掲載されていた次の画像は,内閣官房副長官補室が平成29年7月4日付けで作成した報告書である。日弁連推薦候補者の氏名,推薦順位及び最高裁長官から内閣へ示された候補者等が分かる行政文書の開示請求と,その不開示決定に対する審査請求の経過を記載している。

この画像だけから,原記事が言及していた大阪地方裁判所平成30年1月16日判決の事件番号,事件名又は判示内容を特定することはできない。同日付けの大阪地方裁判所の裁判例は裁判所HP未掲載であり,判決との関係が確認できないため,本記事では判示内容を記載しない。
第5 3事例から分かる推薦と任命の関係
大塚及び本山は,長年の弁護士実務と弁護士会活動の経歴を持ちながら,当該欠員についての日弁連推薦候補者には含まれなかった。山口は,任命時には弁護士登録者であったが,登録から就任まで約6か月であり,職業的経歴の中心は刑法学者であった。この違いを示さずに3人を単に「日弁連推薦外の弁護士」と並べると,出身分野の実質について誤解を招く。
また,「弁護士登録者」,「長期の弁護士実務経験者」,「日弁連推薦候補者」及び「弁護士出身枠として扱われた人物」は,それぞれ異なる概念である。さらに,法令上の内閣の任命権,最高裁長官が意見を述べる慣行,出身分野別構成の慣行及び日弁連内部の推薦手続も,別々に理解する必要がある。
第6 関連記事
第7 出典・参考資料
1 法令
2 公的資料
② 日本弁護士連合会「最高裁判所裁判官の任命に関する決議」(昭和48年5月26日)
③ 日本弁護士連合会『平成28年度の日弁連の会務報告書』92頁(PDF実頁98頁)
④ 内閣官房「閣議及び閣僚懇談会議事録」(平成29年1月13日)2頁~4頁
⑤ 第84回国会参議院決算委員会会議録第5号(昭和53年9月14日,発言42~49)
3 文献
① 山本祐司『最高裁物語(下巻)』(日本評論社,1994年)129頁~132頁
② 野村二郎『最高裁全裁判官―人と判決』(三省堂,1986年)185頁~186頁・218頁~220頁
③ 東京弁護士会『東京弁護士会百年史』(東京弁護士会,1980年)960頁~961頁
④ 矢口洪一『最高裁判所とともに』(有斐閣,1993年)97頁~98頁
⑤ 佐藤駿丞「内閣は最高裁判所裁判官の指名・任命をめぐる慣行を尊重してきたか」『政治経済学研究論集』9号(2021年)61頁~82頁,特に74頁~75頁
⑥ Shunsuke Sato, “Cabinet rejection of Supreme Court candidates in Japan”, Japanese Journal of Political Science, Vol. 26, No. 4(2025年)247頁~265頁,特に表1