目次
第1 弁護士出身の最高裁判所裁判官の氏名の推移(昭和時代及び平成時代)
第2 弁護士枠の取扱いに関する事例
第3 弁護士枠の最高裁判所判事の任期は短くなっていること
第4 日弁連推薦枠の最高裁判事に対する評価の一例
第5 関連記事その他
第1 弁護士出身の最高裁判所裁判官の氏名の推移(昭和時代及び平成時代)
・ 昭和22年8月4日から平成31年4月30日までの,弁護士出身の最高裁判所裁判官の氏名は以下のとおりであり,昭和36年12月30日から昭和38年12月12日までの間,弁護士出身の最高裁判所判事は2人しかいませんでした。
また,弁護士出身の最高裁判所判事が実質的に5人だった時期は,①昭和22年8月4日から昭和23年6月28日までの間,②昭和26年10月5日から同年11月30日までの間及び③昭和45年7月31日から昭和46年4月26日までの間だけでした(山口厚最高裁判所判事が弁護士出身であるとした場合,④平成29年2月26日から同年3月30日までの間も含まれます。)。
1 昭和22年8月4日,三淵忠彦(元 三井信託銀行法律顧問)が初代最高裁判所長官となる。
① 昭和22年 8月 4日~ :塚崎直義(元 東弁会長),長谷川太一郎(元 一弁会長),真野毅(元 二弁会長),小谷勝重(元 大弁会長),庄野理一(東弁出身)
② 昭和23年 6月29日~:塚崎直義,長谷川太一郎,真野毅,小谷勝重
2 昭和25年3月3日,田中耕太郎(元 文部大臣)が第2代最高裁判所長官となる。
① 昭和26年 2月15日~:長谷川太一郎,真野毅,小谷勝重
② 昭和26年 4月12日~:長谷川太一郎,真野毅,小谷勝重,谷村唯一郎(元 東弁会長)
③ 昭和26年10月 5日~:長谷川太一郎,真野毅,小谷勝重,谷村唯一郎,本村善太郎(一弁出身)
④ 昭和26年12月 1日~:真野毅,小谷勝重,谷村唯一郎,本村善太郎
⑤ 昭和31年11月11日~:真野毅,小谷勝重,本村善太郎
⑥ 昭和31年11月22日~:真野毅,小谷勝重,本村善太郎,河村大助(東弁出身)
⑦ 昭和32年 1月15日~:真野毅,小谷勝重,河村大助
⑧ 昭和32年 1月30日~:真野毅,小谷勝重,河村大助,高橋潔(一弁出身)
⑨ 昭和33年 6月 9日~:小谷勝重,河村大助,高橋潔
3 昭和35年10月25日,横田喜三郎(元 東京大学法学部長)が第3代最高裁判所長官となる。
① 昭和35年12月24日~:河村大助,高橋潔
② 昭和35年12月27日~:河村大助,高橋潔,山田作之助(神戸弁出身)
③ 昭和36年12月30日~:河村大助,山田作之助
④ 昭和38年 6月 2日~:山田作之助
⑤ 昭和38年 6月 6日~:山田作之助,城戸芳彦(東弁出身)
⑥ 昭和38年12月13日~:山田作之助,城戸芳彦,柏原語六(元 東弁会長)
⑦ 昭和41年 4月22日~:城戸芳彦,柏原語六
⑧ 昭和41年 5月10日~:城戸芳彦,柏原語六,色川幸太郎(元 大弁会長)
4 昭和41年8月6日,横田正俊(元 東京高等裁判所長官)が第4代最高裁判所長官となる。
① 昭和42年 1月17日~:城戸芳彦,柏原語六,色川幸太郎,松本正雄(元 二弁会長)
② 昭和42年 9月20日~:城戸芳彦,色川幸太郎,松本正雄,飯村義美(元 東弁副会長)
5 昭和44年1月11日,石田和外(元 東京高等裁判所長官)が第5代最高裁判所長官となる。
① 昭和45年 7月31日~:城戸芳彦,色川幸太郎,松本正雄,飯村義美,藤林益三(一弁出身)
② 昭和45年12月20日~:色川幸太郎,松本正雄,飯村義美,藤林益三
③ 昭和45年12月22日~:色川幸太郎,松本正雄,飯村義美,藤林益三,小川信雄(東弁出身)
④ 昭和46年 4月27日~:色川幸太郎,松本正雄,藤林益三,小川信雄
⑤ 昭和46年12月 6日~:色川幸太郎,藤林益三,小川信雄
⑥ 昭和46年12月 7日~:色川幸太郎,藤林益三,小川信雄,坂本吉勝(二弁出身)
⑦ 昭和48年 1月30日~:藤林益三,小川信雄,坂本吉勝
⑧ 昭和48年 2月 2日~:藤林益三,小川信雄,坂本吉勝,大塚喜一郎(元 一弁会長)
6 昭和48年5月21日,村上朝一(元 東京高等裁判所長官)が第6代最高裁判所長官となる。
① 昭和50年 8月 7日:藤林益三,坂本吉勝,大塚喜一郎
② 昭和50年 8月 8日~:藤林益三,坂本吉勝,大塚喜一郎,本林譲(元 日弁連事務総長)
③ 昭和51年 3月27日~:藤林益三,大塚喜一郎,本林譲,環昌一(二弁出身)
7 昭和51年5月25日,藤林益三(一弁出身)が第7代最高裁判所長官となる。
8 昭和52年8月26日,岡原昌男(元 大阪高等検察庁検事長)が第8代最高裁判所長官となる。
① 昭和52年 8月26日~:大塚喜一郎,本林譲,環昌一,本山亨(元 名古屋弁会長)
② 昭和54年 3月31日~:大塚喜一郎,環昌一,本山亨
9 昭和54年4月2日,服部高顕(元 大阪高等裁判所長官)が第9代最高裁判所長官となる。
① 昭和54年 4月 2日~:大塚喜一郎,環昌一,本山亨,塚本重頼(東弁出身)
② 昭和55年 2月 5日:環昌一,本山亨,塚本重頼
③ 昭和55年 2月 6日~:環昌一,本山亨,塚本重頼,宮崎梧一(一弁出身)
④ 昭和56年10月18日~:環昌一,本山亨,宮崎梧一
⑤ 昭和56年11月 2日~:環昌一,本山亨,宮崎梧一,大橋進(東弁出身)
⑥ 昭和57年 4月12日~:本山亨,宮崎梧一,大橋進,木戸口久治(元 二弁会長)
⑦ 昭和57年 8月11日~:宮崎梧一,大橋進,木戸口久治
⑧ 昭和57年 8月16日~:宮崎梧一,大橋進,木戸口久治,和田誠一(元 大弁会長)
10 昭和57年10月1日,司法官試補30期の寺田治郎(元 東京高等裁判所長官)が第10代最高裁判所長官となる。
① 昭和59年 5月 5日~:大橋進,木戸口久治,和田誠一
② 昭和59年 5月 8日~:大橋進,木戸口久治,和田誠一,島谷六郎(一弁出身)
11 昭和60年11月5日,高輪1期の矢口洪一(元 東京高等裁判所長官)(高輪1期)が第11代最高裁判所長官となる。
① 昭和61年 1月 9日~:大橋進,和田誠一,島谷六郎
② 昭和61年 1月17日~:大橋進,和田誠一,島谷六郎,坂上壽夫(二弁出身)
③ 昭和61年 4月24日~:大橋進,島谷六郎,坂上壽夫
④ 昭和61年 5月21日~:大橋進,島谷六郎,坂上壽夫,佐藤哲郎(東弁出身)
⑤ 昭和61年 6月13日~:島谷六郎,坂上壽夫,佐藤哲郎,林藤之輔(1期・大弁出身)
⑥ 昭和62年 8月 7日~:島谷六郎,坂上壽夫,佐藤哲郎
⑦ 昭和62年 9月 5日~:島谷六郎,坂上壽夫,佐藤哲郎,奥野久之(元 神戸弁会長)
⑧ 平成2年 1月 5日~:島谷六郎,坂上壽夫,奥野久之
⑨ 平成2年 1月11日~:島谷六郎,坂上壽夫,奥野久之,橋元四郎平(6期・元 日弁連事務総長)
⑩ 平成2年 1月24日~:坂上壽夫,奥野久之,橋元四郎平
12 平成2年2月20日,3期の草場良八(元 東京高等裁判所長官)が第12代最高裁判所長官となる。
① 平成2年 2月20日~:坂上壽夫,奥野久之,橋元四郎平,佐藤庄一郎(2期・元 日弁連事務総長)
② 平成2年 8月27日~: 坂上壽夫,橋元四郎平,佐藤庄一郎
③ 平成2年 9月 3日~: 坂上壽夫,橋元四郎平,佐藤庄一郎,木崎良平(3期・元 大弁会長)
④ 平成5年 4月 1日~: 橋元四郎平,佐藤庄一郎,木崎良平,大野正男(6期・元 日弁連理事)
⑤ 平成5年 4月13日~:佐藤庄一郎,木崎良平,大野正男,大白勝(6期・元 神戸弁会長)
⑥ 平成6年 2月16日~:木崎良平,大野正男,大白勝,尾崎行伸(7期・元 一弁会長)
⑦ 平成6年 7月25日~:大野正男,大白勝,尾崎行伸,河合伸一(9期・元 大弁副会長)
⑧ 平成7年 2月13日~:大野正男,尾崎行伸,河合伸一,遠藤光男(7期・元 日弁連司法修習委員会委員長)
13 平成7年11月7日,7期の三好達(元 東京高等裁判所長官)が第13代最高裁判所長官となる。
① 平成9年 9月 3日~:尾崎行伸,河合伸一,遠藤光男
② 平成9年 9月 8日~:尾崎行伸,河合伸一,遠藤光男,元原利文(7期・元 神戸弁会長)
14 平成9年10月31日,9期の山口繁(元 福岡高等裁判所長官)が第14代最高裁判所長官となる。
① 平成11年 4月19日~: 河合伸一,遠藤光男,元原利文
② 平成11年 4月21日~:河合伸一,遠藤光男,元原利文,梶谷玄(11期・元 一弁会長)
③ 平成12年 9月13日: 河合伸一,元原利文,梶谷玄
④ 平成12年 9月14日~:河合伸一,元原利文,梶谷玄,深澤武久(13期・元 東弁会長)
⑤ 平成13年 4月22日~: 河合伸一,梶谷玄,深澤武久
⑥ 平成13年 5月 1日~:河合伸一,梶谷玄,深澤武久,濱田邦夫(14期・元 二弁副会長)
⑦ 平成14年 6月11日~:梶谷玄,深澤武久,濱田邦夫,滝井繁男(15期・元 大弁会長)
15 平成14年11月6日,13期の町田顕(元 東京高等裁判所長官)が第15代最高裁判所長官となる。
① 平成16年 1月 5日:梶谷玄,濱田邦夫,滝井繁男
② 平成16年 1月 6日~:梶谷玄,濱田邦夫,滝井繁男,才口千晴(18期・元 日弁連倒産法改正問題検討委員会委員長)
③ 平成17年 1月15日~: 濱田邦夫,滝井繁男,才口千晴
④ 平成17年 1月19日~:濱田邦夫,滝井繁男,才口千晴,中川了滋(16期・一弁出身)
⑤ 平成18年 5月24日:滝井繁男,才口千晴,中川了滋
⑥ 平成18年 5月25日~:滝井繁男,才口千晴,中川了滋,那須弘平(21期・元 二弁副会長)
16 平成18年10月16日,16期の島田仁郎(元 大阪高等裁判所長官)が第16代最高裁判所長官となる。
① 平成18年10月31日:才口千晴,中川了滋,那須弘平
② 平成18年11月 1日~:才口千晴,中川了滋,那須弘平,田原睦夫(21期・元 日弁連司法制度調査会副会長)
③ 平成20年 9月 3日~:中川了滋,那須弘平,田原睦夫,宮川光治(20期・元 日弁連懲戒委員会委員長)
17 平成20年11月25日,21期の竹崎博允(元 東京高等裁判所長官)が第17代最高裁判所長官となる。
① 平成21年12月23日~: 那須弘平,田原睦夫,宮川光治
② 平成21年12月28日~:那須弘平,田原睦夫,宮川光治,須藤正彦(22期・元 日弁連綱紀委員会委員長)
③ 平成24年 2月11日~: 田原睦夫,宮川光治,須藤正彦
④ 平成24年 2月13日~:田原睦夫,宮川光治,須藤正彦,大橋正春(24期・元 一弁民事訴訟問題等特別委員会委員長)
⑤ 平成24年 2月28日: 田原睦夫,須藤正彦,大橋正春
⑥ 平成24年 3月 1日~:田原睦夫,須藤正彦,大橋正春,山浦善樹(26期・元 日弁連司法修習委員会副委員長)
⑦ 平成24年12月27日~: 田原睦夫,大橋正春,山浦善樹
⑧ 平成25年 2月 6日~: 田原睦夫,大橋正春,山浦善樹,鬼丸かおる(27期・元 東弁高齢者・障害者の権利に関する特別委員会委員長)
⑨ 平成25年 4月23日~: 大橋正春,山浦善樹,鬼丸かおる
⑩ 平成25年 4月25日~:大橋正春,山浦善樹,鬼丸かおる,木内道祥(27期・元 大弁ハーグ条約問題検討プロジェクトチーム座長)
トラックの走行中に前輪タイヤが脱落し,歩行者らを死傷させた刑事事件の最高裁判決(平成24年2月8日第三小法廷判決,裁判所時報1549号72頁)。何気なく読んでみた。田原睦夫裁判官が反対意見を述べている。激務の中で思考し分析し,極めて精緻な反対意見を展開されている。ひたすら尊敬。
— 弁護士中所克博 (@K_Nakajo) March 24, 2012
18 平成26年4月1日,26期の寺田逸郎(元 広島高等裁判所長官)が第18代最高裁判所長官となる。
① 平成28年 7月 4日~:大橋正春,鬼丸かおる,木内道祥
② 平成28年 7月19日~:大橋正春,鬼丸かおる,木内道祥 ,木澤克之(29期・元 東弁司法修習委員会委員長)
③ 平成29年 2月 6日~:大橋正春,鬼丸かおる,木内道祥 ,木澤克之,山口厚(期外・一弁出身・元 東京大学大学院法学政治学研究科長)
④ 平成29年 3月31日~:鬼丸かおる,木内道祥 ,木澤克之,山口厚
⑤ 平成30年 1月 2日~:鬼丸かおる,木澤克之,山口厚
19 平成30年1月9日,29期の大谷直人(元 大阪高等裁判所長官)が第19代最高裁判所長官となる。
① 平成30年 1月 9日~:鬼丸かおる,木澤克之,山口厚,宮崎裕子(31期・一弁出身・元 東京大学法科大学院客員教授)
② 平成31年 2月 7日~:木澤克之,山口厚,宮崎裕子
③ 平成31年 2月13日~:木澤克之,山口厚,宮崎裕子,草野耕一(32期・一弁出身・元 東京大学大学院法学政治学研究科客員教授)
第2 弁護士枠の取扱いに関する事例
1 昭和26年10月5日から昭和33年6月2日までの間,最高裁判所判事をしていた小林俊三(定年退官)は戦前,二弁の弁護士であったものの,昭和22年12月23日に東京高等裁判所長官に就任していたため,裁判官枠としてカウントされています。
2(1) 定年退官予定の坂本吉勝(弁護士枠)の後任として,日弁連が最高裁に対して環昌一(たまき・しょういち)弁護士(元裁判官)及び久米愛弁護士(昭和15年に弁護士登録をした,日本最初の女性弁護士です。)の2人を推薦したことが昭和51年2月6日に報道されました(久米愛弁護士は,女性で初めて最高裁判所判事の候補者となりました)(女性法曹のあけぼの(平成25年4月24日付)249頁ないし253頁参照)。
(2) 結果として,環昌一弁護士は昭和51年3月27日に最高裁判事となり,久米愛弁護士は同年7月14日に膵臓がんで死亡しました。
3 昭和54年4月2日から昭和56年10月17日まで最高裁判所判事をしていた塚本重頼(病気を理由に依願退官)は最初の8年間,裁判官をしていたもの,昭和22年に弁護士に転身しましたから,弁護士枠としてカウントされています。
4 最高裁全裁判官-人と判決-110頁及び111頁には,次長検事から最高裁判所判事になった長部謹吾(おさべきんご)に関して以下の記載があります(この点に関連して,日弁連HPには「最高裁判所判事後任推せんに関する声明」(昭和38年5月25日付)が載っています。)
最高裁入りは三八年四月五日。六二歳のとき。高木常七の後任であった。
高木は弁護士出身だったが、日弁連に適任者がなかったためである。日弁連では当初、名古屋高裁長官の近藤倫二(第一東京弁護士会出身)ら三人の候補をあげていた。最高裁も異論がなく、中垣国男法相も近藤の起用に決める腹づもりでいた。
しかし、裁判官、弁護士、学識経験者のそれぞれ五人ずつの出身構成が、弁護士会側の後任難のため崩れかけ、裁判官出身者の比率が多くなるのを懸念し、いったん裁判官となった人より生粋の弁護士を、と考慮した。
ところが、適任者がおらず、ひとまず、三八年五月に退官する検察官(池田克)の枠を、今度の弁護士の枠に振り替え、長部の起用となった。
これより前の三六年に死去した高橋潔の後任人事のときも弁護士出身に適任者がなく、東京高裁長官の横田正俊が起用された前例があり、そのときとほぼ同じ形となった。
遺言執行者をした後に特定の相続人の代理人をすれば原則として懲戒されますが,
私が代理人として関与した懲戒請求の場合,破産管財人をした後に非免責債権に関して破産者の訴訟代理人をした兵庫県弁護士会副会長経験者は日弁連懲戒委員会の全員一致で懲戒されませんでした。https://t.co/qE20MMGBxJ— 弁護士 山中理司 (@yamanaka_osaka) October 3, 2019
第3 弁護士枠の最高裁判所判事の任期は短くなっていること
・ 宮川光治弁護士(平成20年9月3日から平成24年2月27日までの最高裁判所判事)は,自由と正義2013年6月号20頁において以下のことを書いています(改行を追加しています。なお,東弁リブラ2012年6月号に「前最高裁判所判事 宮川光治会員」が載っています。)。
我が国の最高裁判事の任期は短い。なかでも弁護士出身の判事,とりわけ私と同じ東京弁護士会出身の判事の任期はこれまで短い人が少なくない。近年でも3年余の人が幾人もいる。その理由について,デヴィット・S・ロー(西川伸一訳)「保守的最高裁の解剖-日本の司法を審査する-」政経論叢79巻1・2号(2010年)は,リベラル派リスクへの対応であるとしている。憶測にすぎないと思う。
理由は,一つには弁護士会が候補者の推薦にあたり高裁長官からなる人たちより任期が長くならないよう抑制してきたことにある。二つには,弁護士会枠というのが最近までは厳然としてあって,かつて5人だった弁護士出身の判事が4人となって以降,東京,第一東京,第二東京,大阪の4弁護士会で弁護士出身判事4人のポストを分け合ってきた。最大弁護士会である東京弁護士会は二人から一人となり,適格者が多く任期を短くするほかなかったことがある。任期が7,8年ある人には実際に声がかからなかったのである。
近年,弁護士会枠が少し揺らいできて,日弁連が広く日弁連全体に適任者を求める方向にあるのはよいことである。さらに,10年は仕事をすることができるよう,60歳前後の人たちを中心に推薦すべきであろう。数年程度の任期では軌道に乗ったときに退官となる。
活力ある最高裁とするためには,ひとりひとりの判事の個性が輝くとともに,国民に名をよく知ってもらうことが必要である。出たり入ったりの回転ドア人事では,いつまでも「名もない顔もない司法」(ダニエル・H・フット)と言われ続けるであろう。
第4 日弁連推薦枠の最高裁判事に対する評価の一例
・ 「司法の可能性と限界と-司法に役割を果たさせるために-」(講演者は31期の井戸謙一 元裁判官)には以下の記載があります(法と民主主義2019年12月号20頁及び21頁)。
長年、日弁連推薦枠から最高裁判事になった方々は、有能で人格的にも立派な弁護士として、多くの人から尊敬されていた人たちだったと思いますが、最近はそういう人がいないという感じがします。これには最高裁判事の選任手続の問題があると思いますが、これはまたあとで申し上げます。
(中略)
いまの最高裁判事の山口裁判官が選ばれたときに、内閣は日弁連の推薦名簿の登載者をすべて蹴飛ばして山口裁判官を最高裁判事に任命しました。これは大問題だと思います。こういうかたちで行政、政府が自分の意に添う人間を最高裁判事にするなどということが続くと、三権分立は本当に絵に描いた餅になってしまう。
けれどもこのことはほとんど報道されていません。僕もかなりあとから知ったような気がします。こうしたことをマスコミが深刻な問題として大々的に報道するような状況を作る必要があります。
第5 関連記事その他
1 日弁連は,昭和33年3月22日,以下の内容を含む「最高裁判所機構改革の実現と裁判官の任命に関する声明」を発表しました。
最高裁判所の裁判官は民主主義を基幹とする新憲法の趣旨に則り、単なる職業裁判官のみでなく、広く人格識見の卓越した人材を以て、これに充てることは最高裁判所発足当初からの一大原則であり、既に慣行の確立されているところである。
しかるに近時最高裁判所裁判官の任命については、在野法曹からの任命を回避しようとする傾向がある。かくの如きは、官僚独善を示すものであって、民主主義に反し最高裁判所の使命と職責を没却するものと言わざるを得ない。
2 政治経済学研究論集(明治大学大学院)第12号(2023年2月28日発行)に「最高裁判所裁判官の選任における出身分野枠の変更に関する一考察」(筆者は佐藤駿丞)が載っています。
3 東京弁護士会の期成会HPに「最高裁判所での3年6カ月を振り返って」(講演者は20期の宮川光治 元最高裁判所判事)が載っています。
4 以下の記事も参照してください。
・ 日弁連推薦以外の弁護士が最高裁判所判事に就任した事例
・ 最高裁判所裁判官の任命に関する各種説明
・ 最高裁判所発足時の裁判官任命諮問委員会,及び最高裁判所裁判官任命諮問委員会設置法案等
・ 日弁連最高裁判所裁判官推薦諮問委員会
R030527 最高裁の不開示通知書(最高裁判所裁判官を退官した後,どのような手続を取れば,行政文書又は司法行政文書の開示手続で開示されない情報を,自らが著者となる市販の書籍に記載できるかが分かる文書)を添付しています。 pic.twitter.com/q7UkcRlky0
— 弁護士 山中理司 (@yamanaka_osaka) May 28, 2021