生年月日 S8.3.20
出身大学 京大
退官時の年齢 65 歳
叙勲 H15年春・勲二等瑞宝章
H10.3.20 定年退官
H7.6.30 ~ H10.3.19 大阪高裁3刑部総括
H5.7.5 ~ H7.6.29 山口家裁所長
H2.4.1 ~ H5.7.4 広島高裁松江支部長
S62.4.1 ~ H2.3.31 大阪高裁判事
S58.4.1 ~ S62.3.31 神戸地裁4刑部総括
S56.4.1 ~ S58.3.31 大阪高裁判事
S52.4.1 ~ S56.3.31 岡山地裁1刑部総括
S50.4.1 ~ S52.3.31 高松高裁判事
S49.4.1 ~ S50.3.31 高松地家裁判事
S45.3.20 ~ S49.3.31 松山家地裁判事
S42.5.1 ~ S45.3.19 東京地家裁判事
S42.4.6 ~ S42.4.30 札幌地家裁判事
S38.4.8 ~ S42.4.5 札幌地家裁判事補
S35.4.11 ~ S38.4.7 最高裁訟廷部付
S33.3.15 ~ S35.4.10 大阪地家裁判事補
S32.4.6 ~ S33.3.14 東京地家裁判事補
*1 北海道千歳郡恵庭町(現在の北海道恵庭市)で発生した恵庭事件に関する札幌地裁昭和42年3月29日判決の右陪席裁判官として,自衛隊の実態を調べるべきだという合議において主張したものの,多数決の結果,無罪判決とすることで自衛隊の合憲性に関する判断は回避されました。
*2 平成7年4月1日発行の最高裁物語(下巻)99頁には以下の記載があります。
(山中注:恵庭事件では)無罪判決なのに検察側が自衛隊審理を回避できたことで喜びあう奇妙な幕切れ。沈痛な表情の弁護団。そしてその後、青法協会員裁判官・角谷のたどった道がなんとも暗示的なのだ。「恵庭事件」のあと、角谷は東京家裁へ異動。一年目は家事審判、二年目は少年事件、三年目には強く刑事事件を希望したが、「意に沿えない」と拒否された。
京大卒、基本的人権を重視する”新刑訴派”の法理に通じ、エリートコースといわれる最高裁事務総局の局付判事補に選ばれたほどの優秀な裁判官。そして次の異動は昭和四五年、松山家裁。
「向こうでは刑事事件をやらせてもらうよ」と笑って赴いたが、松山でも「刑事裁判官」のポストがなく家裁の少年事件担当のまま、失意のうちに病に倒れた。その後回復して、大阪高裁などを経て平成五年(一九九三)には山口家裁所長。