その他

外国旅行に関する一般的な参考情報

1 外国旅行に関するHP
(1)ア 外国旅行をする場合,外務省HPの「海外安全ホームページ」を熟読した方がいいと思います。
また,たびレジ(外務省海外安全情報配信サービス)(3ヶ月以上外国に滞在する場合における,旅券法16条に基づく在留届とは別です。)に登録しておいた方がいいと思います(外務省HPの「海外へ渡航される皆様へ」参照)。
イ 外務省HPに「ゴルゴ13の中堅・中小企業向け海外安全対策マニュアル」に載っています。
(2) JTB HPに「海外観光ガイド」が,旅工房HPに「海外ツアー」,トラベルコHPに「海外旅行」が載っています。
また,H.I.S.HPは海外旅行・国内旅行の総合旅行サイトとなっています。
(3)ア 世界一周堂HP「世界一周航空券」が載っています。
イ 「1週間で行く!世界一周」によれば,成田→ロンドン(2日目は終日,観光)→ニューヨーク(4日目は終日,観光)→成田という旅程であれば,7日で世界一周ができるみたいです。
(4) 「初心者のための海外旅行の注意点と持ち物ガイド」というHPがあります。

2 パスポート,ビザ等
(1) 外務省HPに「パスポート(旅券)」が載っています。
(2) 東京都生活文化局HP「パスポート」には以下の記載があります。
◆【米国大使館情報】ESTA申請に関する情報
• ESTAの申請は渡米日(出発)の72時間前までに行うことを強く推奨する旨の注意喚起が出されました。
• ESTA申請の審査プロセスの変更に伴って、ESTA申請は即時に承認されなくなりました。
• 渡米される予定がある方は遅くとも出発の72時間前までに申請してください。
(3) aoitrip.jp「パスポートのスタンプ 世界各国のコレクション」が載っています。
(4) 短期滞在ビザまるわかり!HP「短期滞在ビザの日本国査証と証印の見方がわかる15のチェック項目」が載っています。

家賃相場・土地価格相場等の情報

目次
1 家賃相場等の情報
2 土地価格相場等の情報
3 不動産投資に関するメモ書き
4 関連記事その他
   
1 家賃相場等の情報
(1) 都道府県ごとの家賃相場については,ホームズHP「家賃相場」を参照して下さい。
(2)ア 賃貸マンションの入居審査については,ルーチHP(お部屋探しのコツや知識まとめブログ)の「入居審査を突破する方法と落ちた人の特徴」が参考になります。
イ アパートとマンションについて法的な区別はないものの,アパートの場合,木造建てとか軽量鉄骨造りが多いのに対し,マンションの場合,鉄骨コンクリート造り(RC),鉄筋鉄骨コンクリート造り(SRC)等が多いです(引越しまとめ.com「アパートとマンションの違いをわかりやすく解説!【初心者必見】」参照)。
(3) UR賃貸住宅に入居するためには,家賃額の4倍,又は33万円(世帯で申し込む場合)若しくは25万円(単身で申し込む場合)の月収のほか,前年分の源泉徴収票及び本年度の課税証明書といった,収入を証明する書類が必要です(UR賃貸住宅HPの「お申込み資格について」参照)。
   そのため,13万5000円の修習給付金しか収入扱いにならない司法修習生が単身でUR賃貸住宅に入居することはできないと思います。
(4)ア 消費者契約である居住用建物の賃貸借契約に付されたいわゆる敷引特約は,保証金から控除されるいわゆる敷引金の額が賃料月額の3.5倍程度にとどまっており,上記敷引金の額が近傍同種の建物に係る賃貸借契約に付された敷引特約における敷引金の相場に比して大幅に高額であることはうかがわれないなど判示の事実関係の下では,消費者契約法10条により無効であるということはできません(最高裁平成23年7月12日判決)。
イ 保証金(敷金)及び礼金(敷引)が0円のいわゆる「ゼロゼロ物件」の場合,短期解約違約金特約(例えば,1年以内に賃貸借契約を解約した場合,家賃2ヶ月分の違約金が発生するという特約),滞納保証会社の利用及び若干の家賃の値上げがセットになっていることが普通です(大阪府宅建協会HP「賃貸借契約における短期解約の違約金について」参照)。
(5)  地方住宅供給公社が賃貸する住宅の使用関係については,借地借家法32条1項の適用があります(最高裁令和6年6月24日判決)。


2 土地価格相場等の情報
(1)ア   都道府県ごとの土地価格相場については,土地代データHPが分かりやすいです。
    元データのうちの公示地価は,毎年1月1日時点における標準地の正確な価格を3月に公示する地価公示であって,国土交通省土地総合情報システム「国土交通省地価公示・都道府県地価調査」に掲載されています。
イ   国土交通省HPの「地価公示」の場合,平成25年以降についていえば,①表45-2及び表45-3において都道府県別の住宅地及び商業地につき,都道府県別地価動向が地図で表示されていますし,②表46-1ないし表46-6において,東京圏,大阪圏及び名古屋圏の住宅地及び商業地につき,市区町村別地価動向が地図で表されています。
(2) 三鬼商事株式会社HPの「オフィスマーケットを見る」に,オフィスビル市況の動向や詳細データ等が載っています。
   「今月号の各種データを見る」には,札幌,仙台,東京,横浜,名古屋,大阪及び福岡に関する最新のオフィスビルの情報が載っています。
(3) 公益社団法人大阪府不動産鑑定士協会は毎年3月及び9月,「鑑定おおさか」をHPに掲載しています。
(4) 新築物件は家賃相場の300倍程度,中古物件は家賃相場の200倍程度で売り出されているみたいです(TRENDY HP「家を「買う・借りる」あなたにはどっちが合う? おトクの目安「200倍の法則」とは?」参照)。
3 不動産投資に関するメモ書き
(1)   単に利回りといった場合,表面利回り(グロス利回り)のことであり,年間の満室想定の家賃収入÷物件価格×100%で計算します。
    これに対して実質利回りは,(年間家賃収入-年間運営経費)÷(物件価格+購入経費)×100%で計算します。
    そのため,表面利回りよりも実質利回りの方が大事になるのですが,実質利回りを正確に見積もることは非常に難しい(大家の味方HPの「表面利回り・実質利回りの違いを理解せよ!」参照)ため,簡便的な実質利回りが推奨されています(大家の味方HPの「物件探しには実質利回りを簡便に使え」参照)。
(2) 立地が悪い物件ほど空室率が高くなるため年間家賃収入が減りますし,築年数が古い物件ほど修繕費用が高くなるため年間運営経費が高くなりますから,表面利回りと実質利回りの差が大きくなります。
(3)ア 国税庁HPに「建物の標準的な建築価額表」(昭和46年から平成27年まで)が載っています。
イ 宮建築設計HPに以下の頁が載っています。
① 建築費の坪単価,相場等の最新情報
② 現場監理の重要性
③ 建築費を削減し良い建物を建てるには
④ 解体費用の相場,坪単価
(4) WIRED.Inc HPに「不動産会社だけが知る「建物の価格算出方法」をお教えします。」が載っています。
(5) 日本不動産研究所HPの「不動産投資家調査」には,想定基準ビル,各地区の標準的ビル,賃貸住宅,商業店舗,物流施設,倉庫,宿泊特化型ホテル等の期待利回り等が載っています。
また,「不動産鑑定評価の基礎知識」には,不動産の財としての特性,不動産鑑定評価制度,公的土地評価制度と不動産鑑定評価のことが書いてあります。
(6) 大阪府不動産鑑定士協会HPに「大阪府エリア別不動産利回り調査」が載っています。

4 関連記事その他
(1) 一般財団法人不動産適正取引推進機構(retio)HP(宅建試験の実施団体です。)に「不動産価格情報の流通実態~公益と秘匿性の間で~」(平成28年12月2日付)が載っています。
(2) 以下の記事も参照してください。
・ 宅建業に関するメモ書き
・ 私道に関するメモ書き
 司法修習の場所を選ぶ際の基礎データ
・ 第2希望の実務修習地の選び方

都道府県・市区町村等の情報

目次
1 都道府県・市区町村の情報
2 地方六団体
3 都道府県・市区町村の過去の情報
4 平成元年以降の主な火山噴火
5 その他の情報
    
1 都道府県・市区町村の情報
(1) 全国の自治体の場所を調べる場合,地方公共団体情報システム機構(J-LIS)HP「全国自治体マップ検索」が参考になります。
(2) 都道府県と市区町村の人口や地名などのデータについては,外部HPの「都道府県市区町村」が参考になります。
    また,Wikipediaに「日本の市の人口順位」が載っています。
(3) 全国の都道府県・市区町村ごとのうわさ話については,外部HPの「chakuwiki」が参考になります。
(4) 「人口統計ラボ」HPを見れば,丁目ごとの人口総数及び世帯数が分かります。
    例えば,大阪弁護士会が所在する大阪市北区西天満1丁目の場合,人口総数は583人であり,世帯総数は346となっています。
(5) 国立社会保障・人口問題研究所HP「日本の地域別将来推計人口(平成25年3月推計)」には,平成22年以降,5年ごとの,市区町村ごとの,年齢別の将来推計人口が載っています。
(6) 市区町村ごとの,年収別の世帯数については,「世帯の年間収入マップ」が参考になります。
(7) 総務省統計局HPの「人口推計(平成28年10月1日現在)」(平成29年4月14日公表)によれば,前年に比べて人口が増えた都道府県は7都県であり,そのうち東京都,愛知県及び沖縄県は社会増加・自然増加であり,埼玉県,千葉県,神奈川県及び福岡県は社会増加・自然減少です。
(8)ア 平成28年10月1日現在の20の政令指定都市の一覧が外部HPの「政令指定都市の一覧」に載っています。
    昭和31年9月1日の制度施行当初,政令指定都市は横浜市,名古屋市,大阪市,京都市及び神戸市の5市(五大都市行政監督特例(大正15年6月24日勅令第212号)に基づく五大都市と同じです。)だけでした。
イ 20の政令指定都市の市長は,「指定都市市長会」を構成しています。
(9) スーモの「みんなが選んだ住みたい街ランキング2017」のうち,「関東住みたい街ランキング2017」では,JR中央線の吉祥寺,JR山手線の恵比寿,JR京浜東北線の横浜,JR山手線の目黒,JR山手線の品川,東急東横線の武蔵小杉,JR山手線の池袋,東急東横線の中目黒,JR山手線の東京,JR山手線の渋谷になっています。
    また,「関西住みたい街ランキング2017」では,阪急神戸線の西宮北口,地下鉄御堂筋線の梅田,地下鉄御堂筋線のなんば,北大阪急行の千里中央,阪急神戸線の夙川(しゅくがわ),阪急神戸線の岡本,阪急神戸線の神戸三宮,地下鉄御堂筋線の江坂,地下鉄御堂筋線の天王寺,阪急神戸線の御影となっています。
(10) 地図情報サイトである「マップナビおおさか」には,大阪市に関する都市計画,固定資産地籍図等が載っています。
    堺市HPの「堺市固定資産(土地)地番参考図」「区選択画面」には,固定資産税の土地評価のため土地の所在(丁・町名,地番),配置等を表示した地図が載っています。
(11) Mapionの地図を利用すれば,標高,住所,政令指定都市の行政区等が分かります。
(12) 日本☆地域番付HPに,都道府県・市区町村の各種ランキングが載っています。
    
2 地方六団体
(1) 地方六団体(地方自治法263条の3)は以下のとおりです。
ア 都道府県レベル
① 全国知事会
② 全国都道府県議会議長会
イ 市レベル
③ 全国市長会
④ 全国市議会議長会
ウ 町村レベル
⑤ 全国町村会 
⑥ 全国町村議会議長会
(2) 全国知事会,全国市長会及び全国町村会は執行3団体ともいわれます。
    全国都道府県議会議長会,全国市議会議長会及び全国町村議会議長会は議会3団体ともいわれます。

3 都道府県・市区町村の過去の情報

(1)   市制(明治21年4月25日法律第1号)に基づき,明治22年4月1日,31都市に市制が施行され,同年5月1日に東京市,同年6月1日に岡山市,同年10月1日に名古屋市及び徳島市,同年12月15日に松山市,明治23年2月15日に高松市,同年7月1日に岐阜市及び甲府市,同年10月1日に鳥取市で市制が施行されました(合計40都市)。
    このうち,東京市,京都市及び大阪市については,「市制中東京市京都市大阪市ニ特例ヲ設クルノ件」(明治22年3月23日法律第12号)により東京市,京都市及び大阪市の3市には市長及び助役を置かず,市長の職務は府知事が,助役の職務は書記官が行うなどの特例(市制特例)が定められ,明治31年10月になってから,市会推薦市長が任命されるようになりました。
(2) 過去の市町村合併等の地図表記については,外部HPの「市町村変遷パラパラ地図」が参考になります。
(3) 戦前の地方制度においては,府県は,国家公務員である官選知事によって率いられる国の総合出先機関としての性格を持った不完全自治体であり,市町村に対しても広範囲の指揮監督権を有していました。
    ただし,市町村は,府県とは異なり,戦前から完全な地方自治体として位置づけられており,市町村長は,市町村議会における選挙で選ばれていたものの,国や府県の監督を受ける存在でした(レファレンス2006年9月号「昭和20 ・30 年代の道州制論議-地方制度調査会速記録を中心に-」参照)。4 平成元年以降の主な火山噴火
(1) 平成3年6月3日,雲仙普賢岳(うんぜんふげんだけ)(長崎県の島原半島)で火砕流が発生し,43人が死亡しました。
(2) 平成12年3月29日,有珠山(うすさん)(北海道)の火山活動に基づき,気象庁から緊急火山情報が出されました。
(3) 平成12年9月1日,三宅島(みやけじま)(東京都の伊豆諸島)の火山活動に基づき,全島民に島外避難指示が出されました。
(4) 平成23年1月27日,新燃岳(しんもえだけ)(鹿児島県及び宮崎県)で爆発的噴火がありました。
(5) 平成26年9月27日,御嶽山(おんたけさん)(長野県及び岐阜県)で噴火があり,火口付近に居合わせた登山者ら58人が死亡し,5人が行方不明となり,日本における戦後最悪の火山災害となりました(火山灰噴出量は,雲仙普賢岳の400分の1です。)。
(6) 平成27年5月29日,口之永良部島(くちのえらぶじま)(鹿児島県)で爆発的噴火がありました。

5 その他の情報
(1) Japan Nomad~日本の魅力を巡る旅~ブログに,「自転車日本一周に必要&おすすめの装備・持ち物【総まとめ】!!」が載っています。
(2) 全国の気象データについては,気象庁HPの「過去の気象データ検索」が参考になります。
(3) 全国の過去の航空写真については,国土交通省国土地理院HPの「地図・空中写真・地理調査」に含まれる「地図・空中写真閲覧サービス」が参考になります(ピンク色が空中写真です。)。
(4) 全国電話帳データを元に作成したという,名字由来netを見れば,どの名字の人がどの都道府県・市区町村に何人ぐらいいるかがわかります。
(5) 気象庁HPの「台風経路図」に,昭和27年以降に発生した台風の経路が載っています。
(6) JapanTaxi株式会社が運営している全国タクシーHP「タクシー料金検索」を使えば,駅・住所・施設間のタクシー料金を計算できます。
(7) 地図蔵HPの「地図で距離測定」を使えば,グーグルマップで直線距離を計測できます。
(8) なんちゃって.com HPの「地図上に好きな半径の円を描けます」を使えば,グーグルマップで好きな半径の円を描けます。
(9) 大島てるHPの「事故物件公示サイト」に,事故物件の情報が載っています。
(10) 株式会社建設データバンク関西版HPの「建築物お知らせ看板情報【関西版】」には,大阪,京都及び神戸における建設工事のお知らせ看板情報が載っています。
(11) 東京都は,平成14年10月1日以降,1人1泊につき100円又は200円の宿泊税を徴収しています(東京都主税局HPの「宿泊税」参照)。
    大阪府は,平成29年1月1日以降,1人1泊につき100円,200円又は300円の宿泊税を徴収しています(大阪府HPの「大阪府の宿泊税について」参照)。
(12)ア 関東地方整備局HPの「関東地方整備局の事務所・管理所」に,関東地方整備局の51事務所・管理所HPへのリンクが載っています。
イ 近畿地方整備局HPの「近畿地方整備局管内事務所一覧」に,道路担当事務所HP,河川担当事務所HP,公園担当事務所HP,港湾・空港担当事務所HP,官庁営繕担当事務所HP及び技術調査等担当事務所HPへのリンクが載っています。
(13)ア 総務省HPに「国内各都市の戦災の状況」が載っています。
イ ヤフージャパンHPに「空襲の記録」が載っています。
(14) 出店ウォッチHPに,全国の商業施設の出店情報が載っています。
(15) 都市レポHP(全国の再開発情報・再開発マップ)に東京,大阪,名古屋,横浜,福岡及び神戸の埼葛情報が載っています。

日本の空港及び航空路線

目次
1 空港
2 航空路線
3 保安検査
4 日本航空機駿河湾上空ニアミス事故に関する最高裁平成22年10月26日決定
5 空港関係の訴えの適法性
6 関連記事その他

1 空港
(1) 国土交通省HPの「空港一覧」に空港(拠点空港,地方管理空港及びその他の空港),ヘリポート・非公共用飛行場の一覧が載っています。
(2) 拠点空港は以下のとおりです(位置関係につき「空港分布図」参照)。
ア 会社管理空港
① 成田国際空港 ② 中部国際空港 ③ 関西国際空港 ④ 大阪国際空港
イ 国管理空港
① 東京国際空港 ② 新千歳空港 ③ 稚内空港 ④ 釧路空港
⑤ 函館空港   ⑥ 仙台空港  ⑦ 新潟空港 ⑧ 広島空港
⑨ 高松空港   ⑩ 松山空港  ⑪ 高知空港 ⑫ 福岡空港
⑬ 北九州空港  ⑭ 長崎空港  ⑮ 熊本空港 ⑯ 大分空港
⑰ 宮崎空港   ⑱ 鹿児島空港 ⑲ 那覇空港
ウ 特定地方管理空港
① 旭川空港   ② 帯広空港  ③ 秋田空港 ④ 山形空港
⑤ 山口宇部空港
(3) 国際拠点空港は,成田国際空港関西国際空港(KIX)及び中部国際空港(セントレア)となります(国土交通省HPの「国際拠点空港」参照)。
(4)ア 平成2年11月当時,関西国際空港(平成6年9月開港)の対岸にあるりんくうタウンには,地上100m以上の超高層ビル計画は最低でも11本あり,それにゲートタワー2本を加えると13本になりましたから,梅田周辺を超える超高層ビル街が誕生する予定でした(超高層ビルとパソコンの歴史HP「りんくうタウン狂走曲」参照)。
イ 実際に建設されたのは,平成8年10月完成のりんくうゲートタワービルだけです。
(5)ア aumo HP「羽田空港で仮眠を取りたい時に!おすすめの場所&過ごし方をご紹介♡」が載っています。
イ たびハックHP「空港活用術」「関空利用者必見!仮眠・休憩できる場所をおすすめ順に全部まとめてみた|LCC朝便の人要チェック!」が載っています。
ウ 格安航空券エアトリ空旅.com「初めてで乗り方が分からず不安!?空港の入口から飛行機の搭乗口までの流れ 」が乗っています。

2 航空路線
(1)ア 地図蔵HPの「国内線航空路線」に,東京,羽田,大阪,関西,中部,福岡,新千歳,那覇,仙台,広島の国内線航空路線が載っています。
イ 地図蔵HPの「国際線航空路線」に,成田,東京,関西,中部,福岡,新千歳,仙台,那覇,広島,その他の国際線航空路線が乗っています。
(2) トラベルコHP「国内格安航空券」を使えば,LCC含む国内航空券予約サイトを一括検索・比較ができます。
(3) 国立国会図書館HPレファレンス平成26年8月号に「地方空港及び離島航空路線の現状-長崎県を事例に-(現地調査報告)」が載っています。

3 保安検査
(1) TRIP EDITORの「実は海外より緩い? なぜ日本の空港の「保安検査」でトラブルが起こるのか」には以下の記載があります。
    空港での保安検査は、実はずっと昔から行われていたわけではありません。成田空港の公式サイトによると、日本で乗客の保安検査が行われるようになったのは、1973(昭和48)年から。
    1970(昭和45)年3月31日に「よど号事件(B727)」、8月19日「あかしや号事件(B727)」と国内ハイジャック事件も続いており、当初は「ハイジャック防止」が目的だったとのことです。
(2) 国土交通省HPの「航空機搭乗前の保安検査を受けるにあたっての注意事項について」には以下の記載があります。
    令和4年3月10日から、航空法の改正により、保安検査を受けなかった場合の罰則等の規定が設けられました。
    保安検査場では、国際的に協調した必要な保安水準の維持のため、旅客の皆さまに対し、上着及び靴を脱いでの検査、着衣の上から直接触れる接触検査などを実施しております。

    保安検査は航空法にもとづく検査です。保安検査員及び関係職員の指示にしたがって検査を受けて下さい。
    検査を受けないと航空機に搭乗することはできません。


4 日本航空機駿河湾上空ニアミス事故に関する最高裁平成22年10月26日決定
(1)ア 平成13年1月31日発生の,日本航空機駿河湾上空ニアミス事故では,最高裁平成22年10月26日決定(上告棄却決定)によって,業務上過失傷害罪に基づき,航空管制官2名に対する禁錮1年(実地訓練生)又は禁錮1年6月(実地訓練の監督者),執行猶予3年の有罪判決が確定し,当該航空管制官2名は,国家公務員法76条・38条2号に基づき失職しました。
イ 最高裁平成22年10月26日決定は航行中の航空機同士の異常接近事故について,便名を言い間違えて降下の管制指示をした実地訓練中の航空管制官及びこれを是正しなかった指導監督者である航空管制官の両名に業務上過失傷害罪が成立するとされた事例です。
(2)ア 最高裁平成22年10月26日決定の裁判官櫻井龍子の反対意見には以下の記載があります(改行を追加しています。)。
    そもそも本件ニアミスの発生原因を総合的に判断すると,航空管制では間に合わないような接近事例における衝突等回避のためのいわば最後の砦として,TCASを一定規模以上の航空機に搭載することが義務付けられたにもかかわらず,管制指示とRAが相反した場合の優先関係という最も重要かつ基本的な運用事項が明確に定められていなかったことが,本件ニアミスに関連することは明らかである(TCAS開発を主導した米国の航空マニュアル等にはRAが管制指示に優先することが明記されていた。)。
    航空機の運航のように複雑な機械とそれを操作する人間の共同作業が不可欠な現代の高度システムにおいては,誰でも起こしがちな小さなミスが重大な事故につながる可能性は常にある。それだからこそ,二重,三重の安全装置を備えることが肝要であり,その安全装置が十全の機能を果たせるよう日々の努力が求められるというべきである。
    また,所論は,本件のようなミスについて刑事責任を問うことになると,将来の刑事責任の追及をおそれてミスやその原因を隠ぺいするという萎縮効果が生じ,システム全体の安全性の向上に支障を来す旨主張するが,これは今後検討すべき重要な問題提起であると考える。
イ Wikipediaの「空中衝突防止装置」には以下の記載があります。
    FAAやその他ほとんどの国の機関では、TCAS RAと航空交通管制(ATC) の指示が食い違う場合には、常にTCAS RAが優先する、と規則に定められている。これは仮にある航空機がTCAS RAに従い、別の機がそれに反してATCの指示に従うと、2001年1月31日に静岡県駿河湾)上空で発生した日本航空機駿河湾上空ニアミス事故や、2002年7月1日にドイツで発生したユーバーリンゲン空中衝突事故のような空中衝突を起こしてしまう可能性があるからである。


5 空港関係の訴えの適法性
(1) 不適法な訴え
ア 差止め請求
・ 民事上の請求として一定の時間帯につき航空機の離着陸のためにする国営空港の供用の差止めを求める訴えは,不適法です(大阪空港訴訟に関する最高裁大法廷昭和56年12月16日判決)。
・ 民事上の請求として自衛隊の使用する航空機の離着陸等の差止め及び右航空機の騒音の規制を求める訴えは不適法です(厚木海軍飛行場訴訟に関する最高裁平成5年2月25日判決)。
ウ アメリカ合衆国軍隊の航空機の横田基地における夜間離発着は,我が国に駐留する合衆国軍隊の公的活動そのものであり,その活動の目的ないし行為の性質上,主権的行為であることは明らかであって,国際慣習法上,民事裁判権が免除されるものであることに疑問の余地はありませんから,差止請求は認められません(横田基地訴訟に関する最高裁平成14年4月12日判決)。
イ 将来給付の訴え
・  飛行場において離着陸する航空機の発する騒音等により周辺住民らが精神的又は身体的被害等を被っていることを理由とする損害賠償請求権のうち事実審の口頭弁論終結の日の翌日以降の分は,判決言渡日までの分についても,将来の給付の訴えを提起することのできる請求権としての適格を有しません( 横田基地訴訟に関する最高裁平成19年5月29日判決)。
(2) 適法な訴え
ア  定期航空運送事業免許に係る路線を航行する航空機の騒音によつて社会通念上著しい障害を受けることとなる飛行場周辺住民は,当該免許の取消しを訴求する原告適格を有します(最高裁平成元年2月17日判決)。
イ 厚木海軍飛行場訴訟に関する最高裁平成28年12月8日判決は,「自衛隊が設置し,海上自衛隊及びアメリカ合衆国海軍が使用する飛行場の周辺住民が,当該飛行場における航空機の運航による騒音被害を理由として自衛隊の使用する航空機の運航の差止めを求める訴えについて,行政事件訴訟法37条の4第1項所定の「重大な損害を生ずるおそれ」があると認められた事例です。

6 関連記事その他
(1) エアトリ「飛行機(国内線)は何分前に空港に到着するべき?航空会社の搭乗締切時間一覧」には「国内線を利用する場合、「1時間前」までに空港に到着しておくと良いでしょう。空港に到着してから搭乗までは、チケットや荷物の手続きを行う必要があります。また、手荷物検査を受けなければなりません。」と書いてあります。
(2) 第3次新横田基地公害訴訟HP「横田基地と訴訟・運動の経過」が載っています。
(3) 国際航空運送についてのある規則の統一に関する条約(ワルソー条約)25条1項(ヘーグ改正条約による改正前のもの)にいう「訴が係属する裁判所の属する国の法律によれば故意に相当すると認められる過失」とは,我が国の法律上,「重大な過失」を意味します(最高裁昭和51年3月19日判決)。
(4) 以下の記事も参照してください。
・ 大阪府及びその周辺の鉄道の沿革

日本の高速バス

1 高速バスの路線
(1) JRバスの予約サイトとしては「高速バスネット」があり,一部のJRバス及び私鉄・専業系バスの予約サイトとしては「発車オ~ライネット」「導入バス会社様(敬称略)」参照)があります。
(2)ア 高速バスドットコムHPには,高速バス・夜行バス・深夜バスの予約・格安情報が載っています。
イ 夜行バス比較ナビHPには,高速バス片道の最安値情報等が載っています。
(3) NAVITIMEの「高速バス時刻表」を利用すれば,都道府県・日時から高速バスを検索できます。
(4) 東京・大阪間,及び東京・広島間では,ドリームスリーパーという,全室扉付き完全個室の夜行高速バスが運行しています。

2 高速バスのバスターミナル
(1) 大阪ルッチHP「大阪駅のJR高速バスターミナルを写真付きで紹介しまっせ!」が載っています。
(2)ア バスラボHP「難波OCATまでの行き方教えます。各交通機関からの道のり」が載っています。
イ OCATはOsaka City Air Terminalの略称でありますところ,南海なんば 高速バスターミナルとは異なります。
(3) バスとりっぷHPに以下のページがあります。
① はじめてでも迷わない! 大阪の難波周辺のバスターミナルを徹底解説!【OCATほか】 シャワー・風呂が使えるスパ・温浴施設も
② 夜行バスを降りたらシャワー&お風呂! 高速バス利用者に嬉しいシャワー付きの漫画喫茶・ネットカフェ&温浴施設まとめ
→ 東京,新宿,名古屋,大阪,仙台などのシャワー付きのマンガ喫茶・ネットカフェが紹介されています。

3 バスロケーションサービス
(1) 高速バスロケーションサービス「バスここ」を使えば,高速バスの現在位置を検索できます。
(2)ア  バスロケーションサービス「Bus-Vision」株式会社リオス(岡山市中区)が運営)を導入しているバス会社のバスについては,バスの運行状況をリアルタイムにスマホで確認できます。
イ 「バス会社名+バスビジョン」で検索すれば,Bus-Visionを導入しているかどうかが分かります。
ウ 日本旅行HP「バス会社一覧」が載っています。

日本の鉄道

目次
1 鉄道の路線図
2 鉄道の日
3 旧国鉄の分割民営化等
4 新幹線の開業時期
5 東京・大阪間の最短所要時間の推移
6の1 東海道新幹線関係
6の2 その他新幹線関係情報
7 東京駅,新大阪駅及び名古屋駅に関する情報
8 青春18きっぷ
9 交通系ICカード
10 電車内での携帯電話の利用
11 平成元年以降の,主な鉄道死亡事故
12 鉄道関係の事件例・事故例
13 平成30年6月18日午前7時58分発生の,大阪府北部での地震におけるJR西日本の運転再開状況
14 鉄道の安全に関する規範
15 人身事故関係
16   JRの3大鉄道博物館
17 関連記事その他

1 鉄道の路線図
(1) ヤフージャパン路線情報の以下の路線図が分かりやすいです。
札幌エリア仙台エリア東京エリア横浜エリア名古屋エリア京都エリア大阪エリア神戸エリア福岡エリア
(2) 駅すぱあとHPの「全国路線図」を見れば,全国の路線図が分かります(最初は東京駅中心の地図が表示されます。)。
(3) 鉄道会社HPの路線図は以下のとおりです。
ア JR6社の路線図
①   JR東日本(東京都渋谷区)の路線図東京近郊路線図
② JR東海(名古屋市中村区)の路線図
③ JR西日本(大阪市北区)の路線図
④ JR九州(福岡市博多区)の路線図
⑤ JR北海道(札幌市中央区)の路線図
⑥ JR四国(高松市)の路線図
イ 大手私鉄16社の路線図
①   東武鉄道(東京都墨田区)の路線図・駅情報
② 西武鉄道(埼玉県所沢市)の電車・駅のご案内
③ 京成電鉄(千葉県市川市)の時刻表・路線図
④ 京王電鉄(東京都多摩市)の路線案内
⑤ 東京急行電鉄(東京都渋谷区)の各駅情報(路線図)
⑥ 京浜急行電鉄(東京都港区)の路線図・各駅情報
⑦ 東京メトロ(東京都台東区)の路線・駅の情報
⑧ 小田急電鉄(東京都新宿区)の路線図・各駅のご案内
⑨ 相模鉄道(横浜市西区)の路線図
⑩ 名古屋鉄道(名古屋市中村区)の路線・駅情報
⑪ 近畿日本鉄道(大阪市天王寺区)の路線図・停車駅のご案内
⑫ 南海電気鉄道(大阪市浪速区)の路線図・停車駅
⑬ 京阪電気鉄道(大阪市中央区)の駅・路線図(バスのりかえ)
⑭ 阪神電気鉄道(大阪市福島区)の路線図
⑮ 阪急電鉄(大阪市北区)の路線図・駅情報
⑯ 西日本鉄道(福岡市中央区)の路線図
ウ その他
① 東京メトロ東京地下鉄株式会社)及び都営地下鉄東京都交通局)の地下鉄路線図
・ 浅草線,三田線,新宿線及び大江戸線の4路線を運航しています(東京都交通局HPの「都営地下鉄」参照)。
・ 平成16年3月31日までは,東京メトロは帝都高速度交通営団(営団地下鉄)(昭和16年7月4日設立)でした。
②   大阪メトロ路線図
・ 地下鉄・ニュートラム路線図,大阪シティバス路線図,及び大阪シティバス営業所別路線図が載っています。
・ 平成30年3月31日までは,大阪市交通局でした。

2 鉄道の日
(1)ア   明治5年9月12日(1872年10月14日)に新橋駅~横浜駅間に日本で最初の鉄道が開業しました。
   その関係で,毎年10月14日は,大正11年に「鉄道記念日」となり,平成6年に「鉄道の日」になりました(国土交通省HPの「「鉄道の日」について」参照)。
イ Wikipediaの「日本の鉄道開業」が参考になります。
(2)ア 新橋駅は,大正3年12月20日の東京駅開業に伴い旅客営業を廃止して汐留駅となり,昭和61年11月1日に廃止され,平成14年に汐留シオサイトになりました。
   また,旧新橋停車場は鉄道歴史展示室となっています。
イ 横浜駅は,大正4年8月15日,2代目横浜駅(大正12年9月1日の関東大震災で焼失)の開業に伴い桜木町駅となり,関東大震災で開業時からの駅舎が焼失しました。

3 旧国鉄の分割民営化等
(1) 明治41年12月5日,逓信省鉄道局(監督組織)及び帝国鉄道庁(現業組織)が統合して内閣鉄道院となり,大正9年5月15日,鉄道省となり, 昭和18年11月1日,運輸通信省鉄道総局となり,昭和20年5月19日,運輸省鉄道総局となりました。
   昭和24年6月1日,日本国有鉄道(国鉄)が発足しました。
(2) JR6社は,昭和62年4月1日,旧国鉄の分割民営化により発足しましたところ,国土交通省HPの「国鉄改革について」が参考になります。
(3) 国鉄労働組合HPの「23年検証」に,JR不採用事件政治解決資料(例えば,平成22年6月29日付の最高裁和解調書抜粋),国鉄「分割・民営化」関係資料が載っています。
(4)ア 国鉄改革に伴い発足した日本国有鉄道清算事業団は,平成10年10月22日に解散し,日本鉄道建設公団 国鉄清算事業本部がその業務を引き継ぎました。
   しかし,特殊法人改革に伴い,平成15年10月1日以降,独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構(略称は「鉄道・運輸機構」です。) 国鉄清算事業本部が引き継ぎました(鉄道・運輸機構HP「沿革」参照)。
イ 鉄道・運輸機構HP「国鉄清算事業」「国鉄清算事業関係」と題するパンフレットが載っています。


4 新幹線の開業時期nippon.com「新幹線の歴史」等参照)
(1) 昭和39年10月 1日,東海道新幹線(東京~新大阪間)が開業しました。
(2) 昭和47年 3月15日,山陽新幹線(新大阪~岡山間)が開業しました。
(3) 昭和50年 3月10日,山陽新幹線(岡山~博多間)が開業しました。
(4) 昭和57年 6月23日,東北新幹線(大宮~盛岡間)及び上越新幹線(大宮~新潟間)が開業しました。
(5) 昭和60年 3月14日,東北・上越新幹線(上野~大宮間)が開業しました。
(6) 平成 3年 6月20日,東北・上越新幹線(東京~上野間)が開業しました。
(7) 平成 4年 7月 1日,山形新幹線(ミニ新幹線)(福島~山形間)が開業しました。
(8) 平成 9年 3月22日,秋田新幹線(ミニ新幹線)(盛岡~秋田間)が開業しました。
(9) 平成 9年10月 1日,北陸(長野)新幹線(高崎~長野間)が開業しました。
(10) 平成11年12月 4日,山形新幹線(山形~新庄間)が開業しました。
(11) 平成14年12月 1日,東北新幹線(盛岡~八戸間)が開業しました。
(12) 平成16年 3月13日,九州新幹線(鹿児島ルート)(新八戸~鹿児島中央間)が開業しました。
(13) 平成22年12月 4日,東北新幹線(八戸~新青森間)が開業しました。
(14) 平成23年 3月12日,九州新幹線(鹿児島ルート)(博多~新八戸間)が開業しました。
(15) 平成27年 3月14日,北陸新幹線(長野~金沢間)が開業しました。
(16) 平成28年 3月26日,北海道新幹線(新青森~新函館北斗間)が開業しました(北海道新幹線HP参照)。
(17) 令和 4年度に九州新幹線(長崎ルート)(武雄温泉~長崎間)が開業する予定です。
(18) 令和 7年度に北陸新幹線(金沢~敦賀間)が開業する予定です。
(19) 令和 9年にリニア中央新幹線(品川~名古屋間)が開業する予定です。
(20) 令和17年度に北海道新幹線(新函館北斗~札幌間)が開業する予定です。
(21) 令和27年にリニア中央新幹線(名古屋~新大阪間)が開業する予定です。



5 東京・大阪間の最短所要時間の推移
nippon.com「新幹線の歴史」等によれば,東京・大阪間の最短所要時間の推移は以下のとおりです。
昭和35年:こだまの6時間30分(最高時速110km)
昭和39年:ひかりの4時間   (最高時速210km)
昭和40年:ひかりの3時間10分(最高時速210km)
昭和61年:ひかりの2時間56分(最高時速220km)
平成 4年:のぞみの2時間30分(最高時速270km)
平成19年:のぞみの2時間25分(最高時速270km)
平成27年:のぞみの2時間22分(最高時速285km)


6の1 東海道新幹線関係
(1) 東海道新幹線の完全ガイドHPに以下の記事があります。
① 新幹線で領収書を入手する方法
② 全国の新幹線での車内販売の有無
→ 東海道新幹線の場合,「こだま」の車内販売は平成26年に廃止されました。
③ 新幹線の繁忙期,閑散期
(2)ア 東海道新幹線の車両につき,平成11年3月に700系が導入され(JR東海HPの「700系」参照),平成19年7月にN700系が導入され,平成25年2月にN700Aが導入されました(JR東海HPの「N700系・N700A」参照)。
イ 平成30年3月10日,2020年度に導入予定の,東海道新幹線の新型車両「N700S」の内外装がお披露目されました(鉄道新聞HP「お披露目された「N700S」 東海道新幹線の新型車両はココがすごい!」参照)。
(3)ア 東海道新幹線の「のぞみ」の場合,自由席は新大阪寄りの1号車ないし3号車です(新幹線旅行研究所HP「自由席の車両数は変動するので要注意!」参照)。
イ 東海道・山陽新幹線につき,のぞみ号の場合,東京・名古屋間はほぼ満席に近く,ひかり号の場合,東京・静岡間はほぼ満席に近いです(外部HPの「東海道・山陽新幹線 自由席列車別混雑度早見表」参照)。
(3) オレ流「東海道新幹線を賢く乗る方法」に,東海道新幹線の乗り方が詳しく書いてあります。
(4)ア JR新幹線ネットHPの「新幹線座席のコンセント」には以下の記載があります。

東海道・山陽新幹線
N700系、N700A系(のぞみ、みずほ、ひかり、さくら、こだま)
グリーン車の全座席と普通車(指定席・自由席)の窓側(A・E席)・最前列と最後列座席の壁にモバイル電源用コンセントが設置されています。
700系(のぞみ、ひかり、こだま)
一部車両の最前列と最後列座席の壁にモバイル電源用コンセントが設置されています。コンセントが付いていない車両もあります。
イ 700系に乗車した場合,最前列又は最後列の座席でない限り,モバイル電源用コンセントを使えません。


6の2 その他新幹線関係情報

(1) nippon.com HP「新幹線路線図」(平成28年10月1日付)が載っています。
(2) マイナビニュースHP「新幹線を使いこなす」と題する連載記事が載っています。
(3) ITmediaビジネスHPに「新幹線と飛行機の壁 「4時間」「1万円」より深刻な「1カ月前の壁」」が載っています。


7 東京駅,新大阪駅及び名古屋駅に関する情報
(1) 東京駅
ア NAVERまとめに「【もう迷わない】見やすい東京駅の構内図・地図・ツールまとめ 」が載っています。
イ   TOKYO INFO HPに,東京駅に関する,施設・交通アクセス,ショップ・レストラン,観光ガイド・特集等が載っています。
ウ 東京駅構内の主な商業施設は以下のとおりです( TOKYO INFO HP「東京駅構内の商業施設」参照)。
(ア) 改札内
① グランスタ
② 駅弁屋祭
③ エキュート東京
④ エキュート京葉ストリート
(イ) 改札外
① グランスタ丸の内
② 黒門横丁
③ キッチンストリート
④ 北町ダイニング
⑤ グランアージュ
⑥ グランルーフ
⑦ グランルーフフロント
⑧ キッテグランシェ
⑨ 大丸東京店
⑩ 八重洲地下街
⑪ 東京駅一番街
エ 東京駅西側にある丸の内中央広場の面積は約6500平方メートルであり,行幸通り(都道第404号線)の延長は390メートルであり,幅員は73メートルです(東京都HP「東京駅丸の内駅前広場と行幸通りが「2018年度グッドデザイン・ベスト100」を受賞」(平成30年10月3日付の報道発表資料)参照)。
(2) 新大阪駅
ア 大阪デザインHP「新大阪マップ」に,新大阪駅構内図,新大阪駅地下鉄構内図,新大阪駅お店マップ,周辺ホテルマップ等が載っています。
イ JR西日本HPに「大阪駅進化論 梅田ステンショから大阪駅へ」が載っています。
(3) 名古屋駅
ア CrowdCloud HP「名古屋駅|在来線から新幹線への効率的な乗り換え方法」が載っています。
イ 行きナビ.com「JR名古屋駅から近鉄名古屋駅に乗り換え|画像多数!乗り場の行き方」が載っています。

8 青春18きっぷ
(1) 始発から終電まで乗ることを繰り返せば,青春18きっぷ5日分(ただし,青函トンネルについては青春18きっぷ北海道新幹線オプション券(2300円)となります。)だけでJR最南端の駅である西大山駅から最北端の駅である稚内駅まで行けるみたいです(SPOT HPの「青春18きっぷで日本縦断。丸5日間,14,150円で最南端の鹿児島から稚内まで行ってみた〔PR〕」参照)。
(2) 青春18きっぷについては,青春18きっぷ研究所HPが詳しいです。



9 交通系ICカード
(1) NetMile HP「SuicaやPASMOなど全国で利用できる交通系ICカードのお得な使い方」が載っています。
(2) 交通系ICカード全国相互利用サービスは,平成25年3月23日に開始しました。
(3) JR西日本が運営しているJRおでかけネットHP「利用可能エリア」に,ICOCAの利用可能エリアが載っています。
平成30年3月17日現在,近江塩津駅(滋賀県),播州赤穂駅(兵庫県),桜井駅(奈良県),新宮駅(和歌山県)といった駅までがご利用可能エリアです。
(4) PiTaPa HP「PiTaPaが使える交通エリア」が載っています。

10 電車内での携帯電話の利用
(1) 総務省は,平成27年8月28日,「各種電波利用機器の電波が植込み型医療機器等へ及ぼす影響を防止するための指針」を改訂し,携帯電話の電波によってペースメーカーが誤作動する恐れは極めて低いと発表しました(netgeek HPの「総務省が衝撃の発表「携帯電話でペースメーカーが誤作動する可能性はまずない」」参照)。
(2) 総務省の電波利用ホームページ「各種電波利用機器の電波が植込み型医療機器等へ及ぼす影響を防止するための指針」に最新版及びパンフレットが載っています。
(3) 電車内での携帯電話マナーにつき,「優先席付近では混雑時には電源を切る」という趣旨のルールに変更されたのは,京阪電鉄が平成25年3月16日であり,関西の25鉄道会社が平成26年7月1日であり,関東・甲信越・東北の37の鉄道会社が平成27年10月1日です(日経スタイルHPの「電車内の携帯マナー,なぜ「電源オフ」を緩和?」参照)。

11 平成元年以降の,主な鉄道死亡事故
(1) 平成3年5月14日,信楽高原鉄道列車衝突事故(死者42人,負傷者614人)が発生しました。
(2) 平成7年12月27日,新幹線史上初の旅客死亡事故である三島駅乗客転落事故(死者1人)が発生しました。
(3) 平成17年4月25日午前9時18分頃,JR西日本福知山線(JR宝塚線)の塚口・尼崎間の曲線において,JR福知山線脱線事故(死者107人,負傷者562人)が発生しました(NAVERまとめの「日本人が知るべき【鉄道重大事故7選】」参照)。
(4) 平成17年12月25日,JR羽越本線脱線事故(死者5人,負傷者33人)が発生しました。


12 鉄道関係の事件例・事故例
(1) 昭和45年4月8日,大阪市大淀区(現在の北区)の地下鉄谷町線天神橋筋六丁目駅の工事現場で天六ガス爆発事故(死者79人,負傷者420人)が発生しました(NAVERまとめの「天六ガス爆発事故とは」参照)。
(2) 昭和55年8月16日,静岡駅前地下街爆発事故(死者15人,負傷者223人)が発生しました。
(3) 昭和63年9月5日,こだま485号殺人事件(死者1人。被疑者不詳のまま時効成立)が発生しました。
(4) 平成5年8月23日,のぞみ24号殺人事件(死者1人,警察官の重傷1人)が発生しました。
(5) 平成7年3月20日,オウム真理教によって地下鉄サリン事件(死者13人,負傷者約6300人)が発生しました。
(6) 平成27年6月30日,新幹線史上初の列車火災事故である東海道新幹線火災事件(死者2人(犯人1人を含む。)。のぞみ225号で発生)が発生しました。
死亡した被害女性は,伊勢神宮へこれまでの平穏無事のお礼参りに向かっている最中でした。
(7)ア 平成30年6月9日,のぞみ265号殺人事件(死者1人,重傷者2人)が発生しました。
イ JR及び私鉄各社は,鉄道運輸規程(昭和17年2月23日鉄道省令第2号)の改正に伴い,平成31年4月1日に手回り品ルールを改正する予定です(マイナビニュースの「JR・私鉄各社、刃物に関する手回り品ルール改正 – 2019年4月から 」参照)。
(8) 令和3年10月31日,京王線刺傷事件(負傷者18人)が発生しました。


13 平成30年6月18日午前7時58分発生の,大阪府北部での地震におけるJR西日本の運転再開状況
(1)ア 平成30年6月29日開催の,大阪北部地震における運転再開等に係る対応に関する連絡会議の配布資料(国土交通省鉄道局)1/32/3及び3/3を掲載しています。
イ 「日本の地震」も参照してください。
(2) 「【京阪神地区】 地震 運転見合わせ<第一報 07時58分>2018年06月19日 02時50分更新」と題するJR西日本の当時の発表を引用すると以下のとおりです(赤字部分は私の着色です。)。

   大阪府北部で発生した地震の影響により、京阪神地区のほとんどの線区で運転を見合わせていましたが、現在の運転状況は以下の通りです。
   なお、一部線区では、終日運転を見合わせます。
 【運転を再開している区間】
 〇加古川線 (12時16分、運転再開)
 〇草津線 (貴生川駅~柘植駅間)(13時00分、運転再開)
 〇姫新線 (14時00分、運転再開)
 〇羽衣線(18時16分、運転再開)
 〇阪和線(19時20分、運転再開)
 〇関西空港線(19時20分、運転再開)
 〇JRゆめ咲線(19時20分、運転再開)
 〇関西線:亀山駅~加茂駅間(19時26分、運転再開)
 〇草津線(草津駅~貴生川駅間)(20時06分、運転再開)
 〇琵琶湖線、JR京都線・JR神戸線の一部の普通列車・快速列車については21時00分頃より順次運転再開となりました。
 〇JR宝塚線・JR東西線・学研都市線では21時00分頃より新三田駅~四条畷駅間で一部の普通列車のみ順次運転再開となりました。
 〇北陸線(22時00分頃より順次運転再開)
 〇山陽線:姫路駅~上郡駅間(22時00分頃より順次運転再開)
 〇和田岬線(22時00分頃より順次運転再開)
 〇赤穂線(22時00分頃より順次運転再開)
 〇湖西線(22時00分頃より順次運転再開)
 〇大阪環状線(22時10分頃より順次運転再開)
 〇大和路線(22時10分頃より順次運転再開)
 〇学研都市線:四条畷駅~木津駅間(23時01分、運転再開)
 〇おおさか東線(23時05分、運転再開)
※各線区で列車の運転本数を通常より減らして運転を再開します。
※琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線の新快速電車は最終列車まで運転を取り止めます。
 【最終列車まで運転を見合わせる線区】
 〇嵯峨野線
 〇奈良線
 〇和歌山線(王寺駅~橋本駅間)
 〇万葉まほろば線
 【振替輸送】
 <嵯峨野線><奈良線><万葉まほろば線・和歌山線>
 振替輸送は23時30分に終了しました。
影響線区
琵琶湖線米原 から 京都 まで 遅延
JR神戸線神戸 から 姫路 まで 遅延
学研都市線木津 から 京橋 まで 遅延
JR東西線京橋 から 尼崎 まで 遅延
JR宝塚線尼崎 から 新三田 まで 遅延
大阪環状線全線 遅延
奈良線京都 から 奈良 まで 運転見合わせ
嵯峨野線京都 から 園部 まで 運転見合わせ
和歌山線王寺 から 橋本 まで 運転見合わせ
万葉まほろば線奈良 から 高田 まで 運転見合わせ

14 鉄道の安全に関する規範
(1) 鉄道営業法1条等に基づき,運転の安全の確保に関する省令(昭和26年7月2日運輸省令第55号)が制定されています。
(2) 省令2条になっている「鉄道の安全に関する規範」は以下のとおりです。

一 綱 領
(一) 安全の確保は、輸送の生命である。
(二) 規程の遵守は、安全の基礎である。
(三) 執務の厳正は、安全の要件である。
二 一般準則
(一) 規程の携帯
従事員は、常に運転取扱に関する規程を携帯しなければならない。
(二) 規定の理解
従事員は、運転取扱に関する規定をよく理解していなければならない。
(三) 規定の遵守
従事員は、運転取扱に関する規定を忠実且つ正確に守らなければならない。
(四) 作業の確実
従事員は、運転取扱に習熟するように努め、その取扱に疑いのあるときは、最も安全と思われる取扱をしなければならない。
(五) 連絡の徹底
従事員は、作業にあたり関係者との連絡を緊密にし、打合を正確にし、且つ、相互に協力しなければならない。
(六) 確認の励行
従事員は、作業にあたり必要な確認を励行し、おく測による作業をしてはならない。
(七) 運転状況の熟知
従事員は、自己の作業に関係のある列車(軌道にあつては車両)の運転時刻を知つていなければならない。
(八) 時計の整正
従事員は、職務上使用する時計を常に整正しておかなければならない。
(九) 事故の防止
従事員は、協力一致して事故の防止に努め、もつて旅客及び公衆に傷害を与えないように最善を尽さなければならない。
(十) 事故の処置
従事員は、事故が発生した場合、その状況を冷静に判断し、すみやかに安全適切な処置をとり、特に人命に危険の生じたときは全力を尽してその救助に努めなければならない。


15 人身事故関係
(1) 安心安全情報HP「防災コラムVl.214 人身事故発生!運転再開までに時間がかかってしまう理由」が載っています。
(2) Brand News HP「人身事故ってなんで時間かかるの?発生から運転再開までの一部始終」が載っています。
(3) 鉄道業界の舞台裏HPに,鉄道業界の裏話が載っています。

16   JRの3大鉄道博物館
   JRの3大鉄道博物館は以下のとおりです(ニュースイッチHPの「GWも残りわずか、JRの3大鉄道博物館で愉しむ」参照)。
① 平成19年10月14日開館の鉄道博物館(さいたま市大宮区)
・ 平成30年7月5日,鉄道博物館の新館がオープンしました(「てっぱく拡張・リニューアル情報」参照)。
・ 鉄道コムHP「E5系や400系が展示、シミュレータは日本最速? 鉄道博物館の新館をお見せします」(平成30年6月29日付)が載っています。
② 平成23年3月14日開館のリニア・鉄道館(名古屋市港区)
③ 平成28年4月29日開館の京都鉄道博物館(京都市下京区)

17 その他
(1) 北海道総合政策部交通政策局交通企画課の鉄道ワーキングチームは,平成29年2月7日,「将来を見据えた北海道の鉄道網のあり方について~地域創生を支える持続可能な北海道型鉄道ネットワークの確立に向けて~」を発表しました。
(2) 南海電鉄HP「ハンドブック南海」(南海電鉄,南海グループのあらまし,事業概要が電子ブック形式で載っています。)が載っています。
(3) クレジットカードの読みものHP「東京や大阪のホテル代が異常に高い!ただのビジネスホテルなのに、宿泊費が1泊2万円以上に高騰してることも普通です。 」(平成30年1月4日付)が載っています。
(4)ア 鉄道コムHP「鉄道長期不通路線マップ」に地震や台風,豪雨等で被災した鉄道の長期不通区間が載っており,
「運行情報サイト更新状況」に鉄道事業者の各運行情報ウェブサイトの更新状況が載っています。
イ 鉄道Now HPには,定刻通り運行していると仮定した場合の,電車の位置関係がグーグルマップで表示されています。
(5)ア 長距離通勤倶楽部HP「電車内で言いがかりをつけられた時の対処法6ステップ!」が載っています。
イ 日本民営鉄道協会HP「2022年度 駅と電車内の迷惑行為ランキング発表」(2022年12月20日付)が載っています。
(6) 宿泊施設を探す場合,楽天トラベルHPが便利です。
(7) 鉄道ダイヤ改正ニュースに,JRの毎年3月のダイヤ改正を中心とする,ダイヤ改正に関するニュースが載っています。
(8) Google ストリートビューの「日本の空港・駅」に,主要な駅の360度写真が載っています。
(9) 駅からmap HPに横浜駅,みなとみらい駅,新横浜駅及び桜木町駅のことが書いてあります。
(10) Wikipediaの「鉄道利用運送事業」には以下の記載があります。
鉄道利用運送事業(てつどうりよううんそうじぎょう)とは、輸送コンテナなどを用いた鉄道貨物輸送で、荷主の発戸口から着戸口まで貨物を取り扱うこと。かつては通運と呼ばれており、日本通運や福山通運の社名もこれに由来する。
宅配便が登場するまでは唯一のドア・ツー・ドアの運送形態であった(国鉄コンテナの扉に書かれていた『戸口から戸口へ』のキャッチコピーはこれにちなむ)。
(11) 以下の記事も参照してください。
・ 大阪府及びその周辺の鉄道の沿革

日本の領海

目次
1 領海法
2 領海及び接続水域に関する法律,並びに国連海洋法条約
3 水上バイクの航行区域
4 沖縄県の尖閣諸島(明治28年1月14日の閣議決定により国有化)
5 竹島及び日韓漁業協定
6 関連記事その他

1 領海法
(1)ア 領海法(昭和52年5月2日法律第30号)(制定時の条文です。)により領海は基線からその外側12海里までとされました。
イ 1海里は1852メートルです。
(2) 日本政府は,核装備を有する外国軍艦の我が領海の通過は無害通航とは認めないとの考え方を昭和43年4月17日衆議院外務委員会において政府統一見解として明らかにしました(衆議院議員崎弥之助君提出核積載艦船の我が国領海内通過に対するライシャワー発言に関する質問に対する答弁書(昭和56年5月29日付)参照)。
    そのため,国際航行に使用されるいわゆる国際海峡であり宗谷海峡,津軽海峡,対馬海峡西水道及び東水道並びに大隅海峡の5海峡は特定海域として,同海域に係る領海は基線からその外側3海里の線及びこれと接続して引かれる線までの海域とされました(領海法附則2項)から,これらの海峡の海路の部分は,公海のままとなりました。

2 領海及び接続水域に関する法律,並びに国連海洋法条約
(1) 平成8年6月14日法律第73号による改正後の,領海及び接続水域に関する法律(昭和52年5月2日法律第30号)2条1項本文は,直線基線を採用しました(施行日は,平成8年に「海の日」となった7月20日です。)。
   そのため,特定海域内の領海の限界線は若干の修正を加えられました(海上保安庁海洋情報部HPの「特定海域」参照)。
(2)ア 平成15年以降,「海の日」は7月の第3月曜日となりました(国民の祝日に関する法律2条)。
イ   平成28年,「山の日」が8月11日となりました。
(3) 平成12年度以降,旧司法試験の論文式試験は,海の日及びその前日の2日間に実施されていました。
(4) 海洋法に関する国際連合条約(略称は「国連海洋法条約」です。)は,平成8年7月20日,日本について発効しました(外務省HPの「海洋の国際法秩序と国連海洋法条約」参照)。


3 水上バイクの航行区域
(1) 水上バイクの船舶検査証書の「航行区域又は従業制限」欄には通常,「沿海区域 ただし、安全に発着できる任意の地点から15海里以内の水域のうち当該地点における海岸から2海里以内の水域及び船舶安全法施行規則第1条第6項の水域内の陸岸から2海里以内の水域に限る。」と書いてあります。
(2)ア 船舶安全法施行規則第1条第6項の水域は,いわゆる平水区域のことです。
イ 日本小型船舶検査機構(JCI)HP「航行区域検索ページ(平水・沿岸)」に,平水区域及び沿岸区域の参考図が載っています。
(3) ボート業界の広報部ボーターズHP「意外と知らない!? 水上バイクの航行区域 あなたは知っていますか」が載っています。


4 沖縄県の尖閣諸島(明治28年1月14日の閣議決定により国有化)
(1) 外務省HPの「日本の領土をめぐる情勢」のうち,「尖閣諸島」には以下の記載があります。
    尖閣諸島が日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も明らかであり, 現に我が国はこれを有効に支配しています。したがって,尖閣諸島をめぐって解決しなければならない領有権の問題はそもそも存在しません。
(2) 海上保安庁HPに「尖閣諸島周辺海域における中国公船等の動向と我が国の対処」が載っています。
(3) 平成20年12月8日,中国公船(中国政府に所属する船舶)2席が尖閣諸島周辺の我が国領海内に初めて侵入しました。
(4) 平成22年9月7日午前,尖閣諸島中国漁船衝突事件が発生し,同月24日,那覇地検が船長を処分保留で釈放し,同年11月4日から翌日にかけて,尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件が発生しました(NAVERまとめの「3年前の「尖閣漁船衝突事件」船長の釈放の真実が明らかに」参照)。
(5) 平成24年9月11日,野田内閣は,それまで私有地であった尖閣諸島の3島(魚釣島,北小島及び南小島)を,平成24年度予算の予備費を使って,20億5000万円で購入して国有化しました。


5 竹島及び日韓漁業協定
(1) 明治38年1月28日,日本政府は閣議決定により竹島を編入し,明治38年2月22日,島根県が告示により竹島を島根県所属の島としました。
(2)   朝鮮戦争(昭和25年6月25日~昭和28年7月27日)が続いていた昭和27年1月18日,韓国が李承晩ラインを宣言し,翌年4月20日以降,韓国が竹島を実効支配するようになりました。
   昭和27年4月26日,海上保安庁の海上警備隊が発足し,同年8月1日,総理府保安庁の警備隊となり,昭和29年7月1日,海上自衛隊(JMSDF)となりました。
(3) 日本と韓国は,昭和40年6月22日,竹島の領有権についての紛争を棚上げにした上で,日韓基本条約,日韓請求権並びに経済協力協定,日韓法的地位協定,日韓漁業協定等を締結し,同日,李承晩ラインは自動的に無効・廃止となりました(日韓基本条約等の効力発生は昭和40年12月18日)。
(4) 平成10年1月23日,日本は,韓国に対し,昭和40年12月18日発効の日韓漁業協定の終了通告を行い,同年11月28日,日本と韓国は再び日韓漁業協定を締結し,平成11年1月23日に日韓漁業協定が発効しました(境港漁業調整事務所HP「日韓漁業協定が締結されるまでの簡単な経緯」参照)。

6 関連記事その他
(1) 外務省HPの「日本の領土をめぐる情勢」に,北方領土竹島及び尖閣諸島が載っています。
(2)   国立国会図書館HPレファレンスにつき,平成26年3月号に「尖閣諸島,竹島等に関する最近の中国語,朝鮮語資料(資料)」が載っていて,平成29年5月号に「南シナ海周辺国に対する中国の外交姿勢-ベトナム・フィリピンとの関係-(資料)」が載っています。
(3) 国土交通省海難審判所HP「日本の重大海難」が載っています。
(4)ア 最高裁平成3年3月8日判決は,漁港管理者である町が漁港水域内の不法設置に係るヨット係留杭を法規に基づかずに強制撤去する費用を支出したことが違法とはいえないとされた事例です。
イ  最高裁令和6年1月30日判決は,甲船と乙船が衝突した事故に係る海難につき小型船舶操縦士である甲船の船長に職務上の過失があるとした原審の判断に違法があるとされた事例です。
(5) 以下の記事も参照してください。
・ 在外財産補償問題
 日韓請求権協定

日本の超高層ビル

1 Wikipediaの「日本の超高層建築物」によれば,日本の超高層ビルは以下のとおりです。
1位 あべのハルカス(大阪市阿倍野区)
・ 高さ300m,60階,平成26年3月7日全面開業
2位 横浜ランドマークタワー(横浜市西区)
・ 高さ296.33m,70階,平成5年7月16日開業
3位 りんくうゲートタワービル(大阪府泉佐野市)
・ 高さ256.1m,56階,平成8年10月竣工
4位 大阪府咲洲(さきしま)庁舎(大阪市住之江区)
・ 高さ256.0m,55階,平成7年3月竣工
・ 当初は大阪ワールドトレードセンタービルディングでしたが,平成22年6月1日に大阪府に譲渡され,現在の名称となりました。
5位 虎ノ門ヒルズ(東京都港区)
・ 高さ255.5m,52階,平成26年6月11日開業
6位 ミッドタウン・タワー(東京都港区)
・ 高さ248.1m,54階,平成19年3月30日開業
7位 ミッドランドスクエア(名古屋市中村区)
・ 高さ247m,47階,平成19年3月6日全面開業
8位 JRセントラルタワーズ(名古屋市中村区)
・ 高さ245m,51階,平成11年12月23日開業
9位 東京都庁第一本庁舎(東京都新宿区)
・ 高さ243.4m,48階,平成2年12月竣工
10位 住友不動産六本木グランドタワー(東京都港区)
・ 高さ241.1m,40階,平成28年秋にオフィス棟開業
11位 NTTドコモ代々木ビル(東京都渋谷区)
・ 高さ239.85m,27階,平成12年9月竣工
12位 サンシャイン60(東京都豊島区)
・ 高さ239.7m,60階,昭和53年4月6日開業
・ 昭和45年までは巣鴨拘置所が設置されており,昭和23年12月23日にA級戦犯の死刑が執行されました。
・ 完成当時はアジアで最も高い建築物でした。
・ 弁護士法人アディーレ法律事務所(平成29年10月11日,業務停止2月の懲戒処分を受けました。)が入居しています。
13位 六本木ヒルズ森タワー(東京都港区)
・ 高さ238.06m,54階,平成15年4月25日開業
14位 新宿パークタワー(東京都新宿区)
・ 高さ235m,52階,平成6年4月25竣工
15位 東京オペラシティ(東京都新宿区)
・ 高さ234.37m,54階,平成8年8月8日開業
16位 新宿三井ビルディング(東京都新宿区)
・ 高さ223.6m,55階,昭和49年9月竣工
・ 竣工当初は日本で一番高いビルでした。
17位 新宿センタービル(東京都新宿区)
・ 高さ222.95m,54階,昭和54年11月1日開業
18位 聖路加(せいるか)タワー(東京都中央区)
・ 高さ220.63m,48階,平成6年5月開業
19位 JRゲートタワー(名古屋市中村区)
・ 高さ220m,46階,平成28年11月7日オフィス部分開業,平成29年4月17日商業施設開業
20位 泉ガーデンタワー(東京都港区)
・ 高さ216m,45階,平成14年6月30日竣工
21位 汐留シティセンター(東京都港区)
・ 高さ215.75m,43階,平成16年2月20日竣工
22位 電通本社ビル(東京都港区)
・ 高さ213.337m,48階,平成14年11月1日竣工
23位 アクトシティ浜松(浜松市中区)
・ 高さ212.77m,47階,平成6年10月7日竣工

2 超高層ビルとパソコンの歴史HPに,超高層ビルデータベースがあります。

日本の世界遺産

目次
第1 総論
第2 世界遺産の種類
第3 日本の世界遺産
第4 暫定一覧表

第1 総論

1 世界遺産は,1972年11月16日に採択された,世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約(略称は「世界遺産条約」です。)に基づき世界遺産一覧表に登録された,遺跡,景観,自然など,人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」を持つ物件をいいます。
2 世界遺産条約が日本について発効したのは1992年9月30日でした。
3 nippon.com HP「「潜伏キリシタン」登録決定:日本22件目の世界遺産」に,平成30年6月現在の日本の世界遺産マップが載っています。

第2 世界遺産の種類
1 世界遺産には以下の3種類があります。
① 文化遺産
顕著な普遍的価値を持つ建造物や遺跡等をいいます。
② 自然遺産
顕著な普遍的価値を持つ地形や生物多様性,景観美等を備える地域等をいいます。
③ 複合遺産
文化と自然の両方について,顕著な普遍的価値を兼ね備えるものをいいます。
2 2017年7月現在,世界遺産一覧表記載物件は合計1073件であり,そのうち,832件が文化遺産であり,206件が自然遺産であり,35件が複合遺産です(外務省HPの「世界遺産条約」参照)。

第3 日本の世界遺産
1 下級裁判所の配置順に日本の文化遺産を並べると,以下のとおりです(文化庁HPの「世界遺産」参照)。
(1) 東京都
・  ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-(平成28年7月登録)
→    6か国と共有する国境を超える世界遺産であり,日本の構成資産は国立西洋美術館だけです。
(2) 栃木県
・   日光の社寺(平成11年12月登録)
(3) 群馬県
・   富岡製糸場と絹産業遺産群(平成26年6月登録)
(4) 静岡県・山梨県
・   富士山-信仰の対象と芸術の源泉(平成25年6月登録)
→ 世界遺産富士山とことんガイドHP「世界遺産登録までの道のり」が載っています。
(5) 京都府・滋賀県
・   古都京都の文化財(平成6年12月登録)
(6) 大阪府
・   百舌鳥・古市古墳群(令和元年7月登録)
(7) 兵庫県
・   姫路城(平成5年12月登録)
(8) 奈良県
・   法隆寺地域の仏教建造物(平成5年12月登録)
・   古都奈良の文化財(平成10年12月登録)
(9) 和歌山県・奈良県・三重県
・   紀伊山地の霊場と参詣道(平成16年7月登録)
(10) 岐阜県・富山県
・   白川郷・五箇山の合掌造り集落(平成7年12月登録)
(11) 広島県
・   原爆ドーム(平成8年12月登録)
・ 厳島神社(平成8年12月登録)
(12) 島根県
・   石見銀山遺跡とその文化的景観(平成19年6月登録)
(13) 山口県・鹿児島県・静岡県・岩手県・佐賀県・長崎県・福岡県・熊本県
・   明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼,造船,石炭産業(平成27年7月登録)
(14) 福岡県
・   「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群(平成29年7月登録)
(15) 長崎県・熊本県
・ 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産(平成30年6月登録)
(16) 沖縄県
・   琉球王国のグスク及び関連遺産群(平成12年12月登録)
(17) 岩手県
・   平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-(平成23年6月登録)
(18) 北海道・青森県・岩手県・秋田県
・ 北海道・北東北の縄文遺跡群(令和3年7月登録)
2 下級裁判所の配置順に日本の自然遺産を並べると,以下のとおりです。
(1) 東京都
・ 小笠原諸島(平成23年6月登録)
(2) 鹿児島県
・ 屋久島(平成5年12月登録)
(3) 鹿児島県・沖縄県
・ 奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島(令和3年7月登録)
(4) 青森県・秋田県
・ 白神山地(平成5年12月登録)
(5) 北海道
・ 知床(平成17年7月登録)

第4 暫定一覧表
1 暫定一覧表は,世界遺産登録に先立ち,各国がユネスコ世界遺産センターに提出する一覧表をいい,原則として,文化遺産については,暫定一覧表に掲載されていないものを世界遺産委員会に登録推薦することは認められていません。
2 日本の暫定一覧表記載文化遺産は以下のとおりです(文化庁HPの「我が国の暫定一覧表記載文化遺産」参照)。
(1) 神奈川県
・   古都鎌倉の寺院・神社ほか(平成4年10月記載)
(2) 新潟県
・   金を中心とする佐渡鉱山の遺産群(平成22年11月記載)
(3) 奈良県
・   飛鳥・藤原の宮都とその関連遺産群(平成19年1月記載)
(4) 滋賀県
・   彦根城(平成4年10月記載)
(5) 岩手県
・   平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-(拡張)(平成24年9月記載)

日本の地震

目次
1 明治以降に発生した,死者・行方不明者数の多い地震
2 平成元年以降に日本で発生した死者を伴う地震等
3 緊急地震速報
4 地震本部HP
5 地震保険の情報
6 大規模地震対策特別措置法
7 元禄地震,宝永地震及び宝永大噴火並びに浅間山の噴火
8 災害時における司法修習生の安否確認
9 過去の地震情報等


1 明治以降に発生した,死者・行方不明者数の多い地震
(1)   Wikipediaの「地震の年表(日本)」「被害の大きな地震」によれば,以下のとおりです。なお,戦後の地震は②,⑤,⑥及び⑩です。
① 1923年9月1日発生の関東地震関東大震災
死者・行方不明者数は10万5385人,マグニチュードは7.9
② 2011年3月11日発生の東北地方太平洋沖地震東日本大震災
死者・行方不明者数は2万2010人,マグニチュードは9.0
③ 1896年6月15日発生の明治三陸地震
死者・行方不明者数は2万1959人,マグニチュードは8.2
④ 1891年10月28日発生の濃尾地震
死者・行方不明者数は7273人,マグニチュードは8.0
⑤ 1995年1月17日発生の兵庫県南部地震阪神・淡路大震災
死者・行方不明者数は6437人,マグニチュードは7.3
⑥ 1948年6月28日発生の福井地震
死者・行方不明者数は3769人,マグニチュードは7.1
⑦ 1933年3月3日発生の昭和三陸地震
死者・行方不明者数は3064人,マグニチュードは8.1
⑧ 1927年3月7日発生の北丹後地震
死者・行方不明者数は2912人,マグニチュードは7.3
⑨ 1945年1月13日発生の三河地震
死者・行方不明者数は1961人,マグニチュードは6.8
⑩ 1946年12月21日発生の昭和南海地震
死者・行方不明者数は1443人,マグニチュードは8.0
(2)ア 東北地方太平洋沖地震は,明治三陸地震及び昭和三陸地震と震源地が近いです。
イ 相模トラフ巨大地震としては,関東地震のほか,元禄16年(1703年)12月31日の元禄地震があります。
    また,安政2年(1855年)11月11日,安政江戸地震が発生しています。
ウ 太平洋戦争終戦前後における4大地震は,①1943年9月10日発生の鳥取地震,②1944年12月7日発生の昭和東南海地震,③1945年1月13日発生の三河地震及び④1946年12月21日発生の昭和南海地震です。
(3)ア 内閣府防災情報のページ「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成20年3月 1923 関東大震災【第2編】」が載っています。
イ NAVERまとめに「戦中戦後の歴史に埋もれた「昭和の4連続超巨大地震」」が載っています。
(4) 美濃部亮吉 内閣統計委員会委員(昭和42年4月から昭和54年4月まで東京都知事をしていました。)は,昭和22年3月12日の衆議院統計法案委員会において以下の答弁をしています。
    ただいまの官廳がとつております統計が、眞實を物語るものが非常に少いということには、まつたく御同感でございまして、國の基本的な政策の根本ともならなければならない米の收穫高さえ、正確な數字が出ておりません。また非常に重大であるところの各生産部門における生産高につきましても、私たち統計を比較的專門にしております者から見ますと、あの生産高さえ、どのくらい信頼していいのか、まことに迷うような次第でございまして、たとえば、生産高について見ますと、電力の消費量、あるいは石炭の消費量と比例して、生産高が上つたり下つたりしなければならないのに、その兩者を比較してみますと、非常な差異がございます。



2 平成元年以降に日本で発生した死者を伴う地震等
(1)ア 平成元年以降に日本で発生した死者を伴う地震は以下のとおりです(Wikipediaの「地震の年表(日本)」参照)。
1 平成 5年 1月15日発生の釧路沖地震(マグニチュード7.5)
2 平成 5年 7月12日発生の北海道南西沖地震(マグニチュード7.8)
3 平成 5年10月12日発生の東海道南方沖での地震(マグニチュード6.9)
4 平成 6年10月 4日発生の北海道東方沖地震(マグニチュード8.2)
5 平成 6年12月28日発生の三陸はるか沖地震(マグニチュード7.6)
6 平成 7年 1月17日発生の兵庫県南部地震(マグニチュード7.3)
7 平成12年 7月 1日発生の神津島近海での地震(マグニチュード6.5)
8 平成13年 3月24日発生の芸予地震(マグニチュード6.7)
9 平成15年 9月26日発生の十勝沖地震(マグニチュード8.0)
10 平成16年10月23日発生の新潟県中越地震(マグニチュード6.8)
11 平成17年 3月20日発生の福岡県西方沖地震(マグニチュード7.0)
12 平成19年 3月25日発生の能登半島地震(マグニチュード6.9)
13 平成19年 7月16日発生の新潟県中越沖地震(マグニチュード6.8)
14 平成20年 6月14日発生の岩手・宮城内陸地震(マグニチュード7.2)
15 平成20年 7月24日発生の岩手県沿岸北部での地震(マグニチュード6.8)
16 平成21年 8月11日発生の駿河湾での地震(マグニチュード6.5)
17 平成23年 3月11日発生の東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)
18 平成23年 3月12日発生の長野県北部の地震(マグニチュード6.7)
19 平成23年 4月 7日発生の宮城県沖での地震(マグニチュード7.2)
20 平成23年 4月11日発生の福島県浜通りでの地震(マグニチュード7.0)
21 平成24年 3月14日発生の千葉県東方沖での地震(マグニチュード6.1)
22 平成24年12月 7日発生の三陸沖での地震(マグニチュード7.3)
23 平成28年 4月14日発生の熊本地震の前震(マグニチュード6.5)及び同月16日発生の熊本地震(マグニチュード7.3)
24 平成30年 6月18日発生の大阪府北部での地震(マグニチュード6.1)
25 平成30年 9月 6日発生の北海道胆振東部地震(マグニチュード6.7)
26 令和 3年 2月13日発生の福島県沖地震(マグニチュード7.3)
27 令和 4年 3月16日発生の福島県沖地震(マグニチュード)
イ 気象庁での命名がされていない地震については,「〇〇での地震」という表記にしています。
    気象庁の命名基準については,気象庁HPの「顕著な災害を起こした自然現象の命名についての考え方」に書いてあります。
(2) (1)の地震のうち,マグニチュード8.0を超えたものは,①平成5年7月12日発生の北海道南西沖地震,②平成6年10月4日発生の北海道東方沖地震,③平成15年9月26日発生の十勝沖地震及び④平成23年3月11日発生の東北地方太平洋沖地震です。


(3) 兵庫県弁護士会が平成12年11月30日に発行した「被災地弁護士会の活動の軌跡:阪神・淡路大震災:From’95.1.17」では,「人的被害:会員本人死亡者無し,会員家族死亡者無し,事務職員1名死亡 自宅の被害:全壊18名(全焼1名を含む。),半壊10名,一部損壊29名(自宅移転19名) 事務所の被害:全壊28名(20事務所),半壊23名,一部損壊23名(事務所移転35名)」と書いてあるみたいです(二弁フロンティア2018年4月号27頁及び28頁)。


(4) 以下の地震では死者は出ませんでした。
① 平成12年10月 6日発生の鳥取県西部地震(マグニチュード7.3)
② 平成27年 5月30日発生の小笠原諸島西方沖での地震(マグニチュード8.1)
③ 平成28年10月21日発生の鳥取県中部地震(マグニチュード6.6)
④ 令和 元年 6月18日発生の山形県沖地震(マグニチュード6.7)
(5)ア 以下の地震については,激甚災害に指定されています。
① 平成 6年12月28日発生の三陸はるか沖地震(マグニチュード7.6)
② 平成 7年 1月17日発生の兵庫県南部地震(マグニチュード7.3)
③ 平成16年10月23日発生の新潟県中越地震(マグニチュード6.8)
④ 平成23年 3月11日発生の東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)
⑤ 平成23年 3月12日発生の長野県北部の地震(マグニチュード6.7)
⑥ 平成28年 4月14日発生の熊本地震の前震(マグニチュード6.5)及び同月16日発生の熊本地震(マグニチュード7.3)
⑦ 平成30年 9月 6日発生の北海道胆振東部地震(マグニチュード6.7)
イ 激甚災害の指定状況は,内閣府防災情報HPの「過去5年の激甚災害の指定状況一覧」,及びWikipediaの「激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律」に載っています。


3 緊急地震速報
(1) 気象庁の緊急地震速報(EEW)は平成19年10月1日,国内ほぼ全域,すべての住民を対象とした運用を開始しました。
(2) 一般向けの緊急地震速報の法的位置づけは,地震動警報(気象業務法13条1項・気象業務法施行令4条)及び地震動特別警報(気象業務法13条の2第1項・気象業務法施行令5条)です。
(3) 気象庁HPの「緊急地震速報の発表状況」によれば,緊急地震速報(警報)を発表した回数は,以下のとおりです。
平成19年: 0回(10月からの回数)
平成20年: 9回
平成21年: 3回
平成22年: 5回
平成23年:97回
平成24年:16回
平成25年: 9回
平成26年: 6回
平成27年: 7回
平成28年:31回
平成29年: 7回
平成30年:16回
2019年: 8回
令和 2年:17回
令和 3年:11回
(4)ア 平成25年8月8日午後4時56分頃,奈良県と大阪府で最大震度6弱から7程度の緊急地震速報(警報)が誤って発表されました(NAVERまとめの「【速報】緊急地震速報!!関西で震度7!!誤報か!?」,及び気象庁HPの「8月8日16時56分頃の緊急地震速報の過大な震度予想の原因と対処について」参照)。
イ   平成28年8月1日午後5時9分頃,関東地方を震源とするマグニチュード9.1,最大震度7という緊急地震速報(予報)が誤って発表されました(ウェザーニュースHPの「緊急地震速報の気象庁誤報 なぜこうなったのか?」,及び気象庁HPの「緊急地震速報(予報)の誤情報の発表への対処策について」参照)。


4 地震本部HP
(1)ア 地震発生リスクについては,政府の地震調査研究推進本部HPにある「全国地震動予測地図2016年版」(平成28年6月10日発表)及び「全国地震動予測地図2017年版」(平成29年4月発表)が参考になります。
イ 地震調査研究推進本部の略称は地震本部であり,文部科学省の特別の機関です。
(2) 全国地震動予測地図等のバックナンバーは,「地震調査委員会関係報告書」に掲載されています。
(3)ア 都道府県ごとの活断層等の情報は,「都道府県ごとの地震活動」に載っています。
イ 「大阪府の地震活動の特徴」によれば,海溝型地震として南海トラフが,内陸の活断層として上町断層帯が,発生率の高い地震原因となっています。


5 地震保険の情報
(1) 都道府県ごとの地震保険の保険料は,財務省HPの「地震保険制度の概要」に掲載されています。
    そして,地震保険の保険料はどこの損害保険会社で加入しても同じです(外部HPの「地震保険の保険料」参照)から,地震保険の保険料を見れば,地震発生リスクが高いとされている都道府県が分かります。
(2) 損保ジャパン日本興亜HPの「地震保険改定のご案内」によれば,平成29年1月1日以降の,地震保険金額1000万円当たりの年間地震保険料は,平成28年4月16日に地震が発生した熊本県,及び同年10月21日に地震が発生した鳥取県の場合,最低ランクの6800円です。
    これに対して千葉県,東京都,神奈川県及び静岡県の場合,最高ランクの2万2500円です。


6 大規模地震対策特別措置法
(1) 東海地震対策として,大規模地震対策特別措置法(昭和53年6月15日法律第73号)(略称は「大震法」です。)が制定されています。
    同法3条1項に基づく地震防災対策強化地域として,静岡県全域のほか,愛知県及び山梨県の大部分,並びに東京都,神奈川県,長野県,岐阜県及び三重県の一部が指定されています(気象庁HPの「東海地震とは」参照)。
(2) 東海地域で異常な現象が捉えられた場合,それが大規模な地震に結びつく前兆現象と関連するかどうかを緊急に判断するため,気象庁において,地震防災対策強化地域判定会(略称は「判定会」です。)を開催することになっています(気象庁HPの「地震防災対策強化地域判定会(判定会)」参照)。
(3) 気象庁HPにリーフレット「東海地震に関連する情報が新しくなりました」が載っています。


7 元禄地震,宝永地震及び宝永大噴火並びに浅間山の噴火
(1)   元禄16年(1703年)11月23日,推定マグニチュード7.9~8.2の元禄地震が発生しました(Wikipediaの「元禄地震」参照)。
    1703年の元禄地震は,1923年の関東大震災と同様に,相模トラフ巨大地震とされているものの,1855年の安政江戸地震は相模トラフ巨大地震とはされていません(Wikipediaの「相模トラフ巨大地震」参照)。
(2) 宝永4年(1707年)10月4日,推定マグニチュード8.4~9.3の宝永地震が発生していました(Wikipediaの「宝永地震」参照)。
(3)ア 宝永4年(1707年)11月23日(宝永地震の49日後です。)から同年12月8日までの16日間,火山爆発指数(VEI)5の大噴火が富士山で起こりました(Wikipediaの「宝永大噴火」参照)
イ 富士山周辺の防災対策については,内閣府HPの「富士山の火山防災対策」が参考になります。
(4)ア 天明3年(1783年)8月5日,火山爆発指数(VEI)4の大噴火が群馬県と長野県の間にある浅間山で起こりました(Wikipediaの「浅間山」のほか,長野原町営浅間園HP「天明3年の大噴火」参照)。
イ 小諸市(こもろし)観光協会HP「浅間山登山」には,浅間山は世界でも有数の活火山と書いてあります。


8 災害時における司法修習生の安否確認
・ 以下の文書を掲載しています。
① 災害時における司法修習生の被災状況の確認方法について(平成29年12月4日付の司法研修所事務局長の事務連絡)
② 災害時におけるクラス担当教官への安否連絡等について(平成29年12月4日付の司法研修所事務局長の事務連絡)


9 過去の地震情報等
(1)ア   tenki.jp HPの「地震情報」を利用すれば,過去の震度別の地震情報を検索できます。
イ 宮城県HPに「東日本大震災 宮城の震災対応記録」が載っています。
(2) 内閣府政策統括官(防災担当)が運営している,内閣府「防災情報のページ」「災害情報」に,過去の災害について,被害の状況・政府の主な対応一覧が載っています。
(3) 益城町(ましきまち)HPに「平成28年熊本地震 益城町による対応の検証報告書」(平成29年12月1日掲載)が載っています。
(4)ア 兵庫県南部地震以降,関西地方で震度6弱を観測したのは以下の地震だけです。
① 平成25年4月13日発生の淡路島での地震
② 平成30年6月18日発生の大阪府北部での地震
イ 兵庫県南部地震では,大阪市中央区の震度は4でしたものの,Wikipediaの兵庫県南部地震には以下の記載があります。
    大阪での震度が4で、大阪よりも震源から遠い京都が5となっている。当時、気象庁が大阪府内に設置していた震度観測点は大阪管区気象台(大阪市中央区大手前)の一ヶ所だけで、震度計は上町台地の固い地盤に設置されていたため計測震度が4となっている。しかし、これが大阪市、あるいは大阪府全体の震度を代表しているわけではなかった。日本道路公団が阪神高速11号池田線の建設現場に設置した震度計が震度7、北大阪急行電鉄が桃山台駅に設置した震度計が震度6を観測している。
ウ 気象庁HPに載っている「その震度どんなゆれ?」に,震度とゆれの状況が載っています。
(5) 岡山弁護士会HP「被災者生活再建ノート」が載っています。
(6) 平成30年7月13日付の司法行政文書不開示通知書によれば,地震に際して裁判所の期日を取り消す基準が分かる文書は存在しません。
(7)ア 一般社団法人生命保険協会HP「災害地域生保契約照会制度について」が,一般社団法人日本損害保険協会HP「自然災害等損保契約照会制度について」が載っています。
イ 損害保険料率算出機構HP「刊行物」に「火災保険・地震保険の概況」が載っています。
(8) 関西電力HPに「停電・災害時の対処法」が載っています。
(9) 鳥取県三朝町(みささちょう)HP「雑損控除について」が載っています。
(10) 国立国会図書館HPレファレンス平成26年12月号に「総合調査 東日本大震災からの復興への取組の現状と課題」が載っています。
(11) 国土交通省HPに「土砂災害防止法の概要」が載っています。

大阪府及びその周辺の鉄道の沿革

目次
1 東海道本線東海道新幹線山陽本線山陽新幹線
2 大阪環状線
(1) 城東線
(2) 西成線
(3) 大阪環状線成立後
3 大阪市交通局及び大阪メトロ
(1) 全体の経緯
(2) 御堂筋線(1号線)北大阪急行電鉄南北線
(3) 谷町線(2号線)
(4) 四つ橋線(3号線)
(5) 中央線(4号線)
(6) 千日前線(5号線)
(7) 堺筋線(6号線)
(8) 南港ポートタウン線
(9) 長堀鶴見緑地線(7号線)
(10) 今里筋線(8号線)
(11) 大阪市電
4 京阪本線京阪鴨東線京阪中之島線及び京阪交野線
(1) 京阪本線及び京阪鴨東線
(2) 京阪中之島線
(3) 京阪交野線
5 阪急京都本線
6 阪急千里線
7 阪急神戸本線及び阪急宝塚本線
8 阪神本線及び阪神なんば線
9 大阪高速鉄道大阪モノレール線
10 近鉄大阪線近鉄奈良線及び近鉄難波線
(1) 近鉄大阪線(上本町駅から伊勢中川駅)・近鉄奈良線(布施駅から近鉄奈良駅)
(2) 近鉄難波線
11 近鉄南大阪線及び近鉄道明寺線(外部ブログの「大阪鉄道のはなし」が参考になります。)
(1) 近鉄南大阪線
(2) 近鉄道明寺線
12 関西本線
13 阪和線及び関西空港線
(1) 阪和線
(2) 関西空港線
14 南海本線及び南海空港線
(1) 南海本線
(2) 南海空港線
15 南海高野線
16 泉北高速鉄道線
17 近鉄長野線
18 関連記事その他

1 東海道本線東海道新幹線山陽本線山陽新幹線
1874年 5月11日,官営鉄道の大阪駅・神戸駅間が開業しました。
1877年 2月 6日,官営鉄道の大阪駅・京都駅間が開業しました。
1889年 7月 1日,官営鉄道の新橋駅・神戸駅間が全通しました。
1901年 5月27日,山陽鉄道の神戸駅・馬関駅(現在の下関駅)間が全通しました。
1906年12月 1日,鉄道国有化法により山陽鉄道が国有化されました。
1964年10月 1日,東海道新幹線が東京駅・新大阪駅間で開業しました。また,新大阪駅が東海道新幹線及び東海道本線の駅として開業しました。
1972年 3月15日,山陽新幹線が新大阪駅・岡山駅間で開業しました。
1975年 3月10日,山陽新幹線が岡山駅・博多駅間で開業しました。
1988年 3月13日,京都駅・大阪駅間の愛称として「JR京都線」が,大阪駅・姫路駅間の愛称として「JR神戸線」が使用されるようになりました。
1995年 1月17日,阪神・淡路大震災によりJR神戸線の全線が不通になりました。
1995年 4月 1日,JR神戸線の全線が復旧しました。
1997年 3月 8日,京橋駅・尼崎駅間でJR東西線が開業したことに伴い,福知山線及び東海道本線と片町線(木津駅・京橋駅間であり,愛称は「学研都市線」です。)との直通運転が開始しました。
2008年 3月15日,放出駅(はなてんえき)・八尾駅間でおおさか東線が開業しました。
2019年 3月16日,新大阪駅・放出駅間の開業により,おおさか東線が全面開業しました(JRおでかけネットの「新大阪に 奈良に 直結!おおさか東線」参照)。


2 大阪環状線
(1) 城東線
1889年 5月14日,大阪鉄道(初代)の柏原駅・天王寺駅・湊町駅(1994年9月4日以降はJR難波駅)間が開業しました。
1895年 5月28日,大阪鉄道の天王寺駅・玉造駅間が開業しました。
1895年10月17日,大阪鉄道の玉造駅・梅田駅(現在の大阪駅)間が開業しました。
1900年 6月 6日,関西鉄道が大阪鉄道を買収しました。また,梅田駅が官営鉄道の大阪駅に統合しました。
1907年10月 1日,鉄道国有化法により関西鉄道が国有化されました。
1909年10月12日,国有鉄道線路名称制定により,天王寺駅・大阪駅間が城東線となりました。
1943年10月 1日,西成線と城東線の直通運転が開始しました。
1945年 8月14日,京橋駅・森ノ宮駅付近で空襲がありました。
(2) 西成線
1899年 5月 1日,西成鉄道の大阪駅・福島駅間の旅客営業が開始しました。
1906年12月 1日,鉄道国有化法により西成鉄道が国有化されました。
1909年10月12日,国有鉄道線路名称制定により,大阪駅・西九条駅・天保山駅間が西成線となりました。
1943年10月 1日,西成線と城東線の直通運転が開始しました。
(3) 大阪環状線成立後
1961年 4月25日,西九条駅・大正駅・天王寺駅間が開業し,城東線,西成線の大阪駅・西九条駅間,野田駅・大阪市場駅間をあわせて大阪環状線に,西成線の西九条駅・桜島駅間(4.5km)は桜島線となりました。
1964年 3月22日,国鉄の新今宮駅が開業しました。
1966年12月 1日,南海の新今宮駅が開業して乗換駅となりました。
1983年10月 1日,大阪城公園駅が開業しました。
1994年 9月 4日,関西国際空港が開業し,特急「はるか」のほか,大阪環状線で関空快速が運転を開始しました。
2001年 3月 1日,桜島線が「JRゆめ咲線」という愛称を使用するようになりました。また,同月31日のUSJ開業にあわせて,ユニバーサルシティ駅が開業しました。
2018年 3月17日,各駅に駅ナンバリングが導入され,使用を開始しました。
3 大阪市交通局及び大阪メトロ
(1) 全体の経緯
1997年12月18日,大阪港トランスポートシステム(OTS)のテクノポート線及びニュートラムテクノポート線が開業しました。
2005年 7月 1日,大阪港トランスポートシステム(OTS)のテクノポート線及びニュートラムテクノポート線を譲渡され,それぞれ中央線及び南港ポートタウン線に編入されました。
2013年 3月23日,交通系ICカード全国相互利用サービスへの対応を開始し,Kitaca,PASMO,Suica,manaco,TOICA,nimoca,はやかけん及びSUGOCAが利用可能となりました。
2018年 4月 1日,大阪市営地下鉄が民営化されて大阪市高速電気軌道(大阪メトロ)になりました。


(2) 御堂筋線(1号線)北大阪急行電鉄南北線

1933年 5月20日,1号線の梅田駅(仮)・心斎橋駅間(3.1km)が開業しました。
1935年10月 6日,梅田駅本駅が開業し,0.1km路線が伸びました。
1935年10月30日,1号線の心斎橋駅・難波駅間(0.9km)が開業しました。
1938年 4月21日,1号線の難波駅・天王寺駅間(3.4km)が開業しました。
1951年12月20日,1号線の天王寺駅・昭和町駅間(1.8km)が開業しました。
1952年10月 5日,1号線の昭和町駅・西田辺駅間(1.3km)が開業しました。
1960年 7月 1日,1号線の西田辺駅・我孫子駅間(2.5km)が開業しました。
1964年 9月24日,1号線の新大阪駅・梅田駅間(3.5km)が開業しました。
1969年12月 6日,1号線の愛称が御堂筋線となりました。
1970年 2月24日,御堂筋線の江坂駅・新大阪駅間(2.9km)が開業しました。また,北大阪急行電鉄南北線・会場線の江坂駅・万国博中央口間(9.0km)が開業しました。
1970年 9月14日,北大阪急行電鉄会場線の分岐点・万国博中央口間(3.6km)が廃止され,南北線の分岐点・千里中央駅間(0.5km)が開業しました。
1987年 4月18日,御堂筋線の我孫子駅・中百舌鳥駅間(5.0km)が開業して全通しました。



(3) 谷町線(2号線)
1967年 3月24日,2号線の東梅田駅・谷町四丁目駅間(3.5km)が開業しました。
1968年12月17日,谷町四丁目駅・天王寺駅間(3.8km)が開業しました。
1969年12月 6日,2号線の愛称が谷町線となりました。
1970年 4月 8日,大阪市大淀区の谷町線延伸工事現場で天六ガス爆発事故が発生しました。
1974年 5月29日,都島駅・東梅田駅間(3.1km)が開業しました。
1977年 4月 6日,森口駅・都島駅間(5.4km)が開業しました。
1980年11月27日,天王寺駅・八尾南駅間(10.5km)が開業しました。
1983年 2月 8日,大日駅・守口駅間(1.8km)が開業して全通しました。

(4) 四つ橋線(3号線)
1942年 5月10日,3号線の大国町駅・花園町駅間(1.3km)が開業しました。
1956年 6月 1日,花園町駅・岸里駅間(1.1km)が開業しました。
1958年 5月31日,岸里駅・玉手駅間(1.3km)が開業しました。
1965年10月 1日,西梅田駅・大国町駅間(4.9km)が開業し,御堂筋線の支線扱いから事実上独立しました。
1969年12月 6日,3号線の愛称が四つ橋線となりました。
1972年11月 9日,玉手駅・住之江公園駅間(2.8km)が開業して全通しました。
(5) 中央線(4号線)
1961年12月11日,4号線の大阪港駅・弁天町駅間(3.1km)が開業しました。
1964年10月31日,弁天町駅・本町駅(仮)間(3.7km)が開業しました。
1967年 9月30日,谷町四丁目駅・森ノ宮駅間(1.3km)が開業しました。
1968年 7月29日,森ノ宮駅・深江橋駅間(2.3km)が開業しました。
1969年 7月 1日,本町駅本駅が完成しました。
1969年12月 6日,4号線の愛称が中央線になりました。
1985年 4月 5日,深江橋駅・長田駅間(3.2km)が開業しました。
1997年12月18日,大阪港トランスポートシステム(OTS)のテクノポート線として大阪港駅・コスモスクエア駅間(2.4km)が開業し,現在の中央線が全通するとともに,相互直通運転を開始しました。
2005年 7月 1日,大阪港トランスポートシステム(OTS)のテクノポート線が中央線に編入されました。
(6) 千日前線(5号線)
1969年 4月16日,5号線の野田阪神駅・桜川駅間(3.7km)が開業しました。
1969年 7月25日,谷町九丁目駅・今里駅間(2.6km)が開業しました。
1969年 9月10日,今里駅・新深江駅間(0.9km)が開業しました。
1969年12月 6日,5号線の愛称が千日前線になりました。
1970年 3月11日,桜川駅・谷町九丁目駅間(2.4km)が開業しました。
1981年12月 2日,新深江駅・南巽駅間(3.0km)が開業して全通しました。
(7) 堺筋線(6号線)
1969年12月 6日,天神橋筋六丁目駅・動物園前駅間(7.0km)が開業しました。
1993年 3月 4日,動物園前駅・天下茶屋駅間(1.5km)が開業して全通しました。
(8) 南港ポートタウン線
1981年 3月16日,中ふ頭駅・住之江公園駅間(6.6km)が開業しました。
1997年12月18日,大阪港トランスポートシステム(OTS)のニュートラムテクノポート線としてコスモスクエア駅・中ふ頭駅間(1.3km)が開業し,現在の南港ポートタウン線が全通するとともに,相互直通運転を開始しました。
2005年 7月 1日,大阪港トランスポートシステム(OTS)のニュートラムテクノポート線が南港ポートタウン線に編入されました。
(9) 長堀鶴見緑地線(7号線)
1990年 3月20日,鶴見緑地線の京橋駅・鶴見直地駅間(5.2km)が開業しました。
1996年12月11日,長堀鶴見緑地駅線に改称し,心斎橋駅・京橋駅間(5.7km)が開業しました。
1997年 8月29日,大正駅・心斎橋駅(2.8km)及び鶴見緑地駅・門真南駅間(1.3km)が開業して全通しました。
(10) 今里筋線(8号線)
2006年12月24日,今里筋線の井高野駅・今里駅間(11.9km)が開業しました。
(11) 大阪市電
1903年 9月12日,大阪市営電気鉄道(略称は大阪市電(おおさかしでん))が開業しました。
1969年 3月31日,大阪市電が全廃されました。


4 京阪本線京阪鴨東線京阪中之島線及び京阪交野線
(1) 京阪本線及び京阪鴨東線
1910年4月15日,京阪電気鉄道(初代)の天満橋駅・五条駅(現在の清水五条駅)間が開業しました。
1915年10月27日,京阪電気鉄道(初代)の五条駅(現在の清水五条駅)・三条駅間が開業しました。
1943年10月 1日,京阪電気鉄道及び阪神急行電鉄が合併して京阪神急行電鉄となりました。
1949年12月 1日,京阪神急行電鉄より京阪本線等が分離譲渡される形で京阪電気鉄道(2代目)が発足しました。
1963年 4月16日,淀屋橋駅・天満橋駅間が地下線で延伸開業しました。また,これに伴い,天満橋駅が地下駅に移行しました。
1987年 5月24日,七条駅・三条駅間が地下化しました。
1989年 4月 1日,三条駅・出町柳駅間が京阪鴨東線(おうとうせん)として開業しました。


(2) 京阪中之島線
2008年10月19日,天満橋駅・中之島駅が京阪中之島線(なかのしません)として開業しました。また,丸太町駅が神宮丸太町駅に,四条駅が祇園四条駅に,五条駅が清水五条駅(きよみずごじょうえき)となりました。
2017年8月20日,京阪本線で座席指定車両である「プレミアムカー」が導入されました。

(3) 京阪交野線
1929年 7月10日,信貴生駒電鉄の枚方東口駅(昭和24年10月1日以降は枚方市駅)・私市駅(きさいちえき)間が開業しました。
1939年 5月 1日,信貴生駒電鉄が交野電気鉄道に事業譲渡した結果,同社交野線(かたのせん)になりました。
1945年 5月 1日,京阪神急行電鉄が交野電気鉄道を吸収合併しました。
1949年12月 1日,京阪神急行電鉄から京阪電気鉄道が分離しました。

5 阪急京都本線
1921年 4月 1日,北大阪電気鉄道の十三駅・淡路駅間が開業しました。
1923年 4月 1日,新京阪鉄道が北大阪電気鉄道の鉄道路線を譲り受けました。
1928年 1月16日,新京阪鉄道の淡路駅・高槻町駅(1943年1月1日以降は高槻市駅)間が開業しました。
1928年11月 1日,新京阪鉄道の高槻町駅・京都西院駅(1931年3月31日以降は西院駅)間が開業しました。
1930年 9月15日,京阪電気鉄道が新京阪鉄道を吸収合併しました。
1931年 3月31日,京阪電気鉄道の西院駅・京阪京都駅(現在の大宮駅)間が開業しました。
1943年10月 1日,阪神急行電鉄が京阪電気鉄道を合併して京阪神急行電鉄となりました。
1949年12月 1日,京阪電気鉄道が分離しました。また,京阪神急行電鉄に残った新京阪線が京都本線に名称変更しました。
1963年 6月17日,大宮駅・河原町駅間が開業して,十三駅・河原町駅間が全通しました。
1969年12月 6日,大阪市営地下鉄堺筋線との相互直通運転を開始しました。
1973年 4月 1日,京阪神急行電鉄が阪急電鉄に名称変更しました。

6 阪急千里線
1921年 4月 1日,北大阪電気鉄道の淡路駅・豊津駅間が開業しました。
1922年10月26日,北大阪電気鉄道の豊津駅・千里山駅間が開業しました。
1963年 8月29日,千里山駅・新千里山駅(1967年3月1日以降は南千里駅)間が開業しました。
1967年 3月 1日,南千里駅・北千里駅間が開業し,阪急千里線となりました。

7 阪急神戸本線及び阪急宝塚本線
1910年 3月10日,箕面・有馬電気軌道の梅田駅・宝塚駅間が開業しました。
1920年 7月16日,阪神急行電鉄の十三駅・神戸駅(のちの上筒井駅)間が開業しました。
1926年 7月 5日,阪神急行電鉄の梅田駅・十三駅間が高架化しました。
1936年 4月 1日,西灘駅(現在の王子公園駅)・神戸駅(現在の神戸三宮駅)間が開業しました。また,これまでの神戸駅が上筒井駅に名称変更しました。
1995年 1月17日,阪神・淡路大震災により全線不通となりました。
1995年 6月12日,全線が復旧しました。

8 阪神本線及び阪神なんば線
1905年 4月12日,阪神電車の出入橋駅・神戸駅(のちの三宮駅)間が開業しました。
1906年12月21日,梅田駅・出入橋駅間が開業しました。
1995年 1月17日,阪神・淡路大震災により全線不通となりました。
1995年 6月26日,全線が復旧しました。
2009年 3月20日,阪神なんば線西九条駅・大阪難波駅間の開業に伴い,本線と阪神なんば線・近鉄難波線・奈良線相互間で直通運転を開始しました。


9 大阪高速鉄道大阪モノレール線
1990年 6月 1日,千里中央駅・南茨木駅間が開業しました。
1994年 9月30日,柴島駅(くにじまえき)・千里中央駅間が開業しました。
1997年 4月 1日,大阪空港駅・柴島駅間が開業しました。
1997年 8月22日,南茨木駅・門真市駅間が開業しました。

10 近鉄大阪線近鉄奈良線及び近鉄難波線
(1) 近鉄大阪線(上本町駅から伊勢中川駅)・近鉄奈良線(布施駅から近鉄奈良駅)
1914年 4月30日,大阪電気軌道の上本町駅(現在の大阪上本町駅)・深江駅(現在の布施駅)・奈良駅(仮駅)間が開業しました。
1914年 7月 8日,奈良駅本駅が開業しました。
1922年 3月,深江駅が足代駅(現在の布施駅)に改称しました。
1924年10月31日,足代駅・八尾駅(現在の近鉄八尾駅)が開業しました。
1925年3月21日,高田駅(現在の大和高田駅)・八木駅(現在の八木西口駅)間が開業しました。
1927年 7月 1日,布施駅(ふせえき)・八木駅間が全通しました。
1930年12月20日,布施駅・伊勢中川駅間が全通しました。
1941年 3月15日,大阪電気軌道と参宮急行電鉄が合併して関西急行鉄道となりました。また,布施駅・伊勢中川駅間が大阪線となりました。
1944年 6月 1日,関西急行鉄道が南海鉄道を吸収合併して近畿日本鉄道に社名変更しました。また,関急奈良駅が近畿日本奈良駅に名称変更しました。
1969年12月 9日,近畿日本奈良駅が地下化しました。
1970年 3月 1日,近畿日本奈良駅が近鉄奈良駅に名称変更しました。


(2) 近鉄難波線
1970年 3月15日,近鉄難波駅・上本町駅間が開業しました。
2009年 3月20日,阪神なんば線との相互直通運転を開始しました。また,近鉄難波駅が大阪難波駅に名称変更しました。

11 近鉄南大阪線及び近鉄道明寺線(外部ブログの「大阪鉄道のはなし」が参考になります。)
(1) 近鉄南大阪線
1898年 3月24日,河陽(かよう)鉄道の道明寺駅・古市駅間が開業しました。
1899年 5月11日,河陽鉄道が河南(かなん)鉄道に事業譲渡して解散しました。
1919年 3月 8日,河南鉄道が大阪鉄道(2代目)に社名変更しました。
1922年 4月18日,大阪鉄道の布忍駅(ぬのせえき)・道明寺駅間が開業しました。
1923年 4月13日,大阪鉄道の大阪天王寺駅(1924年6月以降は大阪阿部野橋駅)・布忍駅間が開業しました。
1929年 3月29日,大阪鉄道の古市駅・久米寺駅(1970年3月1日以降は橿原神宮前駅)間が開業しました。また,吉野鉄道(現在の近鉄吉野線)と直通運転を開始しました。
1940年 4月 1日,久米寺駅が橿原神宮駅駅(1970年3月1日以降は橿原神宮前駅)に名称変更しました。
1943年 2月 1日,関西急行鉄道(関急)が大阪電気軌道(大軌)を吸収合併しました。また,大阪阿部野橋駅・橿原神宮駅駅間が天王寺線となりました。
1944年 6月 1日,関西急行鉄道が南海鉄道を吸収合併して近畿日本鉄道に社名変更しました。また,大阪阿部野橋駅・橿原神宮駅駅間が南大阪線となりました。
(2) 近鉄道明寺線
1898年 3月24日,河陽(かよう)鉄道の道明寺駅・柏原間が開業しました。
1899年 5月11日,河陽鉄道が河南(かなん)鉄道に事業譲渡して解散しました。
(その後の経緯は近鉄南大阪線と同じです。)

12 関西本線
1889年 5月14日,大阪鉄道(初代)の湊町駅(1989年12月28日,南西へ約100m移転しました。また,関西国際空港が開港した1994年9月4日以降はJR難波駅)・柏原駅間が開業しました。
1892年 2月 2日,大阪鉄道の湊町駅・奈良駅間が全通しました。
1900年 6月 6日,関西鉄道が大阪鉄道を買収しました。
1900年 9月 1日,関西鉄道の湊町駅・名古屋駅間が全通しました。
1907年10月 1日,鉄道国有化法により関西鉄道が国有化されました。
1909年10月12日,国有鉄道線路名称制定により,名古屋駅・奈良駅・湊町駅間が関西本線となりました。
1949年 6月 1日,名古屋駅・湊駅間について,毎日運転の臨時列車として準急列車(1958年11月1日,「かすが」と命名されました。)が往復運転を開始しました。
1968年10月 1日,「かすが」の運転区間が原則として,名古屋駅・奈良駅間となりました。
1972年 3月15日,関西本線の電車が新今宮駅に停車するようになりました。
1973年10月 1日,「かすが」の運転区間が名古屋駅・奈良駅間だけになりました。
1988年 3月13日,路線愛称の制定により,関西本線のうち,京都府木津川市の加茂駅から大阪市浪速区のJR難波駅までの区間について「大和路線」の愛称を使用するようになりました。
2006年 3月18日,「かすが」が廃止されました。
2008年 3月15日,おおさか東線の開業により奈良駅・尼崎駅間をおおさか東線・JR東西線経由で運転する直通快速が運転を開始しました。



13 阪和線及び関西空港線

(1) 阪和線
1929年 7月18日,阪和電気鉄道の天王寺駅・和泉府中駅間が開業しました。
1930年 6月16日,阪和電気鉄道の和泉府中駅・東和歌山駅(現在の和歌山駅)間が開業しました。
1940年12月 1日,阪和電気鉄道が南海鉄道に吸収合併され,南海鉄道山手線となりました。
1942年 2月15日,南海鉄道の高野線と山手線の乗換駅として三国ケ丘駅が開業しました。
1944年 5月 1日,戦時買収により南海鉄道山手線が国有化されて阪和線となりました(大阪府下の戦時買収私鉄は南海鉄道山手線だけです。)。
(2) 関西空港線
1994年 6月15日,日根野駅・関西空港駅間が開業しました。
1994年 9月 4日,関西国際空港が開港し,特急「はるか」が運転を開始しました。
2018年 9月 4日,台風21号の影響でタンカーが漂着して衝突したため,連絡橋が被害を受けた結果,全線不通となりました。
2018年 9月18日,全線復旧しました。

14 南海本線及び南海空港線
(1) 南海本線
1885年12月29日,阪堺鉄道(はんかいてつどう)(日本で3番目の民営鉄道事業者です。)の難波駅・大和川駅(大和川北岸にあった仮の駅です。)間が開業しました。
1888年 5月15日,阪堺鉄道の大和川駅・堺駅間が開業しました。
1897年10月 1日,南海鉄道の堺駅・佐野駅(現在の泉佐野駅)間が開業しました。
1897年11月 9日,南海鉄道の佐野駅・尾崎駅間が開業しました。
1898年10月 1日,阪堺鉄道が南海鉄道に事業譲渡しました。
1898年10月22日,南海鉄道の尾崎駅・和歌山北口駅間が開業しました。
1898年10月 1日,阪堺鉄道が南海鉄道に事業譲渡しました。
1903年 3月21日,紀ノ川橋梁(きのかわきょうりょう)が開通し,南海鉄道の難波駅・和歌山市駅間が全通しました。
1944年 6月 1日,関西急行鉄道と南海鉄道が合併して近畿日本鉄道となりました。
1947年 3月15日,高野山電気鉄道が南海電気鉄道に社名変更しました。
1947年 6月 1日,南海電気鉄道が近畿日本鉄道から旧:南海鉄道の路線を譲渡されました。
1993年 4月18日,南海本線の高架化に伴い,岸ノ里駅と玉手駅が統合して岸里玉手駅が開業しました。
(2) 南海空港線
1994年 6月15日,泉佐野駅・関西空港駅間が開業しました。
1994年 9月 4日,関西国際空港が開港し,特急「ラピート」が運転を開始しました。
2018年 9月 4日,台風21号の影響でタンカーが漂着して衝突したため,連絡橋が被害を受けた結果,全線不通となりました。
2018年 9月18日,全線復旧しました。
2020年 4月24日,新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴い,特急「ラピート」の一部列車が運休するようになりました。
2022年 4月21日,特急「ラピート」のすべての列車の運転が再開しました。
15 南海高野線
1898年 1月30日,高野鉄道の大小路駅(1900年9月以降は堺東駅)・狭山駅間が開業しました。
また,大小路駅(大小路橋の東側にあったことによる命名です。また,当時の大阪府泉北郡向井町にありました。),西村駅(現在の初芝駅)及び狭山駅が開業しました。
1898年 4月 2日,高野鉄道の狭山駅・長野駅(1954年4月10日以降は河内長野駅)間が開業しました。また,滝谷駅及び長野駅が開業しました。
1900年 9月 3日,高野鉄道の大小路駅・道頓堀駅(1901年1月1日以降は汐見橋駅)間が開業しました。また,同月中に大小路駅は堺駅を経て堺東駅となりました。
1907年11月15日,高野鉄道が事業一切を高野登山鉄道に譲渡しました。
1914年10月21日,高野登山鉄道の長野駅・三日市町駅間が開業しました。
1915年 3月11日,高野登山鉄道の三日市町駅・橋本駅間が開業しました。
1915年 4月30日,高野登山鉄道が大阪高野鉄道に社名変更しました。
1917年 7月 5日,大阪高野鉄道の狭山駅・滝谷駅間に,河内半田駅(狭山遊園前駅を経て,現在の大阪狭山市駅)が開業しました。
1922年 9月 6日,南海鉄道が大阪高野鉄道を吸収合併し,南海鉄道高野線となりました。
1924年11月 1日,南海鉄道の橋本駅・学文路駅(かむろえき)間が開業しました。
1924年12月25日,南海鉄道の学文路駅・九度山駅間が開業しました。
1925年 3月15日,岸ノ里駅(現在の岸里玉手駅)の連絡線開通により,南海鉄道高野線の列車の難波駅乗り入れが開始しました。
1925年 3月28日,高野山電気鉄道が設立されました。
1925年 7月30日,南海鉄道の九度山駅・高野山駅(1925年9月11日以降は高野下駅)間が開業しました。
1928年 6月18日,高野山電気鉄道の高野下駅・神谷駅(1930年3月1日以降は紀伊神谷駅)間が開業しました。
1929年 2月21日,高野山電気鉄道の神谷駅・極楽橋駅間が開業しました。
1929年11月 1日,南海鉄道高野線の全列車が難波駅より発着するようになりました。
1932年 4月28日,高野山電気鉄道が架線電圧を1500ボルトから600ボルトに変更して南海鉄道高野線と一致させることで,高野山電気鉄道と南海鉄道高野線の直通運転が開始しました。
1932年 7月 9日,難波駅の4代目駅舎となる南海ビルディングが完成し,同月15日,高島屋大阪店が開業しました。
1937年 4月19日,南海鉄道の開業50周年記念イベントとして開催された四国八十八か所出開帳に際して,金剛駅が開業しました。
1938年 2月11日,南海鉄道の滝谷駅・長野駅間に千代田駅が開業しました。
1942年 2月15日,南海鉄道の高野線と山手線の乗換駅として三国ケ丘駅が開業しました。
1944年 6月 1日,関西急行鉄道と南海鉄道が合併して近畿日本鉄道となりました。
1947年 3月15日,高野山電気鉄道が南海電気鉄道に社名変更しました。
1947年 6月 1日,南海電気鉄道が近畿日本鉄道から旧:南海鉄道の路線を譲渡されました。
1954年 4月 1日,長野町,三日市村,高向村,天見村,加賀田村及び川上村が合併して河内長野市となったことに伴い,同月10日に長野駅が河内長野駅に名称変更しました。
1971年 4月 1日,南海高野線と泉北高速鉄道線が相互直通運転を開始しました。
1992年11月10日,金剛駅が特急・急行停車駅となりました。
2007年10月27日,浅香山駅と我孫子前駅間の線路上で大阪航空株式会社(大阪府八尾市)所有のヘリコプターが墜落するという,大阪航空堺市墜落事故が発生しました。
2017年10月22日から2018年3月30日までの間,台風21号の影響により上小沢駅構内で道床流出が発生したため,橋本駅・高野山駅間でバス代行輸送が実施されました。


16 泉北高速鉄道線
1965年12月24日,泉北高速鉄道線の運営会社としての大阪府都市開発株式会社が設立されました。
1971年 4月 1日,泉北高速線の中百舌鳥駅・泉ヶ丘駅間が開業しました。
1973年12月 7日,泉ヶ丘駅と栂・美木多駅(とが・みきたえき)間が開業しました。
1977年 8月20日,栂・美木多駅と光明池駅間が開業しました。
1995年 4月 1日,光明池駅・和泉中央駅間が開業しました。
2014年 7月 1日,南海電鉄が大阪府都市開発株式会社の株式の99.9%余りを取得して子会社としました。
2015年12月 5日,難波駅・和泉中央駅間で泉北ライナーが運行するようになりました。

17 近鉄長野線
1898年 4月14日,河陽(かよう)鉄道の古市駅・富田林駅間が開業しました。
1899年 5月11日,河陽鉄道が河南(かなん)鉄道に事業譲渡して解散しました。
1902年 3月25日,富田林駅・滝谷不動駅間が開業しました。
1902年12月12日,滝谷不動駅・長野駅(現在の河内長野駅)間が開業しました。
1919年 3月 8日,河南鉄道が大阪鉄道に社名変更しました。
1943年 2月 1日,関西急行鉄道(関急)が大阪電気軌道(大軌)を吸収合併しました。
1944年 6月 1日,関西急行鉄道が南海鉄道を吸収合併して近畿日本鉄道に社名変更しました。
1954年 4月 1日,長野町,三日市村,高向村,天見村,加賀田村及び川上村が合併して河内長野市となったことに伴い,同月10日に長野駅が河内長野駅に名称変更しました。


18 関連記事その他
(1) 日本旅行HP「大阪府鉄道路線図」が載っています。
(2) 以下の記事も参照してください。
・ 日本の鉄道
・ 日本の空港及び航空路線

軍用地投資

目次
1 軍用地投資
2 軍用地投資入門
3 関連記事その他

1 軍用地投資
(1) 軍用地とは,米軍基地や自衛隊基地の底地のことです。
(2)ア 沖縄県の軍用地の場合,年間借地料×倍率で計算されます。
    倍率は,軍用地ごとに異なる係数のようなものであり,通常は30倍から40倍であるものの,返還の見込みが少ない軍用地ほど倍率は高くなるのであって,例えば,陸上自衛隊那覇駐屯地は44倍,嘉手納飛行場は44~46倍,航空自衛隊那覇基地は46倍だそうです(トラベラーズマップHP「沖縄の軍用地を購入する前に知っておきたいこと」(平成29年9月8日の記事)参照)。
イ 開南コーポレーションHP「軍用地の一覧」に,価格,倍率,年間借地料及び土地面積の実例が載っています。
(3) 沖縄県の軍用地を売買する場合,軍用地料(年間借地料)が記載されている土地賃借料算定調書,登記簿謄本及び地図(航空写真+地積併合図)を確認する必要があるものの,現地の確認は不要です(カミヤプロデュースHP「軍用地購入の流れ」参照)。
(4) 軍用地の場合,購入価格の3分の1から4分の1が相続税評価額となっていますし,嘉手納飛行場,航空自衛隊那覇基地及び那覇空港の場合,年間借地料の40倍が銀行の担保評価になっているみたいです(RETAX HP「【相続税対策】軍用地投資による究極の節税方法」参照)。
(5) 軍用地の相続税評価額は以下の方法で計算されます(税理士事務所おき会計HP「軍用地の評価方法について教えてください。」参照)。
① 固定資産税評価証明書に記載の固定資産税評価額を入手する。
② 「登記簿」の地目に対応する「公用地の評価倍率表」から該当する倍率を探す。
・ 公用地の評価倍率表は,沖縄県の財産評価基準書に載っています。
③ 固定資産税評価額×倍率×(1-40%(※1))=相続税評価額
(※1)原則として,地上権で「存続期間の定めのないもの」の割合40%を使用します。(相続税法23条)
(6) 軍用地のデメリットは,①購入チャンスが滅多にないこと,及び②土地を自由に使うことができないことの2点だけみたいです(税理士相談Cafe HP「軍用地のメリットと相続税評価額の計算方法」参照)。
(7) 一般社団法人沖縄県軍用地等地主会連合会(土地連)HP「軍用地に係る税務について-所得税と相続税,贈与税への対策に関する説明会-」(平成29年9月作成)が載っています。
(8) 沖縄防衛局HPに載ってある,沖縄防衛局広報誌「はいさい」の平成22年度発行分に,「駐留軍用地特措法の手続き」及び「駐留軍施設の用地買収」が載っています。
(9) 沖縄防衛局の駐留軍年度別購入実績表(平成20年度ないし平成29年度)を掲載しています。

2 軍用地投資入門
(1) ビジネスブックマラソンHP「『「軍用地投資」入門』里中一人・著 vol.5015」によれば,軍用地投資には以下のメリットがあるそうです(譲渡所得税の5000万円控除は租税特別措置法33条の4第1項1号に基づきます。)。
・ 超ローリスクで年利3%
・ 日本政府が借り主(家賃の滞納リスクなし)
・ 土地だけなので減価しない
・ 景気に左右されない
・ 流動性が高く、換金しやすい
・ 通常の民間地と比べて固定資産税が低い
・ 国に売却できる(譲渡所得税控除で5000万円まで非課税)
・ 現地調査も測量も必要ない(そもそも基地に入れない)
・ 軍用地料は今後もゆるやかに上昇する見込み
(2)ア 「軍用地投資」入門は,現職の沖縄防衛局職員によって平成30年4月22日に発売されたところ,その2日後,職場に出版が発覚し,著者は,別室に軟禁状態となり,出版の差し止め,全冊回収を命令されたみたいですお金持ちはこっそり始めている 本当は教えたくない「軍用地投資」入門ブログ「再復活しました。①」(平成30年6月9日の記事)参照)。
イ 平成30年6月8日の沖縄防衛局長による懲戒処分(停職20日)関係文書(手続文書)を掲載しています。
(3) 「軍用地投資」入門の主な内容について(沖縄防衛局が作成したもの)によれば,軍用地投資入門の主な内容は以下のとおりです。
ア 軍用地投資を始めよう
・ 軍用地の借主は、国で収入が安定。滞納リスクなし。
・ 借地料は毎年値上がり、景気に左右されにくい。
・ 軍用地投資の利回りは、平均2.33%。
・ 通常の民有地と比べて軍用地は、固定資産税が安い。
・ 軍用地を国へ売却する際は、5千万円まで不課税。
イ 軍用地の基本を押さえる
・ 一般の地価動向と関係なく、軍用地料は年々増加傾向にある。
・ 軍用地料は、毎年、国と地元の土地連との交渉で決まる。
・ 軍用地投資の一番のリスクは、基地の返還。
・ バブル崩壊以後、相続税を支払えない地主が軍用地を手放すケースが増え、軍用地投資が活発になってきた。
ウ 軍用地投資はメリットだらけの投資法
・ 不動産投資には、主に①自然災害、②すぐに現金化ができない、③空室、④老朽化というリスクがあるが、軍用地投資はこれらのリスクが極めて低い。
・ 軍用地は国が借り主であり、なおかつ、米軍が管理しているので、自然災害リスクは無視でき、継続的かつ半永久的に投資資金を回収できる。
・ 軍用地は不動産のわりに換金性が高く、最短一週間で売却が可能。
エ 軍用地の地主になるまでの流れを知る
・ 軍用地は、一般の地主が悩む「借地人との人間関係」「地代の滞納」「安い地代の割に高い税金問題」などがほとんどなく、管理が簡単。
・ 軍用地料の単価上昇度を考慮すれば、「自衛隊基地」よりも「米軍基地」の方が有利。
・ 単価が低く、なおかつ上昇しやすい「宅地見込み地」がねらい目。
・ 「軍用地」の返還はリスクだが、その場合は給付金制度があり、跡地利用・で資産価値が上昇することもある。
オ 軍用地投資を始めるなら、ここに注意
・ 契約前に確認すべきは、土地賃借料算定調書、登記簿謄本、航空写真の3セット。
・ 地主会のメリットは、①軍用地料が早く支払われる。②低利な共済融資制度を活用できる。ただし、年会費はバカにならない。

3 関連記事その他
(1) 東洋経済オンラインに「沖縄「米軍基地」用地が競売にかけられる驚愕実態 「軍用地バブル」に生じた在庫過多の異変」(2024年1月21日付)が載っています。
(2) 以下の記事も参照してください。
 在日米軍基地
・ 裁判官及び検察官の定年が定められた経緯(日本国憲法の制定経緯を含む。)

ドイツの戦後補償

目次
第1 総論

1 最高裁判所判例解説 民事篇の記載
2 外務省HP掲載の論文の記載
3 ライナー・ホフマン教授の論文の日本語訳の記載
第2 ドイツの戦後補償の総額,及び東日本大震災における原子力損害賠償の総額
1 ドイツの戦後補償の総額
2 東日本大震災における原子力損害賠償の総額
第3 ナチスの不法に対する補償
1 ナチス迫害の概要
2 イスラエルとの間のルクセンブルク協定
3 連邦補完法及び連邦補償法
4 連邦返還法
5 西側12カ国との間の包括的補償協定
6 東欧諸国との一括支払協定
7 東西ドイツ統一後の補償
8 参考資料等
第4 ドイツ企業による強制労働被害者に対する補償
1 総論
2 強制労働被害者の人数等,及びアウシュビッツ強制収容所
3 最高裁平成19年4月27日判決が認定したところの,日本による中国人強制連行(参考)
4 韓国大法院判決による,旧朝鮮半島出身労働者に関する認定事実の例(参考)
5 日本における連合軍捕虜の死亡率(参考)
第5 ドイツ政府が主張するところの賠償問題の「解決」,1953年2月27日調印のロンドン債務協定,並びにギリシャ及びポーランドの賠償請求
1 ドイツ政府が主張するところの賠償問題の「解決」
2 1953年2月27日調印のロンドン債務協定
3 ギリシャの賠償請求
4 ポーランドの賠償請求
第6 ドイツの戦後補償等における,一人当たりの金額の比較
1 ナチス迫害の被害者に対する一人当たりの補償額
2 強制労働被害者に対する一人当たりの補償額
3 在日韓国人及び台湾住民の軍人軍属に対する補償水準
4 2018年10月30日の韓国大法院判決が支払を命じた金額
5 自賠責保険の賠償水準
6 東日本大震災における原子力損害賠償の賠償水準
第7 関連記事

第1 総論
1 最高裁判所判例解説 民事篇の記載
   最高裁判所判例解説 民事篇(平成19年度)(上)416頁ないし418頁には以下の記載があります(ア,イ,ウ及びエを①,②,③及び④に変えています。)。
   日本の戦争賠償は,ドイツと比較して不十分であるといわれることがあるので,参考までに,ドイツの戦後補償の概要を以下にみておく。
① ドイツは,第二次世界大戦後東西に分裂したため,連合国との間の平和条約を締結することができず,戦争賠償の解決については長い間留保されてきた(1953年のロンドン債務協定)ところ,実質的な平和条約の機能を果たすことになった1990年のいわゆる「2プラス4協定」(東西ドイツと英・米・仏・ソの間のモスコー協定)(山中注:1991年3月15日発効の,1990年9月12日調印のドイツ最終規定条約)において,戦争賠償に関する条項は盛られず,結局,狭義の戦争賠償は行われないまま事実上放棄されている。
② 他方,「ナチスの不法に対する補償(Wiedergutmachung)」は戦争賠償とは別の概念であるとの整理の下に,連邦補償法(1956年)の下でホロコースト被害等に対する補償が行われることとなった。当初は西独内に住所を有していた者に対象者を限定していたが,その後,外国居住者にも拡大されている(補償金を一括して各国政府に渡し,各国政府が各被害者に支給するというもの)。また,これより前,1952年にはイスラエルとの間の補償協定(ルクセンブルク協定)も締結された。これらの補償総額は,約1040億マルク(現在のレートで5兆5000億円以上)になるといわれている(総額7兆円を超えるという試算もある。)。
③ このほか,大戦中に東欧地域(特にポーランド)から連行されドイツ企業で強制労働に従事させられた者に対する補償問題について,西独政府は, こうした問題はナチスの迫害ではなく一般的な戦争被害であると主張し,ロンドン債務協定を盾に請求を拒んできた。しかし,2000年7月,ドイツ政府と企業が50億マルクずつ(計100億マルク,約5300億円)を拠出して,「記憶・責任・未来財団」という基金を設立することが,ドイツ,旧東欧諸国及びイスラエル政府並びにドイツ企業等の間で合意され,その後,ドイツの国内関連法が成立した。この動きの直接のきっかけとなったのは,米国の弁護士らにより米国裁判所でドイツ企業を被告とする大規模なクラスアクションが提起され,企業が譲歩を余儀なくされたことにあったといわれている。なお,この事業は,人道的な見地から行われるものであって,法的責任に基づくものではないと説明されており,「記憶・責任・未来基金の創設に関する法律」の前文にも,政府の関与は政治的道義的責任に基づくものであるとの趣旨が明記されている。

   このほか,戦争中の強制労働に関与した企業の中には,独自の救済措置を設けて元労働者に対する補償措置を行っているものもいくつか存在するようである。これも,法的義務に基づくものではなく,あくまでも人道的な措置であるとの位置付けが強調されている。
④ 以上のとおり,ドイツの戦後補償は金額の上では我が国の賠償額を大きく上回っているが,それはナチスの不法に対する補償(Wiedergutmachung)という特殊な概念に基づくものであって,狭義の戦後賠償は行われていないことに留意する必要があろう。一方,強制労働に対する補償問題に関しては,法的責任を前提としないとしつつも,官民を挙げて救済措置が講じられていることは,特筆に値すると思われる。
2 外務省HP掲載の論文の記載
   外務省HPの「外交史料館所蔵史料に見るドイツ戦後賠償の形成過程―現物賠償、戦争賠償、ナチスの不法に対する補償」の末尾104頁及び105頁には以下の記載があります。
   ドイツの戦後賠償は、伝統的な国際法上の戦争賠償とともに、いわゆるナチスの不法に対する補償(Entschädigung für NS-Unrecht)により特徴付けられる。前者は、第二次世界大戦における戦争行為に関連する国家間の賠償であるが、後者は、ナチス政権(国家社会主義政権)の主としてユダヤ民族に対する不法・迫害についての補償措置であり、伝統的な国際法上の戦争賠償とは異なるものとして、戦後、取り組まれてきたものである。
   前者の戦争賠償については、ドイツでは、占領期において、現物賠償主義によるデモンタージュ(工場施設の撤去解体)と在外資産の処理が行われたが、我が国における対日平和条約(サンフランシスコ平和条約)と異なり、東西冷戦構造により、占領終了に際して平和条約が締結されず、賠償問題の解決が延期された。さらに、一九九○年の東西ドイツ統一に際しても、戦争賠償問題が国際法上で明示的に規律されることはなかった。
   これに対し、ナチスの不法に対する補償については、一九五二年九月に署名されたイスラエルとの間の協定(ルクセンブルク協定)を出発点として、一九五三年及び一九五六年の国内法上の連邦補完法及び連邦補償法、西側一二か国との間の包括的補償協定、連邦補償法の適用を受けることができなかった者に対する一九八○年代以降の困窮救済措置、さらには強制労働問題に関する二○○○年の「記憶・責任・未来」財団の設立といった措置が連綿と続けられてきた。
3 ライナー・ホフマン教授の論文の日本語訳の記載
   「ライナー・ホフマン 戦争被害者に対する補償――1949年以降のドイツの実行と現在の展開――」の末尾308(564)には以下の記載があります(改行を追加しました。)。
   ドイツ連邦共和国の歴代政府は,一貫して,第二次世界大戦時に適用された国際法は,その時期に適用された戦争法規違反の補償に対する被害者個人の法的に強制しうるいかなる権利も規定していないという意見であった。
   かくして,ドイツに帰属するかかる行為の被害者個人にかかる補償を支払ういかなる法的義務も,かかる権利を規定する国際条約か国内制定法のいずれかの結果である。
   この点に関連して,ふたたび歴代ドイツ政府の一貫した見解によれば,かかる国内法を制定すべき国際法上の義務も,あるいはかかる条約を締結すべき国際法上の義務も存在しなかったし,かつ存在しないことが強調されなければならない。
   しかし,ドイツ政府は,同様に一貫して,第二次世界大戦前および大戦中のドイツに帰属する行為により外国の国民が被った損害のあるものを償う――たしかに極めて限られた程度においてではあるが――ために,かかる条約を締結すべき,あるいはかかる制定法を採択すべきドイツ連邦共和国の道義的義務が存在すると考えてきた。
   そして,この立場は権限のあるドイツの裁判所によって一貫して共有されてきた。

第2 ドイツの戦後補償の総額,及び東日本大震災における原子力損害賠償の総額

1 ドイツの戦後補償の総額
(1) Wikipediaの「第二次世界大戦後におけるドイツの戦後補償」には,「ドイツ連邦共和国が行った補償総額は、2009年時点で671億1800万ユーロに達する。」と書いてあります。
   七十七銀行HPに「ユーロ対円相場(仲値)一覧表 (2009年)」が載っていますところ,1ユーロ130円とした場合,ドイツの補償総額は8兆7253億4000万円となります。
(2)ア 671億1800万ユーロという金額の使い道は,主としてナチス迫害の被害者に対する補償及び強制労働被害者に対する補償です。
   また,これらとは別に,主として占領期において,デモンタージュ(工場施設の解体接収)及びドイツ在外資産の接収が実施されたほか,占領経費が徴収されたところ, 「第二次世界大戦後の西ドイツ賠償問題とヨーロッパ地域秩序形成 」(名古屋大学法政論集260号に掲載)の末尾181頁には,「戦争賠償と占領経費の金額を比較するならば、1952 年までのドイツの賠償総額が48 億ドル(1938)であるのに対して、その間の占領経費は120 億ドル(1938)にのぼった」と書いてあります(「1938」は1938年価格のことと思います。)。
イ デモンタージュ及びドイツ在外資産の接収による現物賠償については,1945年8月2日締結のポツダム協定で定められました。
   また,1946年1月14日調印のパリ賠償協定において連合国及び中立国に所在するドイツ在外資産の具体的な処理が定められ,個別の平和条約(例えば,1947年2月10日調印のイタリア平和条約77条)において旧枢軸国にあるドイツ在外資産の具体的な処理が定められました。
ウ デモンタージュは,日本の戦後補償でいうところの中間賠償(軍需工場の機械など日本国内の資本設備を撤去して,中国,オランダ領東インド,フィリピン等に移転、譲渡することによる戦争賠償のこと。)であると思います。
(3) 「ライナー・ホフマン 戦争被害者に対する補償――1949年以降のドイツの実行と現在の展開――」の末尾300(556)には以下の記載があります。
   ちなみに,ドイツ民主共和国は,ドイツ連邦共和国とは対照的に,自己をドイツ国(ライヒ)と関連のない(そして国際法上の同一主体であるにはましてや関連がない)「新しい」国家とみなし,したがってナチスの迫害の犠牲者に補償金を支払うべきいかなる法的義務のみか,いかなる道義的義務をも拒否した。
2 東日本大震災における原子力損害賠償の総額

(1) 文部科学省HPの原子力損害賠償紛争審査会(第48回)「資料4-1 原子力損害賠償のお支払い状況等」によれば,平成30年6月末日現在,本賠償の金額が約8兆1522億円であり,仮払補償金が約1529億円であり,合計8兆3051億円です。
(2) 東京電力HPの「賠償金のお支払い状況」によれば,2019年9月13日現在,本賠償の金額が約8兆9295億円であり,仮払補償金が約1529億円であり,合計9兆824億円です。

第3 ナチスの不法に対する補償
1 ナチス迫害の概要
(1) Wikipediaの「ホロコースト」には以下の記載があります。
   ナチスによるホロコーストで犠牲となったユダヤ人は当初少なくとも600万人以上とされていた。また、同時期にナチス・ドイツの人種政策によって行われたロマ人に対するポライモス、成人の精神障害者へのT4作戦、反社会分子とされた人々(労働忌避者、浮浪者、シンティ・ロマ人など)や障害者、同性愛者(ナチス・ドイツとホロコーストによる同性愛者迫害)、エホバの証人、スラヴ人に対する迫害などもホロコーストに含んで語られることもある。主に独ソ戦における戦争捕虜、現地住民が飢餓や強制労働による死亡者に対しても「ホロコースト」の語が使用されることがあるが、この語をユダヤ人以外にも拡大して使用することに反発する個人・団体がある。こうした広い概念でとらえた場合の犠牲者数は、900万から1,100万人にのぼるとする説がある。
(2) 国際派日本人養成講座HPの「戦後補償の日独比較~ワイツゼッカーの苦衷~」には,「2.ナチスの犯罪」として以下の記載があります(文中の1ないし5を①ないし⑤に変えています。)
 まずドイツが補償したナチスの犯罪とはどのようなものだったか、をまとめておこう。以下のような殺戮が行われた。
① ドイツ国内の療養所、看護施設の病人、不具者、神経病院にいるすべてのユダヤ人、3歳から13歳までの心身障害児童など約10万人。
② ドイツ国内、続いて東ヨーロッパの占領地域にいるジプシー推定50万人程度。
③ ポーランド占領期間中の知識人、指導者層100万人以上。(ヒットラーは、東方の非ドイツ系住民は、奴隷とするために小学校4年以上の教育は不必要としていた。)
④ ロシアの占領地域での同様な指導者層の殺戮。規模はポーランドより多いという程度しか分かっていない。
⑤ ユダヤ人絶滅を目指し、ドイツ国内、ポーランドその他占領地域での推定600万人の虐殺。
2 イスラエルとの間のルクセンブルク協定
(1) ドイツは,ナチスの不法に対する補償として,1952年9月10日,ルクセンブルクにおいて,イスラエルとの間で協定に署名し,かつ,対独ユダヤ物的請求権会議(JCC)との間で二つの議定書に署名しましたところ,この協定と二つの議定書をあわせてルクセンブルク協定といわれています。
(2) この協定において,西ドイツは,ユダヤ人難民の受入費用を補填するため,イスラエル国に対し,包括的補償として,30億マルクを支払うことが定められ,この支払いは,西ドイツの外資の不足から,現物の引渡し及び役務の提供によりなされることとされました。
   また,第一議定書においては,被迫害者の財産の返還及び個人補償のための立法手続を開始するとの西ドイツの意思が確認され,第二議定書においては,対独ユダヤ物的請求権会議(JCC)に対して,イスラエル以外の場所におけるナチスの迫害のユダヤ人犠牲者の支援,受入れ,定住のために4億5000万マルクが支払われることとされました。
3 連邦補完法及び連邦補償法
(1) 西ドイツは,ナチスの不法に対する補償について,ボン・パリ諸条約の移行条約第四章の規定及び上記のJCC との間の第一議定書を踏まえ,国内法として1953年9月に連邦補完法,1956年6月に同法を改正した連邦補償法を制定しました。
(2) これらの法律の適用は,厳格な属地主義の原則によっており,請求権者は,原則として,(オーストリア併合以前の)1937年12月31日時点でのドイツ帝国の領域に居住していた者,又は西ドイツの領域(同法の適用領域)に居住している者に限定されました(連邦補償法4条1項)。
(3) Wikipediaの「第二次世界大戦後におけるドイツの戦後補償」によれば,連邦補償法に基づく補償額は460億8700万ユーロとなっており,総額671億1800万ユーロとされるドイツの戦後補償の最大割合を占めています。
4 連邦返還法
(1) 「ユダヤ人財産の返還補償の再展開-アメリカによるホロコースト訴訟との関連で-」の末尾58頁には以下の記載があります。
   1957年の西ドイツの連邦返還法は,このようなドイツ国家による帝国外での強奪行為(山中注:例えば,フランスやベルギーなどで実施された,ドイツ占領軍による家具調度の略奪)によって生じた損害に対しても,連邦共和国政府がその債務を負うとした。しかしこの法律は属地主義に立つため,請求者が外国人の場合は,返還対象は強奪された後に帝国内へ運ばれ,連邦返還法の試行時に西ドイツ領内で確定できる財産に限られる。ただ,フランスの略奪家具のようにドイツへ運ばれた後に所在が分からなくなった場合でも,確実に帝国内へ到達したと考えられるものについても適用された。また連邦返還法は,国により売却された有価証券や没収された銀行預金など,もはや存在しないために確定できない財産の補償も定めた。
(2) Wikipediaの「第二次世界大戦後におけるドイツの戦後補償」によれば,連邦返還法に基づく補償額は2億230万ユーロとなっています。
5 西側12カ国との包括的補償協定
(1) 西ドイツは,1959年から1964年にかけて、ナチスの迫害行為により生命、身体、健康又は自由について損害を受けた各国の被迫害者に対する補償を西側11カ国の政府に対して包括的に支払うことを約束する包括的補償協定を締結しました。
   具体的な対象国は,ルクセンブルク,ノルウェー,デンマーク,ギリシャ,オランダ,フランス,ベルギー,イタリア,スイス,イギリス及びスウェーデンです。
(2) オーストリアとの間では、オーストリアの自国の補償給付制度に西ドイツが資金を拠出することを規定した条約が締結されました。
(3) これらの諸国に対する補償額は,9億7100万マルクに上りました。
6 東欧諸国との一括支払協定
   西ドイツは1961年から1972年の間に,ドイツの強制収容所で行われた疑似医学的実験(いわゆる「人体実験」です。)による被害に関して,ユーゴスラヴィア,チェコスロヴァキア,ハンガリ及びポーランドと一括支払協定を締結しました。
7 東西ドイツ統一後の補償
(1) ドイツは,1991年,ポーランド及びソ連の三つの承継国(ベラルーシ,ロシア連邦及びウクライナ)と条約を締結して,ナチス迫害の被害者の状態を緩和するためにかなりの金額を,いかなる法的義務も認めることなく,引き渡しました。
(2) 同様の引渡しが,エストニア,ラトヴィア,リトアニア及び特にチェコ共和国と締結した協定に基づいて行われました。
(3) ドイツは,1998年,これまでいかなる補償金の支払も受け取っていない東欧に住むナチス迫害のユダヤ人被害者に援助基金を提供するために,ユダヤ人請求会議と協定を締結しました。
8 参照資料等
(1)   ナチス迫害の被害者に対する補償に関しては,外務省HPの「外交史料館所蔵史料に見るドイツ戦後賠償の形成過程―現物賠償、戦争賠償、ナチスの不法に対する補償」のほか,「ライナー・ホフマン 戦争被害者に対する補償――1949年以降のドイツの実行と現在の展開――」が非常に参考になります。
(2) 「ドイツの戦後補償 1999.1.1現在」によれば,1961年から1972年までの一括支払協定による支払額は1億3000万マルクであり,1991年から1993年までのポーランド及びソ連の三つの承継国(ベラルーシ,ロシア連邦及びウクライナ)に対する支払額は15億マルクであり,1997年のドイツ・チェコ未来基金に基づく支払額は1億4000万マルクです。


第4 ドイツ企業による強制労働被害者に対する補償
1 総論
   Wikipediaの「第二次世界大戦後におけるドイツの戦後補償」には以下の記載があります。
① ナチス時代のドイツ企業はユダヤ人や戦争捕虜に強いられた強制労働によって大きな収益を上げていた。ドイツ連邦共和国政府はこの被害者に対する支払が「補償」の範囲内ではなく「国家間賠償」で対応されるべきとし、一切の支払に応じていなかった。
② 2000年7月17日にアメリカとドイツは協定を結び、ドイツ企業に対する訴訟を取り扱う財団設立で合意した。この協定には多数の訴訟代理人が同意し、訴訟権却下に応じた。8月12日に『財団「記憶・責任・未来」(ドイツ語版)』の創設が国会決議され、以降の支払いはドイツおよびドイツ企業の道義的・政治的責任に基づいて拠出された100億ドイツマルクから支払われることとなった。財団は7つの協力組織の請求に基づいて協力組織に金銭を支払い、2001年末までに請求を行った者に対し、協力組織が支払うという形式で処理を行っている。ドイツ側としては道義的・政治的責任は認めつつも法的義務は認めておらず、公式には賠償とはされていない。また、この強制労働はナチ不正の一環であって、戦争犯罪としては取り扱われていない。ドイツ経済界はこれ以上賠償や補償請求が行われない「法的安定性」を求めており、アメリカ政府がこれに応じたことで交渉は決着した。アメリカ政府は交渉の過程で「今後アメリカとしては、ドイツに賠償請求を行わない」ことを表明している。

 「記憶・責任・未来」による支払は2001年より開始され、2007年6月に終結した。支払い対象はおよそ百カ国にまたがる166万人であり、支払総額は43.7億ユーロに達する。支払い対象となる強制労働被害者は強制収容所での労務者、移住させられ強制労働に従事させられた者、およびそれに準じると見られた者である。戦争捕虜、イタリアの降伏時に発生したイタリア王国軍人捕虜、西ヨーロッパ出身者のうち強制収容所収容や移住を強制されなかった者は対象外である。
2 強制労働被害者の人数等,及びアウシュビッツ強制収容所
(1) 「第三帝国における強制労働」(北陸大学紀要第28号(2004年))の末尾273頁には,強制労働被害者の人数に関して以下の記載があります。
① 1944年夏には,推計で7~8百万人のドイツで働く全外国人労働者のうち,ソ連人は他のどの国の人々よりも多かった。ソ連人民間労働者は280万人を数え,うち半数以上は女性であった。戦時捕虜は63万人に達していた。一方,強制労働による死者数も膨大にのぼり,1939年の対ポーランド戦争から1944年夏までに,戦時捕虜は330万人が死亡し,このうちソ連人が200万人(約58パーセント)を数え,強制収容所,労働収容所等で殺害された。ソ連人民間労働者は,数十万人が飢餓,病気,虐待等で殺される。
② ナチス側の労働担当部局が,ナチ支配の時代の最後に発表した統計数値を見てみよう。ドイツ戦争経済の研究科である経済史ディートリヒ・アイヒホルツによれば,この労働担当部局は,1944年8月~9月における大ドイツ帝国の強制労働者の総数を,7,906,760人であると公表した。
→ (山中注)281頁の表によれば,フランスが124万6388人であり,ポーランドが169万642人であり,ソ連が280万6203人です。
③ この人達(山中注:殺害された人々,飢餓,寒さ,過労,病気で死んだ人々,逃亡した人たち等)を含めると,ニュルンベルク国際軍事裁判でザウケル労働委員全権委員がほのめかした1200万人の方がより実態に近い。しかし,ディートリヒ・アイヒホルツによれば,これでも強制労働所収容者の数が含まれていない。
④ 全戦争期間を通じれば(山中注:強制労働被害者は)1400万人にのぼり,したがって,ソ連人強制労働者もさらに増加する。要するに,奴隷ならば生存は保障されていたが,酷使され,病,飢え,寒さで働けなくなれば焼却炉行きとなる<奴隷以下>の待遇にあった強制労働者のうち最大のグループはソ連人であったといえよう。

(2) 「第三帝国における強制労働」(北陸大学紀要第28号(2004年))の末尾276頁ないし280頁には,強制労働の現場等に関して以下の記載があります。
①   労働力不足の現場は,前線での塹壕掘り,ハンブルクなど港湾での軍需物資の荷役作業,重要生産施設の地下移転作業,炭鉱・建設業界,軍需・化学産業界などに広がった。「前代未聞の労働力不足」に見舞われたナチス政体にみられた変化の第三は,新たな規模で強制収容所の収容者に触手を伸ばしたことである。各企業は強制収容所の収容者に群がり,収容者は<使い捨て>商品として扱われ,使用後に<焼却>された。ハンブルク近郊のノイエンガメ強制収容所では,焼却された遺体は,収容所所有の畑の肥料となった。生きているときは労働を通じて収益を提供した収容者たちは,死んでなお収容所高官の食べる野菜の増産に貢献させられたわけだ。
   強制労働の現場は,農業,企業だけでなく,さらに一般家庭,自治体での労働,そして教会にも広がっていた。広く社会の隅々で外国人労働者の労働は常態となっていた。
② 各企業やナチスは,戦争も末期の頃になると,膨大な数の強制労働者の<処分>と<後始末>という新たな課題を抱え込むようとなった。ドイツの軍事的敗北が濃厚になり,強制収容者をそのまま継続して管理し統制する余裕が,経済的にも,人的にも無くなってきた。

③ 企業が,持て余した強制労働者を国家警察や秘密国家警察の出先機関に<移送>し,<戻す>。すると,出先機関は,独自に,勝手に処刑したということである。企業は,飢餓と病気と疲労にさいなまされ,自社のために身をすり減らして労働してきた人々を,故郷に帰すのではなかった。まるでBSE(牛海綿状脳症)に感染した牛やインフルエンザにかかった鶏を扱うように,自らの手を汚さずに,警察に<処分>をさせ,<間引き>した。牛も鶏も,飼い主は涙を流しながら別れを告げるであろう。しかし企業はそうではなかった。私は,<家畜以下の措置>という以外に形容の言葉を知らない。
④ 無事に帰還した人々にも戦後の歩みは決して平坦ではなかった。敵国ドイツのために働いた,あるいは貢献したという汚名を着せられた人々も多い。なんとか帰還した人々の数は,ソ連のみに限ると約520万人であった。このうち戦時捕虜が180万人,民間人労働者が340万人にのぼった。帰還後,この人たちの多くは,「協力者」,祖国への「反逆者」という視線を全身に浴びながら,尋問を受け,審査される収容所に再度入れられた。
(3) Wikipediaの「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」には,以下の記載があります。
① (山中注:アウシュビッツ強制収容所は,)労働力確保の一方で、労働に適さない女性・子供・老人、さらには「劣等民族」を処分する「絶滅収容所」としての機能も併せ持つ。
② 一説には「強制収容所到着直後の選別で、70 – 75%がなんら記録も残されないまま即刻ガス室に送り込まれた」とされており、このため正確な総数の把握は現在にいたってもできていない。
③ (山中注:アウシュビッツ強制収容所に)収容されたのは、ユダヤ人、政治犯、ロマ・シンティ(ジプシー)、精神障害者、身体障害者、同性愛者、捕虜、聖職者、エホバの証人、さらにはこれらを匿った者など。その出身国は28に及ぶ。ドイツ本国の強制収容所閉鎖による流入や、1941年を境にして顕著になった強引な労働力確保(強制連行)により規模を拡大。ピーク時の1943年にはアウシュヴィッツ全体で14万人が収容されている。 
④ たとえ労働力として認められ、収容されたとしても多くは使い捨てであり、非常に過酷な労働を強いられた。理由として、
1.ナチス党が掲げるアーリア人による理想郷建設における諸問題(ユダヤ人問題など)の解決策が確立されるまで、厳しい労働や懲罰によって社会的不適合者や劣等種族が淘汰されることは、前段階における解決の一手段として捉えられていたこと。
2.領土拡張が順調に進んでいる間は労働力は豊富にあり、個々の労働者の再生産性確保(必要な栄養や休養をとらせるなど)は一切考慮されなかったこと。
3.1941年末の東部戦線の停滞に端を発した危急の生産体制拡大の必要性と、戦災に見舞われたドイツの戦後復興および壮麗な都市建設計画など、戦中と戦後を見越した需要に対し、膨大な労働力を充てる必要があったこと
などが挙げられる。
⑤ 併せて、劣悪な住環境や食糧事情、蔓延する伝染病、過酷懲罰や解放直前に数次にわたって行われた他の収容所への移送の結果、9割以上が命を落としたとされる。生存は、1945年1月の第一強制収容所解放時に取り残されていた者と、解放間際に他の収容所に移送されるなどした者を合せても50,000人程度だったと言われている。
3 最高裁平成19年4月27日判決が認定したところの,日本による中国人強制連行
(1) 最高裁平成19年4月27日判決(第二小法廷)(上告人は中国人労働者であり,被上告人は西松建設)では,以下の事実が認定されました。
① 昭和19年3月から昭和20年5月までの間に,161集団3万7524人の中国人労働者が日本内地に移入された。
② 中国人労働者を受け入れた全事業場を通じて,移入者総数3万8935人のうち,送還時までに死亡した者は,6830人(17.5%)であった。
③ 本件被害者らは,家族らと日常生活を送っていたところを,仕事を世話してやるなどとだまされたり,突然強制的にトラックに乗せられたりして収容所に連行され,あるいは日本軍の捕虜となった後収容所に収容されるなどした。
(2) 最高裁平成19年4月27日判決(第二小法廷)の控訴審である広島高裁平成16年7月9日判決は,日本企業の安全配慮義務違反を認め,消滅時効の援用は信義則に違反し,日華平和条約又は日中共同声明に基づく請求権放棄は認められないということで,一人当たり550万円の損害賠償(精神的苦痛に対する慰謝料500万円及び弁護士費用50万円)の支払を命じていました。
(3) 「日中共同声明,日中平和友好条約,光華寮訴訟,中国人の強制連行・強制労働の訴訟等」も参照してください。
4 韓国大法院判決による,旧朝鮮半島出身労働者に関する認定事実の例

(1) 2018年10月30日の韓国大法院判決によって約1000万円の強制動員慰謝料請求権を認めてもらった,旧朝鮮半島出身労働者(いわゆる「徴用工」)であった原告3に関する認定事実は以下のとおりです。
   原告 3 は 1941 年、大田市長の推薦を受け、保局隊として動員され、旧日本製鉄の募集担当官の引率によって日本に渡り、旧日本製鉄の釜石製鉄所でコークスを溶鉱炉に入れ溶鉱炉から鉄が出ればまた窯に入れるなどの労役に従事した。上記原告は、酷いほこりによる困難を経験し、溶鉱炉から出る不純物によって倒れてお腹を怪我し 3 ヶ月間入院したりもしたし、賃金を貯金してくれるという話を聞いただけで、賃金を全くもらえなかった。労役に従事している間、最初の 6 ヶ月間は外出が禁止され、日本憲兵たちが半月に一回ずつ来て人員を点検し、仕事に出ない者には「悪知恵が働くやつだ」と足蹴にしたりした。上記原告は 1944 年になると、徴兵され軍事訓練を終えた後、日本の神戸にある部隊に配置され米軍捕虜監視員として働いていたところ解放になり帰国した。
(2)ア 太平洋戦争当時,旧朝鮮半島出身労働者は日本人であったのに対し,日本に強制連行された労働者は敵国である中華民国の国民でした。
イ 中国人強制連行と旧朝鮮半島出身労働者の比較については,「西松建設の中国人強制連行訴訟最高裁判決を韓国の徴用工訴訟に敷衍するフェイク」(平成30年12月20日付)が参考になります。
5 日本における連合軍捕虜の死亡率(参考)
   太平洋戦争中,約36000人の連合軍捕虜が日本に連行され,国内130ヵ所の捕虜収容所における過酷な労働,飢えや病,事故や虐待,友軍の空襲や原爆などにより,終戦までに約3500人が死亡しましたから,日本における連合軍捕虜の死亡率は約9.7%となりますPOW研究会「死亡捕虜リスト」参照)。

第5 ドイツ政府が主張するところの賠償問題の「解決」,1953年2月27日調印のロンドン債務協定,並びにギリシャ及びポーランドの賠償請求
 ドイツ政府が主張するところの賠償問題の「解決」
(1)ア 外務省HPの「外交史料館所蔵史料に見るドイツ戦後賠償の形成過程―現物賠償、戦争賠償、ナチスの不法に対する補償」の末尾119頁ないし121頁には以下の記載があります。
① 一九五二年及び一九五四年のボン・パリ諸条約における移行条約第六章では、「賠償の問題は、ドイツとその従来の敵国との間の平和条約、又はそれ以前のこの問題に関する協定により規定される。」とされた。
   また、ロンドン債務協定第五条第二項は、「戦争状態にあった国及びドイツにより占領された国並びにその国民のドイツ帝国及びその機関に対する第二次大戦から生じた請求権の審査は、ドイツの占領費用、清算勘定において獲得された貸方勘定、帝国信用金庫(Reichskreditkassen)に対する請求権を含め、賠償問題の最終的解決まで延期する。」と規定した。
   そして、一九九○年の東西ドイツ統一に際しては、ドイツと第二次世界大戦中の交戦国との間で国際法上のいわゆる平和条約は締結されず、東西ドイツ及び米英仏ソの六か国の間で締結された二プラス四条約においても、賠償問題に関する明示的規定は置かれなかった。この点について、ドイツ政府は、「第二次世界大戦後五○年を経過し、賠償問題は時代遅れとなり、その根拠を失った。こうした理解において、ドイツ連邦政府は二プラス四条約を締結した。二プラス四条約は、ドイツに関する最終的規律をもたらす目的を有しており、賠償問題は最早規律されない。」との見解を示してきている。
② こうしたドイツ連邦政府の見解は、国会議員の質問に対する累次の答弁書の中で明らかにされている。例えば、「ロンドン債務協定は、第二次世界大戦に起因するドイツと戦争状態にあった国及びこれらの国の国民の請求の審査を賠償問題の最終的規律まで延期した。この猶予は、一九九○年九月一二日のドイツに関する最終的解決に関する条約(二プラス四条約)でその目的を失った。この条約は、戦争から生じた法律問題の最終的解決を含んでいる。同条約は、明確に、ドイツに関する最終的解決をもたらす目的を有しており、二プラス四条約に関連する法的問題に関する更なる(平和条約上の)規律は生じないことが明らかにされた。このことから、また、同条約の締約国の意思に基づき、賠償問題は最早規律されることがないこととされた。 同条約は、欧州安全保障協力会議(CSCE)の参加国により一九九○年一一月二一日のパリ憲章で承認され、この国の中にはギリシャも含まれている。これによっても、連邦政府の見解では、賠償問題はその根拠を失ったものである。」(DeutscherBundestag, Drucksache 16/1634 vom 30.05.2006.)
   また、ドイツ連邦政府は、賠償問題がその根拠を失った理由として、数十年にわたる国際社会との間の平和で、信頼のある、実り豊かな協力関係、及び包括的な給付の移転を挙げてきた。後者については、具体的に、ドイツ在外資産及びドイツの著作権の接収・収用及び各占領地域におけるデモンタージュ、生産物の搬出に言及し、これらの措置が一九四五年のポツダム会談において見込まれた額(一○○億ライヒ・マルク)を遙かに超えるものであること、また、西側一二か国との間の包括的補償協定の実施に言及している。
イ 欧州安全保障協力会議(CSCE)は,1994年12月のブダペスト首脳会議に基づき,1995年1月,欧州安全保障協力機構(OSCE)に名称変更しました(外務省HPの「欧州安全保障協力機構(Organization for Security and Co-operation in Europe)の概要」参照)。
(2) 外部HPの「ドイツ「記憶、責任および未来」基金の設立過程 」によれば,戦後賠償に関するドイツの基本的立場は以下のとおりです。
① 強制労働は戦争行為として賠償問題の対象であるが、賠償問題の解決は、1957年のロンドン債務協定等により凍結されてきており(ロンドン債務協定は、賠償問題の最終的解決=平和条約=まで、賠償問題を延期する旨定めている。またすべての東欧諸国および多くの西側諸国は一方的ないし二国間の取り決めにより賠償請求権を放棄してきている。戦後50年以上経って、もはや賠償問題は存在しない。
② 他方、企業に対する民事補償請求権については裁判所が判断すべき問題である。これまでの独裁判所における判例は、いずれも時効が成立しているとして、かかる請求権を却下している。
③ 他方、法的請求権の問題とは別の問題として、人道的見地から元強制労働者に対する補償を行うための「基金」を設立し自発的に補償を行い、その代償として、米国内の裁判所において法的安定性を獲得することを目指していく。

(3) ドイツ連邦共和国(西ドイツ)は,1949年5月23日採択の本基本法に基づいて成立し,1952年5月26日署名のボン諸条約,及び1954年10月23日署名のパリ諸条約に基づき,1955年5月5日に主権を回復しました。
   また,ドイツ民主共和国(東ドイツ)は,1949年10月7日に成立しました。
2 1953年2月27日調印のロンドン債務協定
(1) 「第二次世界大戦後の西ドイツ賠償問題とヨーロッパ地域秩序形成 」(名古屋大学法政論集260号に掲載)には以下の記載があります。
   ドイツに対する占領と食料援助のために予想される多大な費用に鑑みて、英国は、ドイツの戦争賠償よりも占領経費と援助費用の返済が優先されるべきこと、したがってドイツ在外財産を戦争賠償ではなく戦前債務の返済に充てることを第二次世界大戦中から主張していた。英国の主張は、当初はソ連、米国のいずれの同意も得ることができなかった。しかし、マーシャルプラン開始ならびに西側占領地区における通貨改革により、西ドイツ復興のためには外国からの投資が早急に必要であるとの認識が強まり、西ドイツの対外債務問題の解決は西ドイツと西欧諸国のあいだの経済関係・金融関係の再開、ひいては西ドイツの経済的な西側統合の前提となるため米国にとっても戦略的に重要であるとの判断から、1953 年2 月に参加21 か国によるロンドン債務協定の締結にいたった。
   西ドイツが返済すべき対外債務には、ドーズ債、ヤング債ならびに企業等からの民間対外債務を含めた第二次世界大戦前の諸債務に加えて、ガリオア資金、マーシャルプラン等、第二次世界大戦後に受けた各種の援助の枠内での諸債務があった。ロンドン債務協定では、これらの対外債務のうち戦前債務が44%(135 億DM から75 億DM)、戦後債務が56%(160 億DM から70 億DM)に圧縮され、総額145 億DM の返済が西ドイツに課された。
   これに対して戦争賠償については、ロンドン債務協定第5 条にて「賠償問題の最終決着まで延期する」ことが合意された。この規定が置かれたことにより、移行条約ですでに賠償猶予に合意していた西側三連合国に加えて、ロンドン債務協定に参加したその他の調印国も西ドイツに対して戦争賠償を請求できないことになった。戦争賠償に対して対外債務の返済を優先させた連合国側の決定については、戦争被害者に対する債権者の優遇だったとして批判もある。また、賠償請求を阻止したうえに、戦中債務は戦争賠償に含まれるとして協議の対象を戦前債務・戦後債務に限定したことは、仏、オランダ等の被害国に対して戦前・戦後債務の主要債権国である米英の利害が貫徹したものと見ることもできる。
(2) ロンドン債務協定は1953年2月27日に調印され,21カ国が署名し,70カ国の西側及び中立国が参加したものの,東側諸国は完全に排除されました。
   そして,同年9月16日にロンドン債務協定が発効しました(j-stage掲載の「1953年ロンドン債務協定に関する最近の研究動向」(2007年5月)参照)。
(3) 1959年から1964年にかけて締結した西側12カ国との包括的補償協定とロンドン債務協定5条2項との関係については,外務省HPの「外交史料館所蔵史料に見るドイツ戦後賠償の形成過程―現物賠償、戦争賠償、ナチスの不法に対する補償」の末尾129頁に以下の記載があります。
   ロンドン債務協定の附属書VIIIは、協定第五条第二項が西ドイツの国内法及びロンドン債務協定の署名前に締結された条約に基づく権利に影響を及ぼさない旨の合意された解釈を定めており、ナチスの不法に対する補償に関するドイツの国内法上の規定及びイスラエルとの協定がこれに含まれると理解された。
   そして、この結果、ナチスの不法に対する補償に関する一般的な例外が形成されたとして、西側諸国との包括的補償協定はかかる一般的な例外の対象とされたのである。
3 ギリシャの賠償請求
(1) 産経ニュースの「ドイツを揺さぶる戦後処理 財政危機のギリシャ賠償額36兆円と試算 独政府は「解決済み」」(平成27年5月6日付)には以下の記載があります。
 「法的に有効だ」。ギリシャのパブロプロス大統領は4月末、戦時中の占領に伴う損害の賠償請求について独メディアで語り、国際司法の場を含めた対応の必要性を強調した。ギリシャのチプラス政権は1月の発足後、「道徳的義務」として賠償請求の検討を表明しており、賠償額を約2787億ユーロ(約36兆円)と試算する。
(2) Wikipediaの「第二次世界大戦時のギリシャ」には以下の記載があります。
 1941年4月、ドイツ軍はギリシャ侵攻を開始、迅速な電撃作戦の前に5月半ばにはギリシャは枢軸国ドイツ、イタリア、ブルガリアの占領下となった。この占領はギリシャ人に恐ろしい負担をもたらし、300,000人以上が飢え死にし、数千人が報復で殺され、ギリシャ経済は破綻した。そのため、ギリシャではパルチザン活動が発生した。これらのパルチザンはゲリラ活動を開始、各地のパルチザンはネットワークを形成してスパイ活動を行ったが、1943年後半からはお互いの主義主張の違いから内戦を始めていた。1944年10月、ギリシャが解放された時、ギリシャは危機的状況であり、それは内戦の勃発を招くこととなった。
4 ポーランドの賠償請求
(1) 産経ニュースの「ナチス侵攻の賠償金57兆円、ポーランド議会が試算」(平成30年3月23日付)には以下の記載があります。
 ナチス・ドイツによる第2次大戦中のポーランド侵攻をめぐり、同国の下院調査委員会は22日、ドイツに請求すべき賠償金は総額5430億ドル(約57兆円)に上るとの試算を明らかにした。ポーランド政府は請求を決めていないが、踏み切れば、両国の関係が悪化する可能性がある。
(2)ア Wikipediaの「ポーランド侵攻」には以下の記載があります。
 ドイツによるポーランド占領中にポーランド人は、抵抗組織で活動したりユダヤ人をかくまうといった反ドイツ的行為のほか、許可なく家畜を飼うなどの微罪でも即座に死刑(ほとんどの場合発覚次第その場で銃殺)となり、最終的に600万人のポーランド人(ポーランド全人口の20%)が殺害され、そのうち300万人はアウシュヴィッツなどの絶滅収容所で大量虐殺されたといわれている。
イ Wikipediaの「ポーランド人に対するナチスの犯罪」には以下の記載があります。
① 伊東孝之著『世界現代史27 ポーランド現代史』(山川出版社、1988年)によると、ポーランドは終戦までに、医師の45%、裁判官・弁護士の57%、教師の15%、大学教授の40%、高級技師の50%、初級・中級技師の30%、聖職者の18%を失ったとされている。 
② ポーランド文化を破壊するため、ドイツ人はポーランドの大学、学校、博物館、図書館、科学研究所を閉鎖した。ポーランドの国家的英雄の像が何百体も破壊された。教育を受けたポーランド人が今後現れて来ないようにするために、ドイツ当局はポーランド人の学校教育を児童教育の数年間だけに制限した。
③ 1939年から1945年までの期間に少なくとも150万人のポーランド人市民がドイツ第三帝国に連れて行かれ、ほとんどの場合本人の意思に関わらず労働を強制された。多くは十代の少年少女であった。
(3) 外務省HPの「外交史料館所蔵史料に見るドイツ戦後賠償の形成過程―現物賠償、戦争賠償、ナチスの不法に対する補償」の末尾108頁には以下の記載があります。
 ソ連は、一九五三年八月二二日のドイツ民主共和国(東ドイツ)との間の議定書(ドイツの賠償支払いの免除等に関する議定書)において、ロンドン債務協定に対応し、一九五四年以降、ドイツ民主共和国について更なる賠償の給付を免除した。このソ連の対応は、ポーランド政府の同意を得てなされている(一九五三年八月二二日のポーランド政府の公式の声明による)。この免除(放棄)について、西ドイツ政府は、同議定書の構成から(同議定書の前文は「ドイツ」とだけ規定している)、東ドイツのみならず、全ドイツ(Gesamtdeutschland)を対象としたものであるとの見解を示してきたが、この点は、ポーランド政府が一九七○年のワルシャワ条約(ドイツ連邦共和国とポーランド人民共和国との間の相互関係の正常化の基礎に関する条約)に関する会談の中で確認している。 



第6 ドイツの戦後補償等における,一人当たりの金額の比較

1 ナチス迫害の被害者に対する一人当たりの補償額
(1)   NAVERまとめの「日本はドイツのように戦後補償をしていないと主張する人がいますが、本当はどうなんでしょう」には以下の記載があります。
④(連邦補償法)この法律は、ナチス迫害により生命、身体、健康、自由、所有物、財産、職業上経済上の不利益を被ったものに対する補償を内容とする。
 制定以来同法に基づく給付申請約450万件中220万件が認定され、これまでにおよそ710.5億マルク(3兆5951.3億円)を給付、現在は約14万人に年間15億マルク(759億円 1人平均月額900マルク(1マルク50.6円換算で45540円))を支払っている。
(2) NAVERまとめの記事を前提とした場合,ナチス迫害の被害者に対する一人当たりの補償額は約163万円となります。
2 強制労働被害者に対する一人当たりの補償額

(1) ヤフーニュースに載ってある「[寄稿]徴用工問題の解決に向けて」(寄稿者は宇都宮健児 元日弁連会長)には以下の記載がありますところ,これによれば,ナチス・ドイツによる166万人以上の強制労働被害者の場合,1人当たりの補償額は43万3735円以下であったことになります。
 ナチス・ドイツによる強制労働被害に関しては、2000年8月、ドイツ政府と約6400社のドイツ企業が「記憶・責任・未来」基金を創設し、これまでに約100カ国の166万人以上に対し約44億ユーロ(約7200億円)の賠償金を支払ってきている。このようなドイツ政府とドイツ企業の取り組みこそ、日本政府や日本企業は見習うべきである。
(2) 韓国の日刊新聞社であるハンギョレHPの「ドイツが日本より善良だから強制動員の賠償をしたのではない」には,強制労働被害者に対するドイツ「記憶・責任・未来」財団の補償に関して,「金額も最大で7500ユーロ(10日為替レート基準で956万ウォン、約100万円)程度で充分ではなかった。1200万人を越える被害者のうち僅か160万人ほどが賠償を受けた。 」と書いてあります。
3 在日韓国人及び台湾住民の軍人軍属に対する補償水準
(1) 平和条約国籍離脱者等である戦没者遺族等に対する弔慰金等の支給に関する法律(平成12年6月7日法律第114号)に基づき,日本は,人道的精神に基づき,在日韓国人ら平和条約国籍離脱者等である戦没者等遺族及び重度戦傷病者遺族に対し,死亡した者1人につき弔慰金260万円を支給し,また,平和条約国籍離脱者等である重度戦傷病者に対し,1人につき見舞金200万円及び重度戦傷病者老後生活設計支援特別給付金200万円を支給しました。
(2) 台湾住民である戦没者の遺族等に対する弔慰金等に関する法律(昭和62年9月29日法律第105号)及び特定弔慰金等の支給の実施に関する法律(昭和63年5月6日法律第31号)に基づき,日本は,人道的精神に基づき,台湾住民である戦没者の遺族等に対し,戦没者等又は戦傷病者一人につき200万円の弔慰金又は見舞金を支給しました。
4 2018年10月30日の韓国大法院判決が支払を命じた金額
(1) 2018年10月30日の韓国大法院判決は,旧朝鮮半島出身労働者(いわゆる「徴用工」です。)1人あたり1億ウォン(約1000万円)の支払を命じました(livedoor NEWSの「徴用工の損害賠償問題 日本企業全体で2兆円超になる可能性も?」(平成30年11月13日付)参照)。
(2) 詳細については,「日韓請求権協定」を参照してください。
5 自賠責保険の賠償水準

 自賠責保険の場合,傷害部分に対して120万円まで支払ってもらえます。
 また,後遺障害部分に対しては,介護を要する後遺障害等級1級であれば4000万円,死亡による損害であれば3000万円,もっとも軽い後遺障害等級14級であっても75万円まで支払ってもらえます(「自賠責保険の保険金及び後遺障害等級」参照)。
6 東日本大震災における原子力損害賠償の賠償水準
(1) zakzak HP「【震災から3年 福島のリアル】賠償の差が生み出した被災生活格差 被害大きくても対象地区外れると…」には以下の記載があります。
   文部科学省によれば、原発事故の賠償金は、原子力損害賠償紛争審査会の指針に基づき、東京電力が負担し、帰還困難区域は故郷喪失慰謝料が上乗せされる。
   同省の試算では、30代の夫、妻、子供2人の持ち家4人世帯が福島県内の都市部へ移住した場合、(1)帰還困難区域で1億675万円(2)居住制限区域で7197万円(3)避難指示解除準備区域で5681万円(いずれも総額)-に分かれる。
(2) 関弁連理事長及び東京三会会長が出した「東日本大震災・福島第一原子力発電所事故から7年を迎えるにあたっての声明」(平成30年3月9日付)には,「原子力発電所事故の被害者に対する救済・賠償は依然として不十分である。いくつかの集団訴訟で国や東京電力の責任を認める画期的判決が出ているが、残念ながら被害者救済に資する十分な賠償を命じたと言える内容ではない。」と書いてあります。

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第7 関連記事
・ 第一次世界大戦におけるドイツの賠償金の,現在の日本円への換算等
・ 旧ドイツ東部領土からのドイツ人追放,及びドイツ・ポーランド間の国境確定
・ 日本の戦後処理に関する記事の一覧
・ 日本の戦後賠償の金額等
・ 日韓請求権協定
・ 原子力損害賠償の状況,中国残留邦人等への支援,被災者生活再建支援制度等

日本の戦後賠償の金額等

目次
1 日本の戦後賠償の金額
2 日本とドイツの戦後補償の比較
3 国家賠償法施行以前の取扱い
4 東京高裁平成13年10月11日判決(裁判長は18期の浅生重機裁判官)の判示内容
5 終戦直後に抑留生活を送ったことがある最高裁判事
6 関連記事その他

1 日本の戦後賠償の金額

(1) 日本の戦後賠償については,外務省HPの「歴史問題Q&A 関連資料 日本の具体的戦後処理(賠償,財産・請求権問題)」が詳しいです。
(2)ア 外務省HPの「賠償並びに戦後処理の一環としてなされた経済協力及び支払い等」によれば,日本の戦後賠償の支払総額は264億2864万8268ドル(1兆3525億2789万8145円)みたいです。
イ 主なものは,賠償額10億1208万ドル(3643億4880万円)及び在外財産の放棄236億8100万ドル(3794億9900万円)です。
ウ フィリピンに対する賠償は5億5000万ドル,ベトナムに対する賠償は3900万ドル,ビルマに対する賠償は2億ドル,インドネシアに対する賠償は2億2308万ドルです。
エ 在外財産の放棄のうち,朝鮮が702億5600万円,台湾(中華民国)が425億4200万円,中国(東北)が1465億3200万円,中国(華北)が554億3700万円,中国(華中・華南)が367億1800万円,その他の地域(樺太,南洋,その他南方地域,欧米諸国等)が280億1400万円です。

2 日本とドイツの戦後補償の比較
(1) NAVERまとめの「日本はドイツのように戦後補償をしていないと主張する人がいますが、本当はどうなんでしょう 」には以下の趣旨の記載があります(②及び③の現在換算の計算方法はよく分かりません。)。
(ドイツの戦後補償)
① ドイツの連邦補償法制定以来,同法に基づく給付申請約450万件中220万件が認定され、これまでにおよそ710.5億万マルク(3兆5951.3億円)を給付、現在は約14万人に年間15億マルク(759億円 1人平均月額900マルク(1マルク50.6円換算で45540円))を支払っている。
(日本の戦後補償)
② 例えばフィリピンには賠償約1980億円、借款約900億円、インドネシアには賠償約803億円、借款約1440億円を支払っています。この他、別表にあるように、賠償、補償の総額は約3565億5千万円、借款約2687億8千万円で併せて6253億円(現在換算20兆971.42億円)にのぼります。
③ これ以外にも事実上の賠償として、当時日本が海外に保有していた財産はすべて没収されました。
それは日本政府が海外にもっていた預金のほか鉄道、工場、建築物、はては国民個人の預金、住宅までを含み、当時の計算で約1兆1千億円(現在換算35兆3540億円)に達しています。
④ 現在の経済大国、日本ではなく、戦後のまだ貧しい時代に、時には国家予算の3割近くの賠償金を約束し、きちんと実行してきていたのです。
(両者の比較)
⑤ ドイツは個人補償が中心で、国に対する賠償金は支払っていません。
   一方、日本は国に対する賠償、および経済協力という形で、ドイツの数倍の金額を支払っています。
(2) 外務省HPに「外交史料館所蔵資料に見るドイツ戦後賠償の形成過程」が載っています。


3 国家賠償法施行以前の取扱い
(1) 最高裁昭和25年4月11判決判示
   国家賠償施行以前においては、一般的に国に賠償責任を認める法令上の根拠のなかつたことは前述のとおりであつて、大審院も公務員の違法な公権力の行使に関して、常に国に賠償責任のないことを判示して来たのである。(当時仮りに論旨のような学説があつたとしても、現実にはそのような学説は行われなかつたのである。)
(2) 最高裁平成15年4月18判決の判示
   法律行為が公序に反することを目的とするものであるとして無効になるかどうかは,法律行為がされた時点の公序に照らして判断すべきである。
   けだし,民事上の法律行為の効力は,特別の規定がない限り,行為当時の法令に照らして判定すべきものであるが(最高裁昭和29年(ク)第223号同35年4月18日大法廷決定・民集14巻6号905頁),この理は,公序が法律行為の後に変化した場合においても同様に考えるべきであり,法律行為の後の経緯によって公序の内容が変化した場合であっても,行為時に有効であった法律行為が無効になったり,無効であった法律行為が有効になったりすることは相当でないからである。

4 東京高裁平成13年10月11日判決(裁判長は18期の浅生重機裁判官)の判示内容
① 人道の観念と国際法
   上記のとおり,国際法は,国家間の合意の中にのみ存在する。これに反して,いわゆる人道の観念あるいは自然法などを根拠に,戦争被害に関して,個人に請求権を与え,その出訴権を認めることとするとどのような事態が発生するであろうか。そのような権利を認めることは,人道の観念や自然法を法源として肯認するということを意味し,それは個人の救済という観点から歓迎すべきことであるとする見解もあるであろう。
   しかし,それは,人道という観点からみると,全く正反対の事態を生じさせるであろう。そのような人道法が存在することとなると,それが存在しない場合に比較して,戦勝国及びその国民は,戦敗国及びその国民に対して,ますます有利となり,戦敗国とその国民は,ますます不利となる。なぜなら,国家間の合意が必要なら,戦勝国でも,戦敗国との外交交渉を経なければ,賠償を取り立てられない。そこでは,戦敗国の支払能力が考慮されるのはもちろん,戦敗国及びその国民の戦争被害の賠償がされないこととのバランスなども,交渉の結論に反映されるはずである。すなわち,賠償交渉においては,賠償額に影響させるべき全ての要素が問題とされるのである。そして,賠償額に影響させるべき要素とは,戦争の勝敗だけではなく,戦後世界の復興に回すべき資源を確保しなければならないことなど,資源配分の適正を含めて,予想される戦後世界のあらゆる事象が含まれる。
   これに対して,人道の観念から,戦争被害について,個人に出訴権を認めた場合,賠償を認めるべきかどうか,及びその額をどの程度のものとするかは,戦争被害のためにすでに存在するとされる損害賠償請求権により確定される。もちろん戦敗国及びその国民の支払能力を考慮することはできないし,戦敗国及びその国民には戦争被害について賠償のないことも,考慮されない。そして,戦後世界を復興させるべきことや,その他賠償額に影響させて当然とされるすべての事象は,考慮されないのである。
   そのような硬直化した問題の解決は,人類社会の混乱を引き起こすのみである。人道の観念というものも,人類社会の中では万能ではなく,その相対性のゆえに,その使い方を誤れば,かえって人類にとって,脅威の源泉となりうるのである。第1次世界大戦後の賠償問題の処理が,戦敗国を混乱に導き,そのことが第2次世界大戦の原因の一つとなったとの指摘があることは,広く知られたところである。
② サンフランシスコ平和条約の締結について
   証拠(乙22号証,28ないし33号証)及び弁論の全趣旨によれば,サンフランシスコ平和条約の締結に至る経緯,その基本的内容及びその義務等の履行関係は次のとおりである。
ア サンフランシスコ平和条約は,1951年(昭和26年)9月8日,アメリカ合衆国サンフランシスコ市において締結された。
   この条約は,第2次世界大戦の連合国と我が国の間の戦争状態を終了させ,連合国最高司令官の制限の下に置かれた我が国の主権を完全に回復するとともに,戦争状態の存在の結果として未決の問題であった領域,政治,経済並びに請求権及び財産などの問題を最終的に解決するために締結されたものである。
   控訴人らの属するオランダも,この平和条約に調印し,批准した。
イ 上記条約においては,日本国が戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して,日本国が連合国に賠償を支払うべきことが承認され,また,存立可能な経済を維持すべきものとすれば,日本国の資源は,すべての上記の損害及び苦痛に対して完全な賠償を行い,かつ同時に他の債務を履行するためには十分でないことが承認された(第5章「請求権及び財産」第14条)。
ウ 上記のような事情から,我が国は,戦争中に生じさせたすべての損害及び苦痛に対して完全な賠償を行うことまでは要求されず,希望する連合国との間で,いわゆる役務賠償によって,日本国が与えた損害を当該連合国に補償することに資するため,すみやかに交渉を開始することとし(14条1),また,次のような方法で賠償等をすることが承認された。
(ア) 一定の留保の下,各連合国は,その管轄下に有する日本国及びその国民等の財産,権利及び利益等を差し押さえ,留置し,清算し,その他何らかの方法で処分する権利を有する(14条2)。
(イ) 日本国の捕虜であった間に不当な苦難を被った連合国軍隊の構成員に対する償いをする願望の表現として,日本国は,中立国又は連合国と戦争状態にあった国にある日本国及びその国民の資産又はこれと等価のものを赤十字国際委員会に引き渡すものとする。同委員会は,これらの資産を清算して,その結果生ずる資金を,捕虜であった者及びその家族のために,適当な国内機関に対して分配する(16条)。
エ 我が国は,上記のような賠償に係る規定に従って,連合国に対して次のような支払等をした。
(ア) フィリピンに対しては5億5000万ドル,ベトナムに対しては3900万ドル相当の役務及び生産物を提供した。
(イ) 連合国領域内にある約40億ドルの日本人資産は連合国政府に没収され,その収益は各国の国民に分配された。この約40億ドルは,日本円にして1兆4400億円に相当し,これは昭和26年の我が国の一般会計の歳入約8954億円を大きく上回る額であった。
(ウ) 中立国及び連合国の敵国にある日本財産と等価の資金として,総額450万ポンドの現金を赤十字国際委員会に引き渡し,同委員会を介して,14か国,すなわち,オーストリア,ベルギー,カンボディア,カナダ,チリ,フランス,ノルウェー,ニュージーランド,パキスタン,オランダ,フィリピン,イギリス,シリア,ベトナムの合計20万人に上る日本軍元捕虜であった者等に分配された。
オ 他にも,我が国は,中国や朝鮮に対しても在外資産の処分を承認した。ちなみに,「賠償関係資料」と題する外務省調書に引用された「在外資産調査会調」の1945年8月15日現在「我国在外財産評価額推計」によれば,終戦当時,朝鮮及び中国に存在した日本財産は,当時の貨幣価値で,朝鮮が702億5600万円,台湾が425億4200万円,中華民国東北が1465億3200万円,華北が554億3700万円,華中・華南が367億1800万円に上った。
カ 当時の内閣総理大臣吉田茂(吉田総理)は,1951年(昭和26年)9月7日のサンフランシスコ講話会議の全体会議における平和条約受諾演説の中で,「ここに提示された平和条約は,懲罰的な条項や報復的な条項を含まず,わが国民に恒久的な制限を課することなく,日本に完全な主権と平等と自由とを回復し,日本を自由かつ平等の一員として国際社会へ迎えるものであります。」「我が国は,この条約によって全領土の45パーセントをその資源とともに喪失するのであります。8400万人に及ぶ日本の人口は残りの地域に閉じ込められ,しかも,その地域は戦争のために荒廃し,主要都市は焼失しました。また,この平和条約は,莫大な在外資産を日本から取り去ります。条約14条によれば,戦争のために何らの損害も受けなかった国までが日本の個人財産を接収する権利を与えられます。かくのごとくにして,なお他の連合国に負担を生ぜしめないで特定の連合国に賠償を支払うことができるかどうか,はなはだ懸念をもつものであります。しかし,日本はすでに条約を受諾した以上は誠意をもって,これが義務を履行せんとする決意であります。」と述べた。
   我が国が,上記のとおり,前例のない,苛酷ともいえる条件を受け入れ,誠実にその履行を果たしたのは,上記の吉田総理の平和条約受諾演説にもあるとおり,連合国による占領状態から早期に独立し,主権国家として,国際社会に復帰して,連合国と友好関係に入るためであった。

5 終戦直後に抑留生活を送ったことがある最高裁判事
(1)ア 以下の最高裁判事は終戦直後に抑留生活を送ったことがあります。
① 斎藤朔郎(昭和37年5月29日任命)
・ 昭和20年5月から満州国司法部次長をしていて,終戦後,ハバロフスクで抑留生活を送り,昭和22年10月に大阪で弁護士登録をし,昭和24年4月,再び裁判官となりました。
② 村上朝一(昭和43年11月19日任命。昭和51年5月24日に最高裁長官に就任)
・ 太平洋戦争中,陸軍司政官としてジャカルタに派遣されていて,終戦後に抑留生活を送りました。
・ 帰国後は司法省民事局等で勤務しました。
③ 宮崎梧一(昭和55年2月5日任命)
・ 終戦時は陸軍法務中尉をしていて,終戦後,モスクワ郊外で抑留生活を送り,帰国後の昭和23年に弁護士登録をしました。
④ 島谷六郎(昭和59年5月8日任命)
・ 太平洋戦争中,海軍法務官をしていて,中国の海南島で終戦を迎え,約2年余りの間,中国で捕虜生活を送り,帰国後は東京で弁護士登録をしました。
⑤ 高島益郎(昭和59年12月17日任命)
・ 太平洋戦争中,陸軍に召集され,終戦後に北朝鮮で捕虜となり,そのままソ連で抑留生活を送った結果,極寒のために凍傷にかかり,足の小指を失いました。
・ 帰国後は外務省に勤務し,駐ソ連大使も経験しました。
イ 最高裁全裁判官-人と判決-が元データです。
(2) 総務省HPの「旧独立行政法人平和祈念事業特別基金の公表文書」に載ってある戦後処理問題懇談会報告(昭和59年12月21日付)には,「戦争が終了したにもかかわらず、シベリアに強制抑留された方々の労苦は、我々の想像を超えるものがあったであろう。」と書いてあります。



6 関連記事その他

(1) Wikipediaに「日本の戦争賠償と戦後補償」,及び「日本の戦後補償条約一覧」(54本あります。)があります。
(2)ア 日弁連HPの「戦後補償のための日韓共同資料室」に以下の頁があります。
① 日本の法令・裁判例・その他資料
② 韓国の法令・裁判例・その他資料
イ リンク先には,「日弁連と大韓弁協は韓国併合100周年にあたる2010年に共同宣言を発表し、植民地支配や強制動員の被害者の被害回復のために持続的な調査研究・交流を通じて協働することを宣言しました。」と書いてあります。
(3)ア 国立公文書館アジア歴史資料センター(JACAR)HPアジ歴グロッサリー(テーマ別歴史資料検索ナビ)テーマ別検索「公文書に見る終戦-復員・引揚の記録-」が載っています。
イ NHK HPに「「受忍」 忘れられた戦後補償」(令和2年10月22日付)が載っています。
(4)ア 「日本の戦後賠償 アジア経済協力の出発」4頁には以下の記載があります。
    日本はアジア諸国に対して平和条約,賠償協定,請求権・経済協力協定などを締結し,戦後処理の一環として賠償,または無償経済協力を実施したが,ほとんどの場合,「役務および生産物」によって支払われた。この「役務および生産物」による無償経済協力の方式は,そのまま日本の発展途上国に対する無償援助に引き継がれて今日に至っている。賠償支払いがほぼ終了する1970年代後半以降も,発展途上国への無償経済協力,または「円借款」などによる経済協力が引き続き実施されている。
イ 「日本の戦後賠償 アジア経済協力の出発」には,韓国の対日請求権と協力,インドネシア賠償,フィリピン賠償,ビルマ賠償,ベトナム賠償,ラオス賠償,カンボジア賠償,シンガポール賠償,マレーシア賠償,タイ「特別円」,台湾への経済協力,日本の中国政策と経済協力,中国への経済協力,南アジアへの経済協力,オーストラリア人捕虜への補償等が記載されています。
(5) ①恩給欠格者問題,②戦後強制抑留者問題及び③在外財産問題について,総務省HPの「旧独立行政法人平和祈念事業特別基金の公表文書」に載ってある「② 戦後処理問題に関する経緯」には,昭和42年6月27日から平成18年12月22日までの経緯の説明があり,「④ 戦後処理問題に係る施策の概要」には,1.問題の概要,2.従来の関係施策の概要及び3.平和祈念事業特別基金による事業の概要に関する説明があります。
(6) 以下の記事も参照してください。
・ 類型ごとの戦後補償裁判に関する最高裁判例
・ 在外財産補償問題
・ 平和条約における請求権放棄条項に関する3つの説及び最高裁判例
・ 最高裁平成19年4月27日判決が判示するところの,サンフランシスコ平和条約の枠組みにおける請求権放棄の趣旨等
・ 日韓請求権協定
・ 在日韓国・朝鮮人及び台湾住民の国籍及び在留資格
・ 日中共同声明,日中平和友好条約,光華寮訴訟,中国人の強制連行・強制労働の訴訟等

在外財産補償問題

目次
1 総論
2 引揚者に対する金銭給付
3 戦後補償裁判での取り上げられ方
4 内閣答弁書の記載
5 戦後処理問題懇談会報告
6 日本の領土問題に関係する文書
7 関連記事その他

1 総論
(1) 在外財産補償問題とは,第二次世界大戦の敗戦によって失われた引揚者などの日本人の在外資産の補償を巡る問題をいいます。
(2) 平和祈念展示資料館(総務省委託)HP「海外からの引揚者」には以下の記載があります。
 海外からの引揚者とは、さきの大戦の終結に伴い、生活の本拠としていた海外から故国日本への引揚げを余儀なくされた方々をいいます。身の危険が迫る中、すべてを捨て、大変な労苦を体験しながら故国を目指しましたが、引揚げ途中で亡くなった方も多くいました。

2 引揚者に対する金銭給付
(1) 引揚者に対する金銭給付は,昭和32年制定の「引揚者給付金等支給法」に基づき464億円が支給され,昭和42年制定の「引揚者に対する特別交付金支給法」に基づき,全国に350万人いる引揚者に対し,2100億円余りが支給されたみたいです(Wikipediaの「在外財産補償問題」参照)。
(2) 東京都福祉保健局HP「引揚者給付金・引揚者特別交付金」によれば,引揚者給付金(厚生労働省所管)は終戦時の年齢に応じて1人当たり2万8000円から7000円であり,引揚者特別交付金(総務省所管)は終戦時の年齢に応じて1人当たり16万円から2万円です。
(3) 総務省HPの「旧独立行政法人平和祈念事業特別基金の公表文書」に載ってある「戦後処理問題懇談会報告」には,「戦後処理関係の諸措置は、昭和42年の引揚者等に対する特別交付金の支給(支給実績額約1,636億円)をもって一切完了したとの認識であった。」と書いてあります。


3 戦後補償裁判での取り上げられ方
(1) いわゆる戦後補償裁判において,最も初期に争われたのは,サンフランシスコ平和条約等において,日本国政府が,国民の有していた在外資産を戦争賠償に充当する趣旨で処分したり,連合国又は連合国民に対する戦争被害に係る国民の請求権を放棄したのは,憲法29条3項に基づく損失補償の対象となるなどとして,在外資産を保有していた者又は連合国に対する損害賠償請求権を有していた旨を主張する者が原告となり,国に対し,補償又は賠償を求める類型の事件です。
 この類型に属する事件の最高裁判例としては,①カナダ在外資産補償請求訴訟に関する最高裁大法廷昭和43年11月27日判決,②サンフランシスコ平和条約19条(a)に関する最高裁昭和44年7月4日判決,③シベリア抑留者補償請求訴訟に関する最高裁平成9年3月13日判決がありますところ,「戦争中から戦後占領にかけての国の存亡にかかわる非常事態にあっては,国民のすべてが,多かれ少なかれ,その生命・身体・財産の犠牲を堪え忍ぶべく余儀なくされていたのであって,これらの犠牲は,いずれも,戦争犠牲又は戦争損害として,国民のひとしく受任しなければならなかったところであり,右の在外資産の賠償への充当による損害のごときも,一種の戦争損害として,これに対する補償は,憲法の全く予想しないところというべきである」(上記①の半分より抜粋)などとする戦争損害受任論というべき枠組みによって請求が棄却されました
(2) この点については,最高裁判所判例解説(民事篇)(平成19年度)(上巻)409頁及び410頁の記載を全面的に参照しています。

4 内閣答弁書の記載
(1) 昭和25年2月17日付の,衆議院議員前田榮之助君提出引揚邦人の在外財産補償に関する質問に対する答弁書には以下の記載があります。
 日本在外財産の処理に関しては、一九四五年九月二十二日の米国政府発表による「降服後初期の対日方針」によつて初めて明らかにされた。即ち日本の保持する領域外に在る日本財産を関係連合当局の決定に従い引渡すこと、更に日本の在外資産及び降伏條件により、日本より分離せしめられたる地域にある日本の資産は、全部ないし一部皇室及び政府の所有に属するものを含めて占領軍当局の決定による処分に委ねらるべし、と規定し、在外資産の賠償充当の方針を明らかにしている。
 次いで、一九四七年六月十九日の極東委員会の政策決定「降伏後の対日基本政策」において、日本の在外資産については、今後関係諸政府の見解によつて取扱いが決定されることを明らかにした。
 叙上の通り、日本の在外財産の処理は連合国側の方針にかかつているのであるが、各連合国側による日本在外財産に対するそれぞれの評価額及びこれらを賠償要求額中に繰入れられるか否かという問題並びに賠償要求額が正式に決定していない現在、在外財産の所有者に対する補償をいかにすべきかということについては、具体的な決定をなすべき段階と至つていない。
 在外財産の調査に関しては、昭和二十一年九月外務、大蔵両省共同にて「在外財産調査会」を設置し、満洲外各地域別に九部会を設け、それぞれ学識経験者に調査を委嘱し、昭和二十年十一月大蔵省令第九十五号に基き、在外財産報告書及び在外公館からの持帰り資料等をもととして調査を進めて来たが、昭和二十四年一月調査を完了したので、同調査会を解散した。
 なお同調査会の調査の結果はまだ公表する時期に至つていない。
(2) 昭和50年7月8日付の,衆議院議員受田新吉君提出引揚者の在外財産問題に関する質問に対する答弁書には以下の記載があります。
一について
 御質問の「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」(条約附属書を含む)は、国際法上一般に戦争が違法とされていなかつた時代に作成されたものであり、国際連合憲章第二条4において、武力の行使が、他国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも禁止されている今日においては、同条約の適用につき種々議論はあるが、一般には、国家間に実態的な戦争状態が存在する場合には同条約の適用があるものと考えられている。
イ 「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」の違反があつた場合の責任について、同条約は、その第三条において、「前記規則ノ条項ニ違反シタル交戦当事国ハ、損害アルトキハ、之カ賠償ノ責ヲ負フヘキモノトス」と規定しているのみであり、違反国の責任を追及する特別の機関を設けていない。
ロ 「日本国との平和条約」第四条(b)の対象となつている財産の処理に関しては、「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」に規定する一般原則の範囲を超えた処理が合衆国軍政府によつてなされた場合があつたことは事実であるとしても、かかる処理については、同条(b)の規定によつて、その効力を承認し、右平和条約第十九条(a)の規定により、これに関する請求権を放棄したものである。
 政府としては、平和条約上かかる措置がとられたことに関し、国に当該財産の旧所有者に対する法律上の補償の責任はないとの立場に立つている。かかる立場は、最高裁判所の判例(昭和四三年一一月二七日大法廷判決及び昭和四四年七月四日第二小法廷判決)の趣旨とも合致するものと考えられる。
二について
イ 税関保管物件は、引揚者が持ち帰つた通貨、証券等を税関が保管しているものであり、引揚者からの返還請求に応じ返還処理してきているところである。
 政府は、この保管物件を可能な限り返還するよう努めて参る所存であつて、現在、この最終処理を検討すべき段階に至つていないと考える。
ロ 終戦直後、連合軍最高司令部の覚書に基づく昭和二十年大蔵省令第九十五号によつて引揚者等から提出された在外財産等報告書は、集計作業を行つた後、集計表とともに連合軍最高司令部へ提出した。
 この在外財産等報告書は、終戦直後の混乱期に引揚者等から申告により徴した報告であり、証拠資料が皆無に近かつたこと、また、評価基準が不統一であつたこと等の事情からみて、客観性又は信ぴよう性に乏しいものと認めざるを得ないので、公表することは適当でないと考える。
ハ 関係者の陳情等により、台湾引揚者が、引揚げに際し、台湾当局が発行した「私人財産清冊」(私有財産明細書)を持ち帰つている旨承知しているが、右「清冊」の内容の真否等について、現在、政府として確認することは困難である。
ニ 引揚者の在外財産問題については、昭和四十一年十一月の第三次在外財産問題審議会の答申の趣旨にのつとり、昭和四十二年六月引揚者等に対して特別交付金の支給措置を講ずることをもつて最終的に解決する旨を閣議決定し、引揚者等に対する特別交付金の支給に関する法律(昭和四十二年法律第百十四号)に基づき措置してきたところであり、右の措置をもつて在外財産の処理は最終的に解決されたものと考えている。
 なお、特別交付金は、昭和五十年四月までに、支給対象者として、約三一三万人を認定し、約一六三六億円を支給した。


5 戦後処理問題懇談会報告
・ 総務省HPの「旧独立行政法人平和祈念事業特別基金の公表文書」に載ってある戦後処理問題懇談会報告(昭和59年12月21日付)には,「在外財産問題」に関して以下の記載があります。
    敗戦及び引揚げの過程で、海外居住者は、財産のほとんどすべてを失うことを余儀なくされたほか、人間関係、生活利益等生活の支えまでも根こそぎ喪失するに至った。しかも、幾多の辛酸をなめながらたどり着いた祖国は荒廃し、頼るべき身内もほとんどなかったことから、これらの引揚者の生活再建は困難を極めた。
    一方、国においても、引揚者に対しては、引揚時の応急援護、定着援護、給付金の支給、特別交付金の支給等措置を講じてきている。
    引揚者は、上記の惨苦をふまえ、失われた在外財産に対し国が法的補償措置を講じることを求めているのであるが、この点に関しては、第三次在外財産問題審議会の答申の結論-国際法上も国内法上も在外財産に対し国に法律上の補償義務はない-が適当であり、また、その後における最高裁の判決もこれを裏付けており、且つ、日中国交正常化及び外務省記録の公開という関係者の主張する新たな事実についても、前者については、日中韓の法律関係は日中国交正常化により何ら影響を受けないこと、後者については、当該記録は内部検討資料にすぎず、在外財産の帰趨は平和条約によって判断すべきであることから同答申の結論を変更する必要はないとするのが、我々の共通した意見である。
    更に、在外財産喪失者に対するこれまでの措置が公平なものであったかどうかについては、引揚げ直後の応急援護、定着援護、給付金の支給、特別交付金の支給等の措置を通じて、一般戦災者の被った損害と比較し特別であったと考えられる限りにおいては、その公平化が図られたと考えられる。
    当懇談会は、戦後処理の基本的な在り方について検討を加え、更に,措置すべきであるにもかかわらず残されている戦争損害があるかどうか、これまでに講じられた措置に不均衡なものがあるかどうか、その後における新しい事実又は事情の変化によってこれまでの措置を見直す必要があるかどうかについて、以上のとおり、特に、恩給欠格者問題、戦後強制抑留者問題及び在外財産問題を中心に種々の観点から慎重かつ公平に検討を行ってきたが,いずれの点についても、もはやこれ以上国において措置すべきものはないとの結論に至らざるをえなかった。

6 日本の領土問題に関係する文書

(1) 大西洋憲章
ア アメリカのルーズヴェルト大統領及びイギリスのチャーチル首相は,1941年8月9日,大西洋のプラセンティア湾(カナダ・ニューファンドランド州沖)で会談し,後に大西洋憲章としてまとめられる内容を協議しました。
イ アメリカとイギリスは,1941年8月14日発表の大西洋憲章第1項において,領土拡大を求めないことを表明しました。
ウ 1941年9月24日にロンドンで開催された第2回連合国会議において,ソ連を含む連合国の代表が大西洋憲章で示された政策原則を支持することを全会一致で採択しました。
(2) 連合国共同宣言
ア アメリカとイギリスは,1941年12月22日から1942年1月14日までの間,ワシントンDCにおいてアルカディア会談を行いました。
イ アメリカ,イギリス,ソ連及び中国は,1942年1月1日,大西洋憲章への賛意を含む連合国共同宣言に署名しました。
ウ 1942年から1945年にかけて47の国の政府(亡命政府を含む。)が連合国共同宣言に署名しました。
エ 連合国共同宣言に署名したことが国際連合の原加盟国の資格の一つとなりました(国際連合憲章3条)。
(3) カイロ宣言
ア アメリカのルーズヴェルト大統領,イギリスのチャーチル首相及び中華民国の蒋介石主席は,1943年11月22日から同月26日にかけて,エジプト・カイロにおいてカイロ会談を行いました。
イ 1941年12月1日に発表されたカイロ宣言には以下の条項が含まれていました。
① 三大同盟国ハ日本国ノ侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル為今次ノ戦争ヲ為シツツアルモノナリ右同盟国ハ自国ノ為ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ス又領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス
→ 領土不拡張原則について定めています。
② 右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ

→ 委任統治領(国際連盟規約22条)としての南洋群島の没収,並びに満州,台湾及び澎湖諸島の中華民国への返還について定めています。
③ 日本国ハ又暴力及貪慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ
→ 日露戦争を終結させたポーツマス条約によって日本が取得した南樺太が該当すると思われますが,当時,日ソ中立条約に基づき,日本はソ連との間で戦争状態にありませんでした。
④ 前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス
→ 朝鮮の独立について定めているものの,「軈て(やがて)」という文言が付けられていて,終戦後,朝鮮半島については信託統治を経た後に独立させることが想定されていました。
ウ 1944年4月17日から同年12月10日にかけて実施された日本軍の大陸打通作戦において中国国民党軍が大敗したため,蒋介石主席はヤルタ会談及びポツダム会談に招かれませんでした。
(4) ヤルタ協定
ア 1945年2月4日から同月11日にかけて,アメリカのルーズヴェルト大統領,イギリスのチャーチル首相及びソ連のスターリン書記長は,ヤルタ近郊にあるリヴァディア宮殿でヤルタ会談を行いました。
イ ヤルタ協定には以下の条項が含まれていました。
一、外蒙古(蒙古人民共和国)ノ現状ハ維持セラルヘシ
二、千九百四年ノ日本国ノ背信的攻撃ニ依リ侵害セラレタル「ロシア」国ノ旧権利ハ左ノ如ク回復セラルヘシ
(イ) 樺太ノ南部及之ニ隣接スル一切ノ島嶼ハ「ソヴィエト」連邦ニ返還セラルヘシ
(ロ) 大連商港ニ於ケル「ソヴィエト」連邦ノ優先的利益ハ之ヲ擁護シ該港ハ国際化セラルヘク又「ソヴィエト」社会主義共和国連邦ノ海軍基地トシテノ旅順口ノ租借権ハ回復セラルヘシ
(ハ) 東清鉄道及大連ニ出口ヲ供与スル南満洲鉄道ハ中「ソ」合弁会社ノ設立ニ依リ共同ニ運営セラルヘシ但シ「ソヴィエト」連邦ノ優先的利益ハ保障セラレ又中華民国ハ満洲ニ於ケル完全ナル主権ヲ保有スルモノトス
三、千島列島ハ「ソヴィエト」連邦ニ引渡サルヘシ
前記ノ外蒙古並ニ港湾及鉄道ニ関スル協定ハ蒋介石総帥ノ同意ヲ要スルモノトス大統領ハ「スターリン」元帥ヨリノ通知ニ依リ右同意ヲ得ル為措置ヲ執ルモノトス
三大国ノ首班ハ「ソヴィエト」連邦ノ右要求カ日本国ノ敗北シタル後ニ於テ確実ニ満足セシメラルヘキコトヲ協定セリ
「ソヴィエト」連邦ハ中華民国ヲ日本国ノ覊絆ヨリ解放スル目的ヲ以テ自己ノ軍隊ニ依リ之ニ援助ヲ与フル為「ソヴィエト」社会主義共和国連邦中華民国間友好同盟条約ヲ中華民国国民政府ト締結スル用意アルコトヲ表明ス
ウ 1項は中華民国に対してモンゴル人民共和国(ソ連の衛星国でした。)の独立承認を求めたものであって,中華民国は,1945年8月14日締結の中ソ友好同盟条約に基づき,外モンゴルの公民投票により確認されることを条件として,モンゴル人民共和国の独立を承認することとし,1946年1月5日に同国の独立を承認しました。
    なお,蒋介石主席がヤルタ協定の内容を知らされたのは1945年6月14日でした(「「大日本帝国」崩壊 東アシアの1945年」138頁)。
エ 1946年2月11日,ヤルタ協定の内容が公開されました。


(5) ポツダム宣言
ア 1945年7月17日から同年8月2日にかけて,ベルリン郊外のポツダムにおいて,アメリカのトルーマン大統領,ソ連のスターリン書記長及びイギリスのチャーチル(7月27日以降はクレメント・アトリー)がポツダム会談を行いました。
イ 1945年7月26日に発表されたポツダム宣言には以下の条項が含まれていました。
第8項 「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ
第9項 日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルヘシ
ウ 8月9日未明のソ連対日参戦を受けて開催された最高戦争指導会議構成員会議及び閣議で結論が出なかったものの,翌日午前2時20分頃終了の御前会議(1回目の聖断)及び同日午前4時頃終了の閣議に基づき,日本は,連合国に対し,「天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スルノ要求ヲ包含シ居ラサルコトノ了解ノ下ニ受諾ス」と通告しました(「ポツダム受諾に関する8月10日付日本国政府申入」参照)。
エ 8月11日付のバーンズ回答の「the authority of the Emperor and the Japanese Government to rule the state shall be subject to the Supreme Commander of the Allied Powers who will take such steps as he deems proper to effectuate the surrender terms.」(「天皇及び日本国政府の国家統治の権限は本降伏条項を実施するため適当と認める措置を執る連合国最高司令官(SCAP)の制限の下に置かれるものとする。」という意味です。)という記載に紛糾して同月12日の閣議,並びに同月13日の最高戦争指導会議構成員会議及び閣議でも結論が出なかったものの,同月14日正午終了の御前会議(2回目の聖断)及び同日午後11時発布のポツダム宣言受諾の詔書(いわゆる「終戦の詔書」)に基づき,ポツダム宣言受諾通告を行いました。
オ ポツダム宣言を受諾した場合,同宣言8項に基づき,日本が植民地及び占領地を失い,同宣言9項に基づき,海外に残留している軍人軍属が武装解除された上で引き揚げることは明確でしたが,海外に在留している日本人がどのように取り扱われるかは不明でした。
    また,戦争で荒廃した日本が海外に在留している日本人の引揚げを受け入れる余裕はないと考えられました。
    そのため,日本政府は,8月31日の終戦処理会議において,できる限り現地での共存に努力することを第一義とし,やむを得ず引き揚げる者には便宜を与えて速やかに引き揚げる方途を講じることを決定したものの,結果として,原則としてすべての日本人が植民地及び占領地から引き揚げることになりました。
カ 1945年9月2日付の一般命令第1号(連合国最高司令官指令(SCAPIN)の1番目の指令)に基づき,北緯38度線以北の日本軍はソ連に降伏し,北緯38度線以南の日本軍はアメリカ軍に降伏するとされた結果,38度線による南北分断につながりました。


7 関連記事その他
(1)ア 外務省HPの「『日本外交文書』占領期全3巻」に「七 邦人の引揚げ問題」のことが書いてあります。
イ 国立公文書館HPに「[ポツダム宣言受諾に関し瑞西、瑞典を介し連合国側に申し入れ関係]」が載っています。
(2)ア 「「大日本帝国」崩壊 東アシアの1945年」84頁には以下の記載があります。
    連合国のなかで朝鮮独立にこだわったのは中国であった。戦後中国の安定のために朝鮮半島に独立した国家が不可欠であると考えていた蒋介石は、カイロ会談にあたって朝鮮独立を取り上げるよう強く求めた。その結果、カイロ宣言に文言が盛り込まれたのである。しかし、カイロ宣言の草案段階では、朝鮮の独立が「at the earliest possible moment」(できるだけ早く)となっていたが,議論のなかで表現が弱められ、最終段階で、この会談に続くテヘラン会談とノルマンディ上陸作戦のことで頭がいっぱいだったチャーチルによって「in due course」(やがて)に修正されてしまった。
イ 大阪産業大学HP「朝鮮独立問題をめぐる連合国の論議」が載っています。
ウ 広島大学学術情報リポジトリ「在朝日本人二世の朝鮮・朝鮮人に対する意識形成の研究-在釜山日本人を中心に-」が載っています。
(3) Wikipediaの「日系ブラジル人」には以下の記載があります。
    1944年に入り、日本をはじめとする枢軸国の戦況が悪化するにもかかわらず、これらの事実を「連合国として参戦しているブラジル政府によるプロパガンダ」として受け取らない者が、奥地に住む教育程度もポルトガル語の能力も低い農民を中心に続出した。さらに、1945年8月に日本が連合国に対して降伏したにもかかわらず、多くの日本人移民や日系ブラジル人がこれをデマとして信用せず、いわゆる「勝ち組」(日本は戦争に勝ったと考える人々)と「負け組」(日本は負けたと考える人々)の問題が発生した。
(4) 税理士法人チェスターHPに「在外財産の相続税評価」が載っています。
(5)ア 国家賠償法1条1項の規定に基づく損害賠償請求に憲法29条3項の規定に基づく損失補償請求を予備的,追加的に併合することが申し立てられた場合において,右予備的請求が,主位的請求と被告を同じくする上,その主張する経済的不利益の内容が同一で請求額もこれに見合うものであり,同一の行為に起因するものとして発生原因が実質的に共通するなど,相互に密接な関連性を有するものであるときは,右予備的請求の追加的併合は,請求の基礎を同一にするものとして民訴法143条の規定による訴えの追加的変更に準じて許されます(最高裁平成5年7月20日判決)。
イ 土地収用法133条所定の損失補償に関する訴訟において,裁判所は,収用委員会の補償に関する認定判断に裁量権の逸脱濫用があるかどうかを審理判断するのではなく,裁決時点における正当な補償額を客観的に認定し裁決に定められた補償額が右認定額と異なるときは、これを違法とし、正当な補償額を確定すべきです(最高裁平成9年1月28日判決)。
(6) 以下の記事も参照してください。
・ 日本の戦後賠償の金額等
・ ドイツの戦後補償
・ 旧ドイツ東部領土からのドイツ人追放,及びドイツ・ポーランド間の国境確定
→ 1945年8月2日締結のポツダム協定12項はドイツ人の秩序ある移転について定めていました。
・ 裁判官及び検察官の定年が定められた経緯(日本国憲法の制定経緯を含む。)
 日韓請求権協定