目次
任意保険の示談代行とは,加害者側の任意保険会社が,被保険者の同意を得て,被保険者のために被害者との交渉等を行う仕組みである。
もっとも,任意保険会社が常に交渉を引き受けるわけではなく,一括払,自賠責保険の被害者請求,約款上の直接請求権及び人身傷害保険は,それぞれ別の制度である。
本記事では,示談代行の法的な位置付け,利用できない主な場合,示談書の確認事項及び被害者が注意すべき手続を順に説明する。
個別の事故では,保険会社,保険商品,事故日及び保険始期によって適用約款が異なるため,事故当時の約款を確認する必要がある。
第1 示談代行制度の意味
1 制度の内容
任意自動車保険の示談代行とは,被保険者が対人事故又は対物事故について損害賠償請求を受けた場合に,保険会社が約款の定める範囲で,被保険者の同意を得て,被保険者のために折衝,示談,調停又は訴訟の手続を行う仕組みである。
訴訟手続を行う場合には,保険会社が弁護士を選任する。
現行約款の一例では,保険会社が被保険者に対して支払責任を負う限度で,かつ,保険会社の費用により手続を行うことが定められている(東京海上日動「トータルアシスト自動車保険・2026年1月1日以降始期用約款」参照)。
示談代行は,対人賠償保険について昭和49年に発売された家庭用自動車保険に初めて導入され,対物賠償保険については昭和57年に本格的に導入されたとされる。
この制度の形成経緯については,「自動車事故にかかる損害賠償の適正化等について」と題する日本損害保険協会及び日本弁護士連合会の昭和48年9月1日付け覚書も参照されたい。
2 弁護士法72条との関係
弁護士法72条は,弁護士又は弁護士法人でない者が,報酬を得る目的で,一般の法律事件に関する和解その他の法律事務を取り扱うことを業とすることを原則として禁止している。
保険会社の示談代行が許容される理由を,単に「保険会社自身の債務について交渉するから,他人の法律事務ではない」とだけ説明するのは正確でない。
自動車保険約款上の被害者の直接請求権,保険会社が負担する保険給付義務と加害者の損害賠償債務との重なり,保険会社の利害関係,被保険者の同意及び日本弁護士連合会との協議を含む制度の形成経緯を併せて理解する必要がある。
なお,示談代行の法的説明については,被害者の直接請求権だけを唯一の根拠とする見解に対しても学説上の検討がある。
3 保険会社と被保険者の利益が一致しない場合
保険会社は,被保険者から示談交渉等を委ねられる一方,保険金の支払主体でもある。
賠償額が保険金額を明らかに超える場合,免責の可能性がある場合又は被保険者が独自の主張を希望する場合などには,保険会社と被保険者の利益が一致しないことがある。
そのような場合には,保険会社の示談代行だけに依存せず,被保険者自身が弁護士に相談する必要が生じる。
第2 示談代行が行われない主な場合
示談代行の可否は,事故当時に適用される約款及び契約内容によって決まる。
現行約款の一般的な例では,次のような場合に示談代行が行われないことがある。
① 被保険者に法律上の損害賠償責任がない場合
② 免責事由に該当するなど,保険会社が保険金支払義務を負わない場合
③ 対人事故について,自賠責保険等が締結されていない場合
④ 損害賠償額が任意保険の保険金額と自賠責保険等による支払額の合計額を明らかに超える場合
⑤ 被害者が保険会社との直接の折衝に同意しない場合
⑥ 被保険者が正当な理由なく保険会社への協力を拒んだ場合
この一覧は一般的な約款例を要約したものであり,個別契約の結論を示すものではない。
1 被害者に過失がない事故
被害者に過失がない事故では,被害者側の保険会社は,被害者が相手方に対して行う損害賠償請求について通常は示談代行をしない。
賠償責任保険の示談代行は,保険契約者等が第三者に負う賠償責任を処理するための仕組みであり,被害者自身の請求を一般的に代理する制度ではないからである。
この場合には,被害者側の自動車保険に付帯する弁護士費用特約を利用できることがあるため,弁護士費用特約の対象及び利用条件を含めて契約内容を確認する必要がある。
2 示談代行がなくても損害賠償責任は消えないこと
保険会社が示談代行を行わないことと,加害者が損害賠償責任を負わないことは同じではない。
示談代行条項の適用外であっても,加害者が法律上の損害賠償責任を負うときは,加害者本人が被害者への対応を行う必要がある。
反対に,保険会社が事故受付又は事実確認を始めたことだけで,加害者の法的責任又は支払額が確定するわけでもない。
第3 一括払制度と自賠責保険
1 一括払制度の内容
一括払制度とは,加害者側の任意保険会社が,任意保険による支払部分だけでなく,自賠責保険による支払部分も含めて被害者に支払い,後に自賠責保険会社との間で精算する実務上の仕組みである。
国土交通省は,任意保険会社が被保険者に対して支払責任を負う限度で,自賠責保険金を含めて支払うことが「ある」と説明している(国土交通省「支払までの流れと請求方法」参照)。
したがって,一括払は,被害者の過失が概ね30%以下であれば当然に利用できる制度ではない。
任意保険会社は,加害者側の責任の有無及び程度,事故と傷害との因果関係,治療の必要性及び相当性,自賠責保険の有無その他の事情を個別に検討して,一括対応を開始するかどうかを判断する。
一括対応が行われない場合又は中止された場合でも,被害者は,自動車損害賠償保障法16条に基づき,自賠責保険会社に対して被害者請求をすることができる。
2 自賠責保険の支払基準との関係
自動車損害賠償保障法16条の3は,自賠責保険会社が保険金等を支払うときは,国が定める支払基準に従うことを定めている。
平成14年3月11日付け国土交通省自動車交通局保障課長通達は,一括払額が自賠責保険の支払限度額内では自賠責保険の支払基準による積算額を下回らないことを,一括払に関する書面に記載すべき事項としている(国土交通省「自動車損害賠償保障法及び関係政省令の改正等に伴う事務の実施細目について」参照)。
もっとも,この取扱いは,自賠責保険の支払限度額内における一括払に関するものである。
任意保険部分を含む総損害額の算定又は裁判所の損害認定が,すべて自賠責保険の支払基準に拘束されるという意味ではない。
令和2年4月1日以降に発生した事故について,自賠責保険の傷害慰謝料は1日につき4300円であり,対象日数は治療期間と実治療日数の2倍を比較して少ない方を基本とする(国土交通省「限度額と補償内容」参照)。
したがって,令和2年4月1日以降の事故で,治療期間が90日,実通院日数が45日であれば,傷害慰謝料の計算例は4300円×90日=38万7000円となる。
ただし,実際の支払額は,対象となる損害額,過失,自賠責保険の限度額及び既払額等によって異なる。
自賠責保険の支払基準については,自賠責保険金等支払基準も参照されたい。
第4 示談書,免責証書その他の合意書
1 書面の名称より内容が重要であること
交通事故の合意書には,示談書,承諾書,免責証書などの名称が用いられる。
しかし,被害者にも過失があれば必ず示談書を用い,被害者に過失がなければ必ず免責証書を用いるという法的な決まりはない。
書面の形式,署名方法及び作成通数は,保険会社の事務及び個別の解決方法によって異なる。
物損を人身損害より先に解決することは多いが,常にその順番になるわけではない。
物損に関する示談を先に行うときは,合意の対象が車両等の物的損害だけであることを確認する必要がある。
重要なのは,対象となる事故及び損害,支払額,既払額,支払時期,清算の範囲,後遺障害が残った場合の取扱いその他の合意内容を明確にすることである。
2 清算条項の確認
被害者が「その余の請求を放棄する」旨の条項又は「今後何らの債権債務がない」旨の清算条項に同意すると,原則として,その対象となる損害について追加請求が困難になる。
後遺障害の有無又は損害額が確定していない段階では,合意の対象を物損だけに限定するのか,人身損害の一部だけに限定するのかを明記する必要がある。
また,治療費,休業損害その他の既払金が最終支払額の内金か,別枠かを確認する必要がある。
保険会社のひな型は改訂されることがあるため,古い免責証書の文言を一般的な現行文言として使用すべきではない。
第5 被害者の任意保険会社に対する直接請求権
1 約款上の直接請求権
対人賠償保険及び対物賠償保険の約款には,所定の条件を満たした場合に,被害者が加害者側の任意保険会社に対して損害賠償額の支払を直接請求できる旨が定められている。
現行約款の一般的な例では,判決の確定,裁判上の和解又は調停,書面による合意,損害賠償請求権を行使しない旨の書面による承諾,保険金額超過が明らかになったこと,被保険者の破産等が支払条件とされている。
具体的な条件及び支払限度は,事故当時に適用される約款を確認する必要がある。
損害賠償請求権が存在することと,約款上の直接請求権について現実の支払を求める条件が整うことは,同じ問題ではない。
また,任意保険会社に対する約款上の直接請求権と,加害者本人に対する損害賠償請求権は別の権利である。
任意保険会社だけを相手に交渉又は訴訟をしている間にも,加害者本人に対する損害賠償請求権の消滅時効を別に管理する必要がある。
次の投稿はこの実務上の危険を指摘するものであるが,具体的な時効管理は,事故日,請求の相手方,訴訟物及び手続の経過を確認して判断すべきである。
今日学んだこと
約款上の直接請求権に基づき、加害者の任意社のみを被告にした場合、加害者に対する損害賠償請求権の時効は中断しない(完成猶予しない)ので、任意社との訴訟中でも加害者への損害賠償請求権の消滅時効は進行し、これが時効消滅すると、直接請求権に基づく請求も自動的に消滅する— 半端ない弁護士 (@IkemenBengoshi) August 22, 2023
2 保険法22条の先取特権との区別
保険法22条は,責任保険の被害者が,被保険者の保険給付請求権について先取特権を有することを定めている。
この先取特権は,任意自動車保険約款が定める被害者の直接請求権そのものではない。
したがって,約款上の直接請求権を説明する際に,保険法22条だけを根拠として掲げるのは正確でない。
第6 示談金を検討する際の注意点
1 後遺障害
任意保険会社との裁判外の交渉では,自賠責保険の後遺障害等級認定が重要な資料となる。
しかし,自賠責保険で後遺障害等級が認定されていないことだけを理由として,裁判上も後遺障害逸失利益又は後遺障害慰謝料を一切請求できないわけではない。
裁判所は,診断内容,画像,症状経過,事故態様その他の証拠により,後遺障害及び損害を判断する。
痛み又はしびれなどの神経症状について14級の場合に5年程度,12級の場合に10年程度の労働能力喪失期間が用いられる例はあるが,これはすべての後遺障害に一律に当てはまる基準ではない。
後遺障害の内容,職業,年齢及び症状の永続性に応じて個別に判断される。
2 眼鏡等
自賠責保険の支払基準では,眼鏡又はコンタクトレンズの費用について5万円の上限が設けられている。
これに対し,民事上の損害賠償では,事故との因果関係,買換えの必要性及び費用の相当性により損害額が判断される。
眼鏡の損害を人損又は物損のどちらの示談書で処理するかだけで,損害の有無又は額が決まるわけではない。
3 遅延損害金及び弁護士費用
令和2年4月1日以降の事故について,民法上の法定利率は事故時の法定利率によることになり,令和2年4月1日から令和11年3月31日までの各期の法定利率は年3%である(民法404条及び417条の2,法務省「令和8年4月1日以降の法定利率について」参照)。
令和2年3月31日以前の事故には,旧法の年5%が問題となる。
不法行為訴訟で弁護士費用相当額が損害として認められることはあるが,常に認容損害額の10%が自動的に加算されるわけではない。
また,訴訟上の和解における遅延損害金及び弁護士費用の扱いは,事案及び和解内容によって異なり,「遅延損害金の半分だけが加算され,弁護士費用は加算されない」という一律の取扱いはない。
4 複数事故
第1事故の治療中に第2事故が発生した場合に,第1事故の保険会社が必ず対応を終了し,第2事故の保険会社が全損害を引き継いで後に求償するという一律の仕組みはない。
各事故と各症状との因果関係,事故ごとの寄与,治療経過及び各保険会社の対応方針を個別に検討する必要がある。
第7 人身傷害保険との関係
被害者自身又は家族の自動車保険に人身傷害保険が付帯している場合,加害者に対する損害賠償請求とは別に,人身傷害保険金を請求できることがある。
対象となる事故,損害額の算定基準,既払金の控除,代位の範囲及び訴訟基準差額の取扱いは,事故当時に適用される約款によって異なる。
約款によっては,訴訟基準に関する読替規定が,判決又は裁判上の和解による解決を対象とし,裁判外の示談には適用されないことがある。
そのため,加害者側との示談を先行させるか,人身傷害保険を先に請求するかを決める前に,自分の保険会社から適用約款と計算内容の説明を受ける必要がある。
次の投稿も,賠償先行の示談と人身傷害保険の読替規定との関係で問題が生じた実務例を指摘するものである。
賠償先行で示談しちゃって、人傷に差額説で請求しようとしても読み替え規定が発動しなくて詰んだという事案を複数回みたことがあります
— 意識低い系弁護士 (@hatarakedo1988) May 23, 2023
人身傷害保険の制度全般については,人身傷害補償保険も参照されたい。
第8 自賠責保険の被害者請求を残して示談する場合
自動車損害賠償保障法16条1項の被害者請求権は,被害者が加害者に対して同法3条の損害賠償請求権を有することを前提とする。
最高裁判所第一小法廷平成12年3月9日判決(平成9年(オ)第992号・損害賠償請求及び独立当事者参加事件,民集54巻3号960頁)は,加害者に対する損害賠償請求権が第三者に転付された場合には,転付された範囲で被害者請求権を失うと判断した。
また,最高裁判所第一小法廷平成元年4月20日判決(昭和60年(オ)第217号・保険金請求事件,民集43巻4号234頁・判例時報1314号54頁)は,損害賠償債権と債務が混同によって消滅した場合に,被害者請求権も消滅すると判断した。
したがって,自賠責保険への被害者請求を残しながら加害者との示談又は和解をする場合には,加害者に対する損害賠償請求権を先に全部消滅させないよう,合意の対象及び効力発生時期を個別に設計する必要がある。
定型的な一文を入れれば常に被害者請求権を保全できるとは限らないため,具体的な和解条項は,事故状況,請求済みの金額及び自賠責保険の残額を確認して作成すべきである。
なお,旧記事にあった「300万円×0.35-120万円=-25万円」という計算は誤りであり,算術上の結果は-15万円である。
第9 困ったときの確認手順及び相談先
1 最初に保険会社へ確認する事項
保険会社の対応又は保険金支払に疑問がある場合には,まず,次の事項を書面で確認することが考えられる。
① 適用される約款及び特約の名称
② 示談代行又は一括対応を行わない理由
③ 損害項目ごとの認定額,既払額及び計算方法
④ 自賠責保険の認定結果及び一括払で精算する範囲
⑤ 示談案の対象となる損害及び清算条項の範囲
電話だけでなく,提案書,計算書又は電子メール等で根拠を残すと,争点を整理しやすい。
2 相談先及び紛争解決機関
損害保険会社との苦情又は紛争については,そんぽADRセンターを利用できる場合がある。
自賠責保険の支払に関する紛争については,一般財団法人自賠責保険・共済紛争処理機構に紛争処理を申請できる場合がある。
交通事故の損害賠償については,公益財団法人交通事故紛争処理センター又は公益財団法人日弁連交通事故相談センターを利用できる場合がある。
各保険会社の名称,窓口及び申込方法は変更されることがあるため,各機関又は各保険会社の公式サイトで現行情報を確認する必要がある。
第10 出典
1 法令,裁判例,通達及び公的資料
⑤ 最高裁判所第一小法廷平成12年3月9日判決・平成9年(オ)第992号
⑥ 最高裁判所第一小法廷平成元年4月20日判決・昭和60年(オ)第217号
⑨ 国土交通省自動車交通局保障課長「自動車損害賠償保障法及び関係政省令の改正等に伴う事務の実施細目について」(平成14年3月11日付け国自保第66号)
⑩ 日本損害保険協会「損害保険の保険金支払に関するガイドライン」
⑪ 東京海上日動「トータルアシスト自動車保険・2026年1月1日以降始期用約款」
2 書籍
① 永松裕幹ほか『交通事故事件対応のための保険の基本と実務』(学陽書房,2018年)142頁~151頁及び161頁~163頁
② 上松公孝編『損害保険の法務と実務〔第2版〕』(金融財政事情研究会,2016年)37頁~38頁及び353頁~354頁
③ 東京弁護士会法友全期会交通事故実務研究会編『Q&A新自動車保険相談』(ぎょうせい,2007年)161頁~168頁
④ 浅井隆ほか『加害者側弁護士・損保社員・事故担当者のための交通事故損害賠償入門』(ぎょうせい,2023年)78頁~82頁
⑤ 山下友信『保険法(下)』(有斐閣,2022年)電子版183頁~190頁
⑥ 山下典孝編『スタンダード商法III 保険法〔第2版〕』(法律文化社,2025年)電子版189頁~190頁
⑦ 北河隆之『交通事故損害賠償法〔第3版〕』(弘文堂,2023年)電子版424頁~440頁
⑧ 小野裕樹『被害者側弁護士のための交通賠償法実務』(日本評論社,2025年)電子版93頁~95頁,126頁及び131頁~134頁
⑨ 稲葉直樹ほか『6つのケースでわかる!弁護士のための後遺障害の実務』(学陽書房,2020年)電子版50頁及び84頁