令和8年1月1日に中小受託取引適正化法(以下「取適法」という。)が施行され,取適法の対象となる発注では,代金の支払のために紙の手形を交付すること自体が支払遅延に含まれることとなった。旧下請法の下で用いられた手形サイトの通達や指導基準は,現在の対象発注について手形払を許容する根拠とはならない。
本記事では,令和8年8月15日現在の制度を前提として,現行法の支払規制,昭和41年以降の手形通達の沿革,電子記録債権等へ切り替える際の注意点及び電子交換所における手形交換の終了を整理する。
第1 取適法の対象発注では手形払が禁止される
1 現行法の結論
取適法の正式名称は「製造委託等に係る中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等の防止に関する法律」である。同法5条1項2号は,代金を支払期日の経過後なお支払わないことに,代金の支払について手形を交付することを含めている。
したがって,取適法の対象発注では,手形サイトが60日以内であっても,受注者が同意していても,紙の手形を交付して代金を支払うことは支払遅延となる。旧下請法の「割引困難な手形」に関する長期サイトの規制から,紙の手形による支払そのものの禁止へと規律が変わった点が重要である。
2 令和8年1月1日前後の取引
公正取引委員会の施行時の留意事項によれば,改正後の取適法は,令和8年1月1日以後に発注する取引に適用される。同日前に発注した取引は,代金の支払が同日以後であっても,改正前の下請法による。
適用関係は支払日ではなく発注日で区分する必要がある。また,取適法の対象となる委託の種類,資本金基準及び従業員基準については,中小受託取引適正化法(取適法)の企業実務で整理している。
3 支払期日と手形サイトの違い
取適法3条は,給付を受領した日から起算して60日の期間内で,かつ,できる限り短い期間内に支払期日を定めることを求めている。支払期日を定めなかった場合は受領日が支払期日となり,60日を超える支払期日を定めた場合は,受領日から60日を経過する日の前日が支払期日とみなされる。
これに対し,手形サイトとは,手形の交付日から満期日までの期間をいう。旧制度では,受領日から支払期日までの期間と,支払期日に交付された手形のサイトが別に存在したため,実際に現金を得る時期がさらに遅くなることがあった。現行法は,取適法の対象発注について,手形の交付そのものを支払遅延に含めることにより,この二段階の支払を認めないこととした。
第2 電子記録債権等に切り替える場合の注意点
1 電子化するだけでは足りない
取適法5条1項2号は,手形だけでなく,金銭及び手形以外の支払手段であって,支払期日までに代金相当額の金銭と引き換えることが困難なものの使用も支払遅延に含めている。電子記録債権,一括決済方式及びファクタリングへ形式的に切り替えれば直ちに適法となるわけではない。
公正取引委員会の取適法Q&Aは,電子記録債権等の満期日又は決済日が法定の支払期日より後であり,受注者が支払期日に現金を得るために割引等を行う必要がある場合は,通常,支払遅延となるとしている。名目上の満期日が後であっても,受注者が何らの行為や費用負担をすることなく,支払期日に代金全額の現金を確実に取得できる仕組みであれば,そのことだけで直ちに違反となるわけではない。
2 現金化費用及び受取手数料
電子記録債権や一括決済方式を用いる場合,受注者が支払期日までに代金全額の現金を得るための割引料,融資手数料その他の費用を負担する仕組みは,原則として認められない。受注者との合意があっても,受取手数料を受注者に負担させ,支払期日に代金全額を取得できない状態にすれば支払遅延となる。
もっとも,受注者が受取手数料等を一時的に負担する場合については,あらかじめ書面で合意し,委託事業者が支払期日までに手数料相当額を別途補填するなどして,受注者が支払期日に代金全額の現金を取得した状態を確保し,その旨を記録するという例外的な取扱いが示されている。恒久的に費用を受注者へ転嫁する根拠として用いることはできない。
3 振込手数料及び遅延利息
銀行振込を用いる場合,振込手数料を受注者に負担させて代金から差し引くことは,合意の有無にかかわらず,取適法5条1項3号の減額となる。支払方法を変更する際は,満期や決済日だけでなく,受取額及び受取側の費用まで確認する必要がある。
また,代金を支払期日までに支払わなかったときは,受領日から60日を経過した日から実際の支払日まで,年率14.6%の遅延利息を支払う必要がある。紙の手形を交付した場合,手形を早期に割り引いたとしても,遅延利息との関係では原則として満期日が支払日として扱われる。
4 令和8年の指導事例
広告業における取適法違反被疑事件の集中調査結果では,公正取引委員会及び中小企業庁が広告業者に71件の指導を行った。71件は支払方法以外の違反又は違反のおそれも含む総数であるが,支払に関しては,令和8年1月以後も紙の手形を交付した事例,手形から電子記録債権へ切り替えたものの支払期日に全額を現金化できなかった事例及び振込手数料を受注者に負担させた事例が示されている。
この指導事例は,紙の手形を電子記録債権へ置き換えるだけでは足りず,支払期日における満額の現金取得まで設計し直す必要があることを示している。
第3 手形通達及び指導基準の沿革
1 昭和41年通達
昭和41年3月11日付け41公取下第169号・41企庁第339号及び同月31日付け41公取下第233号・41企庁第467号は,親事業者が下請代金の支払のために振り出す手形のサイトを,繊維業では原則90日以内,その他の業種では原則120日以内とし,さらに短縮するよう求めた。これらは,旧下請法が手形払を一定の範囲で認めていた時代の長期手形対策である。
2 平成28年通達
平成28年12月14日付け20161207中第1号・公取企第140号「下請代金の支払手段について」は,昭和41年の二つの通達を明示的に廃止した。その上で,①代金をできる限り現金で支払うこと,②手形等の現金化費用を受注者の負担としないよう代金額を十分に協議すること,③手形等のサイトを段階的に短縮し,将来は60日以内とするよう努めることを要請した。
この通達は,紙の手形,一括決済方式及び電子記録債権を「手形等」として扱っていた。もっとも,紙の手形を全面的に禁止したものではなく,旧制度の下で支払条件の改善を求めたものである。
3 令和3年通達
令和3年3月31日付け20210322中庁第2号・公取企第25号「下請代金の支払手段について」は,おおむね3年以内を目途として,手形等のサイトを業種を問わず60日以内とすることを要請した。これは,3年後に紙の手形が法律上当然に禁止されると宣言したものではなく,指導基準を60日に変更するための段階的な要請であった。
4 令和6年指導基準
公正取引委員会及び中小企業庁は,令和6年4月30日の公表資料により,業種を問わず,サイトが60日を超える手形等を旧下請法上の「割引困難な手形」等に該当するおそれがあるものとして指導対象とする基準を決定した。この取扱いは,令和6年11月1日以後に交付された手形等に適用された。
ここで用いられた「該当するおそれがあるものとして指導の対象とする」という表現は,60日を1日超えれば法律上当然に違反が確定するという意味ではない。令和6年の基準は,旧下請法下の執行上の指導基準であり,令和8年1月1日以後に発注された取適法対象取引では,紙の手形の交付自体が支払遅延となる。
5 通達の現在の位置付け
昭和41年から令和6年までの通達及び指導基準は,長期の手形サイトによって受注者へ資金繰り負担が転嫁される問題に対し,許容されるサイトを段階的に短縮してきた経緯を示す資料である。現在は,令和8年施行の取適法により,対象発注における紙の手形の交付自体が禁止されたため,これらを現在の許容サイトの根拠として使うことはできない。
第4 振興基準と取適法の適用範囲外の取引
1 令和8年6月改正の振興基準
令和8年6月24日改正の振興基準は,受託中小企業振興法3条1項に基づく,委託事業者及び中小受託事業者がよるべき一般的な基準である。同基準は,取適法上の手形払禁止を踏まえて代金をできる限り現金で支払い,少なくとも賃金相当額を全額現金で支払うこと,振込手数料を受注者に負担させないこと及び電子記録債権等では支払期日までに代金全額を取得できるようにすることを求めている。
振興基準への違反が直ちに取適法上の禁止行為となるわけではない。しかし,主務大臣は,受託中小企業振興法4条に基づき,振興基準に定める事項について指導及び助言を行い,必要があると認めるときは勧奨することができるため,取引条件を検討する際に無視できる基準ではない。
2 フリーランス法だけが適用される取引
フリーランス法Q&Aによれば,フリーランス法だけが適用される取引では,紙の手形を交付したことだけで直ちに支払期日違反となるわけではない。ただし,給付受領日から60日以内の支払期日を守り,手形の現金化費用について十分に協議する必要があり,現金その他の方法による支払が望ましいとされている。
同じ取引に取適法も適用される場合は,取適法の手形払禁止に従う必要がある。「フリーランスとの取引である」ことだけを理由に,取適法の対象性の確認を省略してはならない。
3 建設工事の下請負
建設業者が請け負う建設工事の全部又は一部を他の建設業者に請け負わせる取引は,取適法の役務提供委託から除かれる。したがって,建設工事の下請代金については,取適法の手形払禁止をそのまま当てはめるのではなく,建設業法及び国土交通省の建設業法令遵守ガイドラインを別途確認する必要がある。
同ガイドラインは,下請代金の全額を手形で支払うことを避け,少なくとも労務費相当額を現金で支払うことなどを求めている。また,一定の元請負人と下請負人との関係では,長期の手形サイトが建設業法上問題となり得る。
4 令和9年4月1日施行の支払告示
公正取引委員会は,独占禁止法上の「製造委託等に係る代金の支払に関する特定の不公正な取引方法」を令和9年4月1日から施行する。取適法の資本金基準又は従業員基準を満たさない製造委託等であっても,受注者の取引上の地位が発注者に対して劣る場合には,正当な理由なく受領日から60日を超えて代金を支払わない行為が規制対象となり得る。
同告示の運用基準は,現金又はこれに準ずる支払手段で支払うことを示す一方,取引の実態に即した合理的理由に基づく実質的な合意等を「正当な理由」の例としている。取適法とは適用要件及び例外の構造が異なるため,令和9年4月以後は両制度を区別して確認する必要がある。
第5 電子交換所における手形交換の終了
1 令和9年3月31日に終了するもの
全国銀行協会の令和8年6月18日公表資料によれば,電子交換所における手形及び小切手の交換は,令和9年3月31日をもって終了する。これは銀行間の電子交換所を利用した交換の終了であり,手形法及び小切手法上の有価証券としての手形及び小切手が同日限りで法律上廃止されることを意味しない。
令和9年4月1日以後も,金融機関を介さない書面の直接授受又は郵送による決済まで法律上当然に無効となるわけではない。ただし,各金融機関が手形及び小切手の取扱いを縮小又は終了する可能性があるため,実際に利用できるかは取引金融機関へ確認する必要がある。
2 電子交換所そのものの終了
全国銀行協会は,手形及び小切手以外の残存する証券類の交換を継続した後,電子交換所そのものを令和11年6月29日に終了する予定としている。したがって,「令和9年4月1日に電子交換所が全面終了する」という説明も正確ではない。
3 異議申立預託金制度
現行の電子交換所規則45条及び46条は,不渡りに対する異議申立て及び異議申立預託金の返還を定めている。旧来の説明で見られる「異議申立提供金」又は単なる「預託金」ではなく,現行規則の用語は「異議申立預託金」である。
令和9年4月1日施行の改正規則では,取引停止処分及び異議申立てに関する39条から51条までが削除される。電子交換所における手形交換の終了を説明する際は,現行制度と同日以後の制度を分けて記載する必要がある。
第6 企業実務で確認すべき事項
支払条件を見直す際は,①発注日が令和8年1月1日以後であるか,②委託内容と資本金又は従業員数の要件から取適法が適用されるか,③受領日から60日以内のできる限り短い期間に支払期日を定めているか,④紙の手形を交付していないか,⑤電子記録債権等を使う場合に支払期日までに満額を現金化できるか,⑥現金化費用又は振込手数料を受注者に負担させていないかを順に確認する必要がある。
また,契約書や支払システム上の名称だけで判断せず,受注者がいつ,いくらの現金を,どのような行為及び費用負担によって取得するのかを確認することが重要である。旧契約に「手形サイト60日」などの条項が残っている場合は,発注条件,支払通知,経理システム及び取引先への案内を一体として改める必要がある。
第7 出典・参考資料
1 法令
① 製造委託等に係る中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等の防止に関する法律(e-Gov法令検索)
2 公正取引委員会及び中小企業庁の資料
② 取適法運用基準
③ 取適法Q&A
④ 平成28年12月14日付け「下請代金の支払手段について」
⑥ 手形が下請代金の支払手段として用いられる場合の指導基準の変更
⑧ 振興基準
3 隣接制度及び決済制度の資料
③ 製造委託等に係る代金の支払に関する特定の不公正な取引方法
⑤ 電子交換所規則