刑訴法19条に基づく移送請求に際して,新型コロナウイルス感染症に関する緊急事態宣言を考慮しなかった札幌高裁令和3年2月18日決定(裁判長は39期の金子武志裁判官)

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目次
1 札幌高裁令和3年2月18日決定に至る事実関係
2 札幌高裁令和3年2月18日決定(資料3)の判示内容
3 予断排除に関する刑訴法及び刑訴規則の定めと,札幌高裁令和3年2月18日決定の判示内容との関係
4 札幌高裁令和3年2月18日決定が出た後の事実関係
5 移送請求に対する検察官の意見書
6 移送請求に関する資料一覧
7 法務省新型コロナウイルス感染症対策基本的対処方針の「出張」に関する記載
8 大阪地裁に移送された後の経緯
9 関連記事その他

1 札幌高裁令和3年2月18日決定に至る事実関係
(1) 53期の河畑勇釧路地裁刑事部部総括は,令和3年1月19日,道路交通法違反(一般道において法定の最高速度を47km超えたというスピード違反)の犯罪地である釧路地裁に起訴された否認事件(以下「別件速度違反事件」といいます。)について,被告人が大阪市に在住していること,私選弁護人である私が大阪弁護士会に所属していること,及び大阪府に新型コロナウイルス感染症に関する緊急事態宣言が発令されていることにかんがみ,別件速度違反事件を大阪地裁に移送する旨の決定を出しました(資料1)。
(2) 釧路地検の検察官は,令和3年1月20日,新型コロナウイルス感染症に関する緊急事態宣言に一切言及することなく,釧路地裁令和3年1月19日決定に対する即時抗告の申立てをしました(資料2)。


2 札幌高裁令和3年2月18日決定(資料3)の判示内容
(1) 札幌高裁は,大阪府について新型コロナウイルス感染症に関する緊急事態宣言が発令されていた令和3年2月18日,下記のとおり判示した上で,検察官の即時抗告に基づき,別件速度違反事件に関する釧路地裁令和3年1月19日決定を取り消し,私の移送請求を却下しました(改行を追加しています。)。

    被告人は,本件公訴事実を争う予定であることから,今後釧路地裁に複数回出頭する必要があると考えられ,時間的,経済的な不利益が被告人及び弁護人に生じること自体は否定できないが,弁護人からは,上記のような一般的に生じる不利益について主張があるのみで,被告人の資力や生活状況等に関する具体的な主張や資料の提出があったわけではなく,本件の審理を釧路地裁で実施することに伴う被告人や弁護人の具体的な不利益が明らかになったとはいい難い。
    次に,移送請求書によれば,弁護人は,被告人は本件公訴事実を否認する予定であると主張するだけで,同請求書添付の令和2年12月16日付け千葉県公安委員会宛ての審査請求書によっても,その時点での被告人の主張として,測定機器の故障その他の原因で速度違反が検知されただけで速度違反の事実はなかったというにすぎず,また,被告人は捜査段階で供述調書への署名押印を拒否していて,本件についての被告人の供述が全く得られておらず,その主張の具体的内容が示されたとはいえない状況にある。
    そうすると,本件の争点が測定機器の正確性になるとは限らず,検察官請求証拠に対する意見の見込みも明らかではないことからすれば,公判廷での被告人の供述内容や審理の経過によっては,釧路地裁の周辺に居住する証人に対する尋問が必要となる可能性があるのであるから,同地裁において審理をする方が当該事件の審理に便宜であるのは明らかであり,かつ,捜査機関においても補充捜査が必要となるのであって,本件を他の管轄裁判所に移送すると,本件の捜査を担当しなかった検察官が審理に関与することになり,補充捜査にも支障が生じると考えられる。
    このように,本件では,被告人及び弁護人の主張の内容や,証拠意見の見込みが明らかではなく,およそ検察官が立証計画を定めることができる状況ではないのに,原決定は,本件を釧路地裁で審理することにより生じる被告人及び弁護人の一般的な不利益のみを重視して移送決定をしており,検察官の立証上の不利益を著しく害しているのは明らかであって,取消しを免れないというべきである。
    よって,本件即時抗告は理由があるから,刑事訴訟法426条2項により,主文のとおり決定する。
(2) 担当裁判官は,39期の金子武志裁判官58期の加藤雅寛裁判官及び59期の渡辺健一裁判官でした。



3 予断排除に関する刑訴法及び刑訴規則の定めと,札幌高裁令和3年2月18日決定の判示内容との関係
(1) 予断排除に関する刑訴法及び刑訴規則の定め
ア 第1回公判期日までの勾留に関する処分は,急速を要する場合を除き,事件の審判に関与すべき裁判官以外の,公訴の提起を受けた裁判所の裁判官が行うこととなっています(刑訴法280条1項,並びに刑訴規則187条1項及び2項)。
    また,検察官及び弁護人を出頭させた上で行う事前の打ち合わせにおいて,事件につき予断を生じさせるおそれのある事項について打ち合わせを行うことはできなません(刑訴規則178条の15第1項)。
    さらに,受訴裁判所が第1回公判期日前に当事者双方の主張等を知ることができるのは,充実した公判の審理を継続的,計画的かつ迅速に行えるようにするために実施され(刑訴規則217条の2第1項参照),かつ,当事者双方が等しく参加する場である公判前整理手続に限られます(刑訴法316条の2)。
    そのため,事件の審判に関与すべき裁判官の予断を排除するため,弁護人の主張の内容を移送請求において明らかにすることは本来,刑訴法及び刑訴規則が予定するところではないと思います。
イ 移送の決定は被告事件の実体的審理に入る前にのみなしうるものであって,検察官の冒頭陳述が終わった後はできません(刑訴法19条2項及び東京高裁昭和26年9月6日決定(判例秘書に掲載))。
    また,第1回公判期日前に弁護人が裁判所に連絡すべき事項は,申請予定の証人数,証人調べに要する見込みの時間,第1回公判期日において審理をどこまで進めることができるかについての予定等に限られています(刑訴規則178条の6第3項2号参照)。
    そのため,尋問が必要となる証人の居住市町村を明らかにすることはあっても,事件の審判に関与すべき裁判官の予断を排除するため,移送請求において争点及び証拠意見の見込みを明らかにすることは本来,刑訴法及び刑訴規則が予定するところではないと思います。
(2) 予断排除と,札幌高裁令和3年2月18日決定の判示内容との関係
ア 札幌高裁令和3年2月18日決定は,本件審査請求書を踏まえたとしても,「本件についての被告人の供述が全く得られておらず,その具体的内容が示されたとはいえない状況にある」などと判示しています。
    そのため,移送請求において弁護人の具体的主張を明らかにしていないことは移送請求を否定する大きな事情になるようです。
イ 札幌高裁令和3年2月18日決定は,本件審査請求書を踏まえたとしても,「本件の争点が測定機器の正確性になるとは限らず,検察官請求証拠に対する意見の見込みも明らかではない」などと判示しています。
    そのため,移送請求において争点及び証拠意見の見込みを明らかにしていないことは移送請求を否定する大きな事情になるようです。
(3) 刑事公判部における書記官事務の指針(平成14年5月の最高裁判所事務総局作成の文書)5頁及び6頁には,「イ 書記官による情報収集」として以下の記載があります。
◯ 予断排除の原則との関係で,訴訟関係人から中立性,公平性について疑いを抱かれることのないよう配慮する必要はあるが,以下に述べるような進行管理のために必要な情報については,証拠の実質的な内容に立ち入らない範囲で,聞き方を工夫するなどした上で,積極的に収集することが求められる。
◯ 起訴後,速やかに,進行管理のために必要な①検察官請求証人の有無,②開廷回数の見込み,③追起訴予定の有無,追起訴完了時期,④証拠の分量,証拠調べに要する時間,⑤証拠開示見込み時期等の証拠の実質的な内容にわたらない情報を収集する。この時点では,主に,事件の全体像を把握している検察官から,情報を収集することになる。
※検察官との連絡には,電話のほか,新件連絡表(資料1)等と呼ばれる書面を使っているところがある。検察官からの情報収集は,起訴後3日から1週間をめどに行われている。※これらの情報は,必ずしも1度に入手できるとは限らないことから,その後必要な都度,さらに情報を収集する。
◯ 当初から私選弁護人(法律扶助に基づく弁護人を引き続き国選弁護人に選任することが予定されている場合を含む。)が選任されている場合には,弁護人からも情報を収集する。
※ 捜査段階から私選弁腰人がついている場合は,起訴直後の段階で,概括的な弁霞方針を聴取できる場合もある。


4 札幌高裁令和3年2月18日決定が出た後の事実関係
(1) 私は,釧路地裁に対し,令和3年3月20日,被告人及び弁護人の主張の内容や,証拠意見の見込み等を明らかにした上で刑訴法19条に基づく移送請求をしたところ,釧路地検の検察官は,新型コロナウイルス感染症に一切言及することなく,同月24日,移送請求は不相当であり,職権発動すべきではないという意見を述べました(資料4)。
(2) 釧路地裁は,令和3年5月24日,別件速度違反事件を大阪地裁に移送する旨の決定を出した(資料5)。
(3) 釧路地検の検察官は,大阪府及び北海道について新型コロナウイルス感染症に関する緊急事態宣言が発令されていた令和3年5月25日,新型コロナウイルス感染症に関する緊急事態宣言に一切言及することなく,釧路地裁令和3年5月24日決定に対する即時抗告の申立てをしました(資料6)。
(4) 札幌高裁は,令和3年6月23日,釧路地検の検察官の即時抗告を棄却しました(資料7)。

5 移送請求に対する検察官の意見書
(1) 公判に係属した事件の移送については,刑事訴訟法19条により, 「裁判所は, ・・・検察官若しくは被告人の請求により又は職権で,決定を以て, ・・・他の管轄裁判所に移送することができる。」とされており, この際,刑事訴訟規則8条により,裁判所は,移送の請求があった場合には相手方又は弁護人の意見を,職権で移送の決定をするには検察官及び被告人又は弁護人の意見を間かなければならないとされており, このときに裁判所に検察官の意見を記載して提出するものが,検察官の意見書です。
(2) 移送に関して裁判所から検察官に対して意見を求められた場合,検察官は,公判立証上の支障の有無,参考人等関係者の利便性,被告人の防御権等を考慮し,個別の事案に応じて意見書を裁判所に提出するものであって,あくまで独立した検察官の検察権行使の一環として,意見書が作成されます(令和3年12月当時の,検事総長の理由説明書参照)。



6 移送請求に関する資料一覧
資料1 釧路地裁令和3年1月19日決定
資料2 令和3年1月20日付の,釧路地検の検察官の即時抗告申立書
資料3 札幌高裁令和3年2月18日決定
資料4 令和3年3月24日付の,釧路地検の検察官の意見書
資料5 釧路地裁令和3年5月24日決定
資料6 令和3年5月25日付の,釧路地検の検察官の即時抗告申立書
資料7 札幌高裁令和3年6月23日決定

7 法務省新型コロナウイルス感染症対策基本的対処方針の「出張」に関する記載
・ 法務省新型コロナウイルス感染症対策基本的対処方針(令和3年6月30日改訂)8頁には,「出張」に関して以下の記載があります。
    出張先及びその周辺地域等の感染状況,用務の緊急性,重要性を踏まえ,テレビ会議等の代替手段を積極的に検討する。出張の受入れについても同様に検討する。
    用務の重要性を勘案し,出張を行う場合にあっては,出張者に,マスクを着用し,人混みを避け,用務先以外の訪問は差し控える等の感染症対策を講じさせる。出張者に発熱等が認められる場合には,速やかに所属上司等に報告を行わせ,出張を中止させる。なお,緊急事態措置の対象区域等に係る急を要しない出張は,原則として,延期又は中止することとする。
    海外出張については,外務省の渡航情報を踏まえて対応する。


8 大阪地裁に移送された後の経緯
(1)ア 大阪地裁に移送された後,否認事件として各種書類を弁号証として提出しようとしたところ,公判立会をした70期の福嶋勇介検事が当初,同意したのは弁6(身体障害者手帳)及び弁9(運転免許停止期間短縮通知書)だけでした。
イ 明治大学法曹会HP「合格体験記 私の司法試験合格法」によれば,2012年に明治大学法学部法律学科を卒業し,2014年に学習院大学法科大学院・既修コースを卒業した福嶋勇介は,3回目の受験で司法試験に合格したとのことです。
(2) 被告人質問にも刑事訴訟規則199条の10ないし199条の12が適用されると解されている(最高裁平成25年2月26日決定に関する最高裁判所判例解説参照)ことから,被告人の供述を明確化したり,書面の成立等について質問したりするために不同意書証を示した上で,刑事訴訟規則49条に基づき被告人供述調書に添付してもらいました。
    また,最高裁昭和59年12月21日決定は,「犯行の状況等を撮影したいわゆる現場写真は、非供述証拠に属し、当該写真自体又は他の証拠により事件との関連性を認めうる限り証拠能力を具備する」と判示していることにかんがみ,現場写真については,被告人質問により事件との関連性を立証することで証拠能力を付与してもらいました。
(3) 令和4年3月18日,新62期の千葉康一裁判官から罰金8万円の有罪判決を言い渡されました。

9 関連記事その他

(1)ア 大阪府については,令和3年のうち,1月13日から2月28日までの間,4月25日から6月20日までの間,及び8月2日から9月30日までの間,新型コロナウイルス感染症に関する緊急事態宣言が出ていました(大阪府HPの「令和3年4月25日以降の要請内容(緊急事態措置及びまん延防止等重点措置)」参照)。
イ 北海道については,令和3年のうち,5月16日から6月20日まで,及び8月27日から9月30日までの間,新型コロナウイルス感染症に関する緊急事態宣言が出ていました(旭川市HPの「緊急事態宣言発令に伴う北海道の休業要請等及び支援金の給付について」参照)。
(2) 「新型コロナウイルス感染症の拡大に伴う法的課題や人権問題について引き続き積極的に取り組む宣言」(令和3年6月11日日弁連定期総会決議)で言及されている「COVID-19と人権に関する日弁連の取組-中間報告書-」(2021年2月)87頁には,令和2年4月当時の状況として以下の記載があります。
    新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づき新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言がなされたことにより,緊急事態宣言の対象地域内のほとんどの裁判所において,期日が一律に取り消されるという事態が生じた。また,緊急事態宣言の対象地域外の裁判所においても,裁判官をはじめとする裁判所職員が県境をまたいで通勤することができずに期日が取り消されるという事態も生じた。
(3) 早稲田大学HPに載ってある「河合健司元仙台高裁長官講演会講演録 裁判官の実像」には「仮に一審判決の結論が最終的に覆らないとしても,事件の具体的な事情を踏まえた適正な手続き,デュープロセスをしっかりと踏むことによって刑事罰を科す,そのことだけが刑事罰が正当化される根拠です。その根源的な問題,つまり,あくまでも被告人のために,適正な手続きを経て刑を確定させること,それが,裁判官が刑事罰を科すことができる正当化の根拠であるところ,その視点が私の考えの中で抜け落ちてしまった。」と書いてあります(リンク先のPDF12頁)。
(4)ア 以下の資料を掲載しています。
・ 証拠開示請求への対応について(平成23年4月28日付の大阪高検次席検事の通知)
イ 以下の記事も参照してください。
・ 新型コロナウイルス感染症への対応に関する最高裁判所作成の文書
・ 国内感染期において緊急事態宣言がされた場合の政府行動計画(新型インフルエンザの場合)
→ 平成29年9月12日当時のものです。
・ 国家緊急権に関する内閣法制局長官の国会答弁
・ 業務の再開に関するQ&A(令和2年5月1日付の最高裁判所総務局参事官の事務連絡添付の文書)

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