谷口安史裁判官(43期)の経歴


生年月日 S40.7.1
出身大学 東大
定年退官発令予定日 R12.7.1
R5.5.25 ~ 高松地裁所長
R3.9.25 ~ R5.5.24 東京地家裁立川支部長
R2.4.1 ~ R3.9.24 東京地裁20民部総括(破産再生部)
H31.4.1 ~ R2.3.31 東京地裁25民部総括
H28.4.9 ~ H31.3.31 東京地裁16民部総括
H28.4.1 ~ H28.4.8 東京高裁判事(民事部)
H25.10.1 ~ H28.3.31 大阪地裁9民部総括
H22.4.1 ~ H25.9.30 東京地裁8民判事
H19.4.1 ~ H22.3.31 大阪高裁7民判事
H14.4.1 ~ H19.3.31 最高裁調査官
H13.4.9 ~ H14.3.31 広島地家裁判事
H11.4.1 ~ H13.4.8 広島地家裁判事補
H8.7.1 ~ H11.3.31 大阪地裁判事補
H6.7.1 ~ H8.6.30 最高裁民事局付
H3.4.9 ~ H6.6.30 東京地裁判事補

*0 以下の記事も参照してください。
・ 毎年6月開催の長官所長会同
・ 新任の地家裁所長等を対象とした実務協議会の資料
 部の事務を総括する裁判官の名簿(昭和37年度以降)
 地方裁判所の専門部及び集中部
・ 東京地裁の所長代行者
・ 最高裁判所調査官
*1の1 私が代理人として関与した大阪地裁平成27年4月23日判決(判例体系に掲載。担当裁判官は43期の谷口安史)は,下記の事案において,消滅時効の援用は信義則に反するということで300万円の貸金返還請求を認めました。

(1) 私の依頼者である被告は,昭和54年頃,中国残留婦人であった従兄弟であるB(亡Aの母親)及びその子供3人(亡A他2名)を日本に呼び寄せ,自身が代表取締役をしていた会社Tの一室を改造して4人を住まわせるとともに,亡A及びその兄を日本人と同等の賃金で雇い入れた。(2) 会社Tの経営が苦しくなったため,被告は,亡Aから,平成9年2月28日,平成14年までに返す約束で300万円を現金で借りた(以下「本件借金」といいます。)。(3) 被告は,亡Aに対し,平成10年から平成14年にかけて,分割払いにより,合計300万円の現金で本件借金を返済した(領収書等の書類がなく,借用書の回収もなかった。)。    また,家族に内緒の借金であったから,被告の家族は平成25年3月以前に本件借金を知ることはなかった。(4) 被告は,平成18年頃に3回目の脳梗塞で倒れて話すことがほとんどできなくなった。(5)ア 亡Aは,平成25年3月,労災認定された墜落事故により死亡した。
イ 被告から引き継いで会社Tの代表取締役をしていた被告の息子(墜落事故については不起訴処分となりました。)は,墜落事故の日も含めて亡Aと毎日のように顔を合わせていたものの,本件借金の返済を催促されたことはなかった。
(6) 翌月以降,原告ら(亡Aの妻及びその子)が,被告及びその家族に対し,本件借金の返済を求めるようになった。(7) 平成25年7月21日,亡Aの子は,本件借金が未払いとなっていると誤信した被告の娘に対し,毎月1万円ずつ返済するという債務承認の書面を作成させた。    その際,被告は身振り手振りで必死に嫌がる素振りを見せたものの,話すことができないため,被告の家族は被告の言いたいことを理解できなかった。(8) 平成25年7月下旬,被告の娘が亡Aの子に電話をしたところ,既に弁護士に頼んだということで,すぐに電話を切ってきた。(9) 原告らの代理人弁護士は,平成25年8月1日付の内容証明郵便により,300万円及びこれに対する平成9年2月28日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を請求した。(10) 原告らの代理人弁護士は,平成26年1月7日,300万円及びこれに対する平成9年2月28日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求める訴訟を提起した。(11) 私が,平成26年2月16日に被告の自宅で面談した際,質問事項をペーパーに記載し,指で指し示す方法で事情を確認したところ,被告は,平成14年までに本件借金を現金で返済したものの,借用証書は返却してもらっていないし,領収書はもらっていないという趣旨の回答をした。
(12) 被告は,平成26年2月27日の本件第1回口頭弁論期日において,原告らに対し,本件借金について,貸付けから10年が経過していることを理由に,消滅時効を援用する旨の意思表示をした。

*1の2 控訴審では,40期の村田龍平大阪高裁7民判事から控訴棄却の心証を示されたことから,分割払いによる訴訟上の和解を成立させました。
*1の3 最高裁平成7年5月30日判決(判例体系)は,「一般に、金員の授受に関する領収書等が存する場合には、実際にその授受があったものと事実上推定することができるが、その逆に、右領収書等が存しないからといって、直ちに金員の授受がなかったものということはできない。」と判示しています。
*1の4 ジュリスト増刊「判例から学ぶ」民事事実認定175頁には以下の記載があります(引用部分の執筆者は36期の白石史子裁判官です。)。
    金員を受領していないにもかかわらず, その旨の領収書を作成することは極めて稀であるのに対し,後藤・前記が指摘しているとおり,金員を受領しても領収書を作成しないことは稀とはいえない。伊藤・前記が指摘するような例外のほかにも,金額が少額である,親族間ではなくとも当事者間に信頼関係がある,相手に対する遠慮がある,金員を授受した場所などが領収書を作成しにくい状況にある,後で作成する予定であったがそのままになってしまった,あえて領収書を作成しなくても他に金員の授受を示す証拠があったなど,領収書が存在しないことが不自然,不合理とはいえない事情は広く存在しうる。したがって,「領収書が存在しない場合には金員の授受はなかった」との経験則は,「領収書が存在する場合にはその授受があった」との経験則に比し,適用の範囲は狭く,その推定力も低いといえよう。
*1の5 大阪地裁平成27年4月23日判決につき,「時効の中断の効力を生ずべき債務の承認とは、時効の利益を受けるべき当事者がその相手方の権利の存在の認識を表示することをいうのであって、債務者以外の者がした債務の承認により時効の中断の効力が生ずるためには、その者が債務者の財産を処分する権限を有することを要するものではないが、これを管理する権限を有することを要するものと解される(民法156条参照)」と判示した最高裁令和5年2月1日決定との整合性はよくわかりません。
*1の6 福岡地裁平成19年9月9日判決(裁判長は26期の杉山正士)(判例秘書掲載)は,消滅時効完成後に一部弁済を行った債務者につき時効援用権を喪失していないとした事例です。
    また,大阪地裁平成31年1月18日判決(裁判長は45期の福田修久)は,最終弁済から17年以上経過した貸金債権について,第1審の貸金返還訴訟において,債務者(控訴人)が請求原因事実をすべて認め,金1万円ずつ支払うとの和解を希望する旨を答弁書に記載した上で判決がなされ,控訴審で債務者が消滅時効を援用した事案につき,債務者による消滅時効援用が信義則に反しないものというべきであるとして,貸金請求を認めた原判決を取消し,被控訴人の請求を棄却した判決です。
*1の7 東京新聞HPの「返金放棄書面は「無効」が3件 旧統一教会巡る司法判断 」(2023年12月3日付)には「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の高額献金を巡り、教団側と信者の間で交わされた返金請求をしないとの合意書や念書を無効とする司法判断が、少なくとも3件あることが3日、全国霊感商法対策弁護士連絡会への取材で分かった。」と書いてあります。
*1の8 最高裁令和6年7月11日判決は,宗教法人とその信者との間において締結された不起訴の合意が公序良俗に反し無効であるとされた事例です。

*2の1 最初の残留孤児訪日調査団は昭和56年3月でした(旧中国帰国者定着支援センターHP「残留孤児訪日調査団の特徴(新聞記事)」参照)から,被告が自力でB及びその子供3人を引き取ったのはその前の話になります。
*2の2 本邦に永住帰国する身元未判明の中国残留日本人孤児に対する身元引受人制度は昭和60年3月29日に開始したものの,中国残留婦人がその対象になったのは平成3年6月20日でした(中国帰国者支援・交流センターHP「中国残留邦人等に関する略史」参照)。
*2の3 平成6年10月1日,中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援に関する法律(平成6年4月6日法律第30号)が施行されましたところ,「中国「残留孤児・婦人」2世の生活支援等を求める請願署名」には以下の記載があります。
    2001 年「残留婦人」の 4 名が国家賠償訴訟を起こし、また、2002 年を皮切りに「残留孤児」の約 9 割にあたる 2211 名が原告となって国家賠償訴訟を起こし、その結果、2007 年に、議員立法により、「中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び帰国後の自立の支援に関する法律の一部を改正する法律」(新支援法)が成立し、国民年金の満額支給と支援給付金の支給などを内容とした新たな支援策が採られることとなりました。また、2013 年には、新支援法が改正され、「残留孤児・婦人」と共に苦難を分かち合い、中国の父母、兄弟と別れて日本に来た配偶者に対し、中国「残留孤児・婦人」が死亡した場合でも支援給付以外に国民年金の満額の 3 分の 2 相当額を支給する改善が図られました。
    しかし、新支援法では、中国「残留孤児・婦人」2世を生活保障の対象にしていないことから、帰国した 2 世の中には、30 歳~50 歳で帰国したため日本語も話せず、低賃金・過酷な労働を余儀なくされ、高齢化を迎えた今日、かつての 1 世と同様に、生活保護に頼らざるを得ない人も多くいます。
*2の4 東京高裁平成19年6月21日判決(裁判長は24期の宗宮英俊)は「いわゆる中国残留邦人に対する国の早期帰国実現義務及び自律支援義務は,政治的責務であり,国はその責務を果たすために種々の政策を立案・実行してきたものであって,国賠法上違法とはいえないとされた事例であり,最高裁平成21年2月12日決定によって上告不受理となりました。
    また,東京高裁平成20年1月31日判決(裁判長は23期の原田敏章)も同趣旨の裁判例であり,最高裁平成21年2月12日決定によって上告不受理となりました。
*2の5 ヒューライツ大阪HP「中国残留邦人支援法の改正」には以下の記載があります。
    戦争終結の際、帰国することができず、日中国交回復後ようやく帰国ができた中国残留邦人は高齢になってからの帰国となり、言葉や生活において困難に直面する人も多く、全国15カ所で2000人以上の原告により国に対して残留邦人を早期帰国実現させる義務や帰国後の自立支援義務を怠ったと訴える裁判が起こされていました。そのうち、神戸地裁では、一部の原告を除いて、国の責任を認める判決が出されていましたが、そのほかでは、国の義務を認めない、あるいは認めても国の作為・不作為が不合理ではないなど原告の訴えが退けられていました。

*3の1 Wikipediaの「谷口知平」には「民事訴訟法学者である谷口安平は知平の次男、裁判官の谷口安史は孫に当たる。」と書いてありますところ,東弁リブラ2012年12月号の「思い出いっぱいの二年間」(筆者は11期の谷口安平弁護士)には以下の記載があります。
    後期修習のため東京で再び寮生活を始めたが,クラスの雰囲気ががらりと変わっていたのに愕然とした。前期には目立たなかった人が見違えるようになっていた。とくに北川弘治さんが目立っていた。結局,私は裁判官志望を取り下げて大学に入ったが,その後の仕事も人生も,良くも悪くもこの修習体験なくしてはなかったと思っている。妻と出会ったのもこの時であった。
*3の2 他の裁判官と一緒に,「民事裁判実務の基礎/刑事裁判実務の基礎」を執筆しています(有斐閣HPの「谷口安史(タニグチヤスシ)」参照)。
*4の1 金融法務事情2231号(2024年4月10日号)に「社債に対する利息制限法1条の適用の有無―最三小判令3.1.26の検討― 」を寄稿しています。
*4の2  最高裁令和3年1月26日判決は,「債権者が会社に金銭を貸し付けるに際し,社債の発行に仮託して,不当に高利を得る目的で当該会社に働きかけて社債を発行させるなど,社債の発行の目的,会社法676条各号に掲げる事項の内容,その決定の経緯等に照らし,当該社債の発行が利息制限法の規制を潜脱することを企図して行われたものと認められるなどの特段の事情がある場合を除き,社債には同法1条の規定は適用されない。」と判示しました。


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