司法修習生の採用について,現在公表されている審査基準に日本国籍を必要とする国籍条項はない。
もっとも,最高裁判所は,1956年10月の採用公告で国籍を不採用事由に加え,1977年の金敬得弁護士の採用を契機として1978年度から例外を認め,2009年11月採用の新63期から国籍に関する記載を削除した。
本記事では,この経緯を国会会議録,最高裁判所の現行資料,吉井正明弁護士の説明及び司法行政に携わった関係者の回想に基づいて整理する。
第1 現在の司法修習生採用に国籍条項はない
1 裁判所法66条と第79期の審査基準
裁判所法66条は,司法試験に合格した者の中から最高裁判所が司法修習生を命ずると定めているが,日本国籍を採用要件として定めていない。
最高裁判所が2026年7月現在公表している最新の採用選考案内は,令和7年度第79期司法修習生採用選考である。
同選考の採用選考要項は,司法試験合格者等について,所定の不採用事由に該当しない限り採用する仕組みを採用している。
不採用事由として,修習が困難となる心身の故障,拘禁刑以上の刑,破産手続開始後の未復権,司法修習生としての適格性を欠く行状等が掲げられているが,国籍は掲げられていない。
2 日本国籍を有しない申込者の提出書類
第79期の採用選考要項は,日本国籍を有する申込者に戸籍証明書又は本籍等を記載した住民票を求める一方,日本国籍を有しない申込者には,国籍等,外国人住民となった年月日及び在留資格等を記載した住民票を求めている。
これは本人の特定等に必要な提出書類の違いであり,公表された審査基準上,日本国籍を有しないこと自体は不採用事由ではない。
3 公表資料から確認できる範囲
第79期の採用選考要項は,申込内容の審査及び健康状態判定の結果,必要があると認めた場合に面接を実施すると定めている。
同要項には,日本国籍を有しない者に一律に面接を実施するとの記載はない。
したがって,2010年の国会答弁で説明された外国籍申込者に対する個別判断が現在も同じ方法で続いているとも,既に終了したとも,現行の公表資料だけからは断定できない。
第2 国籍条項の導入から削除までの時系列
| 年月 | 出来事 | 主な根拠 |
|---|---|---|
| 1947年 | 司法修習制度が開始された。当初の採用公告には国籍に関する記載がなかったと吉井正明弁護士は説明している。 | 『自由と正義』2006年7月号31頁 |
| 1956年10月 | 1957年採用の公告で,初めて日本国籍を有しないことが不採用事由に加えられた。 | 昭和52年3月15日衆議院法務委員会 |
| 1972年3月 | 吉井正明(当時の氏名は楊錫明)弁護士が26期司法修習生への採用を拒否された。 | 『自由と正義』2006年7月号31頁 |
| 1972年秋以降 | 吉井弁護士が帰化後に27期司法修習生として採用された。 | 同上 |
| 1977年3月 | 金敬得弁護士が韓国籍のまま31期司法修習生として採用された。 | 『一歩前へ出る司法』56頁~58頁 |
| 1978年度 | 不採用事由に「最高裁判所が相当と認めた者を除く」旨の例外が加えられた。 | 平成11年4月20日参議院法務委員会 |
| 1990年 | 外国籍の採用希望者に求めていた法律遵守の誓約書が廃止された。 | 平成22年3月12日衆議院法務委員会 |
| 1994年3月28日 | 日弁連が国籍条項及び外国籍申込者に対する誓約書・保証人等の取扱いの廃止を要望した。 | 日弁連の人権救済申立事件 |
| 2009年11月 | 新63期の採用選考要領から国籍に関する不採用事由の記載が削除された。 | 平成22年3月12日衆議院法務委員会 |
| 2012年7月9日 | 外国人登録制度が廃止され,外国人住民にも住民基本台帳制度が適用されるようになった。 | 出入国在留管理庁 |
第3 1956年に国籍条項が導入された経緯
1 1955年の公告には国籍条項がなかった
1977年3月15日の衆議院法務委員会で,勝見嘉美最高裁判所事務総局人事局長は,1955年の公告には国籍要件がなく,1956年10月の公告で初めて国籍要件を加えたと説明した。
この公告は1957年に採用される司法修習生を対象とするため,「1956年10月に公告へ追加された」と「1957年の採用時から適用された」は同じ制度変更を異なる基準時から説明した表現である。
2 1974年に最高裁判所が説明した理由
1974年2月19日の衆議院法務委員会で,矢口洪一最高裁判所長官代理者は,司法修習生を日本人に限る明文の規定がないことを認めた上で,当時の取扱いを説明した。
その理由として示されたのは,司法修習が国の費用で法曹を養成する制度であること,司法修習生は国家公務員ではないものの最高裁判所が任免権を有し,兼職禁止及び守秘義務等の点で公務員に近い地位にあったことである。
これは1974年当時に最高裁判所が示した国籍条項の理由であり,国籍を不採用事由に掲げていない現在の審査基準を説明するものではない。
第4 吉井正明弁護士と金敬得弁護士の採用問題
1 吉井正明(楊錫明)弁護士
(1) 26期への申込みと不採用
吉井正明弁護士は,『自由と正義』2006年7月号31頁において,台湾国籍であった当時の氏名を楊錫明といい,1971年に司法試験に合格して26期司法修習生への採用を申し込んだと説明している。
吉井弁護士の説明によれば,台湾国籍のまま採用するよう最高裁判所に求めたが,1972年3月に不採用の連絡を受け,同年4月頃に東京弁護士会へ人権救済を申し立てた。
この経緯は本人による後年の説明であり,採用公告や不採用通知書そのものとは資料の性質が異なる。
(2) 帰化後の27期採用
吉井弁護士は,同年秋の日中国交正常化後に帰化が可能となり,日本国籍を取得した上で,1年遅れて27期司法修習生として採用されたと述べている。
したがって,吉井弁護士は26期への採用を拒否され,帰化後に27期司法修習生となったのである。
2 金敬得弁護士
(1) 韓国籍のまま31期司法修習生に採用
金敬得弁護士は1976年に司法試験に合格し,韓国籍のまま司法修習生に採用するよう求めた。
最高裁判所は1977年3月,金弁護士を31期司法修習生として採用した。
泉徳治『一歩前へ出る司法』56頁~58頁によれば,当時の最高裁判所人事局任用課は,司法修習を担当する弁護士会及び検察庁のほか,法務省及び外務省にも意見を照会し,法務省及び外務省からは外国籍のまま採用することに異存はないとの回答を得たという。
同書は,採用決定に至る司法行政内部の検討を担当者の回想として伝える資料であり,裁判官会議の議事録そのものではない。
(2) 例外規定が加えられたのは1978年度である
金弁護士の採用決定と,採用公告の文言が正式に変更された時期は区別する必要がある。
1999年4月20日の参議院法務委員会における最高裁判所の説明によれば,国籍に関する不採用事由へ「最高裁判所が相当と認めた者を除く」旨の例外が加えられたのは1978年度である。
第5 例外運用から2009年の国籍条項削除まで
1 1978年度以降の採用実績
1999年4月20日の参議院法務委員会で,最高裁判所は,1978年度以降,永住が認められる外国籍の者から約60人の採用申込みがあり,日本国籍を有しないことを理由として採用を認めなかった例はないと説明した。
これは,公告上は国籍に関する不採用事由が残っていた一方,例外規定によって外国籍の申込者を採用していた当時の運用を示す公的資料である。
2 誓約書の廃止と日弁連の要望
2010年の国会答弁によれば,外国籍の採用希望者に提出を求めていた法律遵守の誓約書は1990年に廃止された。
日弁連は1994年3月28日,国籍条項の削除に加え,外国籍の者等に本人の誓約書や保証人を求める取扱いを行わないよう最高裁判所に要望した。
3 2009年の削除と2010年の説明
2009年11月採用の新63期から,採用選考要領にあった「日本の国籍を有しない者(最高裁判所が相当と認めた者を除く。)」との記載が削除された。
2010年3月12日の衆議院法務委員会で,大谷直人最高裁判所人事局長は,外国籍の申込者を採用する運用が長期間安定して続いたため,国籍だけで原則として不採用になるとの誤解を招く記載を削除したと説明した。
同答弁では,2009年の削除は採用基準又は従前の取扱いを変更したものではなく,当時は法的地位の安定性及び居住の継続性等を個別に判断していたとも説明されている。
第6 2010年当時の書類と現在の公表資料
1 外国人登録原票記載事項証明書は旧制度の書類である
2010年の国会答弁では,外国籍申込者の本人確認資料として,戸籍に代わる外国人登録原票記載事項証明書の提出を求めていると説明されていた。
しかし,外国人登録制度は2012年7月9日に廃止されたため,この答弁は当時の制度を説明した歴史資料である。
第79期の採用選考要項では,国籍等,外国人住民となった年月日及び在留資格等を記載した住民票が提出書類とされている。
2 2010年の個別審査を現在へそのまま当てはめない
2010年答弁は,当時,外国籍申込者について事前面接を行い,法的地位の安定性及び居住の継続性等を確認していたと説明している。
これに対し,第79期の公表資料は,国籍を不採用事由に掲げず,面接は審査及び健康状態判定の結果,必要があると認めた場合に実施すると定めている。
両資料は作成時期と記載内容が異なるため,2010年当時の説明を,現在も公表された特別基準であるかのように記載することはできない。
第7 関連する記事及び公的案内
第8 出典
1 法令及び現行の採用資料
② 最高裁判所「令和7年度司法修習生採用選考要項」2025年9月4日,資料1頁~5頁(PDF1頁~5頁)
2 国会会議録及び公的資料
① 第72回国会衆議院法務委員会第6号1974年2月19日,矢口洪一最高裁判所長官代理者の発言
② 第80回国会衆議院法務委員会第3号1977年3月15日,勝見嘉美最高裁判所事務総局人事局長及び矢口洪一最高裁判所長官代理者の発言
③ 第145回国会参議院法務委員会第6号1999年4月20日,最高裁判所長官代理者の発言
④ 第174回国会衆議院法務委員会第4号2010年3月12日,大谷直人最高裁判所長官代理者の発言
⑤ 日本弁護士連合会「司法修習生採用時の国籍条項等による差別人権救済申立事件(要望)」1994年3月28日
⑥ 出入国在留管理庁「外国人登録原票に係る開示請求について」
3 文献
① 吉井正明「なぜ日本国籍がないと調停委員になれないのか」『自由と正義』2006年7月号31頁(所内PDF33頁)
② 泉徳治ほか『一歩前へ出る司法――泉徳治元最高裁判事に聞く』日本評論社,2017年,56頁~58頁(所内PDF67頁~69頁)